はてなキーワード: バラエティとは
小山田圭吾自体も90年代サブカルも詳しくないが、より広い背景には男子の世界ではほぼ絶対的な真理として存在する、「『られっ子』に見られたら人生詰む」があったと思う。中高時代の違法行為を自慢げに語る奴がそこそこ多いのとは逆に、何一つ悪くない「られっ子」の経験は絶対に語られることはなく、ほとんどの場合墓場まで持っていくことになる。たぶん小山田自身も「られっ子」時期があり、またそう見られがちなボンボンのひ弱キャラだったようなので、逆のイメージを提示しようとあのようなインタビューを得々と語ってしまったのだと想像する。
小山田圭吾は許し難いが、当時のとんねるずやダウンタウンのバラエティのほうが、ゴールデンタイムの全国放送ということを考えれば、それに全く劣らず酷かったと思う。2000年代以降、ダウンタウンは自らもケツを叩かれ後輩からイジられるという方向に軌道修正して人気を維持したが、とんねるずはまったくできずにテレビのレギュラーがなくなった。今でも石橋や木梨の顔を見るとチャンネルを変える。
そこから先は思い出したくない。身分証を出して、「あなたがしたのはキャッチという犯罪行為で~」と路上で警察官2名から懇々と説諭を受け続け、彼らが帰った後に、暗い顔をした店長とM主任が地下のお店から出てきて、「ちょっと来い」と事務所に呼ばれ……面接の時のソファに座った私と、左隣に主任がいて、店長は斜めの位置にあるパイプ椅子に腰かけていた。
「すいませんでした」
店長はパイプ椅子をちょっとずらすようにして身を乗り出した。ガラス張りのテーブルの上にあった煙草とライターをガチャガチャと手に取る音がする、と思った時だった。
「誠に申し訳ありませんでした!!」
M主任が謝ったのだ。直後、「私の責任です」という小さな声が聴こえた。
・あなたが警察に払う罰金は50万円。S店とM主任で25万円ずつ肩代わりする
・もう二度としないように。次はクビにする
といったものだった。
優しい人達だった。私のような盆暗に対して、ここまで優しい嘘をついてくれたのだから。今ではわかる。あの時、警察は私とS店を指導するだけで済ませてくれたのだ。
状況が違ったら、普通に逮捕されていたかもしれない。あの場で解放されて、しかも私が罰金の納付書をもらっていないということは、そういうことなのだ。
M主任には頭が上がらない。もし、もう一度会うことがあったら何万円でもおごるし、「百万円貸してくれ」と言われたら迷ってしまうに違いない(貸さない)。
なお、当時のキャッチ行為の規制基準においては、路上の客に声をかけた後に何メートルも付いていったり、身体に接触しない限りはセーフだったようだ。一部の悪質な店は、警官の目が届かないビル内で付きまといや身体接触などをしていた。
大学の講義に出ながら、S店でのアルバイト(キッチン、ホール、店の前に立つ案内係)に週4でシフトに入る生活を続けている間に2年が過ぎた。単位はけっこう落としていた。履修しても半分ちかくは落とすので、できるだけ多く登録するようにしていた。教職課程も取っていたため、割とぎりぎりで卒業した感がある。
この年が転機だった。キャバクラの黒服の仕事にのめり込んでいた私の時給は、この年の秋に一気に1,600円に上がった。理由はシンプルで、『付け回し』というポジションを任されるようになったからだ。
すでに私の先輩は、店長とM主任とイケメンだけになっていた。後は、2人の社員と2人のアルバイトが私の後に続く。ここまでの間で、お店で働き始めたのは10人以上はいただろうか。みんな、あっという間に辞めていった。
この業界は、はっきりいって申し訳ないのだが、中途半端な人生を送り続けた挙句に流れ着いた人間が多い。負け癖がついている。だからすぐに諦めるし、ふてくされるし、誘惑に負けて嬢を口説いたり、物を盗んだりして――制裁を受ける(後述)。
『付け回し』の仕事をざっと説明する。要すると、女の子をどの席につけるか決める人だ。スナックだとチーママがやっている。併せて、各席の料金状況をチェックする。フロアの中央から客席を常に見渡して、嬢の配置をどうするか考え続ける。
このポジションは、自分の成果を数字で把握するのが難しい。というのも、いわゆるABテストというやつができない一発勝負系の仕事なので、自分が決めた配置が果たして正しかったのかすぐにはわからない。
でも、時間が経つとわかる。ちゃんとした人が付け回しをやると、ゆっくりと、じんわりではあるが、お客さんが増えていく。一見さんがまたお店に来てくれ、月に何度か来てくれるようになり、やがては常連になる。店長やM主任のレベルだとそうなる。
そのお客さんに嬢を付けた時の反応を1回1回ちゃんと見ていて、それに応じて次はどの嬢を付けようかを思案し、試行錯誤を繰り返し、やがてそのお客さんの嬢の好みを理解するようになるからだ。それだけではなく、お客さん同士の空気を察して、喧嘩が起きないようにする心遣いも忘れない。
お酒が入っているうえにそういう気質の人が多いので、しょっちゅうとは言わないが喧嘩が起きる。例えば、当時のM主任は、カラオケでほかのお客が歌えないほどに曲を入れまくる人がいると――それとなくデンモクを操作して曲が流れる順番を変えたり、嬢を利用して歌わせないように場をコントロールしていた。
女の子の側でもそうだ。
彼女らもプロだが、やはり年若いので、「嫌な客」「苦手な客」「うざい客」みたいなものがある。反対に好みの客もあるわけで、一流の付け回しをする人は、そのあたりの機微を理解しながら客と嬢との最適な組み合わせをシナジーとして導き、実行に移せる。
私はその域に達することはできなかった。私が付け回しを任される時というのは、店長か主任がそのポジションを離れざるを得ない時だけだった。
実際、私はあまりセンスがなかったと思う。お客さんに怒られてばかりだった。私が付け回しをしていた時の一見さんのリピート率は2人の先輩に比べて低かったし、お客さん同士が喧嘩に発展する前に止められないこともあった。
ある時などは、あるお客のグループ(今でいう半グレ風の人達)が、堅気な感じのお客を店内で突然ボコりはじめた。カラオケのトラブルだった気がする。
その半グレは堅気の若者のところへ行き、いきなり胸倉を掴んで殴りつけ、引き起こし、ガラス卓の上に叩きつけた。そして、足で何度も胸や腹を踏みつけた――近くにいた嬢が絶句して吐き気を催していた。別の気丈な子が肩をさすって慰めている。
また別の大柄の男が、殴られた男を引きずり起こし、その頬に一撃を加えて地面に引き倒したところで私が止めに入った(判断が遅い!)のだが、ヒートアップしていた彼らを抑えるのがやっとだった。店長やM主任だったら、リアルファイトになっても目線と対話だけで事を収めるし、そもそも喧嘩になることがまずない。
結局、私が物理的な意味で間に入って無理やり止めた。もみ合って、もみ合って、「もうやめてください!」と半分キレながら叫んで、それでようやくなんとかなった。殴られた人は、もちろん料金なしで帰ってもらった……後で警察官が店に事情聴取に来ることもなかった。
私には付け回しの才能がなかった。『一応できる』というだけの交代要員であり、それ以上でも以下でもなかった。嬢達は、私を憐れんでか、明らかにおかしい付け回しに対しても苦情を言ってこなかった。一部の子は、「あのお客さん私に飽きてたよ」とか、「なんで今代わらせたの。指名の話してたのに」とか、「あの子が芸能人の卵だから楽なお客さんにばっかり付けてるの?」とか、ちゃんと本音を伝えてくれた。
でも、ほとんどの女の子(特に20才以下の若い子や、逆に30代半ば以降の子)は、私を憐れんでか、苦情すら言ってくることがなかった。信頼されていなかったのだ。
さて。そろそろ(後述)の話をやりたい。
この年の秋だった。イケメン先輩が罪を冒したのは。私の価値観のターニングポイントになった体験でもある。
お店の女の子、しかも上位数人に入るほどの人気で、そのうえS店のお客さんと付き合っていた嬢(以下Tちゃんとする)と交際していたことが判明したのだ。
なぜわかったかというと、怪しいと感じたそのお客さんがTちゃんの携帯を盗み見たところ、イケメンとの睦言のやり取りが画面に映っていたということだ。噂だから、真実かどうかはわからない。でも、浮気はバレてしまった。
嬢との恋愛は大きな罪だ。キャバクラなどにとっての女の子というのは、大事な商品なのだ。マクドナルドでいえばハンバーガーだ。店員がハンバーガーを盗んで食べたら処分されるだろう。そういうことだ。
しかも、前回の記事で、S店というキャバクラの母体が芸能事務所であることを述べた。Tちゃんはそこに所属している子だった。今でもたまに、テレビのバラエティで見ることがある。その度に、「あんた成長しすぎやろ!」と唇を尖らせて食い入るように番組を見ている私がいる。
この時の私や、私の後輩達は、このことが問題になったのをイマイチ信じることができなかった。というのも、イケメンとTちゃんとの間柄は、スタッフ内では公然の秘密だったからだ。お店が終わった後のミーティングでは、イケメンに対するTちゃんの態度が違った。なんというか、口喧嘩がこなれているというか、恋人同士が醸し出す雰囲気だった。
勤務中もそういうことがあった。Tちゃんはお酒に弱かった。カクテルならば、どんな嬢であってもリキュールを一滴か二滴しか入れない。でも、ボトルやシャンパンとなるとそうはいかない。ごまかしが効かないのだ。特に、シャンパンを卓の上で薄めるわけにはいかない。
そんなこんなで、稀に、酔いつぶれたTちゃんが私のいるキッチンに入ってきて、ビア樽(ビールの詰め替え用のタンク)に腰かけることがあった。うわごとを呟いたり、ボウっとしたり、どこか一点を見つめるようにしたり、急にキレだして携帯電話をごみ箱にシュートしてトイレに駆け込んだりしていた。
ある時、Tちゃんが携帯をごみ箱に叩き込んだ後、イラついた声を上げ、キッチンを飛び出そうとした時だった。ガンッ!という音とともに、キッチンの出口にある真四角の排水溝にはまり込んでしまった。ガンッ、というのは排水溝の鉄板が跳ねた音だ。
イケメン先輩の動きは速かった。いつもであれば、廊下に立っている嬢が貧血で倒れたりしても、涼しい顔をして対処に入るのだが、Tちゃんが排水溝にハマった時は違った。「すぐにキッチンのドア閉めて!お客さんに見える」と血相を変えて対応に入ったのだ。
イケメンの声と同じタイミングで私は、キッチンのドアを閉めにかかっていた。酩酊状態で泣き出したTちゃんを救う(掬う)役目はイケメンに任せて、懐中電灯を点け、排水溝に落ちたTちゃんの私物を拾い上げる。
その際、イケメン先輩が、Tちゃんに「馬鹿。気いつけや」と優しく呟いたのを覚えている。京都弁だったのでうまく思い出せない。
だからこそ、イケメン先輩が犯した罪をすぐには意識できなかった。
ある日の営業終了後だった。暗かったホールの照明の光度が上がって、店の片付けが始まって、嬢がみんな帰って、皿洗いや店内清掃もみんな終わった頃に、「そこに座れ!」という声が響いた。店長がお店の入口からやってきて、片付けをしていたイケメン先輩を一番奥の席に座らせたのだ。傍らには主任もいた。
私や、ほかの役職のない社員やアルバイトは店を出ていこうとしたが、店長が「いいからそこにいろ」と言った。私は、扉を1枚隔てたキッチンにいた。声はよく聞こえなかった。扉の隙間から、奥の席で事情聴取を受けるイケメンの後ろ姿が見える。
細々とした声で、Tちゃんと付き合っていた事実を説明していたと思う。事情聴取は5分も経たないうちに終わった。というのも、「オメー何してんだよ!しかも客の女と付き合って。おい!ふざけんな」と、急に店長がヒートアップしたかと思うと、ガラスの卓にあった灰皿を、イケメンの顔めがけて投げつけた。
おそらく口周りに当たったのだろう、イケメンが顎のあたりに手をやった途端に店長は立ち上がり、イケメンの顔を殴打した。M主任が丸椅子から立ち上がって止めに入るも、店長に突き飛ばされて断念した。
床のカーペットに仰向けに倒れたイケメンの上に跨り、店長が何度も何度も、その端正な顔に鉄拳をぶつけていた。イケメンは、「すいません、すいません!」と謝り続けていた。
耳に入っていないかのごとく、何十発もイケメンを殴り続けた店長だった。ある瞬間に、ふと立ち上がって、イケメンの体をサッカーボールみたいに思いっきり蹴飛ばすと、「ボケが」と呟いて、私達のいるキッチンの横を通って近くの席に座り、どこかに電話をかけ始めた……。
その後、イケメンが泣きはらしながら、血だらけの顔でホールをうろついていたのを覚えている。
(続きます)
同世代でサブカル趣味はなかったけどなんかわかる。「優等生や真面目に社会に反抗する奴と思われるのがすげー嫌」というのが90年代の雰囲気で、小山田にとっては、そういう「俺は真面目優等生じゃない、学生時代は結構悪かった」というアピールをするためのエピソードの一つにしかすぎなかっったんだろう。
多分当時読んでたら、「ひどいやつだな」とは思ったと思うけど、それでアーティストとしての評価が下がるということはなかったと思う。むしろ「いじめられていた」という告白の方が「カッコ悪い」という印象になったんじゃないかな。
当時のテレビはとんねるずとダウンタウンが席巻していたけど、ほぼ学校でのいじめをバラエティ化したもので、いじめが悪いという建前こそ一応あったものの、その意識は現在よりもはるかに弱かった。今テレビがつまんなくなったというけど、90年代には絶対に戻っちゃダメだと強く思う。
鬼滅2期がフジテレビで放送されることが発表されて、ネットは炎上を通り越して「フジテレビさん頼むから普通に原作通り放送してくださいお願いします!!」の嘆願の嵐になっているが、
そんなに心配することないから安心してね、と事情通の増田が解説するよ!
鬼滅1期は、MX・BS11・群馬テレビ・とちぎテレビの、アニプレが元々持っている放送枠を皮切りに、
関西圏は読売テレビ(日テレ系)、東海圏はメーテレ(テレ朝系)、ほか静岡放送(TBS系)、高知さんさんテレビ(フジ系)など、主要都市圏からローカル圏に至るまで、系列ネット局の垣根を越えて全21局(有料放送のAT-X含む)で放送された。
これは、そのほとんどが放送枠を買い取っての放送であり(AT-Xは放送権を購入しているので除く)、
放送枠を買い取れる局を各地域で個別に当たったため、系列ネット関係ない放送局構成になったと考えられる。
今回2期がフジテレビ系ネットになったのは、もちろんフジテレビ側からの熱烈な働きかけがあったためであろう。
TVシリーズの再編集版が高視聴率を獲得し、確実に数字が取れるコンテンツにいちばん飢えているフジとしては、喉から手が出るほど欲しいコンテンツなのだから。
今年の春先にはアニプレ作品の劇場アニメ作品を何作か深夜に放送していたりもしたので、
無限列車編の初放送権利獲得も含めて、かなりの金額の取引が発生しているのではないか。
アニプレほか製作委員会側からしても、フジ系列で全国同時ネットであれば、放送日時の案内が容易で、全国同時放送でTwitterでのバズも効果的に起こせる。
何より、納品が1局分でフジ系列全局カバーできるのは、制作側からしても手間が減って助かると言う、まさにWin-Winの関係なのだ。
ヤフコメでみんなが恐れている、声優に普通の俳優使えと言うキャスティング面や、原作改変で改悪されるようなことはまずないと思ってよい。
なぜなら前述したように、フジテレビの関与は放送枠の提供だけで製作委員会の出資者ではないので、
局考査とは、要するに放送コードの問題で、このシーンは死体の傷が生々しく描かれてるからダメとか、おっぱい見えてるから謎の光で隠せばOKとか、光の点滅が激しすぎるから暗くするとか、放送していいかどうかを判断すること。
各放送局で微妙に基準が異なっていて、正直フジよりMXとかBS11の方が緩い。
なので、フジでダメでもMXはOKの場合もあるし、配信は放送局じゃないからそもそも考査がない。
製作委員会としては、そもそも遊郭のテーマがフジでNGならフジで放送せずこれまで通りMXほかで放送すればよいし、
暴力シーンとか性的シーンが引っかかるなら、そのシーンを暗くするなり光で飛ばすなり別カットで誤魔化すなり、回避の方法はいくらでもあるので、原作の改悪や改編は起きないと予想している。
そもそも、天下の集英社がこの状況で改悪的な原作改変を認めるとは思えない。フジがもしそんなことを言おうものなら、原作パワーでフジの放送自体が確実に飛ぶ。それくらい、原作者は強いのだ。
あと、人間以外の鬼とかモンスターとか人外については、肉体損壊の描写のハードルが低い。
1期も、割とエグめの描写があったのは、相手が鬼だったこともある。
無限列車編は相場から言ってたぶん数億、遊郭編は正直わからない。
遊郭編は、
・放送権利料を払わない代わりに、枠買いの価格をいつもより安くしている
のどれかじゃないと、全国同時放送以外のメリットが製作委員会的にはないからなあとは思う。
【東京五輪】体操・内村航平オンライン壮行会終え「選手が何を言おうが世界は変わらない」 | 東スポの体操に関するニュースを掲載 https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/gymnastics/3387282/
1ここんところ常々考えていたこと。
幼少期から手に入れているひとはいたけど少数派だったよね。みんなシンケンジャーとかミニ四駆やポケモンのことを考えて生きていたよね。
自分でやるスポーツは意味はわかる。身体を動かすのは楽しいし。
そういう流れで自分でやるスポーツをもっとうまくやるために鑑賞するというのもわからなくはない。自分ではしないけど。
競技内容からドラマを読み取って感動するとかいってるけどそういうの誰からも教わってこなかったんだよな。
でもある日みんな突然昨日の野球の試合の感想を話し合ったりする。
放置されて育っていたためにテレビのチャンネルは選び放題で映画やバラエティの時間をずらす野球中継は敵だったし。
そういう立場ですらマンガやバラエティに野球選手のネタが入っていたのでまだ少しわかっていたが、今は本当にわからない。
そしていまコロナでオリンピックの開催か中止かで本当に嫌いになっている。
それで自分たちでやっていけることはやるといってる。じゃあオリンピックやスポーツイベントが全部中止になったらなにやるの?ってことだし。
政府のやることにムカついていたけどアスリートやその関係者までも身勝手を感じてイライラしてきている。
とはいえオリンピックははじまるし、こっちがおもしろくなるような突発的なイベントもなく終わり、コロナ収束とともに徐々に元通りになるんだろう。
でも、やっぱりスポーツ鑑賞は嫌いだなと。
えーここで「都民は政治に興味がないなんて!ひどいやつらだ!」という田舎者が湧くことが予想されるわけですね。
何年か前に県別の投票率ランキング!なんて謳って、島根が1位かなんかで「島根県民は偉い!それに比べて都会のやつらはクソ!」という、田舎者の自尊心を満たすためのバラエティもやってましたね。
結論から言っちゃうと「ライカーとオードシュックによるモデル」のまんまの話をするわけだが、お前ら式とか読めないじゃん?
ということで、わかりやすく都民が投票に行かない合理的理由を教えたい。
てかさ、ちょっと想像力を働かせれば誰でもわかるやろって話しかしないからね。
んで、人口も違えば、その分建物やインフラもいっぱいになるわけです。
田舎の人にとっての「投票で世の中が変わる」と、都会の人間にとっての「投票で世の中が変わる」ってのは、全くレベルが違うわけですよ。
そりゃ投票するだろ。だって、投票したら自分達の意見が反映されるんだから。
ところが、都会は違う。色んな人間が住んでいて高層ビルが立ち並び、世界各国から人間が訪れる。
その人々を支えるサービスがあり、そのサービスを維持するインフラがあり、さらにはそのインフラを支えるインフラが~と、社会が複雑で複雑で、よくわからない。
誰がどこで何をしているのか、最早誰にもわからない世界。それが都会。
ぶっちゃけ、東京の人間と島根の人間だと、政治で考えなきゃいけない物事の量が違い過ぎるんすよ。
その分政治家の頭数が多いから解決するか?しないんだよね。例えばお前の会社の人員を明日から10倍にする!って言われたらお前の仕事は10倍速く終わるのかって話。
逆に管理だの教育だので、複雑化してめんどくさくなるのは目に見えてるよな?人数で解決できるのは単純労働だけなんだ。
はい、そんでですね、結局
じゃないと、人って投票しないわけですよ。
田舎ってのは事実として、一票に価値があるんだ。何故なら構造がシンプルだから。
田舎の投票はコストが安いんだ。何故なら世界がシンプルで投票のための学習が少なくて済むからだ。
東京の投票はコストが高いんだ。何故なら世界が複雑で学ぶことが多すぎるから。
わかったか?
合理的に判断すると、投票のために東京のことを学び、投票のために候補者について学び、投票のために予定を組んで外に出て投票所に行く。
このコストを払うほど、1票に価値がねえんだよ現状。東京ではな。田舎ではあるが。
だから、投票すれば世界を変えられる田舎の人間が、都会の人間を投票率の低さで叩くのは全くトンチンカン。
これは意識の高い低いの話ではなく、構造と論理の話なのだから、「投票しようよ!」なんて言うことに全く意味はない。
だが、加速度的に世界は複雑になっていく。世界が複雑であればあるほど、1票の価値は無くなり、判断のコストはかさむ。
だから発展すれば発展するほど投票率ってのは下がるようになってんの。
じゃあどうしろって話?
ぶっちゃけ都会は民主主義をある程度手放した方がいいんじゃないかと思う。
人間の学習能力を世界の複雑さが超えてしまっている。だからさっさとAIにでも判断してもらえるのが一番。けどまあ戦争でも起きない限りは無理だろうな。
つまり都会の人間にもっと投票しろということは現状無意味だし、論理的じゃない。
以上。
タイトル通りの内容です。多分というか確実に読みにくいです。
コロナ情勢の中で、陰謀論者が日本でも増えているとどこかで聞いたことはありませんか。
私の母も、この半年間で熱心な創価学会員から、反創価の陰謀論者になりました。
「ビルゲイツが世界を裏から動かしてるんだから」「ワクチンは打っちゃダメ!真実を知って」
学会員である前に私の母であった人は、いつの間にか家にとって有害な人間へと変貌してしまいました。
そんな地獄を生きている私に、同情でも優越感でもいいので何か置いていってくださいませんか。
誰かに相談したくて、でも地域の学会の人には言えないし、友人にはもっと言えない。
そんな苦しみに追い打ちをかけるように、母は熱心に語りかけてくるのです。
「ユニクロ、しまむら、GUの服はウイグル自治区の綿花を使っている企業だから絶対に買わないで」
「公明の山口は中国から多額の賄賂をもらってる。次の選挙では絶対に公明にいれないで」
母が陰謀論者になるまではあっという間でした。
今年の1月、公明党の関係者が政治資金で風俗通いをしていたニュースをご存知でしょうか。
入信から約30年、毎年三桁万を学会に寄付している熱心な信者であった母は、不祥事があったにも関わらずすぐにその関係者を辞めさせなかった山口代表に激怒し、公明党に対して不信感を持ちました。
昔の公明党はもっと庶民の味方だったのに、と毎日のように愚痴をもらしていたある日、1件のニュースが飛び込んできます。中国でウイグル族の虐殺が行われているという内容のものでした。
「世界平和」を掲げている宗教を信仰している母がこの話題に夢中になるのは、猫にちゅ~るを与えるようなものでしょう。
いつしかニュースキャスターの落ち着いた声やバラエティーの騒がしい笑い声とは程遠い、自称専門家の鬼気迫る解説が食卓で流れるBGMになりました。
この時点で止めればよかったのでしょうが、この時私は受験を控えており、自分の進路で精いっぱいの状況だったのです。
そして合否発表後、入学準備も終わってあとは最初の授業を待つ春頃。
母親からYouTubeのリンクが貼られたLINEが届くようになります。メッセージは一言、「聖教新聞社会面には、絶対出てこない、世界的ニュース。(原文ママ)」
そこから、こんなにひどいことをしている中国の習近平を、山口は国賓として招致しようとしている。きっと公明は中国と癒着しているに違いない。この真実を私たち家族に伝えなくては!
そんなあまりにも歪んだ思想を押し付けられることが日常になりました。
「情報の根拠は?」と聞いても「YouTubeにある!Yahoo!ニュースにある!」の一点張りで会話も成立しません。私と父親が説得しようとすればするほど、母は知的障害のある弟を道連れにする形で陰謀論にのめりこんでいきました。
新しい環境・生活に変わったストレスも合わさった私は自殺を考えるようになります。
ただでさえ幼少期から日本では腫れ物を扱うような、酷い場合だと嘲笑される「創価学会」のラベルが貼られた人生に悩んでいたのに、今度は「反学会者の娘」「陰謀論者の娘」のラベルも加わるのか。一生誰にも相談出来ない、理解してもらえないコンプレックスを背負っていくのかと毎日泣いていました。
5月終わりに、母に「死にたいと思っている」という自分の気持ちと、その原因、人間として生理的に嫌いになりかけている母親と顔を合わせることすら苦痛になっている、という旨の手紙を書きました。
一応腹を痛めて産み、浪人まで許してくれた親ですから、愛娘の率直な感情を形に残して見せれば、少しは目が覚めるんじゃないかという期待が半分。この手紙を読んでも変わることがなければ、本当に死ぬことで母に「お前のせいで死んだ」という一生の呪いを残してやれるという気持ち半分でした。
それを読んだ母は「ごめんね」と泣きながら謝り、手紙を渡した日からぱったりと私にそういった話題を振ったりURLを送ってきたりということをしなくなりました。
ちゃんと話をすれば分かってくれるんだ、前の母にだってきっと戻れると、精神的に追い詰められていた当時の私はあまりにも脆い希望を胸に、なんとか死を毎日考える日々から遠のくことが出来ました。
束の間の平和を謳歌している間に、1か月探し続けた進路に関わるバイトにやっとの思いで合格し、家を空けることが徐々に増えていきました。
この時点ですでにお分かりでしょう。リモートで授業を受けているため常に家にいる私が出かけている隙を狙って、母は陰謀論に関する動画をまだ見続けていたのです。
ワクチンについて色々な情報が飛び交っていたことも重なり、陰謀論者として母はどんどん完成していきました。
6月中旬に入ってくると、家事もせず大音量で「誰だお前」と言いたくなるような、妙に高圧的な態度で物申す男性の言葉に耳を傾け、以前から酷かった面前DVとも言える父との喧嘩も激化し、一方的に自分の思想を怒鳴り散らす母の姿がそこにはありました。
最初こそ「やめて」「それ聞くと気分悪くなるんだけど」、と都度声をかけていましたが、すぐに諦めました。前の母であれば聴くことはやめずとも音は小さくしていたのに対し、今は私や家族の言葉は無視してそのまま聴き続けているからです。
今回の都議選では、母の言う事を聞いてくれる、自己決定が出来ず母の決定に従うしかない弟を連れて、毎回入れていた公明ではなく自民に投票したそうです。テーブルの上に共産党のマニフェストが置いてあるのを見つけた時には「今度は左翼の娘のラベルがつくのか」と一周回って笑ってしまいましたが、一応民主主義国家の国民であることは忘れていなかったようで、少しだけ安心しました。
コロナワクチンはビジネスだ、絶対に打つな。若い女性なんだから絶対に打つな、子どもが産めなくなるなど毎日のように言うくせに、コロナウイルスを予防するどころか自らかかりに行くような、自分さえよければいいという自分勝手な行動を今回の旅行以前から繰り返す母に辟易した私は、生活リズムが基本的に合わない父との久しぶりの会話で「家を出たい、最悪縁を切りたいと思っている」と伝えました。
父の返答は、「自分も、お金に余裕があったら別居してたと思う。別居に関しては今も諦めていない。」でした。
さらに毎日のように母との交流があった地域の学会員の方からも、母は疎まれている事実を知りました。
ここで私はようやく、家が、家族が、とっくのとうに修復不可能な段階まで崩壊していることを実感したのです。
今、この日記を書きながらいろいろな家族の思い出が頭の中を駆け巡っています。
一緒にディズニーに行ったな。
私の誕生日に、当時自営業だった店を休んで全員でお祝いしてくれたな。
いろんなところに旅行に行ったな。
最後に家族で仲良く出かけたのはいつだったかな。思い出せないな。
スポーツで大会がある時、毎回家族みんなで応援してきてくれたな。
恥ずかしかったけど、同期に「いい家族だね」って言われた時、すごく嬉しかったんだよ。
「生まれてこなければよかった」なんて思う前は、確かに幸せだったんだよ。
確かに宗教やってたけど、悩みを聞いてくれて、落ち込んでるときは私の好きなもの作って励ましてくれた、私にとって世界でたったひとりの母親だったんだよ。知ってた?ママ。
要点掴んでないし、文章ぐちゃぐちゃだし、意味わかんない日記でごめんなさい。
もしもこの日記を読んでいる人がいたら、お父さんお母さんを大切にしてあげてください。
人によっては救いようのない親もいるだろうけど、そうでなくて、例え口うるさかったとしても、陰謀論を信じていないというだけであなたの親御さんは立派です。
どうしても自分の家族が嫌になったら、母親が元学会員の陰謀論者で、逃げたくても一生母親から逃れられないであろう弟が気掛かりで家から出られない哀れな女がこの日本にいたことを思い出して、それよりはマシだなと安心の材料にでもしてください。
例えそれが蔑みだったとしても、私が生きてきた意味が出来るならそれはそれでいいです。
テレビで見なくなっただけで舞台はやってるとか地方ローカル番組とかには出てるとかそんなレベルじゃない。
大手事務所から移籍とコロナがぶつかってぱたりと無くなってもう丸一年経つ。
(干された訳じゃなく円満退社ということはきちんと説明されてる)
大手事務所の後輩達は今日も元気にドラマ、舞台、バラエティ、毎日誰かしら目にしない日は無い。
薄々気付いていたけど彼女の人気は彼女自身でなく事務所の力によるものだったんだろう。
彼女は楽天的なので、人生で初めての休暇をもらったぐらいの感覚でゲームに漫画、娯楽に勤しんでいる。
何か新しい事を始めようかなとつぶやく事はあってもそれが続く事は無い。それは昔からそうだった。
自分は子供の頃、お笑いやバラエティーを頭が悪くなると見せてもらえず、
そうやって育ったお陰で、自分は「低俗なもの」をかぎ分ける嗅覚が育った。
お笑いはお笑いでも芸術的なものと、低俗なものがある。下ネタでも発想力があって芸術的なものがあれば
たんなるイジメを「面白いでしょ?」と無理やり売り出しているものがある
バラエティーでも、予算が無くても企画を練っている番組は面白い。
その中で「バイキング」という番組は明らかに低俗だ。視聴者を「怒らせる」為に番組構成をしていて
その為にニュースを恣意的に切り取り、何も知らないコメンテーターがとりあえず怒る。
飲酒運転逃亡をした司会者が「許せないですよね?」と言ってとりあえず怒る。
確かにこの番組を作った人間は頭が良いと思う。twitterやyoutubeの一大コンテンツである「怒り」をTVに上手く落とし込んでいる。
見たら怒るであろう内容を提示し、コメンテーターは怒って視聴者の気持ちを誘導、代弁する。
視聴者は「怒らされている」事に気付かず、自分は政治や時事に一意見を持ったと勘違いしている。
親もその番組を見ると、急に機嫌が良くなりコメンテーター気取りになる。
事実や統計を確認せず、その場で思いついた解決策を言って悦に浸る。
物事を考える為じゃない、怒って気持ちよくなる為に番組を見ている。
別に居酒屋でストレス溜まってるオッサンがグダ巻くだけならいい。しかしそれを子供の目の前で見て、悦に浸るな。恥ずかしい。
俺は料理番組とか食べ歩きとか田舎の風景映しているような番組が好きなんだ。それをつまらないと言ってチャンネル買えるな
つまらないのはそういうのを見ても何も感じ取れなくなったお前の感性だ。
喋れば喋るほど自分の母親がどれだけ愚かか、矮小な人間かがわかって辛い。
自分は、もっぱらYouTubeの使い方はBGMを流すのに使う程度だけど
最近、よくインターネットの記事を見るに皆さん、様々なYoutuberのチャンネルをご覧の様子。
そこで、思ったんだけど、テレビでは発覚すると炎上もののヤラセってYoutuberを見る人達の間では、どの程度、そのリスクを認知してみてるのだろう?もし発覚したらどう感じるのだろう?
チャンネルにもよるけど、Youtuberが投稿する動画って、結構テレビのバラエティがやってることと被ってくる分野もそれなりにあると思う。
たとえば、○○をめぐる系とか
そこで、思ったんだけど、こういう動画内でハプニング発生!とかって結構あることかと思うんだけど、
もし、Youtuberが投稿している内容がヤラセだったらどうするの?見るのやめるの?糾弾とかするの?
たとえば、動物を捕獲するっていう内容の番組だと、予めスタッフが動物を配置してたなんてヤラセが発覚して、
一時期その番組に出てた教授の評判が下がったり(教授は無関係だったとかで、今は普通にテレビに出てるけど)、ネットで炎上とかしてたけど
Youtuberが投稿してる動画だってヤラセをしてないなんて確証はない。
むしろ、テレビと違ってBPOとかのある程度の自浄作用を働かせる機構が無い、ヤラセってのは、そもそもは視聴率(再生数)の為に行われるわけだから、十分にYoutuberが手を出してしまう下地はある。
そういった危険性(?)があるかもしれない中、テレビはあーだこーだ言われてきたなかで、Youtuberの方ではあんまり聞かないなぁって思ってるし、見てる人はどう思ってるんだろう。
人と話題を合わせるために頑張ってたことを3年前に全部やめた。
それまでは、バラエティもドラマもJPOPも興味なかったけど、頑張って履修していた。
バラエティを見る時間、みたいなのを設けて、芸能人の名前を一生懸命暗記する。興味なさすぎて頭に入ってこないから何度も復習する。
ドラマは12回もあるのが本当に無理。だからホームページでキャストだけ確認して後は漫画で読む。漫画を読んで「さもドラマ見てます~」というテイで話に参加する。
漫画原作じゃないやつは1話だけ見て、途中までしか見てないんだよね~というテイで行く。
JPOPはもうしょうがない。聞くしかない。頑張って聞く。私はショパンとドビュッシーが好きだ。っていうか歌詞のある曲をBGMとして聞き流せない。
ワーキングメモリが死んでいる馬鹿なので、椎名林檎とかかけるともう音楽だけで脳の容量を使い切ってしまう。
でもいっぱい聞けばその中に一曲ぐらい推しをイメージさせるような曲がある。それに出会うための苦行だと思って我慢する。
カラオケではその推しのイメソンとやらを歌えば問題なくやり過ごせる。
コスメの話題は「口紅は落ちないのが好き」「洗顔料は甘い味のするやつが好き」「アイライナーは書きやすいのが好き」という3点のみで乗り切る。意外といける。
服も興味ないからマネキン買いしてるけど、スカートが好き、サンダルが好き、という設定になっている。その設定に沿って試着したとき店員が言っていたことを適当に喋る。
という無駄な努力を放棄したのが3年前だ。色々めんどくさくなって全部やめた。
人間関係のために必要なコストではあるんだけど、別にいったん仲良くなってしまえはそこまで頑張る必要がなくなる。
必要人数の友人が集まったので、新しく仲良くなれる人の幅を広げるメリットと、勉強のコストを天秤にかけてもうめんどくさいしいいや、となったわけだ。
環境も人間関係も変わる。となると、やっぱり当たり障りのない共通認識みたいな話題に参加できるだけの知識があったほうが便利だよなあとか。
ずっと気になってた、だれか教えてくれ。
〇コちゃんとか紅白とかNHKが好感度のバラエティを作ることで
ゴールデンタイムなり年末年始の視聴率を民放から奪うわけやん?