はてなキーワード: 何だかとは
アマチュア無線やFM放送によって法律に違反した電波帯利用、強度電波によって放送される無許可ラジオ。
当然ながらバレると摘発され罰金刑を貰うが、無線局の運営者が学生だったりすると注意だけで済むことがある。
アマチュア無線をやっていると「ラジオやったら面白いんじゃね?」と発想しやすいため(未成年なら尚更)、アマチュア無線全盛期ではかなり問題になった。
ただし、地域のアマチュア無線コミュニティが大抵は遵法派が多いので、地域のアマチュア無線コミュニティメンバーから摘発される前に無線上で注意することが少なくない。
クロスベアリング法などによって不法無線局(≒自宅)は簡単に割り出されるので、法律は守ったほうが良い。
この件で代表的なものは「FM西東京事件」が有名。運営者は大学生だった。
超極狭エリアでのみ受信できるFM放送で、実際のところコチラがサブカル放送のメイン。
大半が音楽を垂れ流すミュージック系ラジオであったが、普段は音楽を流しつつ、番組表を作りトーク系ラジオもやるという局もあった。
リスナーからのメッセージは郵便局に私書箱を設置して受け付けるスタイルがほとんど。
稀に地域のアマチュア無線おじさんがやる気を出し地域のイベントで情報提供を行う目的でラジオ放送したりするのに使われたこともある。
この特性から同人誌即売会などでもミニFMは限定的に開設されることも多々ある。コミケ参加者はバッテリ駆動できるFMラジオ受信機を持っていくと新たな楽しみが増えるかも知れない。
長らく個人によるサブカルメディア放送はミニFMが主要なプラットフォームであったが、ブロードバンドの登場によりミニFMからインターネットを通じて放送するPodcastへ移行する者が増えた。
WMAやMP3で収録し配信するスタイルは非常に気軽で様々なPodcastチャンネルが生まれたが、Podcastブームの煽りを受けてあまりにもPodcastチャンネルが生まれすぎて混沌と化す。
そして同時に今までリアルタイム放送をしていた者達からするとPodcastの感覚が掴めない、配信する環境を整えられないという欠点が存在していたので、Podcastにリスナーを取られたミニFM局が終了するなどが相次いだ(ミニFMの終焉の原因がPodcastかは不明)。
Podcastは全盛期よりもリスナーが減ったとは言え、幾度かの転換点を迎えて今日も続いている。
ブロードバンドの進化のお陰でリアルタイム配信が可能となったことで誕生した音声配信サービス。
日本では「らじおちゃんねる(後のねとらじ)」がブームとなり認知度が上がり、更にTVワイドショーで紹介され一部の一般人にすら認知されるようになった。
2ちゃんねるの実況板文化から派生したインターネットラジオを介した声によるTV放送実況は文字ベースの実況からの1つ転換点だったと言える。
極少数例ではあれど、ゲームを同時に起動してボイスチャットのように利用してMMORPGなどをプレイする用例や、ビジュアルノベルゲームをみんなでプレイするなどの用例もあった。現在で言うゲーム配信に近い。
こちらも全盛期と比較してリスナーは減っているが今日も続いているが、個人的な印象としてPodcastの方がリスナー人口は多いように感じる。
インターネットラジオが登場した頃にはミニFMはほぼ壊滅状態にあり、現在では極々一部の趣味人によってのみ期間限定で運営されていることが多い(有名な老舗もいくつかはある)。
様々なメディアを埋め込みつつ、プログラマブルなプラットフォームとして開発されたシステム。
2ちゃんねるを中心に爆発的流行をし、現在のWebクリエイターの中にはFlashで注目された者も居る。
現在でいうところの「コラボ」も数多く行われ、様々な表現の実験の場となり、今でも参考になる発想が多い。
企業Webサイトでの採用事例も多く、インターネットの一時代を築いたと言っても過言ではない。
現在は惜しまれながらもAdobeのFlashサポートの終了予定発表やHTML5の登場なども合わさり採用はゼロに近いものとなっている。
Youtubeに感化され、2ちゃんねる実況板の影響を取り込んだ動画に文字を表示するスタイルを確立したのがニコニコ動画。
当初は違法動画のアップロードサービスと化して居たが、MAD動画ブームを皮切りにクリエイティビティの発露の場として成立する。
Flashからの移行組も数多くおりニコニコ動画の黎明期を支え、次代にその技術を伝えた。
2ちゃんねるDTM板のVOCALOIDスレでしか注目されていなかったVOCALOIDが初音ミクの登場によりニコニコ動画で再評価され爆発的ブームが起こる。
初期のVOCALOIDは2ちゃんねらー全体で言えば知らない2ちゃんねらーの方が圧倒的に多い状態であり、何ならDTM板住人であってもDTM Magazine読者くらいしか知らないレベルであった。
更にはMikuMikuDance(MMD)の登場により、Flash時代ではマシン性能の兼ね合いで難しかった個人による3D表現が本格化。
現在のVtuberに近いMicrosoft Kinectとの連携によってMMDモデルを動かす試みなどが始まる。
そしてニコ生がリリースされるとリアルタイムゲーム実況が確立され、現在のYoutube LiveやTwitchの萌芽とも言える状態だった。
一部では現在でいうところのVLOGを投稿する者もおり、様々な試みがなされた。
しかし運営側の迷走の伴いサービスのコンセプトや品質が陳腐化し、対応が後手になってしまいユーザが離れるという事態に陥った。
現在ではユーザ目線での改善に力を入れているらしく今後どうなるかが注目される。
そして現在、個人によるサブカルメディア放送はYoutubeがメインのプラットフォームへとなっている。
特徴的なのがニコニコ動画では登録者すべてがいわゆるニコ厨と呼ばれていたのだが、Youtubeでは動画投稿者がYoutuberで視聴者がリスナーと呼ばれている点である。
ニコニコ動画からコンテンツをそのまま移行したYoutuberも数多いが、元々ニコニコ動画へ投稿していた者は実写系が少ないという特徴がある(一部例外も居る)。
ニコニコ動画が自らコケたという部分もあるが、堅実に強化とユーザビリティの向上に努めたYoutubeは日本のサブカル層も無視できなくなり、今日のYoutube人気を決定付けた。
ニコニコ動画時代では少なかった顔出し実写系動画が増えたり、マシン性能の向上によって実現を果たしたVtuberの登場など個人によるサブカルメディア放送は転換点にあると言って良い。
プラットフォームの移行が発生するかはわからないが、これまで顔出しを拒んできたサブカル層が徐々に顔出しするという動きが昨今では起きている。
日本ではこれまで大手メディアの影響などにより社会全体でのオタク蔑視の時代があったりなど海外に比べてサブカル層は顔出ししにくい環境であったとされてきたが、世代交代が進んできたのかサブカル層の顔出しが起きている。これは良い環境変化だと言える。
この次に何が起きるか?と言えばおそらくは「実名活動・顔出しの敷居がより下がる」程度にしか予測はできないが、様々な選択肢が増えることは歓迎したい。
視点を変えれば旧来のサブカル層が若い世代が持つ印象に救われつつあるわけだが、その若い世代に技術を継承したのは何だかんだで活動を続けてきた旧来のサブカル層なので、今後とも持ちつ持たれつという関係を築けていけたらなと思う。
そして続けて現れる今の若いサブカル層の技術を継承した次代・次々代の子たちがどんな風にクリエイティビティを発揮するか楽しみでならない。
見てて思うけど、悪の組織が人間のネガティブな感情を元に怪人を作り出したりして戦うのって理にかなっているよな
実際に計測した訳じゃないから正確な数値は分からないけど、正直、人類全体で考えるとポジティブな感情よりもネガティブな感情の方が圧倒的に多いと思う
にも関わらず、最終的にはヒーロー側がポジティブな感情を集めて勝ってしまうのは何だか納得がいかない
まぁ「勧善懲悪だから」と言われたら仕方ないし、メタ的な事言えば「そういう脚本だから」「子供向けだから仕方ない」って話になっちゃうんだけども
順番待ちの列や電車内で高確率でオバちゃんに横からデゥンデゥンされる。
これがヒール履いてて巻き髪で化粧バッチリだったらデゥンデゥンされないんだろうな。
そういえば今でこそ地味な格好をしているけど、大学の時、何を血迷ったのか髪に赤いポイントカラーを入れて尻が見えそうなショートパンツにヒールを履いてた時期があった。
急におばあさんに電車で話しかけられた「私すすきのとかにお店持ってるの、紹介してあげましょうか」という風に。
このおばあさんが本当に仕事を紹介したかったのか、暗にそんなはしたない格好していると娼婦に見られるよと伝えたかったのかわからないけど、その時横に彼氏も居て恥ずかしかった。
オタクです。声優のオタク。イベントやライブにも積極的に参加しているタイプのオタク。
私の応援している声優さん、所謂「推し」はいわば中堅さんで、アニメにもまあまあ出演していて、頻度は高くは無いけれど声優アーティストとしてCDも出しているような方。
自分が行くかは別として、基本的に月に1度は何かしらのイベントがはまってくるので、中堅声優さんにしては会える機会がある方だと思っている。私が他の声優さんの事をあまり知らないだけかもしれないけれど。
冒頭で「イベントやライブにも積極的に参加している」とは言ったものの、底辺の稼ぎしか無い私は全通なんて夢のまた夢。自分のお財布と相談して参加するイベントを選んでいる。選んでいるつもり。
財布にゆとりが無いから心のゆとりも無くなって、どんどん荒んでいく。これは完全に自分の問題なのだけれども。
というか、イベント多すぎない?
供給が需要を上回っていて、みんな疲れている気がする。声優さん達もだろうけど、何だかこちら側が疲れている。
一般販売でも捌けなくて空席があるイベントも少なくは無くて。先行の段階でオタクを舐め腐った売り方をする運営に非がある場合もたまにあるけれど。
少ない給料で何を我慢すればチケットが買えるかを考える毎日で、お金の計算に疲れてたまに変な事を考えてしまう。
『声優さんに会いに行くためにとても高いDVDを買わなくてはいけないのは何故?』
『買ったからといってチケットが確実に用意されるとは限らないのに?』
もちろん当たり前。
『そもそも、その"用意されたチケット"も安くはないけれど?』
まだ言わすか、それも当たり前。
『ちゃんと人気公演は一般販売出さずに先行で行き渡るようにして欲しいよね。』
難しい問題。
『アニメのイベント、構成がテンプレートすぎる。少し退屈に感じる。』
何を求めているの?
『どんなモチベーションで登壇しているんだろうね。作品やアフレコ時の話といっても録り終わってからかなり時間経ってるし。いつもの1/3くらいの値段で行ける上映会の方が絶賛アフレコ中で熱の入ったお話聞けるよね。』
………
ダメだ、考えるのをやめよう。
アルバイトもしていなかった学生の頃は現場に行くなんて発想は無くて。友達から借りたイベントDVDを何回も観ていた。ライブビューイングのチケットが取れただけでその場で飛び跳ねて喜んでいた。
初めてその場に行ける事になった時、本当に嬉しかった。やっと会えるんだ、と。
たまに「行きたい」なのか、「行かなきゃ」なのか分からなくなる時があって、後先考えずにチケットを取ったり…なんて事をしているうちにいつの間にか感覚が麻痺してきて、1つ1つのイベントに対して会える事のありがたみとか、楽しみな気持ちとか、思い入れとかが薄れてきている気がして。
正直半券見返しても内容をあまり思い出せないイベントとかある。
それでも新しいイベントの情報が出ると、反射的に「行く!」と飛びついてしまう。
ほぼ病気。吸った事無いけれど煙草やめられない人の気持ちと似てるのかな。もしくは麻薬?
外れるリスクを負ってDVD買ったり、中身が全く一緒のCDたくさん買ったり、何の為に?
「推せる時に推せ」。
正直現時点ではそんな危機感を持ってイベントに参加はしていないけれど。
周りに話したところで「行くの辞めれば?(or 控えれば?)」と言われるだけだから。全く仰る通りで、でも違うんだ。違うんだよ…
これを読んでどう思って欲しいとかは無いつもりなのだけれども、やっぱり人間は共感を得たいから。誰にも理解してもらえないから、ただただ吐き出す。
田舎なんてぜんぜん好きになれないと思いながら、妻の実家に住むようになって5年。家は農家をやっているので、この季節になると米の収穫にまつわるイベントが次から次へとやってくる。
とうぜん自分も労働力にカウントされてるので、この週末も籾摺りという米作りの最後の工程に徴集された。何だかんだと人手がいるので、妻の妹とその義理の父母も呼ばれてるんだけど、ほかに男手もなく、普段はプログラマーとして座ってるばかりの生活をしてるだけの自分がそこそこ主力の戦力になってる事態がおもしろい。というか過疎と若い担い手不足ってやつなんだろうな。
籾摺りというのは籾殻つきの米をナントカして玄米にする工程で、収穫して乾燥させた米が材料になる。夜じゅう乾燥機がぐわんぐわん立てる音と灯油の臭いも好きなんだけど、いまは籾摺りの話。文字どおり山のようになった米を籾摺り機? に供給し、計量機で計量された玄米を30kgずつ袋に詰めていく作業だ。
義父はさしずめプロジェクトオーナーといったところで、籾摺り機や計量器から出る米を随時チェックしつつ、大量に排出された籾殻の袋を次々取り替える。おれは最後の袋詰め係で、出来上がった米袋の口を縛っては積み並べていく。いちおうペア作業なんだけど、相手は還暦こえているので、途中から作業を少し休んでもらった。次回はもうちょい若い人連れてこないといつか破綻するのだろうと思うが、義父は作業を知ってる人じゃないと呼ぶのが面倒なのらしく、ジリ貧だなあと思う。
自分は袋に定量が溜まるまでは空き時間なので、ほかのパートを手伝ったりする余裕がある。(おそらく大きさや重みが足りない)くず米として別に出た米を運んだり、籾摺り機に米を供給したりするわけだけど、見たところこの供給部分がボトルネックになっていた。籾摺り機のキューというのかバッファというのか、原材料を受ける口になっている部分が小さくて、米を運ぶ人間のほうが、それが捌けるのを待つのにかなりの時間を使ってしまっていたのだ。籾摺り機の設定を変えれば処理速度は上げられたはずなのだけど、義父はそのボトルネックに気づかないのか、そもそもその設定を変える気がないのか(たとえば供給がだぶつくことよりも足りなくなることのほうが致命的であるとか)、設定を知らないのか、というのが分からなかったし、機械は轟音を上げているので会話のコストが高かったし、何よりもこの作業自体に当事者意識をまるで持っていなかったので、何の改善提案もする気が起きなかった。そういうのは平日職場でやるだけで十分だ。……と思っていたけど、書いてたら気が変わってきたので、来年は言ってみよう。覚えてたら。
仕事が終わって、数えてみると1トン近くの米を運んだことになっていて、これは去年も思ったことだけど、トンなんて単位にこの身が直接関わることがあるのはこんな時だけである。義父は何十本できたということは何石やな、とか言ってて、はーこれが一石か、加賀百万石とは大したもんだな、と思ったのでもあった。
何だかんだ言うて日本はほとんどの人が食うには困らず、水を飲めて、屋根のある家に住んでいる
そんな国に生まれ落ちた時点で俺の運はほとんど使い果たしてしまったのではないだろうか
もう、残量ゼロかもしれない
NHKの『ドキュメント72時間』が好きで毎週欠かさず観ているという。
私は特に好きではなく、NHKでやってる何だか暗い番組だよね、という印象だ。それでもたまたまテレビを点けた時に流れていると、何となく見入ってしまうことがある。
巷でもどうやら人気らしい。ネットニュースで言っていた。
友達にそう言うと、「あの番組を見ていると自分より不幸な人がいると思ってホッとする。あの番組を好きな人はみんなそうだよ」と言われた。
その言葉がずっと頭を回っている。
友達は結婚して子供にも恵まれ一戸建ての家に住む、側から見れば幸せそのものの主婦だ。
友達に言わせればテレ東の『家着いて行っていいですか』も同じ部類の番組らしい。
確かに一見幸せそうな人が実はそれなりの悩みを抱えていたりすると、誰にでも悩みはあるんだなとホッとしたりすることはある。
でも他人の不幸をエンターテイメントとしてとらえる発想は私にはなかった。
そもそも『72時間』に出ている人達がそんなに不幸なのかという問題もある。
たまに言葉を失うくらい壮絶な境遇の人も出てくるけど、ほとんどは色々な境遇にあって悩みつつもそれを受け入れ、毎日を大切に生きていこうとする人達だったような気がする。
これから書くことは、たとえ増田でだって書く気はなかった。なぜなら、今毒親に苦しむ人を殴る文章だからだ。
だけど、ビ・ハイアの件を知って考えが変わった。
私の母は子供を殴る母だった。本人は躾だと言っていたが、例えば弟がした悪さなども姉である私が監督していなかったのが悪いという理由で殴られた。
だから子供の頃の私は母が背後を通るだけで殴られるかもしれないと思って肩をすくめる生活をしていた。私の背丈が母に追いつく頃になると殴られなくなり、以前殴られたことを訴えると母の記憶からそれは消えていた。
私は殴らない父が大好きだったが、殴る母を止めなかった時点で同罪なのだと気付いた時、父もまた嫌いになった。
私は両親の悪口を口はばからない10代に育った。両親は私の口から周りの人へ伝えられる悪口に何度苦虫を噛み潰したことだろう。だが、私は両親が大嫌いだったのだ。悪口を言うことを何も悪いことだとは思っていなかった。
また、両親、特に母とは何度も怒鳴り合いの喧嘩をした。特に私の進学についての喧嘩は深刻だった。両親は女の私に勉強をして欲しくはなく、高校進学でも大学進学でもぶつかった。その度に私は両親を納得させるだけの材料を(嘘でも)用意した。高校進学の時は、大学には行かないから好きな高校に行かせてくれ、と。大学進学の時は、入学金だけ用意しえてもらえれば後の学費生活費は自分でなんとかする、と。
そして私は大学進学を機に家を出た。
自分も怒鳴らず、母の怒鳴り声を聞くこともない生活は初めてで、アルバイトと授業で忙しかったが、非常に穏やかな生活だった。最初の頃は。
スーザン・フォワードの「毒になる親」という本に出会ったのは多分この頃だったと思う。涙を流しながら読んだ。非常に得心のいくことばかり書かれていたと思うが、その内容は今となっては正直あまり思い出せない。
私の穏やかな大学生活はあまり長くは続かなかった。精神の調子を崩し、授業に出るのが困難になった。生活がかかっているのでアルバイトだけはなんとか続けていたが、それすら休みがちになってしまった。
精神科にかかり、主治医はこの現状を両親に連絡するべきだと主張した。
私はそれを拒んだ。両親に、やっぱりお前には無理だったと言われるのが嫌だった。しかし、現状は困窮していき両親に病気のことを明かすことにした。
連絡は父にしたが、私は冷たい一言を覚悟していた。だが、父はゆっくり直していけばよい、と予想外の返事をしてくれた。
そして私は投薬治療を受けながら、両親からの金銭的援助も受けて6年かけて大学を卒業した。
だが、大学をなんとか卒業できても就職はできなかった。私はその頃一人で生きて行く気力もすっかり失っており、卒業後は実家に戻り両親の元に身を寄せることにした。
あんなに嫌いで飛び出した家にまた戻ることがとても皮肉に感じられた。
そう、私はここまで両親に支えられててもまだ両親のことを受け入れることができていなかった。
むしろ両親のせいで精神病になり自分の送りたかった人生から程遠い人生になってしまったと嘆いていた。
それから7年ほど、引きこもり、良くなったと思って働いては調子をまた崩して引きこもることを繰り返し、最終的に自殺未遂までして入院もした。
その長い間、両親とは時々ぶつかりつつも私は親に甘えて実家で暮らした。何度仕事で失敗しても、帰る家があった。でも、親に対する感謝の気持ちで暮らしていたのではなく、この家にいるから私は治らないと思って暮らしていた。
そんなある日ネットが何だか奇跡を起こしてくれて、私のここまでのどうしようもない身の上を承知の上で結婚してくれる相手を見つけることができた。そして私はまた家を出た。
それから一気にとは行かないが、パートナーの支えもあり上り調子で回復し、今では幸せな生活を送っている。
そんな環境になって思うことは、私の両親は私が思い込んでいたほどの毒親ではなかったということだ。自分が辛かった時はあまり気づいていなかったが、肝心なところでちゃんと支えてくれていたのは両親だった。私が結婚して家を出ると言った時も心配こそしたものの最後には快く送り出してくれた。
正直な話、これをもって私の両親はちゃんとした親だったとまとめるつもりはない。子供を殴り、事あるごとに自尊心を削ってくる親であったことは事実だった。
しかし、私の人生の全てを邪魔するほどの親ではなかったこともまた事実だ。
少なくとも、私は私の両親をもう毒親だとは呼べない。
この感情を何と呼べばいいのかわからない。許しでもなく納得でもなく受容でもなく、でもその間にある何かだ。あえて名付けるなら、解毒かも知れない。
私の辛さは無かったことにはならない。でも、それを恨む心は消えた。
もちろん最初から何も辛いことがなかった方がずっといい。けれども、私は両親を毒親なのだと思うことによって余計な寄り道をしたような気がしてならない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/176755
morimori_68 第一の論点について言えば、まずもって責めを負うべきは、ヨウ素剤をきちんと配布・説明しなかった政府・自治体の側である。一事が万事、このあたりが全く等閑視されている。
quick_past 過去にやったことが、今を全否定できるくらい大きなファクターだと思ってるからこそ、日本に汚らわしい過去なんてなかったと言い始めるんだろうし、現在進行系の政権の不誠実さからも逃げるんだろうな>ネウヨ
kyo_ju まぁおしどりマコさんを理由に立憲に入れないと言ってる層はそれがなくても何だかんだ理由をつけて立憲に入れないだろう。そういう層に媚びようとしたのが民主や民進や希望の失敗なので立憲はこれでいいんじゃね。
mujisoshina この記事から分かることは、おしどりマコには迂闊さがあり批判にもなかなか耳を貸さないことと、マコを批判する側にもろくでもない奴が何人も居ること。私はどちらも人間として信用出来ない。
Cunliffe どこに大論争があるんだろ?ヒステリー起こしたニセ科学批判教団のバカどもがマッチポンプでキーキー言ってるだけじゃん。
Arturo_Ui 不正確な情報が流通していた当時の過去ログを批判するより、現在の認識を質す方が建設的。まして公党の候補者を一方的にデマ呼ばわりすれば、名誉毀損訴訟のリスクすら負う。公開討論など呼びかける方が建設的では?
yas-mal キクマコ先生、完全に確信犯だよね。巧妙に『嘘』を避けつつ、おしどり氏が言ったかのような書き方をしてる。(おしどり氏についてはまだ判断保留)
hapoa なんでこんなデマに乗っかるコメントだらけなんだ?自分で調べる頭も能力もないのかよ。恥ずかしいのはお前らの頭だ。おしどりマコを知らない時点で東電会見も見ない、原発事故に興味ないってことの独白でしかない
Ayrtonism EMって、ニセ科学批判界隈ではめっちゃくちゃ有名だけど、一般にはほぼ無名だと思うぞ。そして、細菌が土壌や水質の改善に寄与してる、ってとこまでは嘘でも何でもない。ちょっと冷静になった方がいい。
先日、一番上の姉が切迫流産をした。
母親に、「お姉ちゃん、妊娠したって」と告げられた日の、翌日の事だった。
姉は四月に結婚して、私は結婚式に参加した。幸せそうに笑う姉に、この先不幸が待っているとは、何だかとてもじゃないが考えられなかった。
私にはもう一人姉がいる。その姉も結婚していて、「子供が欲しい」と常に言っていた。しかし、彼女は中々妊娠できず、一か月前とうとう犬を飼い始めた。母と私は「子供を諦めたのと違うか」と二人して言い合った。
身内の妊娠とだけ聞いて、そんな根拠はどこにも無いのに、私は『何も起こらず、どこまで行っても平穏で、心配事のひとつもない』、そんな当たり前の妊娠を勝手に想像してしまっていた。そんな事はある筈なにのに、ニュースでは出産のトラブルを報道している日も多いのに、何故か「身内」というだけで何も起こらないと錯覚してしまう。
何事も無かったかのように笑う姉が、酷く痛々しい。
BBAの私からすると、若いお嬢さんたちが男性が若い女性に甘いことを利用して、かわいい服を着てバカのふりをしてうまくたち回ろうとしているのは、個人の生存戦略として正しいなと思う。
モテない男性が女性の気をひこうと都合のいい男になりATMになっている様子を見せられているのと同じ種類の切なさを感じる。
私は若い人に「かわいく振る舞え」「こんな服を着ろ」「女には奢るのが常識」と要求する世間の一部になりたくない。
そろそろ不安になって手元のキャッシュを数えると、879,000ドン。
相変わらずどれだけの価値があるのかさっぱり分からないが、あまり高額でないことは確かだろう。
道路を横断するたびにバイクを躱さないといけないホーチミンだが、歩行者用信号機が無いのかといえば、時々ある。
そういえば、歩行者用信号機と車両用信号機は対になっているという固定観念がありました。
いや、僕も日本人長いんで。
偶に止まるバイクもあるにはあるものの、そこは何か「お気持ち」というか、交通ルールが「個人の優しさ」で運用される、そんな独特さがホーチミン仕様だった。
ネットで調べた優良両替店に行きすがら、広大なメインストリートに打ち当たる。
後から調べると、グエンフエ大通り公園という事だった。
公園の突き当たりを見れば、格式ありそうな建物と、その前に右手を前方に差し出して起立するホー・チミン像。
これはネットで見た事があるぞ。
パッと名前は出てこないが、ここがホーチミンで必ず訪れるべき場所だろう。
ホー・チミンをセンターに収めて一枚。
両替店まではもう直ぐだ。
両替店、エクシムバンクのカウンターで1万円を差し出すと、お兄さんは平坦な声で言った。
「2,050,000 don.」
このレートは良いんだろうか。計算してみると、1円で約0.00488ドン。
ネットで調べて出てくる標準レートと同じくらい。
日本で両替すると、これが0.00400位の時もあるとのとこだから、優良なんだろう。この数字が高ければ、当然手元に入ってくるドンも多くなる。
米傀儡政権を追い出して社会主義国家を打ち立てたホー・チミン。
その名前がついた街で、両替レートの熾烈な競争が繰り広げられているというのは何だか不思議な話だ。
コーヒーショップでこの旅行記を書いて、一息着いたら、疲れがやって来た。
無理せずホテルに戻ろう。
辺りはすっかり陽も落ちて、視界も悪くなっている。
ホテルに向かっていると、疲れのせいか、気分の落ち込みと、空腹と、吐き気を10倍に薄めたような胸の悪さが同時にやって来た。
安定剤は弱めだと先生が言っていたが、あまり頼りきりになりたくは無い。
とにかくエネルギー不足が危険を呼びそうだったので、何か食べたかった。
店に入るだけの元気があるんだろうか?
書店の灯りに何となく誘われてグエンフエ大通りを歩いていると、道すがらバインミーの屋台を見つけた。
そうだ、バインミーを食べるのは、この旅行でクリアしたいタスクの一つだった。
書店を少しだけ覗いた後、引き返してバインミーの屋台に向かう。
台湾でガイドさんに言われた事を思い出すと、屋台モノは人が並んでいるものを買うのが鉄則らしい。
即ち、食材の回転が早く、新鮮なので、当たる事が少ない。
屋台の前には学生さんと思しき数人が並び、バインミーを受け取ると、やおら店の前でムシャムシャ食べ始めた。
大丈夫そうだ。
レバーパテとハム、ナマスとパクチーの挟まったバインミーはパンのサクサクした食感と、予想以上のスパイシーさで、なかなかのモノだった。
ドトールの優等生、ミラノサンドとルックスは似ているが、風味のゴージャスさと食感でこっちの勝ちだな。
小腹を満たしたところで飲み物が欲しくなったが、都合のいい事に、屋台の直ぐそばに、台湾のタピオカミルクティー専門店、THE ALLEYがあった。
タピオカのホンノリとした甘さが心地いい。
見上げると、夜のグエンフエ大通り公園の空に、近代的なサイゴンスカイデッキが鮮やかな色彩を与えていた。
ここで少し計算をしよう。
それぞれ日本円に換算すると121円と316円ほど。
昼に訪れたサイゴンセンターで売られていたシャツはセールで600,000(60万)ドン。
2,923円。
ベトナムでも飛び抜けて高いとされるホーチミンの平均月収は1037万ドン。
約48,900円。
サイゴンセンターのシャツは平均月収の1/17程という事になる。
これを東京の平均月収38万円に当てはめると、22,000円前後。
東京とホーチミンでは収入の分布が違うだろうから、一概には言えないが、ちょっと計算してみるとなかなかのお値段だ。
そういえば、サイゴンセンターは平日の昼とはいえ人もまばらだった。
台湾でも嗅いだアジア特有の匂いがあるにしろ、ホーチミンは意外にゴミなどが落ちていない。
かと思えば、レロイ通りには近代的なサイゴンセンターがあり、グエンフエ大通りでは天を衝くようなスカイデッキが夜空を煌びやかに照らしている。
近代化を突き進む今のベトナムには、そこかしこに様々な差がありそうだ。
朝の公園でピースサインをくれた少年少女や、青い制服で飯をかっ込んでいたカオタン テクニカルカレッジの男子達は、将来サイゴンセンターのシャツを買うのだろうか。
「これからもストーカーの拗らせアンチとして応援したいと思います」
この主語には私が入る。つまり私のストーカーの拗らせアンチということだ。
私はこのツイートを見た時唖然で言葉が出ず、しばらく反応すればいいのか悩んだ。私にリプライしたわけではなかったけれど、間違いなく私関連の、わたしへの、切っ先を向けた言葉だった。どういういきさつでこの発言をしたのか、もう覚えていないし思い出したいとも思わない。というか思い出したくない。ただ、この言葉のお陰で私はこの人が大嫌いになった。憎くなった。怖くなった。もう二度とツイートを見たいとは思えなくなった。会話すらしたく無いと思った。
そしてこの言葉が私の心の深く沈んだ所に刺さり、ふとしたときにちくちくと私を悩ませるのだ。だからここに書く。今日も唐突にやってきた、この行き場のない痛みを痛いと言うために。
私はしがない絵を描くことが趣味の、ただそこらへんにいる、あるジャンルにいる、あるキャラのファンだ。そして所謂マイナーと呼ばれ界隈が狭く何かしらの投稿サイトも大して更新が行われることのない界隈に住んでいるファンであり、あるキャラを猛烈に好きなあまり、にそれしか描かないそればかりな本ばかりをつくる(自分であまり言いたくはないが)そのキャラに関してはこの人だと思われても仕方がない、ファンである。
そんな小さな界隈にもう5年長も生きていれば、大体投稿する人も「何だか知っている」ひとになるのだが、その「何だか知っている」ひとがその言葉を言い放った人だった。
現在時点でだと正しくは「何だか知って”いた”」人なのだが、それは私よりずっと前にそのジャンルで活動をされており且つその方を認知しており、しかしながら交流も無ければ交流をしたいとも思っていなかったため「何だか知っている」という表現となってしまった。
この人とどう交流が始まったかといったことはもう覚えていないが、交流していくうちになんだか歯車が合わないなぁと思ったことがあることは覚えている。
いや、正直に言おう。好きじゃなかった。
私は、この方が私に親しみを持ってくるのは別にどうでも良かった。感想を言ってこられたのも別にありがたかったし、もっと言えば小規模である界隈に活動をしているだれかが居るのは少し安心感があった。
でもどうしても好きにはなれなかった。それはその文章からにじみ出る性格だった。
Twitterは、投稿サイトでは分からない膨大な文章がその人を形作る。私はそのぽつぽつと呟かれる文章にいつも合わなさを感じていた。文章の書き方もだったし、記号の書き込まれ方や絵文字や話し言葉だけで構成されたひっちゃかめっちゃかな読みづらい言葉たちも好きではなかった。書かれる言葉に納得できないこともあった。何かの発言で私への返信が来た時に、少し行き過ぎた指摘に首を傾げることもあった。でもそれは好きじゃないだけで、別に今の様にはっきりと「嫌いだ」と言えるような不快感は無かった。
冒頭の一文に戻ろう。
この文でとうとう「好きではない」から「大嫌い」になったわけだが、この文から後の自分の感情はよく覚えていて、わけがわからなくなったあととても気分が落ち込んでしまったのだ。嫌いなの?好きなの?なんでアンチ?追いかけるの?応援してくれてるの?様々な感情が私の中をぐるぐると渦巻いて吐きそうになった。そしてその方は続けざまに「本人はどう困るとか、もういっそ自分の考えに振り切って、アンチだから嫌がらせもするしストーカーだから追いかけます」と言い放ったのだ。
私はどういうことかもっと分からず、何故こんな本人が見ると分かるであろうときにわざわざこの文章を書いたのか必死に考えたし全然今も分からない。振り向いてほしいのか、嫉妬心を燃やしているのか。そういえば私の作品が魅力的だとよく言っていたな、だなんて脳裏を過ったがそんなものはかき消える。
ただ、私はその人に初めて今迄持っていなかった「不快感」と「嫌悪感」を覚えた。それだけであった。
呆然と反応もしないうちにどうなったかといえば、先に私の別のフォロワーさんが食って掛かったため、戸惑いながらも対応するうちに発した本人から私へ謝罪のDMが送られてくるという、さながら焼け石に水といったところである。そのDMの内容というのも今思えば滑稽なのだが、長々と言うのも面倒なので要約すると「自分がほれ込みすぎてアンチになったのだが気を悪くしたのであれば謝りたい」とのことだった。
じゃあ何故言ったんだよ!いくら呟きだからといっても訂正がきかない独り言だってあるんだよ!!
本当はもう大嫌いになったので金輪際関わらないで下さいといっても良かった。DMで言ってくるのも癪に障った。ツイートで発言したのなら同じツイートで見て不快になった可能性のある方全員に謝ってほしかった。でも私はそこをぐっとこらえて、波風を立てないように優しく、気を付けてほしいと諫めた。
今思えばあのときすっぱりとブロックでもすれば良かったのかもしれないと思う。
私は優柔不断で、もしかしたら明日起きたら嫌いになってないかもしれない、忘れてまた楽しくおしゃべりできるかもしれない、そんな文章だけで人を判断して嫌いになるなんて、ただの呟きひとつでと自分に言い聞かせていた。ブロックでまたもめるのもめんどくさいとも考えた。いまもそうである。おかげでミュートにしてそっと距離を置く程度しかできない。
刺さった言葉はあれからずっと、ふとした瞬間に心を痛ませる存在となり自分の作品に自信が持てないときや意欲がわかないときやつらいときに言葉を過らせる。そしてその人のことを無理にでも思い出される。あの不快感や嫌悪感と共に、思い出したくない感情と共に。それがまた苦しくなり、もっと嫌になる。負の連鎖が続く。
そういう訳できらいになった。
あなたのことが、あの人のことが、大嫌いになった。
関係を戻りたいと言われたあの楽観さやすべてに苛立ち、大嫌いになった。
わたしはずるいので、直接は言いません。あなたが遠まわしに私を困らせ、苦しませたので同じようにずっと遠まわしに言いましょう。
そうして同じようにDMにて謝罪をしましょう。とびっきりの長文で、あなたを好まなかった文章の形も言いましょう。
いよいよ本番だが、さてどうしたものか。
渡された木の棒は野球バットほどの太さと長さがあるが、持ってみると予想外に軽くて柔い。
これだと殴ってもそこまで痛くないな。
「どこを殴る?」
出来る限り唇を動かさないようにして、カジマにそう尋ねた。
主役は痛がる方だとはいえ、俺も下手なことは出来ない。
攻撃が痛そうでなければ、いくらリアクションが良くても薄っぺらくなる。
カジマはそう言ってニュートラルに立つ。
いきなり直球勝負か。
よし、やってやろう。
カジマを信頼し、小さく頷いて見せた。
「行きまーす!」
そう宣言をして、俺はパワーヒッターのような独特の構えをする。
当然これはハッタリだ。
「くたばれ!」
「がっ……!?」
振りぬかれた木の棒は見事、カジマの脛にクリーンヒットした。
直立だったのもあり、両方の脛に当てることができた。
「あ``あ``あ``あ``~っ」
ダミ声を発しながら、カジマはその場に崩れ落ちる。
「お~っと、これは素晴らしい痛がりです! カジマ選手の悲鳴が、観客たちの笑い声に負けていません!」
痛めつけ役の俺ですら、分かっていたにも関わらず感心するほどだ。
カジマの実力を改めて痛感した。
「いや~、いきなりレベルの高いイタガリアンが出てきましたね。これはシロクロ選手やりにくいでしょうね~」
そしてシロクロの番がまわってくる。
なにせシロクロは性格上、プレッシャーなんてものとは無縁のヤツだ。
多少の無茶は可能だろう。
「シロクロ、どこに攻撃すればいい? 相手と同じ場所だと分が悪そうだけど……」
シロクロはそう言いながらガイドに頭を小突いて見せた。
なるほど頭か。
シロクロにしては考えたな。
カジマのターンで、木の棒の柔さに観客たちは気づいている。
だが頭なら衝撃が伝わることで痛さを演出できるだろう。
「じゃあ、行くよ~……そらっ!」
まるで剣道の面打ちように、ガイドはシロクロの頭に木の棒を当てた。
これはガイドの痛めつけ方が悪い。
そこは大根切りのように振りぬくべきだ。
「……効かぬぅ!」
そんな哀れな攻撃を受けて、シロクロはリアクションを拒否した。
「おーっと、シロクロ選手。どうやら痛くないようです!」
ゲームの趣旨を理解していないシロクロの反応に、ガイドは戸惑う。
「何で痛くないのに痛がらないとダメなんだ?」
それに対しシロクロは、番組の趣旨そのものを否定するようなことを言っている。
この『イタガリアン』ではリアクションが自分の中で納得できなかった場合に、一度だけやり直しが可能となっている。
ガイドの痛めつけ方が半端なのは明らかだったので、ここでの「痛くない」宣言は妥当だ。
だが俺たちが有利であることは何ら変わらない。
先ほどの攻撃を痛くないと言ってしまった以上、ガイドはあれよりも明らかに痛そうな攻撃をしないといけないからだ。
俺が先ほど推奨していた大根切りですら不十分だろう。
「もっとだ! オレを殺すつもりで来い」
「いや、そんなことしたらダメだろ」
「オレは最強の男だ! 殺しても死なない!」
「もう、わかったよ……まずこのアーティファクトで木の棒を堅く。そして次にボクの身体能力を……」
どうやらガイドのやつ、未来のアイテムを使って強化を施しているようだ。
何だかインチキくさいが、物申すのも話がこじれそうなので黙って見ているしかない。
シロクロの肩めがけて棒が振りぬかれた。
バギャッァウ!
俺の知っている、あの柔い木の棒とは思えないほどの音が鳴り響いた。
「うぉっ!」
絵としてのインパクトは抜群だ。
「あ~っと! なんとシロクロ選手が流血! ケガをしてしまうほどの攻撃は失格となります」
「ああ、やりすぎてしまった……シロクロが丈夫すぎるから、加減の仕方が分からないんだよ」
「なぜだ、全然痛くないぞ?」
「オレはまだ倒れていないぞ!」
「……なんか、本気でリアクションしたオイラが馬鹿みたいなんすけど」
こんなことやってる時点で、いずれにしろ馬鹿みたいであることには変わらないから。
昔とある俳優のリアコをやっていた。今は彼が売れすぎて近くに感じられなくなって、興味が失せている。嫌いになったわけじゃないよ。でも、接触があって、なんとなく素を垣間見てたあの頃とは違う。途中で彼には演技もファンへの態度も著しい変化があった。理由もなんとなく察してるし、彼はそれによって俳優として売れ始めたと思うからいいことだ。寂しかったけど。
ちなみにわたしの趣味は元々観劇だ。小劇場もフライヤー見て行くし、東宝系も宝塚も四季も歌舞伎も気になれば何でも行く。でも、今まで推し、みたいな存在はいたことがなくて。強いていうなら、リアコしてた俳優が推しだったのかもしれないけど、応援したいとは思ったことがなくて、いつも好きだなあという気持ちだけで現場に行ってた。
表題の話である。いや燃えたと言うより、知名度がなさすぎてボヤくらいである。
最近、知人がやたらとメンズ地下ドルの現場によく行く。わたしも気になって、でもあんまり過剰接触みたいなのは怖いから、どうしようかなと思ってたところに地下じゃないって言い張るダンス&ボーカルグループを見つけた。通りがかる振りをして無銭ライブに行った。曲はよかったし、ダンスはまだまだだと思ったけど、トークもそこそこよかったからまた行こうと思ってた。全然売れてないけど、応援したいと初めて思った。
ら、突然燃えた。
わからない人はわからないままでいい。でも少しわたしの素直な気持ちを書かせて欲しい。
確かに、ちょっとした兆しはあったと思う。見たからに輩っぽいし、憧れてるのもそういうラインだろうなとは思ってた。でもトークを聞いてたら、みんな可愛くて。傍から見るのと実際に関わってみるのは全然違うことを実感して、楽しんでた。
地下とは違うと言い張る彼を見て、偶像的なアイドルという存在じゃなくてパフォーマンスを大切にしたいんだと思った。
トークの上手い彼も、歌の上手い彼も、わたし好みの顔をしていた彼も、ダンスの上手い彼も、頑張って欲しいと心から思った。
純粋な強い気持ちは人を支えるし、それが未来に繋がってくと思っているから。
それだけでよかったんじゃないのかな。
何でわざわざ他の仕事をしている人を馬鹿にしたり、喧嘩を売ったりしたんだろう。
自分の信念を貫いて、黙って実力で納得させていってくれるんじゃなかったのかな。
地下はダサい?本当にそうかな?
それを思うのも感じるのも自由だよ。
でもさ、それってわざわざ言葉にすることかな?
アイドルだろうがモデルだろうが、客を楽しませて価値を感じさせるのが仕事だよ。
地下ドルは確かに過剰接触のイメージだよね。知らないけど地下ドル出身の子もいるんだから、その大変さとかわかるはずだよね?
愛想振りまくのが、嫌な仕事だったのかもしれない。顔だけ、とか言われるのが苦痛だったのかもしれない。でも、それを仕事に選んだのは自分じゃないのかな?
変わりたい、とか、前とは違う、ちゃんとパフォーマンスで評価されたい、だから頑張るって言ってたんじゃないの?
正直、突発的にデビューしても、あれだけ曲もよくて、それに加えて歌とダンスがものすごくよかったら、もっともっと急速にファンは付くし、ジャンルが違う人も評価してくれると思う。
でも、そうじゃないのは実力不足なんだよ。それは、どんなに気持ちがあっても意識が高くても事実なんだよ。もっともっと伸びていくと思ってたんだよ。
わたしは彼らの気持ちや立場や、裏のことはわからない。よっぽど悔しいことを言われたのかもしれない。酷い暴言で馬鹿にされたのかもしれない。でも、それを理由にやり返そうとしちゃうのは違うんじゃないかな。見てろよ、ってバネにしてくれるだけでよかったんじゃないのかな。
今回の彼らの発言で、どれだけの関係ない人が傷ついたろうと思うと哀しい。
どんな界隈でも、ファンはいる。盲目的だなと周りに言われても、例え馬鹿みたいに見えても、それは本人たちにとっては真実で素敵な幸せなものなんだよ。それを、外部があれこれ言う筋合いはない。
今回のことで、彼らは、そういう気持ちを考えられないんだな、自分の信念以外は正しくないって踏み躙る人たちなんだな、と思ってしまった。
もっと素直に応援していたかった。彼らが売れていく姿を見たかった。悔しいし、哀しい。
貧弱オタクだから、彼らの売上には貢献してない。彼らはわたしのことなんて知らない。でもやるせなくて、どうしても吐き出したくて、もしかしたら彼らにも届くんじゃないかって、少しだけ期待して、ここに投稿しておきます。