はてなキーワード: センシティブとは
連日、オタク女子の増田ばかりがホッテントリに上がってうんざりしているところ申し訳ない。
オタク女子に関する話ではあるが、非オタクや男性の意見も聞いてみたいので、良ければ読んでいってくれないだろうか。
発散ばかりで収束の気配もない、スタートもゴールも見つけられない私の話だ。
元々、同人誌の即売会に数えるほどしか参加したことのない、爪先つっこんだ程度のオタク女だ。仕事と子育てが一段落してちょっとばかしオタク女の世界に戻ってみた。唖然とした。
モブレとは、モブ(顔なし名前なし)キャラクターによるレイプのことである。
体調不良ネタとは、キャラクターが過呼吸や嘔吐したりするのを楽しむジャンルである。
オメガバースは…まあ話せば長くなるが性差別を美しく哀しく手軽に内在化した舞台装置であると認識している。
がっつり挿入を伴うR18表現は鍵をかけても、これらは問題なしとして小中高生たちがキャッキャ騒いで、当たり前のようにネタとして消費してて、それがどうにも気持ち悪いというお気持ち表明をまずしておく。
男性向け作品は昔からレイプもの愛好者はそれなりにいたよね。モブかどうかはさておき、あえて汚いおっさんが美少女を犯すシチュエーションも定番ちゃ定番だ。それを批判したいとか微塵も思っちゃいない。公開する場所と人を選べばそんなの自由だ。女性向け作品の中にそういった傾向を匂わす作品が増えてきたことは「女性が性欲を持つのははしたない」とする風潮が薄れて男女の非対称性が薄れたという意味では歓迎してよい一面もあるかもしれない。それと、上記のように倫理的に正しくないとされる創作もゾーニングさえされれば楽しむ権利はあるべきだと私は思っている。男性向けは最初からネット上はともかく書籍や映像作品はゾーニングが整っている部分もあるよね。女性向けも早くそこに追いつきたいね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
誰も傷つけない表現など存在しない。一家団欒で食卓を囲む描写さえ誰かを傷つける可能性がある。機能不全家族で育った人とか。一方で「豪雨による被害が続いている中で、七夕の星空を見上げてイチャイチャするネタを投稿するのためらうよね」と言う人たちもいる。ポリティカル・コレクトネスやフェミニズムという単語に概念にうんざりしている人たちもたくさんいる。ああ、まとまりがなくて申し訳ない。
どれか一つだけでどうにかできる問題じゃない。全部必要。バランスよくやろうよ。
「うるせえ自由に創作させろ」ってさあ…ねえ、まだ十数年しか人間社会を知らない子たちがそれを見てるんだよ。
センシティブな話をまるで少女漫画の定番展開みたいに消費してるんだよ。やめてくれよ。
人は変えられないから自分が変われって、この場合どのように適用すればいい?
はいはいお気持ちって言われたら、うん確かにお気持ちだね。ごめんなさいお気持ちです。
やっぱり女うぜえって思った人、ごめんね。うざくない女もたくさんいるよ。
どこを起点に、どこを目指して行けばいい?
これ読むといいよ!って文献とかあったらおしえてください。
私は熊本に実家があって、東京に暮らしている。熊本が好きなので、一定親しくしている同僚や友人には私が熊本出身であることを伝えている。ありがたいことにみんな私の出身地を覚えてくれているので、ちらほらといろいろな人から「熊本大丈夫?」と連絡がくる。私はありがたいと思いつつ、質問してくれた方は何を知りたいのだろうかと考えてしまう。
冷静に考えてみれば分かるはずですが、私(=実家が熊本にあるだけの一個人)の口から言えることは大きく2つしかありません。
「私の実家(及び地域)は大丈夫 or 大丈夫ではない」 ≒ 私個人の状況
「人吉/八代などをはじめとして、土砂崩れや川の氾濫で影響を受けているところが多いので大丈夫とは言い難い」 ≒ 熊本全体の状況
これだけです。前者は個人的な話と周辺地域に関することなので、私の口からしか聞けないことになります。後者は私もニュースで出ていることだけしか基本的に分かりません。私が答えることができる情報について、もう少し掘り下げることにする。
まず前者について私の実家の安否を話す場合ですが、今回私の実家は幸い無事だったので「大丈夫でした」と回答できますが、仮に人吉や八代などの被害が大きい地域に実家があって水没してしまった場合「水没しました」と回答すればよいのでしょうか。また身内に不幸があった場合、どう回答したらよいのでしょうか。本当にこの人は私の家に不幸があったとして、それを知りたいのだろうか。少なくとも、私は他人の実家に不幸があったとして、知りたいとは思いません(あくまでも能動的に他人のセンシティブなことを知りたいとは思わないという話)。
ちなみに「大丈夫でした」と言うと、「良かったですね」という反応が返ってくることが多いです。確かに私個人と私の実家に関しては「良かった」のかもしれませんが、実際に甚大な被害が出ている地域があるため、手放しで「良かった」とは言えないのが正直なところです。少し想像力を働かせれば、私の友人や知人などが巻き込まれている可能性だってあります。その場合、私個人としては「良かった」なんて口が裂けても言えません。
次に後者の熊本全体の状況を知りたい場合ですが、これはニュースになっていることがほぼすべてです。東京に住んでいる以上、熊本の詳細なニュースは余程熱心に自分から取りに行かない限り入手できません。そのため、質問した方が熊本の状況を本当に知りたいのであれば、自分でニュース検索してほしいと考えているところ。つまり、この意図で私に質問しているとしたら、熊本について大した興味はないけれど、ニュースで話題だからなんとなく聞いておこう、くらいの気持ちなのだなと私は解釈している。
あるいは熊本出身だからこそ、詳細に詳しいことを知ってる可能性があり、そこに期待して+αの情報を引き出そうとしている可能性もありますが、そうだとしたらもう少し違う聞き方をしてくると思いますし、現時点でそういったことを聞こうとしてきた方はいません。
ここまで私が答えられることを書いてきたわけですが、やはり私は私に「熊本大丈夫?」と聞いて何を知りたいのかが分かりません。とりあえず、災害があった地域出身だから、話のタネとして聞きたいんでしょうか。それにしては、かなり重い空気になる可能性があるので、一般には避けた方がよい話題のように感じます。
女性ってよく面食らったりハッとしたりびっくりしたりしてるけど、なんていうのかな…。
この増田の「面食らった」はあまりにも当事者意識が欠けていると思うし、Twitterでよくハッとしてる人は自分の見たいものを見てハッとしてるだけで、別に気分よくなってるだけじゃね?って思うし。
フェミがびっくりしてる時は大抵キレてるし、それ怒ってるだけじゃね?って思うし。
何て言うんだろう。びっくりしてなくね?って思う。
まあ男でもあるのかなあ。どうでもいいことに衝撃受けてるYouTuberはいっぱいいるよね。でもあれPV稼ぎだからなあ…。
俺がびっくりするときって足踏み外して階段から転げ落ちそうになったりとか、ホラー映画観てるときに地震起きたときとか、そういうのしか思い付かない。
なんかそれと前述のびっくりって違くない?
いやどうでもいい。どうでもいいんだけど。
これは伝わらないかなあ。
まあ今はないのかもしれないけど、明らかに女性が誘ってる感じあるのにデート申し込んだらびっくりしたりするじゃん?
いや予想の範囲内じゃね?って思う。
まあはてブで言っても勘違いだって言われちゃうからあれだけど。
何かこうびっくりしてる時の女性の目開いてる表情の、その瞬間この人なに考えてんだろうなって思う。
それとは違うじゃん。目見開いて、そこで考えてることって、なに?あの、なんていうか、「え!?わたし!?」みたいな。
いやお前以外にいないだろって思うじゃん。
いや知らないけどさ、その瞬間になに考えてるのか。
絶対伝わらないなあこれ。
もしちょっとでも思うところがあれば、みなさんのびっくりした瞬間を教えてください。
・ サイレント魔女☆リティの発祥は男性ですが…/男だが、公文書の改竄や無茶苦茶な詭弁、上級国民の不起訴、Go Toキャンペーンの前倒しとかにびっくりさせられっぱなしです。
あー、なるほどねぇ…。
・ 熱いので炊飯器の蓋開けておいて、そろそろ冷めたかなと思って釜を取り出そうとしたら中から巨大なアレが飛び出してきた時かな。最近ならソファの下に蟻が20匹くらいモゾモゾしてた
地獄やな。
・まあ女性の反応が大袈裟に感じることは多々あるが、感情表現をあまり出さない自分よりマシかと思う
大人だなあ。
・相手の反応を勝手にこうあるべきみたいに決めつけてんでしょ。
・女の外見してるからって舐めてきたやつにやり返すと、皆さん一様に「びっくり」するよ。びっくりしないのはヤクザとキチガイ位かな。常識と礼儀の想定外のことを女がされやすいだけなんじゃないの?
うーん…。それは「(男性の主観的には)目の前の人間が突然キレてきた」わけだから、階段踏み外したのとカテゴリーとしては近い気がするなあ。
想定内のことをびっくりしたと言い替えてることが多くない?という。
それびっくりっていう感情なの?って疑問なので。
・「よくわからない」は「びっくりする」とグラデーション的につながってると思うけどな。
あー。読んだ瞬間は繋げてないなあと思ったけど、うーん。思い返してみたら難しいところ。
よくわからないことをびっくりしたって言い替えることへの違和感なのかなあ。
・気配りをすることが社会的要求として存在→主観でTPO設定やプロファイルを行う事の習慣化→規範や倫理観を超えた事象に驚くというのを考えたけどある程度は性差なくあるような。主観への信頼が強いのかな。これも主観
・「びっくりする」とは「想定外の事が発生した時に使うべき表現方法であるはず」だから「発生する可能性を予測できる事象に対して使うのは不思議だ」という主張なのかな? でも予測できる範囲って人に依らない?
まあそうなんだよね。主観だし人によるんだよ。
・家の洗面所とかで夫に突然話しかけられるとビックリしちゃう。「あぁ!びっくりした〜!」とか結構大声で言ってしまうので一度夫に「一緒に住んでるんだからそんなびっくりする必要なくない?」と言われた。
でもこれよくよく考えたら俺もやってたわ。若い頃。
後ろから声かけられることよくあるんだけど、とりあえずびっくりしてたら女性に謝られたから、それ以降しなくなったな。
・「相手の行動は、私がびっくりしてしまうほど非常識なことです。驚かされた私は被害者なので優遇しなさい」ってことだよ。
さっきのと「とりあえずリアクションびっくり」とは違うびっくりは、ほぼこの意見なのかな。嫌だとか不快の言い回し。
まあこういうことなんだろうな。
・婉曲表現だとすると、その婉曲は、びっくりするくらい、伝わっていない。「ああ単純に驚いたのね」と思うだけで、なにかに配慮するとか、慮るとかはできない。
これもわかる。びっくりをそのまま受け止めるとそうなる。
てか素朴な疑問なんだが、嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?
嬉しいときにびっくりした!って言わなくなったなら、びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思うようになるけど。
・久しぶりにしたとき、久しぶりだからびっくりしたって言われたことある。俺はその発言にモヤっとしたよ。
この感覚になるよね。100%嫌だっていうことなら素直に受けとめることも出来るかもしれないけど、実際どっちなのかなんて分からないからねぇ。
・そうかね、日本のメンズだって女子と同じくらい、バレンタインチョコ貰うとか童顔の可愛い女子からの告白とか女子からのセックスのお誘いとかいちいち大分びっくりしてる気がするけどなあ。
そうなんですか…。世界線が違いすぎてびっくりするわ。
あるわ。
・ビジネスの場で「とてもびっくりしました」と書いちゃう女性がいて、今までびっくりしてれば誰か助けてくれてたんだろうな、と残念な気持ちになった。
まあ他人任せにしてる感じは受けるよね。
・失礼なことをされたとき、対応を間違えると「ヒステリー起こした!」って言われるので、婉曲的に「びっくりした」って言うしかないんよ
・増田を読んで、男側の例として本人が「男の話」だと思っているもの(趣味や仕事が多い)に、女性が口を挟むと「びっくりする人」が思い浮かんだ。性別よりも、その人の視野の問題が大きい気がする。
なるほどだわあー。この男のびっくりは、女性からしたらムカつくよねぇ。
・男性も使ってる。明らかに格下でない男性・上司・ヤれる可能性を期待する女性等失礼を避けたい相手が自分の常識から外れる言動をした場合とかに。女性が多用するのは女性の身で直言するとキレられる可能性が高いから
こういう男のびっくりに女は違和感を感じるけど、女の他人任せにするびっくりに男は違和感を感じるのかなあ。
・男性って女性よりいい意味で単純でさっぱりしてると思ってたんですけど、増田さんみたいにネチネチ陰険な男性もいるんですね~そういう男性って私あんまり会ったことなかったのでびっくりしました!←こんな感じ?
こんなにびっくりできる文章もないわ。
・HSP ハイリー・センシティブ・パーソン。こう言う人もいる。20%だ。差別すんな。
なるほど。多いなあ。
・増田の「びっくりしてなくね?」が「え〜?!それびっくりしてなくね?!」になっただけのような。感情の振れ幅とか表現方法のクセとかの違いに感じる/追記見ると増田も呆れのびっくりを使ってる。わざと?
わざとです。
表現方法のクセもあるんだろうけど、含まれてる意味が結構違うなあと。
・ニュアンス読み取りに命かける従来の日本語コミュニケーションからもう脱却した方がいいと思うんだけどね。語彙減ってるのにそれやるから意思疎通でリソース無駄に使ってる。
せやな。
・女性の「びっくりした」に、怒りを悟ってほしいという文脈が込められている事に増田は憤るのだろう。増田の「よくわからない」に「ウザい腹立つ」的文脈が込められてるのと同じだね。よく判ってるじゃん。
「びっくり」に引っ掛かるんだったら「よくわからない」にも引っ掛かれよという話。気をつけます。
・言われてみると、結構場面によって色んなニュアンスを含む言葉だなと思う。単純に驚愕というより、何かしら感情が揺り動かされていて、でも自分の価値判断を含まずにそれを表明したいときに使うイメージかな。
なるほど…。純粋びっくり派ですね。
・追記の「嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?」に対する回答が見当たらない。やはり「びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思う」のが順当ということか。
これね。ホントにないのかなあ。
自分で考えてみて一番それっぽいのは、買ってた馬券が無理だと思ってたら当たった時だけど…。「わー!びっくりしたー!」とはならないからなあ。
・例えば急に後ろから声かけられた時に、不審者と勘違いして怖かったって言うと角がたつ。キレられても怖い。でももうやめて欲しいので、こう言えば次はやらないでくれるかな~って期待と共にビックリした~って言う。
それは…伝わってるのかなあ…。
それこそ女性に言えば伝わるもんなのかね。
・びっくり≒私は崇高なる理想社会を前提としているので汚らしい男性が引き起こす現実社会との落差に驚いた を意味しています
なんか笑ってしまった。
訴えると別の言及者みたいに「センシティブ設定しろ」「Twitterやめろ」って「嫌な奴が見なければいい」理論を掲げた奴が徒党を組んで来るんだが。
それらにいちいち対抗してくるのも疲れるよ。
ただ、観た奴が悪い理論は解せない。自分はそれを見に行くことはしてない。フォロワーからのいいねや検索先で出てくるものに辟易してるだけ。
いいねしてくるフォロワーをブロックするのもこっちの労力、センシティブ設定するのもこっちの労力。不利益こうむる事自体に腹が立つ。
考察と卑猥な妄想絵が一緒になってる検索欄に吐き気がする。これ全部自分が取捨選択して見てみぬふりしないといけないの?
わいせつな絵を描いてる側がもっとそれを自覚して欲しいのに、何でこっちが自衛を強いられなければいけないのか。これをセクハラと言わずになんと言えばいいんだ。
1年前に好きだった女性だ。久しぶりに人を好きになったと思ったら、今このような状況である
まぁ、自分なりに処理は出来ているが、チラシの裏にくらい書かせて欲しい。そして経験談を教えてくれ。
1年前のちょうど今頃。一度食事に誘って会話をしながらご飯を食べた(もちろん、デートは散々だった)翌日から、ただの一度も会話を交わせていない。こちらからアクションを取っても無視されている。ただの一度もコンタクトは取れていない。
その後私がしつこく連絡先を聞こうとして、彼女が上司に苦情を入れた・・・という事もあり、社内上層部では彼女と私の関係はセンシティブな関係として扱われている。
しつこくしたのが原因で無視されたのか、としばらくは自分を責めていたが、よく考えれば食事の翌日から一切会話を交わしていないのだから、別にしつこく連絡先を聞こうとしたのが原因ではないだろう。
彼女に仕事の連絡をしても、まあ無視される。おかげで彼女との連絡に限って言えばかなり支障が出ている状況。
(上司に相談してなるべく彼女とは接点を作らないようにはしている)
当初は恋愛感情も相まって、なかなか振り切るのが難しかった(今も本当に嫌いなのか?と言われれば嘘になるが、それを何とか抑えて今がある。今の状況から、関係修復を修復するのは、もはや難しい。何度か試みたが、俺の実力じゃもう無理だ)
殺したくないというのは、狭い人間関係で以前好きだった女性に無視されると、いらいらしてくるという事がある。
無視されるのは中々辛い。恋愛的にというより、俺と言う人間の存在を否定されるのが辛い。
まぁ、彼女については、よく1年間も特定の人間を無視し続けられるなとは、思っている。 法を犯すつもりは無いと書いたが、せっかくだからいい反撃方法があったら知りたい。(もちろん犯罪を犯さない範囲で)
私の仕事はテレワークと出社が半々なので、あまり顔を合わせる事もない。社員同士のコミュニケーションも非常に希薄な会社。よって、彼女と仲違いしている事も、感づかれる事はないのだが
同じチームの人間に「彼女と喧嘩してる?」とこの前聞かれた。正直に答えた。
その人間(女性)は、彼女に私の話をした所「〇〇さん(私の名前)とはお話しない事にしている」と言って、以後だまり込んだそう。 女性ってこういう感じなんだろうか。ここまで人を嫌う(仕事に支障が出てまでも)のって、ある意味凄いなと思う。
まぁ、彼女には支障は出ていないか。「お話しない事になっている」ってどういう事なんだろうか。 宗教? そんな気もした。
人間いろんな人がいるから、彼女が私を嫌う事は否定はしない。私だって嫌いな人はいる。苦手な人もいる。
ただ、それを仕事に持ち込むのはどうなんだと、言いたい事がひとつ。
それから、1年も人を嫌う事って可能なのか。そういう人がいてもおかしくないか。人間だからな。この辺りは経験談があれば教えて欲しい。
同じチームだから、すれ違う事や、彼女を含めて数人で会話をする事はよくあるのだが(ただ、彼女とは目も合わせないし、話もしない)、自分なら無理だ。嫌う事が出来ない。
そして、なんであれ無視されるというのは、やはり腹が立つ。社内に相談に乗ってくれる人は何人かいるのだが
今は、上司に相談しなるべく彼女と接点を作らない>という点で上司を一応味方につけているつもりではある。(実際味方なのかはわからない)
このような状況だから、職場を離れるのが一番良いだろう。最終的にはそうする。そもそも経験の薄い中、社内恋愛なんぞに飛び込んだのがよくなかったのかもしれない。
事実、この一件(1年前に彼女の上司経由で苦情があった)からは、女性に対する接し方も非常に丁寧になった。失敗はしっかり糧にしている。
ただ、このままで、いいのかって話だ。
経験談を教えてくれ。
ソースが本人のツイート一つだしゴシップサイトしか記事にしてないし真面目に捉えてるほうがおかしいんだよ
立候補者の登録を締め切ってる州もあるんだから、どう考えてもありえない
それはそうとして、カニエウェストのトランプ支持はイメージアップのために右ならえでリベラルアピールばっかしてる近年のアメリカンセレブへのアンチテーゼだったんだろうな
オバマやヒラリーがいくら正論を説いたところで実際の世界はいっこうによくならなかったという絶望と、
そんな失敗を反省せず俄然同じようなアプローチをとり続けるリベラリストへのフラストレーションが、
民主党員への当てつけとしてのトランプ支持といういささか幼稚くさい行動にカニエを走らせたのかもしれない
またセンシティブな発言をしたときに「これだから黒人は」という風にトーンポリッシングによって論点をずらされることを危惧して
表面上は共和党保守層にフレンドリーに接したほうがいいという考えもあったようで、それはまだ理解できなくもない言い分かなとは思う
カニエって誤解されがちだけど共和党支持者ではなくてアンチ民主党ってだけなんだよな
「いつまでこんな古臭い二大政党にしがみついてんだよ疑問に思わないのかよアメリカっていう国家が黒人にやさしくしてくれたことあっか?」としか考えてないリバタリアン
個人的にカニエはそういう「政治じゃ何も変わらない、変えてくれない」ってスタンスでいてほしい。そういう発言をする人もいてほしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/matsumotory/status/1274654682598608896
「職業柄、若い経営者とよく会う。彼らはみなスティーブのクソなところばっかりマネをする。天才のところを真似することは誰もできない。」
と言っていたのを思い出した。
本人たちにとっては、「バグを憎んで人を憎まず」とか「マサカリは発展に必要」とか「これに耐えられないやつは業界から去れ」くらいに思ってるのかもしれない。
この業界、「エンジニア・プロフラマ・経営者として優秀」と「口汚い」が揃っている人間が結構多い。敢えて名前を挙げることはしないが、皆さんが頭に浮かべた彼や彼女やあのグループとかだ。
こういう存在(便宜上、「クソなエンジニアのThey」と呼ぶ)に憧れを持つと、
しかし、Theyが優秀であることとクソであることには全く因果が無い。優秀なエンジニアにクソな人間とクソではない人間がいるのと同時に、クソなエンジニアにも優秀な人間と優秀ではない人間がいるのだ。
似たような例は、「稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか」という文章を見て、「長財布を使うと、稼ぐ人になれる」と勘違いするものがある。
非常にセンシティブな話題になるが、要は、ある種の発達・人格に関する障害の影響で、他人に対するコミュニケーションに問題が生じているということだ。
もちろん、この文章は特定の個人の特性や人格にレッテルを貼るものではない。個人のレベルでは、
といったことが考えられる。当然、業界内の「クソな人」全員がこれに当てはまるとは言えない。
コミュニケーション上の問題が多く目立つ理由は、「人格的にクソな人間を排除するルールがこの生態系に存在しない」というのもある
前述の分類の仕方をすると、
の2軸で分けたとすると、この業界という生態系でまず排除される(生き残れないのは)「人格的にクソであり・かつ技術的に劣っている」個体であろう。
では、次に誰が排除されるかというと、「人格的にクソではなく・技術的に劣っている」者と「人格的にクソであり・技術的に優れている」」者である。
この二択に対して、前者が排除されつづけた結果、現在の状況となっているのではないか。
正直わからない。ただ、上述の3つの悪影響を可能な限り排除するのであれば、
であろうか。
前者はいわゆる「優しい独裁者」モデルだ。言い方を変えると、「そのコミュニティに属する限り、クソである部分も含めて特定の人物の価値観に従う」ということを全員で合意する。
つまり、「クソであることを否定することを許可しない」ことである。当然、このコミュニティにおけるすべての責任は、その「特定の人物」が負う。
後者は、「クソな振る舞い・発言を定義して、それを厳しく戒める」ものだ。つまり、「クソであることそのものを否定する」」ことである。
任天堂の包括許諾の対象にいちからが含まれたことをきっかけにVtuberの無許諾ゲーム配信について炎上が起こっている。
企業として無許諾配信を認めたカバーのホロライブがその主な矛先になっている。
その流れの中で、ホロライブ所属の戌神ころねが収益化をオンにした自身の配信でSCP-173を映したことがちょっとした話題になっている。
このSCP-173の権利関係については何となく知っている人も多いと思うが色々と複雑な事情がある。
芸術家の加藤泉氏から非営利目的であることを条件に消極的認可を得た上で作品の二次利用を行っているからである。
そして加藤氏はこの件について直接問い合わせが来ることを望んでないので、SCP財団が代わりに対応を行うことがルールになっている。
元々はVtuber界隈の炎上騒ぎだったが、前述の戌神ころねの件を加藤氏に直接通報したと自称するものが現れたことで一気にSCP界隈も巻き込んだ問題になってしまった。
SCP界隈的には戌神ころねの行動も問題だが、それ以上に加藤氏に直接迷惑が及ぶことでSCP-173の認可が取り下げられることが最悪のシナリオだからである。
なのでこの件についてSCP界隈の人からは「センシティブな問題だから部外者は黙ってろ」という旨の発言をされることが多いように見える。
これについて、気持ちは分かるもののさすがに傲慢な態度に感じる。
SCP-173の問題はある意味界隈が抱える巨大な脆弱性である。
その上で何とかそれをケアしながらSCP Foundationという価値ある文化を守るためにライセンスが整備されてきた歴史があることはもちろん分かる。
だが、それは他の界隈の人間にとってはどうでもいいことかもしれないことを理解するべきだと思う。
SCP Foundationの文化的価値を共有していない人間からすればそんな脆弱性を抱えてる方が悪いというだけの話にしかならないだろう。
この件を騒ぎ立てている人達の目的は恐らくホロライブ側から何らかの説明がされることだと思うが、今のところそのような動きはない。
その状況で権利者への通報という有効そうな手段があり、法律上もそれが正当化される場合に界隈の事情なんか無視してそれを行うのは(モラル的な良し悪しは置いておいて)その人の立場で考えれば十分理解可能な行動だと思う。
その状況で反感を買うような態度でSCP界隈の事情を押し付けて対立するのは完全に逆効果だと思う。
下手すればむかついたからむしろお前らが困ることをやってやろうという発想になりかねない。
必要なのは、騒いでる人たちに権利者に通報しても意味が無いと思わせることである。
つまり、SCP財団がこの件についてホロライブ側にしかるべき対応を行い顛末が報告されるように既に動いていると説明をする必要があるんだと思う。
もちろん、これは結局のところ正義を振りかざして騒ぎたいだけの人間の要求を飲んでホロライブ側に厳しい対応をとるということでもあるので正しい対応かどうかで言えば正直微妙である。
しかし、ある意味巻き込まれた側が問題の大元に説明責任を負わせて矛先を逸らすのは、自分たちの界隈を守るための手段としてはそれなりに有効だし、少なくとも傲慢な態度で無駄に対立するよりは妥当な対応だと思う。
小児性愛=男性 、という図式ばかりフィーチャーされがちだが、実は小児性愛の問題は男性に限ったものではない。
むしろ、隠れた小児性愛の問題は「女性」の側にこそ潜んでいる。
男性が若いアイドルばかり追いかけまわしていると思っているようだが、実は女性もまた、若い男性アイドルを追いかけまわしている。
例を挙げると、ジャニーズJr、神木隆之介、羽生結弦・・・etc (実際にはキリがない、というのもこの世には「男児」の水着イメージDVDなるものもあるからだ。)
彼らがまだうぶな少年だったあの頃、あのあどけない笑顔を性欲丸出しでおっかけていたおばさん達の表情を自分を決して忘れない。自分の息子を見つめる母親のような顔で彼らを応援するが、常識的に考えて"赤の他人"であるはずの男児にあんなに大挙して群がるはずがない。あの頃の自分は詰めが甘かった。
なぜ将棋の藤井聡太に若き日の羽生結弦ほど女性ファンが集まらないのだろう。単に将棋に興味がないだけだと思っていたが、しかし奴らはフィギュアスケートのルールすらほとんど知らないのだ。(もちろんマナーも)
はなはだ疑問である。
彼女たちは自分の汚らわしい性欲に過ぎないものを、まるで母性であるかのように"正当化"するのだ。
そういえばこの間も、ある成人女性が小学生男子との淫行で逮捕された事件があったが、普通に考えてあれは立派な"虐待"だ。
アホなネット民たちは「うらやまけしからん」などと笑い話で済ませていたが、本来ものの分別のない小学生に性行為を強要した場合、精神医学的に考えてどんな傷害(トラウマ)を残すかわかったもんじゃない。
世の中には一定数の"ショタコン"女がいるわけだが、もし自分に小さい息子がいたとして、そんな奴らが大勢いる保育園に子供を預けるわけにはいかない。ここは安全な男性に預けたいところだが、どういうわけかどの保育園も潜在的ショタコン欲求を持つ女性の保育士ばかりが大勢を占め、未だ男性は排除される流れになっている。(われわれは一体どこに愛する息子を預けたらいいんだ!)
自分は昔、母親と風呂に入っていた時に、母親にペニスを触られたことがある。あの時の母親はただ笑っていたが、今考えると鳥肌が立つような不快な体験だった。あれ以来母親を憎悪するようになり、自分は母親を徹底して忌避するようになった。自分はその時のことを誰にも何も言わなかったが、言えば性的虐待の件数としてカウントされたのだろうか?また、同じような経験をした男性は、潜在的にどれほどいるのだろう。性的なものであれ、お受験教育的なものであれ、それは等しく"虐待"ではないのか。
(考えてみれば、母親と恋人関係のような息子がたびたびテレビで報道されるが、あれも考えてみれば母親の"支配下"におかれ、もはや抵抗する気力を失った(無気力な)憐れな息子に違いない)
現実と妄想のつかないのはむしろ女性の方で、彼女たちはむしろ現実の男児に加害をなす恐れがあるのではないか、という問題をここに提起しておく。
「成人男性→幼女」の構図ばかりを心配していたら、気が付いたら女がショタを苦しめていたではないか。
願わくば彼女たちが、主にショタドールなどの現実の人間ではない架空の"物体"や、または腐女子のような高度な妄想技術を磨いてその危険かつ屈折した性欲を日常的に解消してくれればいいのだが……。
(追記)
どうせ興味ないだろうけど自分の子供時代の話をもう少しだけするが、自分は母親のせいで異性との付き合い方が分からなくなったと言っても過言ではない。小学校4年生のとき、女子からバレンタインチョコをもらい、その日母親に隠していたが、いつの間にか鞄を漁ったのかすぐに食卓の上に置かれていた。
中学の卒業式の夜、学ランの第二ボタンがないことを上目遣いのいやらしい目で家の暗い廊下で問い詰められた。
高校生になっても通学の自転車を漕いでいると母親が車で自分を見つけ、「誰と話してたの?」と頓珍漢な詰問にあう。
学校で女子に話しかけられてもどうせ深い付き合いになれないし、女友達になるにしてもそんなものが成立するとも思えない。
しかしこの頃から自分の母親と、学校の女子というものが、同じ「女」であることを強く感じ始める。
同級生の女子もまた、男子という人間に対して同じ女同士の友達とは違う対応を明確にとり始めるわけだが、その下心のようなものがどうも見え透いて自分でもなぜか分からないが拒絶反応が起こり始めた。
どうにも自分の母親と、目の前で気さくに声をかけてくれる女子の猫なで声が頭の中で共鳴し、嫌な思い出を引き出すのだ。
これは一体誰の責任なのだろうか?俺の心の問題なのか?俺の心が女性の侵入を許せばただちに問題は解決して、今頃、子供を作り幸せにやっていたのだろうか?分からない。しかしそんなあっさり心の問題を解決してしまえるような奴が子供を幸せにできるとも思えない。俺の精神の成長を止めたのは誰だ?俺か?俺だけなのか?あいつ(母親)は関係ないのか?猫なで声で接してきた同級生の女子は関係ないのか?じゃあ人間が一人で成長できるなら他人なんか要らないな。相変わらず都会のワンルームアパートで孤独にこんな匿名記事で愚痴を吐き出すしかできない。
ミソジニーなんて言葉があるが、どうせモテない奴の僻みだろなどと世間ではいうが、女性嫌いになるのはいろんなパターンがある。自分の場合はそれだった。一般的なこととして当てはまらない、統計的にマイノリティだ、だからこれとこれは別の話だというのかもしれない。
じゃあフェミニズムって一体何のためにあるんだ?
フェミニズムとは一人一人が固有の体験において様々な問題について打ち明けることのできる思想だったんじゃないのか。
では俺の場合は何に当てはまるのだろうか。俺は男性だ。男性のためのフェミニズムってあるのか?少なくとも自分は知らない。少なくとも多くのフェミニストはそんなものは無いと言うだろう。
自分がもし、女に産まれてきたとしよう。そうすると多分、今度は自分の父親に性的虐待をされていたんじゃないかと思えてくる。多分99%そうだろう。パソコンの履歴に「ロリコン 動画」などと検索するような奴だ。おまけに頭もものすごく悪い。まったく自分は男に産まれてきてよかった。じゃなきゃ今頃、風呂場で体中をまさぐられていたことを、今でも時折思い出しては発狂していただろう。いや、しかしこれも仮定の話に過ぎない。というのもそれを想像している自分はあくまで男だからだ。あんな父親に性的虐待されてる自分なんてゾッとする。多分訴訟沙汰になっていたかもしれない。でもどうだろう、それでも女の子だった場合の自分は、それでも無理やりにでもその時自分は愛情を感じていたのだと心を誤魔化し続けていたのかもしれない。
もしそんな自分がいたとしたら、男がいうところの論理的思考なんてできないまま大人になり、ひょっとするとメンヘラになるか過激なフェミニスト気取るか高いところから飛び降りていたかもしれん。男にモテてもモテなくても多分まともな人間関係が保てなかっただろうな。(この場合父親によって男性嫌いになっていることになっているが、もちろん母親との母娘関係においてまた別の問題が生じ、異性関係に支障をきたしたことだろう。あの母親はそういうやつだ。みんなは俺の両親については何も知らないかもしれないが、俺は"よく知っている"。奴らはそういう人間だ。どうせ互いの見た目(ルッキズム)だけで何も考えず結婚したのだあの馬鹿どもは。)
しかし今現在男である自分にとっての問題は、結局未だ母親によって受けたトラウマが癒せず、女性というものを理解できず、成熟した精神というものの内在しない二次元のアニメキャラにしか興奮できないということだ。
特に幼女のような見た目のキャラか、どっかで献血のポスターになってそうなありえないくらい異常に発達した巨乳の童顔キャラかだ。自分もまた父親とまったく同じ種類の性的快楽を感じているのだろうが、それが自分に向けられた性欲ではなく、男同士で連れションしている感覚で、そこには男同士の明確な暗黙ルールに基づいているためにこいつは全く自分とは別の人間だと安心できるのだ。五感も精神もすべてが何一つこいつに同調しない。
自分がもし、古代ギリシャのスパルタのような男だけの社会で厳しく育てられていたらすべては解決したのだろうか。
昭和の価値観でマッチョでホモソーシャルな奴らと共につるみ、「女なんて適当にあしらって子供だけ産ませときゃいいんだよ」とアドバイスされ、それに付き従い悪く言えば適当だが、良く言えば寛容な心で 結婚→出産 までのコースをサクッと潜り抜け、子供も5人ぐらいサクッと産ませて国家安泰って感じでよかったのだろうか。しかし今は何もかもがセンシティブだ。(コロナでわかったことは、一人の人間の命が昔に比べて遥かに重すぎるということか。)
自分は現実の女に興味がない。本当に電車での痴漢冤罪が怖い。そんなに男が嫌いなら、男の前に姿を現さないでほしい。
願ったりだ。そんな人間も当然のようにいる。しかしそれでももし、男だとか女だとかレッテル貼らずに一人の人間として対等に向き合う覚悟があるのなら、話ぐらいは聞いてやる。そしてそういう奴の言うことは、大抵「もっともだ」と自分は頷くだろう。
全ての問題は、男も女も、異性にしろ同性にしろ互いをモノとしてしか見てないところに原因があるような気がしている。
つまり自分が様々な問題を混同しているように見えるのだろう。確かにそのことについて自分も常に考えている。
しかし被害者とはそういうものだ。論理性などない。自分の感情をまとめることなど自分一人で到底できない。
あらゆる問題を混同したまま巻き込み、感情だけで片付く問題ではもちろんないが、論理だけで片付くとも到底思えない。
また、論理と感情を上手く整理できる人間がいるとも思えない。すべての問題は置き去りにされたまま勝手に次のステージに進む。いつだって冷静なふりをしている人間は次のゲームに乗り遅れる。ここからが心臓でここからが肺だとか、冷静にメスを入れることのできる奴だけが偉ぶって問題を"上"から片付けようとするが、現役のスポーツ選手にとっての実感はどれも等しく見分けがつかないほど連動しているってことだ。皆様は自分こそが上手に魚や牛を捌けるとマウントを取り合っているようだが、今自分のポジションはそのまな板の上の魚や牛で、あなた達が捌こうとしているものは実は"人間"で、そしてそのまな板の上の"人間"は自分なのだ。あなた方は私の身体の中身を知っているようでいて知らない。もちろん私にもわからない。私にわかるものは私が知っているものすべてであり、それを経験しているのは私だけなのだから。当然私はカウンセリングにも行ったし、いろんな人の話も聞いた。しかし結局誰にも共感できない心の構造を持っているのだ。なぜなら「この私」の経験は「この私」だけのものであり、経験していないものとそもそも共感などできないのだから。
だからこそ私は二次元の女の子を性的に愛する。あるいは精神が未熟な「ショタ」や「ロリ」や「犬」や「猫」に同情するし、共感する。
なので自分が男だからという理由だけで「ショタ」の立場だけに立つなどと勝手なミスリーディングはしないでほしい。
「ロリ」の苦しみは「この私」の苦しみだし、「犬」「猫」の苦しみも「この私」の苦しみだ。
ぶっちゃけると、男だろうが女だろうが、ショタだろうがロリだろうが犬だろうが豚だろうが誰が何に性欲を感じるかなんてもはやどうでもいい。等しく等価だ。性欲はただの性欲であって基本的に汚らわしいものだ。
そして現実の生き物に迷惑かけたくないから、自分は二次元に逃げた。
そしていつか大量の幼女ドールと巨乳ドールを専用の部屋に集めて飾ってやる。
白人と黒人の問題にせよ、どこからが白でどこまでが黒か奴らに分かっているとも思えない。
各々が各々の定義を持ち出して、勝手に"冷静に"まとめようとするが、どうせまた数十年後に奴らは同じような原因でデモをするだろう。
そもそも論理性だとか合理性だとか、そんなものが現実にどこまで通用するか、またそのようなものの合意もあるようでいて実は無い。なぜならそんなものは感情的な動物と化してしまったものには理解できないからだ。
ちょっとした軽い気持ちでこの文章を書き始めた自分だったが、結構数稼げたんじゃないかと思う。
君たちはこの文章をちゃんと読んでいるのか?それとも部分的に自分が反応するところにだけ反応しているだけなんじゃないのか?しかし実際のところ、多分そういう読み方しかできないような構造が出来上がっているのだろうなとも思う。
どうやら君たちのいうところ、自分は何らかの「被害者」のようだ。なので言わせてもらうが、自分のような「被害者」は実はどこにでも潜んでおり、たまたま自分が上手く言葉で説明できたに過ぎない。目に見えない自分のことを、どこまで真実を言っているのかわからないかもしれない。しかし今回の黒人のデモにおいて思うのは、発端となった殺害された黒人も、案外"不注意"だったのかもしれん。というのも奴が問題を起こさなければ(例え正しかろうが間違っていようが)このような全米を巻き込んだことにはならず、平穏に暮らし、コロナに対する犠牲者の数をいたずらに増やさなくても済んだのかもしれない。
自分がもし黙って何も投稿せずにいたら、ひょっとすると「ショタ」の問題などそもそもどこにも存在していなかったのかもしれない。
「被害者」は1人もどこにも存在せず、「ロリ」だけが被害を受けていることになっていたかもしれない。などと考えるのはただの自惚れかもしれん。しかし実際会ったことのないやつらに同情されても、結局同情という言葉だけが一人歩きするだけで、自分の情動に何のリアクションも起こさないのだ。この記事はただの自分のメモ帳みたいなものだ。ひょっとすると、本当は何の虐待も受けていなかったのかもしれない。すべては俺の誇大妄想で、あの時の自分の母親は彼女なりに自分に尽くそうと不器用に振る舞っただけだったのかもしれない。戦争体験者の証言もそうだが、いつも当事者の体験が一体どんなものだったか分からない。お前は「被害を受けたのだ」とレッテル貼られても、それでどうしろというのだ。金は動くが心は何も変わらない。
しかし冒頭を読み返すと女を煽ってるような気がする。奴らにも辛い経験が当然あったわけで申し訳ないと思うが、しかしいずれにせよ人間はそれを「乗り越え」ねばならんのだ。(これでまとめた感を作ってみました)
このような追記に追記を重ね、よくわからんただの歪なだけの文章を取り出して、それこそお前の精神構造を表しており、お前という人間の真理(心理)の一側面を表しているだなどとなんと精神科医とかはほざきそうなもんだが、ここまで書いてみて、君たちを鏡のように使ってみても、全然自分という人間がわからない。自分の母親だけが、自分に影響を与えていて、それだけで自分を構成しているとも到底思えない。とはいえ自分は結構いろいろなことも経験してきたからだ。