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はてなキーワード: 役者とは

2014-01-21

小泉純一郎Twitter事件

なんで「認証が糞の役にも立たないことが分かった」とか「認証信頼性が失われた」とか断言できちゃうんだろう。

現時点で本当になりすましだったのかの結論がまだ出ていない、というのは措くにしても、

Twitter社の釈明するとおりなら、

自称本人の電話一本で認証されているとかではないんだし、

民間企業としての責任果たしていると言っていいんじゃねえの。

他の著名人とも打ち合わせをしているTwitter社の人間を騙し、

何度も交渉をしてもボロを出さないような役者を用意しないと認証できないってのは確かだろ。

そんな大掛かりな仕掛けで騙されたんだったら仕方ないし、Twitter社は単なる被害者じゃないのか。

2014-01-18

明日、ママがいない」を観て

話題の「明日、ママがいない」を観てみたので感想

はてブコメントを見て、とんでもないドラマなんだろうと思って観てみたんだけど、どこがひどいのかさっぱり分かりません。

もしかして、観ずに書いてるの?と思って。

!!注意!!

一回観たあとの感想なので、全てネタバレです。

前提

ポストっていう名前がひどいって意見

これは、ポスト自身が「親と決別するために、唯一もらった『名前』を自分で捨てた」って言ってます

最初自虐的に名乗ってるんだと思ったけど、最後の方では、自分運命を受け入れてこれから幸せを掴むんだ!という意思を感じました。

と思ったんですが、最後最後に他の女の子から「本当の名前はゴニョゴニョゴニョ」っていうシーンがあります

ここは、「親からもらった名前が気にいらないなんて!」と感じる人が居るかもしれません。(最初のほうでも、「月姫と書いてカグヤって…DQN!」ってシーンがあるので、いわゆるDQNネームに関する問題提起をしてるのかも?)

施設の人による虐待その1

三上博史「さあ泣け!そしたら食べてよし!」(今日はマキが来て最初の日。これからつらい事もあるだろうけど、くじけるんじゃないぞ!そのために、一発かましてやろう!)

ポスト「(ん?ああ、いつものあれね、こうでしょ?)う、うう…うううう…うわーん」

三上博史「ん!(ちょ、なんだよおまえ…おれがかまそうとしてるの分かってるくせに…)」

施設の人による虐待その2

三上博史(うわあ、マキとポスト喧嘩してるよ…)「どっちが先に手を出したんだ?」

ポスト「私です」

三上博史(良かった…いきなりマキを怒るわけにもいかないし)パシッ!(うわあ、殴っちゃった…ごめんよ)

三上博史「バ、バケツに水入れて、風呂場で持ってろ!」

演出家(今時バケツの水持たせるってのは、さすがにギャグしか思われないだろう)

施設の人による虐待その3

三上博史(あの優しそうな夫婦の所から逃げ出したって…どうしたっていうんだよ…心配で、もう2時間玄関で待ってるよ…)

 ガラガラッ!

ラーメン屋へ行った男の子「…」

三上博史(うわあ、岡持の中でラーメン散乱してる…怒られると思ったんだろうな…でも、あの夫婦なら、こんなことぐらいで怒るはずがない)

「おい、ここにはもうおまえの居場所はないぞ!」

男の子「うう…」

 ガラガラッ!

ラーメン屋夫婦「ごめんね、いきなりお父さんお母さんなんて呼べるわけないよね…」

三上博史(よかったよかった)

施設の人による虐待その4

三上博史小学生女の子がこんな時間になっても帰ってこない…マキは来たばかりだし、心配しょうがない…もう三時間玄関で待ってるよ…)

 ガラガラッ!

三上博史「なにやってたんだ、こんな遅くまで!」

ポストたち「…」

三上博史(この様子を見ると、マキに何かあったんだろう…でも、女の子同士、なんとか解決したみたいだ…しかし、他の子どもたちの手前、このまま許しては…)

演出家(さっき一回使っちゃったけど、今時バケツの水を持たせて立たせておくって罰は、ギャグしかとらえられないですよ、三上さん、バケツで!)

三上博史「ふ、風呂場でバケツの水持ってろ!」

第一話を観て全体の感想

これ実際に観たら、一番悪く描かれてるのはマキの母親です。

同居中の内縁の夫を鈍器で殴って重症を負わせる

施設に預けた(というか、行き場がなくなって知らない間に預けられてた)娘を訪ねる

→「彼の傷が治ったら結婚するわ。あんたは邪魔から施設生活してね(^^)」

鬼畜だわ、これ。

でも、はてブには、マキの母親のことが全く書かれてない。みんな観てないんじゃないの?

2014-01-10

日本マスコミ世界の「ガラパゴス」だろうな

このところ、英米の大手マスコミウェブサイトニュースを私はまた読んでいるのだが、日本国内のマスコミとの世界観の相違が激しいことを再認識させられる。

話題のずれ、例えば中東アフリカの話題への関心の高さというのもある。

だがそれだけではなくて、日本マスコミでは言ってはいけないことがどうやら多いようで、情報操作された、「よく洗脳がゆきとどいた国ですね」と皮肉られてもしかたないような社会だなと思う。

先日やしきたかじん氏が亡くなったが、彼が生前大阪地元テレビ番組ほとんど言いたい放題でやっていたのに対して、東京マスコミ全国ネットも多いだろう)における「自主規制」(という無言の圧力、「空気」のたぐい)は、やはりびっくりだ。

役者で現参議院議員山本太郎氏が、以前に原発反対を言ったとき仕事を干されたという話もあるが、なかば被害妄想もありなん。だが、タレント立場ファストフード反対だとか酒反対だとかパチンコ違法ですだとか言い出したら、おそらくマスコミ広告代理店ブラックリストに載る、広告塔としての価値ほとんど無くなってしまうだろう。藤原紀香氏だったかが先日にしんぶん赤旗日本共産党機関紙)の日曜版に登場した際にもいささか揉めたらしいというのも、話に聞く。

私とて、せいぜい英米の大手マスコミしか目にする機会がないのだが(関心はあるのだが、ドイツフランスすらも日常的には読んでいないし、ましてや世界各国のを確認してまわれない)。しかし、The Times英国)のウェブサイトをこのところ見ていたら、砂糖依存性の話題で議論が巻き起こっていたり、「ADHDの診断名が付けられる小児は多いが、そんな疾患は本当は存在しないと書いてある専門書もある。診断名を付けることで気休めになり、そこで投薬に移り云々。診断名を付けたがる症候群なのだろう」と大要そんなことを書いているオピニオンがあったりする。日本大新聞テレビ局ではおそらくそんな記事はそうそう出せないだろう。

在京一般紙でも、サンケイ読売が似たようなもので、日経はもろに資本主義バンザイで、朝日はこのところ元気がなくて、毎日はまあまあ活躍していて、それらが超えられない壁の先に東京新聞名古屋中日系の東京地方紙)がある気がする。さらに言えば、大新聞と比べて、宮城福島地域地方紙や、沖縄県地方紙なんかは、世界観がまったく異なっているように思う。

なんというか、日本大手マスコミ不可思議デマゴーグだなと、このところ常々思う。

2013-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20131216192528

要するに嫌だからやりたくない、ってだけじゃん。

問題意識を持つなら、なんで問題なのか言えよ。

それ言えないなら、単に「僕はやりたくないからやらない」っていうただの我侭じゃないか

「答え」を求めてない、ってなんだ?

「問題だ」と思うっことはそこに何かしらのおかしなことがあってそこを改善できる可能性がある、ってことだろ?

それを示せよ。

出来ないなら単なるわがまま以外の何物でもないだろ。

私が思う問題はまず、「様々な場面での合理性の欠如」であって、

その例として、仕事を割り振るする上司を引き合いに出した。

そこまではわかりますか?

要するに嫌だからやりたくない、ってだけじゃん。

問題意識を持つなら、なんで問題なのか言えよ。

それ言えないなら、単に「僕はやりたくないからやらない」っていうただの我侭じゃないか

あなたは発言しているが、

なぜ問題なのかというと、「無理矢理やらせることで人を人として扱ってないからだ」、とも述べていた。

一人の人間として尊敬するべきだ、と。

「答え」を求めてない、ってなんだ?

「問題だ」と思うっことはそこに何かしらのおかしなことがあってそこを改善できる可能性がある、ってことだろ?

それを示せよ。

それに関して言うと「なぜを答えられる必要がある」というのが回答である

まり上司は部下に、それがなぜ必要か「問われたら返せる必要がある」とさんざん言ってきた。

ポイントは「問われたら」である

部下は常に「なぜこの仕事をするか」疑問に思っている。

疑問に思うとやる気も出ないし、生産性もあがらないし、生産性があがらないと長期的に見ても不利益だ。

から、部下がなぜか?と聞いたとき、「これはあの大事プロジェクトで、こうこうで必要なんだ。それできみに任せている」

と説明できる必要がある。結果的にみんなが幸せになる。

しろ、それもわからず部下に仕事をさせているようでは、どうかと思う。

2〜3秒ですむ事だ。

そして、もし例えば何か上から下の者へやらせることが「伝統で続いているもの」であったとき

それがなぜ必要なのか、役割を振る者は考えてみる必要がある。

そこには初めてその行儀なり行動をした人たちが考えた思想がある。はずだ。

何か必要からその伝統があるのだ。

もし、その思想がわからないまま、ただ闇雲にその行事継承しても価値がないので、

即刻やめるべき。

私が言いたいのは「なぜかよくわからないけど、とりあえずやっている」とか「常識からやっている」って言う事が、

まりにも多すぎないかと問題視している。

アメリカ人歌舞伎を習いに来たとき

この動きはなぜ必要なのか、などと執拗に聞いたという。

それに一切役者は答えられなかったそうだ。

彼らもなぜ必要なのか知らない、考えた事がないからだ。

別にアメリカがいいというわけでないが、

今やっている事はなんのためで、そのためにやらなくちゃいけないんだという

動機付け」の仕組みが社会全体として足りないんじゃないか

これまで似たような価値観の集まりだったから、そういう発想も出てこなかっただろう。

しかし、今後日本人だけで何かをするというわけにもいかなくなってきた。

から価値観の違う人間には「論理」でコミニケーションをとる必要がある。

日本は非合理だと世界からも言われるが、

本当にそれでいいのか、フィーリングに頼っていいのか?

「なぜ」を改めて考えてみる必要があるのではないか

と私はこれまで主張してきた。

あなたには、これで意味がわかりますか?

2013-12-11

ブログ論争 個人的まとめ3

http://anond.hatelabo.jp/20131210194845 に引き続き論じていく。


では、サードブロガーたちが、釣りPV稼ぎ・キャラ作りをやっていると仮定して、なぜそれらの行為がいけないのかを説明する。

まず、私の前記事を基に、いろいろと考えてくれた人がいる。

釣り記事」と「かわいい女の子」とには、共通点があるのかも - ただの通りすがり

http://anon.isc5.com/2013/12/turikiji-kawaii.html

人気のある女子になるために、演技をすべきなんでしょうか?そういう疑問を抱く人もでてくるだろうけど、

そんなの誰もわからないというか、演技したほうが有利なのは事実だと思うけど・・。

本当の自分自身でなくて、演技の部分を好かれても、満足できるの?こういう感じで、いろいろ誘導的な話をしても、

現実を前にしては、無駄な抵抗だと僕は思う

まあ、純粋な僕の気持ち(心)を裏切ったなという部分はあるとは思う

でも、騙されていてもイイと思う人もいるのは事実だとは思う。

裏切られた気持ちというのも微妙な感じだと思う。




私はネット上でのステルスマーケティングアフィリエイトブログを憎んでいる。

ステルスマーケティングアフィリエイト目的の記事・発言は、誠実さに著しく欠けているかである

誠実さとは何か、という話になるが、それは「ブログ論争 個人的まとめ」で

ブログとは必要に駆られて書くものだ。何気ない数行のブログでも、誰にも見られていないブログでも、それが必要に駆られて書かれたもの

自身の心のコップから溢れ出たものなら、その文章には価値がある。私はそういう生きたブログを読みたい。

と書いたように、心から溢れ出たもの、その人の「真」が出たものに私は誠実さを感じる。

からたとえばネトウヨ罵詈雑言も長文陰謀論も、その発言の正誤・質は置いておいても、その人の「真」が出ているという点で、私は誠実さを感じる。

から彼らはインターネットに居て良いのである


ステルスマーケティングをする者やアフィリエイトブロガーは心から文章を書いているだろうか。何か一本通った信念を持っているだろうか。

信念というのは別に堅苦しく考える必要は無い。思想スタンスなどはコロコロ変わって良いものだ。ただ、

「その文章を書いたとき、それを言ったとき、俺は本気だったのだ」

と言えるだろうか。ステマ業者やアフィブロガーにそれは感じない。彼らは時流を読み、人の流れを読み、

それに最適の発言(自分たちにとって都合がよくなるように・お金の流れが産まれるように、大声で叫ぶ)をしているだけだ。

私はそういう彼らを 「演技をしている」 「狡猾な」 「インターネットには必要の無い」 人間だと考える。


私のこのスタンスはとても童貞臭いのだろう。

現実を前にしては、無駄な抵抗

であることは間違いない。私のような考えをする人間はこれからもっと減っていく。

私はこの類のことを考えるとき、いつも「トゥルーマンショー」という映画を思い出す。

ジム・キャリー演じる主人公トゥルーマンという男性が居る。この男性の住んでいる地域は超特大の撮影セットである

彼の妻も彼の友人も、みな役者である。演技で付き合っているのである。それを知らないのはトゥルーマンだけなのだ

私は、これをなんと悲しい映画なのだろうと思った。また、西洋映画に見られる「人がほんとにされて悲しいこと・人が体験して本当に悲しくなることは何か」

をよく描けている映画だと思っている。

友達だと思って、一緒にお酒を飲んで笑い合って、こいつは親友だ、そう信じていた友達役者だったのである


ステマ業者やアフィリエイターがやっていることは、我々インターネットユーザー1人1人をトゥルーマンにすることである

我々は彼らによって分断されつつある。アニメについて本当に楽しく語っているときサッカーについて熱く語っているとき

我々は心の隅で思わなければならない。「こいつもしかして商売で俺と話してるのかな」


から私はステルスマーケティングアフィリエイトブログを憎んでいるし、もしサードブロガーがそのような業者もしくは「お金目的の個人」であり、

からあのようなハチャメチャな記事を書いているのだとするならば、

コメントが欲しいだけなら、ブログの記事は不完全な方がよい

http://akamemukan.hatenablog.com/entry/2013/12/08/085228

私はもっと彼らを苛烈に攻撃するだろう。しかし今のところ彼らにそのような悪意は無いと私は見なしている(彼らは単に文章力が無く、かつ成り上がりたいだけなのである)。

わずに隙のある日本語書く人って意外と少なくない気がする。外から見て筋の通らない言動をする人も/それが本気だから性質が悪い、と言うこともあるわけで。

http://b.hatena.ne.jp/murishinai/20131210#bookmark-172779102




万が一彼らが業者だったとして、はてなもそのような「商用人種」ばかりになってしまうのなら、私のような「妖怪」はまた失望に襲われるだけだ。

私たち2ちゃんねるでも、ニコニコ動画でも、いろんなサイトで、そのような「真」を表さない商用人種ばかりになっていく光景を見てきた。

私たち妖怪の住処はどんどん無くなってきているし、妖怪から商用人種一般人・健常者)に転身する人もたくさん見てきた。

はてな妖怪の住処でなくなるのなら、それはとても悲しいことだ。


話は変わるが、この文章の前半で挙げたネトウヨのことであるが、最近は「カズチャンネル」「テキサスおやじ」とか「竹田うんぬん」が

目立っているが、どうも彼らにも「ネトウヨビジネス疑惑が持ち上がっているらしい(ビジネス右翼なのでは?と)。

そういうふうに、人のやることなすことを何でも「ビジネスなのでは?」などと疑いたくはないのである

そういう風に、いちいち他者を疑わざるをえない世界にしたのはステマ業者とアフィブロガーであり、だから私は彼らを憎悪しているのである


次に、サードブロガーたちの打たれ弱さや、文章でのコミュニケーションができていないことを指摘したいと思う。


続き http://anond.hatelabo.jp/20131211152656

2013-12-08

https://twitter.com/souretu_bot/status/409150258795401217

[2005/11/13(日) 22:21:36]若い頃の思い出って大切だと思う。てか、老人にとってそれが全てだろ。 青年時代恋愛の一つもなかった、愛してくれた女性の一人もいなかったという記憶が、 老人喪男にどう圧し掛かるんだろうな?その前に狂ってしまってるかもな。

そっか。そうなんだな。正規化すると、「自分を愛してくれた女性」という体験も原体験も、自分人生には無いのだ。母親も、親友も、恋人も。

Tumblrで見かけたんだと思うけど:

ブサメンの末路は、告白せずに嘲笑されるか、告白して嘲笑されるかしかない」

非モテは難しいこと考えるくらいしかやることがない」

まさにこれ。

https://twitter.com/syakekan/status/409158707444854784

https://twitter.com/syakekan/status/409158195995607040

女の子と話をしていて、非モテブサメンを嫌いだという人の多くが、そういう人と話したこともない、という事実を目にするたびに、人間洗脳ってきっと簡単なんだろうなって思う。

これは本当。女子大生がな、悪気もなしに非モテブサメン嫌いって言うんだよ。で、「実際イヤな思いさせられたの?」って聞くと「存在自体がキモい」って言うんだ。 こういう洗脳は大人がひとつひとつ解いていくしかない。この年齢のうちに。>RT

あたまでっかちになっているんだよね。

自分の体験したことだけを信じろ」「歴史偉人や他人に学べ」

どっちの極端に偏ってもダメだと思うけど、そのバランス後者偏重してしまってるんだよね。

あとアイドルとか役者とかの、美しさへのブームの弊害もあると思う。

「美しくないものは、存在価値がない」という思想。それが自身や他者や世界観に影響を及ぼしている。


まあ自分もその頭でっかちになってるんだろうけど、もう「恋愛しよう」とかいモチベーション、気力と体力、リソース配分の優先度設定、そういうものがなくなってしまった。

恋愛意識するとつらくなるから、既婚者や恋人がいる女性のほうが安心して話ができる。変な気を起こさないから。

フリー女性だと変な気が起きやすいので、その場合は「俺は嫌われている」という仮想敵国みたいな設定をしている。

そのほうが「恋愛本能」のようなモノが働かなくなるのでオススメ。それが働いてしまうと、つらい思いしかしないし、つらい結果しかいから。

2013-11-17

「推定釣り」という基本原則

17歳女、Cカップです。

推定無罪」ってあるじゃん、とりあえず、有罪と宣告されるまでは無罪みたいなやつ。

ソース匿名情報、例えば2ちゃん増田小町なんかは、「推定釣り」で良いと思うわけ。

釣りじゃないことが確定的に明らかなソースが出てくるまでは、推定釣り

2ちゃんで良く飼い慣らされたやつなら、id書いた紙と妹のパンツ一緒に撮った写真見るまではとりあえず釣りって思いながら見てるじゃん。

釣り判定けしからん!」ていう人いるけど、釣られる方がけしからんよ。

釣りかどうかはともかく、なんだか強く心を揺さぶられた」ていう人いるけど、やばいよ。

その人達が示してるのは「嘘の情報で人の心を動かすことができる」ていう事実

洗脳よゆーぢゃん。

オレx2詐欺超よゆーぢゃん。

映画とか本とか小説で、「作り物」で強く心を揺さぶられることあるけど、

「作り話をさも事実かのように話す」ことに心動かされるのとは全く別だかんね。

「Based on a True Story」の映画でも、役者脚本通りに演じてるだけだから

アルゴ」もあれ脚色バリバリから

ドキュメンタリーでも、編集入ってっから

その話のソース映画・本・小説であること。その時点でわたし達とその話の間には一発フィルターかましてあるの。

ネットで、「釣りじゃありません」て言うこと。

うわさ話で、「いや、嘘じゃねーから」て言うこと。

それを鵜呑みにしてしまうこと。

それはフィルター全部取っ払ってしまうこと。

受け取った情報との距離感がもうね、全然ちがくなっちゃうゎけ。

わたしの中学生の頃、部活の後輩に変な奴がいて、そいつガチ創価学会員らしいっていう噂がいつの間にか広まっていて。

そいつはなんとなく他の人達からずっと避けられてた。

ある部活終わり、その子たまたま片付けで二人きりになったとき、わたしは創価学会のことについて無性に聞きたくなって。

「◯◯くんって創価学会なんでしょ?」

って聞いてみたら、

「え?違いますよ!誰がそんなこと言ってるんですか!?創価なんて大っ嫌いなんですよ!」

てすごく怒って、トランペット叩きつけて帰っちゃったことがある。

それ以来、その子部活に来なくなった。

学校も来てたかどうかは知らん。

現実だって、簡単に嘘の情報が広まって人を傷つけてしまうことがある。

いわんやネットをや、でしょ。

以上、17歳女、Cカップより。

こちらからは以上です。

( 追記 )

「ていう釣り」とかいトラックバック来てるけど。

なんでもかんでも「はいはい釣り乙(ドヤ」ていう風潮にも、ムカつくのもあるけど。

なんでもかんでも「やべー!」って心動かされてるよりは、まだましかな。

と思ってのチラ裏でしたー。

2013-11-06

好きなタイプ性的に欲情するタイプが違うのかもしれない

好きなタイプにはそういったことあんまり考えたくないけど、ガンガンそういうのが見たい!という気持ちになれる人が出来た

役者ならもっと濡場があったろうになあ……

2013-11-04

チャンネル分離が難しいならば、バラエティには、次の注意のテロップ最初に入れてみてはどうか。

この番組は娯楽のために作られています

別に訓練された芸人役者放送作家によって綿密に書かれた台本にしたがって、高度な演技をしています

番組内容の真似をすることは、命にかかわる事故危険性があり、対人関係おいて信頼を失う恐れがあります

十分に注意してください。

また、未成年者の視聴は、保護者監督下のもと、教育的要素を含んだ適切なコミュニケーションをとりつつ行ってください。

そんな野暮なこというな、お約束だろの反論はあると思う。

でも、子供は信じてしまうことが多いのが問題。リアルガチ風演出のようなドキュメンタリーバラエティおもしろいことはわかるけど、グレーゾーンおもしろいけど問題が多い。

素人風の劇団員を使った映像作りや普段テレビに出ない素人対して、リアルガチ風演出にしたがってくれと指示を出すのは、問題がありそうな気がする。

報道にはマーケティング要素を除いたほうが望ましいが、新製品の扱いや国民ムーブメントの扱いが難しいかもな。

速報性が必要ないものは、半年後とか1年後ならばOKとか無駄に人の動きをあおることはしてほしくない。

民放ならしかたないと思えるけど、公共放送で「Appleが新型iPhoneを出しました」と朝のニュースで流れる違和感

みんなが欲しがっているから、乗り越えられる壁なのかもしれない。他のメーカーじゃそこまで報道されない。

みんなという仮想ペルソナの知りたいことが拡大解釈されているのかもしれない。

チャンネルを分離しても経営は分離しなくてもいいじゃないかと思った。

せっかくデジタル化して空きが増えたのにもったいない

http://anond.hatelabo.jp/20131103211053

2013-11-02

なんかさ、自発的にやりなさいって 呪いだよな。

 

ヤリたくないことを、自発的にやりなさい。

嫌なことを 自発的にやりなさい。

 

ひどくね? やりたいことなら、自発的にやってるだろ。ふつう

構造設計が間違えてるのに、役者のせいにする。それってどうなの?という感じ。

発注が間違えてるのに、下請けのせいにする仕事みたいだ。

 

愚痴だけどな。

http://anond.hatelabo.jp/20131101204049

理由が書いてないからなんともいえないけど、なんとかなるさ。

逆に言うとそうとしかいえない。

正しく生きないと、とか、失敗しちゃいけないとか、何かそんなことに縛られてる風にも感じるけど、逆に考えれば良い。

正道なんかない。好きな事やって何度も失敗してそれを経験として生かせれば、これからも何か人生が楽しくなる道はあるんじゃないか

はいっても、こういう風に考えてしまう人はもう価値観が固まってて駄目なのかもしれないけど。

俺なんか役者なんかやってるから役者の道を志した時点で真っ当な人生には出来ないなと腹をくくったし、だからこそ少しでも真っ当になれるように頑張れたりもする。

俺の言う真っ当ってのは生活できるだけの金を定期的に手にする事が出来るってだけなんだけどさ。

少なくともこういった告白を茶化したり揚げ足取ったりするような人間にはなりたくないね

増田にはそういうの多いけど。

2013-10-31

OBOGくそくらえ

昔、プロとして役者をやっていた。

ここ1年ほど、趣味の延長線でOBOGを集めて定期的に舞台をしている。

プロの頃はスタッフがいたので、役者は演じることだけに専念していたけど、趣味となると全部自分達でやらなきゃならない。

当然それを理解して自分はやってるんだけど…

私以外は殆どと言っていいほど何もしない。

小道具衣装音響機材なども「お金が無い」と言って一切お金を出さない。

毎週やっている自主練(ワークショップ)にも参加しないし、音の編集もしないし台本も書かない。

ミーティングロジカルさが一切なく、常に感情論

仕事が忙しい、主婦母親業が忙しいと理由を付けて、舞台前のリハーサルも1回やる程度。

そのまま本番に臨んで、大体ダメ出しだらけのしょうもない舞台になって連中は凹んでいる。

よくイベントなんかで無償出演するんだけど、主催と対等な立場(むしろイベント盛り上げに協力してあげている)なのに

みな「出演させていただいている」などと卑屈な態度で、とんでもない悪条件でも「ありがたい、ありがたい」と言う。

私は、クソみたいな扱いされるぐらいなら協力しない方がマシと思って断ろうとするんだけど、そうすると

「せっかくいただいた出演の機会なのに、なんて礼儀知らずなんだ!」と罵倒される。

私は

毎回何十万も運用資金を提供してるのに、

毎回舞台からからすべて用意しているのに、

毎回後片付けも洗濯も一人でやっているのに、

口ばかりの連中に翻弄されてばかり。

実にバカバカしい。

もうこんな集まり、解散してしまおう。

2013-10-29

原子力ムラマスコミ支配


地域独占企業である電力会社競争がないのだからコマーシャル必要はない。

それにもかかわらず膨大なコマーシャル費用を使ってきたのはマスコミに対する支配力を確保するためだ。

電力業界に都合の悪いことを言う役者コメンテーターテレビ番組から外してきたのはコマーシャル費用の力だ。

そして電力業界テレビコマーシャル費用は発電のための原価として電力料金に上乗せされてきた。



批判する政治家もかつての福島県知事のように陰謀によって失脚させられてきた。

今も原発稼働に慎重な知事議員を引きずりおろすため、

一部マスコミを使ってスキャンダルでっち上げ陰謀がたくらまれているという、うわさが流れている。

原発ゼロ実現のためには、原子力ムラマスコミ支配をまず打ち破らなくてはならない。






菅直人オフィシャルブログ今日一言

http://ameblo.jp/n-kan-blog/entry-11653842872.html

  

庵野秀明ステファニー

少し前に風立ちぬでの演技を批判された庵野秀明

役者の演技を舐めるな、ということらしい。

そんなバッシングをした人たちに紹介したい映画がある。 プライドである

http://www.youtube.com/watch?v=83vTdrqDPZY

金持ちお嬢様貧乏から這い上がった女がオペラ歌手になるために蹴落としあう少女漫画原作映画

今をときめく満島ひかりも出ているんだけど、主役のステファニーが本当に酷い!

ステファニーは当時事務所からプッシュを受けていたようで、Mステとかにも出演したことがある。

http://www.youtube.com/watch?v=ji6f7MIKN-k

常に棒読みの演技でカメラに映っているだけで「ドスン」という効果音が聞こえそうな悪い意味での存在感がある。

だけどこの映画凄い面白いのだ。 ステファニーの演技のひどさが映画バランスにばっちりハマっていているんだ。

映画にはバランスというものがあるしその為にうますぎる役者必要でない時もある。

酷いけどそれがハマっている、もしくは逆に良い。そういうことがあるからなるべくやさしい目で見てほしい。

2013-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20131022014419

あなたは気に入った音楽や歌を見つけた時、

それを演じたアーティストには興味が湧かないの?

気に入った映画ドラマをみた時、役者監督に興味は持たないの?

持たないとすれば、物事の副次的要素に目を向けないあなたは、

社会での問題解決能力があまり高くないと思う。

それからアウトプットだけを気にするような評価基準を持っていると、最終的に本質を見失うよ。

高校生から大学生の間にそういう思想に陥るケースはよくある事だけどね。

2013-10-06

タレント全般が出している『俺達は才能で飯を食ってる感』がウザイ

タレント全般が出している『私は才能で飯を食ってます感』がウザイ

アイツ等の価値なんて、いわゆる『動物タレント』の価値と何ら変わらないのに

『私は才能と努力で今の地位を手に入れました』ヅラしてる所が。

ぶっちゃけ、『タレントとして成功するかどうか』なんて

『どれだけ露出するか』『時代の流れに乗れるか』で決まるんだから

本人以外の人間でも同じポジションにさえ立てれば

同じくらい成功できる人間なんて腐るほどいるのに。

まりタレントなんてモンは

たくさん露出する事で

自身の『個』に価値があるように見せかけ『愛着』で商売してるだけで、

本人の才能や努力なんて、

(他の仕事に比べれば)全然大した事ない。

それは芸人であろうと歌手であろうと役者であろうと。

(勿論、特別な才能を持った人間も一部にはいるが、

大多数は平凡な才能と努力しか持たずに色んな流れに上手く乗れただけの存在

と言ってもタレントが嫌いなワケでも

その仕組み(芸能界全般)自体に不満があるワケでも無い。

ただTV番組などで

『私は成功者です』みたいな顔をして

その能力に見合わない収入などを自慢している姿は、正直、不快

2013-09-15

こんなネットに誰がした

あまちゃんステマが発覚した。たぶんどこもやってることで氷山の一角なんだろう。

2ちゃんでも●?とかが流出していろんな人の書き込み内容もバレたしね。

そういうことを知ったか最近アニメ板とかドラマ板とかに居ても、「最終回に向けて盛り上がって来たね!」とかいコメントでも、なんか白々しく感じちゃう

「これもお金もらって書いてんのかなぁ」って感じて落ち込む。俺は本当の気持ちを書き込みたいけどこの人の書き込みはノルマなんだって

それに今の2ちゃんは、なんか一方向に一致団結した不自然な書き込みが増えた。なんか「カタギじゃない」って感じがする。

昔の2ちゃんだってカタギじゃなかったけど、その頃とはなんか質が違う。今は皮を一枚向いたらロボット集団が出てきそうな不気味さがある。


Youtubeもすごく酷くなってる。動画再生前のCMはもちろん、再生中も変な画像が浮かび上がってきて、それをクリックで消さなきゃいけない。

お目当ての動画を見るために何秒も待ち、何回もクリックしなきゃいけない。広告ブロック入れろよって言われるかもしれないけど

そんなことしなくてよかったのがインターネットじゃないのか。

そういえばスマホでも、ロックを解除するたびに広告を表示するアプリが開発されたらしいね

みんな本当にそんなのを望んでるの?

マイノリティ・リポートっていう映画がそういうのをもっと発達させた世界観らしいね


疲れた状態でネットをやると、広告ギラギラした色彩にめまいがする。必要情報だけを見て、広告排除しようと脳が頑張ってるけど、防御しきれない。

安心してページ全体を見ることができないし、昔と比べて、今のネットは一画面中の情報量が減ってる。情報量が多いのに情報量が少ない。


ゲーセンで出会った不思議な子の話』がフィクション問題

http://anond.hatelabo.jp/20130913110646

この人の言うことは凄くわかる。

トゥルーマン・ショー主人公ジム・キャリーなっちゃ感覚だよね。

親友だと思ってた人が、父親だと思ってた人が実は役者だったんだよ」って凄いショックだと思う。

掲示板で感動的な話を書いて人を騙したり、スクリプトブログに書き込むってそういうことだよ。

「遊び」とか「釣り」の範疇を超えてる。

人だと思って話しかけて、人だと思って話を聴いてるのに、その相手が「残念、ロボットでした~」って言う。

そんなことされたら、もう二度と騙されない為にその界隈には近づかない。侮辱だよ。


インターネットっていうものがどんどん変わっている気がする。それもたぶん面白くない方向に。

俺たちは一体どうすればいいのかなぁ?


http://anond.hatelabo.jp/20130915013359

http://anond.hatelabo.jp/20130915125803

2013-09-02

パシフィック・リムと、ガッチャマンとの、大きな差

町山智浩氏「同じようにシナリオに問題があっても『ガッチャマン』は嫌われて、『パシフィック・リム』は気にならないのは何故だろう」 - Togetter

http://togetter.com/li/557192

表題が既に日本語としてどうかと思うけど、まあいいや。

興味本位で観に行くのはデビルマンで懲りたので、ガッチャマンは観に行っていない。

から、もしかしたらガッチャマンも作りこまれててスタッフに愛されている駄作なのかもしれないからそこは割り引いて聞いて欲しい。


元々、町山さんのつぶやきを素直に読むと、

という疑問だと思う。

パシフィック・リムへ注がれる愛情

パシフィック・リムは、凄くスタッフに愛されていると思う。

是非劇場で観て欲しいから、映画の楽しさを損なわずに出せる具体例だと、以下の辺だろう。

  1. 劇中の不思議マシーンを、自虐的に触れるシーンが無い
  2. 劇中のニュース映像に、「カイジュウ・ブルー」という単語が出てくる
  3. 司令官が「二度と俺に触るな」等の古典的なシーンを、酷く丁寧に演技している。

自虐的に触れない、ギャグに走らない

まず、パシフィック・リムでは、登場人物たちは巨大ロボット(劇中ではイェーガーと呼ばれる)に対して、自虐的に説明しない。

「こんなのってまるでアニメみたいだな」のような逃げを打たない。

搭乗者たちはイェーガーに対して誇りや愛着を持って接するし、待機するイェーガーをゴツく雄々しくまるで鉄の塊のように表現する。

イェーガーこそが人類切り札で、怪獣に対抗できる唯一の手段だということを、変に照れたりギャグに走ること無く、丁寧に見せてくれる。

搭乗者が歩くとイェーガーも歩くというシステムに対して、観客は笑うが、登場人物たちは笑わない。

なぜならば彼らの立場では笑えないからだ。

細部を丁寧に作りこむ

パシフィック・リムは、深海の裂け目から怪獣が次々と湧いて出て沿岸地域を襲うので、巨大ロボットを作り運用し戦うという、特撮映画だ。

その冒頭、怪獣が現れ始めたという状況を説明するニュース映像に、ほんの一瞬だけ「カイジュウ・ブルー」という単語が現れる。

確か、字幕でも触れられていないくらいの短さだ。

正確に覚えているか自信はないが、「倒した怪獣死体を処理するのに苦慮している。強酸性血液は処理をより困難なものにさせ」という感じだった。その中でカイジュウ・ブルーと言っているのだ。怪獣の流す青い血液が、カイジュウブルーメディアに命名されている。

この設定自体は使用されているので完全に無駄ではないのだが、このニュース映像、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せる。

それを、倒れた怪獣死体とともに、処理している人物たちを映し出すほんの一瞬のニュース映像をキチンと作りこんでいる。

設定に矛盾があったり、工学的にも技術的にもありえなかったとしても、その世界の中でそういうものであるということ、丁寧に丁寧に作りこんである

くさいセリフを、真面目に演技している

「2つ、言っておく事がある。1つ、二度と俺に触るな。2つ、二度と俺に触るな」

どこかで聞いたことがあるような、典型的台詞だ。

不承不承返事をする主人公に対する対応も、コメディではなく真面目に演技をしている。

からこそ面白いし、だからこそ熱い。

司令官の演説を熱いと思うのは、そこに至るまでにパシフィック・リム世界にどっぷりと浸かれるようになっているからだと思う。

司令官は一貫して怪獣に対抗するにはイェーガーの運用必要だと信念を持って行動しているし、世界を救えるのはイェーガーしかいないと信じている。

少なくとも「そういうキャラクターなんだ」と観客が思えるような台詞と演技をしてくれる。

名前すらないような登場人物ですらそうだ。

劇中「良いニュースと悪いニュースがある」と言う、これまた典型的台詞を吐く人物が出てくるが、丁寧に演技をしている。全く雑さがない。

まとめ

そこに現代ではないパシフィック・リム世界があり、その世界の人物がコミックキャラクターのようにしか見えなくても、彼らがそこで生きていると信じられるとすれば、彼らはそこに生きている。

幻想現実へとすり替えるのは、7年の月日でサビが出始めた操縦席かもしれないし、猛威を振るう怪獣の姿かもしれないし、絶望的な表情でテレビを見上げる労働者の姿かもしれない。

それぞれは本当に小さな事だ。

黒澤明が異常な執念で映画に臨んでいたことは有名だ。

(裏取りしたことはないけど)開けない箪笥の中に着物を入れたり手紙を入れたりしたことは、エピソードとして結構有名だ。

プライベート・ライアンで、本物さながらの過酷な訓練を救出側の役者に行わせ、救出される側のマッド・デイモンには一切行わせずに途中合流させて、凄まじく険悪な雰囲気の中で撮影を行ったというのも、またそこそこ有名な話だ。

それらは一切、画面には表出しない。

いや、正確に言えば、本当に微妙な形では表出する。

動くとき所作だったり、唇の皮肉な皺であったり、疲れた目で相手を睨めつける仕草に。

それぞれは指摘するほどのこともない、指摘できない、本当に微妙な差だ。

でも、その積み重ねが、妥協しない作りこみが、圧倒的な熱量愛情が、我々の心に届くのだ。

シナリオの不出来をねじ伏せて余りある情熱を感じ取れるかどうかが、きっとその差になっている。

ギレルモ・デル・トロ脳内しか無かった怪獣と巨大ロボットとが大乱闘する特撮ファン垂涎の世界スクリーンに現れたのは、間違いなく情熱を持ったスタッフの手腕によるものだ。

まだ間に合う。是非、大スクリーンで観て欲しい。

2013-09-01

タイムスクープハンター劇場版を見てきたよ

 サービスてんこ盛りで面白かった~

 ってこれだけじゃ芸がないので何点か気になったこと(ちょっとネタバレ有)

 総じてTS社と安土城まわりの人々の話、比重を半端にTS社側に持ってきちゃったのがちょっと違和感があったかな。シリーズ通してみてるから嬉しい点でもあるけどね。

 色々書きましたが面白かったのは間違いないですし、有名無名問わず役者さんがんばってくださってて(沢嶋さんカミカミなのはいつものことなので…)個人的に抑えてた竹山さんとめっさ表情豊かに演じてた上島さんが素敵でしたので、興味がある方はぜひ映画館へどうぞ

2013-08-24

山本太郎って1000年後くらいに漫画かなんかのキャラになってそう

高校時代テレビオーディション番組デビューする。

ただ、披露するパフォーマンスがお下劣すぎて学校に苦情殺到

周りの人間と軋轢生じまくり。おまけに高校留年中退

そこまでして、芸能界入りするもトークが下手でタレントとしてバラエティに定着できず

一発屋として消えるかと思われたが、意外と役者の才能があり俳優業へ

俳優業のほかにNHKでも番組の司会を務めるなど、そこそこやっていけるようになる。

2011年3月11日到来

反原発運動に目覚める

会社クビ。俳優業の仕事激減

衆議院選で石原伸晃と同じ選挙区東京8区出馬。当然落選。(が、大差とはい次点に付けた)

今度は参議院選出馬なんと当選

参議院議員

ざっと書いたこの経歴だけでも面白いが。他にもメロリンQ衆議院落選時の勝利宣言新党今はひとり円形脱毛症、妻の話など小ネタには事欠かない。

こういうトンデモエキセントリックな人物って同時代の自国の人間じゃなければ結構、いや相当おもろで愉快なキャライズムだと思うのよね。-

後山太郎教科書に載るような歴史的メジャーな人物になるとは思えんけど、1000年後の歴史マニア漫画家ねり小説家が見つけ出して掘り起こして、山本太郎モチーフにしたキャラとか作りそう、いや作ってほしい。

1000年後の歴史マニアに見つかるためにも山本太郎にはこのままただのトンデモサヨクなどという小さな枠にとどまらないダイナミックな活躍を期待したいところ。

2013-08-20

パシフィック・リム好きな奴ってさあ

何であれを「最高」とか「傑作」とか言えるの? 

ぶっちゃけオタな。

あいつら、オタすぎて、変なクセついてるんじゃないか

ラノベ文章力や、

アニメ脚本や構成や、

仮面ライダー役者演技力や、

初音ミク歌唱力に、

寛容すぎるあまり、鈍感になってんじゃないか

見る目がないの?

それとも完成度の低さに目を瞑って

自分の支持するジャンル内『では』最高だ傑作だと、言ってるの?

それって、

「(クラス女子では一番)美人だね」ってのと何が違うの?

本当にそのジャンルが好きで、長く一緒にいたいなら、

パシフィック・リム子ちゃんに

アルバトロス映画みたいな顔だねって言ってやれよ。

2013-08-17

半沢直樹が受けてるのは

あるあるとかプライドがどうとかじゃなくて、

メリハリの効いたライティングから来る見た目の良さと、

現実には存在なさげアメリカンな口調によるテンポの良さのお陰だろ。

全体に光を廻してセットの安っぽさばかり見せる古臭い素人ライティングと、

グチグチダラダラ喋る役者排除したのは本当に素晴らしい。

2013-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20130805190943

自由な校風が売りの旧制中学の流れを組む都立トップ出身だけど、自由すぎてドロップアウトした人とか、非モテもたくさんいる。だからリア充かどうかって意味じゃ、新興私立と公立の違いはあってないようなものではある。

でもそのほかの部分で、私立の受験マシーンな人とは大きな差はある。

高校のころから好きなことを自由にやることに慣れてる、しかもそれが人と違っても教師も友人も気にしないことから、「みんなと同じ」に対する執着が少ないこと。人と違うことをするリスクが取れること。周りの目を気にせず好きなことを追求できること。

このアドバンテージはかなり大きい。

同級生には、みんなそこそこの大学を出てるけど、普通会社員もたくさんいるし、会社を興したやつやNPO代表がいれば、留学してそのまま海外で働いてるやつもいる。もちろん医者弁護士もいる。漫画家もいる。役者たまごもいる。失敗したやつも、そこから本人の才覚と努力で復活したやつもいる。この多様性こそが彼岸の差を分けるもっとも大きなものなのだ。何よりみんな楽しそうにしている。

世間の目なんていうつまらないものを気にせず好きなことをする。失敗しても成功しても、辛いことがあっても、それ以上に楽しい瞬間がある人生。それこそが豊かな人生というものでしょう。

から子供は自由な環境で育てるべきという結論には同意します。

2013-07-18

初心者向け西部劇映画10

一時期西部劇ばっか観てたんだけどまとめてくり~とかよく言われてたんでまぁ雑に挙げてみるかって感じで10分ほどで書いた。

西部劇西部劇マニアがうるせぇ分野だから文句はあるだろうけど,ロクに観てない人はこれを上から順番に追っていけばそれなりに文脈は追えるんじゃねーかなと思う。

駅馬車

古きよきハリウッド西部劇古典といえばまずこれ。

クライマックスにおける馬上の闘いが(当時の技術水準としては)大迫力。

赤い河

ハワード・ホークス監督による傑作。ジョン・ウェインの本格的な出世作でもあり,彼の役者としての方向性を決定づけた。

簡単に言えば牛追いの話なのだが,「カウ・ボーイ」がそもそもどういうものなのかよく分かると思う。

ちなみに都内のレンタルだと渋谷TSUTAYAくらいにしか置いてない気がする。廉価版は500円しないのでどうしても観たい人は買おう。

捜索者

ジョン・フォード×ジョン・ウェインの代表作としてよく挙げられるものひとつ

当時のアメリカ人視点における先住民への意識も読み取ってほしい。

遠景の撮り方などは『アラビアのローレンス』のデヴィッド・リーンスピルバーグも参考にしたとされる。

シェーン

まぁベタな名作。これを原型とした作品も多いのでとりあえず観ておけ的なもの

荒野の用心棒

セルジオレオーネによるマカロニウェスタン嚆矢黒澤明用心棒』の盗作として話題にもなった。

チープなセットに単純なストーリーハリウッドのヘイズ・コード下では不可能な暴力表現などが特色。

主演クリント・イーストウッドは以降西部劇における大スターとなり,本家ハリウッド西部劇にも影響を与えた。

続・荒野の用心棒

セルジオ・コルブッチ監督マカロニウェスタンの代表作としても名高い。

ちなみに『荒野の用心棒』とはストーリーキャストスタッフどれもまったく関係がない。

レオーネ以上に徹底的な娯楽志向で,歴史考証など本当に適当,とりあえず決闘がカッコよければよいという感じ。

この前タランティーノジャンゴを作ったが,それの元ネタがこれである

ウエスタン

レオーネ後期の代表作。

他の監督なら20秒で済ませるようなカット無駄に5分以上使ったりと,現代人にはちょっとしんどいくらいの長回しが大きな特徴。

配給もハリウッドであり,大予算がかかっているため「マカロニ」の趣は既になくなりつつある。

ワイルドバンチ

サム・ペキンパー監督

スローモーションと巧みなカット割が最大の特色。香港映画ジョン・ウーにめちゃくちゃ影響を与えた。ということは『マトリックス』とかもこれの系譜ってことになる。

アメリカ映画レーティング制になったため,暴力表現が解禁され血みどろの演出がなされるようになった。

ラストの破滅感は「アメリカン・ニューシネマ」というムーブメントにおける文脈からもよく語られる。

ソルジャー・ブルー

駅馬車』,『捜索者』などで見られるインディアンへの扱いを再考させられる作品。

ベトナム反戦運動とかそういう文脈でアメリカ人自分らのアイデンティティを見つめ直していたってことも念頭に置いて観るとよい。

ちなみに『明日に向って撃て!』や『やつらを高く吊るせ!』でもそうだけどこの頃から徐々に黒人兵も作品に出演するようになる。

許されざる者

イーストウッド監督・主演による「最後西部劇」。

古きよきハリウッド西部劇マカロニ,ニューシネマなどといった一連の西部劇史を包括する超名作である

ちょうどここらへんから彼も文芸性の高い監督と見られるようになってきた感もある。

早撃ちに対する保安官の話とか,イーストウッド自身が演じてきたマカロニへの挑戦でもあるよね。

本数の制約で挙げられなかったけどこれより前に作られた『ペイル・ライダー』も地味にとてもよくできています

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