2018-07-27

anond:20180719081025

死ぬ権利とか死ぬ自由とかが認められていない現状だから

命がある人は誰でも生きるのが自明ということになってるけど

死ぬ選択肢がある世の中になると

生きることさえも“選択肢ひとつ”という小さなものになってしま

死ぬ自由があると誰にでも選択肢が突きつけられてしまうわけで

生きたい人まで「べつに生きたくないんだったら生きなくてもいいんだぞ? お前は生きたくて生きてるんだろう? ま、べつに死ねと言ってるワケじゃないけどな」

という問いと隣り合わせで生きる羽目になってしま

>早く死ね圧力をかける人は安楽死がない現在でも存在してる

個人気持ちとして圧力をかけるのと、社会スタンスとして「死んでもかまいません!」と表明するのでは大違い

私も個人的に「ああ、死ねたらいいなあ」と思うときはたまにあるけれど、「死ね社会が望ましいか」といったら、私は嫌だなあ

そのテーマに関する海外事情

『死の自己決定権のゆくえ』著:児玉真美

という本に書いてあるのでおすすめ

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん