はてなキーワード: 新大阪とは
東京に本社がある会社の大阪支社に勤めてるんだけど、東京での朝9時スタートの会議に出席するための出張がしんどい。
新大阪から新幹線に乗るんだが、間に合うためには最寄駅を5時半頃出る電車に乗る必要があり、大体4時45分には起床する必要がある。
これが1〜2週に一度あるもんだから、体内時計は狂うわ疲れは取れないわで本当に辛い。
しかも、朝4時45分に起きたとしても9時に本社に着くまでの時間は単なる移動時間扱いで給与が発生しない。これが納得いかない。
(もちろん出張手当はあるんだが、1000円とかそこらなので弁当代に消えてプラマイゼロである。)
業務のために通常より遥かに早い時間に起きなくてはいけないんだから、給与面で何かしらの配慮があってもいいと思うんだけど。これじゃ出張しない人の方が得じゃん。
中途半端に9時の会議に間に合ってしまうダイヤを実現した新幹線のぞみって、出張サラリーマンの敵だと思う。
早くリニア出来て欲しい。
意外に街が綺麗、という部分からして同意できない。「大阪の戸建ての家はなんで煤けてて小汚いんだろう」と
住んでいる間中思い続けていた。
新幹線の車窓を見ていると、東京〜名古屋あたりまでは家も小綺麗なのに、
埼玉生まれ、埼玉育ち。大学と就職は東京。で、転勤で大阪に住んだ。
住んでみて、よかったところ、悪かったところ、イメージが変わったところ、ああ、大阪だと思ったところなど多々あったんで、つらつら書いておく。
なんだか、ごちゃごちゃしたところや派手派手なところばかりだと思っていた。
関東のテレビで映る道頓堀とか、「ヒョウ柄をきたおばちゃんが自転車で爆走する商店街」のイメージが刷り込まれていたせいかもしれない。
だが、淀屋橋から御堂筋あたりをぶらつくと、ずいぶんきれいな街だとおもった。御堂筋ほどきれいなオフィス街は日本にはそうそうないんじゃないだろうか?
中之島公園のあたりもいいし、靭公園あたりなんか、暮らしたら結構おしゃれそうだ。
あと、やっぱり大阪城はいい。高層ビル街の前に立派な天守閣が見えるのは、すごい日本的で、自分が外国人観光客だったら大喜びだ。
たぶん、金さえあれば、おいしいもの珍しいもの、いくらでも食べられるのが東京なのだろうが、安サラリーマンにはあまり関係ない。
東京だと場所と雰囲気にお金を払っているような店がたまにあるが、そういうのはあんまりなさそうだった。
この辺は、いわゆる〝大阪的”ということだろうか?
で、ちゃんと通りごとに住居表示が変わっているのにちょっと感動した。
「淀橋」を「西新宿」にしてしまった東京なんかよりずっといい。
谷崎潤一郎が好きなオイラは、鵙屋春琴の実家の薬種商がある「道修町」が、いまでも道修町で、製薬会社があったりすることに、ちょっとあがった。
梅田から心斎橋まで自転車で移動しても苦にならん。丸の内から渋谷へ自転車で移動する奴は、あまりいないだろうが。
昼間、スーツで自転車移動しているリーマンも東京都は比べ物にならないくらい多い。
なんとなく、京都とか神戸って、もっと遠いのかと思っていた。なんだろう、東京から宇都宮とか高崎へ行くイメージ?
埼玉の南部なんて東京ありきでなりたっているが、大阪、神戸、京都はあの近さでそれぞれ独立して成立している感じがすごい。
ま、実際は相互に通勤しているような人もそれなりにいるんだろうが。
来た当初は、京都が近いことに感動して、二週に一遍くらい、週末は京都に遊びに行ってた。
関東人は、「そうだ、京都、行こう!」って決心して旅行に出かけるところなのに、ちょっくら電車で行けるってのはよい。
なぜ、阪急の梅田駅はあんなに立派なのだ。南海の難波もそうだが、デパートの建物に味があることもあって、ああ、やっぱ関西私鉄って存在感あるんだなあと感じた。
それでも、国鉄時代を知っている年配の人に聞くと、ずいぶんJRになって変わったらしいが。
事前のイメージと寸分たがわず、むしろそれを強化しているのはテレビだ。
関西ローカル番組は、関東人の思い描く大阪を増幅させている感じがある。阪神そんなに好きか?
思うのだが、メディアは大阪を自ら作り出したイメージの枠にはめすぎなんだとおもう。
コテコテで下品で金勘定ばっかりしているのが大阪ってわけでもないし、文化だって東京(江戸)より歴史がある。
もともとは、近松門左衛門をうんだ町なわけだし、「細雪」に出てくる大阪なんて随分お上品だし、コナもんだの吉本芸人だののイメージは、戦後のある時期からメディアが刷り込んできたもんじゃないのかなあ?
なお、個人的には、そういう単純な「コテコテ」でない、「お上品」と「抜け目なさ」が入り混じった「大阪」を体現しているのは、料理研究家の土井善晴センセみたいな感じじゃないかと、最近思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20150709224843 の釣り認定について、野暮は承知で、思ったことをいくつか記しておく。
書いているうちに、もっと別のこと書きたくなって、こんなんもエントリしてしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20150710214628
つくづく野暮である。
なにもないわけないやろ
そんなんやから、お手軽な「みやげ」みたいな領域では本気出さずに手抜きしてネタに走んねん
新大阪では買えない「穂の一」食べてみてください
ほんとうに最高です
東京の本社や顧客へ出張する時に良く買うお土産をリストアップしてみた。
翌日までに食べきる&個装でなくてもOKなら、千鳥屋のみたらし小餅
http://www.chidoriya.jp/osaka/
得意先への手土産など、個装で安くて、真面目なものなら、花御堂
http://fukujyudou.shop26.makeshop.jp/shopdetail/002000000005/
東京にもあるというが、雷おこしも食べたことある奴少ないだろ。
http://www.daikoku.ne.jp/product/pro_01.asp
ちょっと品を変えて持っていくならば、けし餅
「今日、あなたの為に朝一でお土産を買って持ってきましたよ」感を出したいなら、出入り橋のきんつば
ただし、これは当日限りなので、渡す先の状況がわからない場合は微妙かもしれん。
甘さ控えめなんで、一人で2つ3つくらいはパクパクと食べれるから人数は気にしなくてもいい。知らんけど
世界屈指の都市間移動人数を誇るであろう東京-新大阪間なのに、なんでまともな土産の一つもないんだろう。
・おふざけ系
この系統が多すぎて困る。別に無理してたこ焼きの見た目してなくていいのですが。
・スナック菓子系
これも多いが、大人の土産物としては少々つらい。
冷凍で持って買えるのは重いし面倒。温かいのを車内に持ち込むのは半分テロ。
・おこし系
東京にも雷おこしがあるので...
・佃煮系
・東京真似してみました系
大阪プチバナナとかプライドないのかっていう。しかも本家東京のほうが旨いし。
で、結果的に赤福やら八つ橋に落ち着くことが多いんだけど、これって大阪土産じゃないよね?
他の人はいつも何を買ってるんだろうか。
東京ばななとか東京ごまたまごとかひよこみたいな、とりあえずこれ買っとけばなんとかなる的な大阪土産が
ひとつくらいあってもいいと思うんだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20150515014847
どちらに転んでも、多分、僕ら大阪市民は
1年後に実感する何かを得ることはないのだろうと思います。
ずっと悩んでいましたが
それでも僕は都構想に賛成することにしました。
大阪市は大きくなり過ぎた。
都構想は大阪市の力をぶん取り
大阪府にその力を吸い上げる。
大阪市民としては納得いかない。
僕らの税金どこいくのって話。
でも、子育てのため北摂(大阪市以外)へ引っ越したい僕としては
大阪府が強くなることの方が魅力を感じる。
広域を発展させることに繋がるんじゃないのかな。
大阪市をなくすっていうのは
「わからんけど(わからんから)否決」が過半数を超えると思います。
「都構想?おもろそうやないかい!」ってノリのいい人は
大阪ではそんなに多くないんじゃないかな。
なので、都構想反対派の方に
住民投票(否決)後のお願い。
阪急電車なんですが、おしい。
すべて新大阪に近いのに、
新大阪には繋がっていないのが、おしい。
阪急乗り入れは、
大昔にあった計画なのですが
なんとか復活して形にしてもらいたいなぁと。
PGは、まず見積もりを依頼されます。この時ほとんどの場合、要求仕様書が無いか、あっても伝聞で情報が欠落もしくはエラーを起こしています。残念ながらエラー訂正機構は装備されていません。CRC、せめてパリティでも入っていればちょっとは違うかもしれません。期待出来ませんが。
ここでプロジェクトマネージャー(又は管理者・経営者等。以後PMと称する)から「最速でやった場合」「割り込みが入らない場合」「君がやった場合」or「部署内で最高ランクのPGがやった場合」「仕様変更が無い場合」という条件が付きます。
底辺PG諸君。ここでこの言葉を額面通りに受け取ってはいけません。
「【最速で】3ヶ月かかります」
と答えたらPMは【普通に】3ヶ月の工程を工程表に書き、見積書に3人月分の金額を書きます。そしてこれは後述する危険と隣り合わせとなります。
この危険を経験したPGは大抵リスクを込みで【黙って】見積もりを伝えます。
しかしPMはお見通しです。「高い」「そんなに時間がかかるわけが無い」と言い、受け付けません。何故なら実はPMの頭の中では既に「3ヶ月」なのです。PMは追い込むために見積もりの詳細を聞いてきます。
ここで素直に「リスク込み」と答えてはいけません。既にPMは前述の前提条件を述べているからです。無下に却下されます。
戦いたいPGかつPMが同じ会社であれば「後学のためにPMの詳細見積もりをお聞かせ下さい」と聞いてみるのも良いでしょう。ただし確実に印象悪化は避けられません。PMが発注元の場合は禁句です。まずキレます。そのまま発注されない事もあるでしょう。発注されなかった事を喜びましょう。
なぜキレるか。それは簡単です。「明確で論理的な理由が無いから」です。理由が無い上に実は既に予算が決まっており、それを超える事は許されません。予算を超えた見積もりはPMがさらに上層部・経営陣から怒られる事を意味するからです。理由が無いから理由をPGに考えさせているのです。PMが仕事をした気にさせるのも底辺PGの役目です。
予算を超えた見積もりはあり得ませんので、答えは「がんばります」しか残りません。しかしPMはそれすらもPGの口から言わせたいのです。でもよく考えて下さい。あなたの脳はオーバークロック出来ますか?
底辺PGが出来る事は、PMやユーザーが分からないように期間と予算を加算するくらいです。
一応、市場原理が働くため、安い方がいいに決まっています。金払いのいいユーザーや元請けってのはあんまり無いです。そして金払いの悪い所ほど後々してやられますので、最初の予算の付け方でどういう所かが大体予測出来ます。
そんなわけで、予算と期間に品質と内容は関わりがありません。もちろん企業の使命として、安くて良い品を、安くても利益を、は追求してしかるべきなのですが、日本の場合質と金額が比例するのは極一部。IT業では基本的に、安くて良い品を出来るだけ高速に、がモットーです。受注しなければ会社がやっていけないのは分かりますが、「安さ」だけしか売り物に出来ない会社は、IT会社として失格でしょう。
かくして、短納期低予算のプロジェクトが組まれるわけです。そのPMの理論からすると、高速バスで東京から新大阪へ行く方が、新幹線のぞみの指定席グリーン車で行くより高く、書留速達の郵便より普通郵便の方が値段が高い、という事になりますが。質、時間、価格の何がIT業と違うんでしょうか。
実のところ発注や作業開始は遅れている事が多く、納期に間に合わせるには発注前に作業を開始せざるを得ない場合が8割ほどです。実はここにも罠が仕掛けられています。
作業に取りかかろうとようやく出てきた仕様書を見ると、見積もり時の時と変わっていたり、追加されていたり、未だに仕様が無い場合がほとんどです。
「こんなものをこんな期間で出来やしない!」と憤慨してはいけません。なぜなら
という答えが返ってくるだけです。PMが見積もらない理由がここです。PMに見積もりを聞いてはいけない理由がここです。これは後々まで効いてきますので注意が必要です。「前提条件と違う」と反論するのは無駄です。PMはそれは忘れています。そもそも考えて発言していないので口が勝手に脊髄反射で言った事であり脳は関知していないのかもしれません。PMにとって最重要な事は「PG自身が言った事」です。そう、工程表にも議事録にも「3ヶ月」という数字のみが記載され、いわゆる「リスク」は何処にも書かれて残っていません。
PMやユーザーは絶対にリスクや前提条件を書き残しません。それがこの業界の伝統ある慣習だからです。
ここで言った言わないの不毛な戦いをしてもいいのですが、確実に査定は最低です。もしプロジェクトから外されたらそれは喜びましょう。
管理者や経営陣等からは「やる前に出来ない言うな。やってから言え」と怒られます。残念ながらこれも真に受けてはいけません。
設計、構築など作業をしている間もどんどん仕様変更・追加は流れ込みます。
PMは工程進捗を把握しているのでは無く、PGが【自ら】工程表や報告書に纏めます。遅延していれば遅延の理由も書き、挽回策があればそれも書きます。しかしPG個人が取れる挽回策などたかがしれています。と言うよりそれが分かっていれば遅延などしません。他の策は既に実行済みなので、挽回策には「残業・休日出勤」くらいしか書く事が残りません。しかしこれは現実にこれしか書く必要がありません。なぜならPMはこれ以外の挽回策は理解不能だからです。
仮に報告をしても「早すぎる。もっとやってみてから」「がんばれ」という答えが返ってくる事でしょう。
遅れを放置するPMもいますが、許容範囲はPMにもよりますがある程度遅れが見えてくるとPMから追求がやってくるようになります。
「なぜこんなになるまで報告しなかった」
そう、報告出来る時期というのは非常に限られています。多分プロジェクト工程(今の例なら3ヶ月)の中の30分くらいです。それより早いと相手にされず、それよりも遅いと怒られます。報告時期を見誤らないのもPG業の技です。
実装が難しかったり、無理難題は多々あり、その上工程が遅延しているので、相談をしに行きます。しかし、それは無駄です。
「自分で考えろ」
「やってから言ってるんじゃねぇ。やる前に言え」
他似たような答えしか返ってきません。非常に非生産的です。理不尽です。時間の無駄と考え報告・相談に行かないPGも多いとか。非生産的ですが、一応相談はしておきましょう。ただし時間は取られないように。
同僚やチーム員に相談してもいいのですが、昨今のプロジェクトは人員がスタンドアロンで動いています。したがって、隣の人やチーム員がが何をやっているのか知らない事が非常に多く、相談出来ない事も多いのです。PGにメンタル病が多いのは実は理由がここにあると自分は思っています。孤立感が半端無いのです。まぁ、元を追えば、そいういうチームを組む事、教育訓練しない事など、実は管理者・経営者が「カイゼン」や「効率向上」を題目に目の前の超短期的コスト削減だけを考えている結果なので、PGとしては何も出来る事はありません。管理者・経営者は中長期について考える必要が無いからです。なぜなら「その頃には自分は満額の退職金を貰って定年退職済み」だから。
実のところ単独の仕事をしていればいい、と言う事はあり得ません。同じプロジェクトの中からも割り込みや、他のプロジェクト・部からも割り込みは多々入ります。
始めに言ったじゃん。どうにかして。というのは無駄です。覚えてないし、「会社員なら当たり前だ」という答えが返ってくるだけです。「15分だけ」「ちょっとだけ」が頻発しますが、塵も積もればなんとやら、です。ちなみにこの件は査定・人事評価には全く影響がありません。
相談すれば「午前中はこの仕事、午後はこの仕事、定時後はこの仕事をすれば並列同時が可能だ」とあたかも新発見超名案を出したかのように返されるのが落ちです。そう、1日が24時間しかない事は忘れ去られ、PGが人間である事は忘れ去られ、思考の分断は効率を激しく低下させる事を知らないのです。
ここで断る勇気を持つのが大事ですが、職場内の雰囲気は格段に悪化します。評価は「人でなし」「自分勝手」「自分本位」「冷たい」。これらの視線に耐えられるのなら断りましょう。こちらからすれば「自分の時間を奪う方がよっぽど人でなしだ」と言い返したい気分です。
テスト工程も始まり、遅延が激しくなる上に、バグが発見されさらに遅延という状況が始まります。
ソフトウェアである以上、バグが無いプログラムなんてのはあり得ないのでバグを出す事自体は不可避です。
ところがPMは激しく怒り出します。バグの発見はPMに一報が行きPMが怒られるからです。
底辺PGはバグを出す毎にこっぴどく怒られます。中には仕様変更の事実がPGまで伝わっていないのにバグ扱いされる事も多々あります。
バグを出すと修正、テスト、再発防止策の考案などの厄介事が増えます。
再発防止策は通常「どうやったら自動的にそうならないか」を考えますが、あまりに根幹すぎるので、底辺PGの身分では権限が無く、出来る事が限られます。そしてPMが理解出来る策を考えねばなりません。結果「テストを増やす」「チェックシートを作る」とかになりがちです。しまいには「チェックシートのチェックシートを作る」などという意味不明の現象に陥ったプロジェクトを何度も見ています。
厳しく、それは厳しく怒られる上に、チームの前でさらし者にされる事、人格を否定される事も多々あるので、PGはバグを出さないように、見つけても出来るだけ極秘裏に解決しようとします。
「恐怖駆動型開発」
というもので、日本の場合ほとんどがこの開発手法をとられていると聞きます。この開発手法は書籍になっておらず、書籍としてよく売られているのはアジャイルな開発手法の本が多いです。知識として持っているのはいいと思いますが、役に立たないと思いますねぇ、恐怖駆動型開発の前には。まわりの人間も恐怖に巻き込まれないようにするため、どんどんスタンドアロン化が加速します。
その上、バグを隠すようになり、バグが出るようなテストを避けるようになるため、短期的に収束しているようにみえます。だから効果絶大と見るようです。リリースしてからが楽しみですね。
PMが空想から覚め、もう救いようが無くなった事が事実と認識出来るようになった時、ようやく、2度目の相談・報告時期が訪れます。ただし、PMの第1声は「どうしたらいい?」です。そんな事が分かっているのなら実行済みなので、黙っているしかありません。
するとPMは「何人入れれば良い?」と聞いてきます。意味が分かりません。IT業を労働集約型産業と勘違いしているのが未だに存在している事に驚きです。頭脳集約型の形態に人を入れて解決しようとはどういう脳をしているのか。一度解剖してみたいものです。多分、高校を受験する中学3年生の受験者が100人集まれば旧帝大の入試に合格すると考えているのでしょう。もしくは1Km走というのは1000人が一斉に1m踏み出せば1Km走った事と同じ記録である、と考えているのでしょう。
脳を電通で直結出来れば若干違うかもしれませんが、IT業の1+1は2では無く、良くて1.5。ましてやこれで増えていくのは3~4人までが限界でそれ以上は人を入れても上がらないどころか、マイナスになる事が常。
PGなら他のプロジェクト、他の部、他の会社に信頼出来るエース級のPGを何人か知っているかと思います。なのでついPMに「エース級を3人」等と提案しがちです。しかしこれは叶わぬ望みです。その提案に対する答えは「そんな事出来るわけないだろ」です。そりゃそうです。予算が無いのだから。
自分の仕事があるのに、何故かこの後から来た人員を纏めるようPMから指示が出ます。PMが指示出来ないからです。破綻は間近です。いや、既に破綻しています。
プログラムが出来上がっていく以上、バグをつぶす速度以上の割合でバグを注入していく事になります。
「混乱しているプロジェクトに人を入れれば、なお混乱するだけ」
という有名な文を実感する事でしょう。なお、実感するのはPGだけであり、PMは実感出来ません。
この辺で思わぬ事態が発覚します。実は発注が遅れていた事です。
発注日以前にドキュメントがあっては監査にひっかかるため、今まで作ったドキュメントを作り直しをしなければならないという、まさに想定外の事態です。ほとんどのドキュメントには作った日付や判子が押されているはずです。それを全部作り直しするのです。納期は間際です。これも納期までに間に合わさねばなりません。
PM(重ねて書くが、プロジェクトマネージャだけでなく管理者や経営者も含む)が発狂し始めます。宛先は底辺PGです。
中には「お前を精神的に追い詰めるしか手がねーんだよ」とストレートに言ってくれるPMもいたりしますが、あまり出会った事は無いですね。
あの手この手で精神的圧迫を始めます。圧迫すれば脳がオーバークロックして作業が進むと考えているからです。残念な事に、脳の別の部位がオーバークロックしてショートしてしまいます。
こういうプロジェクトを経験し、運がいいのか実力なのか、生き残った人達がSEとなり、いずれPMとなっていきます。
不思議な事に日本では、PGが成長してSEに、SEが成長してPMに、とクラスチェンジするものだと考えられている会社が多のですが。
自分としては、座標軸のX,Y,Z軸の様にPG軸とSE軸とPM軸と全く異なるベクトルだと考えています。X軸の先にY軸Z軸があるわけでは無い、と。もちろん、軸に沿っているだけでは無く、他の軸のベクトルも併せ持つのもよいエンジニアでしょうし、ベクトルの方向を伸ばし続けるのもよいエンジニアでしょう。
ところが、クラスチェンジするものだと管理者・経営者は思っているから、給与体系もPG<SE<PMとなっていたりします。この時代錯誤的階級社会はどうにかならないものでしょうか。
自分はPMを否定しているわけではありません。いいPMの元でいい仕事をしたい、と思っているだけです。今までに何度かそういう良い経験をした事はあります。それは成功経験としてモチベーションを保つために必要な事なのです。
PG至上主義でもありません。分業形態として、SEやPMは必要不可欠だと思っています。ただ、PGを粗末に扱っておきながら高品質の製品を要求する風習・慣習が納得出来ないだけなのです。
★“リニアの「速さ」は、出張には中途半端かも?:日経ビジネスオンライン”
の記事内に「新幹線に会議室を作ればヒットする」と書いてあった。
また、企業重役の移動時間内に、ベンチャー企業が「ハコ乗り」して、企業重役相手にプレゼンする新サービスを、東京のハイヤー会社が始めたらしい。
★博多⇒東京の上り「のぞみ」16号車指定席の一部列車を「プレゼンテーション・モニター車両」にしてみてはどうか?
名古屋⇒新横浜間(「のぞみ」の次停車駅が最も長くなる区間)に、企業が16号車の数十名にプレゼンテーションや試供品プレゼントやアンケートを行う。
乗客は企業プレゼンを聞いたり、アンケートに協力したりする代わりに、運賃を5,000円割り引いてもらう。
JR東海は、乗客への割引分+αを、企業から場所代として徴収するビジネスモデル。
★「なぜ上り16号車か?」と言えば、プレゼンテーターが最も東京寄り(つまり、運転席側)でプレゼンするため。
途中号車だと、プレゼンテーターの場所を、「トイレに行く人」とか「号車を移動する人」が邪魔してしまう。
「なぜ博多発列車か?」と言えば、少しでも協力いただける乗客を確保したいため。
★企業が一般人を集めてモニターとかアンケートとかテスト品品評会とか開く場合、普通相場として5,000円程度を参加者に支払っている。
そう考えたら、「モニター等に協力すれば、5,000円割引」というのは、相場に合っている
★例えば、東京駅に21時頃到着する博多発「のぞみ」車内で、キリンビールが新しいビールのサンプルを配って、
乗客から味やパッケージデザインについて意見を募る、そういう使い方
或いは、保険会社が16号車乗客に新しい保険のプレゼンするとか、携帯会社が16号車乗客に新しいスマホをプレゼンするとか、
★企業のモニターとかアンケートとかって、参加者が主婦とかの「有閑者」に偏りがち。
忙しいビジネスパーソンに対して、なかなか意見を募る場が存在しない。
ビジネスパーソンのモニター意見を集約できる場として、「のぞみ16号車」は貴重
★プレゼンカーが軌道に乗れば、「プレゼン対象乗客は女性限定」とか「60歳以上限定」とか
「0~6歳の子供がいる人限定」のような「顧客属性を限定」するようにすれば、より突っ込んだプレゼンが成立する
★LCCでもプレゼン・フライトは成立しえるが、LCCはあまりカネ持っている人は乗らないからなあ。
レガシー航空会社が、プレゼンフライトみたいなことをする勇気があるかどうか。
★ウィーラー・トラベルなどの高速バスで、カネのない若者相手のプレゼンバスも、成立するといえば成立する。乗客は皆ヒマそうだし。
「東京⇒大阪昼行バスで、アンケートとか座談会に協力いただければ、運賃タダにします」バスがあれば、相当ヒットするだろうなあ。
東京~大阪バスで「アンケートに協力すれば無料バス」はさすがに難しいが、
「都内~成田空港バス」「大阪市内~関西空港バス」ならば、アンケートやプレゼンに協力してくれるならタダ、というバスは成立しそうな気がする。
JR東日本と仲良くしてください。
東京に本社を置けなかったのがくやしいのかもしれないけど、利用者不在の争いはやめてください。
JR東日本となかよしになったら、次の施策をお願いいたします。
乗り継ぐと東海道新幹線がとても高いよ。あと、静岡がめちゃくちゃ遠いよ。時間と運賃的に。静岡の発展のために一肌脱いでください。
騒音的には103系電車のほうがウルサイのは、埼京線で実証済みです。静かな新幹線の始発時間を繰り上げて、名古屋からコミケのサークル参加に間に合うようにカイゼンをお願いします。
JR東日本の新幹線が見劣りするので、座席の前後の間隔を10cm縮めて、JR東日本の新幹線に合わせてください。
周波数が違うとか面倒だと思うけど、上野のホームと大宮のホームを貸します。JR東日本の新幹線は品川行き。たとえば、秋田新幹線が雪で遅れると、九州まで波及しそうですてき。日本中で、秋田の苦しみを分かち合えますね!シェアしましょう!
行き先が新大阪・博多方面しかないのに6面は使いすぎ。4面で、青森、秋田、新庄、新潟、長野、金沢(予定)をさばく、JR東日本をというか東北の民を助けてください。いくぜ東北。これからは東北の時代です。指定席を取っても発車の3分前にしか乗車できないJR東日本の劣悪品質サービスの解決にご協力願います。
東北新幹線用にあらかじめカーブを付けておいた14番、15番ホームをくれたら、相互乗り入れは撤回です。
どうせ、東北の民は、東海道新幹線に乗らないし、もうめんどくさいので、東海道新幹線は、品川発着にしてください。リニアも品川だしちょうどいいよね。東京上野ラインもできるし。
ついでにJR東日本の新幹線の出し入れに便利そうな大井の車庫をください。
ついでに東海道本線はJR貨物に譲ってください。いろいろとうまくいくと思います。
どうしてJR CENTRALなのですか。何でJR TOHKAIじゃないのですか。東海に誇りをもっていただきたく。
大学中退で職歴無しで世間知らずの私が初めてアルバイトをしてみた話。
・どれくらい世間知らずであるかについて(ここから読みとばし推奨)
小1までは呉に住んでた。近くに住んでた女の子と毎日一緒に学校に行ってたと思う。
小2の時は大阪市に引っ越し。転入生は私以外に2人いて一人は中国から来た女の子で、もう一人はアメリカから来た男の子。
この女の子はおんぶしてもらったりとかしてもらったことがあったけど周りの大阪の子は男女がおかしい!みたいな目をしてたと思うけど当時の私は、なにがおかしいのかなぁって感じていたと思う。
またこの男の子の方は私と一番仲良くなった人であったが、その後中学受験塾の公開テスト総合1位を連発してN中トップ合格している。
彼の存在は小学生の私の中では比較する対象としてすごく存在感のあった存在であったと思う。
小3でも無駄に大阪市内で転校した。当時も少子化が言われる中であったが3番目の小学校は1学年156人いた。
私は中学受験塾に通うようになって、塾で算数は1位で国語はビリをくりかえした。
その小学校からは大阪星光に合格した人が8人いて(うち4人が進学)東大寺に3人が合格してて他は省略。公立の小学校から3人以上が同じ私立の中高一貫に行くのはうちの小学校だけかと思う(すごくどうでもいい話をした)
中学デビューとか無理だよって話にしようかと思ったけど元々中学受験で一緒だった人が大量にいるので関係なかった。
その後いろいろあって、中学で学年ビリで追い出されて高校を受験して兵庫の高校。
兵庫の高校で学年ビリのまま3年で追い出されて、1年間の空白の後に東京の工業大学入ったけどそのまま学年ビリを6年続けてやっと中退した。
大学を卒業して、いい環境で育ったんだねと思われるのだけは嫌だしそんなの耐えられないので、すごくめでたいと思っています。
大学進学率は知識としては100%ではないことくらい知っていますが、自分の周りだけで言えば100%なので、大卒ではないという世界を全く知らない。
親は医師であり、親子関係は死んでいるが経済的な繋がりだけはあって、スーツ等も含め、私は未だに自分で服を買ったことがない。
私が初めてはてなダイアリーを見てたのは同世代の情報オリンピックに出てた麻布の人とかの日記でした。
学歴が全く関係のないアルバイトとは一生無縁の人も世の中には存在するわけで、経済的環境だけで言えばそういう環境にいた。
でも、親ではなくてお手伝いさんとかに育てられる方がまだましだと思う。
親は子どもと全くコミュニケーションできていないのに、親はそう思ってない状態が一番子供を苦しめるのだ。
ずっと親を殺すか殺さないかの状態だった私の中学時代はなんだったのか。
理不尽な扱いを受け、涙まみれにしたチラシの裏紙は何枚生産しただろうか……。
たまたま殺さなかっただけなのに。東大寺の子は親を殺したけど、私はたまたま殺さなかったってだけの未来なのだ。マンションだし。
(読みとばしここまで)
私は親との会話が死んでいると思っているけど、親はそうは思っていないので、そういう。
会話は相手の認識を信用できないと成り立たないのだけど、一切認識が信用できない関係である。認識が違うのがつらい。住んでる世界も言語も違う
私であれば私に投資するのであれば小学生の時から呼吸つらいって体が言ってるので病院につれていくけど、
困ったことに中学生の時に私が殺したいと思ってた親は医者なのだ。面白い。
親がなんでそれで満足できるのか全く理解できないけど、親が満足なのであれば子供としては親の満足に従うように体ができてるというか。
私も小学生に算数教えたいだとかは言ってはいるが、だいたい否定されるので(絶対やりたいわけでもないしそれ以上は言わない)
(また増田に何度か書いたものは親に送ったメールなのだけど、何が言いたいの?って反応しか得られないので信じられない)
(自分が親だったら子供が考えてることを知りたいと思うのだけど、なんで全く興味がないの?信じられない。ただそれだけなのだけど。)
(子供なんて親のおもちゃなんでしょ。大学卒業したらそれで満足だったんでしょ。私がずっと親を殺したいと思ってたことくらい知ってるでしょ?なんで親はまだ生きていられるの?)
よく新聞とかに入ってる求人情報誌から適当に選ぶ。別にどれでもいいよ。どれでもいいでしょ。
・面接
学歴不問であったし、奴隷ロボットのように働きますという振る舞いをすれば落とす理由がないよね。
応募した時間帯は昼~夜であったが、深夜で間違いありませんか、と聞いてきたのでそこだけは否定した(ちゃんと否定できるかを見たかったのだと解釈している)
あとははいはいはいはいって言うだけだった。志望理由も、働く必要があるため、程度にした。そんなにアピールする必要もないであろう。
不採用にした方がお互いにとって幸せだったと思うし、採用は誰も幸せにならないようにも思うけど。
最後に軽いテストがあって、紙に数字がバラバラに印刷されていて、1から順番に○をつけていって制限時間以内にどれだけできるか、で著しく適性のない人を落とす理由にするためのものであると思うが、数字の数はそんなに多くなくて、順番無視して全部○をつけようかなとも思ったりはしたけど、全部○ついてたところで特に誰も幸せにならないのでふつうにやった。
(私から面接官の手元が見えないように机の上についたてがあったので、面接官からも私の手元は見えない)
・研修
業務上横領、郵便法違反等の犯罪をしたら一生後悔しますよとかのビデオを長々と見させられたりする。
4時間やってて4時間後にテストやって丸付け。問題文読めば○つけて下さいか×をつけて下さいってはじめから書いてあるようなやつ。
信書の秘密は退社後もだけど「これひっかかったひといるでしょ」→ひっかかるとかいうレベルじゃないと思うのだけど、なんで手を挙げている人が複数人いたのか全く理解したくない。
自分は最前列に座りながらも寝不足でずっとあくび連発しててあまり後ろ覚えてないけど。
解釈はするもので、テストとかいう問題作成者とのコミュニケーションに慣れているか慣れていないかの環境の違いだと思うけども。
・仕事を通して思ったこと。
まず所属はゆうパック。私個人に関して言えば使ったことがないのだけど、全国にある郵便局で30キロ以下の荷物が集められる。小さな郵便局で集まられたものは大きなところに集めて、そこで100通りくらいに区分して全国に配る。一番大きなハブは新東京郵便局と新大阪郵便局で、全国に飛ばすのは100通りくらいあって、もちろん東京にも大阪にもその地域に配るものもあって。
人間が犯罪を犯すかは確率で、人それぞれ固有の状態にある。その視点で研修は行われる。
防げない人は防げないが、防げる可能性のある人は防ぐのが狙いなのである。
私自身は研修は暇であるわけだが、会社が作り上げてきた儀式の意義は積極的に賛成である。
誤送を防ぐためにいちいちハンコを押している。基本的に目に入る物すべてに対して、それまでの歴史は分かるのである。
ただ私に関して言えばハンコ押すのは時間と体力の無駄使いである。
私は完璧主義者であり、完璧主義者というのはだいたいミスを極端に嫌がり慎重で丁寧にしか作業ができないので。
区分機にかけることができる荷物と区分機にかけられない荷物があったりする。
区分機によって分けられ、専用シュートにたまった荷物の場合、シュートの中で荷物の軽い整理をして、
シュートからロールパレットに美しく積み込む人と別々の二人用意した方が早そう。
というか、人間があって方法論があるわけで、方法論があってから人間があるわけではないアレでして
センスのないであろう人間の集まりの方法論だなぁとは思うのであるが、無駄が多いと言うか
何を効率的だと思うかが人によって違う。
もし自分が分身したとしたらこうやるし、もし自分が奴隷を雇うならこうやるし、というのがそれぞれの人の頭の中にあって。
忙しそうにすることが正義なのではない。無駄で美しくないことはしたくないのだ。
専用シュートからロールパレットに直接荷物を積み込めおじさんもいたけど、どんな種類の荷物が何個来るのかとかわかんないし、ロールパレットに積んでから美しく整理し直す方が美しくないでしょ。美しくない人間嫌い。
そしてこんなの人間のやる仕事じゃないのだ。将来的にロボットがすべてやるであろう。
なんでこんな仕事をわざわざしようと思ったのかそこにいる人たち全員に聞いて回ってやりたい
投げやりになったので後でまたもう一回書きなおそう。
そりゃ計算したらそんな結論にならないと処女率統計と合わないし
http://anond.hatelabo.jp/20130124013141
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7285.html
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1405/30/news082.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH1100H_R11C13A2AA1P00/
そんなカルチャーが大阪中心部へアクセスしやすいエリアの兵庫県奈良県JKに広まって
スカート丈が長くなっているのかもしれないけど
神戸 http://togetter.com/li/139598
いくら関東が発情しているヤリマンだらけだと言って夜行バスやら新幹線やらで処女厨が
4年前、18歳の時に大阪から上京した時は夢に満ち溢れていた。
地元の友達には、「東京の109の広告、乗っ取ったるで。まるまるっと1年な。」っと豪語して上京した。
JJの表紙を飾るつもりだった。CanCamの表紙を飾るつもりだった。
ゆくゆくはドラマにも出て、香里奈、北川景子を超えるつもりでいた。
私は本当にそのつもりでいた。
本当に本当に本気(マジ)だった。
もちろん、それを叶えるためには血の滲むような努力が必要なのもわかっていた。
うまくいかない日々に、心がブレてしまうだろう事にも勝たなければいけない事も分かってはいた。
1日 1800kcalを超えないように食事制限した。ずっと、温野菜中心の生活だった。
毎日5kmジョギングした。腹筋100回した。体幹トレーンングも行った。
遊んでいても、19:00には途中で帰宅するようにした。
4年間、ずっとずーーーーとこんなんだった。
でも、、、、うまくいかなかった。
仕事が決まらなかった。所属事務所が雑誌に載せてくれなかった。
載せてくれても、読モ扱いの小さな写真だった。(あたいは読モじゃない。職業 = モデルだぃ!!(激オコ))
思い切ってフリーランスになってみるものの、状況は変わらなかった。
東京に来て、何もかもうまく行かなかった。。。
本当の本当にうまくいかなかった。
もう限界だった。。
もう叶わないんじゃないかって、もう自分には向いてなかったんじゃないかって。
終わりの見えない暗いトンネルを、手探りで進み続ける体力はもう残ってなかった。
わたしの中のあたしが、毎日、”大阪戻りたい”って泣き叫んでいた。
つらかった。自分が若くなくなっていくのも辛かった。おばさんになっていくのがつらかった。
強くなりたかった。でも、なれなかった。
。。。。
2014/05/05 17:00 品川発 新大阪行 のぞみ299号
4年間帰らなかった大阪に帰るつもりだった。
”売れるまで帰らへん!!”ってママに言って出てきたから、ウソつき敗北者の帰還だ。
”明日、夜には帰るね。”
”うん、わかった。夜ごはん中華ちまきでいいでしょ。あと、シーチキンキャベツも用意しとくね。”
ママはそれ以外の言葉は言わず、”待ってるねー”だけで、電話を切った。
私は安心からか涙が止まらなかった。永遠に泣き続けていられるような気がした。
ずっと1人で戦い続けてきたから。。私を守ってくれる人を実感できた事がうれしかった。
いままで飲めなかったお酒をいっぱい飲んだ。山盛りフライドポテトも食べた。
モッツアレラチーズたっぷりピザを食べた。1300円もするアボカドハンバーガーを食べた。
ティラミスも食べた。
行った事のないおしゃれなレストランやバーにたくさん連れていってもらい、
気づいたら、翌朝5:00になっていた。
2014/05/05 05:19am 震度 5弱の地震が発生
あたしはその時、早朝までやっているレストランのトイレにいた。
とても大きい揺れだった。東北大震災の時と結構いい勝負だった。
”そろそろ、帰ろうっか”って言ってきた。
あれ、みんな気付かなかったのかな?
でもすぐに、こう思った。
これは、私だけに起きた地震なんだと。。
あたしの中の何かを壊す、地震なんだと。。
これは何かを覚悟した者にだけに訪れる、make changeしてくれる地震なんだと。
そう思いたかった。
生中継をやっていた。
”表参道の交差点、信号は普通に動いています。。車の流れも普通にあります。”
私はすぐに地震の事だと気づいた。
でも、これはアタシだけの地震なんだ。ア・タ・シが覚悟を決めたんだ。
”地震なんてないよ。”
※これはフィクションです。
午前11時、新大阪のドトールに初めて入店し。コーヒーとホットドックを注文。席につきノートパソコン開く。
10分後。
店長(50代くらい)「すみません、今日昼3時から貸切なので、長居されるのはちょっと困るんです。申し訳ないですけど、それまでのご利用ということでもよろしいですか?」
俺「え?それは構いませんが、僕まだ来て10分しか経ってないですよ。3時ってまだ4時間後ですよね。まだ長居しているわけでもないのに、その対応はないですよね」
と言おうとしたら、僕まだ来て10分しか経って・・・あたりで遮断し、「あ、はい、あ、はい。失礼しまーす。^^」みたいに笑顔つくりながら速攻で立ち去っていった。店長の対応も驚いたけど、ちょっと反論しただけでクレーマー扱いされたことがより傷ついた。つか、これクレーマーなのかね。
今新幹線乗っています。
今、京都を過ぎました。
ほんの15分ほど前、新大阪でおもしろいことがありました。
ちなみに、彼はぼくと同じ新幹線で8号車だか9号のグリーンに乗りこんでいました。
新大阪にいた
彼の女もかわいかった。
M1王者芸人=おもしろいという、巷でいう芸人補正が入った目で見ると、
彼はほんとうにおもしろそうに見えた。
ちなみに、ぼくには彼のオーラは見えませんでした。
キングコングを見たことなど、少ないながらも何度か芸能人を見たことがありますが、
肩が当たるぐらい近くで見たことはなかった。まして偶発的に。
こんなに近いならということで、
においも嗅いでみましたが、
男のにおいっていうのかな。
30歳前後の人の車に乗った時ににおう匂いっていうの?
あんな感じがした。
身長は175cmの俺よりちょい高くて、
喫煙席では、ほんとにしょぼーんとした感じでした。
あまりに突発的であり、みんな忙しいそうだし、
成人式に会うからいいかwということで
今回はひとりでいいっかと誰にも絡みませんでした。
ある日には、ひとりドライブと称し、
星を見に青梅まで!とか行ったり、
ある時は一人で大久保のレンタカー屋で半日車借りて、ぶらぶらとかしてたけど、
今日は、堺までドライブして、そのあと船場に行って、買い物とかしたりしましたが、
今日は五十日だったので、都心あたりは混んでいて、あんまりよろしくなかった。
そして、俺はもしかしたらパワプロ強いのかもしれんw
なんやかんや、気分転換が必要だと感じていたので、とてもよろしかった。
東京の生活は、
語学の授業とか、オープンの授業とか、誰かと出かけたりとかを中心に、とても楽しい。
その反面、生活リズム整えるがしんどかったりw
一人でいるときを楽しめたり、楽しめなかったりする。
そういう意味では、親兄弟と会ったり、愛犬の散歩に行くのはとても楽しかった。
そういう変化も楽しめたと思う。
自分の車を早く買えるようになりたいなあと思う。
うん。
いつまでも親の車乗ってちゃだめだ、とか。
今、名古屋です。
徳井は今も俺と同じ、この「のぞみ58号」東京行きに乗っています。
ひとつ言っておこう。
(芸能人って大変ですね。)
http://www.asahi.com/national/update/0518/OSK200905180093.html
へぇ~修学旅行中止か、災難だったね。っと斜め読みしながら思ったんだけどなんかちょっと引っかかったので改めてよく見てみると・・・。
山ノ井校長が、大阪市教育委員会から修学旅行の中止決定の連絡を受けたのはこの日午前7時すぎ。「大阪市内から外に出る行事は中止する」との趣旨だった。大半の生徒は既に駅に向かっていた。
修学旅行の中止を告げられ、ぼうぜんとする大阪市立高倉中学の3年生ら=18日午前、JR新大阪駅、関根写す
http://www.asahi.com/national/update/0518/images/OSK200905180095.jpg
朝日新聞準備よすぎw いつの間にスタンバイしてるんだよw
結婚(と離婚)にはたくさんのエネルギーを要するという話をよく耳にします。私の場合もまさにそうでした。今になって書けるような気がするのと、今になっても納得できない部分もあるのでまことに自分勝手ながらこちらに書いて見ようと思いました。それと、幸いまだ離婚を経験せずに済んでいます。
私は嫁と結婚する4年前から交際をしていました。しかし、相手の母親(嫁家は何年も前に離婚していたので)にお会いしたのは結婚する1年前くらいからでした。まずは私一人でご挨拶に伺いました。お爺様、お婆様、お母様と嫁で出迎えてもらいました。本当はお兄様もいるのですが、今は自立、結婚されて実家にはいませんでした。私は皆さんに嫁と真剣に交際をしていること、それと近い将来には結婚したいと考えていることを報告しました。
嫁家ではお爺様が全てを決めるような家で、お爺様の仰ることは絶対のようでした。義母は若かれし頃に某音大を卒業後、嫁のお父様とお見合い結婚、二人の子供に恵まれましたが、性格の不一致(しか理由って無いと思う)で嫁が中学生の頃に離婚しました。その後は実家に戻り、申し訳ないのですが自立してる私から見ると「随分と歳をとったパラサイト」に見えました。実際、働かず(今では孫の顔見たさにパート勤めらしい)、家事せず、みたいな人。
簡単な事情はこれくらいにして、無事に最初のご挨拶を終え、いきなり次は私の両親を連れてくるよう言われました。ここで事前に説明しておかなくてはならないのですが、私の家系はいわゆる被爆者の家系で私は3世になります。それと父は視覚障害者です。被爆が関係あるかはわかりません。私は最初のご挨拶の時にそれらを隠さず嫁家の皆様に説明しました。なんとなく、特に義母はそういうのにうるさそうに見えたのと、後でわかるくらいなら今言ったほうがいいだろうと思いました。それと義理の兄の娘さんがどうやら視覚/知的障害を持っていまして、義母は特に気の毒に感じているように見えました。あと、初めての挨拶で年収を聞いてくるのは非常識だと言う人もいるとは思いますが、これから結婚するのであれば、収入を聞くのは当たり前だと思いますし、勿論聞かれましたし、給与明細及び源泉徴収表を見せたりはしませんが、大まかに当時の私の年収をお話しました。
そういうことでしたので私は帰宅するや否や両親(山口県)に電話して、来てもらうことにしました。一応、それなりに軽くフォーマルな服装でいいよ。初めてのご挨拶だし、まだ結婚のお許しをいただいたわけじゃないから。と説明しました。そして当日、無事に挨拶も済み、私は再度、嫁と結婚したい意志を義母に伝えました。しかし、義母は口を濁し、お爺様もいるせいか何も返事をしてくれませんでした。私は(当時)新大阪まで両親を送っていきました。「まぁ、これからだね」と父に言われて両親は山口へ帰りました。両親を見送った後、帰宅してすぐに嫁家にお礼の電話をかけました、するとまたさっきと義母の様子が違い、いきなり「今日は結納金くらい持ってくるのかと思ったわ」とか「あんな目暗(メクラって視覚障害者の差別用語)の家になんか嫁に出せるか」とか「人の家に挨拶に来るのにあのラフな格好はなに?非常識な」とか(3番目は私に責任があると思います)耳を疑うような言葉を聞きました。普通なら心でそう思っていても口に出しては言わないと思うような言葉の数々を言われて、正直かなりショックを受けました。私はすぐに両親に電話をして「あのタイミングで結納金って渡すもんなん?」って聞いてみたけど「普通じゃない」と言われてさらに困惑。
そんな感じで義母は反対でした。しかし、全ての決定権を持つお爺様はなぜか私との結婚をむしろ「やるなら早くしろ」と。披露宴の費用も負担するとまで言ってました。今も当時もなんとなく甘えるのは気持ちが悪いですが…しかし、当時の経済的な状況を考慮して、無い袖を振るうわけにもいかず、足らない部分を負担していただくことになりました。義母とは会話が成立せず困りました。電話、直接お話しに行ってもお爺様がいるときは無言、いないときは無茶苦茶。前述した通り、お兄様のお子様が障害をもっているということで「絶対に子供は作るな」とか。「DNA検査を受けろ」だとか。(というかDNAを検査して異常を検出するような検査は当時も今もまだできないのではないかと思うのですが、義母曰くお兄様とお姉さまも受けられたとか。多分ウソだと思いますけど…)徐々に追い詰められてしまい、とうとう精神科に通うほどになってしまいました。鬱病で寝込んでいるときに私の家のドアを名前を叫びながら叩くだけならず蹴ったり。当時のご近所さんたちは借金取りと思ったと思います。
そんな状況でもなんとか根気強く義母と話し合い、子供は絶対に作らないということを守ってくれるなら結婚を許すというところまで行きました。私は嫁といられるだけでいいのでその時はそれでもいいと思いました。披露宴も近くなり、平日は仕事、週末はホテルで打ち合わせという日々を過ごしていました。お爺様が定期検査のために入院されたと聞かされました。つまり、お爺様が家に不在ということで、義母が早速電話をかけてきました。そしてこういいました「披露宴は中止してほしい」と。理由を聞くと「娘があんたみたいなダメな男と結婚するのに、どうしてわざわざ世間に披露しなくてはならないのか?恥ずかしいじゃないか。」と。そんなこんなでお爺様は大激怒でしたが披露宴をキャンセルしました。結構なキャンセル料も私が負担しました。嫁にはひたすら謝りました。楽しそうにドレスを選んだり、食事を選んだり、あの嬉しそうな笑顔を思い出すと涙が止まりませんでした。後日、記念撮影だけしました。嫁は「私はこれで充分だよ」と言ってくれました。間もなく私たちは入籍しました。
私は鬱病がひどくなり、とうとう生活に支障がでるようになりました。悩んだ末、当時の会社を退職し、両親のいる山口へ引越しました。しばらく療養し、今の会社に入り、まだ鬱病ではありますが、まともに生活できるようになりました。ちょうどこの頃、嫁から「そろそろ子供が欲しい」と言われました。私は仕事の都合上長期間家を空けることがあり、慣れない土地で嫁は一人でさびしいのだろうと思ったのですが(また、寂しいからと言って子供を作ることも間違っているとは思いますし)、嫁に「でも、お母さんがなんと言うか」と言いましたが「それでも欲しい」と。しかし、そう都合よく神様は授けてくださるワケもなく、月日が流れていきました。そしてある日、嫁が実家にひとりで帰省中に近所の病院で「おめでたですよ」と念願の子供を授かることができました。黙っておくわけにもいかないので義母に電話して嫁が妊娠したことを伝えました。すると「あんた種無しかと思ってたわ。あははっは」と。ただし「おめでとう」とは言ってくれませんでした。
嫁は2007年12月10日20:35に3,598gのかなり元気な男の子を産んでくれました。立ち会った私は涙が止まりませんでした。当時はがんばってくれた嫁に感動しましたが、まだ子供が自分の子供だという認識と責任感みたいなのはあまり感じませんでした。義母も出産前日から来ており、初めて世に出てきた和が子を見てこう言いました「指は1,2,3...あるな。うん。」と、しかし、しばらくしてから「おめでとう!」と言ってくれました。
息子の誕生から間もなく1年が経とうとしています。嫁家には2度ほど連れて行きました。お爺様&お婆様は「本当に愛らしい」と大喜び。ご両名が元気とまでは言いませんが、ご存命中に子供を見せることが出来て本当によかったと思っています。
しかし、義母があの時言った言葉の数々(今でも口が悪い)を、私は許せていません。そして一生許すつもりもありません。しかし、どんなに人のいいあるいは悪い両親(片親)であろうとも、言葉が良かろうが悪かろうが、人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。加えて現在の私も義母のことを除けばとても幸せに暮らしています。全てがうまくいく人生も珍しいと思いますし、面白みが無いと思うのと同じだと思います。私が向こうの親に結婚を反対されて、それでも結婚したときにまず思ったのは、嫁も含めて私も幸せになって証明するしか無いと思いました。今でも尖った言葉を義母より沢山頂戴しておりますけど・・・
以上、長い話にお付き合いいただきありがとうございました。また、最後にもし貴方に一生をかけて守りたい人ができて、結婚したいと思ったとき、あるいは今大切な人がいて、その人によく「いつか結婚しような」と言うことがあったり、その「結婚」とはどういうことなのかを考えたくなったときに、あまり参考にはならないとは思うのですが、何かの参考になれば幸いです。加えて皆さんも幸せになることを心よりお祈り申し上げます。
こういうの読むと結婚する気失せるわ
確かにしないほうが無難な場合もあると思います。結果論には激しく同意します。義母が許せなくて大嫌いだけど、なんとかやっていけるてるよということで・・・
あえて書きませんでしたが義母は精神を長らく病んでいたのだ(そして今も)と思い、昔から病院へ行くことを勧めてきましたが、なにより本人がそれを嫌います。まぁ、強制できないことですし、よくあるパターンだと思いますが・・・私が精神科に通っていると言ったときには「やっぱりアンタは基地外やってんね」って言われましたw
まだしてないなら、お祖父さんが亡くなった時点で、同居って言い出すから絶対拒否だよ。 負けるな。 奥さんとお子さんをお姑さんから守れるのは...
ありがとうございます。幸い今は同居しておりません。が、その可能性はひしひしと感じております。お兄様はお子様でいっぱいいっぱいな様子で、恐らくあちらで同居はできないだろうと思います。が、私だけならず嫁も自分の母親ながら同居に耐えられないことはわかりきっていますので、同居は拒否します。今のところ、義母はお爺様が買ってくれたマンションで暮らすと言っています。今は本当にそうなってくれることを祈るだけです。玄関にウ○コですか・・・また大変そうですね・・・
人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。 まったくそうは思わないけど。 そもそも「結婚」という形式にこ...
そうですね。「皆乗り越えなくては」は必ずしも当てはまることではないかもしれませんね。子供もできるまではあまり欲しいとは思っていなかったのも事実です。産まれてから可愛く思えるのにしばらくかかってしまったのは私だけでしょうか。なんというかなかなか実感がわかないというか・・・しかし、経済的援助は勘弁してほしいですね。気持ちが悪いですから・・・
割と良家のようだから、財産目当てでは? 義母が離婚後働かず実家に子連れパラサイトでも許されたり、旦那が鬱病抱えているのに嫁が呑気に子供欲しいとか言える辺りも 親の財力あっ...
確かに嫁家は良家だと思います。少なからず私の家と比べたら・・・仰られた通り真剣に縁を切ることも考えたことがありましたが、嫁にとっては親に違いないワケで、そこを無理やり切ることも無いかなと思いました。できることならウチの子供にも会いに来て欲しくは無いです。
それと財産に関してですが、まったく興味ありません。出来ることなら(有価証券やら不動産が多そうなイメージなので)とっとと現金化して、私と関係無いところに生前贈与でもしといて欲しいくらいです。それも私が心配することではないのであまり気にしていませんけど・・・