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はてなキーワード: 特権的とは

2020-02-27

日本政府って平気でうそをつくからな。マスク高額転売公務員じゃないのか

anond:20200227053049

増産してるのに市中にないのって公務員特権的に買い占めデモしてるんだろう

2020-02-13

レディースデイは男たちが始めた」「そもそも映画の料金は日本場合アメリカよりも非常に高額で搾取的な価格に近い。レディースデイになっても利益構図は搾取的だ」「なので、女が特権的というまやかしに見せて財産をむしり取るという男たちによる女性から搾取だ」はなかったんだな〜。

2020-02-12

anond:20200212185832

ゆうほど武士も腹切らんし

切腹武士特権的な死に方かつ恩典

武士といえどもやった事によっては斬首及び武士階級剥奪の末ふつう処刑

下々の者は言わずもがな

2019-12-27

親族葬儀が「友人葬」だった

タイトルを見て何の話か察したひとも多いだろう。ちなみに自分はわからなかった。

友人葬」とは創価学会特有葬儀方式のことである。亡くなった親族配偶者が熱心な信徒であり、本人も一応入会していたらしく、そのこともあって葬儀友人葬で執り行われた。そして、実際にそれに参加してみたら、創価学会一定信者と、一定の反発を呼び起こす理由体感することができた。

通常の仏教式の葬儀(といっても増田自身まともに知らないのだけれど)と、友人葬の違いはいくつかある。

一つ目。葬儀創価学会員が全部仕切る。遺族とか親族とかの意見特に聞くことなく、葬儀段取りを全部創価学会メンバーがやる。

二つ目。前の方で読経するひとが複数人いる。勝手イメージだけど、仏教式の葬儀はお坊さんが一人で前の方に座るものだと思っていた。友人葬では「導師」が2-3人前に座って読経する。

三つ目。参列者の創価学会員が全員一緒に読経する。よくある葬儀では、お坊さんが一人で読経するだけであるしかし、友人葬は参列する創価学会員全員で読経する。もっと言えば、おそらく物故者本人とそれほど交友があるわけでもない人たちがやってきて、読経して帰る。

四つ目。関係者から弔文とかが届く。たとえば、「導師」の言葉の中で、池田大作名誉会長原田実会長から言葉が読み上げられる。あとは国会議員市議会議員とかからも。

参列する前から、よくある仏教式の葬儀だと思ってたんですよ。それがこれ。色々な思いが脳裡を通りすぎていった。

まず、「意外と普通だな」ということ。基本的仏教から読経の内容自体はただのお経である。あと簡単。「南妙法蓮華経」って三回唱える・あるいは何度も繰り返し読み上げる。方式の簡略化。難しい教義とかなしに同じ言葉唱えていればいいんだからそりゃ信徒獲得するわなと。

その次に思ったのは「なんだこいつら」ってことです。物故者はもうボケてて、友人が遊びにきたりすることはまずなかった。だから参列者とか絶対知らない人なんですよ。なのにいきなり葬儀集団でやってきて何から何まで仕切り始めるの、はっきりとむかつきますよね。お前ら他人だろ、死ねよ、くらいの気持ちです。

でも、その後に思ったのは、「これはこれでありがたい人もいるんだろうなぁ」ということです。まず、遺族にとっては煩わしい葬儀手続きを全部学会員がやってくれるの、そりゃ楽ですよ。受付に座ったり、葬儀における各種手続きを全部、本当に全部学会員勝手にやってくれる。この簡便さは、一つのメリットなんだろう。学会員がいきなり押し寄せてくるのも、見方を変えれば「淋しい葬儀にはならない」という利点がある。みんなで読経するのも一緒だ。見ず知らずという意味では普通仏教式の葬儀でも別に住職さんとかと普段から仲が良かったり会ってたりするわけでもないのに、それをありがたがるのも不思議な話で、そういった特権的存在一人が読経するより「仲間」(物故者配偶者言葉を借りた)が一緒にお経を唱えてくれる方が嬉しい、と感じる人がいるんだろう。

創価学会蔓延っている理由と、創価学会を嫌う人がいる理由、この二つは表裏一体なんだなと感じ入った葬儀だった。

増田自身後者です。

2019-12-17

anond:20191217185107

自分正義合致すれば人を殺してOKなら青葉も懲役6年つまり無罪でいいだろう

加害者事務次官の時だけ、殺されたのが障碍者の時だけ許せというなら私的殺人特権的に認めろと同義

認めれるわけない

2019-11-17

実現するならば選挙に勝てばよいだけ

そもそもこれを実現するならば、普通に入党あるいは政党結成→立候補当選をすれば良いだけの話だよ。

あくまでこの国は民主主義からね。

ツイート在日ウクライナ人のかたの方が余程その点を理解されておられる。

現状が男社会であるのは良くも悪くも有権者にその様な候補が望まれいるからに過ぎない。

しかしこの手のフェミ思考の人はジャンプの時と言い、権利を主張し、特権的に枠組みを要求する人しかいない様に思うね。

からこそ逆に嫌われるんだよ。

この手の枠を要求する人は特に感情論丸出しの人が多いからね。

政治家なんて特に論理的人間一般的に求められる職業なので、この時点で有権者にはないわと思われるのも必然

しかしいつもながらこう言うのを見ていて思うけど、フェミ及び一部の団体自民と組んでいた時に法律に絡んで、好き勝手感情論で時にはメッセージと称して、自分らの思惑に沿う様な規制をしていた頃が忘れられないのかも知れないね

あの時は本当の意味で酷かったからな、色々と。

特に今でも男女参画周辺等が割とアレなのはこの頃の名残だよ。

恐らくその後状況を見ていて、票にならないかパージされて、野党側に行ったのだろうと推測するけど、フェミさん達はその時の経験があるから、今でも増長して高圧的なんだろうと思う。

ただそのフェミと組んだリベラル野党側は逆にこの点でもイメージ悪化したのも一因として、更に中間層から嫌われて、投票率低下を引き起こして、勝てなくなり、落ちぶれていっているけどね。

実際今回の参院選でも立憲や国民フェミ候補落選しているしな。

特にインターゲットと本来していた女性票に嫌われたのは致命的だよ。

個人的には男女関係なく、能力のある人間がなりゃいいと思うよ。

ただ言っちゃ悪いけど、日本に限らず、政治家になりたがる女性はそれこそ出しゃばりな人物が多かったから、それで世間的なイメージ悪化しているのも事実だと思うよ。

それと女性権利関係男女平等などの政策において、余りにも度の行き過ぎた要求や主張の結果、余計に世間から嫌われたのも事実

その自身の行動の所為で、更にイメージ悪化して、今では女性立候補する事自体が逆風となっている部分はあると思う。

ある意味では自業自得ではあるけど。

2019-11-12

anond:20191112080930

ウケるか?

自分は、不幸男いる自慢・セックス自慢でうーんこのとなり、なんかの約束と性欲ゆえ仕方なくこんなのに付き合う・下手に出てやってる男(普通や女なら、男や人が異性に操を立てないことやクソなことをしたらアウトだし、特に女は男をひどい扱いしたり人間扱いしなくなる)に同情したが

かにイケメンでもなくても頑張ったりすればワンチャンヤれる(女なら美女でなくてもだけじゃなく、努力せずともというクソ女尊男卑さがある)というのは良い点だが、中身がこれだしなぁ(まぁ、性欲がある…つまりノーセックスのまま死ぬよりはヤれるだけでもマシだし恩の字、ってのはわかるが、やっぱ見た目第一で中身も"こういうクソ女"じゃないことは大切だよ)

パパつまり男をパパ扱いし、ATMやらと変わらないクソ女さだし(前に、父親が認める認めないとか結婚父親から彼氏・夫への寄生先の移譲ってのはまんまですね)

幻想事実だろ

それに、その男日本人男のおかげ・男の性欲の強さのおかげで、女は生存特に日本人女は安全特権的自由を得ているんだよなぁ、なかったら今みたいな暴言どころか発言もできないぞ

2019-11-08

秋葉原大通り沿いのエロ看板

もっと!孕ませ!炎のおっぱいエロアプリ学園の大看板

まぁ流石にオタクにも叩かれてるだろうと思ってたら普通にオタが

炎の孕ませ転校生」の巨大看板が今度は問題になっているようですね。例えば学校市役所が「特別公共性保護される空間であるとするならば、ある種のコードによって「特権的に非公共性が許容される空間」があってもよいと思うし、私は秋葉原のあの通りはそのようなものとなっていると思う。

エロゲーの広告が嫌な人がわざわざ秋葉原に足を運んだり、あえてそこで生活することの理由も私にはよくわかりませんが。

て感じで擁護してたり、大田区議員のおぎたが下みたいな擁護してたり、スゲェびっくりする。

あとこれを問題視するコメントのリプでこれがアメリカ献血車ドヤァとバンダイナムコオタクイベント宣伝カーを貼ってるオタク散見されてびっくりする

嘘を嘘と見抜けないオタク常識のないオタクが増えて政治家までそうなってるんやなぁ日本

今度は孕ませか。

真空パックといい、日常で使わない単語性癖をわざわざ探し出して、問題だー!と騒ぐのなんなの?暇なの?そう言う事で興奮を得てしまうの?

そんな、略奪スキーバーバリアンな時代とかゴブリンじゃないんだから、種つけおじさんみたいな人達リアルにいるわけないでしょ。

2019-09-24

素朴な疑問

なんではてなの人は図書館情報学がそんなに好きなの?

それはなにかここで特権的学問なの?

2019-08-31

世界ゲームシステム理解している異世界住人がlv999チーターを倒す方法

ゲームシステム理解されているので養殖された経験値効率のいい魔物を殺し続けることで

兵士がlv99まで訓練されているのはあたりまえとなる

一度に戦闘に参加できるのは8人で、1人の最大行動受付時間は255秒なので

チーターを7人で囲めばシステム的に30分はチーターを行動不能にできる

そのあいだにダイス技師乱数テーブルを進めて必ず5%保証ミスに持っていき

こちらの攻撃は防御力無視計算式でダメージが決定するクリティカルが出るようにする

戦闘に入る前に名乗りを上げてイベント戦闘フラグを立て、逃走は不可能にしておく

 

ちなみにこの異世界の偶然は基本的にすでに万人に知れ渡っている乱数テーブル

よって決定するが、人間自由意志はその例外であり決定論的な世界のなかで

人だけが未来を決められる特権的な力を持っている

2019-08-27

私は、遺族が望まなくても、警察に、マスコミ名前を公開してほしい

遺族が望むのなら、警察マスコミは氏名を非公開にする。

そのような慣習が出来上がるとき、きっと私が不慮の死は誰にも知られずに終わるだろう。

私の死で彼らは祝杯を上げこそすれ、葬儀をあげることはないのではないか

私がその死を知ってほしい人に対して、それを告げることはないのではないか

なんの因果があって、彼らは私の死について特権的立場を得ることができるのか。

世の中には、家族仲が良くて後のことをは全て任せられるという関係性こそが普通なのだろうとは理解する。

でも、私はそうではないのだ。

2019-07-19

「人を殺せる」というギフト

人が大量に死ぬ事件を見るといつも思うことがある。

なぜ、殺人ターゲットがこの社会支配する層ではないのか?



赤木智弘が「31歳、フリーター希望は、戦争。」と、いわゆるグレートリセット論を提示したように、例えば、いま日本においてアベシンゾーを○すことができたとしたら、大きく社会は動揺し、何かしら変化していくことになろう。

しかし、実際にはアベはおろか、権力を持った人間が殺されるという事態はなかなか起きない。

だって誰かを殺したいと思っていても、実際には殺せるはずもない。殺してしまえば逮捕され、多大なコストを被ることになる。文字通り人生が終わる。

日々死にたいと思っているメンヘラでさえも日々自分を殺せずに苦労している。それほどまでに「人を殺せる」というのは特権的能力なのである



しかし、せっかく頑張って人を殺すことができたとしても、いざ死ぬのは一般人弱者たちである

日本の年間の殺人による死者数は300人程度のようだが、そのような貴重な殺人資源が、どうして権力者に向かわないのか。もったいないな、と思う。

政治家代表される権力者は、間接的にではあるが人を殺しまくっている。なぜ彼らは「殺される側」になりえないのか。そんなの不公平じゃないか

例えば、貧困が人を殺す、貧困が人を殺人に向かわせるのだとすれば、その報いを受けるべきは貧困を作り出した側ではないのだろうか。



せめて、「殺されうる」という緊張感や責任感を権力者に対して与えてほしい。

将来現れる「殺人鬼」のみなさんには、そのように願いたいものである

2019-07-15

mirunaさんは自分で長文書いてみてほしい

miruna そもそもステロタイプ漫画だけでないのは認めるが)現実存在する現行連載中の少女漫画の多くがシスヘテの特権的権力構造である以上女性向けというだけで批判されるべき権力じゃないなんて主張自体馬鹿のそれ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/s/font-da.hatenablog.jp/entry/2019/07/13/001906

mirunaさんは言葉遣いが悪いので普段非表示にしているけど、たまたまこんなの見つけた。他人に「馬鹿」とか言っておいて自分は100字で言いっ放しっていうのはフェアじゃないのでは?

まあ、長文書ちゃう自分馬鹿だとばれてしまうからやらないだろうけど。

2019-06-24

anond:20190624122639

ブスブサイク渡辺淳一作品登場人物みたいなマネしてもグロいだけだから死ねよ。っていう突き放しだろ?

ぶっちゃけ同意

性愛にまつわる不道徳美男美女だけに特権的に許されるべき。

だってそうじゃなけりゃグロくて不愉快なんだもん。伝聞で知るだけだとしても。

2019-06-07

anond:20190607133629

そう

自分だけ特権的優遇されたいと内心で思うにとどまらず口に堂々と出すわけだから

2019-04-19

anond:20190419201852

人の上に人を作らず人の下に人を作らずの発想だとどこかが特権的徴税権を持っているのはおかし

2019-04-15

anond:20190413114026

 私は現役東大生だが、

 「現役東大生だが、上野千鶴子祝辞ゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。

 ここには上野氏の祝辞https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。

 以下、引用中略は[……]、上野から引用は「」、上記はてなから引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。



ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

 この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である女子医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。


↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題[……]で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

 東大は(権利問題として)特権的学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しか大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試不正無関係であるとは言えないだろう。


↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

 これは、追記

https://anond.hatelabo.jp/20190414151912

により推察されているとおりだと思う。


↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

 女子学生偏差値のほうが上だというのは、東京大学受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値正規分布性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。


↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

 大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計フィールドワーク社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。

 まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論誘導しているのだろう()


↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。

 そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。


↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ

 ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。

 ここで示されているのは、①女子安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。

 東大の「1.03」という数字不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしものではないだろう。


↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

 確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である


↑どうやって?

 差別に満ち溢れた社会の中頑張って勉強してきて。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。

 統計的傾向は個人説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体否定できるものではない。

 そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。



〜同様のため中略。極めて不毛。〜



↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。

 [どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通意味で)レトリックであろう。文学於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。

 高学歴男性批判なのだから、『彼女頭が悪いから』における見方一定価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから


男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

 そのような事例は、全体の傾向からして少数派である判断たからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子勉強が出来ると魅力が減るという偏見存在証明することになるという反論の二つが想定できる。


↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

 原因ではなく、東大於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。

 “時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率データと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効データであれば問題なし。


↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

 これも文意がうまく取れなかった。

 上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人スタンスによると思うので割愛。私の意見結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。


↑これ普通に気になるな

 気になりますよね。


↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

 闘ってきた、ということは事実記述。恵まれ環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。


↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

 不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。


↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

 傾向は個人説明しない。

 加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである


↑これはまあそういう意見もあるよね。

 そうですね。


↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

 学問の話だけではない。普段生き方価値観の話だろう。

 第一ブラックホール観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。

 この言葉は決して、能力の使途範囲積極的規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。

 そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから


結局東大生弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

 おそらく全ての人は、あるところに於いて強者であるとともに、また別のところでは「弱者である。絶大な権力を持つ政治家社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱身体医者晒しいるかも知れない。東大女性だって社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実於いて強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。


↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?

 [「弱者である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?

 ……付言するなら、「弱者である自己否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから


総評として、全称記号任意記号恣意的混同によってデータ自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。

はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点から評価のつもりでも、科学世界を脅かすありふれた権威主義愚か者集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。

 統計根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問第一条件ではないし(科学方法論に於いて絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊しかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。

 それに、学問営為実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学看護学臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問日常接続しているはずなのだそもそも、このスピーチ学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。

 権威主義を警戒する姿勢は全く健全ものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯姿勢による対応だと思われる。

2019-04-08

増田はいい加減弱者カースト原理を覚えなさい

anond:20190408171350

差別マイノリティが標的の場合しか成り立たない

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/4666961341665668706/comment/senbuu

マジキチすぎる

何がAnti-Hateだよお前がヘイトまみれじゃねえか

差別マイノリティが標的の場合しか成り立たないよ。男女だと女性マイノリティ。だから男性お断り」でも男性差別にはならない。ただし気を付けたいのは体は男性、心は女性という例。このような方は女性から


差別が絡む社会問題に関心を示す増田も多いが、その割にいまだこのような誤解がはびこっている。

そのせいで無用な衝突が生じている。

増田たちはそろそろこのような社会問題を論評する時、「弱者カースト」の原理理解した上で発言してもらいたい。

理解といってもこの原理を実際に適用すること自体には必ずしも賛成する必要はない。

増田自身意見は賛成でも反対でも保留でも構わないから、原理に従うとどのような論理構造になるか知っておく必要がある。

実際ダブルスタンダードだ、極論だと叩かれることも多いsenbuu氏のコメントだが、弱者カースト原理を知っておけば氏の論理展開が驚くほど簡明かつ一貫していることが分かる。

弱者カーストとは要するに、社会的弱者としての弱さの度合いが高ければ高いほど優先的に厚い配慮対象と見なされる序列のことだ。

言うまでもなくインドの元々のカースト制度とは逆向きで、弱者が優先される原理だ。

社会運動の救済対象を選ぶ基準として用いられることが多く、社会的トリアージと呼ぶこともできるだろう。

序列知識大学教員社会運動家らの間で広く共有されており、政治的正しさ(ポリティカルコレクトネス)、文化の盗用、権力勾配、非対称性など増田でおなじみの概念もこの序列に従って運用されている。

弱者カーストの中では性別(ジェンダー)、性的指向(セクシュアリティ)、国籍民族(エスニシティ)、人種、障がい、出身地などの社会的カテゴリーによって細かい序列が設定されている。

より弱いカテゴリーの人々を優先して配慮しなければならない。

マイノリティカースト」ではなく弱者カーストと呼ぶことが適切だ。

弱いことと人数の多さは必ずしも一致せず、中には特権的マイノリティ、あるいは多数派弱者といったカテゴリー存在するからだ。

マイノリティではなく弱者としてとらえることで、多数派形成する女性中国人の弱さを考慮し、特権を持つ移民国家白人の優先度を下げることが可能になる。

カーストの上位の者に対し、下位の者がネガティブ言動を及ぼした時にそれは「差別」と見なされる。

逆に上位の者が下位の者に及ぼした場合には「差別」とは見なされず、「対抗」「抵抗」などの認定を受ける。

まり同じ言動であっても、それが「差別」なのか「対抗」なのかは主体と客体がそれぞれ弱者カーストの中で占める位置によって規定される。

ここで注意しなければならないことは、社会における大半の人々は最上位でも最下位でもなく、中間的なカースト位置づけられることだ。

自分より弱者カーストの下位の人間に対しては大抵の言動が許容されるが、上位の人間からは何をされても耐えなければいけない。

同じ人間でもある側面では弱者と見なされるが、別の側面では強者と見なされることもあるだろう。

弱者カーストの中では、数多ある社会的カテゴリーそれぞれに弱さ・強さが定められている。

一人一人の人間の弱さは、彼女または彼が持つすべてのカテゴリーの弱さのレベルを合計して決まる。

弱者カーストと似た概念に「かわいそうランキング」があるが、ランキング順位はこの弱さの合計値によって決定されているといえる。

まりかわいそうランキングはそれ自体原理というよりも、弱さについての計算結果なのだ

弱者カースト機能している例を示そう。

事例1:埼玉全盲女子高生暴行事件

全盲少女が背後から蹴られた事件の悲しい結末

https://matome.naver.jp/odai/2141052638959681901

かつて、埼玉全盲女子高生が駅付近で何者かから暴行を加えられるという事件が起きた。

極めてセンセーショナル報道されたため、記憶に残っている増田も多いだろう。

当然、未成年女性、そして全盲という最重度の身体障がいを持っている人を攻撃したとあって、連日連夜評論家や各社社説が逃亡中の犯人非難する声明を発表した。

女子高生本人も記者会見を開き、犯人への批判を行った。

しかし数日後、警察捜査が進むにつれ浮上した犯人とは誰もが予想だにしなかった人物だった。

犯人は重度の知的障がいを持つ中年男性だった。

このことが判明したその日の夜には、いっせいにマスメディアの扱いは縮小し、評論家もこの事件についていっさい口を閉ざした。

やがて事件自体存在しなかったかのように、日々は続いていった。

この事件犯人像が明らかになった瞬間、報道風向きいっきに変わった理由は、弱者カースト原理説明できる。

未成年女性そもそも弱者カーストの上位に位置づけられる弱者だが、最重度の身体障がい者というカテゴリーは上位2位から5位程度に位置づけられる弱さを持つ。

仮に健常者の中年男性彼女危害を加えたとすれば、この男性社会的に死を迎えることになるだろう。

しか弱者カーストの中でも、最重度の身体障がいよりさらに弱いとされるカテゴリーが少数存在する。

その代表例が中度・重度以上の知的障がいだ。

この事件犯人は確かに中年男性だが、ただの中年男性ではなく受け答えも難しいほどの知的障がいを抱えていた。

彼が女子高生に加えた危害が不問となってしまうことも、増田なら理解できるだろう。

事例2:TERF-MtF論争

年末からインターネットを騒がせている例として、TERF-MtF論争がある。

TERF(Trans-Exclusionary Radical Feminist)と呼ばれるフェミニストの一部の女性たちが、MtF身体的に男性から性転換を経て女性になった人たち(いわゆるトランス女性)を女子トイレ銭湯などの女性限定の空間から排除せよと訴え始めた。

その理由とは、性転換しても肉体や染色体男性であるMtF潜在的シス女性(身体的にも精神的にも女性である人々)の脅威となり、性被害に対するシス女性不安払拭されないということだ。

中には過剰にMtF事件を取り上げて非難するような動きも起き始めた。

TERFに対してはMtF活動家抵抗し始めただけでなく、やがてジェンダー問題に詳しい大学教員社会運動家も批判声明公式に出す事態となった。

過去にはシス男性(身体的にも精神的にも男性である人々)から受ける差別に対して共闘することも多かったフェミニストMtFだが、twitter上での激しいやりとりが続いている。

TERFの中には反セクシズムの急先鋒として名をはせた人もいた。

かつて女性差別話題になった時には、大学教員から理論支援を受け、差別的な思想を持つ男性たちと戦いを繰り広げた人だ。

しかしTERF-MtF論争が燃え広がるにつれ、大学教員たちはTERFを見限った。

このことで、TERFの中には落胆の声を上げる者もいる。

大学教員たちがなぜ女性差別との戦いの局面では支援したTERFを切ったのか、弱者カースト原理によって理解できる。

かに二元的ジェンダーで見れば圧倒的に男性よりも女性の弱さが優先される。

しかトランスジェンダー(シスジェンダー)という別のカテゴリーに着目すると、弱者カーストの中でもトランスジェンダーシス女性を含むシスジェンダーよりもより弱い位置づけになっている。

弱者カースト原理では、TERFよりもトランスジェンダーであるMtFカースト上位として優先的に配慮対象となる。

大学教員社会運動家も弱者カーストに基づいて、TERFが訴え続ける不安感よりもMtF安心感を優先することにしたのだ。

実際、senbuu氏もこの問題では弱者カースト原理に忠実に従い、ラディカル・フェミニストの主張とは明らかに毛色の異なる以下のコメントを残している。

痛いニュース(ノ∀`) : トランスジェンダーとして女性認定された男が10少女強姦 スコットランド - ライブドアブログ

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1987624.html

性自認とともに性的指向女性だったと考えれば矛盾はない(性別違和かつ同性愛者ということ)。だからこの件で性的少数者バッシングしようったって、そうはいかない。ということで、あえて痛いニュースブコメ

もし社会運動専門家たちに瑕疵があったとすれば、それはTERFたちに勘違いをさせてしまたことだろう。

シス男性による差別と戦う局面で、TERFが訴える性暴力への不安感や男性に厳しい言説を専門家たちは全面的支援し寄り添った。

しかあくま専門家たちは弱者カースト下位であるシス男性への対抗だからこそTERFの言説を全面的に許容したにすぎず、同じ言説をカースト上位に対しては投げかけることは到底許されるものではない。

専門家たちが寄り添う中で弱者カースト原理存在をきちんと説明しなかったせいで、TERFの中には自分不安感にねざす主張がいついかなる時にも認められると勘違いしてしまい、刃をMtFに向ける者も出てきた。

結果として論争は混迷を極め、いまだ解決とは程遠い状態が続いている。

このような厳格な弱者カースト原理を、シス男性シス女性トランスジェンダー、そして社会問題に関心を持つすべての増田理解しておくべきだ。

2019-04-05

anond:20190405204014

日本人男性は誰も銃を持ってない場所自分だけ特権的に銃を持ちたい人ばかりで

自衛隊に入りたい人はいなくて募集が行き詰っているそうな

2019-04-01

anond:20190330214747

というより、株主優待券なんかで驚いてどうするんだよ、という話かと。

そんなもん全然珍しくも凄くもない普通のもの金持ちとか富裕層とかの特権的ものではない。

そんなんでビビった元増田世間知らずだっただけ。(まあ学生だし仕方ないけど)

2019-03-05

anond:20190305013244

厳しい言い方という解釈で突き放す冷たい言葉を使うのは特権的自分けができることではない

2019-02-15

そもそも異性婚をなぜ保護すべきなのか

anond:20190215025724

いったいどういう学問分野に当たるのか自体詳しくないけど、

同性婚を認める認めない以前に、そもそもなぜ「結婚」はなんか登録とかして守られねばならぬ、となっているんだろう。

同性婚と異性婚で扱いが不平等なのは不当だと思うけど、同性婚にも制度的な保護を与えるという方向だけでなくて、

もはや異性婚でも「結婚」への保護を与えない的になってもおかしくない気はするけど。

人工再生産云々だって結婚という手続きがないと子作りが許容されない社会風潮を生み出して妨げてると邪推できんこともないだろうし

同性婚だろうがなんだろうが「結婚できる人」にたいしての特権的になってしまうと、

結婚できない人が多い社会や、結婚へのサポートの薄い文化社会になった現代では許容され難いのではなどと

2019-01-18

近藤麻理恵と本に関する議論に潜む無視できない階級意識人種差別

原文:https://www.bustle.com/p/the-marie-kondo-books-debate-has-classist-racist-undertones-that-cant-be-ignored-15796044

近藤麻理恵は一冊目の本である人生がときめく片づけの魔法」が2014年アメリカ出版されたときから社会現象であり続けている。「日本の片付けと整理の術」を詳しく記したその本は、コンマリ・メソッドまたは「Kondoする」と呼ばれる、持ち物に触ってときめきを感じる(it sparks joy)かで判断する片付け法を誕生させた。しかし、やはり近藤の人気が急上昇したのはNetflixで「近藤麻理恵とお片付け」(邦題:KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~)が放送されてからだ。ところが、この人気の急上昇により本にまつわる予期せぬ騒動が発生した。著述家であり「We Need Diverse Books」(多様な人種の子供に向けて本を与える活動をする非営利団体)の創設者の一人でもあるエレン・オーを含むSNS上の大勢の人々によれば、近藤への反発には明確な人種差別と階級意識の要素が含まれているという。Bustle(訳注:原文の掲載サイト)はオーにコメントを求めた。

韓国系でありながら子供時代日本で過ごし第一言語日本であるオーは次のように語る。「近藤麻理恵への反発が発生してからというもの、ずっと意図的に誤解している人々に嫌な思いをさせられています最初文化の違いのせいかと思いました。特に翻訳によって生じる問題についての意識のなさです。アジア言語英語とはかなり違います。どうやってもうまく翻訳できない言葉もあります」。ところが、オーが「人々が意図的近藤を誤解している」と確信するに至るまで長い時間はかからなかった。

すべての始まりはこうだ。Netflix番組の第5話で、近藤若いカップルが本を片付けるのを手伝う。番組の中で、そして著書の中で、近藤コンマリ・メソッドで蔵書を片付けるやり方について広く語っている。Deseret News記事に書かれた近藤が語ったことの要点はこうだ。読んでいない本や、いつかもう一度読むかもしれないという思いにとらわれている本がたくさんあるのなら、それは捨てるべきだ。また近藤は、もしほんの一部だけにときめきを感じるのであれば、一部のページだけをちぎって残すことも薦めている。

Twitter上での否定的な反応はすぐに発生した。

小説家アナカナ・スコフィールドはすぐさま近藤の本を捨てるやり方にSNSで憤慨したうちの一人だ。スコフィールドは「近藤麻理恵だかコンマリだかの本に関する意見に耳を貸すな」とTwitterに書いた。他の利用者たちもすぐに続いた。そのうちの一人であるジェニファー・ライトは「この女はモンスターだ」と既に削除されたツイートで記した。このツイートは「理想的には蔵書は30冊未満にしましょう」という吹き出しが書き足された近藤写真に対する返信として書かれたものだ。ワシントンポスト掲載された書評家のロン・チャールズの「近藤麻理恵よ、おまえのトキメキお片付けは私の本の山には無用だ」をはじめ意見記事もいくつか出た。

しかしこの「理想」の蔵書数は30冊というのは、いったい何なのだろうか?この数字は、近藤コンマリ・メソッド自分の家を片付けたときに使ったものだ。「人生がときめく片づけの魔法」で、近藤自分の蔵書は30冊にするようにしていると書いている。しかし、近藤は誰もがこの30という数字を使うべきだと言っているわけではない。重要なのは近藤は一度も本をすべて捨てるべきだなどと言ったわけではないということだ。Refinery29のインタビューケイト・ムンロは近藤に、ガラクタの山や、本で破裂しそうな本棚ときめきを感じる人はどうすればいいのかを尋ねている。近藤は次のように答えた。

家がちらかった状態でもそれで本当に快適なら、それは良いことです。なにもおかしくありません。その上で、それぞれの物に決まった場所を割りあてたり、それぞれの物がどれくらいの量あって、必要な量はどれくらいなのかを把握したりすることをおすすめします。こういう意識を持つことは大事だと思います


オーは、アナカナ・スコフィールド近藤についてのツイートの後で書いたガーディアン誌の記事を、自分意見に合わせるために近藤言葉意図的に誤解している例の一つとしてあげている。「ときめき(spark joy)という表現が過剰に強調されていて、その言葉近藤が本当に伝えようとしていることが置き去りにされています」。「ときめき」は実際には喜び(joy)と同じ意味ではなく、鼓動や興奮や動悸を意味する。この基本的なことさえ理解すれば、本は喜びだけでなく挑戦や動揺を読者に与えるべきだというスコフィールドの主張が無意味だということがわかるだろう。「ときめき」という言葉意味するのは、本が読者に挑戦や動揺を与えてそれが良い反応をもたらすのならとっておくべきだということなのだ。

オーはさらライトが削除されたツイート近藤を「モンスター」と呼んだことについて言及する。「意図的な誤解は、近藤の助言はそもそも片付けをしたいと思っている人に向けられたものだという事実から目をそらすことから始まっています。片付けをしたくないなら、助言に耳を貸さなければ良いだけです」

近藤への反発は、近藤の流暢でない英語や、独特の言葉かいからかうことまであらゆることに及んでいます」とオーは語る。「ときめきという概念を笑いの種にするたくさんの画像を見て、私の両親が話す片言の英語意図的に誤解しておちょくってきた人たちのことを思い出さずにはいられませんでした」

今回の本を片付けることについての議論には、ある種の特権も絡んでいるとオーは語る。

階級意識エリート意識、たくさんの収納がある大きい家に住めるという特権。私には近藤への反発が何を根拠にしているのかはわからないけど、反発している人たちが特権的な立場にいるということはわかります」とオーは言う。「たくさんの本を持っていなければ賢い人間だとは言えないというエリート意識経済的階級意識です。かつて貧しかたころ、私が持っていた本は10冊もありませんでした。だから図書館は私にとって安らぎの場所だったんです」

以上の点について声を上げているのはもちろんオーだけではない。Twitter利用者ジョナー・ヴェンは一連のツイートで、コンマリ・メソッド本来目的に対する一般的無知についてこう書いている。「コンマリへの批判ネタ画像は、アジア、とりわけ日本文化や影響への無知により、目立たないが本質的人種差別的なものだ」

近藤への反発の人種差別的な側面についてSNS上で反応している人々は他にもいる。作家カットチョーツイートで「有色人種モンスターと呼ぶのはやめてください。既に社会の隅に追いやられている人たちを、人でなし扱いするような言葉を使わないで」と書いた。そして著述家ピューターセレステは「アジア人の女性を不当な理由からかうことに何の意味があるんだ?近藤麻理恵じゃなくてマーサ・スチュワート相手だったとしてもこれ以上続けるのか?違うだろう」とツイートした。

かに、本を捨てるという行為一部の人々にとってかなり感情を動かされるものだし、本の一部をちぎると図書館学校非営利組織などに寄付して役立ててもらうこともできなくなる。しかし、とどのつまり近藤の助言に対する反発は、近藤とは関係がない。むしろそれは、一部の読書家が、自分読書家としての自意識を維持するために必要だと考えている、本を所有するという行為近藤侮辱したという誤解に基づく怒りなのだ

近藤を支持している読書家もたくさんいる。Twitter利用者アレクサンドラダンカンツイートで「驚くかもしれないけど、図書館員として家の本棚コンマリ・メソッドで整理することを100%支持します」と書いている。

しかしたら年明けは、物理的な片付けについてだけでなく精神的な整理についても完璧な時期なのかもしれない。読者の皆さんも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれ本棚のものと、本に書かれた内容とどちらにときめきを感じるのか、自分に問いかけてみてはいかがだろうか。

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