このご時世、気軽に旅行にも行けない。
そんな中、友人間で流行っているのがdiscordでの思い出語り。
過去に友達と行った数々の旅行やお出かけの写真や動画を見返して懐かしみ、
「また行けるといいな」なんて言いながら、
その日がそう近くないことはみんなわかっているので、ちょっとしんみりして通話を終わる。
ふと思った。
100年後の俺がもし生きていたら、
老衰しきってもはや友達もお互いに五体満足に動けなくなっているかもしれない中で、
せめて過去に縋るときにはこの頃をこそ再び振り返るのではないか?
今まで撮った写真や動画は歴代のスマホ・ガラケーの中にたくさん詰まっている。
容量にすると多く見積もって1TBくらいになるだろう。
例えば向こう10年程度を想定するなら、適当なクラウドストレージにぶち込んでおけば
たまに見返したくなった時の思い出くらいは問題なく満足できるだろう。
ただし今俺が求めているのは、
・今まで撮ってきた思い出のすべてを
である。
たとえば、両親が財布に幼少期の写真をプリントしたものを大事に抱えていることがあるかと思う。
または結婚式のアルバムだったり、写ルンですで撮った褪せた写真の束なども実家なら存在するだろう。
白黒の文字のみを記録するのであれば紙媒体でも100年程度もつかもしれないが、
こと写真において破れたり色褪せたり滲んだり折り目のついたものではもはや満足はできない。
それに1TB分の写真・動画であり、物理媒体に保存した場合はたとえばこれからの引っ越しの際などに
ググったらちょうどいい記事が見つかった。
https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1508/26/news007_2.html
紙媒体にも触れていて、結論からすると電子媒体では100年後に残すことは難しいらしい。
続く記事にも、このあと触れようと思っていたクラウドストレージの問題点(データは保証されない、サービスの予期せぬ終了など)があり、
結局はたとえば今ならSSDかHDDあたりにぶち込んでおいて、
適宜マイグレーションを行いながら後世へとつなぐしか方法はないように思える。
ただ、これにも実は懸念があり、
例えば現在主流の圧縮形式、拡張子が100年後も現行で使われているとは限らないためその部分もマイグレーションが必要になり、
そしていつかはマイグレーションすらできないタイミングが発生しうるということだ。
その時俺はどうするのか?
もはや記憶の中の美化された各々の顔や声だけを頼りにするしかないのか?
誰か助けてくれ。
ちなみに26歳です。
多分コロナっていう恐ろしい伝染病があってな、とか 逆にいい思い出になるんちゃう その語る頃には増田はサイボーグか水槽に浮かぶ脳だろうけど
確かに100年後ならサイボーグになっていてもおかしくないな… サイボーグなら記憶のマイグレーションも円滑そうだし安心か?