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2021-04-04

元Googlerの謝罪文のまずい点と教育者として言いたいこと

前提として、以下を読みました。

1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31

2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755

3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02

ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。

教育者?

私は教員ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社Googleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代ちょっとかじった程度で歴史コミュニティに詳しいわけではありません。

1の記事についても賛同異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネット怪文書程度の位置づけで結構です。

謝罪文としてまずいと思うこと

いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。

教育哲学児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります

相手のためを思ってやった

ちょくだいさんには、かなり感謝配慮をした文章を書いたつもりでした。

宣伝までしたくらいの気持ちでしたよ。

他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。

ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。

相手自分は違う人間から自分がしでかしてしまたことで相手をどれほど傷付けたのか、自分にはわからない。

から「これくらいの謝罪OKでしょ」なんていう自分基準相手に当てはまるとは限らない。大体の場合は当てはまらない。

https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。

この文章タイトルに示されるような謝罪であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています

余談ながら、謝罪本質中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります経験上、成績がよく普段問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的体感ですので一般化はできませんが。

誤解した側が悪い

これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明本来意図をご説明させてください。

先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来意図説明不要です。

背景と意図説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれものですから、そのとき真摯に伝え直すのみです。

誤解した側が悪いという論法になっています

第三者を巻き込む

私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。

nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなた事情説明する必要もありません。

また、自分鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。

教育者として避けてもらいたいこと

言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります

結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。

自身常識他者常識と思いこむこと

そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。

発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。

特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。

過度な一般

5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。

唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます

歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手教育に携わっていればどうやってもわかることです。

ですがこれを理由にしてこちから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。

自分とは異なる環境にあり、関わらないであろう人間への想像力の欠如

Google 入社は、えらくもないし、すごくもないし、むずかしくもない」と我々は心から思い、言い続けています

私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます

ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート障害ハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます

1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。

まさか戦後まれ大学院に行くことが人生選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。

自分が関わるであろう人間への想像力の欠如

とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当エンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。

ちょっとした怒りが湧きました。

今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります

このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります

教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。

この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。

狭量な教育論をバズるための方便として利用すること

「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィー教育関係問題意識の話を突っ込むとこうなります

1の記事における教育関係問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれ教育関連の話が、自身記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます

自身教育論を手段として使われることは主張自体価値正当性毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。

特に教育一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミック領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題バズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります

以上が教育関連で私が主張したいことです。

他にも読解に失敗している箇所や、知人であれば看過できない・諌めたい箇所も多々ありますがここまで。

anond:20210404153954

貧困当事者意見無視した貧困支援とかアカンで

ソーシャルワーカー希望をなるべく聞く方向で貧困からの抜け出す方策実践しないと当事者積極的に取り組まんのも分らんならいっちょ噛みすな

女性社会進出には弱者男性犠牲必要

女性管理職になろうとしたら、自分を支えてくれる弱者男性専業主夫パート主夫)が必要であることに皆薄々気がついている。

高学歴の男女同士の結婚なんて、転勤等の問題によって成立しなくなるからね。

しかしそれは、今までフェミが散々批判して来た「専業主婦奴隷」のような話を、今度は自分たちが実践することを認めることになる。

なのでフェミリベは弱者男性問題直視することは絶対に無いよ。

2021-04-02

新入社員向けのアドバイスみたいのを見かけるが…

逃げることばっかり書いてあって、最初から逃げ道だけ教えてるってマジで駄目って事に気づいてないんだろうなって。

極論で言ったら「明日、月曜だから仕事行きたくないから逃げるわ」ってこの程度で逃げる奴が出来上がるんだけど。

働く前から堕落に向かわせる助言もどきばかりしてどうすんの。

人生楽なことばっかりじゃないって話。

嫌なこともあるけど、逃げてばかりじゃ解決しないものもあるからって話から進むなら分かるよ。

だけど「大半が嫌だと思ったら休職してください。仕事を辞めるか検討する時間を作りましょう」とか言ってる自称人生の先輩様なんてのもいたけど

いや、そんな事で休職するなら数日休むなりして、さっさと仕事をやめろよと。やる気のないのが居たってしょうがないだろう。

散々悩まれ挙げ句に、だんまりしてフェードアウトするくらいなら辞めたほうが企業も本人も得するんだよ。

休職されたら要らない従業員が在籍し続けるわけだ。その上、休職して復帰、休職して復帰のコンボが発生する可能性もあるし。邪魔でしょ。


逃げていいって言葉だけじゃなく、逃げるだけじゃどうにもならないってことも説明しろよと。

どいつこいつも逃げることばっか勧めてるの。逃げるくらいなら働かないでほしいんだよな。

研修も1日目の会社説明会だけで逃げるやつもいれば、

自分大丈夫です、即戦力になりますよ」なんて自信ありげな子が初日に客とまともに話すことも出来ないのにクレームくらって逃げるとかね。

こっちはわかってるんだよ。君等新人即戦力にならないことは。

知識だけあっても実践は出来てないんだから、うまく出来るわけがない。だから最初に言うんだよね。

最初はうまくいかないし、うまくいってもラッキーだった程度に考えたほうがいい」

「でも、うまくいったらうまくいった感覚は忘れないでね」

ってね。

それを働く前に「辛くなったら逃げていいよ!(どや」って新社会人に言っちゃう人。

本当に働いたこあんの?ほんの数日働いたふりして逃げてきた奴らじゃないの?って思っちゃうのよ。

おかしいんだよ。最初から逃げることしか言わない奴。


ホント迷惑だわ。最初から免罪符配っちゃうアホたれ。

2021-03-31

アンチフェミだけど「反出生フェミ」はわりと好き

思想実践一貫性があって好き。

というより「結婚出産否定しないフェミ」の方がおかしいのだが。男と番って家父長制再生産してるやーん、加害者としての男児被害者としての女児再生産してるやーん、って思う。

他の男と違ってアタシの連れ合いだけはフェミニズムに理解ある彼くんだから法律婚しても家父長制の強化には加担しない、自分の息子は絶対フェミニズム的にコレクトネス女性を加害しない男に育ててみせる……バカじゃねぇの?

たいてい自分より稼ぎの良い(少なくとも腕力は強い)夫に庇護されながら妻が子を産み育ててる時点で愛というオブラートに包んだ家父長制なんだっつーの、個人的なことは政治的ことなんだっつーの!

息子を絶対フェミニストに育てるとか、そこまで子供を親の思い通りにできると思う傲慢が怖いわ。そんな抑圧的な母親に育てられたら、高確率で女すべてを憎むミソジニーモンスターが生まれるわ。

少なくとも妊娠したのが男児だったら中絶すると言えないフェミは信用に値しない。

もし子供を産み育てるにしても、オスは種だけ絞って殺す、男児が産まれたら殺す、女児だけ育てる、女だけの町で生きる、というアマゾネスであるべき。

anond:20210331163515

刀が指揮官を表すものっていうのは明治以降認識だよ。

刀は足軽でも装備しているのが普通。というか刀はおびただしいほど出回っていてすべての男が装備しているのが普通だった。

槍は「長さをそろえる必要があったので」支給される場合が多いが、使える場面がむしろ局所的(戦の序盤か早期に決着がつくときには集団が密集しているので強いが、だんだん長引いて来ると雑兵士気が衰え撤退も増えるので槍の特性があまり生かされなくなってくる)。

また足軽そもそも槍で人を倒すのではなく槍衾で敵の動きを制御して誘導する役割だった。足軽は大した戦闘訓練も受けていない場合が多いからもっぱら補給戦闘補助。

実質的戦闘員は場面によって槍も日本刀も使う。だが槍はかなり重いので早期に決着がつかない場合はとてもじゃないがいつまでも使えるものではない。そういう実践的な視点がないと槍長いじゃん強いじゃんという短絡的なもの見方しかできなくなる。

2021-03-28

anond:20210328122157

設定が雑なので雑に書くぞ。URL貼りすぎると投稿できないから所々自分で見つけて。

ガチ初心者

ほぼ初心者Udemy

Udemy終わったら本

DeepLearning

理論(というか↑で紹介してない本)

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

良識人を気取るためには、核心部分の事実認定をしないでコタツ記事ツイート)を書くと良い

まりこういうこと。

Yahoo側のこの一斉削除はいただけないなあ」

↓(その後)

Yahooちゃん説明掲載していて偉いと思った」

これこそが簡単良識人を気取れるメソッドだ。

その事実が正しいのか否かということには一切触れず、事実は正しいものとみなして記事を書くのだ。

この書き方なら、たとえその事実が嘘だったとしてもダメージは負わない。

それどころか「あの記事の内容、嘘だったのかあ」とでもつぶやくことでさら良識人が気取れる。

こういう記事コタツに入っているだけで量産できる。

良識人を目指す人はこのやり方を実践するといい。

anond:20210328102846

ツッコミどころ満載。

結婚によるリタイヤ

 →すぐ復職できる環境があればいいし、すでに実践されつつある。

  出産休暇は女性固有として、育児休暇男性がとってもいいんだしね。

うつ病が多い

 →ホルモンなどの性差問題は確実にあるとして、今の罹患率には女性差別に起因するストレスも確実に含まれている。

  さらに、他の経営上に必要な要素を一切無視して、うつ病罹患率有意差を語るのはどうなの?

  経営上・人事上のリスク支配的要因は他に「ごまんとある」と思うけど。

2021-03-25

anond:20210324210750

CMとしての是非もそうだけど(非だけど)、ちょうど今森会長やらオリンピッグやら呉座騒動といった性差別問題が頻発していて、「ジェンダー平等を掲げること」それ自体必要だ(声をあげることが重要だ)と言われているという背景もあると思う

謝罪文でも「議論を越えた実践」みたいに言われていたけど、むしろ議論が足りてない、まだまだ世の理解を深めていかねば、っていうタイミングでこのCM出すって時勢全然読めてなくて乾いた笑いしかでない

解釈については作り手の意図としては元増田の言う通りだと思うけど、結局は広告なんて見た人がどう捉えるかが全てなので……ちょっと飛躍してでも良い解釈をしてあげるには、CMに誠実さが足りなさすぎる

("間違った"解釈肯定してるというか、制作者の意図を丁寧に読み取ったところであまり批判ポイントが変わらないので)

2021-03-24

anond:20210323181700

そして開発側も「初心者努力してないだけ」なんて無責任な考え方をしているのか、格ゲーというジャンルが始まって30年も経つの改善されていない理不尽

この手のお気持ちに多い「努力」って

練習をして実践でも出来るようになった結果

を指してるのに、それを放棄して「努力ってなに?」みたいな

悲劇のヒロイン語りしたがるのなんなん?

2021-03-23

饅頭って

しかしたら自分の確固たる思想なんて何も持ってなくて

単にネット上の売文で稼ぐにはどう振る舞えばいいのかを突き詰めて実践してるだけなのかもしれないな

西野イケハヤはあちゅう同類だったのかも

聞くは一時の恥だが聞かぬは一生の恥

それを実践したのがソクラテス

2021-03-21

風俗の紹介はあるのに増田で一人で野球を見る話はない

切符いくらするのかとか入場の時に饅頭は誰に渡したらいいのかとか実践的な知識を教えてほしい

理解のある彼女ちゃんが欲しいなら理解されパワー上昇トレーニングしろ

「女には理解のある彼くんが現れても、男が理解のある彼女ちゃんに救済されることはない」という意見がある。

しかし実際は性別無関係で、理解されパワーを上げれば理解者が獲得できる。

女性は幼少時から理解されパワー上昇トレーニングを積み重ねているので理解されがち、ということだ。

から男性も、遅まきながら理解されパワー上昇トレーニングを開始するのがよい。

「男は年収社会的地位を上昇させることで女を獲得するのであり、それしか方法がない」、というのは間違った思い込みだ。

やってみないとわからない。

「女はチヤホヤされる、男は愛されない」と嘆く前に、理解されプロ理解されビヘイビアをよくよく観察して実践する。

理解されパワーはだれでも身に着く。70点くらいにはなる。そうすれば理解者が一人くらい出現する。たぶん。

コミックエッセイとか読めばいい気がする。

2021-03-20

それでもブレストなら無罪

佐々木宏氏の発言やそれへの批判について。ブレスト中の発言なら、差別だろうが何だろうが責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

よく知られている通り、ブレストとは、集団で良いアイディアを出す方法で、

1. 粗野な考えを歓迎する

2. 批判しない

3. 質より量を重視する

4. アイディアを組み合わせる

等が大事であるとされる。

もっとも、今や「ブレスト」という言葉自体はアホでも知っているので、きちんと方法論通りに実践されていることは、むしろ稀かもしれない。

本人すら、その提案は良いと思っていない

ブレストである以上、一般には、その発言をした本人すら、その提案が良いとは思っていない。

もちろん、全くの粗悪なアイディア提案するわけはない。「欠点はあって当然」「一部に良さがあるかも」というレベルであっても発言し、聞き手はその欠点批判することなく、良さ活かしながらアイディアをふくらませるのがブレストの正しいやり方だとされている。

今回の話題で言うなら、差別的だという欠点自体は後で修正するという前提で、例えば

という程度の考えで、渡辺直美に豚の格好をさせる提案をしても良い。

重要なのは、そのような提案をしたからといって、本人すら、その提案が最終案として良いと思っているとは限らないということだ。

実際、私自身もあえて偏見を混じえた非倫理的提案をすることは多い(その場合、対面コミュニケーションなら、自分で苦笑しながら提案するなど、倫理的問題があるという認識自体は共有しながら発言することが多い)。

ブレストとはそういうツール/ルールであるということが理解されるべきだ。

したがって、ブレストでの発言倫理的責任を問うのは非常にナンセンスだ。

同様に、ブレストでは質が低くても良いという前提で発言される以上、提案内容を切り出して「面白くない」などと質を批判するのは全くの無意味だ。

発言に対しむやみに倫理的責任を問うのは、みたに議員ツイートの通り、「クリエイターとしての仕事に過大な制約を課すことになりかねないし、将来にわたって大きな禍根を残すことになりかねない。」

その場で批判が出たからこそ問題

一般論として、ブレスト発言責任を問うのはナンセンスだと書いた。

一方で、今回報じられた発言には違和感もある。

まず、ブレストを行っていたLINEで、その場でメンバーから批判が出たという点だ。

上で書いた通り、ブレストでは批判を行わないのがルールだ。しかし、今回は批判が出た。

これは、メンバー佐々木氏提案を「粗野で良い」「欠点があって良い」「差別があっても後で修正できれば良い」とみなしていなかったということだ。

まり佐々木氏は「ブレスト中の発言だ」と弁明しているものの、メンバーはそれ以上に影響力のある発言だとみなしていたはずだ。

そのような文脈下で行われた発言として、佐々木氏発言責任に問われるのは理解できる。

言い換えれば、逆説的だが、佐々木氏発言スルーされず、ブレストのその場で批判されたからこそ、その内容には倫理的責任がある。

繰り返すが、だからといって、「一般に」ブレストでの発言について責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

党派性安易論点をずらすな!

ブコメを見ていると、天皇家自民党議員への侮辱ならOKなんだろうという批判が★を集めている。

所詮はてなとはいえ個人的にはこんなに愚かな論点ずらしが共感されているのは呆れる。

当然、天皇家であれ自民党議員であれ、ブレスト中なら侮辱してもOKである。それが集団による創造・発想のためには必要だ。

この問題をただの党派性として済ませるのは非常に不快だし、何様なんだと思う。

アイディア創出のための方法論と真摯に向き合っている人もいるとを想像して、この問題について考えてほしい。

それでもブレストなら無罪

佐々木宏氏の発言やそれへの批判について。ブレスト中の発言なら、差別だろうが何だろうが責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

よく知られている通り、ブレストとは、集団で良いアイディアを出す方法で、

1. 粗野な考えを歓迎する

2. 批判しない

3. 質より量を重視する

4. アイディアを組み合わせる

等が大事であるとされる。

もっとも、今や「ブレスト」という言葉自体はアホでも知っているので、きちんと方法論通りに実践されていることは、むしろ稀かもしれない。

本人すら、その提案は良いと思っていない

ブレストである以上、一般には、その発言をした本人すら、その提案が良いとは思っていない。

もちろん、全くの粗悪なアイディア提案するわけはない。「欠点はあって当然」「一部に良さがあるかも」というレベルであっても発言し、聞き手はその欠点批判することなく、良さ活かしながらアイディアをふくらませるのがブレストの正しいやり方だとされている。

今回の話題で言うなら、差別的だという欠点自体は後で修正するという前提で、例えば

という程度の考えで、渡辺直美に豚の格好をさせる提案をしても良い。

重要なのは、そのような提案をしたからといって、本人すら、その提案が最終案として良いと思っているとは限らないということだ。

実際、私自身もあえて偏見を混じえた非倫理的提案をすることは多い(その場合、対面コミュニケーションなら、自分で苦笑しながら提案するなど、倫理的問題があるという認識自体は共有しながら発言することが多い)。

ブレストとはそういうツール/ルールであるということが理解されるべきだ。

したがって、ブレストでの発言倫理的責任を問うのは非常にナンセンスだ。

同様に、ブレストでは質が低くても良いという前提で発言される以上、提案内容を切り出して「面白くない」などと質を批判するのは全くの無意味だ。

発言に対しむやみに倫理的責任を問うのは、みたに議員ツイートの通り、「クリエイターとしての仕事に過大な制約を課すことになりかねないし、将来にわたって大きな禍根を残すことになりかねない。」

その場で批判が出たからこそ問題

一般論として、ブレスト発言責任を問うのはナンセンスだと書いた。

一方で、今回報じられた発言には違和感もある。

まず、ブレストを行っていたLINEで、その場でメンバーから批判が出たという点だ。

上で書いた通り、ブレストでは批判を行わないのがルールだ。しかし、今回は批判が出た。

これは、メンバー佐々木氏提案を「粗野で良い」「欠点があって良い」「差別があっても後で修正できれば良い」とみなしていなかったということだ。

まり佐々木氏は「ブレスト中の発言だ」と弁明しているものの、メンバーはそれ以上に影響力のある発言だとみなしていたはずだ。

そのような文脈下で行われた発言として、佐々木氏発言責任に問われるのは理解できる。

言い換えれば、逆説的だが、佐々木氏発言スルーされず、ブレストのその場で批判されたからこそ、その内容には倫理的責任がある。

繰り返すが、だからといって、「一般に」ブレストでの発言について責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

党派性安易論点をずらすな!

ブコメを見ていると、天皇家自民党議員への侮辱ならOKなんだろうという批判が★を集めている。

所詮はてなとはいえ個人的にはこんなに愚かな論点ずらしが共感されているのは呆れる。

当然、天皇家であれ自民党議員であれ、ブレスト中なら侮辱してもOKである。それが集団による創造・発想のためには必要だ。

この問題をただの党派性として済ませるのは非常に不快だし、何様なんだと思う。

自身仕事に対する社会的な制約が増えると危機感を感じている人もいることを想像しながら、今回の報道について考えてほしい。

呉座氏騒動

実践できたかどうかは別にして)呉座氏がマスターするべきだったのはOtsune methodではないか

犯罪者朗報!免罪できる魔法言葉

「誤解を与えて申し訳ない(罪は認めない)」

無意識に手が動いたということだろう(意識的でないので無罪)」

記憶にございません(そのようなことをしたとは絶対に認めない)」

「誠に遺憾ながら体調を崩し入院、取調べには応じられません(雲隠れ)」

これらで大体全ては免罪される。国会議員先生方が実践されておるので、どんどん真似していこう!

2021-03-18

運転が苦手芸人です。

車を買って一年経ちましたが運転ものすごく下手です。

幼少の頃からトロくて不器用運動できなかったけど、当たり前のように運転もできなかった。

まず状況判断ができてない。

「今行けたな……」「今行かない方が良かったな……」が多すぎる。行かない方が良かったはマジで危ないからやめなければいけない。でも後続車がいるとこいつトロいな……って思われてないか不安になって判断を間違いがち。ヤバい

もう最近トロいのでごめんなさい!!という気持ちで待たせてるけどそれでも今日危ないタイミングで出てしまった。本当にごめんなさい。

あと反射神経も鈍い。前で急ブレーキとか踏まれると反応できないからほんとにやめてほしい。左折するのにウインカー出さずに急ブレーキ踏んで曲がってく人マジでやめて。

こっちはトロいんだからぶつかる。

そういうの嫌だから右車線にいたいけど右車線は右車線で遅くてごめんなさい!!って気持ちになるから無理。

車間距離めっちゃ開けるしかないけど強引に車線変更してくるやつがたまにいる。お前のための車間距離じゃない。

合流とか車線変更今だに苦手なので右折する2kmぐらい前から右車線に移ることもある。高速は絶位乗らない。

ウインカー出してたら入れて欲しい。早めに出すのでお願いします。入れてくれる親切な人ありがとう。私も入れるように心がけています

あと今私何考えてた!!??って瞬間がある。左折してから今私確認足りなくなかった??!!って青褪める時ある。ヤバい。そのうち駐車場から出る時に歩行者巻き込みそう。見てるつもりなんだけど色々足りてない。

一年運転 コツ などググって出てきた答えを実践するようにしてるのに本当に運転が下手。なぜ。人を轢く前に運転やめたい。でも田舎からやめられない。都会に引っ越して車を手放したい。

仕事できる人って運転も上手だよね。お察しの通り私は仕事もできません。ADHDの診断は来週降りる予定です。

フェミへの伝言

じゃあオタクからフェミへも伝言を返すよ

 

君たち普段から言ってたじゃんか

「男も性的消費されていると言うなら男も自分で声を上げて訴えればいいじゃん」

 

ならそれを今実践すべきだろ?

自分ウマ娘エロ絵を描けよ

 

anond:20210318175734

 

ま、これは皮肉だけど。こんなことを言いあっても何も生産的なことはないんだ

anond:20210318175937

男女逆だと普通にある話

趣味のもの勝手に売られて文句言っても逆切れされるだけです

死んだ異性の形見とか言おうもんなら3日くらい口きいてくれないでしょう

冷静になって相対的に考えてみましょう

男女平等実践先駆者の道を切り開いていってください

相変わらずはてなは誰が本当にアニメに詳しいか、みたいなこと言ってんのか。

相変わらず誰が何に広く詳しいか程度の尺度しかなく、スタッフがー、監督がー、みたいな周辺情報ばっかで深堀りもアニメ制作なんかの実践もない。

なんのかんの言って界隈にコバンザメして知ったふりを通したいやつばっか。

蕎麦食ったらそばが美味しい以外の挽き方がどうの、原産地がどうの言い出す玄人もどきと同じ。

実地で何も掴んでないので平気で間違ったことを言うが、周辺の豆知識がすごいので素人簡単にだまくらかされる。

2021-03-17

5割は超えてると思う。ブクマカに限れば9割 anond:20210317225913

解決拒否し過ぎは同意

誰かのせいにして現実から目を背ける人たち

anond:20200226100226

非実在5歳児の波動を感じるけど全面的同意

解決を求めな過ぎなのよね共感だけ


センスメイキング理論』ガーとかいうのもあるけどアレも結論

センスメイキング理論関係する諸研究は、組織構成員をどう納得させるか、説得するかを探究する。それは、それぞれが客観的に状況を理解し、合理的判断してもらうことを必ずしも期待するものではない。重要なのは組織構成員が行動することである目標資する行動がとられるのであれば、論理的合理的理解は必ずしも必要ではない。

なんだよね、とりあえず動いて貰うところまでしか期待していない


マッキンゼーの『非合理な職場あなたロジカルシンキングはなぜ役に立たないのか』ってのもあってこちらは未読だけれど

『本物のリーダーは引っ張らない チームをつくる4つの感情スイッチ』(こちらも未読)みたいな結論じゃないかなって思う

イケてるアニキ/アネゴになって『うん、そうだね』の共感をしようが説かれているのだと思う


まり最初から相手がそういう生き物だと諦めているのよ

そして経験からいっても諦めるしかない


『なぜ人と組織は変われないのか――ハーバード自己変革の理論実践』はなんか面白そうではある

「変革を阻む免疫機能」というのは面白い考えだなぁって思う

けど前提がハーバードみたいなエリートから

どんなエリート集団にもアガリ型(ポジションを手に入れたら成長と変化を放棄する)の人たちはいるが

ポジションを得るまでは主体的に動いてきたというのは大きな違いではないか?って気がするよ

ポジションを得るところから放棄から

そういう人らにも適用できるかどうか


組織他人どうこうはともかく、

人生とは「自分で考え、判断し、行動する、主体的能動的なもの」と考えて過ごせば、

自分人生主人公自分以外になるということだけは無くなるよ

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