はてなキーワード: スタンスとは
色々税金とか優遇されるのは美味しいけどそれ以外って同棲と変わんないじゃん。なんでそんなに結婚を特別幸せなことだと感じるの?
> この手の疑問は「オタクが推しのグッズ買うの何がいいのかわかんない(気持ち悪い)」と同じだと思う。
所有欲がわからないわけじゃないよ。そういう意味だと同棲も結婚も所有欲満たせると思うんだけど。まぁ同棲も結婚もしたからといって相手を所有できたわけじゃないけどさ。
ICUについてもコメントあったけど、こういうのは確かに、同棲だとなかなか難しいかもしれない。明確に同棲と違う点を挙げてくれてうれしいです。
代理人的なこと?
■追記2
トラバ、ブコメともに2,3反応あれば嬉しいなと思っていたので、皆さん様々な意見ありがとうございます。
以下、気になったブコメについて
結婚してなくて同棲中。相手は結婚して子どもを育てるというのが普通だという価値観で、そのうち結婚しようねという状態です。
> 「宇宙空間に一人で浮いている感じ」が無くなって重力を感じるようになる。
これは仲のいい友人もほぼ同じことを言っていて、まったく意味がわからなかったので数時間にわたって話を聞いたけど結局わからなかった。
友人は結婚するために恋人を探していて、二人目で結婚したけれど、籍さえ一緒だったら安心感が生まれるから一緒に住む必要もないと言っていた。
> 結婚制度である程度縛られることで、勢いで別れたりといったことが難しくなるので、ちょっとした喧嘩ぐらいでは大切な人を失わずに済む。
同棲を解消するのも勢いだけでするには相当面倒だから、離婚するのと同じくらいの理由が出てこないと同棲解消しないと考えてる。
> 実利的な話は大体出てるので、それ以外で。そもそも大好きな人が世界中の人間から自分一人だけを選んで無期限自動更新のエクスクルーシブ契約を結んでくれるのは、やっぱりすごく嬉しいし人生の励みになるよな。
う~ん、一般的に恋人関係も「大好きな人が世界中の人間から自分一人だけを選んで無期限自動更新のエクスクルーシブ契約を結んでくれる(ただし書面はない)」なんじゃないかなぁと思ってるんだけど…
うちは親が離婚しているので、結婚そのものが幸せ、という考えがないっていうのもあるかもしれない。
子どもを生み育てるとなると結婚はしたいけど、そうでないなら同棲でもいいんじゃないかな、という考えです。
もちろん結婚したほうがいろいろ制度的に優遇されることもあるのは知っているけど、色々と面倒くさいことも増えるよね。
ひっくるめて考えると、同棲は結婚とだいたい同じなのに、結婚ほどめんどくさくないから最高だなって思っています。
ただ、結婚をするのが当たり前だと考えている同棲相手に申し訳なくも思うので、前向きになれる意見があればいいなと思って投稿しました。
■追記3
ホッテントリ驚きました
> 籍入れずに同棲って若さを犠牲にしつつ増田の側にいる彼女に対してけじめつけるつもりはないのかって思ってしまう
訂正すると、増田が女。今のところ結婚してもしなくてもいい、というスタンス。けじめつけろと言われたらつけるけど、結婚を拒否してる訳じゃないよ。
> 変わらないと思うなら結婚すれば良いんじゃね。紙に書いて出すだけだよ
実態はそんなかわらないなら同棲のほうがいいなって思ってるんだよ。紙に書いて出すだけっていうけど、そのあとが大変だよね。姓が変わると色々手続きしないといけない。かといって婿入りする?と聞くとそれは嫌だというし。こっちだって姓変えるの嫌なんだけどなぁ。ありふれた姓だけど、親の離婚後、色々思うこともあって、妙な愛着があるんだよ……。
> 結婚して4ヶ月が過ぎた。同棲より迫真。好きなアニメ見放題ではない。カメラもレンズ変えてる時間がないからズーム主体に。あと生命保険の貰い手ができる。相手の分を僕が貰う契約もした。互いに首を絞め合う概念。
生命保険掛け合うのは、なんか結婚ならではの特別で幸せだなぁと感じる気がする。そう考えると遺産が~というブコメも納得してきた。死んだときに相手に全てを贈りたい。結婚のいいところだなと思えた。
ただ、この人は同棲時と結婚時でなんでそんなに時間がなくなったのかきになる。
***
たぶん最初に議論を読んだだろう記事を読んだときは、「盛り上がってるオタクに正論を説いてもムダ」(意訳)「あなたたちはバカにされてる」(意訳)みたいな「現状に気づいてない踊らされてるオタクに真実を教えてあげるね」というような語り口が嫌で、不愉快になった。
うがった見方かもしれないが、私にはそう思えて、「声を上げることは正しいと思う。が、上げたいなら上げたい人だけでやって」とだけ考えた。
実際、「男尊女卑が徹底してないのにミソジニー要素がある=女性差別=ターゲット層の女はバカにされてる」という論法がよくわからなかった。
仮にそれが女性差別であるなら、差別されてるのはコンテンツ内の女で、購買層の女ではなくないか?と思った。
下品と評されるコンテンツ、或いはスプラッタとかディストピアもののコンテンツを見るからかもしれないが、コンテンツ内の差別(倫理観?)=現実のそれに値するとは思えない。
見るけどやらない、では駄目なのか。人を殺すゲームをやるけど現実では人を殺さないという常識は差別に適用できないのか?犯人はゲームの影響で…論説はけっこうネットで叩かれるのに、この話ではそういう「現実と切り離して考えよう」みたいなのが見つけられなくて、そこがよくわからなかった。
で、後日(というか今日)、ちゃんとしたとこの記事で同じ話題を扱ってるものを読んだ。
引っ掛かるところはあったが、考え方は少し変わった。最初に読んだ記事より共感できたというか、ヒプマイにミソジニーがあると感じてて、嫌だと思っている人がいるのなら、ダメなことなのだなと思えた。
(ちなみに引っ掛かったのは、不良とヤクザの「カマ野郎」「女の"放送禁止用語"にでも」という発言を取り上げて、「女性が男性を虐げているという設定ならこういう女性差別発言が許されるのか」としてあったところ。個人的にこれらのセリフは「女性に虐げられてるから」出たというわけではなくて、発言者がそういう人種だからだと思う。一因ではあるだろうが、別に女尊男卑世界じゃなくても、不良は女っぽい男を蔑んだだろうし、ヤクザは女を酒権力金と並べてトロフィー化して放送禁止用語を吐いたと思う。要するにキャラ付けの一環というか、そういうの)
二個目の記事は、よく知らなかったヒップホップのミソジニーについても解説してあって、そういう状況にあるコンテンツと密接に関わったものにミソジニーがあるのは、嫌な人もいるんだろうな~と思った。
実感はないけど、一個目しか読んでなかった頃みたいに「そう思う人だけそう思ってて」と割り切ることもできない。たぶん批判してる人の意見が正しいんだろうなと感じてしまったから。
どのコンテンツでもアンチ意見は見ないようにしてるから、それと同じように避ければいいか…と議論を目に入れないようにしても、アンチ意見とは違って内容が世間的に正しいだけに、SNSで何回も目につく。
その度に嫌だと思う気持ちと、そう思うこと及び正しい(のだろう)意見に賛同できないことへの罪悪感で気が滅入る。
批判を理解しよう、批判側に立とうとしても、どこかで「言っても創作物なのに割り切って見ちゃ駄目なのか」というこれまでのスタンスが引っ掛かっていて、そうなれない。
こんだけ話題になってるってことは、「創作物なのに」で許される範囲じゃないんだろうなとぼんやり思うが、ぼんやり思うだけで、どうしても実感として自分のものに出来ない。わからない。
おまえみたいなの見てると空想科学読本かぶれのYahoo知恵袋にいそうなクソ餓鬼感あって(俺とかは)すっげー嫌いなんだわ。
大鑑巨砲主義に対して「そんなんより空母作った方がいいよ」とか空気読まずに言っちゃいそうなの。
そこで求められているのはロマンなのに「ロマンを持つことは恥ずかしいことだ」みたいな文脈で語り始めんのな。
ちげーんだよ。俺もお前もタイムマシンも持ってないし四次元ポケットも持ってないし況してや三菱重工や富士重工で働いてる訳じゃねえんだよ。
だからどんな『精確な』情報を吐いたとしても妄想にしかならんのよ。その前提を持たずに『自分の方が正しい!』ってスタンスで語るからアホくさく見える。
そういうお年頃ならしゃーないけど、そろそろ空気読んでくれって思うわ。
ニュースで被害者の声や識者の声が報道されていたが、識者の声としてジャーナリストの江川紹子氏、弁護士の滝本太郎氏のコメントが複数のメディアで取り上げられていた。
これまでもオウム事件に関して識者の意見が載るときには、江川氏、滝本氏のコメントが多く掲載されてきた。
私自身、この二人にメディアがコメントを求めること、そして彼らが普通にコメントを出していることについて、違和感を持っていた。
偏向報道を回避するために、どのような記事や番組にしろ、コメントを出すのは、一般的に直接の利害関係がない、その事案についての専門家であるという前提がある。
しかしながら、江川氏はオウムのホスゲン事件の被害者であり、滝本氏はオウムのVX事件の被害者である。
江川氏は、オウム真理教に子どもが出家した親に坂本堤弁護士を紹介しており、滝本弁護士は坂本弁護士からオウム被害者の会の仕事を誘われ、断っていたという過去がある。
つまり、彼らは被害者であり、他の被害者の坂本弁護士とも深い関係にあった。
この事実を考慮すると、江川氏と滝本氏はともに、本来利害関係のない「第三者」としてコメントするのはおかしな話である。
コメントするなら専門家としてではなく、「被害者」としてでなければおかしい。
にもかかわらず、あたかも「自分は第三者ですよ」というような顔をして、自分の被害感情を混ぜながら、コメントを述べている。
中立的な第三者としてコメントを求められた場合、自分は被害者の立場にあるから公平な目で見られないという理由で、コメントなどは辞退するのが、本来のプロの取るべき姿勢ではないか?
メディアもメディアで、なぜ彼らのコメントを、あたかも「中立的な第三者の意見」であるかのように扱うのかが分からない。
この偏向は、オウム事件ゆえの特例として認められているのだろうか?
もし、オウムとは関係がない一般事件であれば、被害者である専門家にコメントを求めることなど、メディアも常態化しないだろう。
無名の被害者の声は載せないのに、彼らのコメントを頻繁に載せるのは、他の被害者の軽視と言われても仕方ないのではないか?
(だからこそ、村上春樹氏は「アンダーグラウンド」 https://www.amazon.co.jp/dp/4062085755/ で、一般のオウム事件被害者の声を取り上げたのではないか?)
また、江川氏と滝本氏は、麻原裁判が行われていたときは麻原を死刑にしろ、判決確定後は執行をしろという意見を表明している。
その上で、江川氏は麻原の四女の後見人になったり、滝本氏も事実上の後見人となったりしている。
確かに四女は、「父親の死刑を執行をするように」と述べているが、家族の心情はそう単純なものではないはずだ。
四女のために保護者・後見人となるのであれば、四女の成長のために客観的な立場で接するべきだったのである。
しかし、江川氏、滝本氏ともに、四女を支援しながら、麻原の死刑や執行について賛成の意見を表明している。
このスタンスだと、四女を支援したのは、四女のことを考えてのことではなく、自分たちの活動に四女を利用しようとしたからだ、と言われても止むを得ないのではないか?
江川氏が後見人になった後、四女は教祖として振る舞おうとしたということだが、これも江川氏の言動が影響している可能性も否定できないし、滝本氏のところに行っている四女に幻覚、幻聴があるというのも、滝本氏の言動が影響している可能性も否定できない。
ここ数日のホッテントリの空気の悪さに嫌気がさして、pcの方にアカウントとワードで跳ねられるフィルタを入れて、「はあちゅう」と「杉田水脈」をブロックした。
別に自分は社会正義に物申す為にはてなを利用してるわけじゃ無い。
ネット周りの技術の話や、地べたに咲く変わった花みたいな増田や、行った事のない国に住んでいる人の話がみたいんだ。
ブロックすると、ホッテントリには歯抜けができた代わりに、ドロドロカリカリした喧騒から距離が遠くなった。
バーガー屋のセットではバーガー、ポテト、ドリンクがセットになっていることが多いけど、私はドリンクがここに名を連ねることに違和感なのだ。
もちろん消費者としてはドリンクが付いている事に越した事は無いが、もっと付けるべきものがあると考えている。
文字だけ見るとセットには3つもコンテンツがあって盛りだくさんのように感じるが、中身は伴っていないと思う。
もちろんその分値段が高くなるのは問題ない。
店によっては普通に付いていたり頼み方次第で簡単にできることは分かっている。
ただ店側のスタンスが「当店のセットはバーガー、ポテト、ドリンクが基本です」いうものであればオイオイと思うのだ。
このように考えてしまう理由としては、日本には定食というものが存在する事が挙げられると思う。
ご存知のとおり定食にはご飯、味噌汁、おかずがあって、更に小鉢や漬物などが付くことが多い。
バーガーが定食でいうところの複数の役割を果たしているとしても、世に出回っているセットは貧弱だ。
いっぱい食べたいわけでは無い。少量ずつでもいい。
売り上げにつながらない電話を取る場合、指標になるのは最終的には処理件数と顧客満足度になるだろうが、
どうもいのちの電話はそのどちらも計上する余裕などない様子
一拠点の例だとブースが三つあって埋まってるのが一席、受電率4%らしい
電話取ってる人間も焦りと苛立ちが募り、一件一件まともに対応する余裕が削られているのはおおよそ間違いない
コンタクトセンターとしてみると赤信号を通り過ぎている段階と言わざるを得ないのではないか
個人商店並みの危うさで運営されているいのちの電話の実態といのちの電話に期待されている役割の大きさは明らかに釣り合っていない
せいぜい「いのちの電話というエアバッグがあるからいざと言うときは相談してね」という安心、
メンタルが弱っている人間と声だけで会話すると言う高難度ミッションを
暇を持て余した高齢者と主婦の善意に頼って何とかしようというスタンスがもはや時代に即してないんだろう
こういうハリボテを「善意だから許して」でまかり通すとかえって傷つく人間が増えるという現実としっかり向き合うべきではないか
誤解を招いた部分の補足ならまだしも、ブコメやトラバの相手する追記とかは最高にダサい。
だいぶ前に書いたのが突然バズったのを数日後くらいに偶然発見して、誤字指摘とかも見つけたけどそのままにしとくくらいのスタンスで良い。
「俺の書いたやつがバズって嬉しいな」なんて自意識を膨らませるくらいなら、最初から匿名ダイアリーに書くなブログでやれってんだよ。
その点ちきりんはそんな事しないし、人格も経歴も知性も見識の広さも、ほぼ確実に上なんだよね。
なんだかんだ言ってブコメ非公開というスタンスでやってるのに相変わらず200超ブクマがつくような記事があがるのは、すごい才能だよね。
かつての名言「自民党ってなんか感じ悪いよね、と思われたら選挙で負ける」ということを今も貫いてる感じ。
バカ自民の幹部はまだ気づいてないみたいだけど「生産性」というワードは非常にまずい。
LGBTそのものについて不快感を持っているサイレントマジョリティーは多いのでそれなりに支持があると安心してるんだろうが「生産性」というワードが登場したことで選挙の大票田であるジジババにとって自分たちもその「生産性がない」側に入るということに早かれ遅かれ気がつく。
既にしっかりと感じ悪さが醸し出されているときに、誰よりも早くその感じ悪さから自分だけは違うというスタンスを示したという風向きを読む力はすごいと思う。
命がある人は誰でも生きるのが自明ということになってるけど
生きることさえも“選択肢のひとつ”という小さなものになってしまう
生きたい人まで「べつに生きたくないんだったら生きなくてもいいんだぞ? お前は生きたくて生きてるんだろう? ま、べつに死ねと言ってるワケじゃないけどな」
という問いと隣り合わせで生きる羽目になってしまう
個人の気持ちとして圧力をかけるのと、社会がスタンスとして「死んでもかまいません!」と表明するのでは大違い
私も個人的に「ああ、死ねたらいいなあ」と思うときはたまにあるけれど、「死ねる社会が望ましいか」といったら、私は嫌だなあ
という本に書いてあるのでおすすめ
オッス!オラ増田!数日前に二人目の出産を終えたおかあさんだ!!
帝王切開で出産したから入院日数が長くて暇なのと、テーマがそれなりに重くて話す機会もないから顕示欲を満たしたいのと、あと何より原発性無月経症だと診断された時にあんまり体験談がなくて「マジか…」って思ったから、12年前の私に報告する体でめちゃくちゃ長文を書いてくぜ!
同じ病気を抱えている人が、こういうサンプルもいるんだなと思ってくれれば嬉しいぜ!!
大好きなプールの授業を一回も見学することなく参加しきり、なお身長が伸び続けていた17歳の秋。
流石に「まだ生理が来ないのってヤバくないか…?」と思った母に、婦人科の受診を勧められたね。私もヤバいと思ってたよね。友達に休み時間こっそり「ナプキン持ってたら貸して?」って言われても一回も貸せなかったからね。絶対ケチくさいと思われてたよね。
学校休んで、なんか麻布とか六本木とかシャレオツな場所にある産婦人科まで診察に連れられたね。あの頃はわざわざ馴染みのない地域にまで赴いた理由がわからなかったけど、母は万が一にも地元の知り合いの目に触れさせたくなかったんだと思うよ。あらぬ事を吹聴するようなクソ人間がこの世には存在するから。だからシャレオツな場所まで来たことに怯えなくていいよ。
彼氏なんてできたこともないのに(中高女子校だったからって言い訳しとこうな)触診台に載せられて男性医師に股おっぴろげるの本当に嫌だったね。頑張ったね。まあ女性医師に当たることも少ないし、その部分はいずれ慣れるよ。お医者さん、散々女性器見てるから特に何も思われることないし。
ただ、処女ゆえにお腹にエコー当てて診察した時「うーんおしっこ溜まってるみたいでよくわかんないなーハハハ」って言われてクソみたいな思いしたよな!半泣きだったよな!わざわざそんな言い方しなくていいじゃねーかって!
大丈夫。そんなクソ医師のいる病院その一回限りしか行くことなかったから!紹介状書いてもらって大学病院に行くことになるよ。
行った先の大学病院の担当医も男で憂鬱だったけど、すぐにその先生でよかったって思えるし今でもそう思ってるよ。少しフワフワした先生だけどそこが気楽でいいよ。
そしてやっぱり最初の診察医はクソだったって気がついたね。
色々診察してもらった末、原発性無月経症、生まれつき自分で生理が起こせない体で、そのためにカルシウムが溜められなくて骨密度が本当に低いってショックだったね。
大病したことなかったからそんな病名ついた診断下されると思ってなかったし、私は女って定義していいのかなぁって思ったり(女でいいと思うよ)、結婚とか出産とかこの先のライフイベントにおいて不利に働くのかなあなぁって思ったり、牛乳めちゃくちゃ好きだったのに骨密度が小六の女児くらいの数値しかないって言われたりして「何のために牛乳あんなに飲んでたんだ…」って思ったりして帰りのバスの中でぐじゃぐじゃに泣いてしまったりしたね。
でも一番堪えたのは母に「満足に産んであげられなくてごめんね。代わってあげられたらいいのにね」って同じようにぐじゃぐじゃに泣かれたことだったね。辛かったね。そんな事言わせてしまったのが悲しかったよね。そもそも代わられたら私産まれてないかもしれないしさぁ…。
あの時母を責めるつもりもなかったけど責めなくて正解だよ。でも人の親になった今ならわかるんだ。私もその立場だったら負い目を感じるだろうし、我が子に遺伝したらってめちゃくちゃ不安だよ。だから一緒にぐじゃぐじゃに泣ききって、それっきりにして、焼き肉とかおいしいもの食べさせてもらってそれで終わりにしなね。どうしようもできないからさ。
で、定期的に通院・薬使って生理起きるようになったね。君の股から出てくる卵の白身みたいなそれが、よく「なかよし」に広告を出していた生理用品で知った「おりもの」ってやつだよ。「これがおりものか…!」初めて見たときちょっと感動したね。
病気のせいか体質のせいか、血量も少ないし生理痛もなかったのはよかったね。生理起こさないとダメだけど薬で起こすと超ーーーーー不快なのってめんどいもんね?
生理起きても骨密度はガンっと上がらないけど、それは骨折起こらないように気をつけていこう。怪我の少ない文化部でよかったね。私もこれからサプリメントとかでカルシウム補っていくから。
大学に上がって一人で通院するようになったね。その頃にはもう診察も触診も慣れてるじゃん。
ただ、彼氏ができて処女じゃなくなった時、親にもまだ言ってない(いや別にとりたてて報告しないままだったけど…)のに処女喪失報告してエコーで内診から膣に器具挿入に切り替わったの結構気まずかったよな。まあ先生「ハイハイそうなのね」くらいで切り替えてくれるからそれはもう諦めろ。いつかは避けられないことだ。
あと数値的には同じくらいなんだろうけど、二十歳になった瞬間「骨密度が七十代のおばあちゃんと一緒の数値だよー」って言われるようになってゲラゲラ笑うよ。ピチピチの若人から高齢者枠に入れられるのが成人すると言うことなのです。
そうそう彼氏ね。「どうしてもデート時間を長くしたくて産婦人科(だと知っても)に着いてきたい彼氏」vs「どうしても来てほしくない私」でバトって、「私生理が起こせない体なんだよぉ!!!来るなって言ってるのに!!」って言わなくていいこと言ってキレちらかして、それ以外の理由も加えてケンカ別れします。
でも驚くなよ?最終的にその人と復縁して結婚までします。後にも先にもその人しか彼氏はおりませんでした。いい人だから大切にしてあげてね。
平日にしか診療してないから行く時間なかなかとれなくて、外道だから一年強もの間診察をぶっちぎってしまいます。
会社辞めてやっと診察してもらった時に「子宮がカスカスに小さくなっててかわいそう」って言われて「あああごめんなさい」って思うのと同時に「カスカス…」ってちょっと面白くなってる場合じゃねーから!病院サボるなよ!
そう、会社は寿退職。つまり結婚で退職したんだけど、さっき言ったように別れた彼氏と復縁した後結婚するんですね。
「私は子ども産めないかもしれない」って言ったら「子どもは好きだし、色々チャレンジするのもいいと思う。ただ自分自身は子を持つことにものすごいこだわりがあるわけではないから子どもはいなくてもいいし、もしチャレンジしてダメで、それでも育てたい欲があるなら養子でもなんでも方法はあるよ」って言ってくれます。本当に聖人なので大切にしてくれよな!
私もものすごい自分の子を望んでいるわけじゃなかったし(だって産めないかもしれないってわかってるんだもん…とくに希望も持ってなかった)スタンスが同じなのは本当にありがたいことだよ。
夫の両親もいい人だから、本当は何か思ってたかもしれないけど何も言われなかったよ。君は、本当に恵まれているんだ。
さて、結婚したら何か進言されることもなく妊娠に向けての治療が進められます。それはもう自然に。当たり前のようにフェーズが移っていた。
そこら辺は不安であれば不妊治療の方法を調べてくれ。たぶん同じだから。ちなみに私はテキトーなので言われるがままの治療に従っていた。結局数年ゆるゆるやって、できなかった末に最終奥義の体外受精することになるんだけど。
夫と協議した結果、とりあえずさっさと体外受精チャレンジして、失敗してまたどうしても欲しくなった時に再チャレンジすればいいって話になりました。夫婦揃って特に意気込みの強くないチャランポランさである。
ただね、それは体外受精を試みる人たちの中でも圧倒的に若い年齢で取り組んだからだと思う。治療説明会、10歳くらい上でめちゃくちゃ治療内容調べてきてる人達ばかりだった。君達夫婦はね、説明会の帰りに何食べて帰るかしか考えてないし、受精させる用に夫の精子を取る採精室に置いてあるAVが誰チョイスか気になってるチャランポランさです(備品業者チョイスのオムニバス形式らしいよ。好み色々あるもんね)
君は産めないかもしれないことわかってるんだから、その点チャレンジの幅は広いんじゃないかな。やれるならやってみてもいいと思うよ。
でも、そもそもうまいこと作れた受精卵の数は少なかったし、お盆休み前に子宮に入れた受精卵が流れるかもしれないって言われて生理も起きちゃって、でも診察受けられなくて号泣したこともあったし(無事着床してました)、子どもができるまで平坦な道でもなかったよ。
それはもう不妊治療の範囲だから、やっぱり不安であれば不妊治療の体験談を読んでね。よっぽどそちらのが詳しいから。
12年前の私へ。
そういうわけで、君は二児のお母さんになりました。
不安もいっぱいあると思うけど、そう悲観しなくても大丈夫だよ。
もう子を産むことはないけど無月経症の治療はこの先も続いていくし、この先の治療はどういうものかわからないけどまーーーーーもう大したことしないでしょきっと!(調べてない)
別にいなくてもいいと思ってた子どもは大変だけどかわいいし、でも今のご時世無理して作ることもないし。どういう選択をしてもいいんだよ。私はヤな宿題は全部ゴミ箱に捨てちゃうタイプだから、どこか一つでも躓いていたら、子どもを産んでいなかったでしょう。産めてしまったけど。ただ産まない選択をしても病院は通いなね。子宮がカスカスに縮んちゃうから。
とりあえず私は、これから自分のためにカルシウムのタブレットを食べようと思います。
じゃあ、元気でね。
ブックマークの引用の仕方がわからなかったので、いきなり言及してしまいました。すみません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180720-00010003-binsider-soci
このダイアリーは、上記のコメントの中に、このルールを支持している教師の意見が聞きたいとあったので書いています。
一保護者としてはあの記事にあるようなルールはまったく容認できません。
ただ同業者としてみると、ルールが作られた背景は理解できるというスタンスで書きました。
ーーーーーーーー
実際、そのルールを運用している側ではないけれど、担任の先生から聞いた理由と、教員としての個人的な推測を少し書きます。
子どもの通う小学校は、お茶か水をいれた水筒持参可、登下校中の給水は気をつけて飲む、水泳時の日焼け止めとラッシュガードは相談の上、許可、授業中の給水不可でエアコン有りの学校です。
1番の理由は、子どもが周囲の危険な状況を考慮せず、急に立ち止まって飲むからのようです。具体的には横断歩道の途中で立ち止まって飲むなど。あとは歩きながら飲んで転倒して口元を負傷することもあるようです。うちの小学校は制限されていないけれど、上記のような注意を促すお便りがきました。自分の子の登下校中のひどい様子を見ていると制限したくなる学校側の気持ちもわかります。
ついでに授業中の給水不可について
自分の授業では良いことにしていますが、小学校では難しいこともあるように思います。以下は教員としての推測です。
子どもたちはほんの些細なことで集中力が切れてしまう。自分の好きなタイミングで水筒の飲み物を飲む、それだけで勉強に向かうという雰囲気が散漫になり、適切な授業展開を維持していくことが難しそう。また、水筒の飲み物を飲むことが面白くなってしまい、過度に飲む子がいて注目を集めそう。また、トイレに行く子が増えそう。
これは、そう指定しないと様々なものをいれてきてしまうかららしいです。例えばコーラとか。個人的にはスポーツドリンクの常飲が身体に影響しそうで、部活動以外の日常生活には不要と思っています。生えかわったばかりの歯にも悪そう。
https://www.asahi.com/sp/articles/SDI201705276506.html
これはなぜだかよくわからない。
教員として推測すると、日焼け止めを子どもたちに塗らせると、低学年であればあるほど適切に塗れず、担任が塗ってあげなければならない状況になりそう。ラッシュガードは水分を多く含むので、小さい子は上手に絞れず、教室や荷物がびしょびしょになりそう。うちの小学校はラッシュガード可なので子どもに着せようとしたら、皆が着ていないので嫌だと断られました。
これは今の時期は適切でない指導になっているけれど、本来の意図としては、なるべく外で体を動かしましょう、なのでは?
個人的には、今まであげたルールについて学校側の意図は理解できるものの、すべて撤廃し、子どもと保護者の判断に委ねて欲しいです。しかし、小学校の先生の負担が今まで以上に増えることが明らかなので、地域の気候に合わせて、夏休みの増加、授業時間の短縮などを議論していくほうが良いのではと考えています。
先延ばしすると延ばした分だけ延ばした事象に関して思考のリソースを割く期間、タイミングが増えて損をすると考えただけで先延ばしが減って
あと、メモとかも「しないといけない」じゃなくて「自分で覚えておくリソースを節約する」と考えるだけで前向きにやれるようになった気がする
デレステに2周目の恒常SSRが登場したことで、運営が声なしアイドルを切り捨てにかかった、みたいな見方や、それに伴う悲観的な声が散見されるようになった。
ただ、このタイミングでの恒常2周目にそのような特別な意味があるとは個人的にはいまいち思えない。
一か月前の恒常SSR[笑うたい樹]上田鈴帆の実装、これによって現状の声つきアイドル全員に恒常SSRが行き渡ったが、その翌月にはもう恒常2周目に入っている。
声つきの恒常待ちが0人になったらすぐに2周目に入る、ということはもうあらかじめ決まっていたと考えるのが自然だろう。
去年の9月頃から恒常は「声つき1枚、声なし2枚」のペースで実装されているということと考え合わせると、
3月と5月に声なしSSRが3枚実装されたのも上田しゃんの衣装の完成が6月にずれ込むことに対応したイレギュラーなものと見なせるし、
運営の去年から今年にかけての基本的スタンスとしてはやはり「声なしSSRは月に2枚」で変わらないと考えて良い。
今回の恒常2周目も声なしアイドルに対する運営の姿勢が決定的に何か悪化したわけでもなく、良くも悪くもルーティンのうちの一つにすぎないのだと思う。
だから声なしPも今回のことで特別に悲観しすぎず、もう少し楽に構えても良いのではないかと感じる。(枚数の不均衡については今更何か言うこともあるまい)
値段じゃなくてね、そういう人は多分「買い占めができないシステムで売ればいいのに、あえてそれを頑として避けて転売で儲かるような売り方を続けるんだから、そこにマーケットができてしまうのは自然の摂理だし、発生した転売者自身を責めたって仕方ない、仮に転売者を次から次へ処刑していったとしても発生し続けるのは自明で、システムの方を根本的に見直すべきで、一昔前ならともかく認証技術が発達し安価に実装できるようになった今尚それをしないってことはどうせ売ってる側もグルなんだろうよ」っていうスタンスだと思うね。
勿論、そこには多大という言葉ではくくれない程の犠牲を払ったのだ。
中王区と呼ばれる、男性を完全に排除した区画で政は行われるようになった。
そこで新たな法が制定された。その名もH法案。人を殺傷するすべての武器の製造禁止、及び既存の武器の廃棄。しかし、それだけでは愚かな男性の争いは根絶されない。
なので、争いは銃ではなく人の精神に干渉する特殊な【ヒプノシスマイク】にとって変わった。
言葉が力を持つことになったのだ。
そして争いに親和性のあるラップを使い、優劣を決する世界になった。
男性は中王区外のシンジュク・ディビジョン、シブヤ・ディビジョン、イケブクロ・ディビジョン、ヨコハマ・ディビジョン等の区画で生活をすることになる。
各ディビジョン代表のMCグループがバトルをし、勝った地区は決められた分の他の領土を獲得することができる。
これは、兵器ではなく言葉が力を持つことになった世界で紡がれる男たちの威信をかけた領土バトルなのだ。
有名なライターのダイマツイートや新譜の影響で今かなり注目されている新進気鋭のジャンルだ。要はいわゆるオトメイトにありがちなキャラクター個性の強いイケメンたちの話なのだが、今までになかった「オタク向け×ラップバトル」という所が独特である。
現在、アニメや小説ではなく、オーディオドラマとキャラクターのラップの収録されたCDが主体のコンテンツになっていて、このラップパートにかなり力が入っている。藤森慎吾やサイプレス上野、新譜にはラッパ我リヤやAvecAvecが参加していて、どれも中毒性の高い曲に仕上がっている。
正直、結構ハマっている。新譜が更新された日も、日付が変わってすぐに聴きに行った。前述の通り曲もかっこいいしかわいいし、ドラマパートも思いもよらない掛け合いや、思いもよる掛け合い、オタクなら妄想した展開が起きたりしていて、5年前の自分なら「マジ公式が最大手wwww病気www」と呟いていたと思う。
だけど一方で、このジャンル、かなり危険なんじゃないか、とも思っている。完全に馬鹿にされて乗せられているんじゃないかと感じてしまう。
女尊男卑のH歴では男は女の10倍の税を貸されていて、中王区を囲む高い壁と厳重な門は税金で作られている。男と男のディビジョンを巡るラップバトルの際は許可を得てその門をくぐって中王区に入り、そのバトルは恐らく放映なり中継なりされて、女性の巨大エンターテインメントになっているらしい。しかもかなり人気があるようで、次の日に初バトルが控えているキャラクターが女性に追い回される、という展開もあった。
この「女性に消費されるエンタメとしての男」という在り方は完全に女性向けジャンルの在り方と一致している。イケメンが出てきて、カッコイーだの顔がいいーだの個性強すぎだの言って話題にする。物語の中でもラップバトルの勝敗は女性が付けるようだけど、CDに投票券が付いているので、これはリンクというより完全に重なり合っている。
これが例えば「女性アイドルが露出や過激なサービスを男性に消費されていることへのアンチテーゼ」とか「流行り廃りの早い女性向けジャンルの在り方へのジョークで笑い所」ならかなりブラックだとは思うがまだいいのだ。けれど、設定の基幹、何度も繰り返し強調される部分で行われている。
体制側に女性を置き、打倒すべき相手として設定することで、今の社会なら「クソ女」と言えば差別で蔑称になるのを、不満や怒りの発露、当然の悪口のようにしてしまう。逆に「所詮お前も男ということか」というセリフが出てくるが、これは侮蔑として受け取れるし、そう発する女性に対してキャラクターたちは唇を噛む訳だ。
私にはこの置き換えがホモソーシャルにおいて女性を排除する事への正当化にしか思えない。
オトメイトレーベルは女性向けなのもあって女性キャラクターがほとんど出てこない。そこに正当な理由があるんですよ、としたいがための設定に過ぎないんだと思う。それを元に作り込むような丁寧な世界観構成とは言い難い。
言い訳にしては、女尊男卑の世界観はあまりにメインターゲットに失礼ではないか。
本当に女尊男卑が貫かれているならいい。税金10倍、手取りも悪くて、がんばってもマトモな仕事につけない。女性からは常に舐められる。正社員なのにお茶汲み、ものを頼めば「ほんと生意気、やっぱ男だから仕方ないか〜(笑)」と言われる、そういう世界観なら確かにキャラクターに肩入れして「このクソみたいな世界を変えてくれ!」に素直になれる。
ホストはもてはやされ、お客の女の子を「子猫ちゃん」と呼ぶ。別に上から目線の営業、という訳ではなく、むしろ紳士的な営業のタイプだ。
サラリーマンと同じ職場には女性もいるし、その友達(ホスト)が職場に来た時にナンパをしまくった、という描写から、少なくとも声を掛けられるような関係だとわかる。
警察官という官職にも、医者にも男はなれる。それがとても恵まれた特別なことというような描写はないし、そういう仕事は権力の弱い男に押し付けるということでもないようだ。
ヤクザは「権力・金・女に酒」と歌っているから、少なくとも世の女がほとんど皆男に対して高圧的で支配的な訳ではなく、むしろ逆の立場の女性もいるということがはっきりわかる。
別にこれらだけを抜き出せば女性差別すぎるという訳でもない。現代と変わらないレベルだと思う。
あるいは女性だけのクラス壁の中だけ異常に差別が強いのか、と思えば、レストランの店員の女性に生意気な口を訊いても追い出されるわけでもなし、道で女に声を掛けても「キャー!」と黄色い声を上げるだけで、デリカシーのない発言は返されない。
そのような実状の描写がありながら、ストーリーの旨みのために「覇権を女ばかり握る間違った世の中」としてしまって、巨大な壁を描写して、わかりやすい敵として女性全体を想定することはおかしいのではないかと思うのだ。それならもっと徹底すればいいし、あるいは燃えやすいジェンダーへのdisは避けるのだって定石だ。
しかも元々ラップやヒップホップというのはかなりミソジニーな文化である。FSDではラッパーの女性に「おまえもいつか妻になる 妻になり母になり、そのあと『なんでお母さんあんなことしていたの』っていわれないように」と向けられたほど、女性はスタンスや地元、これまでのバトルよりもジェンダーをdisに上げられてしまう。
それが問題視され始め、ジェンダーフリーなヒップホップをと少しずつ声が上がり始めたまさにその今、こういう性差別的コンテンツが出て来た意味は、偶然というには出来すぎている。単に商業的にいいフィールドだったとしても悪趣味だ。
ヒプノシスマイクというジャンルが怖いところは、ポップでキャッチーなキャラクターや、「ラップで回復・精神干渉・防御する」というコメディチックでバカバカしい、笑ってしまうような楽しいジャンルとしてパッケージングされているところだ。twitterで検索をかけても、ヒプノシスマイクのミソジニーを指摘している人はいるにはいるがそう多くない。みんな楽しんで考察や二次創作をして盛り上っている。
こういう時、「あなた達皮肉られているかもしれないんだよ!」とファンに言っても無駄だ。女性向けジャンルでソシャゲのトレス疑惑が騒がれた時、ファンは指摘する側を非難して意見を潰そうとした。ましてやはっきりいけないことという訳でもない思想の話、騒ぐ方が野暮だといえば黙って頷かざるを得ない。
けれどここで不快なジャンルは無視しよう、になれないのは、私もまたファンの1人だからだ。好きなキャラクターもいるし、新曲はかっこよかった。投票結果がどうなるのかも楽しみにしてしまっている。ここでとりあえず文字にすることで、あるいは盛り上がりの中心まで届くんじゃないかと思うのだ。
創作物と現実はもちろん違う。しかし、創作物の行間においてこそ現実の常識や意識が反映される。行間を埋める努力が足りないままセンシティブな問題をただ面白みとして利用するのは軽率だ。純粋なファンにしてみればうるさいだけだとしても、世に出した以上、世間の流れと切り離すことは不可能だ。
先程書いたように、ヒップホップはジェンダーフリーを目指すべきだ、という転換期に来ている。勿論、ヒップホップ以外も世間全体が性別に囚われない個人評価の時代になってきている。ヒプノシスマイクが女性が権力を握る社会への単なる下克上ストーリーではなく、ジェンダーで立場が縛られる価値観への一石になることを願ってやまない。