はてなキーワード: ラッキーとは
彼女ができた。職場の年上の女性で、以前から関わりがあって素敵な女性だと思っていたし、これほどまでに気が合ってなんでも話せる女性に初めて出会ったと思っていた。
こういう人と付き合えたらいいなと半年以上想い続けていた。そんなとき、趣味の繋がりで一緒に出かけるというラッキーチャンスが訪れた。
それがきっかけでデート?に出かけることとなり、トントンと話は進み自分から告白、付き合うことになった。
恋愛経験の乏しい自分は、とにかく舞い上がったし、これから先一緒にやりたいこと・いきたいところなんかを考えているだけで仕事が驚くほど頑張れた。人生最高!くらいのテンションだった。
そんなテンションで過ごしていたある日仕事終わりに電話で連絡がきた。自分に否は無いが「やっぱりなかったことにしたい」そんな感じで切り出されてしまった。
心当たりがなさすぎて動揺した。聞くと、数日考えたが彼女は恋人という存在を必要としていないと思い、中途半端な気持ちで付き合うわけにはいかないからなかったことにしたい、そんな理由だった。恋人に頼ったり甘えることの幸せよりも、申し訳なさや違和感が勝ってしまうと。
もちろん自分としては、”してやっている”という感覚はなく、彼女に何かしてあげることそのものが幸せだった。
でも受け入れてもらえない以上、自分が恋人として彼女に関わり続けることは難しいし、そのせいで彼女に負荷をかけてしまうなら本望では無いと思い、付き合う話はなかったことになった。
電話では終始明るく振る舞ったが、電話を切った途端にいろんな辛さが襲ってきた。
まず、いろんな妄想が一瞬で砕け散った絶望感に襲われ、次に自分が恋人としていることの価値が認められなかったことに悔しくなった。もっと魅力のある人間だったら違う結果だったのか?そんなことを考えた。
ただ絶望していても仕方ないとも同時に思った。ここで逃したら本当にもう終わりだと思った自分は、なんとか逆転できないかということを必死に考えた。
それを考える過程で、恋人というのはどういう存在だったら価値があるのか?というのを考えた。
いろいろなことを考えたが、自分の中での定義は「無条件に自分の味方をしてくれる存在」「気兼ねなく自分の嫌なところや暗い部分を打ち明けられる存在」なのではないかと思った。
自分が彼女にとってそういう存在でいることは、彼女にとってもメリットなのではないか、そう考えた。
それで、少し時間をおいてその考えをぶつけてみた。(今この文章を書いている段階では、そこから数日経っているので少し思考が整理されて洗練されてるかもしれないが)
そうしたら、「それって友人でもできると思う」と。
この言葉に先ほどとは違うずしーんとした絶望感を感じてしまった。
確かに職場という狭い世界でみても、彼女の周りにはそういう味方になってくれそうな友達がたくさんいるように見える。
自分はどうだろうか?元々たくさん友達がいるタイプではないという自覚はあったが、深く狭くでいいと思っていた。
ただ、いざ振り返ると深い関係の友達なんて一人もいないということに気づいてしまった。
そんなことを考えていたら、やっと付き合えた憧れの人を失ったことに対するショックと、人間としてまともな交友関係を築いてこれなかった自分の人間性に対する絶望感で何も手につかなくなってしまった。
こんな時、彼女のいうような友達(多分こういう人のことを親友とか言ったりするんだろうか)がいたら、彼女と付き合うことは叶わなくてもこんな絶望に襲われることはないのだろうか。
ほんとは誰かに話してパーっと忘れたり、気が済むまで話できたらいいんだろうけど、そんな友達はいないし、そもそも社内恋愛なので会社の同僚には喋れないしもうどうしたらいいんだろうか、どう気持ちを整理したらいいだろうかと思って書き殴ってみた。
本人に見られたら解っちゃうくらいの感じで書いてるけど、誰にも話せなくて辛かったので許してください。
スパゲッティよりパスタのほうがおしゃれに聞こえるのでパスタメジャーと書いたものの、よく考えたら正確にはスパゲッティメジャーなんだけど、とにかくこれが欲しいのだが近所に売っていない。
鍋に半分に折ったスパゲッティをぶち込んで水に浸して2時間~一晩ほど経ったら一旦皿に取り出してお湯を沸かして茹でる、
というあまりにも雑なので改めたい、というか長い麺で食べたいと思うようになったので、
百均でスパゲッティが折らずに入る蓋付きケースを買うことにして、ついでにパスタメジャーも買うことにした。
いつも多めに茹で過ぎちゃうからな。食べ過ぎ防止とか茹ですぎてお皿に溢れるといった心配もこれで無縁じゃ。
で、百均に行った。
スパゲッティを入れるケースはレンジで茹でられるケースと保存用ケースの2つが売ってたが、
できれば鍋で茹でるし茹でたいし、見た目もシンプルな長方形の保存用ケースの方を買うことにした。
パスタのケースはケース売り場だったので、調理器具売り場の棚を探してみるものの、ない。
えーーおうちでググったときは検索候補に「パスタメジャー ダイソー」って出てきたじゃん。無いの?無いのか…そうか…
でも気づいたんですよ。保存用ケースの袋の宣伝文句に「パスタメジャー付き」って書いてあるのが。
なんだこれ一個買えばパスタメジャー買わなくていいなら100円浮くじゃん、ラッキーとその時は思っていました。
で、早速使ってみた。
うーん、これパスタメジャーっていうか、円形の凹みが蓋にちょっと付いてるだけだよね。
せめて凹みがもう少し深かったら、わー(百均の商品にしては)便利~ってなるとこだったけど
うん…まあ100円だしな…って出来だったわ。
というか宣伝文句に気づかなかったらタダの謎の円というかちょっとデザイン的になんか丸描いてみたって感じで気づかなかったわ。
もうこうなったら値段は気にせずおしゃれなやつがいいなーと思って改めてググってみた。
家事問屋のパスタメジャーがシンプルオサレの極みでめっちゃ欲しい!ってなったんだけど
水漬けメインでパスタしていきたい自分と茹でる直前の一時的パスタ置き場として使える利点が見事に噛み合ってなくって
今回はちょっとご縁がなかったということになった。
ということで引き続きパスタメジャーを探す旅は続きそうだった。
実は百均の前に近所のスーパー3件くらい回ったんだけど売ってないんだよなー。
正直ちょっと探せばあるだろ、って思ってたけど意外に無いもんなんだよな。
内容はよく私分からないわ。
でもグラミー賞!っていいたいのよね。
今年のは美味しいらしいわよ!って言うと
人はいかにして雰囲気で生きているかって事を体現しているわね。
これも薄手にトーナメント方式でめちゃ盛り上がる少年漫画であるバトル漫画ものの展開でありがちなパターンよね。
そんで、
未開封のCDの後のバーコードを戦わせるという単純明快なルール!
でもこれだから今年のグラミー賞はまだギリギリまで分からない息を呑む感じなのよね。
きっともう内容なんて
全てはバーコードありき!
だれもが納得よね。
もう映画の内容はともかく、
むしろそれを映画化した映画がすごい映画の賞を受賞しちゃって、
下町ロケットみたいに
無敵のバーコードの開発秘話をもう映画化した方がいいかもしれないわね。
全ての世の中のことがらはバーコードで回ってるって、
結局はバーコードかバーコードじゃないかって話しだけじゃない。
縦書きの英数字が羅列してなんかスゴいプログラミングしているような画面。
あれって監督がまさか日本人はプログラミングも縦書きかよ!って思ったに違いない誤解から生まれた演出であり
はごろもフーズのシーエムの終わりらへんに出てくる
水面にしずくを音して
でそれに興じたお客さん達が、
マーケットに群がるけど、
シーチキンと言えども
本当にファンキーな話しよね。
でね、
むしろ賞味期限が切れた方が缶内で何かが熟成してるのか分からないけど、
時間が経った方が、
美味しいんだってよ。
桐島、シーチキン賞味期限切れた方が美味しいんだってよって映画あったら観ちゃうわ。
そのぐらいの話しみたいよ。
賞味期限が切れて食べ頃ではないけどその逆に意味で食べ頃なのよ!
でも私はその新しい製造の缶詰と古い時間が経った缶詰との味の違いがポンコツな舌では分からない気も知れないので、
ほら!人はいかにして雰囲気で生きているかを体現するかのようなことになると思うのよね。
まあ食べてからのお楽しみなわけなのよ。
そんなシーチキンの話をしていたら、
でもさ、
食材を適当に検索したら何かしらその検索ワードで用いるレシピが絶対に出てくるから、
もう世の中どんだけクックパッド的なもので世の中網羅されているかってことも思い知らされるわ。
もう世の中の人は雰囲気とクックパッドだけで生きているようなものね。
なんて!
うふふ。
特に験担ぎって大袈裟なほどではないけど風呂敷は広げてみたわよ。
美味しいものを頂いてニッコリよ!
朝からションテンあげて行きたいじゃない。
買った、ちゃんと買ったやつよ。
割引シール貼ってあって
なおかつラッキーだったわよ!
一番デトックスウォーターのなかで味で言うならこのイチゴストロベリーウォーラーが一番まともに美味しいと思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
後輩たちの理想になることは諦めた。
だからせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。
本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。
塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)
小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形やたまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーとミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。
小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり「女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子は恋愛対象にはならないからOK、ということだ。
お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由で特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。
やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。
そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなたは絶対に女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。
結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。
ギャルもヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服はスカートとズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。
強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。
共学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。
ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。
日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。
そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。
高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系の女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリの文系である)自分も文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子は文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである。
入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。
多分1週間も持たなかった。
一瞬で最初のグループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。
そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である。
女子高を卒業し、大学は学部もバイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社に就職した。
総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務に邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分の意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。
どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端な位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。
男社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。
「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分の意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。
「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」
前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。
今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。
会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。
性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。
もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。
自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。
いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。
女性の採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。
でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやすい会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会的役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ。
だから、やっぱり続けたい。
優遇してくれとは思っていない。
ただ、男性と同じところに立たせてほしい。
男だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。
結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さんが子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。
ただ、この状態の総合職(男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。
「キャリアと子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。
同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。
「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないか。だって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚・出産は考えられない、と判断した。
男性も本当に同じように悩むんだろうか。
大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身・子どもはいない率に茫然とする。
きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性が活躍できる場を広げてくれた。
ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。
一緒に頑張ろうと言っていた同世代の女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。
幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。
そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。
だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。
それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか。
男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。
気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。
これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから、自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。
男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性の待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。
そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。
後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。
そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性の社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。
自分がラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから。
それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。
私の心がそれまでに折れなければの話だけど。
日本社会のジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。
なれるかな。
なれたらいいな。
この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。
少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。
一人目は、在日朝鮮人だった。
「戦後60年日本人はがむしゃらに働いてきた。その人たちが日本の豊かさを作ったので我々が恩返し・支える必要がある」
みたいな発言をしたところ、
「ぜんぜん?」
みたいに氷のような無表情でいってきた人。
あーこいつ外人だと思った。
「中国の諸子百家はいろいろ思想があっておもしろい。中でも孔子・老子・孟子・荘子は日本人が学んでおく必要がある」
みたいにいったところ、
「ぜんぜん?」
と、こちらも無表情で、まったく心底興味のない顔だった。
今思えば100%中国共産党員だったと思う。(他の中国人はそういう話をすると誇らしい顔になったので)
政治的に人生をコントロールされている人は、
その歴史観や人権意識も、他人にコントロールされることになり、哀れだと思った。
そこに学生時代、勉強することでフラットな思想を仕入れることができる。
しかし幼少期から親や政治組織(宗教という名の政治的組織ふくむ)から「仕込まれ」てしまうと、もうほかのものを受け付けられない。
そうして出来上がるのが、
「人間らしき姿をした」怪物でありフランケンシュタインである。
おもえば中学高校大学で、大量の文献を自由にみて選択できる日本という国に生まれたのはラッキーだったと思う。
もちろんそこでマルクス主義を選んだかもしれないし、マキャベリズムを選ぶこともできたかもしれない。
しかしそうならず、基本的人権や生命権こそすべてという思想に、「自ら選択して」なれたのは日本のおかげだと思う。
自ら選択しない(できない)フランケンシュタインがいきつくのは、兵隊としての暴力である。
そして暴力がいきつくのは、血であり、弾圧であり、臓器摘出であり、レイプである。
「ぜんぜん」
を教えてくれた二人は、人生の師だったと思う。
女やってると「女の体不都合あり過ぎ、やめたい」と思うことが多い。
PMSをマシにするためにピルを飲んでるから毎月2000円くらい持ってかれる。この2000円が会社に貢献してるんだと思おうとしてるけど、じゃあ会社が出せよとも思っちゃう。生理用品代も含めて、生涯考えると50万円以上ポーンと飛ぶと思うとめちゃくちゃムカつく。それでGUCCIのバッグを買わせろよ。
妊娠する側っていうのもめちゃくちゃムカつく。どんなに夫が協力的でも産休は免れない。夫の方が稼ぎが悪くても休むのは妻。1年たりともキャリアを断絶させたくないのに、結婚すると高確率でそれは訪れてしまう。なんで男にはこれがないの?
それでもこれはラッキーなケースで、最悪男に逃げられても女は妊娠からは逃げられない。種付け逃げされてしまう可能性だってある。自分で腹を痛めないせいか男は妊娠に関しての当事者意識が異常に低い気がする。
ここからはわりと個人的な特徴もあるけど、胸が大きくて不躾な人間めっちゃ見られるのも、小柄なせいでどんなに鍛えても力に限界があるのも、もう辟易してる。いやだ、女の体嫌だ。
男だって大変なんだよってやつめっちゃいるけど、じゃあその「脳みそがちんこドリブンになっちゃう」以外に何があるんだよ。生理みたいな回避不可能事項だぞ。なんかあるのかよ。
それは偏差の希少性の表現であって、超常現象っていうのは「常態を超えている」現象で奇跡っていうのは「奇しなる跡」でレイヤーの異なる現象の片鱗が垣間見えることだろ
それがどんな事でどれだけ自分の周りにあるか、ないか、なんてのは知らんがな
ボクにとっては日常茶飯事っていわれても 子供部屋から一歩もでないでネトゲで神と崇められてるおじさんは 一般人からみたら超常で奇跡だよ
奇跡がただのレアケースの言い換えのようになってしまったので追記
掃きだめに鶴が降臨したことで発生するような事が起きるのが奇跡
奇しなる事の片鱗が残るように結果が見受けられ、推察するにもしかして原因はそのあり得ない事なのではないかと推察できる事柄が奇跡
まぐれのラッキーを後から考察すると様々に偶然絡み合った事柄が成したことであり、その多重多様な様が一度きりの偶然としても語るに足る稀有さというのが奇跡
それをまたさかのぼって、こんどはその完全に偶然の塊みたいなことを再現できるというのが奇跡を起こせるということだからまず狙って起こしえない事が奇跡
簡単に起こせるそれが他からみればとても貴重、という差異で希少性の価値評価名を奇跡とはいわない それはただ単に運がイイ希少性の再現才能があるってだけ
目をつぶって道路を横断しても轢かれないのは奇跡 何回やっても轢かれないとか何年も轢かれないのは奇跡 それを狙って起こせるのも奇跡
そんなもん身近にもないし狙ってもできないし みんながそれをわかってくれててよけてあげてるのなら「そんな状況に生きてること自体が奇跡」
子供部屋おじさんの奇跡はこれだね 他人の命をつかって幸福な奇跡を完成させて享受してるんだろう
海が割れるって状況が存在するにしてもそんなものは偶然がいくつ重なっても到底ならないものをしでかすのは奇跡
でも海が割れるって物理的に不可能なことが実健するのは奇跡じゃない それは神が成しえるのなら神秘 神による人に理解不能な何かしらの秘だ
子供のころ、両親共働きで帰りも遅くて、地元の公民館にあった図書室に入り浸ってたから色々小学生で読んだら不味そうな本とかも読めて学校の図書室より面白かった
公民館のイメージが地域によってバラバラみたいだけど、基本毎日9〜19時くらいまで開館してて、事務所にいつも何人か職員の人がいて、老人がカルチャー教室とかで集まったり、地域の会合とかがあったり、ちょっとしたホールがあって演歌歌手のどさ回りがあったりする感じのやつ
子供向けの本のコーナーは全体の1/4、郷土資料とか図鑑とかが1/4、あとは娯楽小説とかのハードカバーって感じだった(文庫本や漫画は確かなかった)
佐藤ラギのギニョルとか、当時意味わからないなりになんかヤバいものを読んでる…と思ってたりしてめちゃくちゃドキドキした
高校生になると市の大きな図書館が高校から歩いて30分くらいにあったからそこでも毎週上限まで借りて、高校の図書館は文庫本が多めだったからそこでも毎週上限まで借りて、めちゃくちゃたくさん小説を読んでた。
新書とか論評とかは全く興味なくて今に至るまで読んだことがない。あれだけ流行ってたバカの壁とかも読んでない。
高校の図書館は毎年貸出冊数の表彰してくれてて三年間毎年図書カードをもらってたし、国語のテストや模試の成績だけはいつも良くて、現代語の小説しか読んでないのに古文や漢文も小論文も苦労なく解けてた。
大学ではオタクになって、生活費を削る勢いで商業BLの小説と漫画を読み漁った。
それなのに就職したら全く本を読まなくなった。文庫本一冊読みおわるまで集中力もたなくて何度も中断して結局よみかけの本がたくさん棚にある。
その代わりにずっとTwitterみてる。いろんな人の本当かどうかわからない呟きも小説みたいなもんだな〜と思うとダラダラと何時間でも見てられる不思議
あれだけ本読んでた私が本読まなくなるほど高負荷の労働をそれなりにこなして、趣味にも家庭にも力入れられるとか世の中の人どうなってんだろな…偉すぎる
実際に高負荷だった新卒で入った会社を辞めて、楽な方に楽な方に流れてきて、月の残業10時間未満の仕事に就いてるけどそれでも土日は布団でゴロゴロしてるとすぐ終わるし、平日も20時に帰宅して飯風呂即布団みたいになるし…
まとめると、本に簡単にアクセスできる環境で育ててラッキー、多読してる分国語の成績は良いけど他の教科の勉強してないからトータルするとバカの部類、労働は体に悪い
https://anond.hatelabo.jp/20210228234557
を読みました。上の記事の方とは別人ですが、同業者として色々と思う所があったので書きます。初めての増田です。
自分を勝ち組とは思っていませんが、年齢や職位などはこの記事を書いた方と似ています。ただ、多分私の方が少し年上です。
各所で反響があったようですが、基本的には過酷な労働環境で頑張る若手教員、すごいな、頑張っているな、というような反応が多かったように思います。私も他人事として記事を読んでそう思ったのですが、ふと自分のことを振り返ると決して自分の労働環境が過酷とは感じておらず、大変幸せな日々を送れているなと思いました。大学教員のような仕事に対してよくあるイメージとして、好きなことをやっているのだがら、異常な労働時間も苦にせずに働く、といったようなものがあるかと思います。しかしながら、私の幸せというのはそういったものではなく、むしろ大学教員の裁量を最大限使うことでワークライフバランスを保ちながら、学生と刺激的な議論ができ、たまに面白い発見もありといった具合に割とゆるく楽しむといった感じです。こういったケースはレアかもしれませんので、私の大学教員ライフを共有できればと思います。
元記事の方も書かれているように、大学(院)教員として研究室やゼミでの学生指導は最も重要な仕事だと思います。が、私は1人あたりにかける時間としては元記事の方の1/2 - 1/3程度です。基本的には配属時に時間をかけて研究ゴールの共有と中長期のスケジューリングをして、あとは学生におまかせです。人前で発表したりする訓練は当然必要なので、週0.5時間程度/人ミーティングで発表してもらいます。もちろん、学生から議論したいと言ってきた場合はこの限りではありません。そのときには、なるべく少ない時間で議論の成果を増やすために、分からない事がある場合はなんでもいいので自分の仮説を持ってくること、をゆるやかに要求しています。そうでない場合は、「とりあえず2,3日考えてみて、俺も考えとくから、あとで答え合わせしよ」てな感じで一旦追い払います。2-3日後に答えが出なかったらその場で一緒に考えます。ちなみに、私は学生といろいろお喋りするのは好きなので、この部分が多少増えても苦痛ではないのですが、お互いの効率を考えてこのくらいの配分にしています。投稿論文を書くときはある程度時間を使って一緒に書きます。
このあたりは大学や学科依存で若手教員の負担がかなり違う部分だと思います。平均的な実負担時間でいうと私は元記事の方の1/5程度です。
私の学科では単純に教員の数が比較的多く、負担が少ないといった部分があるとは思います。ただ、学生実験に関しては、技官さんやTAと打ち合わせをしっかりして、学生実験の数ある業務(設営、実験前の講義、実験中の巡回、試問、採点などなど)のうち、どの部分が教員にしか出来なくて、どの部分は技官、TA、学生に担当してもらえるかはいま一度考えてみるといいかもしれません。意味もなく教員が実験室で巡回するといった無駄があるならばそれをへらす努力は必要(だが多くの学科でされていない)だと思います。
このあたりは同程度です(週3h程度)。好きではないですが、気晴らしと思えばそんなに苦ではありません。また、自分以外(秘書さん、大学事務、学生)にふれると思った仕事はどんどんふっていきます。例えばオープンキャンパスの運営が例にあがっていましたが、こういった毎年殆ど同じ内容の仕事(上の学生実験も実はそう)は、マニュアル化して多少のバイト代さえ工面できれば、自分で動く時間はだいぶ減らせます。
この仕事を苦にしないために、アブストをよく読んで1.本当に読みたい論文である場合 2.自分の専門に合致しており容易に論文の価値を判断できる場合 のどちらかに当てはまる場合以外は断るようにしています。1であればどうせ後々読む論文を先取りできてラッキーですし、2の場合は4-5時間くらいで査読レポートまで書き終えられるので、締切直前にぱぱっと終わらせます。月2くらいのペースなので、時間的には元記事の方の半分くらいです。この一年は皆引きこもって論文を書いていたからか、依頼がめちゃくちゃ増えました。査読をするといかにも科学コミュニティに貢献しているといった気分にはなるのですが、一方で、査読する価値もないゴミ論文も相当数投稿されるので、そういったものはしっかり査読する前に断るようにしています。
科研費はもちろん、プロジェクト型予算、色々な財団の助成金をとにかく出せるものはすべて出します。結局お金があると、秘書さんを雇えたり、学生にバイト代を出せたり、研究にしても既に新規性のない開発部分は外注したりと、かなり自分の時間を買えるので、ここは力を入れてやっています。募集が沢山ある時期は一日中申請書を書いているときもあります。
基本、断っています。個人的な感想ですが、研究者の数は増えないのに年寄り(に限らず若手の会みたいのも沢山あって困りものなのですが)の同窓会のような学会が増えて、お互いに何が違うのかも分からない研究会が乱立しているような印象を受けています。私も以前は参加していたのですが、そういう学会に行って懇親会なんかがあると、決まって皆大学事務の悪口や、如何に大学での雑務が忙しいかで盛り上がります。私達が今参加しているまさにこの会こそ意味の薄いものなのではないかと考えるようになり、基本的には学会には参加しないようになりました。
さて、残りの時間で自分の研究です。上の項目はあくまで平均であって時期によって忙しさが違うので、何週間も自分の研究が進まないこともありますが、逆にどかっと時間があいて没頭できることもあるので、無理せずに自分のペース進めています(それを可能にするためには、極端な競争になりにくい研究テーマを設定するなど、それなりに考えてやる必要はあると思います)。
随分な長文になってしまいました。自分の周りの若手助教の先生なんかを見ていても思うのですが、どうも大学教員は忙しい!雑務多い!それでいて待遇ひどい!学生は使えない!といったような思い込みに縛られている人が多いのではないかと感じます。過酷な環境で業務をこなすスーパーエリートってな感じでやっていくのも悪くないですが、現場でできる効率化をどんどん進めて、ゆるふわハッピーに研究をするっていうのもアリなのではないかと思う今日この頃です。今年度からは科研費等の研究費を一部自分の給料にあてることも出来るようになり、大学教員の待遇は良くなってきている部分もあります(予算とれば給料ふえる)。個人的には、大学教員は自分が研究を好きという点を差し引いても十分魅力的な仕事で、若者にすすめられる仕事です。
職場の人に、恋を忘れるには新しい恋だよ!と言われ、馴染みのない土地でマッチングアプリをした。
1枚目はぼやけてる写真、2枚目は顔に薄くぼかしが入っている写真のプロフィール画像を選び男を左、右へスワイプした。
話が会って、顔も好きになれる人とマッチングし会うことになった。
カフェで地元や仕事、関西の話をし、向こうがもう少し話したいと言い居酒屋に行くことにした。
居酒屋では、お酒を飲みながらヤンニョムチキンを食べ漫画の話、過去の恋愛話をした
やはりそう来るか、
私もそうなるかもな〜とは思っていた
毛の処理もしたし、コスメデコルテの高いフェイスパックもした。ボディミルクも6プッシュした。
でも、ビデオが擦り切れるほどディズニー映画の美女と野獣を観て育った私は即セッ○○をする世界は考えられなかった。
美女と野獣は、町娘のベルと野獣になってしまった王子様が共に過ごし、孤独だった二人が心を通わせ、愛するということを知る物語だ。
出会って即セッというのは心を通わせる楽しさをすっ飛ばし、いつキスするのか〜とか妄想すら出来ないので、それとなく断った。
男とまた会おうねと会話をして、地下鉄に乗っているときに急に虚しさが芽生えた。
私は向こうのことをもっと知りたいと思っていたのに向こうは出来ればラッキーと思っていたのかと
大好きです!!この世で一番美しい!!!と求めてくれれば、情熱に負けて応えてたかもしれない
しかし、俺んちまでタクシーに乗って、You Tube見ようっていうワンチャン狙いの言葉に冷めてしまった。
私じゃなくても、セッ出来る人間なら誰でも良いのか、酒の力を借りてしか動けないなんて。
すれ違いの遠距離に耐えられず私から別れを切り出した元彼が勇気を出して告白してくれたこと、初めてキスした時手が震えていたこと、かわいいと言ってくれたこと、頭痛のときに大丈夫?とライン電話で心配してくれて、音を立てずに電話を繋いでくれたことを思い出した。
今更になって、優しい人だったなと思い出してし、最寄り駅で降りたあと泣いてしまった
。
惰性で生きていることには変わりないから、強制的に人生終了する方法ってあればラッキーと思ってしまう
テロとかに巻き込まれて、自分が気づかないうちに死んじゃえないかな
他の人からみたら不幸かもしれないけど、自分としては願ったりかなったりな死にかた
毎日退屈なだけで、生きるのが辛いとかじゃないの
俺は破滅主義者で反出生主義者なので、環境を保つことにはまったく意味を感じない
むしろ、自分が生きてる間にクソ長い時間をかけて育まれた生命の歴史が終焉に近づくんだったら、いいもの見れてラッキー感がある
未来を託したい子供もいねえ いまの生活もどうせ苦痛だし結構どうでもいい 全部メチャクチャになったら多少は困るだろうけど、それはそれで面白いので可
これなんだよなあ、ほんっっっっとーにこれなんだよなあああ
SDGsなんて言ったって、自分の血が残らないのにいったいどこの誰のために、わざわざ環境を守らなきゃいけないっていうのか
今や勝ち組の子持ち様のために我慢なんか、ストロー一本だってやりたくねえっつうの
子孫もいなけりゃ、今更共同体の存続だの国体の護持だのをどうたら言うような時代でもないんだし、インセンティブなんかどっからも湧いてこねえに決まってんだろ
だいたいその辺の理屈をみんなバカにして捨ててきたのは進歩的な皆様の方なのに、今更代わりの何に頼るつもりだよ
じゃあなぜお前はスマートフォンをイチから作れないのにスマートフォン使ってんだ
「自分で生産できないものは消費してはならない」みたいな事実、まったくないだろ
そんなこと言われたら俺は裸で飢え死にすることしかできないぜ
俺が犬を食べないのは、カエルを食べないのと似たような理由 売ってないし、食べたことなくて不気味だから
俺は破滅主義者で反出生主義者なので、環境を保つことにはまったく意味を感じない
むしろ、自分が生きてる間にクソ長い時間をかけて育まれた生命の歴史が終焉に近づくんだったら、いいもの見れてラッキー感がある
未来を託したい子供もいねえ いまの生活もどうせ苦痛だし結構どうでもいい 全部メチャクチャになったら多少は困るだろうけど、それはそれで面白いので可
生きてる間は肉が食えるといいなと思う
社会、どう見ても先細りじゃん
環境問題もシャレにならん感じらしいじゃん
肉とか食ってられなくなるって話じゃん
AIが簡単な仕事を代替していくから、高度頭脳労働みたいなのができんと働けない感じになりそうじゃん
幼少期から塾にぶちこんで英才教育したら勝ち組になれる「可能性」を得られるけど、そうしなかったらわりと負け組一直線じゃん
格差、拡大する一方じゃん
そんで、その勝ち組に行くための道も決して楽なものではないじゃん
才能なかったら受験は無理だし、心折れて自殺するようなのもいるらしいじゃん
未婚率爆上がりで、恋愛に没頭して気を紛らわせたり、お前らみたいに子供作ってそれに逃避することも難しくなってるじゃん
どうして子供つくるの?
キツい人生を送らせることになりそうだ、とか1秒でも思わないの?
自分がせいぜい20年くらいのリアル育成ゲームを楽しんだらあとはポイで、あわよくば介護要員と金が手に入ってラッキー!くらいの気持ち?
本当に不思議です
可哀想だとは思わないのかなあ?
なんか知らねーけどさ、アメリカあたりでドラッグをキメた兄ちゃんが"悟る"わけですよ
特定のフレーズを頭の中で3回唱えたあと胸に手をやると、眠るように死ねる!っていう、人間のバグめいた挙動を発見するわけだ
そのフレーズは、10ワードないくらいの、ヘンな英文 難しくはないし、意味もそんな分かってなくていいから、全世界の誰もがそれで死ねる
頭の中で3回唱えたら死ねるフレーズがネット上に広まったら、世の中どうなるかしら っていうのが気になる
俺は間違いなく死ぬと思う
たぶん初期に「へー試してみよ、どうせウソやろw」みたいな感じで試して、そのまま死ぬ
なんか、カジュアルにスッと苦しまずに死ねるんなら死にますわって人、結構いる気がするんだよな
ちょっと検索かけたら気軽に安楽死の方法に辿り着けるようになった世界、見てみたすぎる
死のフレーズはもちろんメチャ厳しくBANされるだろうけど、10ワードくらいの短文を人の目から隠すのってインターネットでは不可能そう
ワイがオラァァァっァァァと殴りかかった相手は幸いにもほぼ全て言語と法律で対話できる人だった
3人だけできないヤツがいてこんな感じ
学校と違っていじめられているやつの生活もある話だからやり過ぎないよう気をつけてるけど
ムカつくので殴ってる
それで得したことは無いけど街で面倒みた子らに声かけられるのは悪い気はしてない
anond:20210224185827 anond:20210224190032 anond:20210224185553 anond:20210224192427