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2018-03-14

大学に落ちた話と親の悪口

大学に落ちた。

と言ってもあまり悲観的になったりはせず他人事のように「そりゃそうだわな」としか思わなかった。ちょっと悲しくて1分泣いたけどその程度。周りの友達が続々と難関国公立大学合格したとのつぶやきを見た時は流石にマジ泣きしそうだったけど耐えた。「現役で国公立合格とかすげえ、やべえ」って母に言って「なんでそんなひとごとなの」と苦笑された。他人の合否はマジで私の人生となんの関係もないし素直におめでとうの気持ち(嫌いな奴が合格してたのは腹たった。人間なので)でいっぱいです。合格した皆さんおめでとうね。

こんなに不合格スッキリ受け止められるのはこの1年間全くと言っていいほど勉強していなかったから。全くと言っていいほどは0ではないけど受験生としては論外レベル毎日1日10時間勉強してる人とかいっぱい居たけどなんか自分はそれができなかった。夏になったら出来るかなと思ってたけど出来なかったし、秋になっても冬になってもセンター一週間前になっても、二次試験前日になってもできなかった。夏頃からあれ?って思った。秋には狂い始めた。私は6年前の中学受験最後にのんびり中高一貫で大した試練もなく過ごしてきたくせに、なまじまあまあ良い学校に入ってしまったがために「いざとなったら私だって出来る」と根拠のない自信でいっぱいだった。本当に根拠がなかったのだ。いつか出来るいつかっていつかは自分が作るものだって気づいてからも出来なかった。通ってた塾のひとりの社員は私の性格に気づいたらしく、そいつじゃ無い人と面談した時にアドバイスコピーが置いてあってこっそり見てみたら「恐ろしくプライドが高いので気をつけて笑」って書いててもうなんか泣いたし辛かった。事実やったし。そういうことを理由にして塾にも行きたくなくて、なんとなく勉強したくなくて、もうそんな感じ。この1年間、自分人間として終わりだと思って、でも努力もできなくて、やばかった。今まで頑張らない人を心から蔑んできたけど、もしかしたら彼ら彼女らも私と同じように「頑張れない人」なのかもしれないと思った。そんで勉強してない代わりに色々なマイノリティーのこととか調べて記事読んで自分で言うのも何だけど寛容な考え方を身につけた。これは悪いことではなかったけど高三にやることでは無いよな。逃げよな。ってまたしんどくなって悪循環。よくよく思い出せば、6年前だって勉強に打ち込んでたわけではなかった。勉強しないと勉強しないとって思いながら母に隠れて漫画読んでたし。謎の自信を抱えたまま母も諦め気味で受けてたまたま通った。その偶然を偶然と理解していなかっただけでわたしは今も昔も成長せずにクズだった。初夏、担任先生相談したらカウンセリングを勧められたけどまだその頃は認めたくなくて、自分が「普通じゃ無いかもしれない(その頃私は普通というもの存在を信じていた)」ことを認めるのが怖くて、断った。今思えば受けてればよかったのかもしれない。助けてくれるかなと思って、秋頃母に泣きついたら「この子は頭がおかしいのか」という反応をされスルーされたり、「発達障害かもしれない」と言ったら職場人間関係がうまくいかず去年に鬱の診断を受けた母は「私こそ」と職場愚痴を聞かされたりして諦めた。母も父も過剰に私を褒めたりする様子から見ると「出来損ないの娘」を認めたく無いのだと思う。両親ともに一浪してるけど真面目で、勉強ができないことに悩んでた時も淡々とやれとしか言われなかったし(当たり前なんだけど私にはそれができない)私とは違う人たちだ。あと2人ともかなり差別意識が強い人たちなので発達障害だってわかっても多分受け入れてくれない。「逃げ」だとブチ切れられるだろうな笑 なぜ親なのに理解しようとしてくれないのかと(親は子供を産んだ時点で子供に対しては誠実であるよう努力してほしいという幻想があった)怒り狂ったが、今考えればそりゃそうだよな。自分の娘が「自分的にダメ人種」だったなんて認めたく無いよな。ごめんな。生まれてきて。申し訳ないけど、私は生きたいし人生楽しみたいからまだまだ金をかけさせる。ごめんな本当に。多分私は発達障害でもなんでもなくて普通メンタルの弱いクズなのだろう。だからこれから病院にもカウンセリングにも行かないつもりだし、予備校毎日通って勉強の習慣をつけて努力することを覚えたいと思う。私の欠点は他の誰でもなく私の責任だし、誰かに責任押し付けたくない。自分人生には自分でけじめをつけたい。ただ親がどうであれちゃんとできない自分存在してて、色々悲しいけど私だけは私自身を肯定しなきゃと思うし。こういうポジティブから受験向いてないんだろうけど肯定しないと死んじゃうから自分に優しく頑張ります

書きながらめっちゃ泣いてスッキリした。自分のことは発達障害だろうがなんだろうが結構好きだから結局親の悪口書きたいだけだった。育ててもらったことの感謝人格評価は別問題からなー。私の嫌いなものは単純に悪なので、はい。親にどう思われようと生まれてきた瞬間から他人同士なので気にしないようにしよう。あと数十年したら死ぬしな。私は生きよう!

2018-03-13

恋愛にあまり興味がない

中高一貫男子校に通っていた。同級生大学に入るなり女を漁りだしたが、俺はまったくそういった事に興味を感じず「みんな必死だなぁ」としか思わなかった。

小学生の頃は好きな娘もいた。ただ六年に渡る男子校生活で、そういった事に関する頭の回路が焼き切れてしまったような気がする。

自分恋愛する事についてはあまり興味は無いが、一方で他の連中の恋愛話を聞くのは好きだ。それに恋愛を取り扱った創作物にもよく触れている。

推測するに、疑似体験だけで満足できてしまうのかもしれない。いずれアイドルギャルゲー等の疑似恋愛コンテンツにハマる事もありえそうだ。

恋愛への興味が薄いのに対して、性欲は有り余っており、オナニー毎日している。これは肉体と精神矛盾している感じがして恥ずかしい。

特にオチも無い話なのだが、とりあえず俺は「恋愛なんてそんなに必死になってやるような物でもなくね」と考えている。

2018-03-02

3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話をしよう

突然だが私はアイドルマスターSideMのS.E.Mというユニット担当Pだ。

自分語りのような事が苦手なタイプなので上手く話せるかわからないけれど、とにかく今消化しなければと思ったので、これまでの話と、2018年2月3日、記念すべき3rdライブ初日に起こった事、感じた事をそのままダラダラ書こうと思う。備忘録のようなものなので、見るも見ないも自己責任でお願いします。

タイトルにもある通り私は現JK小学校の頃高校に上がれば自然にできると思ってた彼氏は勿論いない。ただのオタク

通っているのは中高一貫自称進学校と言われているタイプ学校偏差値釣り合わない勉強スピード、量。それに加え人間関係重要になってくる部活。(詳しく書くと知っている人にはバレそうなのでやんわり言っておく。)

中学に入ったばかりの頃はそれまでと違った環境にわくわくしつつ必死にくらいついて勉強していた。受験後の先取りもあり成績は中の上。この時既にアイマスには出会っていた。真ファン律子Pをやんわり続けていた。突然だけど初星二日目の律子ヤバかったな。その調子で2年が過ぎた。

段々あれ?と思いはじめたのは中二の冬。勉強モチベが上がらない。(この時、SideMにも出会っていた。元某サッカーアニメオタクショタコン私、ホイホイWともふもふちゃんに釣られました。かわいい。)

英語文法なんて覚えなくても教科書の例文を丸暗記で最低限必要な点数が取れる。

数学は、担当教師が某有名大卒業生プライドエベレスト質問しても何故か違う話に飛躍する。(私達の偏差値が某有名大学に間に合ってないのもあると思うが)教え方は教室満場一致でド下手という評価しかも間違いを指摘すると逆ギレ…という人間性で、単純バカな私は数学のもののやる気が削がれていた。

その他理科社会etc…もただただ暗記。理科はもともと苦手意識があったのでこの頃から少し逃げていたかもしれない。

ぼやぼやと今やってる勉強って意味なくね?と思い始めてしまっていた。

キツイな、と確信したのは中3入りたて。(ここらへんで趣味嗜好が180度変わったヒゲおじさん大好きウーマン私、本格的にS.E.M&山下次郎Pに。)

学校教育方針で、数学英語中学の間に高1の内容をほぼ終わらせる事が目標だった。

そのおかげで内容は急加速、もともと集中力も無く勉強理解人一倍時間を要する私は秒で置いて行かれた。

成績はほぼほぼ地に落ち、補習、小テストの追試常習犯夏休み3分の1を奪われるらしい特別補習はなんとか免れたものの、遅刻もしばしばしていた。

一つできなくなると全部芋づる式にできなくなるタイプなので普通にヤバかった。

担任もそういったことにとことん追い討ちをかけるような人で何度も「このまま進級する気ですか?」「あなたがこのまま高校生になれるとは思えない」と面談等で散々言われた。ちくしょう、思い出してちょっとカムカしてる。

お世辞にも信じ切れる、と言える先生には出会えていなかった。

5月頃、既にリリースされていた「ST@RTING LINE-06」を購入した。SideMのはじめての担当の曲が入ったCDだった。

キドキしながらCDケースの蓋を開け、pcに取り込み、はじめて「Study Equal Magic!」を聴いた時。

私はただただひたすら驚きで固まっていた。

こんな世界もあるのか、と単純にびっくりしたのだ。小学校私立で、受験が確定していたため、小学一年生から塾に通い受験勉強をする毎日。結局行ったのは六年間の努力虚しく落ちた第一志望では無く全く今まで知っていた校風と毛色の違った滑り止め。

それでもなんとか喰らい付こうと頑張るも突然虚無感に襲われ全く手をつけられなくなった、「それ」=辛い、という私の中のイメージが、一瞬で粉砕された気がした。

けれど、私の中に根付いた勉強から離れた習慣、実際相手をする教師、そんなもの達はなかなか簡単に私の苦手意識を振り払ってくれなかった。

成績は若干持ち直したものの、それ以上もそれ以下も無く、ずるずる引きずったまま高校に上がってしまった。

高校に上がるとついて来たのは単位。進級。受験

そんな話を新しいクラスにもまだ慣れていないような時期にされ、あまりそういった事に実感が湧かなかった。

しかし割と直ぐに嫌という程実感する事となる。

一学期勉強どころでは無く新しい環境に慣れるのに半分ぐらい要したが無事終了。

そして、2017年6月4日

グリーティングツアー東京公演、私の初めての、現地でのSideMライブ参戦だった。最高だった。生のS=Mを聞いた時、初めてCDを聞いた時の鳥肌が返って来た。夢中になってペンラ振ったし、タケノコ生やしたし、しゅくだい!わすれない!!もした。山下次郎も中島ヨシキも最高だった。産まれて来てくれてありがとう。そのあと一週間は余韻が抜けきれなかった。現地って最高だな……

悪い方に進展があったのは夏休み中盤だった。思わぬところでダメージを受けた。部活合宿だった。

はじめて思うような結果を出せず、目標を果たせなかった。追い討ちをかけるように、新学期になり練習に対する価値観の違いによる部活内の対立と、その中立的立場になってしまった事。

ぶっちゃけ死ぬかと思った勉強も、二学期になり急に難易度が上がり例の如く取り残される。受験の重圧、周りの去年とは段違いのやる気。

そんなものが一気に重なり、私は学校に行く日が少なくなった。

メンタル弱いなとか思われてても仕方ない。というか私も自分で思ってる。

学校に行けなくなったというのは朝起きて、「学校行きたくない…」と震え、結局その日一日結局動けなかった…というような感じでは無く、単純に、朝早く起きれないのだ。

精神科に行くと、精神病と診断され、自覚がないままメンヘラJK突入かよぼんやりとか思っていた。

親にもお前の気持ちが弱いから、とだけ言われ続け、午前の授業の欠課数だけ増えて行く。

科目を二つ落とせば留年、今のところあと欠席可能回数が一桁しか残っていない科目が二つ。

今年に入って朝のHRから出席した日は一日しかない。なんというか、疲れてしまったのかもしれない。

勉強に追われ、部活に追われ。大半は自分責任だとわかってても、もう考えるのも疲れていた。

さて、めちゃめちゃ長くなったが2/3。

3rdライブも、お金問題遠征はできず幕張を狙ったが落選。それ以降は実はSideM自体アニメは見ていたけれどゲームをあまり開かないぐらいには、私の中では薄れかけていた。そんな中、ギリギリで取れた3rdライブLVチケットを握りしめ、豊洲pit以来出していなかったS.E.Mのペンラと共に友人と映画館へ向かった。

そして開幕した3rdライブ。久々に見る担当の姿に感動しつつ夢中になってペンラを振った。全員揃ったのはマジで感謝しかねえ…

S.E.Mの最初の曲は、S=Mだった。やっぱり、最高に楽しかった。

恭二に唐突に求婚されたり所々爆弾を投げつけられながら、合間のトーク

次の幕に移ろうとしていた。しゅごんが話の流れを持っていく。

先生達の指導必要だな!(うろ覚え)」みたいなことを言ってたきがする。S.E.Mだ、と思って大急ぎでペンラを持ち替える。

めちゃくちゃドキドキしながら待っていた。

会場が暗転。ピンクの光がちらほら増えていく。

ドン、と太鼓の音が聞こえて、あ、と思わず声が出た。

会場からも歓声が上がる。

S.E.Mのアニメでの新曲、「From Teacher To Future!」だった。

先生が歌い出す。るいが続く。次郎ちゃんもそれに続く。そして全員でこう言った。

「君は出来る 何だって出来る

君はなれる 何にだってなれる」

瞬間私は泣き崩れていた。そこには確かに中学生の時始めて私の背中を押してくれた、あの先生達の姿があった。

それまでごちゃごちゃ考えていた事が一気に流されたような感じだった。

S.E.Mがずっと私たちに伝えようとしていた事が、本当に今更だけどその時はじめてわかった気がした。

「頑張ろう、一緒に行こう!」と言ってくれた先生達に、私はたぶん、一生感謝するだろうなと思う。大げさかもしれないけど、それぐらい、今の私はS.E.Mというユニットに救われた。

ペンライトもロクに振れないぐらいボロボロに泣いて、「がんばれ」って横でずっと支えててくれてた友達にはマジで感謝しかない。

受験休みが終わって、明後日からまた学校が始まる。ちゃんと朝から行けるか不安もあるけれど、少しでも前に進むためのエールをあの時S.E.Mから貰ったので、私はその分、頑張ろうと思う。

以上、3rdライブ先生達に背中を押された女子高生の話。

2018-02-24

中高一貫男子校工学部

人間同士のコミュニケーションが下手糞、もしくはできない。

掲示板や某動画サイト書き込みに似た言葉を発する。

これは個人的経験に基づくので異論は認める

私大全落ちした現役の話

まだ現役合格を諦めきれなく、後期私大の申し込みを行いました。

プライドが高い為周りの友人には話せずこのような形で1度気持ちの整理をつかせたいと思います。乱文になると思いますがお許しください。

中高は私立の一貫校でした

偏差値60程度の自称進学校です

私は小学生の頃塾に通う=携帯電話を持たせてもらえるという安易な発想で中学受験塾に強請って通わせてもらいました

運良く頭はそれほど悪くなかったため、週5日塾に通い多分余裕で今の進学先に合格しました

中高一貫は良く言えば6年間自由勉強が出来る

裏を返せば何もしなければ入学当時のまま

私は完全に後者でした

なんとなく高校生になってから塾の講習へ行き、進路に迷ったりなんだりして結局志望校を固めて本気を出しはじめたのは高3の秋ごろだと思います、今考えると遅すぎる開始ですよね

一応冬には自習室に篭り、過去問を解くという日々でしたが私立専願のくせに私大より簡単センター問題ばかり解いていたり毎日現実から逃げていた気がしま

センター英語8.5割国語7割歴史7.5割

受験したことがある方ならわかると思います早慶目指しているレベルには足りない結果でした

もちろんここでセンター利用全滅です

滑り止めもダメでした

その後滑り止めの学校も受けた感じはまあ受かるだろうって自分では思ってました

今でも滑り止めに関してはなぜ落ちたのかわかりません

一校も合格を得られないまま入試本番へ

早慶第1志望としていたから合わせて5学部受けました

手応えとしては歴史が苦手だった為歴史が足を引っ張った気もしたが1学部は自信があり、2学部はまあ最低点は取れているだろって感じでした

1番自信があった学部不合格

まあの2学部はまだ合否出てないんだけどこの調子だと受かった気がしない

敬語疲れたからやめる

問題マーチ

明治青学立教中央法政マーチ

正直これの全落ちは予想外だった

田村淳と同レベルじゃん

これはちょい歴史ミスったなとは思ったけどそれ以上に国語は常に満点だと思っていたし英語も良い結果だったと思う

マーチも片手分受けたからそれ全落ちは結構ダメージ食らう

先に書いたけど自称進学校の進学先内訳はトップ50人ぐらいは早慶行ってあとはマーチ

マーチでもへぇって見られてマーチ以下は人権ナシの状態

就職や専門に行ってる人は5年に1度くらい

でも去年先輩めちゃくちゃ浪人してた

後期私大入試卒業式の後行われる

まり進学先未定のまま卒業式に向かわなければならない

どうしようかな〜いきたくないな〜っていうのか本音

これは全落あるあるだと勝手に思う

ちょっとでも進学先のこと聞いてきたやつ殴りたくなると思う友達少なくて良かった

とりあえず後期私大まであと1週間、2週間?

それも全滅したら浪人するってさっきようやく口に出せた

というかニッコマ以下は行く価値ないって私は思う

プライドだけで上位校受け続けるとほんと後悔しか残らないし毎日泣く羽目になるから後輩たち、もしこの記事を読んだりしたら模試の結果を見て、自分の成績をよく考えて、志望校決めてね

大学へ行く意味は私もよくわからない

けど高卒プライドが許さな

どこまでも面倒だね

だいぶ落ち着いてきたか勉強しま

学歴コンプ人生はほぼ決定してるけどつよく生きます

良かったらこんなクズ受験生いたなって思い出して応援してください

予想以上に励みになります

最後までありがとうございました

anond:20180224112628

もっと田舎だと私立中中高一貫進学校底辺私立二極化する

進学するのは意識の高い親もしくは子、または小学校に馴染めなかった子

2018-01-24

クラス不適合者の自分語り夢小説あとがき風味~

どうも。

私はとある中高一貫女子校に通っていました。

クラスの人数はちょっと少なめ。大体20前後かな。一番少ない時は17人。

クラスに付き物の「派閥」なんてものはありません。というか派閥が出来るほど人数がいません。

このような少人数クラスでは、「派閥」ではなく「生贄」を作り上げます。(※あくまでも私のクラス場合)

私はその「生贄」でした。

これから私の生贄としての日々を、拙い文章ですが匿名ブログに綴って行きたいと思います

何でかって?そりゃあ卒業するからだよ。卒業文章にちょろっと書いたぐらいじゃ足りないからよ。

どうでもいいけど、私ははてなが初代うごメモ運営してた時代人間から、今こうしてはてなブログ書いてるのが懐かしくて結構楽しいです。

試しに昔のアカウントログインチャレンジしたら出来たんだけど、小学生の時の痛いブログが出てきて速攻ログアウトしました。

古の女オタクから文章書いても夢小説あとがき風になるし最悪すぎる。

きっとわかってくれる人はいるはず…うん。

2018-01-08

anond:20180107090707

コメントどうも。

大風呂敷を広げる人という解釈よりも、極端な凸凹があるひとだと思いました。

増田はあるところが優れているなら、他のところも優れているはずだと思っているのかもしれませんが、おそらく、そういう人の方がまれだと思います。「勉強はできて、仕事も真面目だけれど、他のことはからっきし駄目なので、しっかりものの嫁を早くもらわないと」みたいなこと、最近は言わないのかな。

その短所を「かわいい」と思えるのか、嫌だと思うのかで、一緒に生活できるか否かが決まるのかもしれません。

> 「中高一貫で、現役で東大東大大学院に進学した事が自慢」

これは「学歴以外に自慢できるものはありません」と言っているように見えます

中高一貫校で共学の学校ほとんど無いと思うので、女性経験が全くなく、女性エスコートすることに慣れていませんということを暗示していると思います

知り合いにそういう人が居ますが、気が強く、引っ張っていくタイプの奥さんと結婚して、完全に尻に敷かれることでうまくいっているように見えます

「嫌味に聞こえるかもしれませんが、相手には小難しい事は求めません」というのも、「卒業後そんなに勉強をしていないので、学生時代の専攻についていろいろと話されてもわかりません」と言っているように見えます

役員幹部とか海外出張の話とかは、それをすると「すごいですね」と言われるから自然とやっているのでしょうね。

自分に自信が無くて、「すごい」といつも誰かに褒めて欲しい人なのかと思いました。

そんなに頻繁に出張があるなら、亭主元気で留守。亭主が家に居る時は褒めれば動いてくれるというのまでは見えます

出張が頻繁にある人と一緒に子育ては難しいかもしれませんので、自分実家を頼れなかったらワンオペ育児も目に見えていると思います

2018-01-07

anond:20180107081724

どうも有難う、良い方に良い方に考える柔軟な発想が私には無かったと思う。それだけ、過大評価をしていたのかもしれない。

指摘にあった「お店を決めて予約するということをした経験が無く、「会食の場所を用意する能力が無い」という可能性」という事、まずは考えなかったし、寧ろ私よりも年上の人で段取りの悪い人が居るなんて知らなかったから…。

その人は34歳で、プロフィール自己紹介趣味価値観は書かず、「中高一貫で、現役で東大東大大学院に進学した事が自慢」「嫌味に聞こえるかもしれませんが、相手には小難しい事は求めません」といったことを記載していました。なので、キャリアとして頭の回転が速くて、要領も良く、精神年齢も高い、などといった勝手相手強者としてのイメージを私は作り上げていました。

「このように書くという事は、よっぽどの自信があるのだなあ。」と馬鹿正直に受け止めてしまたからです。それに、職位?の欄には「役員幹部」を選んでいて、メッセージのやり取りの中でも海外出張中の様子がかかれて

いたので、それ相応のスペックなのだと、思ってしまいました。

ネット婚活という所がどういう所なのか、私の人としての価値の低さも含めて、本当によく解っていなかったと痛感しました。学歴事実かもしれませんが、虚栄心が強くて、そこに騙されてしまう様な浅はかな自分もまた、経験の浅い人間で、類は友を呼ぶ、といった状況を産んだのだろうな…と思いました。

ビッグマウスで、実年齢と社会的経験値は伴わない30代もいるんだってこと、良い社会勉強になりました。自戒を込めて、私自身も頑張らないと恥ずかしいな、と痛感しています

2017-11-16

友人の死と折り合いがつかない

もうすぐ4年になるのに、全然理解できない。

なんでもないときに突然思い出して、ぼんやりしてしまう。

別に号泣するとかじゃないけど、ただ彼女のことをぼーっと考えて時間けが過ぎていく。

ていうかそんな親しかったわけでもない。中高一貫女子高で同級だっただけだ。

私は自分で描いた拙い漫画をせっせと刷ってコピー本にして地元の小さなイベントの端っこで配ってるようなオタ女で、同じようなオタ女たちとよくつるんでたけど、彼女はとびきり美人性格も社交的だったから、そういう子が集まる派手めなグループにいた。

高校になっても私は受験組、彼女は附属大推薦組で、選択授業が被ったことはほとんどない。

唯一の接点が管弦楽部。でもこれは学年の4分の1くらいの子所属するような大所帯だったから、そのなかでもやっぱり仲良しグループはあって、そこでも私は彼女とつながりはなかった。

ただ、彼女は目立つ子だったけど、少し要領が悪いというか、世渡りが苦手というようなところがあって、一度だけ、見かねた私が半ば強引に手助けしたようなことがあった。助けっていうほど大げさなものではなくて、普通にクラスメイトが困っていたら皆するようなことだったけど、それでも彼女は恩義を感じたのか、たまに話しかけてくれるようになった。彼女は優しい。

それでも、そのころの私たちには中高生ありがちなグループ体裁みたいなものがあったから、話すときはなんとなく二人きりになったときだけだった。彼女は私のしょうもない話によく笑ってくれた。その顔がすごくかわいいので、私はくだらない持ちネタを繰り返した。彼女が笑うと満足した。

一緒にどこかへ遊びにいったりしたことはついぞなかったけど、彼女地元楽団にも参加してて、あるとき私を誘ってくれた。

大きなコンサートがあるときは、人数確保のために楽団員が知人を紹介することができるシステムだった。チェロ(私の担当楽器)が足りなくて、よかったらきてくれない?なんて言われたら行ってしまう。ふたを開けてみれば私しか誘われていなかったので、ちょっとした優越感でニコニコしてしまった。たぶん本当にチェロ人員けが足りなかったからだろうけど、彼女から選ばれることは得意な気分にさせた。

彼女バイオリン(とても上手)なので練習は別々だったけど、最後の合わせでは一緒に帰った。電車で座って、それまででいちばん長くしゃべった。私はそのとき彼女に外部受験して地元を離れることを話し、彼女は私に子供が好きで音楽先生を目指していることを教えてくれた。

そうして私たちはそれぞれ進学し、二年の冬に彼女は亡くなった。

葬儀はご家族だけで執り行われて、私たち卒業生は母校でお別れ会を開いた。

そこで区切りがついたつもりだったのに、その後しばらくして、飲み会で入ったお店で流れているBGMが、あの、彼女と参加したコンサート演目だと気づいたとき、すごく動揺してしまった。お酒が入ってたからかもしれない。

それから度々、突然彼女のことが心に浮かんで、とても寂しくてやりきれない気持ちになってしまう。心が体の真ん中から徐々にずれていって、そのままどこかにいってしまう。誰かを亡くした人ってみんなこんな気持ちを抱えて日々生きてるの?こういうのどうやって乗り越えてるの?寂しくて仕方ない。

卒業式も寂しかったけれど、これからみんな別々の道でそれぞれ元気にやっていくんだという信頼や希望のようなものがあったから、こんなどうしようもない悲しみだけではなかった。こんな私でも日々をあれこれなんとか過ごしているのに、彼女はどこにもいなくて、なにもしない。働いたり遊んだりしないし、バイオリンを弾かないし、笑ったり泣いたりしない。もうなにも作らないし、生まないし、何にも干渉しない。そんなことがあるだなんて思いもしなかった。あの、音楽室で隣に座って笑っていた人間が、この地球のどこにもいない。頼むからみんな長生きしてくれ。

彼女との記憶なんてこれだけで、でもそれだけをずっと繰り返し思い出してしまう。彼女のご家族お別れ会で初めて拝見したし、グループにいるとき彼女とは関わりがなかったので彼女共通友達はいないし、誰とも彼女の話をできなくて、ここに書いてしまった。文字にしてたら落ち着いてきたから、明日からまた静かに日々が過ごせそう。表現の自由はすごい。

ていうか読み返すと自分のことばっかりでめちゃくちゃ気持ち悪い。彼女のご家族のほうがずっとずっと寂しいでしょ。お風呂入って寝ます

2017-09-29

今まで頑張れなかった自分

大学受験を控えた高校3年生です。

からコンピュータインターネットを使っている(コードは書けませんが…)ので電気通信大への進学を希望しています

私は成績が下の方で、この前の進研記述模試でも全国偏差値が60なのに校内偏差値ではたったの43です。

センターもようやく7割を取れるようになってきたような具合で良いとはまだ言えません。

なので、センター試験まで残り100日を切ろうとしている今、ものすごく勉強をしなければいけないのですが、全く取り組めていません…

うちは中高一貫自称進学校なので、3年生になってからは周囲の人間が皆すごい勢いで勉強をしています

しかし、私は「勉強」が中々上手くできず、どの教科も集中が続かず30分程度で終了してしまます

環境を変えようと家ではなく塾の自習室に行って勉強しようとするも、同様です。


周りの人間が頑張っているのに自分だけ頑張れていない。


思えば中学受験の時も、直前で自分勉強のできなさに自暴自棄になって塾をサボるようになってしまい、今の学校以外ほぼ全落状態になっていました。

今になってその体験トラウマのように思い出されます

実際、5月から月に数回、学校に行くのが嫌になり学校を無断で休んでしまっています

私は、今まで頑張ってこれなかったことを引きずって、これからも頑張ることができないのでしょうか。

2017-08-15

インターネットエモ文

初めてインターネットに触れたのは小3の時でした。地元児童館インターネットに繋がって自由に使えるパソコンがあり、年上の人たちからフラッシュを教えてもらって見ていました。らさいととか。当時はGBA全盛期でプロアクションリプレイとか流行ってたし面白い環境だったと思う。今思えばあのころからそういう系(プログラミングとか)に全振りしておけばよかったと思う。

中学に上がって引っ越しをして、ハンゲームニコ動字幕.inメイプルとかに嵌り始める。ハンゲではメルアド変更でアバター抜かれる詐欺(?)にも会ったし、メイプルでは・・・お察しください。悪い経験ではなかった。いい経験ではないけど。

当時2ちゃんねる存在は知っていたけど検索してもNHK教育についてしか出てこなかった。それに関してはラッキーだった。知ってたら絶対中卒ヒキニート一直線になってた。今もその方向に行きそうなのは変わらないのがなんともいえない。

中高一貫だったのでオタクもいっぱいいたし、当時はニコ動の勢いがすごかったのもあってオタク文化的なものは楽しめた。けどラノベだけは今も無理。文体が無理。

中高の間ではツイッター自分の中では大きかった。マイナー音楽が好きで、当時自分の周りにそういったもの好きな人間がいなかったので、遠い土地のそういった人たちを知れたり、音楽を通じたサブカル文化ちょっとかじることができた。それもあって今自分オタクでもなければサブカルでもない、ド級陰キャみたいな感じである。○○大の闇みたいな存在です。友達学内はいない(何故か彼女はいます

ツイッター恩恵がもう一つある。当時自分が大好きだったバンド地元拠点活動していて、バンドメンバーの方とツイッターを通じて会うことができた。(自分は男で、バンドメンバーの方も男です 念のため)そのバンドライブを初めて見た時に次いで、今のところ自分人生ハイライトです。いわゆる地方文化を作ろうとしている人たちで、もし30になってまともに生活できてたら自分も参加したいと思う。地元はいいぞ。

んな感じでインターネットを使ってきたわけです。そんな中で今のインターネッに思う事を一つだけ。憎悪が多すぎる。そういう意味ツイッターの一部は最悪。雑多な中にあるわくわく感がすべて失せてしまった。

ニコニコ見てみてください。BB合作を作る人々はもうどこかへ行ってしまった。

社会法律利益構造インターネットフィットさせることを覚えて、それをそっくりそのまま受け入れさせることで時間金銭を得ようとする仕組みが多すぎる。アフィ、NAVERまとめユーチューバーひろゆきの「うそを~」は本当に同意するしかないなと。ひろゆき信者無能感がすごい(自分無能であることはここでは棚に上げさせてください)から正直あまり同意はしたくないが金言だと思う。今やその嘘を見破るための真実さえわからないんだけど。

文化としてのインターネットはもはや残りカスしかないのではと思うこともある。淫夢とか完全なネタ切れでしょ。多分もうこのレベルの大きなインターネットミームは生まれないと予想していますユーザー側の社会的な余裕もないし、社会的な断絶が起きすぎている。

ギークハウス関連とかは恐らくインターネットという文脈根本にない。フランス哲学者サロンとか昭和文化人交流とかああいう奴を現代に引っ張ってきたときインターネット属性としてあるだけだという印象。

もはや凡人にはインターネット現実社会における不満からユーザー搾取する事がメインになっていると思う。実は前からそうだったのかもしれない。いろいろ見るようになって初めて気づいたのかもしれない。分断を超えてコミュニケーションが取れるいくつかサービスを除いて。

いい加減インターネット卒業しなきゃ でも今更抜け方がわからないよ 人生の半分以上ここで過ごしてと人生観を身につけてしまったので。 

2017-08-06

https://anond.hatelabo.jp/20170806202026

老婆心から申し上げると、中高一貫校で良い環境と思えているのは、あなたにそれなりの地頭学力があったからにほかならない。

子供学力と家庭の財力に恵まれていたならば、中高一貫高はお勧めである点には同意だが、

小学校の時必死勉強させて入学できたものの、そこが学力限界で中高ではすっかり落ちこぼれしまった子は大変な思いをしているはずだ。

あのシンママの息子、ぜったい受験失敗するわ

なにが中学受験だよw

しか受験のくせにそれほど偏差値高くない中高一貫男子校とかじゃんw

そら小学校高学年の段階で算数あん問題もできないとか問題あるわ

ぎりぎりでぎりぎりのとこ入れ込みたいのか

これだからシンママ

2017-06-22

ブスは損

ブスは損なんて、世の中の人間全員が思っている事だと、そう思ったあなた

そうです、そこのあなた

あなたが思っているほど、単純な損得の話じゃないんです。すこし聞いて頂けますか。

わたしは、ブスです。それは大学に入ってから気が付きました。高校では可愛いと言われるように過ごしてきました。中高一貫なため、顔を見慣れた周りに囲まれ、ブスは振る舞いでどうとでもなりました。だから可愛いって言われたし、告白されても好かれてもバッシングは受けませんでした。

大学に入り、新しい出会いがありました。別に可愛いとは言われなくなりました。正直になんでも言う先輩曰く、可愛くはないけど可愛げがある、と言われました。あぁ、私は高校時代、可愛げでコクられたのか。と妙に納得したのを覚えています

はたまた、わたしはその可愛げである男の子を引っ掛けたようで、その男の子は私の少し苦手な女友達の友人でした。

最近、その女友達への苦手意識が増していたのは、気のせいでは無かったようで。女友達わたしに対し、遠回りに攻撃して来るようになりました。

さて、ここで、タイトルに戻ります。ブスは損。もし私がブスじゃなかったら、きっと、女友達から攻撃は無かったでしょう。彼女は仕方ないと諦め、私に尊敬眼差しさえ向けたでしょう。その事は別の例で証明済みなものですから

ブスは、異性に相手にされないから損、それもありましょう。しかし、努力して磨いたモテのためのコミュニケーションスキルは、可愛いくないという理由から、同性の友達から攻撃を産むのです。

単純に考えないでください。女の子の闇はあなたが思うより深く、根ざしています

からどうか、女の子にブスと言うのを止めてくれはしませんか。

2017-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20170515002629

大学受験を見据えて中高一貫私立校に進学し、

中学の時点でどんな大学に入って何を専攻するかという程度にはビジョンを思い描いている子なんて沢山いるんだぞ。

中には教授名前も知っててこの研究室に入りたいとか言い出したり、すでに論文を何本か書いたりしてる子もいる。

彫刻家になりたいと言って東京芸大受験に向けて中一から美術予備校通ったりしてる子がいるんだ。

研究者を夢みるなら30代でノーベル賞現実的ではないことくらい察する子は当然いるだろう。

2017-04-29

ラインって驚くことによってコミュニケーションとるものなのか?

から大学生になった者だが、かなり驚いたので勢いで書く。

コミュニケーションを取るのはラインがメインで、それ自体は数年前から使ってる。

けど、中高一貫男子校に通っていたとき要件を短く送るのが普通で、「!」なんて使ってるやつがいたら、「なんでそんなに興奮してるの?」ってみんなに突っ込まれてた。

ところが、大学生になって出会う人ほとんどが、語尾に句点を付けるんじゃなくて「!」を使ってくる。

おれ、そんなに驚かれるようなこと言った?って聞くと笑われるし、驚かなかったら、気難しそうとか言われる。

なんかもう最近は怖すぎて、グループラインでは発言できなくなってきて,rom専だ。

円滑にコミュニケーションをとるためには、もっと驚かないといけないのか?

ほんとに教えてほしい。

2017-04-26

ニートの育て方

我が家の兄妹は自分も含めて全員ニートになったことがあるので

そんな私たちを育てた親がどういう親なのか書いていこうと思う。

別に自分の親を否定したいわけじゃないし感謝も凄くしている。

ただ正直子育てが上手ではないと思うし参考にすべきではない人たちだと思う。

あとニートになったのはお前たちに問題があるだろといわれたら返す言葉がない。

だが兄妹全員がニートになったことがあるってのはちょっとしたもんだろ?

まず大雑把に両親は

無関心かつ放任主義の父

心配性かつ過干渉専業主婦の母

という感じでいかにもな中流家庭といった感じ。

教育方針?としては中高一貫して大学にだけは

行ってほしいということだけ。

まず父についてだが父に対して特に言うことはない。

単身赴任が多く教育などについて関心もなかったようで特に何かを

言われた覚えもないというだけ。

たまの休みレジャーに連れて行ってもらったことが子供時代

父との思い出としてあるくらいだ。

あえて言うなら出来もしない計画を言うことが好きな人で小さいころは

それを真に受けてがっかりしたことが多かった。

そしてTVか何かにすぐ影響を受けてお前もあんなふうになれよと

その時々に無責任なことを適当に言ってきて思春期うんざりした覚えがある。

ちなみにニート時代にも特に何かを言われた覚えはない。

そして肝心の母だが端的に言って世話好きの子離れが出来ない母親だった。

子どものことに関して先回りが好きでイベント事などでは自分達より

浮き足立って頼んでもいない物を買ってきてああでもないこうでもないと

こちらのバッグをひったくって詰め込んできていた。

それ以外のことでも過剰に世話を焼きたがり一人暮らしをするまで何かの準備で

自分だけで何かを準備するということをしたことがなかった。

また少しでも自分価値観に合わないことをやろうとするとすぐにしつこく否定

やめさせようとし、勉強などをしていても内容より字が汚い、まとめ方が悪いなど

クレームばかりつけてきたので母親の前では勉強をしなくなったりした。

ニート時代には特に何も言わず食事を用意していた。たまにメモがあったが

その内容を実際に言われたり、話しあいをしようと持ちかけてきたことはなかった。

ここまで長く書いてきたが自分の子供をニートにしたかったら

目標などを何も設定せずに基本的には放任主義で育て、自主性を育てないために

自分で何かをするという経験を積ませず、その上で甘やかすのがベストだと思う。

自分の子供をニートにしたくなかったら逆をやってほしい。

後は教育方針を何かに影響されてころころ変えるのは最悪なので何かを参考にするのはいいが

自分で噛み砕いて一貫した方針を維持したほうがよいと思う。

最後

ここまで書いておいてなんだが最初に書いたとおり自分の親を否定するつもりはない。

私の両親にはここには書いていない良い所もあるし撤頭徹尾間違った教育をするなどの

一般的毒親と呼ばれるような人たちではない。

でも彼らは自分の子供すべてを一時的にとはいニートにした実績の持ち主で

そういった教育を受けたところに何も思うところがないというわけではないので

自分の中での整理とだれかの参考にでもなればとこれを書かせてもらった。

ちなみにどうやってそれぞれがニートから復帰したかはここでは関係ないので省略した。

以上

2017-04-18

今日ますとどん

くらうどじょがくいんとは、美少象や女装した美象年が登校する中高一貫の女学院である基本的Mastodon.cloudを利用する日本人ユーザーMastodon.cloudを指すのに使用するネットスラング

https://mstdn.wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E9%99%A2


海外インスタンスMastodon.cloud」では、インスタンスを「学院」、管理人であるValentin Ouvrardさんを「学院長」と呼ぶ慣習ができていた。.cloudはもともとフランス語英語圏向けインスタンスだが、日本人が大量に流入し、フランス語英語話者のユーザーから日本語が読めない」と苦情もあったようだ。

2017-03-10

都会の中で地方出身と告げる負い目(学生バイト

「あっ○○の出身なんですね」

出身を聞かれてるだけなのに、実家貧乏であることを白状させられてる感じ、嫌いだ

というか東京実家暮らしで楽に入れるけどある程度名の通る大学学生やりながら余暇バイトしてるこいつらに憎しみを覚える


地方には仕事がない、ふさわしい大学もない

マイルドヤンキー高卒社会人)になるつもりがなければ必然都市部大学に進学するのが地方の常だ

東京大学生をやる為の生活費がそうして実家からは出て行く


一人暮らし大変ですもんね」

貧乏人は大変だな、とすら聞こえる

大した労力ではないが毎日家事リソースが減っていく

生活費の為に時間を切り売りさせられ、勉強時間が足りない

ぬるい文系にでも進めば良かったのかもしれない、と信念を曲げた後悔もしたくなる


自分自分なりに頑張って実績ある大学に入ったからそれでいいじゃないか、とも思う

だが東京出身者はその大学に至るまでで、自分学力に合った環境いくらでも選べる

東京出身者は人種サラダボウル、低収入の見本市たる公立中で生活をしなくていい

アホに合わせて勉強をしなくていい


地方にはそもそも公立中学高校しか存在しない

私立は学区に一つ、公立に落ちたときの受け皿という程度でそもそも併願という概念がない

東京私立でも細かく段階的に学校があるし、公立と合わせて同じ学力帯でも選択肢が多い


子供東京へ送り出すのに必要費用で、習い事をさせてもらえたかもしれない

音楽スポーツ語学その他諸々

やったからと言ってプロになれるわけでもないだろうが、やった分だけ色んな場面で世界をほんの少し楽しみやすくなる為の踏み台にはなっただろう


用意された環境で伸び伸びと世界を満喫してるこいつらと、何かを拗らせて世界をつまらなくしてる自分

東京出身者の通ってる大学を聞くとこの先の就職で俺が逆転することもなさそうだ

もし東京出身だったら…

ほんの少しいい大学に通えて、ほんの少し楽しく毎日を過ごせたかもしれない


中高一貫だったんでー」

日常会話を重ねるたびそのほんの少しが心底恨めしい

2017-02-28

まれてはじめて人を妬んだ

バイトで知り合った人がいる。

容姿端麗でセンス抜群。異性にもモテる。頭が良く超名門校中高一貫から名門大学へ進学。某超有名大企業就職して出世コース花形部署所属現在出世街道を駆け上っている。ついでに言えば、親は金持ち

アルバイトという垣根のない場所で会ったのだが、なんでか馬があいバイトを終えお互いに就職した現在も年に数回会っては飲んでいる。

完璧超人すぎて「変人」て言われていたり、自己愛が強かったりするのだが、

その他のスペックべらぼうに高いのでなんの痛みもないし、ウィークポイントにもならない。

まり自分が欲しいと思ったものをなんでも持っている。

自分はわりと温厚で人を嫌いになったり妬んだり、恨んだりしないタイプだと思っていたが、

どうにもそうではなくなってしまった。

自分が一生かけても手に入らないものを当たり前のように享受し、

不自由なくいきているあいつが羨ましく、妬ましい。

こんな黒々とした感情自分にあることを知らなかった。

知らなかったし、知りたくなかった。

あんなやつに出会いたくなかった。

しかし、アイツは良いやつだ。育ちのいい人特有のひとの良さがある。

からこそ悲しい。自分の浅ましさやみじめさだけが浮き彫りにされて、やるせない。生まれてはじめて人を妬んだ

2017-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20170225230302

頑張りが足らなかったから落ちたんだし当然の結果じゃないのか?

というかその場合偏差値40台の高校なのに有名私大に行けた奴がむしろ上手くやったという意味で良いほうなんだよw

だいたい中高一貫進学校から底辺駅弁行くのだって十分アレだし

そもそもその中でも灘とかレベルになると、たとえ東大に言ってもこんなやつと同じ学歴なのか、ってなるぐらい高校レベルに差があるやつが同学に存在してしまものなんだよ。

それでいちいち文句言う方が問題

2017-02-24

日本大学生セクハラって言葉を学んだほうがいい。

私、増田(ブス)がいたサークルは、男は中の中くらいだけど、女子はクソかわいい子ばっかり入ってくるところだった。

いかに多くの可愛い子を入部させられるかは、新歓にかかってる。

男たちは徹底してかわいいこをちやほやして、「男気」「男気」言い合って浴びるように酒を飲んで、

かわいこちゃんたちが帰った瞬間トイレに駆け込んでた。

女の先輩たちはそいつらを一瞥するだけで、相手にされない新入生男子と、増田含めブスな女子たちをもてなしてくれた。

当たり前だけどブスはブス同士で、かわいこちゃんはかわいこちゃん同士で仲良くなって、そのへだたりは卒業まで埋まることはなかった。

いくらかわいこちゃんとはいえ、大学2年以降になるとあの女の先輩たちのように相手にされなくなる。

飲みだろうがシラフだろうが関係なく、男女の会話はだいたいこんな発言オンパレード

安産型だね」「一瞬おっぱい揉ませて」「機嫌悪いね、なに生理?」「彼氏とどんなプレイすんの?」

一度「ね、それさ高校生の時も言ってたの?」って聞いたことがある。

しかしたら中高一貫女子校育ちにはわからない、共学ノリってやつなのかもって思って。

けどそいつは「なわけねーじゃんw」って笑ってた。

あるとき男子が大半を占める飲み会で1人が言った。

「今は何言ってもセクハラなっちゃうからね〜」

どのツラ下げて言ってんだって思いながら、適当に笑っといたけど、

お前ら大学生になって、酒が飲めるようになって、卒業したら社会人で、

ちょっと背伸びして「さらっと下ネタ言っちゃう俺」ってのに酔ってんじゃない?

それ社会人で言ったら左遷更迭減給、クビ、全然ありえるからね?

まあこういうやつほど、先輩から可愛がられてたり、後輩からしたわれたりするのも事実なんだけどね。

人望も行動力ユーモアもあって、そういうやつが成功するってのもわかるけど、

私はかれこれ5年以上あんたが不幸になることを祈ってるよ。

【追記】

私(増田)があの糞サークルにとどまったのは、どうしてもやりたいことがそこでしかできなかったから。ご指摘の通りよく4年間もいたなとは思うけど、飲み会公式?全体?のもの以外はほとんど行かなかったし、同期ともほぼ上部だけの付き合いだった(仲のいい先輩後輩はちゃんといた)。社会人になって、同じ業界で働く同年代の話とか聞いてると、不快な思いしてまであそこにいなくても他に道はあったかもとは思うけど、それは今だから言えることだな。

あともうひとつタイトルにある「大学生」の前に「男子」も「女子もついていないよ。

2017-02-03

ミソジニーに毒されないで!!とか

確かに、小学校低学年の頃からインターネット入り浸りだったのがミソジニーっぽい考え方になった原因なのかもしれないけど

中高一貫女子校でクソみてえな女性肯定論に囲まれて過ごした時間よりも、インターネットの方がずっと楽しかたからもうどうしようもない

まあフェミの人たちだって女性蔑視思考に完全に沈みきった女達なんざどうでも良いんだろうけど

でも「ミソジニーに転びかけてる思春期の女」を本当に救いたいなら、やたら女だけが語りかけるのはあまり効果的でない気がする

そういう子は「またうるさいフェミニストが何か言ってるよ、だから女はダメなんだ」くらいにしか思わないだろうし

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