2013-09-02

パシフィック・リムと、ガッチャマンとの、大きな差

町山智浩氏「同じようにシナリオに問題があっても『ガッチャマン』は嫌われて、『パシフィック・リム』は気にならないのは何故だろう」 - Togetter

http://togetter.com/li/557192

表題が既に日本語としてどうかと思うけど、まあいいや。

興味本位で観に行くのはデビルマンで懲りたので、ガッチャマンは観に行っていない。

から、もしかしたらガッチャマンも作りこまれててスタッフに愛されている駄作なのかもしれないからそこは割り引いて聞いて欲しい。


元々、町山さんのつぶやきを素直に読むと、

という疑問だと思う。

パシフィック・リムへ注がれる愛情

パシフィック・リムは、凄くスタッフに愛されていると思う。

是非劇場で観て欲しいから、映画の楽しさを損なわずに出せる具体例だと、以下の辺だろう。

  1. 劇中の不思議マシーンを、自虐的に触れるシーンが無い
  2. 劇中のニュース映像に、「カイジュウ・ブルー」という単語が出てくる
  3. 司令官が「二度と俺に触るな」等の古典的なシーンを、酷く丁寧に演技している。

自虐的に触れない、ギャグに走らない

まず、パシフィック・リムでは、登場人物たちは巨大ロボット(劇中ではイェーガーと呼ばれる)に対して、自虐的に説明しない。

「こんなのってまるでアニメみたいだな」のような逃げを打たない。

搭乗者たちはイェーガーに対して誇りや愛着を持って接するし、待機するイェーガーをゴツく雄々しくまるで鉄の塊のように表現する。

イェーガーこそが人類切り札で、怪獣に対抗できる唯一の手段だということを、変に照れたりギャグに走ること無く、丁寧に見せてくれる。

搭乗者が歩くとイェーガーも歩くというシステムに対して、観客は笑うが、登場人物たちは笑わない。

なぜならば彼らの立場では笑えないからだ。

細部を丁寧に作りこむ

パシフィック・リムは、深海の裂け目から怪獣が次々と湧いて出て沿岸地域を襲うので、巨大ロボットを作り運用し戦うという、特撮映画だ。

その冒頭、怪獣が現れ始めたという状況を説明するニュース映像に、ほんの一瞬だけ「カイジュウ・ブルー」という単語が現れる。

確か、字幕でも触れられていないくらいの短さだ。

正確に覚えているか自信はないが、「倒した怪獣死体を処理するのに苦慮している。強酸性血液は処理をより困難なものにさせ」という感じだった。その中でカイジュウ・ブルーと言っているのだ。怪獣の流す青い血液が、カイジュウブルーメディアに命名されている。

この設定自体は使用されているので完全に無駄ではないのだが、このニュース映像、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せる。

それを、倒れた怪獣死体とともに、処理している人物たちを映し出すほんの一瞬のニュース映像をキチンと作りこんでいる。

設定に矛盾があったり、工学的にも技術的にもありえなかったとしても、その世界の中でそういうものであるということ、丁寧に丁寧に作りこんである

くさいセリフを、真面目に演技している

「2つ、言っておく事がある。1つ、二度と俺に触るな。2つ、二度と俺に触るな」

どこかで聞いたことがあるような、典型的台詞だ。

不承不承返事をする主人公に対する対応も、コメディではなく真面目に演技をしている。

からこそ面白いし、だからこそ熱い。

司令官の演説を熱いと思うのは、そこに至るまでにパシフィック・リム世界にどっぷりと浸かれるようになっているからだと思う。

司令官は一貫して怪獣に対抗するにはイェーガーの運用必要だと信念を持って行動しているし、世界を救えるのはイェーガーしかいないと信じている。

少なくとも「そういうキャラクターなんだ」と観客が思えるような台詞と演技をしてくれる。

名前すらないような登場人物ですらそうだ。

劇中「良いニュースと悪いニュースがある」と言う、これまた典型的台詞を吐く人物が出てくるが、丁寧に演技をしている。全く雑さがない。

まとめ

そこに現代ではないパシフィック・リム世界があり、その世界の人物がコミックキャラクターのようにしか見えなくても、彼らがそこで生きていると信じられるとすれば、彼らはそこに生きている。

幻想現実へとすり替えるのは、7年の月日でサビが出始めた操縦席かもしれないし、猛威を振るう怪獣の姿かもしれないし、絶望的な表情でテレビを見上げる労働者の姿かもしれない。

それぞれは本当に小さな事だ。

黒澤明が異常な執念で映画に臨んでいたことは有名だ。

(裏取りしたことはないけど)開けない箪笥の中に着物を入れたり手紙を入れたりしたことは、エピソードとして結構有名だ。

プライベート・ライアンで、本物さながらの過酷な訓練を救出側の役者に行わせ、救出される側のマッド・デイモンには一切行わせずに途中合流させて、凄まじく険悪な雰囲気の中で撮影を行ったというのも、またそこそこ有名な話だ。

それらは一切、画面には表出しない。

いや、正確に言えば、本当に微妙な形では表出する。

動くとき所作だったり、唇の皮肉な皺であったり、疲れた目で相手を睨めつける仕草に。

それぞれは指摘するほどのこともない、指摘できない、本当に微妙な差だ。

でも、その積み重ねが、妥協しない作りこみが、圧倒的な熱量愛情が、我々の心に届くのだ。

シナリオの不出来をねじ伏せて余りある情熱を感じ取れるかどうかが、きっとその差になっている。

ギレルモ・デル・トロ脳内しか無かった怪獣と巨大ロボットとが大乱闘する特撮ファン垂涎の世界スクリーンに現れたのは、間違いなく情熱を持ったスタッフの手腕によるものだ。

まだ間に合う。是非、大スクリーンで観て欲しい。

  • http://anond.hatelabo.jp/20130902135127 ガッチャマンは商品 パシフィック・リムは作品 志が低いと商品は作れても作品は作れない その差だと思う。

  • ガッチャマンを知ってる世代→ 40代 ゴウリキちゃんを好きな世代→ 10代 パシフィックリム→ 男子全員 ちょいマジレスすると、 ヒロインがSFコスプレが似合うかどうか。これに尽...

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