はてなキーワード: センシティブとは
中学くらいから、どこらへんまで話したかとか、付き合ったかとかそんなんでワイワイ楽しく話すわけじゃないですか。
それは大体スタート地点が同じで、友人たちとの差はあまり開いていなかったから。
高校とか大学に行くと、何人かと付き合ったことがある人と、全然付き合ったことがない人に分かれてきますね。
異性と仲良しな人たちはマウントを取り、付き合ったことがない人たちは羨望をしつつもちょっと斜に構えた反応をしたりして…
20代も半分に来ると、もうなんか今までに何人かと付き合い別れたことがあるという話前提になってきて、
35くらいすぎると、家族や子どもがいるんだろう的な話になってきますね…
もうこの年になると、家族を持っている人も、付き合い別れを繰り返している人も、今まで全然付き合えたことのない人も…これがセンシティブな話題になっちゃって
中学生の頃のあの、好きな人と付き合えるのか、友人たちはどこまで行っているんだろうみたいなあの話題が純粋にできなくなっちゃったなぁ
どうもこの広告が小児性愛的だと非難されて、アウディが釈明に追い込まれている模様。いささか連想ゲームが過ぎるのではないか…… https://t.co/GSeEnQifHh— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) August 3, 2020
最近の西洋社会、何と言うか、「センシティブ」であることを皆が競い合って、他人よりも鈍感だと悪者にされて袋叩きにあってしまうという恐怖に支配されている側面もありそうで、ちょっと心配ですね。— 荻野幸太郎 / OGINO, Kotaro (@ogi_fuji_npo) August 3, 2020
Lets your heart beat faster – in every aspect. #AudiRS4 pic.twitter.com/14XaKhlRVL— AudiOfficial (@AudiOfficial) August 2, 2020
2020年8月2日の18:00に投稿されて現在まで1,040RT・2,788Likesしか反応がない。
ちなみに荻野幸太郎のツイートは5,329RT・6,762Likesなので、RTでは5倍、Likeでも2.5倍の反応。
最近の日本社会、何と言うか、「アンチ・ポリコレ」であることを皆が競い合って、他人よりも敏感だと悪者にされて袋叩きにあってしまうという恐怖に支配されている側面もありそうで、ちょっと心配ですね。
一度出た筈の内定が取り消しになりました。
学生ではないです。
来年、彼氏との同棲するに当たって住居が遠くなる為、転職を考え、現在の仕事と同じ職種を選びました。
コロナ禍ではありますが、ライフライン従事の資格職なので、内定取り消しに当たってコロナの影響はありません。
理由は「同棲ということは結婚や予定外の妊娠で仕事をすぐに辞めるのではないか、別れた際に仕事を辞めるのではないか」という点だそうです。
開いた口が塞がらないとはこの事でした。
私は自分のライフステージの過程で結婚や出産を選択することも出来ないのでしょうか。
今の仕事を最後までやり遂げたいので4月からの入職で、と言っているにも関わらず、別れた程度で仕事を投げ出すと思われたのでしょうか。
私は子どもを育てる余裕も資格も今の自分にはないと考えています。
故に彼氏と付き合ってからは常にピルを飲み、予定外の妊娠はほぼ0です。
面接でこのようなセンシティブな話をすることはないのでその点は向こうに伝わらないのも仕方ないと思うのですが、1度出した内定を取り消すにはあまりにもモラハラすぎる理由だと感じました。
そんな事ある?
荒れそうな要素はある気はするけどそんな特筆して荒れるほど?
気になったので調べてみました!
まあ荒れるな。どちらかのファンの人種がどうこうの話じゃないなこれは
星街すいせいちゃん
なるほどこの子はすごく頑張っている子だ。きっとアイマスの事が本当に好きなんだろう
アイマスの人にはなれなかったのでVという敗者復活戦に本気で挑んでいる並々ならぬ執念は感じるし実際に歌もうまい
いいんじゃないだろうか。そのままがんばってほしい
ここから先はキライなものキライという話で、それは非常にリスクが高いので匿名で書くことにしたけど
うわーやばいな
すいせいちゃん本人はよほど好きで歌ってるんだろうけど運営やクリエイター陣にまったく敬意がないんだな
ツイッターでもつべでもこの曲についての紹介が二の次。この書き方はアライブファクターを知ってる人から星街すいせいというコンテンツにリーチしてほしいけど逆はどうでもいいという根本が透けて見える
ツイートした文章の一つ目にタイトル以外の情報がもう少しあればここまでの嫌悪感は無かったんじゃないだろうか
そして動画の質
Vのカバー曲は大部分が少ない立ち絵に歌詞テキストを如何にかっこよく流すかという競技だが
そこでミスを犯すのは嫌われても仕方がない
重箱の隅をつつくような小さな事を言うなよ、ではなくカバー曲は1ナノミリのスキも見せない完成度を求められて然るべきものだ
微に入り細を穿てない程度の人が手掛けてしまったのだ、なんて不幸なことだろう
そのへんがどうでもいい人達がすいせいちゃんを取り巻いているのだ 根が深い
ここまでぶっちゃけクソ穿った憶測どころかただの汚い妄想でしかなかったのに
ホロライ勢がゲーム配信で広範囲にトラブっている話が駆け巡っており
矢面にいる彼らはともかくその裏で管理・運営をしている人間の質は少なくとも
”彼らを売り出すために使っている他社が作り上げたエンタテイメントにひとかけらの敬意も持っていない”
という方向で裏付けられつつある
最近どっかの委員長がシャニマスを取り上げてはちゃめちゃに愛欲に溢れている様が話題になったのに対して
ある程度の深度まで知らないとカバー歌ったのに私はアイマスが好きだー!がまるで伝わってこないVとの差はそんな運営によって醸し出されてるのではないだろうか
っていうかVがアイマスのカバーを発表する、なんて事象別にこれが初めてとかそんな事ないんじゃない?知らんけど
それがやたら燃えるのはたまたまとかでなくそれなりに多くの層が嫌悪感を覚える要素が今回はあったんだなというのは想像に難くない
日本人なら誰でも知ってるあの名曲をカバー!とはわけが違う話だ
ミリ界隈に古くからいる人間の多くはアイマスシリーズの中で唯一、この世界はいつ終わっても不思議ではないことの具体的恐怖をもって知っておりそしていつも脅かされている
そのため基本的に新規層の取り込みチャンスにはセンシティブになる人間が多い
故に、お気持ち勢は新規にミリシタに触れて欲しいという願いがまったく見受けられない事に壮絶な嫌悪を催すし
お気持ちのお気持ちを表明する側のPは新規開拓すれば儲けものなのに否定するなよ!って事のみのお気持ちに終始している
アライブファクターや贐の鳥が持つ背景がどうこうだからカバーすんなとか平和なお気持ちを垂れてるPはただのバカなので好きなだけ叩かれてもかまわないんだけど
お気持ちのお気持ちさんたちもホロのカバーぐらい好きにさせろよバーカ!って言ってる人間かそれをオブラートに包んで冷静な俺を表現したいけどあんま隠せてない人間しかいなくて本当に地獄だな
そんな無駄な時間つかってないですいせいちゃんの歌がよかったみなさん!この曲はね!っていうRT0のツイートの一つも拡散してあげればいいのに
今回行われたカバーの内情に渦巻いているものはきっと「すいせいちゃんからこの曲を知ってミリシタを初めて課金までしました!」という新たなPが生まれて初めて浄化されるものなのだろう
それが観測できる気配は
いまのところ まったく ないのだ ……
このアライブファクター歌ってるVは誰?見たい!っていうミリPはけっこうみた
Vtuberの台頭からか猫も杓子もテレビゲームで遊んでいるように感じられる。特にここ数年オンライン環境が一気によくなったからか、もはやオンラインマルチという言葉が消えるのではないかというくらい皆マルチプレイゲームで遊んでいる。ように見える。寂しがり屋のクソオタクである自分も例にも漏れずインターネットの友人とオンラインマルチゲームで遊ぶ。
友人と同じゲームで遊ぶのはやはり楽しい。理由は謎だ。興奮や苦楽を共感するということそのものが人間のなにか原始的な欲求を満たすのだろうか。とりわけ対人ゲームにおいては実際のプレーでは苦虫を噛んだような顔をしていることのほうがほとんどの気もするが、それでもやめれず人を誘ってしまう。人がやっていて楽しそうだなと思って始めたゲームもいくらかある。
ただ大抵は自分の腕前と、ゲームをやる際の友人への接し方で悩んでしまう。幼少期の頃に正常な情緒を同世代との交流の中で育まなかっただろうか。
いや、正確にいうとようやく悩めるようになったというべきか。おおくのゲーマーが気狂いであるのと同様に私もそうなので、ゲームに対して「この下手くそが故で地面を這いつくばるような状況から抜け出したい」以外の感情が介入することについて基本的には一切の想像力が働かない、したがって「こうしたらいいよ」とアドバイスすることが裏目に出る状況を基本的に想定できなかった。
無論ゲームに対するスタンスは各個人のそれを尊重すべきであるというのはよくわかる。私も一人用ゲームは基本的に二周目をしたくないので、取り返しのつかない要素などは事前に調べるし、分厚い攻略本を開きながらコントローラーを握ったことさえある。それを「攻略本読みながらゲームやって何の意味がw」といわれる筋合いはないと思っているし、つまりは他人に言える義理もない。さほどストイックでもなく、好きな武器やキャラクター、戦法を採用して、それでやれる範囲でしかしない(そのやれる範囲がどこなのか、という興味は尽きないと言った感じ)。ただゲームに対する自我形成だけはきちんとしているという自認はある。したがって基本的には相手の気分に合わせたいと考えている。例えばその時一緒にやるフレンドが別に向上心のかけらもなく、ただ今からゲームの都合上どうしても行かないといけないクエストにただ一人で行くのが嫌なだけで私を誘っていたとしても、その目的に応じる。私がこのゲームを上手くなるための修行のようなものは別によそでやればいい。そのゲームがうまければうまいほどここに関する余裕を作ることができる。腕前の都合上余裕がなさそうだなとおもったら素直に申告する。
であるため、問題として立ち上がってくるのは、相手のゲームに対する自我がきちっと形成されているかどうかについてはこちらは知りようがないという点に尽きる。
しばしば、女性は相談する時基本的に解決策を求めているのではなく同情してほしいだけ、という話題がのぼるが、根本的な問題点はおそらく同じで、そこに個人の考えを持ち込むなら性別は全く関係ないと思う。自分の不満に対する解像度が高いか低いかそれだけだ。
私は同情のために「相談」を持ちかける人々に対して、さほどマイナスな感情を持ってはいない。調べればより正確な情報がインターネットに転がっていようとも「今の大剣の装備って何が強いんですか?」と仲間内に訊くことも、また一つのコミュニケーションであると理解できる。ただ向こうが外面的にとってきたスタンスと内情が合致せずコミュニケーションがミスマッチを起こした時の処罰が、当人ではなくこちらにむいてくる時が非常に困る。
「どうしたらよかったのか?」「いまのは何故負けたのか?」と訊いてくる友人がいて、そこに素直に自己が分析した理由をぶつけて上手く行くかは、正直言って五分だ。これは理由を聞いたとて解消できるかどうかはその時点ではほとんどの場合わからないのだから、心底同情はする。ただ、(相談を持ちかけられて受諾するような万全の姿勢であればまだしも)ゲームに負け、自身の機嫌もとってやらないといけない中、こう立ち回るとよいよ、まあ初心者にはできなくて当然だけどね、と厚かましく語れば「わかりきったことを何度も言われて嫌になった」「免罪符として下手だとぼやいているだけで上手くなりたいと思ったことなどない」「もう他のうまい人とやったほうがいい」などと嘆かれることもまったくないとはいえないので、はっきりいってかなり参る。
その上で競技性のあればあるほどゲームに関する「腕前」はかなりセンシティブな話題に突入しがちだ。攻略上有利になるための情報を交換するためにつないでいるボイスチャットのその声が頭に入らない、あるいは必要なコールを忘れる、というのはもはやゲームの腕前とは遠い。ゲームによってはマルチタスクを要求されるため、そもそもそこから苦手な人にはそれ自体が苦痛という面もある。ゲームによっては聴覚や視覚、反射神経を問われるような内容もある。電子スポーツと言われるようになっただけあり、スポーツと似たような、悲痛なほど根本的な問題に直面することもある。それこそ「足音を聴くしかない」とか「忘れないようにするしかない」とか「ちゃんと仲間が教えていたんだが……」とか。
私自身も人間的スペックがそう高いわけではなく同じミスを何度もしたり昨日できていたことが今日できていないとかはザラにあるので、結局「そこ」なんだと気づいた時の絶望感といったらない。であるからこそ、他人に指摘する時結局そこしかないのではとおもった時の苦痛も比ではない。
本音を言えば相手が何ができて何ができないのか、なにがしたくて何を求めていないなんて知ったことではない。勝手に自己解決して欲しいし、求める何かがあれば自分から表現をして欲しい。注意が欠落しがちで、マルチタスクが苦手なら、それを自覚してそのように立ち回ってもらいたい。ただし、たとえゲームが上手かったとしても、我々は基本的に気狂いの馬鹿であるためすぐ「そんなの言わずとも当然だと思ってた」みたいな態度をとってしまいがちで、私自身はこれは好ましくないと感じている。それに娯楽を通して自分がどうありたいかなど、簡単に自己分析できることではないだろう。であるため、丁寧にやれることはやりたいと思って実行しているが、パーフェクトコミュニケーションヒューマンではないのでしばしばこういうことになり、メンタルマッチョではないので心に明確な疲労が累積する。
ゲームというのは基本的には報酬があるとわかっている負荷を楽しむものだと感じる。あちらを立てればこちらが立たないという状況を我々は「ゲームバランス」と呼び、基本的には一方的にこちらが有利である状況を好まず、解消し甲斐のある困難を求める。それがいわゆる攻略というものであり、キャラクターや世界観に深く没頭する以外では、我々にとってゲームの話題はこれしかない、とどうしても思ってしまう。したがって我々にとってほとんどの場合、攻略について語るのはその話題しかないからで、別に相手に上手くなってもらわないと困るからということはないと思う。困るとすれば、それはゲーム上の成績云々ではなく、単純に「何か自己が払うコストで解消できそうな悩みに対して行動を起こさずうじうじとし続けている人間」を見続けることに対する純粋なストレス程度だろう。優しくあやしても信じずアーアーヘタデスワといって殻にこもり、かといって攻略を話題にすればうまい人とやりたくないなどと言われる。そりゃあ私だって、初心者に調子にのらせられるようなゲーム展開に持っていけるほど腕があればどれほど気持ちの良いことか。
結局どうして欲しいのかといえば、私とゲームしないのが一番などを向こうは言った。ここで私がその人とゲームをしなければ、私は自分よりうまいやつとしかやらず、身内の下手くそさに辟易して一緒に遊ぶ相手を選ぶ嫌なやつか?他人の腕前も、そこに対する信念の強さも、これほど興味のないこともないのに。向こうの立場に立ってみればそう上手くもないやつが懇々と指示厨してくるので辟易するだろうといったところだが、あの手合いの人間のこちらの対応にあぐらをかいてくるような態度にもややうんざりとしてきた。小学校の時分、友達の家でやったマリオパーティ64をもうちょっと辛抱強くプレーしていたなら上手くやれたのだろうか。よくわからん。
ゲームが上手くなればそのもやもやの半分は解消できる気がしてしまい、ゲームが下手くそでつらいなあ、となってしまうのだった。
まぁそれはよいとして、
伝統的に使われている文字区切りなどが意味を無さないとかだけではなく
作品によっちゃいきなりトップにセンシティブな腐女子イラスト(マンガ)が出てくる
出てこない場合も何ステップかで腐女子イラスト(マンガ)に辿りつく
例:このイラストいいなぁ → 作者Twitter → 腐女子イラスト(マンガ)
それが良い悪いでは無く、むしろプラットフォームの規約に沿っているなら問題ないのでは?って思ってるが
7/25、早朝。
死ぬなら今だ!
意を決してバンジージャンプを飛ぶように。
紐はないが。
そのときは「何もかもうまくいかない。死ぬしかない。」と悲壮感が強かった。追い詰められていた。
だが、うっかり衝動的にやらかしそうで怖いな、という感覚だけが残る。
寝ぼけているうちになにかをなにかして、なにかしているかもしれない。
酷い抑うつ状態のような、「もうだめだ、でも死なない、死なない」という抑止力がない。
死んだら楽になれるとか、もう終わりにしたいとかまったくない。
ただただ、バンジージャンプを飛ぶような爽快感しかないのだ。紐はないけど。
しばらく気をつけながら生活しようと思う。
おしまい。
「コンセンサスがとれない社会」と捉える事もできるな、と思った。
昔はよその子供を鉄拳制裁するキチガイ爺さんがいたけれど、それが犯罪化してほぼゼロになり
その一方で「毒親」概念が出てきて「子供の人権」を育児の際に気にするようになった。
現代の子供にとっては良い事ばかりだが、子供を卒業した(かつて子供であった事を忘れた)大人からは
「子供が騒ぐのは当たり前、これくらいで苦情を言うのはおかしい」
と価値が二つに分かれる。
まず、Twitterはセンシティブな内容の表示を解除していたら一般サイトではなく18禁サイト同等であることは最低限認識しましょう。
「暴力や裸体など、他の利用者が見たくないようなセンシティブな内容のコンテンツが投稿される可能性がある」(Twitterヘルプ)
”Twitterは公共の場”などではなくエロOKなSNSです。その仕組みがnot for meだと思うなら利用をただちに止めましょう。
センシティブが必ずしも必要でないと考えられなくもない、18禁レベルともいえないようなあたりの話をしているのならば
グラビアアイドル等が着エロ的な自撮りを投降していたりとオタクに限った話じゃないので、あなたのオタク嫌悪を自覚しましょう。
30代のちょっと音楽好きがプライムで聞けるマイナーよりのアイドルソングを紹介するよ!
もしAmazon primeに入っていて聞いていないならこれは損!!! こんなに楽しい音楽にサブスクで出会えるんだなんて本当に感謝しかない!
(ただし、秋元康系は沼が深そうなのでノータッチ。っていうか一番気になってた欅坂はアルバム半分しか聞けないし。)
あと事務所がどうとかバックグラウンドの情報はほとんど知りません。ただ純粋に曲だけで面白いものを基準にしています。
1.Negicco
流して聞いてもいつのまにかメロディラインや歌詞を覚えてしまう曲が多いNegicco。アイドル歴が長い(と調べて知った)からサブスク落ちてる曲も多いしオススメ。
特に「アイドルばかり聴かないで(小西康陽!)」や、「愛のタワーオブラブ」、「ときめきのヘッドライナー」(N E G I CC O!のコール最高!)、「ともだちがいない!」などなど一度聞いたら忘れない曲ばかりで私はかなり好き。
ただ正直、東京のど真ん中で歌っている感じはない、のでここは好き嫌いが分かれるところかも(私はそこも含めて大好き!)。
「ともだちがいない」(mvがはしゃさん!!)
https://m.youtube.com/watch?v=ok6CW9aLaxk
2.RYUTist
Negiccoの隠せない日本海愛に対して、同じ新潟出身でより売れ線よりに、爽やかさとオシャレさを増したのがRYUTist。
「センシティブサイン」は宇多丸が年間のオススメのアイドルソングに挙げていた良曲。歌声や歌詞、アレンジの可愛らしさが堪らない! 表題曲だけじゃなく「素敵にあこがれて」もCメロの変調が! ああ! もう!!!! 曲のテーマの思春期のアンバランスさが歌声にメロディに出ていてもう聞いてる私がドキドキしてくる!!!!
ほかにも「blue」とかもサニーデイの曽我部とかが探している渋谷系下北系の体現! って感じで聞いてて驚きばかりです。
3.Especia
上のふたつがポップスの流れなら、Especiaは完全にクラブ〜ダンスの流れ。踊るよね、これは完全に。「Danger」。ちょっとメロウな気分なら「海辺のサティ」。テンション上げて戦いに行くなら「No1 Sweeper」。Especiaは聞いてると、身体の底から揺さぶられるようなそんな曲ばかりでこれはライブで聞きたかったと、本当に出会うことの遅さに後悔したグループ。
「No1 Sweeper」(PVの本気のダサさに酔いしれろ!)
通称リリスク。アイドルラップというと「恋愛15シミュレーション」しか知らない私は衝撃を受けたよ。リリスクはとにかくエモい! 「ラストソング」のセツナさや、「オレンジ」のアンセム感のあるグルーブさ、どの曲も本当に好き。
あとアイドルネッサンスという名曲カバーをするアイドルグルーブがあって、そのなかでBASE BALL BAERのライムスターとのコラボ作品「THE CUT」をカバーしているんだけれどそのラップがマジで格好いいの!
早口系のラップはしない印象があったリリスクのまた新たな一面が見えて、他のアルバム聞いたあとにぜひ聞いてほしい!!!!
「RUN and RUN 」(ちょっと話題になったスマホ用mv)
TwitterとかpixivとかでBLがやけに目に入ってきて「うわっ、こんなキモイもん見せんなよ~」と思った男オタク、たぶん結構いるじゃん?
でもその感情、男性向けエロを見た女性(女オタク・腐女子含む)と同じだと思うんだよね
で、別にそんな過激じゃないものでもぶっ叩かれるのも、隠れて楽しんでたのに外に出されて荒らされるのも、場所がTwitterなのか2chなのかぐらいしか変わらなくない?
BLも今までそうやって叩かれてきて、腐女子隠れろっていう流れがあったから、逆に男オタクが反発しているのが不思議でたまらない
最近の話題もあってか、腐女子を反ポリコレ側に引き込もうぜw みたいな意見を見たけど、TLの二次BL系の人たちは「ポリコレ(原義)についてちゃんと考えるべきだよね!」という感じなので意識のズレを感じた
なぜここまで男オタクと女オタクで意見が違ったり、反発したりするのか?
考えた末、男性向けエロとBLのエロでは、商業と同人の逆転現象があるからではないかと思った
BLは二次創作とかの同人界隈は隠れる意識が強く、特にエロのゾーニングはきっちりしてる(しないと叩かれる)が、かたや商業ではほぼ18禁の作品が普通に買える状態にある
男性向けエロは、18禁作品を出す出版社なんかはとても気を使っている印象があるが、Twitterでガチエロ絵がRTで流れて来たりと同人側のオタクはその辺ちょっとゆるいように見える
(センシティブ画像設定はしてるんだろうけど、BLは外部サイトへのリンクを貼ることが多いからたまにビックリする)
結果、男オタクは「BLは本屋でガチエロ買える状態じゃねーか、俺らは18禁じゃない作品でも叩かれるのによ……」となるし、女オタクは「私たちは男オタクに叩かれまくって隠れてたのに、そっちはエロをゾーニングもせずオープンに垂れ流して……」という気持ちから反発が起こったり、商業と同人を分けないまま議論して男女オタク間のすれ違いが生まれるのかな、と
(あとは商業で叩かれる=表現規制という流れになるからとか、少年マンガの読者層がオッサン化していてエロに走りすぎとかもあるとは思う)
私はBLも男性向けエロも楽しんでるから、ヘイト表現以外のエログロ系表現規制には基本反対
ただそれはそれとして、ゾーニングはなるべくきっちりやってほしいというスタンスです(もちろん商業BLでも変わらない)
あとポリコレ=表現規制のイメージで使うと、女オタクには多分勘違いされるよ
例えば人種差別主義者が作った黒人だけに感染するゾンビウイルスから逃れようとする黒人一家を描いた映画があるとするじゃん?
それが黒人差別や社会情勢を精緻に分析して黒人に寄り添うようなとても素晴らしい内容だったら反差別の映画と称賛されるじゃん?
でも日本沈没みたいな雑で意味不明な内容だったら黒人社会の歴史にリスペクトがない差別的な映画だって批判されるじゃん?
要するに「噛まれると同性愛に目覚める」映画『バイバイ、ヴァンプ!』と同カテゴリじゃん?
今って東日本大震災や洪水被害やコロナといった災害へのリアリティを多くの人が感じてるわけじゃん?
それなら日本沈没という重大事を意味不明なエンタメ要素盛りだくさんにした時点で日本人ヘイトだって批判される余地あるじゃん?
だって差別は差別する意図の有る無しに関わりないってよく言われるじゃん?
「女も男もそれ以外もオタクも非オタクも読んでいってくれないか」(anond:20200714091214)に答えますね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
自分の子供時代を考えてみると、小学校低学年のころに、うちに遊びにきた友達がどこぞで拾ったと思しき女の人の肌色が非常にカラフルなお雑誌を持ってきたことがあった。それは祖母に見つかり、後日学校で女教師に呼び出され「そういうのはいけないんだよ」という丁寧な説明を受けた。私は自分が何を見ているのかも何でお説教(いやすげえ優しい口調だったが)を受けているのかもわからずどちらの場でもポカンとしているほかなく、当然私の小さなちんちんは勃ってはいなかった。
それが中学生になるとエロ本の回し読みなんぞをしてシコシコするようになるわけだが、男どうしの会話とはいえあまりに露悪的な嗜好の持ち主だとなかなかそれを表には出しづらく、いろいろな作品が収録された短編集や雑誌のうち1本に陵辱ものが混ざっていれば欣喜雀躍、結局のところインターネットで陵辱ものが好きな同士にたくさん出会えて、同好の士がネット上にはたくさん存在していることに気づけて安堵したりするわけである。
だから元増田が挙げた、モブレやら体調不良やらでキャッキャウフフする若き腐女子たちには、素直に羨ましさを感じる。自分の好きなオカズを同年代の友達と共有する経験なんて私にはなかった。同好の士はいつもネット上の見知らぬ誰かで、彼らと会話を交わしたことなんてなかった。自力で探しだしたエロ画像はあっても友達と本当に好きなオカズの回し読みなんてできなかった。私には彼女たちがまぶしく見える。
「レイプされて虚ろな目になってる女の子いいよねー」みたいな会話をリアルの思春期男子のあいだでやったらドン引きされるだろうし、モブレでキャッキャウフフしている女子たちもおそらくリアル友人とのあいだでそんな会話はできないだろう。あくまでもネットで同じ趣味の相手を探して語り合うくらいは、男も女も別にいいじゃないか。私はそんなふうに語らったことはないので、語らえる子たちの気持ちはよくわからないのだが……
で、倫理についての話。
正直、あまり心配しないでいいと思う。というのは、陵辱もの好きな男として断言するが、私は自分がそういうものが好きな傾向があると自覚した幼き日から今日までそれを現実にやっていい行為と誤認したことはただの一度もない。当たり前だ。嫌がる女の子を拘束して猿轡噛ませて犯す、この過程がどうやれば合法で倫理に則っていると勘違いすることができるのか。現実にやったら犯罪であり、被害者を苦しめる外道な行為であることなど自覚している(いや苦しんでいるから興奮するんだけど)。だから漫画に頼るのだ。
ここで勘違いするようなやつは、はっきり言って元々倫理観がぶっ壊れているのでゾーニングがどうこうの話ではない。エロが綺麗にゾーニングされていたとしても別のやらかしを犯すに決まってる。
だからモブレだの殴られるだの飛び降りだの、露骨に倫理に反する表現はむしろ安牌に近いだろう。だって、推しが殴られているBLを読んで、そうか、男を殴ることは倫理に反してないんだ! って勘違いしちゃう小中学生なんている? いないでしょ。仮に勘違いしちゃう子がいるなら、それはもうBLの責任どうこうじゃなくて本人にマトモな倫理観が備わっていないことの表れでしかない。そういうやつはBLがなくても別のことをやる、絶対にだ。
危ないのは、むしろ一見して倫理に反しているとは思えない表現の方だろう。
男向けのエロ表現が「現実に影響する」として近年問題になっているのは、陵辱やロリペドではなく、むしろ和姦ものの表現だ。たとえば、ガシガシ手マンすれば女は喜ぶとか、感じたときには潮が吹き出す、とかそういう演出だ。AVを見て「そうか! こうすれば女は喜ぶのか!」と勘違いして彼女に同じことをやって性器に怪我をさせる男というのは一定数いて、こちらは性交の実務に携わる人たちの間では問題視されている。はっきり言って一部の頭でっかちなフェミ連中が陵辱ものやらロリペドやらで騒いでいるのは頭がどうかしているとしか思えない。そんなのが現実に影響するなんてのはごくごくレアケースであり(ないとは言わない)、本当に問題なのは、こういう善意による勘違いだ。
これをBLに当てはめて考えるとどうか。危ないのは、むしろ増田のような思考ではないか。増田は、「政治的な正しさ、ポリコレに照らし合わせて考えること」が重要であると主張している。しかし、本当にポリティカリーにコレクトなBLを目指すなら、女が創作していたり、作中のゲイたちが差別を受けずのびのびと暮らしているだけでポリコレ的な問題をはらむのだ(anond:20200712223432)。露悪的な嗜好の腐女子たちは自分たちが倫理に反していることなど百も承知だろうが、増田のように倫理を重んじる腐女子は、果たしてそのあたりに自覚的だっただろうか? 結局のところそれは「多数派の考える倫理」に過ぎず、勘違いした善意を性的少数者に押し付けているだけになってはいないだろうか?
たかが十数年、されど十数年である。十数年というのは、他人を強姦してはいけないとか、他人を殴ってはいけないとか、そういう規範を育むには十分な時間だと思うし、十数年も生きていれば支部のゾーニングをかいくぐる技術くらい身につけるものである。
積極的に子供たちにセンシティヴな創作を見せびらかしていくべきとは思わないが、小さな人たちが自分でセンシティヴ表現に積極的に触れようと思ったら、表現者の側でそれを阻むことなんてできない。だからまあ「うるせえ自由に創作させろ」でいいんじゃないでしょうか。男向けのゾーニングはそういう発想で動いているように思う。子供の前にわざわざ出したりしないけど、子供が自力でたどり着いた分にはニヤリと笑って不問に付す、的な。あれだ、一種の通過儀礼だな。
あれ、「オタクだけど」と名乗った割にオタクとは関係ない話になっちゃった。だからオタクと関係ある話を最後にしておくと、ワイ好きな作品のエロ同人ってほとんど買わんのよね。好きな作家さんがエロを出したら買うけど、基本的には全年齢向けのプラトニックな恋愛ものとかギャグものとか日常ものを買って読んでる。だっていちゃラブじゃいくらガッツリ性交を描写されても私は勃たないし、私が勃つようなひどいプレイを好きなキャラ相手にするのなんてひどすぎてかわいそうで見ていられないし、ということでエロはオリジナルに限りますね。思い入れのない架空人物ならいくらでもかわいそうな目に遭わせられて最高。だから好きな作品のエロ同人買ってNTR掴まされてキレてるオタクの気持ちはよくわかんない。エロ同人を買わなければNTRを掴まされることもないのでは……? なぜ好きなキャラのエロを読みたがる……? というか和姦ものを買う以上一定数NTR掴まされることは覚悟しておくべきじゃない? ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開を日常的に掴まされているんだぞ! 安易なレイプファンタジーを蔓延させやがって! NTRくらい甘受しろや! あ、これただの八つ当たりだわ、すまん。
ゆにちゃん様は好きだけどひまりちゃんはそこまで好きじゃないんだ、すまんな(単に興味がないだけで嫌いというわけではない)
"ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開" わかりみしかない。少し理屈をこねると、加害行為を被害者から肯定される展開は二重に正しくないだろって思う。
いやそういう理屈は割かしどうでもよくて、心底嫌がっているのを無理やり……というのが良いのになんで途中から愛が生まれてるの? は? って感じで萎えてしまうんや。萎えの機序としてはメガネっ娘がメガネを取るアレに近い、というかコスプレAVの衣装を脱がすな問題と同じ。
この増田があげてる「陵辱で相手が受け入れちゃうケース」はよろしくないと思う(ただ現在のゾーニング対象になっているとも思う)。
なんか勘違いしてるかもだけど「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開に特化したゾーニングはないよ?
ゾーニングといっても色々あるわけだけど、たとえばpixivでは、性行為や乳首・性器の直接的な描写の有無でR-18かそうでないかが決まり、その中でグロやスカの描写があればR-18Gになる、という感じなので、いちゃラブ和姦でもモロに性器やら何やらが描かれてればR-18で、陵辱してきた相手を好きになる展開でも描写が朝チュンなら一般向け。
「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開、個人的には別ジャンルということにしてほしいんだけど全部ひとまとめに「陵辱」扱いされてるのが現状だねえ。いずれおねショタとおねガキみたいにジャンル分化する日が来るんだろうか(でもこれは物語のオチを明かすに等しい区分だから無理だろうなぁ)。
で、勘違いされると困るので言っとくと、私がそういう展開を嫌いなのは性暴力を正当化しているからとかそういうどうでもいい理由ではなくて、単純に萎えるからです。嫌がってるのを無理やり陵辱する展開が性的な意味で好きなのに途中で受け入れられるとドッチラケなわけ。
でも、それは私のちんこに反しているというだけで、そういう展開が正しくないってことじゃないからね。そういう展開が好きな人には私の好きな展開は刺さらないんだろうし、好みの問題であるものを正邪の話にしないでほしい。
増田は「表現による心的ストレス」という影響を軽視してるな。ホラーを見てトイレに行けなくなるのは皆通る道だ。フェミやNTR嫌いの根幹はそこだし、オタクも住み分けには賛同する。自由の代償は他人が支払ってるよ。
アホらし。ホラー見ておトイレ行けなくなるのもNTR掴まされてショック受けるのも自己責任でしょ(もちろん私が嫌いな展開の陵辱ものを掴まされるのも)。私もうっかり寝る前に『ゴーストハント』読み返しておトイレ行くの怖くなるときがあるけど、それはそんなのをそのタイミングで読んだ私の責任。支部や即売会でエロ同人を漁るならNTRが一定数混じっていることを覚悟すべきで、展開に怒るなら好きなだけ怒ればいいけど(作品をdisるのは読者の表現の自由に属するので)そのストレスの責任は自分で負うべき。
自由に表現して自由に手に取って自己責任で怒ったり傷ついたり笑ったり泣いたりすりゃいいんですよ。
みんながまともなら問題ないけど、こういう極端な設定の作品は「これは現実ではない」注意喚起や一般には簡単に見えないよう棲み分けが必須 澁澤龍彦とか
ばっかじゃないの。ガッツリ性行為のシーンがある陵辱ものは当たり前だけどとっくにR-18で~す。R-18といっても広い世界なので、わざわざ「陵辱」とか「レイプ」とか「(自重)」とか「(自主検閲)」とか「(禁則事項)」とかそういう検索ワードを入れないと出てきませ~ん。あのさ俺が理想の陵辱ものを探すためにどれだけ検索ワードを工夫してきたと思ってんの?(血涙)
全然関係ないけど今テキトーに「R-18」で画像検索したらむっちゃBL出てきて草。R-18で検索したら男向け作品が出てくるという先入観はある意味ジェンダーバイアスだよなぁ。
だるま、欠損好きの友人と比べたらセーフかと思ったけどそれはそれで感覚狂ってるな。ところでなるほどなあと読んでたらいきなりゴーストハントが出てきてビックリした
だるま、作中で切断される場合だと「その傷が塞がるまで何日かかるんだ?」みたいなことが気になってしまうんだよな(いや、包帯巻いてる場合が多いだろうけど)
『ゴーストハント』は家人が寝静まって暗くなった家でうっかり読むとマジで怖いから困る。コソリが来るよ……『残穢』はおトイレ以前に家そのものが怖くなるからダメ(好き)。うっかり寝る前に『残穢』を読んでしまい家を焼き払いたい衝動に駆られたときは『営繕かるかや怪奇譚』で中和するのがいいと思います(そもそも寝る前に『残穢』を読むな)
中高生くらいの男の子に「正しい性癖とは何か」を教えられるのは同年代のホモソーシャルしか無い。ホモソを悪としか捉えられないフェミには都合の悪い話だろうがな。
「堂々と公言できる性癖」や「合法的に実行できる性癖」はあっても「正しい性癖」はなく、「公言するとドン引きされる性癖」や「実行に移すと犯罪になる性癖」はあっても「間違った性癖」なんてこの世にないんだよなあ。
連日、オタク女子の増田ばかりがホッテントリに上がってうんざりしているところ申し訳ない。
オタク女子に関する話ではあるが、非オタクや男性の意見も聞いてみたいので、良ければ読んでいってくれないだろうか。
発散ばかりで収束の気配もない、スタートもゴールも見つけられない私の話だ。
元々、同人誌の即売会に数えるほどしか参加したことのない、爪先つっこんだ程度のオタク女だ。仕事と子育てが一段落してちょっとばかしオタク女の世界に戻ってみた。唖然とした。
モブレとは、モブ(顔なし名前なし)キャラクターによるレイプのことである。
体調不良ネタとは、キャラクターが過呼吸や嘔吐したりするのを楽しむジャンルである。
オメガバースは…まあ話せば長くなるが性差別を美しく哀しく手軽に内在化した舞台装置であると認識している。
がっつり挿入を伴うR18表現は鍵をかけても、これらは問題なしとして小中高生たちがキャッキャ騒いで、当たり前のようにネタとして消費してて、それがどうにも気持ち悪いというお気持ち表明をまずしておく。
男性向け作品は昔からレイプもの愛好者はそれなりにいたよね。モブかどうかはさておき、あえて汚いおっさんが美少女を犯すシチュエーションも定番ちゃ定番だ。それを批判したいとか微塵も思っちゃいない。公開する場所と人を選べばそんなの自由だ。女性向け作品の中にそういった傾向を匂わす作品が増えてきたことは「女性が性欲を持つのははしたない」とする風潮が薄れて男女の非対称性が薄れたという意味では歓迎してよい一面もあるかもしれない。それと、上記のように倫理的に正しくないとされる創作もゾーニングさえされれば楽しむ権利はあるべきだと私は思っている。男性向けは最初からネット上はともかく書籍や映像作品はゾーニングが整っている部分もあるよね。女性向けも早くそこに追いつきたいね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
誰も傷つけない表現など存在しない。一家団欒で食卓を囲む描写さえ誰かを傷つける可能性がある。機能不全家族で育った人とか。一方で「豪雨による被害が続いている中で、七夕の星空を見上げてイチャイチャするネタを投稿するのためらうよね」と言う人たちもいる。ポリティカル・コレクトネスやフェミニズムという単語に概念にうんざりしている人たちもたくさんいる。ああ、まとまりがなくて申し訳ない。
どれか一つだけでどうにかできる問題じゃない。全部必要。バランスよくやろうよ。
「うるせえ自由に創作させろ」ってさあ…ねえ、まだ十数年しか人間社会を知らない子たちがそれを見てるんだよ。
センシティブな話をまるで少女漫画の定番展開みたいに消費してるんだよ。やめてくれよ。
人は変えられないから自分が変われって、この場合どのように適用すればいい?
はいはいお気持ちって言われたら、うん確かにお気持ちだね。ごめんなさいお気持ちです。
やっぱり女うぜえって思った人、ごめんね。うざくない女もたくさんいるよ。
どこを起点に、どこを目指して行けばいい?
これ読むといいよ!って文献とかあったらおしえてください。