はてなキーワード: 役者とは
>>どうせ本心からの笑顔じゃない、笑っていても本心じゃバカにしてんだろう
接客業に限らず鏡を見ながら口角を上げて〜みたいな笑顔の練習をする人もいるみたい。
演技が下手な役者と同じで「作る」部分に意識がいってるから不自然さが匂っちゃう。
でも本気で笑ってる人もいるよ。
仕事が楽しい、接客自体が楽しい、仕事が楽しい、良い事があった、とかで。
役所とか、人に頭を下げない仕事とか、接客要素のない仕事しかした事無い人には理解不能だろうけど。
演技の才能がある人は、仕事中は「仕事を楽しめる人」を演じてたりする。
>>商売は品物の質と値段が全てだよ。無愛想な方が品質に期待が持てるくらいだ。
男からすると「はぁ?」って言いたくなるけど。
・10円安い!って理由でガソリン代を余分に使って買い物に行く
・実際は何も得してないポイントカードを沢山つくる
・定価を上げて割引クーポンを発行(店の売り上げは変わらない)すると女性客が増える
こういうのは全部「得した気分」が大事な証拠。
実際に得かどうか、値段と価値を比べて安いかどうか、そういう事は関係ない。
得した気分が満足度を上げるの。
昨日突如発表されたXboxOneのポリシー変更には参りました。
まさかMSがここまで強欲で視野が狭いとは思いもしませんでした。
「中古にゲームを売って得た資金は新品ゲームを買う原資になっている」
これっておかしな話ですよね。「借金返すために借金する」みたいな行為が正当化されてるってのが理解できない。
しかも、そうやって新作ゲームを買う奴にとってはゲームはもうフルプライス払う価値のないものに成り下がっているんです。
購入金額から中古に売って得た金を差し引いた差額分の価値しかないと考えてる人が市場を回してるって
既にそれが狂っていると誰も言わない!不思議!
なんなの?この腐った状態。
今時引っ越してもオンラインで交流続けるなんて普通にあると思うけど
「ディスク=ライセンス」だと、引っ越したらもうゲームは貸せない。
厳密にいえば郵送で送ればできなくはないけど、わざわざ余計な金かけてまで
貸し借りしないよね。
それをXboxOneは変えるはずだった。
どこに居ても友達は友達。オンラインで家族枠に登録すればゲームの貸し借りが出来るはずだった。
その感想を言い合ったり、そのゲームを友人がプレイしてる様子をTwitch.TVで見ながら
駄弁ったりできるはずだった。
単身赴任で離ればなれに暮らす親子でも、父親が買ったゲームを息子もプレイできるし、
一昨日までは。
俺は旧ポリシーが発表された時、「MS馬鹿じゃないの?」と思った。
それは「今抱えてる客の反発を厭わずゲームの在り方に革新をもたらそうとしてるなんて頭イカレてる」と思ったからだ。
ところが、ふたを開けてみれば結局MSは変化を恐れるビビり共のヒステリーに怯え、
抱えてる客が逃げることに怯え、自身の主張をあっさり翻し逃亡した。
発表前に方針転換して発表しなかったならまだいい。
でも、実際はもう発表してしまった後だった。
AmazonでXboxOneのタイトルがランクアップしてるとかホザくアホもいるけど、
瞬間最大風速でビジネスを語るのはバカのやることだ。
旧ポリシーがゲヲタの反発を受けることなんてわかりきってたはずだ。
社内でも推進派と反対派で相当揉めたんだろう。
それでも一度発表したポリシーを翻してうまくいくわけがないだろ。
他のポリシーだってすぐに翻すと思われるに決まってるじゃないか。
現に調子に乗ったビビり共が「価格を下げろ」だの「Kinectを外せ」だの喚きだしてる。
高給取りの社員ばかりのはずのMSがここまでバカだとは流石に思わなかった。
ガッカリだよ。
旧ポリシーの元ではユーザーは必ずオンライン接続環境を有していることが確定していた。
だからこそMSの「処理の一部をクラウドにアウトソース」というお題目に賛同する企業が
少数とはいえあったわけだ。
でも、今回のポリシー変更でその前提は脆くも崩れ去るだろう。
だって、全ユーザーがオンライン環境を有しているわけじゃない以上、
利益の最大化のために企業がどうするかというと、クラウド切り捨てるんだよ。
今キネクトが切り捨てられてるみたいにさ。
MS自身がXboxOneのインタビューで言っていたじゃないか。
「Xbox360のKinectは標準装備じゃなかったからサードに積極的に使ってもらえなかった」って。
そのKinectの立場に今度はクラウドが立つんですよ?わかってますか?バカなMSさん?
今既にクラウド前提で作ってるゲームだって今回の発表を受けて戦略の練り直しが行われるでしょう。
大切な株主の金を無駄にしないために、MSが全力で逃亡を図ったのを横目に見ながら
出資者の方々は「MSの口車に乗ってクラウド使うって判断したけど、ホントにそれでいいのか?」と考えることでしょう。
もしかしたらもう止められないレベルまで進んでしまっていてローンチ付近のタイトルは
でも、時間が経つにつれて今のキネクトのようにクラウドという言葉が風化し、
どうでもいいレベルでの実装もしくは無かった事になっていくでしょう。
クラウド用に確保したリソースはAzureにそのまま転用できるから
MS側の損失は大したことないでしょう。
従来通りの方針に立ち戻ったことで、身近な小銭はかき集めることが出来るわけですから。
痛い目見るのはMSの口車に乗ってクラウド使わされる哀れなサードだけ。
笑えるよね。てめぇの逃げ道はしっかり確保してるくせに、ビジネスパートナーは見捨てるわけだから。
これでMSが目先の小銭は拾えてもゲーム市場で敗北することは確定しました。
でも、ゲーム部門が消えたからと言ってMS本体には大した影響はないでしょう。
既にE&D部門にはAndroid端末のミカジメ料で潤う携帯電話部門やら
さまざまなデバイスに搭載されライセンス料がっぽりのSkype等、
小銭稼ぎにはもってこいのラインナップがそろってるわけですし。
そうか?
たまたま余計な一言が本質に迫ったというだけで、本人はなんにも考えてない気がするが。
あれは確かアニメ作品作るんだろ?
作品の品質に大きく関わる役者達に、ぶっちゃけお前ら技術とか要らんよなとのたまうあたり、アスペルガー症候群のケがあるような気がする。
ホリエモン「声優ってそんなにスキルいるの?」 「ものすごいいるよ」「やってみればいい」声優から続々反論
http://www.j-cast.com/2013/06/17177427.html
これを聞いてホリエモンが批判されまくっててずっとひっかかってたんだけど、先日やっとそのもやもやの正体がわかった。
一番難しいのは「生き残ること」、大塚明夫が「声優」という職業を語る
http://gigazine.net/news/20120506-digitalcreator-machiasobi8/
声優の大塚明夫氏がこの騒動前に大体同じような主旨のことを言っていたからだ。
高橋:
そのほか、今お話を伺ったこと以外でメタルギアという作品に関して、今日は講師としていらして頂いているので、講師として、この作品を通じて何か伝えたいことがありましたら。
大塚:
1つだけ言いたいのは、僕が声優を始めた頃と時代が変わってきてるので、同じことを言うと古いってことになるかもしれないんですが、やっぱり、役者になるっていうのは親から見たら心配なことなんです。何故心配するのかっていったら、大体が悲惨なことになるわけで、経験から親はそれを知ってるんですね。現実に声優になりたいとか俳優になりたいとかミュージシャンになりたいとかって大阪や東京に出てきて、ブームの時とか現実にものすごい数の人が都会に出てきたんですが、現実に、ご飯食えてる人って殆どいないんじゃないかなあ。どうしても、お仕事として捉えたときに、商売になる人っていうのは、本当に、ごく一握りだし。もし生き抜いて、勝ち残って、どこかの事務所に入れてもらっても、そこからが大変。サメって生まれる前にお母さんのお腹の中で共食いをして、勝ち残った奴が生まれてくるんだけど、それで外に出てきても別の生き物にすぐに食われちゃったりするんですよ。そういうのがリアルにあるんで。ほんとバクチなんですよ。僕らの時代なら人よりちょっと上手ければ見てもらえるっていうケースも考えられたんですよ。あれから二十幾とせが過ぎまして、世の中を見ていますと、うまい下手というのはさして変わらないんですね。それよりもやっぱり愛嬌があって、人好きがして、かわいがられる人じゃないとまず、チケットがゲットできない。で、その人が幸運に恵まれて、チケットをゲットできて、ぽんと売れて。で、ここで初めて技術力が必要になってくる。その時のために、必要にならないかもしれない技術力を磨く努力っていうのができるのかどうか。大抵の人は商売になりません。お金になりません。運がいいと人気者になれて、力があると、生き残っていける。でも幸運がなかった人は、力があっても売れずじまい。そういうリスキーな仕事を一生やれる覚悟があるかっていうことをまず、自分に聞いてみてください。40、50になってからじゃ取り返しが付きませんからねえ。
ホリエモンって、言い方を変えればとても本質を突く発言をしたりしてると思うのだが、いかんせん神経を逆なでするというか、わざと人の逆鱗に触れそうな言い方をしているのが勿体ないところだと思う。
お前は電話だけが迷惑だと思ってるだろうが、いらない人間に取ってはどんな営業でも迷惑なんだよ。
多分お前さんは電話が嫌いなんだろう。だから電話営業を特に敵視しているだけだ。
ところで、俺は今はWebデザイナーなんだが、フリーでやってる奴ら(法人にした奴もいたが零細だからフリーと大差ないだろう)にどうやって仕事を取るのか聞いたことがある。
「お客さんと仲良くなって紹介してもらったり、同業者と親しくなって仕事回してもらったり」だそうだ。
なんかさ、笑っちまったよ。
そいつらは立派なクリエイター()だから、お前さんと同じように電話営業なんて糞だと思ってるみたいだ。
「電話でしか仕事取れないIT企業なんてクズ。Webを使えないってことじゃん」って思ってるだろうよ。
悪いが、仲良くなって~とかコネつくって~とか、それのどこが営業なのかと思ってしまうよ。
営業っていうのは俺(営業)と客との騙し合い、駆け引きだ。
詐欺にならない程度のオーバートークもするし、ペコペコ頭下げたりもする。難しいカタカナを使って頭良さそうに見せたり、服装や腕時計もワンランク上のものを身につける。
電話はその一歩目だ。
お前もやってたなら分かるだろ。声の高低、勢い、方言、喋り方すべてを駆使しないとアポなんて取れんだろ。
まー言うたら声優みたいなもんだな。
人脈を巧みに駆使してゆっくりと相手の懐に入り込むやり方もある。
子供じゃないんだから、モノ売らないと金稼げないんだから営業自体なくなれとは思わんだろ?
お前が理想とする営業って何よ?
仲良しこよしで仕事恵んでもらうことか?
くだらねぇ。俺はたった一人で電話一本で勝負するほうがいいわ。
いわゆる腐女子だ。某ジャンルで活動している。二次創作を書いている。書いているのはBLだ。半生をやっている。ジャンルの空気というものについていけない。
半生なのにものすごく二次っぽい。いわゆる支部ツイジャンル。サイト持ちよりも支部で活動してる人のほうが多いと思う。オフする人もいるけど支部で十分って人も多そう。つべで見たって公言してる人も多い。一部のキャラが出るコーナーだけをニコつべで見たって公言して、それで描きましたってキャプションや同人誌のフリートーク的な部分に書いている人も多い。意味がわからない。
ツイッターでキャラの名前で検索するとホモ妄想がたくさん出てくる。半生ってこういうところだっけ。もうちょっと隠れてると思ってたんだけど。制作側がエゴサしてるってファンブックみたいなもので公言してる。一部の役者は番組名+キャラ名で検索してるのかたまに非公式RTでツイートに言及してる。それでもホモ妄想するってどういうことだろう。
そこから生に派生してる人たちもいる。生も支部でマイピク限定じゃない状態で置かれている。生物って私の知っている時代はurl請求制で、今ならマイピク限定だと思ってたけどここのジャンルは違うみたいだ。無法地帯というかルールを知らない人が大量に入り込んでそれでいいと思い込んで、そしてそれをどんどん真似してってるみたい。きっと他の生や半生ジャンルからは毛嫌いされててもおかしくないレベル。
ちょっとジャンルバレするかもしれないけど、公式がBL推ししてる部分がある。そこの部分絡みで2.5っていうより2.8ぐらいに位置するような企画があった。その企画絡みでまた生物なのか半生なのか微妙なものが増えてる。これは生物ではないからいいという考えなのかマイピク限定じゃないのがものすごく多い。生物よりも更に書きやすいのかもしれないけどキャスト名ほぼそのままでパロディ状態のものなんだからもうちょっと隠すなり何なりしてほしい。その企画に参加してない役者まで企画に参加してるかのように放り込んで二次創作するのもやめてほしい。それ最早ただのパロディ物。
そういうのが普通とでも言いたげなジャンルの空気についていけない。pixivで腐向けだろうと腐向けタグ付ける人自体が少ないし、腐向け隔離タグがやっと出来たけれどもそれに番組名を付ける人もまだまだ多い。エロもR-18はついているけれどもマイピク限定ですらない全体公開。ジャンルルールができるほど年月のあるジャンルではないと思っていたけど既に番組自体は3年近いのだからジャンルルールぐらいできてもいい。もしくはせめて半生のルールに従ったらいいのに。
そんなことを思いながらグーグルでキャラ名を検索したら二次創作ブログがひっかかった。fc2ブログなんて閲覧パスワードつけれるんだからつけようよ。
いちおう言っとくけど、私自身はサイトは.htaccessとロボテキで制限かけてるから検索にも中身は引っかからないし怪しげなロボットが来たら全部弾いてる。その程度はするのが普通だと思ってたんだけどなあ。
489 名前:ソーゾー君 投稿日: 2013/05/19(日) 18:29:24 ID:MYVolSFk
簡単に2号機は作れる・・自称拉致被害者と横田夫妻か「彼女は間違いなくめぐみさんです!」
と狂喜乱舞して日本政府がDNAも一致しますと続ければ再降臨だ・・
北朝鮮はめぐみの娘を見せて否定するわな・・めぐみの娘は偽物になる・・
新たなガキを連れてくるかな?年齢的にガキの一人や二人いても不思議じゃねーもんな・・
でもガキに役者が演じられるかがネックだから設定は独身って事にするかな?
当然、2号機は政治利用できる清楚な美熟女なのは馬鹿でも解るよな?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
479 ソーゾー君 [] 2013/05/19(日) 14:15:39 ID:MYVolSFk Be:
今も生きてるって俺が何時言ったの?
北朝鮮の言う通り「北朝鮮には居ない=死んでる」と言うのが事実じゃね?
横田めぐみは北朝鮮に恩はあるがサキエには怨みしかねーだろうしな・・
生きて帰国したら「利用価値はない」だろ?
日本政府=自民党=行政府=司法=自称拉致被害者と関係者=利権屋に取って横田めぐみは
お前は「北朝鮮の拉致はデマ」と言ってるよな?真相究明されて困るのは誰だと思う?
で・・何で今更訪朝したと思う?前回の訪朝も「あの時」だから急遽訪朝したんだぜ?
北朝鮮は冷戦終了後=ソビエト崩壊後からずーっと日朝国交正常化を望んで日本政府に
コンタクトしてるのは知ってるよな?「要するに日本政府が合意したら訪朝可能」
前回は選挙の為のパフォーマンスと水害で困っていた北朝鮮に要求を飲ませる為
そして「何の為に経済制裁をするのか?」を考察したら解るよな?
「北朝鮮は経済制裁されて困っているよな?」「ある程度の要求=デマは認める可能性がある」
今頃、日本政府は横田めぐみのソックリさんを用意してるんじゃね?サプライズだな…
親父はまんまと騙された・・息子はどうかな?
「横田めぐみのソックリさんを横田めぐみと認めてくれたら問題解決と見なし
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
489 名前:ソーゾー君 投稿日: 2013/05/19(日) 18:29:24 ID:MYVolSFk
簡単に2号機は作れる・・自称拉致被害者と横田夫妻か「彼女は間違いなくめぐみさんです!」
と狂喜乱舞して日本政府がDNAも一致しますと続ければ再降臨だ・・
北朝鮮はめぐみの娘を見せて否定するわな・・めぐみの娘は偽物になる・・
新たなガキを連れてくるかな?年齢的にガキの一人や二人いても不思議じゃねーもんな・・
でもガキに役者が演じられるかがネックだから設定は独身って事にするかな?
当然、2号機は政治利用できる清楚な美熟女なのは馬鹿でも解るよな?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
普通のアニメにしたってつまんない!普通の実写にしたってつまんない!両方を備えた歪んだリアリティが惡の華にさらなる生々しさを吹き込んでいるんだよ!
原作を知っててもなお引き込まれてしまうあのリアルな臨場感はただのアニメは生まれなかったし、ただのドラマにしちゃうと引っ張ってくる役者で色がついてしまうし、最悪役者都合でシナリオに手が加えられてナニコレ?になってしまう。
一部ヒロイン等に声優を使うことで役者のイメージがついてるかもしれないが、普段の声優としての色を消して演じられていることでそれは極力抑えられている。
春日は春日であり、仲村は仲村であり、佐伯は佐伯として見ることが出来ている。
作者は監督との対談で見ているものを漫画に落としていると語っていた。
つまり何が言いたいかって、演じてるというよりほぼオリジナルそのもの。
この歪な世界観で演じられているからこそこの作品はこの先何かやらかす。異様なテンションを孕んでいる。
と言うわけで今日は7話!この作品が語る変態の、その片鱗を見せそうな回ですね。
どんなシーンになっているのか非常に楽しみです。
生徒問う
歴史は現代に於いて何らかの役に、皆の為にならなければ意味を為さないという風潮が現代にはよくあると思います。
しかし、先ほどのベルグソンのお話の中で、自己流に信じていく、思い出していくことが大切だと先生は語られました。
その話を聞き、歴史の大事なところは、大きな力はそこあると思われるのですが、その点について、先生にお伺いします
小林、答えて曰く
悪い歴史観2つ
TVで役者が大公秀吉を演じてますが、あんなの秀吉じゃないですよ
現代の俳優が演じられるような男ではないですよ、秀吉は。よく読むとね
それと「本当はこうであった」という歴史。神武天皇なんて嘘だという歴史
歴史とはみんな信じられたものです。信じられた通りに信ずることが出来ないなら歴史は読まないほうがいいんです
これ本居宣長の説です。古事記の神話をみんなあの通りだと信じたんです。あれが神話時代の歴史であったんです
それが信じられないなら読まないほうがいいんです
白石が最近評判がいいのは、現代の歴史家はみんな「本当はこうであった」という歴史をやっているからだ
まず昔の人が信じた通りに、自分もそれを経験することが出来ないなら、歴史など読まないほうがいいのです
現代の歴史家で、そういう点を一番徹底しているのはクローチェです。彼はこう言ってる
歴史とは現代史だ。現代人が、ある史料を以て過去に生きることが出来るなら、歴史家と言えるのです
だから君、貝殻を生きることは出来ないじゃないか(考古学的な歴史は)
昔は歴史を鏡と言ったんです。鏡の中にはおまえ自身が映るんです
歴史は現代史というのは、現代の我々が、歴史をもう一遍生きてみることが出来るという経験を指して言うのです
古事記の言うことがどこまで嘘でどこまで本当かというのは学問であっても、歴史ではない。僕の言う歴史ではないんです
今歴史という言葉が非常に流行っているけども、一番忘れられているのは、鏡としての歴史です
増鏡とか今鏡とか、どういう精神で、心持で歴史を鑑と呼び書いたか、今の人がもう忘れてしまったことが、大変いけないことなんです
http://anond.hatelabo.jp/20130320200411
「本当は誰も作画を語れないのに、あえて語らないのだというポーズをする優越感ゲーム」気持ち悪いです。
ま、でも、難しいですよね作画語り。
演出語りをそこそこ「それっぽく」する人は多いですけど、その語彙は基本、映画批評からの輸入ですし。
アニメしか見ずに、アニメの演出を語れるようになった人っていないんじゃないですかね。
作画語りの語彙不足についても、結局は実写作品(映画や演劇)の批評から「役者の演技を語る語彙」を引っ張ってくるのが一番手っ取り早い気がします。
「そんなお勉強したくねーよ」「映画だの演劇だの、お高くとまりやがって」
と言いたくもなるでしょうが。
しかし、昔の作画オタクって、その辺の教養を身につけてる人が多かったような気もするのですが(特撮オタクは間違いなく多かった)。
今はそうでもないのかな。
ニュースのインタビューなどで取材対象が涙を流した途端に目元にズームインするのが嫌いだ。「ホラホラ、涙が出てきたよー」ってがっつく感じにズームインするので報道側の意図が感じられて醜い。なんとなくクソにたかるハエみたいだなと思ったから、個人的にこういう安易で陳腐なカメラワークを「涙バエ」と呼ぶことにした(別に、涙=クソと言いたいわけじゃないが、役者でもなきゃ泣き顔って人に見せるようなものじゃないし…)。震災以降この手法が多すぎて気に障る。インタビューして、涙を流させて、ズームして、ホラかわいそうでしょ?みたいな手法は対象者に失礼なんじゃないだろうか。「目は口ほどに〜」と言うが、こういうやり方は目に語らせるというよりもむしろ積極的に対象者の口を塞ぎにかかっているように思えてならない。
『わっしょい!南やばしろ町男根祭り』にまつわる書き散らし - 適刊・近衛虚作
芝居見るのひっさしぶり.
プロデュース公演って聞くと,
ただ,↑で挙げた「劇団の制約」は割と芝居の面白さにいい意味でも悪い意味でも影響してくるわけで,
作品そのままを味わいたい場合は,プロデュース公演の形が向いていると個人的には思います.
面白かったです.
峯岸みなみが反省の意を込めて丸坊主にし、それを事務所・運営公認で公式動画で配信されている件について。
峯岸みなみの動画は一般的にみて「痛々しい」と思わざるをえない。たぶんそれが普通の感覚だろう。もし彼女が自分で勝手にやってきたとしてもこれはさすがに「ノー」である、髪が伸びるまでは謹慎させ表舞台に立たせないなどの判断を下すべきだろう。それどころかカメラを構えて泣いている彼女を撮り公式動画としてネットで公開するということになっているわけである。これについてはほとんどの人が”気持ちの悪さ”を感じたのではないか。
アイドルが坊主頭にして反省することは法律で禁止されているわけではない。しかし私はこれを「自傷行為」だと考えるし程度の差はあれどリストカットをしたり指を詰めたりと変わらない行動だと感じる。いかにそれが芸能界の厳しさであったとしても、結果としてそういった行動をさせてしまったシステムや運営としての責任を考え、どうにか世間に見せない方策をとるべきだった。
これを彼女が自分でやったことなどと言って論点を誤魔化すのは、どこぞの宗教団体が「実行犯が勝手にサリンを撒いた」と言っているようなものである。
実際この動画がどういった経緯で撮影され公開されたのかは定かでは無い。秋元康のOKでやったのか、支配人のOKでやったのか、事務所が勝手にやったのかはわからない。
暗黙の了解としての”恋愛禁止、それを破ったら処分”というルールを持たせている運営は組織としての責任を持って、”破った場合の対処方法”を彼女と一緒になって考えるべきだったのではないか。
また、彼女本人について言えることといえば、彼女の精神状態についての仮定である。
私はこう推察する。
法律に違反しない以上、彼女が男性と交際しようが丸坊主にしようが、その行為への賛否であり彼女への評価は彼女のファンがそれぞれ決めることである。男遊びが激しくても別に気にしないよ?というファンもいるだろう。
まず、峯岸みなみはバラエティを得意とする結成当時からのメンバーであり、個としての人気は総選挙14位と、トップのメンバーとは言い難いものの、仕事や待遇、地位の面ではそれなりに確立されているものだと考えられる。現在20歳の彼女は13歳のころからAKBとして活動しており、一般人としては学歴や職務技能等の金銭獲得能力はそれなりに低い。現在の年収は明らかではないが、500万~1000万程度はあるのではないかと推察される。
先日ISSAとの交際報道で脱退し、さっぱり音沙汰がなくなった増田有華とは少し事情が違う。増田有華は目立った特技もなくかつ総選挙26位というあまり重要なメンバーではなかった。報酬の額もそれほどでもないだろうし、ルックス的にも”バラエティ顔”の峯岸みなみよりもイケメン男性にモテるタイプだろうし、役者としての能力もあるようだ。AKBをスッパリとやめて他の人生を考えてもそれほどの違いは無い。前田敦子の場合はレジェンドオブAKBとして今後もやっていける自信があっただろう。最近脱退が相次いでいるSKEなどのメンバーも同様で、人生について天秤にかけているのである。
しかし峯岸みなみの場合は、本当に「今AKBを辞めてテレビから消えたら本当に何も残らない」という一発屋芸人並のメンタルだった筈だ。
何も残らないわけではないにしろ、金銭面で大きな落差が生じるのは確実である。それゆえの丸坊主行動、というか、もしも丸坊主じゃなくて例えばどこぞのお偉いさんに対する肉体接待で許されるなら、そこまでもできたのではないかろうか。
そもそも前田敦子のケツ出しなども含め、彼女達の一部では”遊びたい”という意味での鬱憤は相当に溜まっているハズだ。恋愛禁止という暗黙の了解があったとしても、本質的な欲求として、必ず一定の割合でそういう子は出てくる。青春という一度しか無い時期に遊びたいからリスクをおかして遊んだ、でも金銭含めて地位を失うことは受け入れがたい、であれば”丸坊主にして話題にもなり、再度チャンスを”という判断は個人としてわかりやすい。
これは反省とかそういう意味ではなく(そもそもナニに反省すればいいの?)、彼女にとって最も合理的な行動なのだ。
そもそも彼女達の大事な人生を奪ってまで恋愛禁止として人気の有無に関わらず厳しいルールにするのか、それとも恋愛を解禁し、万が一の場合でも処分を含めて辞退等を許さず、あくまでファンの賛否に委ねるのか、そういったことを運営としてしっかり態度に出して行かなければならないだろう。
より良くなって欲しいという強く純粋な思いがあるので、ファンの目線から考えてみる。
勝手ながら厳しい意見も記述しているが、自分は間違ってもアンチではないと断っておく。
※「女性向けジャンル」の中の一作品という観点で書いているので違和感がある人にはお薦めしません。
長文ですみません。
・現在は熱狂的であった頃より落ち着いて応援している
・他作品も好きで声ヲタ。声優イベントもたまに参加。個人ライブに行くほどではない
・ミュは行ける時に行く。ミュヲタと言えるほど詳しくない
テニスの王子様という作品については、その概要について語るまでもないだろう。
今更「本来は少年誌のスポーツ漫画で~」なんて野暮過ぎるので、ここでは女性向け巨大ジャンルとして扱う。
自分がファンの現場において実際に交流していて思うのは、メディアミックスや二次創作ブームにより同じ「テニプリ」ファンでもその実態があまりに異なることである。
(もちろんそれは人の数だけ存在するわけだが)原作を読むだけのファン、声優から入るファン、ドキサバ等乙女ゲーム系から入るファン、友達に誘われミュージカルに行くだけのファン、ニコ動等でネタから入ったもののうっかり萌えてしまったファン…など、その裾野は驚くほど広い。
誰のファンであるか尋ねると、数や深度はそれぞれだが大体は明確な返答がある。
まさにアイドルのチームや組分け、推しメンや担当、イメージカラー等と同じ仕掛けになっている。昨今の女性向け作品のそれらのように最初から意図されていたかは解らないが、キャラクターの単純数や魅力に加え、設定に十分な糊代があることや入りやすさ等、多くのファンが形成される理由には事欠かない。
▼キャスティングについて
ご存知の通り、テニプリはキャスティングをネルケプランニングに一任している。
よく知らないという人は、ネルケプランニングについての記事について一度、目を通すことを勧めたい。
業界関係者ではないのでこの記事の真意は解りかねるが、「ネルケ声優」と聞いて思い浮ぶ名前がこの作品には揃っているため、当時何も事情を知り得なかった自分でさえ「変わった声優をキャスティングしている」ことは感じていた。
これについてはやはり賛否両論である。これは自分の見解だが、役に合っていて芝居が上手ければ何も問題は無いと思っている。ギャラや組合のことは外側の人間には解らない事なので想像の域を超えないが、これだけ大人数の登場キャラクターが居るのであれば、当然予算の問題もあるだろう。
しかしその結果、他人気作品ではあまり見かけない顔ぶれが揃うこととなる。(もちろんこれをきっかけにブレイクしていったキャストも多いのだが)それはファンにとっては良い点も悪い点もある。
その理由を考察すると―結果論に過ぎないのだが、キャストの「作品への思い入れ」が大きいからであるように思う。
異業種からキャスティングされた者は「アニメ声優」としての参加作品が少ないため、その一作品(一キャラ)あたりの思い入れが大きくなる。
この一体感はその「思い入れ」による熱量に由来しているように見えるのだ。
そして元々は異業種であった面々が集まったことで化学反応を起こし独特の交友関係を築き上げている。
(プロとしてどの作品に対しても平等に取り組むようにすべきであろうが、作品ファンとしては嬉しいものなのでここでは良いこととして進める。)
http://blog.excite.co.jp/naru-kawamoto/14801511
彼は一般的にはお笑い芸人として有名だが、その活動は多岐に渡っている。舞台俳優、パーソナリティ、音楽活動、そして声優など。
彼が立ち上げた「時速246億」の舞台にはテニプリ関連キャストがゲスト出演することが多い。
「タレントが声優をやる」ことについて負のイメージを持つ者も多いと思うが彼の活動を見ていると双方の活動に良い出力が出来ているのではないかと考えさせられる。
現在「声優」という職業の仕事の幅は広く、役者的側面だけでなくナレーションや音楽活動なども含めるため一概に括れず、本人たちも「声のお仕事」と表記することが多い。線引き自体が不毛である。
川本さんはそういった区別や括りに良い意味でこだわらなかったため、現在の活動はテニプリ関連の交友関係による影響が大きいように見える。「タレントが声優をやる」という枠組みでは語れないほどの様々な表現活動を行っているのである。
これはほんの一例で、他にもテニプリをきっかけとして舞台やイベントなどでキャスト同士が共演しあっているシーンも多く見られる。
(余談になるがネルケプランニングの野上祥子さんという方がその関係作りに大きく影響を与えているように思う。「のがしょの結婚式に青学全員揃った」と以前語られていて、その深い交友関係が伺える。イベントの舞台裏映像などで学校ごとに点呼とってるのが本人かと思われる。)
しかし、この「作品への思い入れ」については問題点もある。それは後述するとして、このキャスティングがもたらした状況をCD展開と合わせて考察する。
▼キャラクターソング展開について
参考:Wikipedia「ティー ワイ エンタテインメント」
こちらもご存知の通りだが、テニプリではアニメキャストやミュージカルキャストがキャラクターとして歌う、所謂キャラソンが大量にリリースされている。
この展開については、明確な仕掛け人がいる。「松井P」と呼ばれる「松井伸太郎」氏である。
イベントMCをつとめたり顔出しを含め表に出ることが多いため、ファンの間では有名な存在だ。
最近ではどの作品でもアニメやゲームに合わせてキャラソンを出すことはもはや定番の流れであるが、松井氏の手がける作品の印象は、有名アーティストに楽曲を依頼したり、キャラクターやキャストの人気を判断してから出すのではなく、とにかく「面白そうな企画であれば気軽にリリースする」という感じだ。
もちろん素人目に見てだが、テニプリについては正直「これ採算がとれるのだろうか」と心配してしまうような企画のCDでも次々にリリースしている。
松井氏はキャスト自身に作詞をするよう提案する。中の人ファンはもちろん喜ぶし、確かに全く作品に関わっていない第三者に依頼するよりは、そのキャラクターを自ら演じたことのあるキャストに依頼した方がキャラクターソングとしての深みが増すということだろう。もしかしたらコスト面でも有利なのかもしれない。
しかしその「やってみないか」は作詞のみならず作曲やコント台本等にまで及ぶこととなった。
キャストに意欲と時間があればリリースする。その結果、出来上がったものを見ると明らかな偏りが出来てしまった。
事情を知らない者からすると「何故このキャラでこんなにたくさんCD出てるの?」といった具合である。
内容も原作からは少しずつ遠ざかり、ほとんど二次創作のような…俗に言う「キャラ崩壊」の状態のものもリリースされることとなる。
極端な言い方になってしまうが「テニプリ」という作品を一つのきっかけにして役者やクリエーターの発表の場にもしているように感じる。
これ自体が悪いことであると伝えたい訳ではない。
通常の漫画原作アニメ作品だと、アニメや原作の終了とともにその人気は落ち着いていくものだが、テニプリはミュージカルを始めラジオやゲーム・グッズ・CDリリースなどメディアミックスが根気よく盛り上げ続けていたおかげで現在の人気に繋がっているとも言えるからだ。
自分はラジプリリスナーということもあり、テニプリ新譜は全体的に把握しているのだがそういうファンは稀であり、ほとんどは好きなキャラの曲や気になった作品のみを購入して聴いている。
製作側もそのつもりで、気になったものだけ買ってくれということだろう。商業的であることについて嫌悪感がある者は買わなければ良いという話なのだ。
繰り返すが、これ自体が問題点ではない。
この「キャラの私物化」がイベントに反映されることに問題を感じているのである。
長々と書いてきたが、改めてここで言いたいことはタイトル通り「テニプリフェスタの問題点」と「要望」である。
ここで言うテニプリフェスタとは、「アニメ」テニスの王子様が開催・DVD化している一連のライブイベントの総称として扱う。
http://www.tenipuri.jp/festa2011/archive/archive.html
これまでに以下3回行われており、すべて映像化されているものだ。
すべて2回以上の公演があり、規模は年ごとに拡大している。
アニメが盛り上がっている時期または開始前にキャストのトークや歌のライブを行う作品も今では珍しくないが、テニプリのアニメ放映期間が2001年~2005年ということを考えると開催のタイミングとしては遅すぎるように感じる。
なぜ人気絶頂の時期に開催しなかったのかは解りかねるが、現在でも毎回チケットは完売・満員となる人気公演である。
初回の100曲マラソンは、その名の通り多くのキャストがマラソンのように次々と交代しながら100曲歌い切るという公演であった。
キャラソンが大量に出ており人気作品であったにも関わらず、全体のライブイベントが開催されていなかったので、まさに満を持してという言葉が相応しい熱いライブであった。
選曲もファンの間では有名な全盛期の楽曲を中心に、楽曲の人気投票の結果を反映させたセットリストとなっていた。
しかしⅡで述べた通り、アニメテニスの王子様の楽曲は偏りがある。
当然ファーストライブと全く同じセットリストで進めるわけにはいかないため、2回目以降はキャラクターの2枚目以降の曲やアルバム曲・最新曲など、言うなれば「しっかりとキャラソンの情報を追っているようなファン」でないと聴きなじみの無い楽曲も見られるようになる。
それでもキャラクター色の強い楽曲であればテニプリファンとして盛り上がることが出来るが、先述の通り事情を知らないと解らないような内輪ノリの楽曲も多いのでここでどうしても盛り上がりに欠けてしまう。
そしてⅠに述べた「テニプリファンの多様性」が問題となるのだ。
毎日「テニプリ」や「テニプリキャラ」のことを考えている「テニプリファン」は、「テニプリフェスタ」と聞けば当然の感覚として参加を希望する。
しかし実際に歌われるのは、ほとんど「キャラソン」というものから遠ざかっている楽曲ばかりである。
期待していたイメージとは少し違うということも多々あるだろう。
(ここからは大変失礼な自分の見解であるが)更にその出演者は他人気作品ではあまり見かけないキャストも多く、また10年以上続く作品とあって出演者の年齢層も高めになっている。またこれはテニプリに限ったことではないが、キャスト全ての歌唱力がその会場の規模に見合っているとも限らない。
テニプリファンの層は10代~30代女性が圧倒的に多く、その多くが「アイドル的に」キャラクターにはまっていることを考えると、そのギャップは何とも言いがたい「違和感」として残る。
この感覚こそが今回記事を書かせてもらう一番の動機となった部分である。
実際、原作もアニメも初期から好きで、歴代のテニプリフェスタにも参加してきた友人ですら「テニフェスは今後も行くかどうかは解らない…」というような発言をしている。既に付いていけなくなっているのだ。
さて、文句ばかり述べているのではただのアンチと変わらない。
これを踏まえて「要望」を書いていきたい。
ただ、もちろんイベントの企画やプロデュースなど全く携わったことの無い素人なのであくまで「ファンとして」「こうだったら楽しめるのではないか」と思えるものを考えてみた。
①作品共通のテーマソングを作る
アニメのテニプリではしばしば記念となるCDをリリースしている。
その中でも特に作者の許斐先生が作詞をしているものについては、ライブのオープニングやアンコールなど、そのイベントの最大の見せ場に歌われる。
「Dear Prince~テニスの王子様達へ~」「テニプリっていいな」「Love Festival」などがそうであり、どれも名曲ばかりである。
(余談になるが、原作者が作詞作曲から歌唱まで参加することについて賛否両論ある。自分もステージで歌われると流石にちょっと笑ってしまう一人なのだが(笑)、先生の歌詞は一貫して「テニスの王子様」のストーリーの軸や「ファンに楽しんでもらいたい」という姿勢を崩していない点においてもとても評価できる。
先生のこの姿勢はライブDVDの特典映像、舞台裏などで見ることが出来る。
ライブ直後にキャストにかけた言葉が「(ファンの)みんなも楽しんでくれたと思います」であった。キャストを労うよりも先にまずそちらを意識するところが原作者でありリーダーらしいと思う。)
しかし実際こういった曲でさえ、やはり「しっかりとキャラソンの情報を追っているようなファン」でないと知らないことが多い。
そこで、こういった作品全体がテーマとなっている曲を、ミュージカルやゲームなどと共通して使用してみることは出来ないだろうか。
ファンの現場からすると、例えばテニミュファンとカラオケに行った時にお互いの曲を知らないということが多々あり、もどかしい思いをするのである。
ライブに参加し実感したのは、「キャラクターが映像として映し出された瞬間」に会場が一番沸くということである。
あくまでここに来ているファンの多くは「キャラクターのファン」であってキャスト(声優・ミュージカルキャスト)のファンではない。(もちろん付随してそちらのファンになるわけだが。)
生アフレコや思い出のシーン紹介などはとても良い企画だと思う。ライブ部分にもう少し「キャラクターそのもの」を登場させて欲しいのだ。
映像だけでなく台詞などでももう少し「キャラクターそのもの」が登場する割合は増やせるのではないか。
③王道の曲をやる
なかなか全ての楽曲を把握している者は少ないと思うが、それでも多くのファンが知っている有名な曲というのは存在する。
例え既に披露されていたり10年前の曲だったとしても、年に1回(か、それ以下)しか行われないライブであるので、やはりファンは「待ってました」と思い喜ぶのではないだろうか。
また、キャラクターソングということを抜きにしてもこの作品には隠れた名曲が多い。
完全にランキングやリクエストでセットリストを作成するなど、ファンの希望に沿ったライブもアリなのではないか。
ちょっと離れ業のような意見だが、例えば「ジャンプフェスタ」のように、展示と物販・フードなども交えたキャラクターイベントにしてしまうのはどうだろうか。
流石にブースごとのステージは難しいと思うが、そこは別ホールへ入替制にし、内容もライブパートとトークパートに分けても良いかもしれない。
展示やフードは学校ごとのブースを作ったり、ナンジャタウンのようなゲームコーナーを設けるのも良さそうである。
ライトファンを含めれば、テニプリは単独でこれくらいのイベントを開いても問題がないくらい関心のあるファンが多いと思っている。
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【まとめ】
気づいたら異様な長文になっていた。ここまで目を通してくれている人がいたら本当に感謝したい。
述べたいことをまとめると
Ⅰ「テニプリ」ファンは想像以上に裾野が広く、そのはまり方は実に多様である。
Ⅱそれに対してキャラクターソング展開は偏りがあり、全体的に内輪ノリである。
Ⅲその状態でテニプリフェスタを開催するとギャップが生じ、せっかくのファンが遠のいてしまう。
それぞれのメディア展開同士で歩み寄りを見せてはどうだろうか。
ということである。
最後に、個人的にはテニプリ自体は言うまでもなく、キャストの一体感とそのテニプリ愛が大好きである。
武道館での涙は本当に感動した。思わず自然と一緒に泣いてしまっていた。
少しでも長く、彼らの活動を見ていたい。だからこそ、やはり二次元の原作である「作品」に立ち返って欲しいのである。
これを機会にこのライブについて皆で一緒に考えて欲しいというのが、今回の期待であり自分の願いである。
以上です。
声優ファンがジブリは声優を使わないから駄目だと叩いているのをよく見る。
これは間違いだ、だって声優好きじゃない人からの同意を得にくい。
ジブリは声優を使わないジブリらしい雰囲気を既に確立してしまっている。
寺田のムスカ、糸井のお父さん、キムタクのハウル、加藤のジーナ、美輪のモロや魔女、菅原の窯爺、夏木の湯婆婆、我修院のカルシファーやカエル、森繁の乙事主、西村の甲六、山口のリサ、所のポニョパパetc
どれも味のある声で作品と役の雰囲気づくりに大きく貢献しており、声優のくせのないしゃべり方はジブリ風にあっている。
大体普段萌えアニメで媚びた処女膜声を出しているアイドル声優が、ジブリに起用されたら今の役者などよりよほどクオリティの高いジブリらしい作品になる!と思っているのは声優ファンくらいだろう。
そもそも処女膜から声出て居ないなどと普段から声優が売っているのは処女膜、処女膜アピールのない声優は屑以下の存在価値しかない3流アイドルみたいな言動をしているのに、何で声優の技術を持ち上げたがるのか理解できない。