はてなキーワード: センシティブとは
2020年4月号の「VERY(月刊女性ファッション誌)」上で行われた対談記事が物議を醸し、Twitterなどでひととおり話題になった。生命倫理、格差社会、フェミニズムという三本の矢が同時に折れた全方位型の炎上だったのだが、当該記事は既に削除済み。魚拓は以下から。
https://matomedane.jp/page/58758
この対談においては、卵子凍結と代理出産というセンシティブなトピックが扱われた。当該記事の中で、スプツニ子!氏は自身も卵子凍結をしたことを明かしたうえで、モデル・申真衣とともに「ブランドバッグや海外旅行とそう変わらない金額」、「成人式の振り袖より卵子凍結をプレゼントする方がずっといい」という文言を引っ提げて卵子凍結を読者に強く勧める。ふたりの話題は代理母へと移り、「卵子凍結の次に来るのは代理母だと思うんです」という申のビジネスライクな発言に、スプツニ子!氏は「その流れは必ず来ますね」「そもそも男性って女性のパートナーに代理で産んでもらって、親として認められているのに、女性だけが自分で産まないと認められない、なんておかしい」と同意を示していた。卵子凍結や代理出産といった選択肢を気軽に選べる「特権女性」ふたりによる対談には、代理母になるのはどこの誰なのか?という重要なトピックが欠落しており、Twitterには批判的なコメントがあふれた。
この炎上を受け、対談に登場したスプツニ子!氏は、9月5日10:07に自身のTwitterアカウントで以下のようなコメントを発表している。
そもそもですが、私はキャリアのための代理出産に反対です。(中略)結果として、まるで私が代理出産を積極的に推奨しているかのような受け取られ方がされてしまいました。(中略)誤解なく様々な視点を伝えるために、私自身も勉強する必要があると痛感しました。皆様の大切なご意見を有難うございました。
この文章を端的に翻訳すれば、「私は代理出産を非推奨ですが、皆さんは誤解してしまいましたね」である。VERYの元記事からは、氏が「代理出産を非推奨である」という主張を読み取ることは困難だったが、この記事は第三者であるライターやエディターによって編集されたものであることを考慮すれば、確かに事実が歪曲され、誤解されやすい文脈で提示されていた可能性はある。なにより、本人がこのようなコメントを署名入りで発表している以上、我々はこれを信じるよりほかない。氏は当該ツイートの添付画像の中で「代理出産の諸問題についてはVERY以前にインタビューを受けた記事でも触れている」とも記述している。そこで、いくつかの記事を実際に読んでみた。
30代前半から後半という、いちばん仕事が楽しい時期と、女性の妊娠・出産タイミングは丸被りなんです。人類はテクノロジーやサイエンスでいろんな課題を解決してきたのに、妊娠・出産だけは野放し。卵子凍結も本当はもっと早くからみんなやっていいのに。私はアーティストとしても妊娠・出産の概念とかタイムリミットを変えたくて。 (中略) 代理出産って倫理的によくないともいわれるけど、男の人って古来から女の人に代理で産んでもらっているじゃないですか。「僕の子どもを産んでください」って。どうして私も代理で産んでもらえないのかと思ってしまうけど(笑)
出典: https://madamefigaro.jp/culture/news/191105-tiff-women-in-motion.html
もしテクノロジーでそれ(※代理出産)が可能になったら(実際、既に可能だけど)女性も男性と同じように自分の子を誰かに代理で産んでもらっちゃダメなのかな? と最近考えるようになりました。代理出産というのは今も賛否両論あるトピックで、国によって合法・非合法と状況も違いますが、これからもっと様々な角度から議論されても良いのではないかと思います。
出典: https://doors.nikkei.com/atcl/column/19/111100138/112100004/
「一番仕事が楽しい時期である30代って、女性の妊娠・出産タイムと丸かぶりなんですよね。仕事やクリエイションが大好き、という女性たちには(キャリア上の不安で)怖くて踏み切れないという同世代が多い。(中略)男性は古来からずっと女性に“代理”で産んでもらっていますよね。だから私もなんで産んでもらえないの?と思います」と、最近卵子を凍結したことも交えながら語った。
出典: https://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/womens-life/a29706988/kering-women-in-motion-191107-hb/
…もう充分だろう。スプツニ子!氏の主張は首尾一貫している。「こっちは男の代理で産んできたんだから、私も代理で産んでほしい」ということだ。代理出産に対する彼女のアーギュメントは、常に「男性vs女性」という構図への強烈な反発にのみ基づいている。「女性」どうしの間に生じる格差については一度も言及されていない。少なくとも、「代理出産の背景にある社会構造や格差の問題」について触れたうえでその有用性を提案する、という展開は見受けられない。そして、その主張は頻繁に「(30代以降の)女性のキャリア」と結びつけられている。引用した3本の記事はすべて別の媒体・別のライターによって執筆されたものである。また、有名人の実名を出したイベントレポートなどを事務所チェックなしに公開することは出版倫理上考えにくいので、これらの記事はおそらくすべて彼女自身の(あるいは彼女のマネージャーなど本人に非常に近い人物の)チェックを経ていると考えることが自然だろう。これらの過去記事からも、彼女のコメントにある「私はキャリアのための代理出産に反対です」を読み取ることは相当に難しい。
代理出産に賛成なら、賛成でいいのだ。実際に、代理出産の技術は、一部の人々にとっては最後の砦である。同性愛のカップルや不妊症に悩む女性だけではない。たとえば、病気やケガなどにより、生殖能力はあるが出産という行為が母体にとって非常にハイリスクになってしまう場合など、ぱっと思いつくだけでも色々なケースが想定されるだろう。卵子凍結にしろ代理出産にしろ、その技術を必要としている人は必ずいる。「キャリアを維持するための代理出産」を支持しているとしても、自分がそう思っているのなら、そしてその技術で救われる人がいると信じているのなら、そう主張すればいいのだ。嘘をつくこと、それは最も不誠実な選択肢ではないのか。
VERYの対談は、こういった技術について、女性どうしがオープンに議論することができる貴重な場所だった。しかし、ふたりの会話はあくまで「特権階級のおしゃべり」に終始しているように見える。スプツニ子!氏は、格差や構造的な暴力についても事前に承知していた、とTwitterではっきり述べている。問題を承知のうえで対談に臨み、そのトピックについてきちんと触れるタイミングがあったのにそれを怠ったとしたら ― それは、フェミニズムに携わる者、そして教育者としてメディアに出る者が絶対に取ってはいけない態度だと言わざるを得ない。議論が促進されるきっかけ、多くの人に深い思考を促す契機を自ら潰しているのだから。スプツニ子!氏の弁明コメントは、自身が過去に主張してきた内容と矛盾するものであり、議論の場としての対談企画の信用度を貶めるものだ。彼女は彼女自身に嘘をつき、この国における女性の権利についての議論のきっかけはまた一つ失われた。こんな炎上、そして「悪いのは私ではなく誤解したライターと読者だ」と言わんばかりのコメントの後で、積極的に同じような企画を立ち上げるメディアなどあるわけがない。本来であればその長所・短所含めて公に検討されるべきだった「代理母」の問題は、こうして「タブー」になっていく。
スプツニ子!氏のTwitterでの発言に対して、筆者は強い憤りを感じている(これは余談だが、検索エンジンに引っかからないようにするためか、文書ではなく画像でコメントを投稿した用意周到さにも半ば呆れた)。しかし、これを原因に彼女のこれまでの研究や作品、および彼女の所属機関を否定することはしない。彼女の知識やアイデアは誰かを助けることができる可能性に満ちている。過去の自分に嘘をつかず、責任を他者に押し付けず、持論や現在の社会が抱える問題点を正しく把握したうえで議論を新たなフェイズへと押し上げることが、ひとりの教育者としての正しい態度だと信じる。
誰に何を言われようが、あなたの身体も心もあなただけのものだ。卵子凍結のための採卵は、無痛ではない。「海外行くより安いよ」「今どき、凍結してないなんて古いよ」と他人に言われたからといって、高額な手術を受ける必要はない。パートナーの性別や自分自身の体調の問題で、自然妊娠や分娩が困難である人にも、子どもを持つ権利は平等にある。「代理母なんて愛がない」「倫理違反だ」と他人に言われたからといって、心から愛する人との子どもを持つ最後の手段をあきらめる必要はない。たとえ女性が30代で出産を経験したとしても、彼女たちのキャリアや子どもたちの安全を守る社会を作るための方法は必ずある。すべての人が色々な選択肢を柔軟に選べる社会のために必要なのは、アカデミアの皮をかぶった詭弁ではない。次の世代の社会を少しでもマシにするために、我々はここで議論を止めてはならないのだ。
小児性愛のことで思ったこと、どうしても喚き散らしたかったこと
件のラブドールの漫画と件のお方のツイートを見た時、愛でる対象ができて良かったねと思った
センシティブ設定とか最後の一文の書き方が悪かったのはなんとなくわかる
でも、そこから何故かオタク界隈からも魔女狩りを彷彿とさせる文章がいっぱい出てきてすごくモヤモヤした
いや、手を出したら犯罪になるのはわかる、でも件の方や小児性愛者は手を出してはいけないと自制している方が殆どだと思っている
でも、いつ現れるかも解らない小児性愛者に怯える前に子の周りにいる男の人に注意を向けるべきだと思う
加害者の男の子は私の小学校の時の元クラスメイトだったから凄く驚いた
高1の時、別の友人が手をだされそうになった
身近なことはたった2件のことしか知らないけれど、これだけは言える
女体であれば、どんなに幼くとも、どんなにお年を召されていても性的興奮を抑えられない人がいる
という子供に害になりそうなわかりやすい文字だけに怯えても子供を守れるとは思えない
といういつの時代にもどこの国にも何故かある老若男女人種国籍問わず人権を踏みにじる醜悪な犯罪行為を怖がって欲しいと思う
人を見る目を養いたいものです
話は変わりますが、
みたいなつぶやきを見た後に
それぞれ別人のつぶやきだったけども、自分含む人間はエゴ丸出しの面倒臭い種族だなと改めて思いました。
高校生の時
電車を降りた帰路でワンボックスに横付けされて並走しながら運転手に話しかけられたのは流石に怖かった
夜だったし、ドライブしよーぜとか言われた気がするけどとにかく早く家に帰りたくて仕方がなかった
後から何で知ったかは忘れたけど恐らく同じワンボックスに中学の先輩(女)が乗って市街地に遊びに行ったっぽかった
多分運転手も先輩に話しかけた時と同じノリで話しかけてきたんだろうけどマジで勘弁だ
ってか先輩何してくれてるんだと思った
アニメイトで買い物をしていたらやたら目の合うおっさんがいるなと思いつつ会計して外出たらそのおっさんに話しかけられた
最初は顔見てなくて無視したけど頻度が多いから道聞きにきた人だと思って横見て滅茶苦茶後悔した
空返事しながらうわーやっちまったーって思った
諦めが早くて助かった
やたら目の合う人がいたら気をつけて撒くようになった
あと徒歩移動中とかゲーセン行く時必ず片耳にイヤホンをつけるようになった
巨大家電量販店の入り口でそんなこと言われてもと困ったからごめんなさいした
あの人は何がしたかったのだろうか...未だ疑問
n年前
知らない女の人に話しかけられた
一旦持ち帰りもさせてくれなかったからバックれた
パンフに載ってた名前を検索したら集団糸吉女昏式を推奨する系のあれだった
危ない...
終わり
アングラ的思考は内心であるうちは自由であると思っている人が大半だろう。
今問題になっている小児性愛者も、表に出ないなら問題ないと判断している人が多数派だと思う(一部過激派もいるが)。
Twitterは自分でタイムラインの趣向をコントロールできる。気になる人をフォロー、見たくない人はブロックかミュートすればほぼ嫌なツイートは目に入ってこない。タイムラインは自衛可能だ。
しかし、鍵アカウントでない限り、ツイートすれば全世界に発信される。検索したり、RTで拡散されれば、見たくない人にも届いてしまう。
「嫌ならブロックしろ」「全世界に発信するな」はどちらも正しいのではないかと思う。
個人的には、
あたりで落としどころになってほしい。
あと、他人のいいねを表示するのはせめて選択できるようにお願いします……。事故率が高くなる。
※追記 他人のいいねはタイムラインにあるキラキラマークで切り替えできると指摘を貰いました。トラバに感謝。
Twitterのセンシティブ設定はもっと使いやすく改善されないかな。ゾーニングのしやすさはプラットフォーム側の仕様にもあると思う。
「食事の前に手を洗おう」
という文を真に受けた人間は、食事をしたいから手を洗って食事をする。
「手遅れになる前に病院に行こう」
という文を真に受けた人間は、手遅れになりたくないから病院に行き、手遅れになることを免れる」
〇〇の前にの〇〇が発言者にとって望ましいことか望ましくないことかで全く意味が異なるのだ。厄介なことに発言者の望みは聞き手が勝手に解釈するしかない。
で、最近問題の「実在の児童に手を出す前に、ラブドールを」って文を読もう。
小児性愛者は実在の児童に手を出そうとしているに違いないという予断を持って読む人は「食事の前に手を洗おう」と同じ解釈をする。即ち、ラブドールを使った後実在の児童への加害に発展すると読む。
逆にいくら小児性愛者といえど犯罪かつ凶悪な行為に手を染めたくないに違いないという予断を持って読む人は「手遅れになる前に病院に行こう」と同じ解釈をする。即ち、ラブドールを使うことで加害が避けられると読む。
前者と後者で実在児童の被害という結果は真逆だ。だから前者は「犯罪者が増える、許せない」と思い、後者は「犯罪予備軍が犯罪しなくてよかったなあ」と思う。
あたかもこれから犯罪を犯しかねない人みたいな扱いの罵倒が結構あったと思うんだが(一般にある人が将来的に犯罪を犯すかどうかは誰にもわからんけど)
「性的加害欲求を表に出すな」ってやつか。それだけなら「殺人ゲーム」と同じってことで話が早いと思う。軽いゾーニングでいい。見たくない人の目に入らないように。でもGTA程度には認められてもいいんじゃないか。
最初に投稿した日本語の文脈がいろいろおかしかったのはご指摘の通り。指摘される前にこっそり訂正したつもりだったのだがお恥ずかしい。日本語の欠陥を指摘する前に当増田の日本語力が低い。
追記2
それは聞き手のブコメへの認識がポジティブかネガティブかで解釈が分かれるよい例と思う。
本文を読んでより良いブコメをすべしととるか、本文を読んでアホなブコメをやめろととるか。
問題になるのは文の強調部分との指摘。
となると「YESロリータNOタッチ」はNOタッチが強調になるからブコメで褒めそやされてたけど、もし仮に「NOタッチYESロリータ」だったらYESロリータが主になって炎上してた可能性もあるんだろうか。
言われれば「YESロリータNOタッチ」のほうが圧倒的に良い。今回も「ラブドールとしよう。実在児童には手を出すな。」だったらそれほど炎上しなかっただろうな。
センシティブな問題ならそのへんは気を使えというのは正論だが日本語難しい。
トラバの「自殺する前に誰かに相談しよう」は後者のよい例だと思う。自殺を考えること自体が倫理的ではないと非難するのはどうなんだろうな。
これだよなぁ、結局発信する側も自衛が求められるわけで
「燃えたくないならセンシティブなものを載せるな」ってことよな 難しいのはそのセンシティブの線引きが人によりけりなところだけど
容姿について言及しちゃいけんの分かってるんだけどつい言いたくなっちゃうマインドでぐぬぬ…ってなってしまうのわかってくれる方おる…?
自分が「関係ないじゃん言われたくねえ」側じゃないので(元々え〜〜〜良いことはほめよ〜〜〜派)うっかり失言になるよね価値観アップデート難し。
https://mobile.twitter.com/seruko/status/1298480577952092160
上司から「安倍が辞めたね。麻生はあの曲がった口が嫌いだから次期首相になったらむかつく」と言われて、上記呟きを思い出した。
麻生太郎は自分も好きじゃないけれど、政策ではなく容姿で叩くのは違うと思う。しかも顔面神経麻痺という病気であの見た目なのであり、有名人で仮に冗談であったとしても中傷していい訳ではない。
元の呟きと裏返しの内容について述べたが、例え「褒め言葉」であっても、身長高いのがコンプレックスな人に「スラッとしてますね」だったり、標準体型になりたいのに太れない体質の人に「細くて羨ましい」等の地雷を踏む恐れはある。
「そこまで考えていたら人と雑談できないよ」という人にこそ気をつけてほしい。ぱっと目についた容姿を褒めたい(貶したい)のは「褒める(貶す)ことで、いま感じた気持ちを共有してすっきりしたい」という衝動をコントロールできない状態だということを。もしかしたら相手にとってセンシティブな内容なのかもしれないことを。
そういう意味で、褒めでも中傷でも、反射的に他者の容貌に言及するのは自分の予期せぬところで他者の不快感を生みうるリスクの高い行為であり、気心の知れた仲でもない限りやらない方がいい。
以上、色素薄めで初対面でも「ハーフなの?」と言われ続け、その度に(両親日本人だけど出自についていちいちつっこまれるの面倒だし、仮に複雑な生まれだったらどうするんだよ即お通夜ムードだよ)と思っている女より。
Kyashが改悪アプデしたって話題になってたけどあれはおそらく給与振込(ペイロール)対応するための前振り。資金移動業登録したのは将来的に銀行にとって代わりたいから。
でもこれまで何度も障害起こして省庁から怒られが発生してるはずなのによく資金移動業いけたなと思うよ。昔からKyash使ってる人は知ってると思うけど2年前の大規模障害やばかったよ。2018年10月と11月に2度続けて大規模障害起こしてる。空請求とかお金扱うところが絶対やっちゃいけないやつ。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37336320T01C18A1K11200/
#kyash 10月9日障害発生時の無限オーソリー分が、今日の明け方にやっと返金(取消)されていた。とりあえず一安心。でも、御社は「大切なお金を預ける企業」としてはもう信用出来ない。 短い間だったけどありがとう #kyash 穴(欠陥)が広がって沈没しないようにな。さようなら #kyash
まあ当然こういう反応になるよね。
かなりの規模の障害だったから会社(というか役員の)電話は鳴りっぱなしだったらしい。電話対応の合間に「なんでこんなことになってんだよ!?」とキレ散らかす役員に対してその場に居たエンジニア全員が(お前がまともに仕様決められなくてgdgdになってるからだろ・・)と思ったとか思わなかったとか。というのは俺の妄想なんだけど。この頃にエンジニアの大量離職が発生してるのは界隈ではよく知られている厳然たる事実です[お察しください]
その後も本来キャッシュバック対象外のはずのSUICAチャージをキャッシュバック対象にして慈善活動に精を出したり(後日回収したらしい)新カードの申し込みが殺到して決済ができなくなったり(これ本当に謎なんだけどカードの申込みが殺到したからってなんで決済サービス落ちるの?全部モノリシックなの?)本当に何度も何度も障害起こしてる。
それで今回銀行口座に接続でしょ。これまではなんとなく雰囲気で許されてたgdgdが許されなくなるんだよ。
なんでこんなに心配してるかっていうと少し前にはてブで見た記事でこんなのを見つけてしまったから。
https://blog.kyash.co/entry/2020/08/12/092539
Paymentチームとかいう重要そうな部署のチーム構成がこれなの?この界隈は人の出入りが激しいとはいえ入社2年目がシニア扱いで他のエンジニアは半年にも満たないって・・。はてブでも突っ込まれてるけどこんな簡単に誰でも決済履歴見れる事実をブログで無邪気に公開しちゃってるのもやばい。決済履歴ってかなりセンシティブな個人情報のはずなんだが。全体的に稚拙な空気が漂うというかガバナンスがガバガバなんじゃないかと思わざるをえないんだよな。
頑張って欲しいとは思うが銀行口座接続した後盛大に事故るのも見てみたい気がする。前みたいに誤請求系の大規模障害起こしたらどうなるんだろう。誰か教えて。
私が生まれて初めてアンチからメッセージを貰った話をしたい。少々乱暴な物言いになる。長い長い恨み節に徹した殴り書きだ。
またどうしてメッセージ、という曖昧な表現なのかはおいおいわかってくると思う。
まず同人界隈だとよく目にする焼きマロ、毒マロ関連の話題。私は某ジャンルの同人界隈に身を置くオタクの端くれながら、完全に対岸の火事として今まで扱ってきた(もちろんそれらが邪知暴虐の行いであることに間違いはない。)。理由は単純、版権垢を持っていなかったからである。
なぜ版権垢を持っていないのか、と言われれば自分の作品と人格は第三者から見て完全に隔絶した状態でありたいから、としかいえない。まあ平たくいえば他者との交流が苦手であるだけなのだが。とにかくその時までは同人作家として活動してきて、ネットの悪意に遭遇したことはありがたいことになかったわけだ。
私は自分の作品がかなり人を選ぶものであると自覚している。内容が倫理に反しているだとか、いわゆる同人界隈からは毛嫌いされるようなcp傾向、シチュエーションであるだとか、そもそもがアングラな趣味である二次創作だからであるとか、そこらへんは書き出せばキリがないので割愛させていただく。
とにかく私の作品を読めるのは同じcpを好む、ある程度インターネットでの歩き方を知っている人間だけだ。pixivに投稿した作品にはタグどころかキャプションにまで慎重な検索避けがされているし、万が一の事故を防ぐため読むのがうんざりするような長くてくどい注意書きが添えられている。そして私と接触を図ることができるのは感想を伝えるためのコメント欄か、またはメッセージ機能だけだった。これはだいぶハードルが高い。
もう見るからに防御度マックスの触るなキケンオタクだ。オフでの活動も一切していないし、わざわざこんな偏狭な地までやってきて絡んでくる輩もいないだろうと安心しきっていた。
私の世界は狭かった。狭かったが豊かだった。
ありがたいことにいいねやブックマーク、また感想をいただくことが徐々に増えた。
もちろん見知らぬ誰かに読んでもらえるのは、良くしてもらえるのは、活動するジャンルやcp自体が大きくて栄えたところだった、自分はそれにあやかっているだけだ。それに尽きるけれど、それでも自分の好きを肯定してもらえるのが幸せだった。
それがアンチメッセージだ。本当に唐突すぎて、まるで通り魔に刺された気分だった。
特定が怖いので内容はかなりぼかすが、一番に目についたのは読む人間に自己責任を強いるなというものだった。どうやら送り主は原作愛の強い方であるらしく、だからこそ私の不謹慎かつ不道徳な表現をキャラを巻き込んで面白おかしく扱う話が許せなかったのだ。
何回もいうけれど、私の作品は人を選ぶ。ましてやそれを(できるだけ場所を限定的にしたとしても)ネットの海に放流しているのだ。否定的な意見が出るのは仕方ない。表現の自由があるように、読み手がそれを評価する(作品自体を排斥する資格は誰にもないとして)自由もあると思う。どうしても受け付けないものがあるのも仕方ない。何より二次創作なのだから、原作を第一に考える人が不快な思いをしたのであるなら自分は平身低頭せねばならぬ立場だろう。
私が腹を立てているのはそこではない。画面の向こうにいる人間に向かって匿名でセンシティブな言葉を投げつけてきたその根性である。
あろうことか送り主は私の人格にまで言及してきたのだ。このcpを好んで、こんな話を書く人間は××××(この言葉は実際にその病気で苦しむ人に失礼であるので伏せ字とする)しかいないとまで言ってのけた。
開いた口が塞がらなかった。
なんの権利があって私にそんなことを言うのだろう。貴方に許されるのは私の作品への評価だけだ。(決して自分の好きな原作や、自身の創作を軽んじているわけではない。)何を知った気になって生身の人間にそんな言葉を投げつけているのだ。
これが加害でなくてなんなのだろう。心底腹が立つ。
だったら私も言わせてもらう。私も非常識になろう。私の二次創作における矜恃を曲げてでも貴方を傷つける。ここでくらい好き勝手に書く。
そもそも『そっ閉じ』もできないような人間がpixivを使うな。注意書きや検索除けを全て無視して突破してこちらの陣地にズカズカと踏み込んできたくせに、偉そうに自己責任という言葉を使うな。配慮ばかり求めて自衛を怠るな。配慮と自衛、どちらも揃わなければ二次創作は成り立たないものであることも知らないのか。そして他人を平気で傷つけるような言葉を使う人間が、配慮してもらおうとするな。倫理を説ける立場だと思うな。お客様根性もいい加減にしろ。Twitterの愚痴垢でのノリを対面にまで持ち込むな。陽の光を浴びようとするな。貴方の世界でならお仲間と一緒になってcp叩きもなんでも好きにすればよろしい。でもそれをガバガバの自他境界のまま生きた人間にぶつけるな。
私の好きを今までどおり私の狭い世界に向けて発信し続ける。残念でした。
なんだかもはや同人は関係ない気がしなくもないが、とにかくこれが一人の人間としての感情だ。
あーむかついた。
おわり。
↑を書いた元増田だけど、正直もともとホロライブ贔屓で、それでも今回のにじさんじ新人5人組の新鮮さに惹かれていたのだが…うーん、期待はずれだったかなあ。
というわけで、ツカミじゃないけどホロライブ新人5人組の、初配信から一週間+α経った今の印象を書き留めてから、タイトルにある本題に入ろうと思う。
一口ににじさんじと言っても、あそこは配信者の数だけはやたら多いので、全員チェックするのはまず無理。
その上で、個人的に興味を持って見てきた配信者全員に、そして残念なことに今回の新人にも共通していて、にじさんじの芸風で最も好きになれないのが、「スレてるムーブ」。
え、配信者なら多かれ少なかれスレてねーとやってらんねーって?そんな話はしてねーよ。
別に、それこそホロの面子であっても、配信者が裏でどんだけスレたこと言ってようが、視聴者の見えないところで言ってるんならぶっちゃけどうでもいい。
その代わり配信内で言うんじゃねーって。全然面白くねーんだわマジで。
元増田で今のにじさんじを「ギャルとチンピラの寄り合い所帯」と書いたのは、このスレてるムーブがウザくて鼻につくのが大体の理由。
だから今回の新人の初配信見たときは、「にじさんじも、スレてる芸風をいよいよやめるのかー」と期待したんだわ。
でもその後の配信見てると、完全にこっちの勝手な思い込みだったという感じ。
にじさんじが、ホロライブに比べて熱量がイマイチな原因じゃねーのかなーとも感じる。
てか、にじさんじの運営は本当にこんなんがウケると思って配信者を教育してるのだろうか。
どいつもこいつも、田舎から都会の学校に出てきた奴がイキってるみたいなキツさを、必ず決まって配信のどこかで垣間見せるとか、教科書に書いてあるとしか思えない。
ちなみに個人的には「スレた人」「健気な人」の選択肢だったら迷わず健気な人を選ぶ方なので、尚更スレてるムーブを面白がるセンスが理解できなかったりする。
生臭い現実と大して違わないものをエンターテインメントでも味わうとか、どういう趣味だよって感じ。
https://twitter.com/nhk_1945shun/status/1296216569832513544?s=21
諸事情あり今は横浜に身を寄せているものの、大学から10数年暮らしただけあって、広島という街には愛着がある。
そういうわけで、この#ひろしまタイムラインの3アカウントも8月に入ってからは頻繁に覗いていた。
地理がそこそこ分かるということもあり、ああ、あの橋から市内に入ったのか、とか(広島は橋が多い)、"体調悪い"って、あの辺は黒い雨の範囲ではないのでは? と思って調べてみたら、元々の認定範囲内だった、とか、そこから最近の黒い雨訴訟の背景をまた調べ直したり…これはこれで、なかなか興味深いものを感じていた。
ただ、全国的には注目を集めることもなく、特に8月15日以降はひっそりと、インターネットの片隅に埋もれていくんだろう、とか思っていた。もちろん、はてブの話題に昇ることもない。そこにこの騒ぎだ。
ところで、この騒ぎを受け、どういう体制でこのアカウント群が運営されているかを初めて知った。
監修者…知り合いというほど深い仲ではないが、顔とお名前が一致するくらいではある。広島にいた時、演劇に多少関わったことがあるので。柳沼さんの名前を見て、少しニンマリとしてしまった。
IさんやSさんも、直接のお知り合いというわけではないけれど、知り合いの知り合いくらいにはなる。広島の人間関係は非常に狭い。特にIさんは、若いころ、理想の演劇を求めて闘っていた時期を存じ上げているので、あの日々がこの活動に結びついているのか、と思うと感慨深さもある。
運営に携わる者、彼らなりの誠実さは感じるものの、こういう事態になってしまった。
あるコンテキストの流れ、そこにある湿った共感でもって駆動していた共同幻想が、別のコンテクストにぶつかってしまった。これは明白に事故だと思う。
広島(に住う人々)は、原爆や戦争というキーワードにはセンシティブな一方、相対的に人種(民族)を初めとするさまざまな差別問題には少し鈍感だ。
Twitterというグローバルなサービスを使用しないならこの鈍感さでも良かったのだろうが…一時期界隈を賑わした、コンビニ冷凍庫に入って写真撮る輩のようではないか。"誰も見ていない"とタカをくくった結果が炎上、みたいな。
しかし、私はここが正念場だと思う。運営者は覚悟を決めて、乗り切れ、と言いたい。
実はこの逆の事態が、もう10年以上前にあった。要するに、よそから来た者が広島人に大バッシングを浴びた事件である。
2008年、Chim↑Pomは広島市現代美術館での企画展を前にして、そこに展示する映像作品を広島市内にて制作していた。その内容は、飛行機をチャーターし、晴天の空に「ピカッ」という文字を描く、というもの。
これには大抵の市民が不快感を表した。"ピカ"は言わずもがな原爆を連想させる。それを誰のものでもない空に、一方的に描くとは暴力に等しい…と。
当事者団体も抗議の声を上げるには上げたが、正直、そうではない一般市民の感情の激しさの方が強かったと思う。
作り手には作り手なりの思いはあったようだが、当然、この作品はお蔵入り。企画展も中止。
ただ、彼らは、そこで終わらなかった。これを契機として当事者団体と対話を始める。
その仕事は「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」という書籍として実を結ぶ。
「原爆」に対してセンシティブな広島人、そうではない「Chim↑Pom」。
ここで起きたことも、それぞれの皮膚感覚の違い、流れるコンテキストの違いが引き起こした事故だった。
ならばChim↑Pomがどのようにして異なるコンテキストに向き合い、この事態を乗り切っていったか、あなたがたが(もしくはこのいごこちのいい幻想のなかにいる我々、広島人が)学ぶことはあるはずだ。
広島魂を見せろ。
「分かってあげて」という言い回しが、「お前らは分かってないようだけどさあ」という風に聞こえるんだけど、ぶっちゃけ「分かってない」のはこの場合女性側ですよね。
もうさあ。「男湯」「女湯」って言葉やめよ? その「男」とか「女」ってジェンダーなの?セックスなの?それとも他の何かなの? 「男の体をもつ人用」「女の体をもつ人用」とでも直すか? で、その場合、ホモセクシュアルな人を排除するのしないの?
……あるいは、そこまで配慮が必要なほどみんなセンシティブになっちまったんなら、もう公衆浴場という営業形態自体が維持不可能ってだけの話じゃね? 公衆浴場=混浴温泉、みたいな位置づけにしてさ。「そんなん気にする奴ぁ最初から風呂屋に来んじゃねーよ!」ってする方がいいんじゃね。