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http://jingunomori-ladies-clinic.com/?p=910
11月に入り新型コロナの第3波が日本に襲来してきています。今回の感染状況は冬も控えて前回の1波2波より危機的状況のようです。現在世界中でワクチンの開発がされていますがその有効性と安全性は全く不明です。ところがホメオパシーには過去にインフルエンザの予防や治療に効果を上げた歴史的実績があります。1918年から19年にかけて世界中で流行したインフルエンザであるスペイン風邪では通常の治療を受けた集団の死亡率は30%から60%でしたがホメオパシーの治療を受けた集団では1%から2%でした。また今回の新型コロナに関してはインドからホメオパシーによる予防効果についてすでに次のような報告がされています。
2020年4月の10日から23日にインド政府が合計17か所の検疫所から集めた26525人を対象におこなった。コロナ患者に濃厚接触した2625人に「あるレメディ」を7日間予防目的で服用させたところ11人を除いて誰も発症しなかった。しかもこの11人は7間服用せず3日間しか服用しなかった。インドはホメオパシーが盛んな国でインド政府が積極的にホメオパシーの臨床と基礎研究に力を入れています。私はこの2625人という多数を対象としているのでこの成果はかなり信頼性があると思います。レメディはご承知のとおり生命力、つまり免疫力を活性化する作用があります。インドでは新型コロナの患者数が多いのに死亡者数が少ないのはホメオパシーを予防や治療に積極的に使用しているからといわれています。
コロナは濃厚接触してもしなくてもどこで感染するか分かりません。そこで使用法としては月に1回だけレメディを服用します。月に1回だけの服用で1か月間有効のレメディを用意しました。これを12か月服用します。つまり1年間に12回だけ服用します。
このレメディをご希望の方はホームページの終わりにある申し込みフォームからお申込み下さい。レメディを郵送致します。費用は12か月分で25000円です。
http://jingunomori-ladies-clinic.com/?p=948
オリンピックが終わった8月から日本では新型コロナが爆発的に広がってきています。今回の第5波は過去最悪で制御不能と言われています。ホメオパシーには過去にインフルエンザの予防や治療に効果をあげた歴史的実績があります。1918年から19年にかけて世界中で流行したインフルエンザであるスペイン風邪では通常の治療を受けた集団の死亡率は30%から60%でしたがホメオパシーの治療を受けた集団では1%から2%でした。ホメオパシーによるコロナの予防については前回話しましたが今回は治療の話しです。インドはホメオパシー大国でインド政府が積極的にホメオパシーの臨床と基礎研究に力を入れています。そのインドの公的研究機関がインド政府の公認を得てホメオパシーのコロナ治療の有効性に関する大規模な臨床研究を行いました。今回その結果が発表されました。その結果コロナ治療に関する27種類のレメディの有効性が確認されました。
当院ではこのなかで特に有効性が高い3種類のレメディの「カクテル」を作りました。このカクテルでコロナによる25にのぼる多くの症状の改善をすることができます。レメディは生命力、つまり免疫力を活性化する作用があります。インドでは新型コロナの患者数が多いのに死亡者数が少ないのはホメオパシーを予防や治療に積極的に使用しているからといわれています。
このレメディカクテルは自宅やホテルで療養している軽度から中等度の症状がある患者さんにお勧めします。1日3回服用で数日間使用します。身体症状のみならず精神的不安感などにも有効です。またコロナ感染後の後遺症に対しても有効です。
このレメディをご希望の方はホームページの終わりにある申し込みフォームからお申込み下さい。レメディを郵送致します。費用は一人分35000円です。
コロナ・ウィルスは変異により症状が変化することがあります。ホメオパスはクライアントの症状をセッションで可能な限り観察し、クライアント毎にレパートライズすることを忘れないでください。
処方の目安:
Ars. 30Cを3日間にわたり1日1回、空腹時に服用します。
近隣で新型コロナ・ウイルスの発症が蔓延している地域では1か月程度は継続します。
*藤沼医院
・A型・B型インフルエンザと新型コロナウイルス用中和レメディ
https://fujinumaiin.jp/?p=2308
季節性インフルエンザと新型コロナウイルス用中和レメディについて、解説動画を2本アップしました。
沼医院ではロシア製メタトロンなどの量子理論に基づく波動測定治療機器を代替医療に用いています。
当院では一般にはほとんど普及していない最上位最新鋭機種の4D Oriental Holisticも稼働中です
これらの機器によりホメオパシーで用いる砂糖粒(英国製)に量子情報をリプリント(転写)してレメディー(薬)を作成することが出来ます。
細菌やウイルスの各々の量子情報は既にこれらの機器に記憶されていますから、その情報を逆転写してそのウイルスの情報を中和消去することも可能なのです。戦闘機の交信にも使われているノイズキャンセリングの手法と同じです。
当院では日々の代替医療にこの方法を取り入れ大きな効果を上げています。
新型コロナウイルスの詳細情報は未だ解りませんが、新型コロナウイルスにはHIV(エイズウイルス)の4つのタンパクが組み込まれているとの海外論文(現在は取り下げられています)があり、実際HIVに対する治療薬(カテロラ)が効果を上げており、エボラ出血熱の治療薬(レムデシビル)も検証段階に入っています。
そこで、コロナウイルスとHIV、エボラウイルスの3つの量子情報を砂糖粒に逆転写して新型コロナウイルスに対する中和レメディを作成し、現在臨床試験中です。
新型コロナウイルスに対するエビデンスはこれから明らかにする予定です。
・1日3回 (1回1~3振り)を舌下で溶かして粘膜吸収させる
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1 9月以降の対応について
・原則、登校はせず、基本的にはオンラインを活用した授業・学習としますがプリント等の課題も併せて進めます
・保護者の仕事等の都合上やむを得ない場合は、登校可とします(自宅での学習と同様)
・登校する場合は、弁当持参で午後3時頃までの学習とします(その後は下校あるいは児童クラブ等)
・近日中に改めて、家庭のインターネット環境の状況などオンライン授業に向けた準備に係るアンケート調査を実施します(学校において既に把握している場合は除く)
※感染が拡大している中、給食を提供することにより、給食の配膳、片づけ時は複数人が触れる食器や配膳器具からの感染リスクが高くなることがどうしても避けられないため、申し訳ありませんが給食の提供は行いません。登校する児童生徒は弁当持参を原則としますが、夏休み中の児童クラブ同様、業者への弁当注文も検討しています。
2 登校について
〇9月1日(水)
・配布物、今後の学習の進め方のオリエンテーション等を行います
・登校が難しい児童生徒については、電話等で確認の上、個別に対応します
〇9月13日(月)以降について
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正直、とてもホッとしている。
まだ親二人とも1回目のワクチンも打てていなかったので、このまま普通に学校が始まるとなると、学校内クラスタ→子供感染→親感染→詰み だなと戦々恐々としていたからだ。
学習者用端末の普及を前から進めていたからできることなのかもしれないが、同じような端末がある自治体はそうした方がいいと思う。
リモートワークできない親の子供は登校できるという救済策があるのもいい。
このご時世、気軽に旅行にも行けない。
そんな中、友人間で流行っているのがdiscordでの思い出語り。
過去に友達と行った数々の旅行やお出かけの写真や動画を見返して懐かしみ、
「また行けるといいな」なんて言いながら、
その日がそう近くないことはみんなわかっているので、ちょっとしんみりして通話を終わる。
ふと思った。
100年後の俺がもし生きていたら、
老衰しきってもはや友達もお互いに五体満足に動けなくなっているかもしれない中で、
せめて過去に縋るときにはこの頃をこそ再び振り返るのではないか?
今まで撮った写真や動画は歴代のスマホ・ガラケーの中にたくさん詰まっている。
容量にすると多く見積もって1TBくらいになるだろう。
例えば向こう10年程度を想定するなら、適当なクラウドストレージにぶち込んでおけば
たまに見返したくなった時の思い出くらいは問題なく満足できるだろう。
ただし今俺が求めているのは、
・今まで撮ってきた思い出のすべてを
である。
たとえば、両親が財布に幼少期の写真をプリントしたものを大事に抱えていることがあるかと思う。
または結婚式のアルバムだったり、写ルンですで撮った褪せた写真の束なども実家なら存在するだろう。
白黒の文字のみを記録するのであれば紙媒体でも100年程度もつかもしれないが、
こと写真において破れたり色褪せたり滲んだり折り目のついたものではもはや満足はできない。
それに1TB分の写真・動画であり、物理媒体に保存した場合はたとえばこれからの引っ越しの際などに
ググったらちょうどいい記事が見つかった。
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1508/26/news007_2.html
紙媒体にも触れていて、結論からすると電子媒体では100年後に残すことは難しいらしい。
続く記事にも、このあと触れようと思っていたクラウドストレージの問題点(データは保証されない、サービスの予期せぬ終了など)があり、
結局はたとえば今ならSSDかHDDあたりにぶち込んでおいて、
適宜マイグレーションを行いながら後世へとつなぐしか方法はないように思える。
ただ、これにも実は懸念があり、
例えば現在主流の圧縮形式、拡張子が100年後も現行で使われているとは限らないためその部分もマイグレーションが必要になり、
そしていつかはマイグレーションすらできないタイミングが発生しうるということだ。
その時俺はどうするのか?
もはや記憶の中の美化された各々の顔や声だけを頼りにするしかないのか?
誰か助けてくれ。
ちなみに26歳です。
静かな夜だった。
幼い娘が電気を消して欲しいと言うから、わたしは寝室の常夜灯を消して、ベッドに横たわる彼女の隣に寄り添った。
「ママ、苦しくない?」
娘はそう言うと、チューブを自分の鼻から外して差し出した。わたしはそれを受け取らず、代わりに小さな手を握り返した。
「お母さんは大丈夫、もう少し吸っていなさい」
そう言うや否や、自分の肺の底から咳が込み上げてきた。身体を反転させ、娘に背を向けて咳き込んだ。
同じ病気にかかっているから、こうすることにたいした意味はないのに。
わたしは枕元のチェストに置いたティッシュペーパーをとって痰を吐き出した。
薄闇の中で、それはどす黒い血のようにも見えたが、さすがに気のせいだろう。
娘は健気にわたしの背中をさすり続けた。その柔らかな皮膚と荒いスウェットの生地が擦れる音は、世界で一番優しい音だと思った。
幼な子の咳は軽やかで愛らしいけれど、自分が重たい咳を吐き出すときよりもよほど強くわたしの胸をしめつけた。
......あのとき帰省しなければこんなことにはなっていなかったかもしれない。ワクチンだってまだ打ってなかった。
そのことを娘に詫びると、彼女はこう言ったのだ。
「そうだね、流れ星も見れたね」
あの夜、星が天球の上を一筋に流れたとき、とっさに願ったのはこの子の幸せだった。
「ねえ、ママ、お水が飲みたい」
「待ってて」と言って、わたしは橙色のルームランプをつけ、スリッパを履き、ベッドから立ち上がった。
足元には、フローリングを埋め尽くすほどたくさんの観葉植物が並べられていた。
わたしたちの感染がクリニックの外来で証明されて、だけれども入院できる施設がどこにもないと知ったとき、帰りに立ち寄ったドラッグストアで買ったものだ。
髪の薄い男性店員が、眉を八の字にして申し訳なさそうに宣告した。
だったらどうしたらいいのよ! といつものわたしだったら食い下がっていた場面だろう。
もうそんな元気がなかったのもあるし、何より社会全体が何かを諦めてしまったかのようなムードに包まれていたから、わたしは何も言えなかった。
調剤室の前のベンチにはたくさんの人が座っていた。
みんな、まるで負けることを知った試合を消化するチームメイトのように、うつむいて、冴えない顔つきをしていた。
結局、わたしたちは酸素ボンベの代わりに、たくさんの鉢植えを買ってきた。
植物が光合成をしてくれたら、部屋の酸素濃度が上がるかもしれないという、浅はかな考えだった。
ドラッグストアからの帰路、緑を満載した赤いコンパクトカーの後部座席で娘は咳き込みながら笑った。
「また行きたい、フラワーパーク」
「うん、行こうね、必ず連れていくよ」
返事はなかった。
白いマスクと、冷えピタシートに挟まれた可愛い目を細めて、彼女はそのまま寝てしまったのだ。すーすーと穏やかな寝息を立てながら。
わたしは安堵して、赤信号が青に変わったのにしばらく気がつかなかった。発進を急かすクラクションがやけに遠くから聞こえた。
あれからまだ三日しか経っていない。いや、二日だったか? すでに、寝室とダイニングキッチンを往復するだけでも身体が重く、息苦しい。
洗っていないコップに水を注いで、一口飲む。
水はもとより味がないから助かる。
昼間に食べた卵がゆは、まるで湿地帯から採取した粘土のようだった。まだ喉の奥にひっかかっている気がする。
味が濃いはずのものを口にして、その風味を感じられないことがあんなに不愉快なこととは知らなかった。
昼間に洗って水切りかごに伏せておいた子ども用のプラスチックのコップに水を注いで、寝室に戻った。
ルームランプに照らされた黄色いコップには、アニメのキャラクターがプリントされていて、屈託のない笑顔を永久に固定していた。
娘はマットレスに手をついて起き上がると、壁にもたれかかって、コップの水をゆっくり飲んだ。
枕元に転がっている酸素ボンベをちらりと見る。これが最後のボンベだった。
フリマアプリで、とんでもない高額で取引されていたものだ(たぶん違法だ)。だから何本も買えなかった。
配送を待っていられなかったから、車で片道二時間かけて取りに行った。古い戸建てに住む、中年の男性だった。
まいどあり、と言ったあの笑顔が、がたがたした歯が、家の臭いが、忘れられない。
......彼は一体どうやってあんなにたくさんのボンベを手に入れたのだろう……どうだっていい!
帰りの高速では意識が朦朧として、事故を起こしそうになったっけ。
黒光りする筒の頭の部分におもちゃみたいなメーターが付けられていた。針は、かなり傾いていた。
パルスオキシメーターで測定したわたしたちの酸素飽和度は、故郷の山の、空気の薄い山頂にいるくらい低い。
どうりで頭がぼおっとするわけだ。
N-95マスクをつけた医師に、少なくとも一分間に五リットル以上の酸素は必要と言われたが、もったいないからもっと絞って使っている。
酸素に味はないけれど、吸えば少し楽になるのがわかる。
「美味しかった」
娘がコップを差し出した。まだ水は半分も残っていた。
もういいの? うん、もういい。
チェストにコップを置くと、ランプを消して二人で横になった。それから娘の体を抱きしめて、小さくて丸い頭を撫でた。
髪の毛は柔らかく、少し湿っていて、甘い匂いがするような気がした。
「ママ、それ、ほっとする」
腕の中で彼女はそう言った。子守唄を歌ってあげたかったが、もう声を出すのもしんどくなっていた。
確かに、わたしの身体は震えていた。でもそれは寒さから来るものではなかった。
「大丈夫、咳を、こらえて、いる、だけ」
声がなるべく震えないように、切れ切れに言って(あるいは本当に息が続かなかったのかもしれない)、わたしは頬を伝う一筋の涙が彼女に落ちないように頭を上の方に向けた。
それにつられて、娘も顔を上げた。
ベッドサイドのチェストの上に窓があった。正方形の小さな窓だ。
ただ今が真っ暗な夜ということだけがわかる。
娘が、ママ、とささやいた。
どうしたの? と尋ねると、彼女は目をつむってこう答えた。
「星が、きれいだね」
わたしは頷いて、
「ねえ、あのとき、流れ星を見て、何をお願いした?」と聞いてみた。
返事はなかった。
『クイック・ジャパン』『ロッキンオン・ジャパン』以外で、小山田がいじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、
メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、
案の定これを利用して、拡散の元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事で外山恒一氏のnote記事に反論している。
また変な扇動をしかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。
なお、カドカワの記事はフリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士の世界塔」の発売直後に刊行されたもので、
アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。
月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352
きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。
幼稚園のときに、巨人の土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初の記憶ですかね(笑)。土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビで土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。
すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。
普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会も普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。
小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校は身体障害者の人が多いんだけど、特別にクラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校のときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。
小学校のときは成績は良かった。運動会のリーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣の消しゴムも流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲の消しゴムも流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャでカプセルを出すと効率悪いのね。
ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分でスーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)
小学校のときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)。まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)。
運動会のリーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。
音楽は幼稚園から。アニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのとき『イナズマン』のLPにサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)
超テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメの再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち』山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャートが信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方別チャートだとフリッパーズ・ギターは四国が全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。
あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆のジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターでボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんがソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフの志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。
中学になると、人当たりが悪くなって。クラスに友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達とクラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としか話さなくなった。
Kはね、体がでかくて、小学校のときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。
同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子にテープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマン・ブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときにウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンがオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときのクイーンかな。
その頃、初めてエルヴィス・コステロ『インペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌のグラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテック・カメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチ・シングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面の音楽にどっぷりいった。
そういうふうにして中学生のときに洋楽を聴いてると、みんな馬鹿で自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。
ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテック・カメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コードの名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。
高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスになっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)。クラスにいるときは、Kとしか話さなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドルの写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外の小説を読みながら歩いていたという話をきいた。
ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭の打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校の友達とかいたから。
変な高校でさ。普通、レベッカとかBOØWYのコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭で体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンク、ニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスのコピーやって出てた。授業中はウォークマンのヘッドホンのコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。
小沢は中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときにたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水のジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスのインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学の試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったから一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢は学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)。
※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソード、アルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめに関係する箇所は上記だけなので以降は省略。
読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田は外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身を自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。
そして問題の記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、
自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。
まず第一に、これは小山田氏が、自分がいかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまいますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。
ーーー(省略)
それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりとエスカレートの過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的なことなのではないかと思うのです。このことはむしろ、世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身のイジメ加害経験と真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそもの最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます。高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からのことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。
また、件のブログの反論としては、”自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、
フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。
下手したら、「障害者虐待をアピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。
今まで授業の最初に当日やることまず板書してノートとらせてたけど
これをプリント配って、俺がその内容板書してる間の5分程度過去にやってたことの復習させることにした
そしたらその5分の復習のお陰か板書の労力減ったから知らんけど、生徒の成績が大幅に上がった
おそらく生徒は俺が思ってた以上に復習やらずにいたんだろうな
私は平原綾香さんの「 Jupiter 」という曲が、世界で一番嫌いな曲だ。
なんでかというと、平原綾香さんが歌詞をつけたせいで、ホルストの名曲が「 Jupiter 」になってしまうからだ。
この曲が発売された当時、私は小学生で、やたらと流行していたのを記憶している。音楽番組でもよく歌われており、持て囃されていた。
歌唱力が高く壮大でお行儀が良い歌詞だったからなのか、教師たちもこの曲を気に入っていたと思う。学校でも聴く機会が多く、歌詞をプリントした紙を配布された記憶もある。
「 Jupiter 」は好きでも嫌いでもなかったが、「 Jupiter 」という曲は私の身近にあった。
それが原因で、私はあの旋律が流れると、必ず平原綾香さんの声が脳内で再生されるようになってしまった。
よって、どんなときでも「エ~ブリデ~」と歌詞が流れだしてしまう。
私はそれが本当に嫌で嫌で嫌で仕方がない。
オーケストラを聴いていても、それはホルストの音楽でなく、平原綾香さんの「 Jupiter 」のオーケストラバージョンを聴いているような感覚になる。
なにかのタイミングで流れるたびに、平原綾香さんの「 Jupiter 」として聞こえてしまう。
地味にショックだったのはHUNTER×HUNTERのアニメだった。ボノレノフの「木星」のシーンも、平原綾香さんの「 Jupiter 」がBGMとして流れてきた。
やっぱり脳内再生されてしまう。どれだけ浸食されてるんだと切なくなった。
平原綾香さんはどうして既存の名曲に歌詞をつけて歌われたのだろう。
私と同じように、ホルストが作った名曲が、平原綾香さんの「 Jupiter 」として変換されてしまう症状を抱えている人は、相当な数がいると思う。
元々のメロディが壮大であるのと、平原綾香さん自身の高い歌唱力により「 Jupiter 」はすごく高尚な楽曲に聞こえきて、それがまた無性にムカついてくる。
苦手な音楽ジャンルがあれば聴いたりしないから害はないし、作品を貶めることなんてしないし、したくない。単純に私の肌に合わないだけで、他の人から聞けば良い曲であるからだ。
2.公式デジタルスマホ壁紙を正規購入した後その画像を抱き枕にプリントしそれを販売 →NG
3.公式ポスターを正規購入した後そのポスターを抱き枕に貼り付け販売 →OK
という認識でOK?
2のNGに対して1と3がOKなのは知的財産権が消尽しているから?そうであるなら2は消尽しないのはどういう理屈?2も消尽はしているけれど
4.公式ポスターを正規購入した後そのポスターを複写機にてコピー用紙に転写しその印刷物を抱き枕に貼り付け販売 →NG
と同じで複製がNGみたいな話?そうであるなら正規購入しダウンロードしたデジタル商品(0と1の組み合わせ情報)をメモリなどに記録したスマートフォンやCDやUSBメモリを転売する事はOK?
もしそれら記憶媒体がライセンス契約云々で無理とかいう話なら、1と3でも似たような契約で不可と出来るんじゃないの?逆にデジタルの記憶媒体であろうと再販売を禁止したり再販売価格を指定して拘束するのは独占禁止法などの法規制で転売屋が保護されるのではないの?
暑いわね。
違う違う、
猛暑到来!って感じ!
暑いわー、
日傘ないと表も歩けやしないわ。
でさ、
東京オリンピックが始まる前に、
三度笠みたいな手ぶらでかぶれるタイプの日傘を披露していた暢気な時代があったわよねー。
もう誰もそれどころじゃないというか、
私はあんまりたぶんニュースで耳にするのを聞くことしかないだろうけど
それよりも
心の中で達成してみたい
マリオカート8デラックスの48戦連続耐久レースフル出場!ってのをどっかの休みのタイミングでやりたいのよねーと思っても
ちょっとそれは体力が持たないわ。
でもさ、
バカじゃ無いのって思うわ。
最低限の住み心地は確保してあるんじゃないの?って思うけど
まあそう言うオリンピックゲームの選手村の仕組みはどうなってるのかよく分からないけど、
コンドーム無料配布とかはあれは本当にやってるのかしら?って都市伝説じゃないの?って思う最中、
通常運転のオリンピックゲームならもしかしたら家族はパートナーを連れてきてもオーケーってルールなのかも知れないけど、
なんか伝統とばかり重んじていることを重要としているのか分からないけど
謎のコンドーム無料配布ってのは伝統として受け継がれているみたいよ。
全く滑稽よね。
学校で応援する時に飲む飲み物はスポーンサーの飲み物にして下さい!って
いくら綾瀬はるかちゃんに頼まれたら仕方なくまあ飲むかも知れないけど、
冷蔵庫にも貼られることすらもないそう言うプリントに書かれていたとしても、
誰も気が付かないし
むしろ大塚製薬の微炭酸飲料のマッチがどこに売ってるのよ!?って売ってるところでは売ってるけど
売ってないところでは全然売ってないのよ!
知ってた?
ポカリスエットとシンビーノジャワティーストレートと微炭酸飲料のマッチしか飲んじゃいけないことになるから
それはそれで
すごい何かが課せられている感じがするわ。
本当にオリンピックなんて都市伝説の何物でも無いし本当に開催されているのかしらって
別の世界線の話でもあるような気がするわ。
オリンピックがなかろうとあろうと、
冷たく冷やしたら甘くて美味しいことに改めて気が付いた夏にしたいし
今年の夏は今年のうちに!って
スイカ食べまくるぞって
今まで面倒くさいからって
よく読んでくれてる人は知ってるかも知れないけど
知らない人は知らない話しで
私はカッツスイカをよく夏買っていたのね。
最近見直されつつある
今年の夏、
どんどんスイカを食べようと思うけど、
もっといいこと教えてあげようか?
トマト!トマトよ!冷やしトマトをそのままかぶりつくっていうのが、
今年の夏は全私で流行りそうよ。
だってあれ、
パクパク行けちゃうわけじゃない。
冷たくて涼が取れるしね。
流行るといいわよね。
レジャーの一つとして
浜辺で焼きそば焼いてる暇があったらトマト割りにも興じて欲しいところよ。
もちろんカチ割ったトマトはみんなで美味しく食べられるしね!
イチゴ味のダッツの味を「イチゴイチゴしてる!」って言うぐらいの
だから宇宙船トマト号の食堂の名物スピードメニューの冷やしトマト、
タムラコック長が
そんなにみんなしてトマトを食べると
塩がなくなるだろ塩が!って
塩を使って切らしてしまった日には
マックス艦長もスピードメニューの冷やしトマトを塩かけて食べるわけには行かないのよ。
それぐらい塩が宇宙船内でなくなったらいかに大変なことだって分かると思うわ。
宇宙船トマト号の名物スピードメニューの冷やしトマト私も食べてみたいなぁー。
宇宙船育ちの水耕栽培されたなんかハイテクトマトはとても美味しいって噂よ。
はい!
するっと行けちゃう朝のパワーの源は頼経!なんつって
違う違う
最近ずっとこればかりだけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!