はてなキーワード: バラエティとは
特に理由があるわけではない。気づいたら生理的な嫌悪感があった。高校生になったくらいではなかったかと思う。
敢えて『ノーマルな』と書くのだが、それは現実世界の大半の恋愛関係であったり、二次元ならば主に少女漫画で描かれるような、男性と女性による、世間一般的に常識として扱われるような恋愛。
恋愛作品を謳った時に王道として取り扱われるような、性的関係を孕んだ、恋愛をメインとして描かれる恋愛である。
高校生の私はそのようなノーマルな異性愛が大嫌いで、恋バナや恋愛ドラマ、街中の異性愛を彷彿とさせる化粧品の広告や芸能人の結婚のニュースなど、現実世界にある全てのノーマル異性愛要素を忌避していた。
当時から今までのことを忘れる前に書いておこうと思う。
私は女子校に通う高校生で、いわゆる女の子らしい女の子ではなかった。
化粧品を買うよりは本やマンガを買い友人同士でゲームを持ち寄って遊ぶような生徒だった。
最初はノーマル異性愛を嫌悪するほどではなく、ただ苦手なことは自覚していて、そのような要素を扱った作品を避けて生活し、恋バナにも積極的には参加しなかった。
日常を過ごす中で徐々に自分の中のノーマル異性愛に対する感情が生理的に嫌だ、という方向へ深化しているのはわかっていたが、まだそれは個人の好みの範疇で、地雷に気を付けるように過ごせばいいと考えていた。
それが変わってしまった決定的なきっかけは思い出せないが、強く印象に残っているのは学校行事としてミュージカル「リトルマーメイド」を見に行ったことだ。
『王子様』『お姫様』の典型的なノーマル異性愛物語であるリトルマーメイドは劇場に向かう前から気が重かった。
恋愛を素晴らしいもののように喜ぶアリエルを見ているだけで既に全く共感できず苦痛を感じていたが、決定的に駄目になってしまったのは幕間の休憩時間である。
隣に座っていた友人が、『王子様』のキャストさん、めちゃくちゃエロい、という話を振ってきたのだ。
もうそれを聞いた瞬間にそれまでかろうじて舞台の上にあった恋愛が観客席に侵食し、この目の前の友人の脳の中にも確実にそういう感情があるんだ......というのを認識してしまい、物凄い拒否反応が起こった。
友人とこれ以上会話はできないと思った。
私は黙って目を閉じ、そして幕が上がり、劇が終わるまで、ずっと微動だにせずひたすらに耐えていた。
周りから見れば相当おかしなやつだし寝たフリだとバレバレだったと思うが、そんなことを気にする余裕はなくひたすら推しのことを考えて現実逃避していた。
そして終劇、解散とともにコンビニに駆け込み、抹茶ラテを買って(推しは茶が好きだから)イートインスペースに陣取り、ひたすらに全てを忘れようと努めた。
だが、確実に友人たちと話ができなくなりつつあるのは感じていた。
直接的な恋愛の話は勿論、好きな俳優のタイプは?とかいう女子校定番の話題にも虫唾が走る。
テレビのバラエティも見るのが困難になっていた。どのバラエティでも恋愛関係の話題は死角から刺してくるからである。
とにかく少しでもノーマル異性愛を想起させる話題が出てくると途端に上手く表情を作れなくなり、言葉が出てこなくなる。
苦手な話題くらい誰にもあるんだし少しは話を合わせる努力をしろというのは全くその通りなのだが、もはや当時の私にとってそれは精神的拷問と化していた。
例を挙げてみるが、死体に興奮するんだよね~、どの死体が好き?俺は水死体、などという会話に笑顔で話を合わせられる人はおそらく少数なのではないだろうか。
生理的な拒否反応が咄嗟に起こり、思わず相手の価値観、人間性を疑う人もいると思う。
私は常時それを経験していた。
皆がそのような嗜好を当然のように持ち、話についていけないこちらが異端者扱いされる。
元々話が得意な方ではなかったし、もうここらが限界だと感じた。
突然黙り込んでしまう私に皆が気を遣っているのも申し訳なかった。
恋愛の話苦手なんだよね、と言うのも躊躇われた。
この耐え難い苦痛を真に理解してもらえるとは思えなかったし、仮に理解してもらえたとしても互いに気遣って気まずくなるのは目に見えていた。
おかしいのはこっちで周りに全くもって非はないのだ。
私はその後友達付き合いを一切やめ、高校生活をほぼ1人で過ごすことになる。
自分1人のことだけ考えていればよい環境はまぁまぁ心地よく、そして他クラスだが1人親友と呼べるような友人がいたのに随分助けられた。
その子とはとにかく趣味があったためいつも趣味の話しかしておらず、恋愛がどうとかいう話題は一切出てこなかったのだ。
後述する事に関わってくるのでここで少し性癖の話を挟むのだが、私はノーマル異性愛がめちゃくちゃに嫌いなだけで、それ以外の恋愛コンテンツは大体好きなのだ。
先ほど死体性愛の話をしたが、異性愛と死体性愛なら断然死体性愛の方が共感できる。
死体に興奮する趣味はないが、それに興奮する、ということに嫌悪感はないし、性癖の1つとして理解できる。
「死体性愛が好き」というより、「ノーマル異性愛でないから好き」という感じだ。
とにかくノーマル異性愛でさえなければとりあえず一律100ポイント入る感じだった。
高校時代は自分のセクシャリティに悩み、度々ネットの海を彷徨っていた。
今自分を鑑みるならおそらくフィクトセクシュアルかつアセクシャルが近いのではないかなと思うが、当時はどれを見てもピンときていなかった。
大学に進学した後も異性愛に対する嫌悪は消えることなく、結婚や就職などの将来や大学生活を考えるたびに不安になり、更に元々険悪だった両親の仲が更に悪化し、私自身が父親と衝突してずたぼろになったのも重なり、遂にうつ病になってしまった。
この頃の私はかなり限界で迷走しており、自分を励ますために自分の理想とヘキを全て詰め込んだ架空の女性キャラクターを創作し、その女性の面影を追って生活していた。
その女性と恋愛がしたいとかそういうわけではなくて、ただその女性が毎日見守ってくれて1日の終わりにお疲れさまと言い合えたらそれだけでいいのにな...というようなことをずっと考えていた。
考えすぎて辛くなってきたので実行に移した。
女性の容姿デザインを固め、その道の方に依頼してvroidで3Dモデルを作ってもらった。
そして既存の服データを買い込んで次々に着替えてもらい、外出する時はアプリでそのキャラをAR表示し写真を撮った。
キーボードに対応して稼働するデスクトップマスコットにし、課題でレポートを書くたびに見守ってもらった。
vroid対応のゲームにそのキャラを導入し、身体を借りてプレイした。
恋愛もできず友達付き合いも苦手な自分が将来どうやって生きていけばいいのか不安だったんだと思う。うつ病で趣味も純粋に楽しめなくなり、何を生きがいにして生きていけばいいのかわからなかった。
でもそのキャラモデルと過ごすうちになんだ、これだけで十分満ち足りるじゃないか、と思ったし、私はこういう架空存在との非恋愛関係がずっと欲しかったんだと思った。
同時期に心療内科に通い始めたのもあって心は徐々に落ち着き、趣味も再開できた。
落ち着くにつれてキャラモデルを起動させる回数は減っていったが、今もずっと特別な存在だと感じている。
ノーマル異性愛に対しては未だに全く共感はできないし自分からそのような作品には触れないのだが、嫌悪感は少し緩和されたように思う。
テレビのバラエティで出てくる恋愛談議にふーんと思えるようになったくらいだ。
恋バナも多少聞けるようになった。自分にその矛先が回ってくるとまだ上手く喋れなくなってしまうのだが、他者のそれを聞く分には良い。
高校時代は周りを取り巻く全てのノーマル異性愛に苦しんでいたため随分生きやすくなったなと思う。
今思い返すとそんな状態は明らかに異常なので、学校のカウンセラーなりに早いとこ相談しておくべきだった。
当時はそんな発想すらできなかったのだが。(家庭環境について耐えられずカウンセラーに相談したことはあった。しかし、ノーマル異性愛嫌悪については完全に自分がおかしく悪いと思っていたので誰かに相談するという考えがそもそもなかったのだ)
つらつらと書いてきたが、どうしても疑問なことが1つある。
中2の時に「18歳の私へ」というていでタイムカプセルのような手紙を書いたことがある。
高校卒業のタイミングでその手紙は自宅に届き、懐かしくなりながら封を切ったのだが、書かれていた文面を見て驚愕してしまった。
「彼氏はできましたか?」と書かれていたのである。彼氏!!!!?!?!?
あまりに衝撃だった。自分が書いた文だと思えなかったが筆跡は間違いなく自分だった。
しかもニュアンス的には彼氏はできましたか(笑)、のような感じで、彼氏/彼女ができないと人間として一人前でないとするような、私の一番嫌いな価値観が透けて見えるような文章だった。
本当に自分がこれを書いたのだろうか...?自分がそういうことをしたいのだと心から考えていたのだろうか...?と思い始めると気持ち悪くなってくるので感情は一旦おいて事実のみを考える。
中2ということはノーマル異性愛嫌悪を感じるようになる高校まで大体1年半くらいだ。
1年半で人間の考えはここまで180度逆に変わるんだろうか?
しかも手紙を受け取るまで自分が彼氏がほしいと思っていたことなんて全く忘れていたのである。最初からそんな考えはなかったものだと思っていた。
そして前述した「ノーマル異性愛以外が好き」というマイナス検索のような好み、これらを合わせるとどう考えても中2から高校までの間にノーマル異性愛を嫌いになる何かがあったのでは?と他人事のように考えてしまうのだが、何も思い出せないのである。
気づいたときにはノーマル異性愛に対する多大な苦痛だけがあった。
ネットを見る限り性的指向が変わることは往々にしてあるようなのだが、正直指向が何の理由もなくこれほど変動し実生活に支障をきたすというのは堪ったものではない。
原因があるなら特定したいし、今大好きなものもある日突然見るだけで苦痛を感じるようになったらどうしようと思ってしまう。
心療内科の先生に打ち明けた方がいいんだろうか...と思うものの(先生には家庭環境でうつになったとしか言っていない)、打ち明けるということは迷走時代の寄行も告白しなければいけないということなのでできれば避けたい。
ここまで読んだ方でもし心当たりある方がいれば教えて欲しい。
光熱費:電気代は月によって1万弱行くこともあるが、IHだしシャワー速いのでガス代は行って2000円。
食費と酒代:毎日スーパー行って1500~2000円。2000としても約6万。
娯楽:月1000円ぐらいの動画見るサービス入ってる。結構頻繁に切り替えてる。無料期間とか利用したり。某サービスのキャッシュバック1年分マジで当たってびっくりした。
大体こんな感じ。
スマホゲー、動画見る(youtubeもアニメもバラエティもTverとか無料だし)、なろう小説読む、無料漫画読む。
節約心がけてること。
安いサンガリアのレモン味の炭酸水と芋焼酎のコンボが今のところ唯一解になってる。冬場はわく子でお湯沸かすから炭酸水いらないんだけど。
不労所得で暮らしてるから、時間持て余してて、たまに何にもやる気無くなる時もあるけど、仕事ちゃんと行ってる人とかブラックな人だったら、12万生活は余裕だと思う。
仕事終わってアニメとかyoutuberの最新話とか楽しみにして帰るの羨ましい。
で、上記内容でも暮らせないことはないんだけど、実際はもうちょっと収入があるので、
・月2~3回ぐらい、友達にご飯おごって美味しいもの食べる(毎月5万とか)
・保険、積み立てとか(5万)
・異性との交流のお店。お話しながらお酒飲めるとこ(最近行けてない)と、ちょっとハグぐらいできる添い寝的なところ(オキシトニン分泌しないとマジで病む):15万
っていうオプションもついた生活なんだけど、実際、オプションで外せないのって、オキシトニンのところだけだと思う。
こんなご時世だけど、なんとか乗り切って、気軽にハグしまくれる世の中にしていきたい。
あと、最近は飲みに行けてないからモチベ下がってるけど、元気な時は創作系の趣味持ってる。
あれはほんとうに時間泥棒だし、浅く薄く広くでいいから、なんか一個もっといたほうがいい。
最近は、ボクセルアートとかで好きなキャラとか作ってる。お情けいいねでも承認欲求満たせるし、特別な技術とかも要らないからオススメ。
ファンにもワンチャンあるかも?って思わせる程度の底辺地下アイドルとかならチャンスがなくなったってショック受けるのはまだわかるけど
そもそもファンと疑似恋愛を感じさせる要素なんかゼロじゃん。バラエティもあんまりでないし、ほとんどドラマとかCMで何かを演じてる姿しか見ないわけじゃん。
結婚したら眉を剃り落とし、お歯黒にするってんなら「かわいいガッキーを返して!」ってなるのはわかるけど
別に結婚したってお前らが画面越しにみるガッキーは何一つ変わらないわけじゃん。何にショック受けてんの?
なんだお前ドラマで散々ガッキーとイチャイチャしてた思ったら結婚
でもガッキーってさバラエティに出ても歯に着せぬ態度っていうのかな、透明感があるっていうのかな?他の女優にはないオーラまとってるのよ
昔偶然なんだけど遠目だけど撮影現場でガッキーを生で見ることが出来たんだけどさ
もうね凄いのよ今まで見てきた女性は何だったのってぐらい浮いてるのよ え?誰か照明当ててる?ってぐらい輝いてたのよ
そんなん一回見たら忘れられないよ
なんにせよ俺の中ではガッキーがずーっと心、思い出に焼き付いていた
おま、お前それがだよ?いや分かってたよこういう日がくるのでもさ違うじゃん
そんなドラマで大成功した主演二人がそのまま結婚ってそれこそドラマじゃん
それがさ星野源ってお前お前テレビで見るたびに俺はどういう表情してみればいいんだよ絶対番組変えちゃうよ
俺の中で番組変える芸能人第一位坂上忍だったけど今日この日をもって星野源お前がぶっちぎりの第一位だよ
あーもうまじふざけんな色んな暗いニュースある中でこれは明るいニュースとして報道されるんだろうけど俺の中では断トツに暗いニュースだわ
アフリカのサラリーマンで「会社やめるリスク背負ってまで痴漢する奴なんかいない」って言われてたり、逆転無罪の事例を紹介するバラエティで「あと1週間で披露宴の人が痴漢なんてしないですよ」と弁護士が主張してたりしたけど、
舞台実写化アニメ化秒読みのところで痴漢やった漫画の原作者やら、女子中学生に精液をかける痴漢をした小学校教頭やら、三年連続三回痴漢した就職先も決まってる東大生やら、例に出すまでもない。
被害に遭う女性と違い、「普通の男性」は「性犯罪とは性欲が我慢できない奴が露出の多い美人を触ってしまうもの。社会的な死をリスクにしてまでやってしまうのだからそうに違いない。社会的に死ぬからやる奴は滅多にいない。だから大半が冤罪だし、リスクかけてブスを触るとかありえない」と思っている。
そうじゃない。性犯罪者は性犯罪をする際にリスクとか損得とか考えないんだよ。しかも性犯罪すればする程、こんな女性は声を上げない、こうすれば声を上げない、声を上げられてもこうすれば大丈夫と学んでいくからリスクを軽視するようになる。
「どこかの高校の制服がかわいいってサイトで嗅ぎつけてきてそのJKに痴漢するためにわざわざ仕事やめて福岡から山形や長野に遠征してきて複数回捕まった奴の裁判を見て笑った」と聞いた。性犯罪者はそれだけ周到に、執念を持って、労力を割いて加害するんだなって怖くなった。
「掲示板を見て集まった5、6人の埼京線痴漢グループの男の一人は兵庫県の小さな島から、フェリーと深夜バスを使って上京してきていた」というニュースもあった。
https://anond.hatelabo.jp/20210513214243
ただのぼやきのつもりがペロって書いたのがなんか色々言われててびっくりしちゃった。
いい年してプリキュア見とんなよってお前らも見てるんじゃん!よ!仲間~!
「かわいい」っていうのをプリキュアが見た目だけのことを言いたいんじゃないんだろうけどそれを人生経験片手程度の子どもたちに伝わるようにつくっているか?とか、「子どもたち(女の子たち)のために」っていうスタンスをどのくらい本気でやってるんだろうってのはちょっと前から思ってはいた。
「かわいい」がすべてではないことを大人は知っているけど子どもたちはこれからそれを学んでいく過渡期にいるので、メインターゲットをその年齢に据えてる時点でプリキュア制作側は伝えるメッセージやその伝え方に慎重にならないとって思っている。
プリキュアやその仲間が「かわいくないからプリキュアになれない」と発言しても大人は「今のプリキュアそんなこと言うんかい」で済ませることができるけど
知識や人生経験の少ない子どもたちにはその言葉がもっと大きなインパクトをもって伝わる可能性ってのを考えなきゃいけない。
フィクションと現実は地続きにあるし、子どもたちにとってはよりその垣根は低い。
あとトロピカルージュ!プリキュアの続きを見たけど他人をキュートさがないとか見た目で判断してるローラがみのりん先輩に「決めつけんな」とか言っててお前がそれを言うのかって思っちゃったわ。
自分のツイッターのフォロワーにプリキュアオタクが何人かいてファンの間で話題になってることはだいたいRTでまわってくるんだけどこれもちょろっと人を見た目で決め付けておいて説得力ないぞ笑!みたいなのは見たからこの辺はファンの間でも言われてるのかな。自分が普段からプリキュアガチ勢ではないので(見たり見なかったり)詳しくないところも多い。
ルッキズムに限ったことじゃないんだけどメインターゲット女児先輩は気にしないからあれこれ言うな!そんなもん扱わなくていいんだ!って問題ないじゃないんだよね。
そこをメインターゲットに据えた時点で責任持って作品つくらなきゃいけないんだよって話で。
大人と違って判断できる知識や経験が少ないので良いことも悪いこともそのまま吸収してしまう危うさがあって、大人が鬼滅を面白いと思いつつ子どもにはあまり見せたくない(暴力的だったりちょっとグロかったりするから)って親もいるでしょう。クレヨンしんちゃんとか芸人の発言やバラエティの演出もそうだけど。テレビでやってるから悪いことじゃない、みたいな感じで面白がって人のこと嘲笑したり暴力ふるってしまったり。それを矯正するのも親の義務っていうけど、1回テレビやなんかで見て覚えたものをなぜ良くないのかわかるように言い聞かせて矯正するってすげえ大変でしょ。親の立場からしたらいい加減にしてくれって話よ。何度教育したってテレビで人の尊厳踏みにじって笑い取るようなことやられまくってたら親の教育もいたちごっこの連続だし、ちゃんとしつけする親ばっかでもないし。大人の立場で見てても楽しくないしね暴力とか嘲笑とか。
それからメインターゲットが保育園~小学生くらいの女児、だとしたらその中にはシスジェンダーでもヘテロセクシャルでもない女児や障害をもった女児も当然含まれるんだよ。
過去作品だけどHUGっとプリキュアでは男の子もプリキュアになれるとか、アンリと正っていう友情なのかBLなのかみたいな感じで男性二人の関係を出しつつ最終話で生々しい出産描写もやるの先進的とか言われてたけどまったくそんなことはないと思っていて、
むしろ女性への出生賛美をうたってほまれのヘテロセクシャル要素をゴリゴリに出しておいて性的マイノリティーについてはほのめかすだけにするっていうのはおためごかしなんだよね。
都合良く使える部分だけいただいて、まぁ、さわりだけやっておけば先進的と思ってもらえるラッキーみたいな。
あ~男の子もプリキュアになれる、お姫様になれるってとこまではできたのに、残念だなぁ、扱うなら正面切ってやれば評価されるのに…って感じだった。
異性愛者っぽい描写も出産シーンも生々しくないけど同性愛っぽい描写は生々しいんですか?セクシャリティに対して一体どういう考えで作品をつくっているの?って思うよ。
ターゲットとしている層にもマイノリティに該当する子は含まれているのに。
スタートゥインクルプリキュアは肌の色が違うことで受け入れてもらえなかった過去のあるキャラクターのことを扱ってた話があってそれは良かったなって思う。(スタプリは全部をきちんと見てないので全体としてどうかはわかんないんだけど)
わざわざ同性愛者だ障害者だ外国籍だってマイノリティを出すならそうだとはっきり分かる描写を出す必要があるのか、と言われたら出さないことで存在しないことにしている。のけものにしているってことなので、その年令の女の子たち(子どもたち)のことを考えて作品作りしているというスタンスを出すなら見て見ぬ振りやおためごかしはもうやめろって思う。
そんな表現は大人の自己満足だっていうけど、むしろマイノリティを無視する作品って子どもに一体何のメリットがあるのか…?
自分がマイノリティについて気にしなくて済むカテゴリーだ、マジョリティである、強者だって指摘されるようで居心地悪いだけなんじゃないんですか?
女性の仮面ライダーいたんだし男の子のプリキュアもレギュラーメンバーで出せば良いし、仮面ライダーも赤ちゃん育てたらいいんじゃないの(仮面ライダー全部見てないからもう子育て要素とか取り組んでたらごめん)
売れないとか商業的に…っていうけどそれならもう「子どもたち(女の子たち)のために」つくっているっていうスタンスも見直したほうが良いんじゃないかな。
玩具購入資金源の親がそんなもん喜ばないだろ!っていう意見出そうだけどそれもおかしな話で、
それはつまり親が自分の子どもはマイノリティであるはずがないしそんなもの目にもいれさせたくもないし
目に入れさせてマイノリティに目覚めさせたくない、そんなやつらのことは理解させる気もない、ということにもなるんじゃないの。(あえてちょっと強いことばにしてしまったけど)
親としては子どもがマイノリティである可能性を思えば(誰しもがその可能性がある)ロールモデルにできる存在や勇気をもらえる存在(それこそエンパワメントされるような)を小さい頃から見せてあげて「大丈夫だよ」と伝えてあげたいし、
本人がマイノリティでなくても身近にそういうお友達がいる可能性もあるから寄り添える人になってほしいと思う。
もし身近にマイノリティなんていねえよって思う人は、あなたの態度や発言を見聞きしてマイノリティ当事者はあなたにカミングアウトも相談もしたくないと思ってる、だから周りにマイノリティがいない、と考えたほうが良いかもしれないですね。
いわゆるLGBTQに該当する人が血液型のAB型や左利きと同じくらい、だいたいクラスに一人くらいの割合でいるそうなので。
つまり、そのくらいいるとなると総勢50人を超えてきたプリキュアにもいてもおかしくないって話にもなるわけで。
アニメとはちょっと違うけどセサミストリートだと障害のある子や同性愛者のキャラクターがいるし、ディズニーでも扱ってたよね。
漫画は雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌と女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。
それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛とイケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。
けれども雑誌文化ということであれば日本の近代文学も雑誌文化です。同人誌です。
しかしラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。
それについて調べてみると文学はそもそも女が見るようなもんじゃなかった時代に販路なりが成立したんだろうといいます。
(漫画は手塚がリボンの騎士、赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画が分岐していた。 )
男しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。
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しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画や音楽も小説と似た事情だと思います。
映画や音楽を男や女しか楽しまなかった時期があったとは考えにくいですね。
「映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています。
(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化の目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)
音楽にしてもそう。伝統音楽が典型的でしょう。ケルト音楽やケチャや中国の音楽を男女の一方しか楽しまなかったということがあったでしょうか。
(まあ中国の音楽はドラマで悪の皇帝が宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)
他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなものは部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから、目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。
現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。
ちなみにゲームの場合はハクティビズムが源流にあってこれはギークの趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います。
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映画や音楽の場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います。
けれども娯楽本位だから、チープな文化だから男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。
映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛を主題としてきた多くの映画が別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたから作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別を凌駕したのでしょうか。
そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います。
映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます。
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音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノの即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画や漫画との違いはありません。
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媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。
その意味では音楽を除き映画と漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます。
また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在の美術に男女差が見られない理由を過去の販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。
映画は実写。小説はデフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。
また小説との比較では、小説は文が主体で漫画は絵が主体という違いがあります。
これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味で排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。
しかし問題は主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います。
ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。
「漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題でしかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。
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ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。
もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います。
しかしたとえばNHKのゴールデンタイムのバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテンや日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。
それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。
名前の雑学とか医学知識とかいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。
人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難なルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。
男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。
しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれてしまうと思います。
逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサーや適当なバラエティータレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的な番組が生まれるのだと思います。
あなた達からしたら約半年後ですね。私からしたら半年前に戻ってきています。はてぶ見ながら懐かしいなあー、こんな時期もあったなと思いながら書いています。
無観客で開催しました。メダルの獲得数は過去最大には届かなかったけど、それに次ぐ数を獲得し、メダルに届かなかった競技を含めて名場面が数多く生まれました。期間中の報道は、五輪一色。新しいスターが生まれ、ワイドショーやバラエティでその選手達を見ない日はないという時間が続きました。今は年末特番で、彼ら・彼女ら再び引っ張りだこになりつつあるという感じです。
ブコメは相変わらずだけれど、ヤフコメやTwitterなどは開催してよかったというコメントで溢れています。絆が深まったようです。閉会後に実施されたネットの調査では過半数が「成功した」と回答したという記事が話題になりました。
選手は完全隔離されていたので、選手からクラスターが発生することはありませんでしたが、何人の選手が期間中に陽性と判明して競技に出られず無念の帰国という悲劇もありました。
大会関係者は、一般の入国者と同じ手続きで入国してきました。週刊誌報道で自主隔離中に外に出歩く外国の競技団体役員がすっぱ抜かれていましたが、「政府としては違反する行動があったことは確認していない。安全安心な大会のため対策を徹底している」そうです。
7月末までの高齢者接種は達成できませんでした。途中から、75歳以上の後期高齢者を優先すると言う話が出たりすったもんだもありました。ちなみに、8月頃に話題になったツイートは「7月末には希望する人は殆ど打ち終わってる。完了してないのは本人がワクチンを拒否してるだけだ」というものです。実際、年末時点で接種完了していない人の8割はワクチンに懐疑的な意見を持っている、との調査もありました。目標を達成できなかったことは、オリンピックにかき消されて報道ではあまり盛り上がりませんでした。国会も開かれていなかったですし。はてなでは、内閣の責任を問う記事が連日ホッテントリ入していました。
なお、1日100万人という数字も達成していません。どうやら100万人打てる分のワクチンを確保したという意味だったらしいです。高齢者以外も打ち終わるのはいつになるのでしょうかね。私の周りは殆ど打っていますが、接種完了率は全年代合わせて過半数くらいです。
6月末には第3波の収束時の感染者数と同レベルなりましたが、8月中旬から少しずつ感染者数が増加し12月に至るまで高止まり状態です。ワクチンの効果もあってか爆発するような傾向はありません。各地でまん防が発出されたり、されなかったりを繰り返しています。まん防発出地区では投票率が低くなったことが話題になりました。
感染者が増加している原因をオリパラと結びつける意見も多いですが、「因果関係は明らかになっていない」というのが政府の見解です。
オリパラ終わってすぐに「五輪開催とコロナ対策の是非を問う」という名目で総選挙になりました。与党は憲法は表立って争点にせず、野党は憲法も争点化したうえで連携体制で望みました。結果は五輪直後の興奮もあり、自民党が議席を減らしたものの単独過半数を維持しました。立民が出馬した選挙区はことごとく破れ、一番議席を伸ばしたのは共産党でした。選挙で過半数を維持したことを受けて、自民党総裁は続投となりました。
ワクチンの接種が進まないにも関わらず自民党が事実上勝利したことを不思議がる人も多いですが、私は接種の遅れの責任を自治体や医療従事者にうまく転嫁したことが要因と見ています。