5歳の娘は、最近何かと人のせいにしたがる。
「パパがシャワーかけたからはがれちゃったじゃん!」と怒り出した。
この間はお兄ちゃんに「待って!」と言ったのに置いていかれてしまったとき。
「お兄ちゃんのせいで私が迷子になったらどうするの!」と怒り出した。
そんな様子で、何か良からぬことが起きると必ず誰かが悪さをしたせいでそうなったと考えることが増えてきた。
それが仲の良いお友達であったり、知らぬよその子だったり、家族だったりと様々だ。
ある意味では、因果関係が想像できるくらいに頭が良くなってきたとも取れる。
しかし、このままではよからぬ大人になってしまいかねない不安がよぎる。
5歳ではまだわからないかも知れないけど、話をしてみることにした。
「あのね。何か良くないことが起こったとき、誰かのせいにすることでむしろ解決しなくなることがあるよ。」
理由は単純だ。
掛け算の表が剥がれ落ちたのは、もともと丸まっていたものが乾燥することで縮んで剥離してしまったからだ。
ただそれだけのことなに、そこにパパを原因として求めてパパを責めてしまったことで、剥がれたものを貼り直すという議論から、剥がれたのがパパのせいかせいではないかという話に議論がすり替わってしまった。
当然パパのせいではないから、パパは謝らない。議論がすり替わってしまったし、突然原因として責められた側は、それを解決しようとする気持ちがなくなってしまう。
しかし、責めている方は、相手が原因だと信じて疑わないので、相手が議論から逃げた=罪を認めたという解釈になってしまう。
これによってもたらされるのは永遠の断絶以外にない。
なので娘にはこうやって諭すことにした。
「悪いことを誰かのせいにして解決したつもりになるのは簡単。だけど、原因にされた誰かはもう二度とそのことを解決してくれようとはしなくなってしまうよ。誰かのせいにするのはやめて、どうしたら解決できるかを考えたほうが未来のためにはよいことだ思わない?」
娘はわかったようなわかっていないような顔でうなずく。これからも時間をかけて話を続ける必要があるのだろう。
そこに勝ち負けが生じてしまうことで、「改善=負けを認める」という構図が生まれてしまえば、解決はただ遠ざかるだけになってしまう。
それでも大人は粛々と結果だけを生み続け、勝手に「勝った!」と騒ぐこどもたちを横目に、また次のミッションに挑み続けていくのだ。
コロナウィルスの一件を見ていると、争点は違えどこうした子供が多すぎると感じる。
あいつが悪いあいつが悪いあいつが悪いはいくらでも聞こえてくるが、今ひとつ具体的な解決案が出てこないのだ。
内部告発をしたあの医師だって、理想を延々と並べるだけで、今、あの状況で行えるベストな提案については一言も出てきていなかった。
イヤイヤ期。
グレタトゥンベリブームもあの子に自分を重ね合わせた人が多かったってことなのかな。 わかりきったことを強い言葉で主張する、それしか出来なくても世界から称賛されることがある...
グレタを祭り上げるのって、この話で言うと 『物怖じせずに、パパが悪いって言った5歳児ちゃんエライ!ノーベル賞だ!』って感じになるね
非現実5歳児の波動を感じるけど全面的に同意 解決を求めな過ぎなのよね共感だけ 『センスメイキング理論』ガーとかいうのもあるけどアレも結論は センスメイキング理論に関係する...
諭す(=親の考えの押し付け)んじゃなくて考えさせた方がいいぞ
考えた結果が パパが悪い、お兄ちゃんが悪い だったからな
解決を拒否し過ぎは同意 誰かのせいにして現実から目を背ける人たち anond:20200226100226 非実在5歳児の波動を感じるけど全面的に同意 解決を求めな過ぎなのよね共感だけ 『セ...
おおぅ 元エントリを見ると、5割はともかく、自分はちゃんとしてない頭悪い方の人間だった 認識を改めてまず自分が頭悪いのを何とかしようと思う いいエントリを教えてくれてありが...