はてなキーワード: 市営住宅とは
私が暮らしたかつての家庭は、母子家庭の上に毒親で、なんでこんな人が自分の親なんだろうって思い続けてきた。
小学生、中学生、高校生、大学生、そして社会人になっても、その時々で、この人が早くいなくなってくれればと思い続けてきた。
当時は2DKの団地に親と兄弟の3人で暮らしており、常に喧嘩の声や襖を叩きつける音が響き渡るような修羅の家だった。
子どものことを所有物の如く自分より下に見て、勉強すれば「偉そうに」とけなし、気にくわないことがあると罵り、出てくるまで部屋の扉を叩き続けたり、服をきたまま風呂場で放水するなど、心の平安は無い家だった。汚い靴を履くなと、他に履くものがないのにも関わらずスニーカーを捨てられたりもした。もちろん買ってくれるわけもないので、とても困ったのを覚えている。家族以外に対しても、同僚の悪口を電話で延々と上司に語るような性格の暗さを持っていた。
一方でびっくりするくらいの図々しさも持っており、職場で当時仲良くしていた人が病気で亡くなったときに、その人が乗っていた車を形見だと言って乗り回していたことがあった。後に、遺族の訴えで車は取り返されることになる。
親は時代時代の決め台詞を持っており、小学校中学校は「先生に言うぞ」「友人に言うぞ」。これはお前の本性を先生や友達に言うぞ、ということで、今から考えるとなんてことはないのだけど、当時は泣いて止めた。あと「施設の人が来た」というのもあった。これは孤児院の人が、迎えにくるぞという脅しで、保育園・小学校低学年の私には効果てき面だった。高校に入ると「かっこばっか」、これは思春期特有の髪型を気にしたりする姿を揶揄する言葉だった。付き合う人ができるとまた「向こうの家族に言うぞ」というのが加わった。
一度、親が務める職場で倒れたことがあった。親に安否の電話をかけると、菓子折りを持ってきて職場に謝れと言うので、言われるがまま菓子折りをもって職場の人に渡そうとすると、頑なに断られた。その人の表情からそれは遠慮などではなく、心底嫌われているというのが透けてみえた。親がその職場で何をしてきたか、察し・・という感じであった。その日の帰りは駅でめちゃめちゃ泣いた。
私たち一家は愛人としての身分として暮らした田舎を捨て、職を求めて町に出てきた貧乏一家で、慣れない仕事と生活環境で親には親なりの不満があったのだろうが、「育ててやった」という親の言葉が私を苦しめてきた。確かに、小・中・高と学費と生活費を出してくれたのは親だ。めちゃめちゃ貧しく、毎日の弁当を持つこともままならないような生活ではあったが、その当時は確かに親に支えられてきたのだ。
子供が生まれるちょっと前、私は縁を切った。結婚する前から言動がおかしかったが、子供に与える影響のことや、なにより毒親が自分に与える精神的な負担が大きすぎたため縁を切った。結婚する時に親が吐いた台詞を10年経つ今でも忘れることができない。
「探偵雇って調べたけど、あの家、評判よくないよ。」
絶句した。まさか自分の親がそこまでするとは思っていなかった。しばらく経って、あの時のことは本当かと聞いたら、本当だ、と言っていたので、お金のないなか本当に調べたのだろう。しかし、配偶者の家は両親共に本当にできた家庭であることは名誉のために書いておく。親の思考はとてもわかりやすく、自分の利益になるかならないか、なんだと思う。親は、男を誘うのが上手かったため、その時々で男がおり、その男の前では、「親は子どもの幸せが一番なのよ」と言っていたが、全く信じてはいなかった。
親の決め台詞に「アンタは他人以下」というものがあった。私はここぞとばかりに縁を切り、携帯の番号を着信拒否設定にし、およそ7年が経った。
最近になってよく携帯が鳴るのは気づいていたが、何かのアプリの設定でプッシュ通知がとんできているのかなと思っていたが、違っていた。
ある日、親からの留守電が入っていたため、着信拒否にしていても、着信があると軽くバイブが鳴るということに気がついた。
プッシュ通知だと思っていたものが、めちゃめちゃ電話をかけてきている親の所業だということに気がついた時はちょっとしたホラーだった。
着信拒否にしていても留守電が入るということも初めて知った。留守電の内容は金の無心だった。
7年経過した親の声は本当に親の声かわからないくらいのものであったが、それは親のものだった。
団地の家賃が払えず、市営住宅に移ったと聞くが、そこでもおそらくお金に困っているのだろう。
一人で生きるのにお金がかかるのは前から分かっていたのに、なぜ団地の家賃が払えなくなるほどになるのか。
働いているときにちゃんと貯めたり、厚生年金の中で暮らす生活の術はなかったのか。
罵りまくったせいで子どもも離れ、悪口ばかり吹聴するので友人もおらず頼れる人はいない。
なぜなんだ。なぜ、そんなに雑に生きるのか私には理解できない。
70歳になり、毒親の人生はもはや矯正の効かないところまで来てしまった。
このまま孤独に死んでいくんだろうな、と思う。
知人に、田舎の旧家を買い取って暮していた夫婦がいる。二人はもともと同じ県内の出身で、旦那が職人なので、その旧家に工房を作り、そこでものを作って暮していた。子供達は学校や仕事で家を出ていて、夫婦二人、家の周囲の土地を耕し、最近言うところの半農半Xを実践していたわけだ。
そんなある日。突然の出火で家が全焼した。警察と消防により検証の結果、出火原因は不明とのこと。古い家だったので、彼らが知らないところで電気配線の不備があったのか、老朽化が進んでいたのか。幸いなことに、とにかく凄い田舎だったし、周囲が畑だったこともあり、周囲への延焼は一切なかった。旦那以外は皆家を出ていたところで、家族も含めて怪我ひとつなかったが、飼っていた犬と猫は焼け死んでしまった。家の工房、仕事道具、全てが灰になってしまった。
市の方から最低限の生活物資、それに市営住宅を提供してもらい、そこでとりあえずの生活が始まった。旦那の方はすぐに重機の資格講習に行き、合格してすぐに家の片付けを始めた。友達の手伝いもあって、二か月程で、家の土地を更地に戻しおおせたから大したものだ。しっかり火災保険もかけており、周辺の町に丁度同じような古民家を探し当て、保険金を充当して購入の手続きも済ませた。片付けも全て終えたわけで、彼らは早くも生活を回復させるフェーズに入っている。
私は彼らから離れた土地に住んでいて、今回の件ではろくに手伝いをすることもできず、申し訳ない思いで一杯だったのだが、ようやく時間を作って、この間話をしていた。そのときにふとこう聞いたのだった。
私:「そう言えば、近所の人にも色々と手伝ってもらったんじゃないの」
すると、ちょっとの間を置いて、こういう答が返ってきた。
旦那:「いや、何も」
私:「え」
旦那:「何も……手伝ってもらってない」
聞くと、見舞いの挨拶にも来ないし、彼らと友人達が片付けの作業をやっている時にも、何一つ手を貸してくれることもなかったという。
私が言うのも変な話だが、彼らは極めて外交的な人達である。何事にも無精な、その癖神経質なこの私と未だに付き合いがあるのだから、それはもう確かな話だ。その彼らに、何一つ手を貸さなかった、とは。
私は彼らに言った。
私:「ねえ、村八分って知ってる」
旦那:「昔のアレだよね」
私:「そう。あれさ、要するにシカトするわけだけど、それも十分のうちの八分で、残り二分は例外だというわけ」
旦那:「へえ。その残りって何なの」
私:「葬式は……手伝わないと遺体が腐るし、疫病のもとになったりしたら大変だから。火事は、当然だけど類焼する危険があるから」
つまり、彼らはその辺りでは「村八分未満」の扱いを受けていたことになる。
私:「何か、トラブルとかあったの」
旦那:「いや、何も……でもね、田舎だから。住むようになって、何やかにやで二十年以上経ったわけだけど、最初っから今までずっとこんな感じ」
彼らにとっては、この地を出ることができたのは、むしろ良かったのかもしれないなあ、と思ったのだった。
世間ではよくUターンだIターンだ、田舎に住んで……みたいな話がある。自治体も援助しているところが結構あるわけだが、このような状況を変えられなければ、そういうことも進まないだろうなあ、と実感した。私はこのとき、夫人が新居の手付金をおろしに郵便局に行こうとしたとき、旦那が夫人にかけた言葉が忘れられない。
旦那:「近所の局ではおろすな。町の方の大きなところまで行ってきてな」
旦那は私に向き直り、こういうこともすぐ話が伝わって、あそこの家は大金が入って……とか勘繰られるのよ、何だろうなあ、こっちは何もかも丸焼けになってるのにさあ、と言い、寂しそうに笑った。
【追記】
何か読み取れない人がいるようなので、発言者を明示しました。あと、
(1) 火事の後の片付けには、連日、彼らの知人達がたくさん来てくれました。逆にいうと、私が書いた外交的というのはそういうこと。ただ人当たりがいいだけとかいう人達ではないわけです。しかし、近所の人は誰一人来なかったそうです。
(2) 彼らの子供達はこの辺りで育ったわけですが、近所の人達は子供に対しては普通に接していたそうです。つまり、子供はここで育ったからここの者、だけど親達は余所者、そういうことらしいです。
(3) 彼らが子供を外に出したのは、この気風に染まってもらいたくなかったというのもあったそうです。
先日貯金はたいてクソ田舎から引っ越してきたのでマジで貯金ゼロ。子どもの進学資金貯めるために爪に火をともす生活しているけど田舎にいたときより大分マシになった。
単純に転職を考えた時、当時住んでいたところだと大体似たような雇用条件に残業時間、残業代や有給という概念が存在しないところばかりだったので、そら若い人が居着く訳ないよなと引っ越してきて思った。
普通の家ってなんだろう。
私は自分の家を普通の家だと思っていた。むしろ、大学まで行かせてもらって、その上生活費も出してもらっていたのだから、すごくいい家庭である。憎まれるほどいい家庭だ。
子供に暴力をふるうことはなかったが、父は母を叩いて殴って蹴って踏んで罵倒していた。母は金切り声の叫び声をあげてわんわん泣いていた。物心ついたときから家はこの状態だった。
記憶してるなかで一番はじめの夫婦喧嘩は、3歳くらいの、まだ市営住宅に住んでいたときだ。
夜遅く、母は洗濯物を畳んでいて、私は母のそばでテレビを見ていたと思う。車の音がして父が帰ってきた。母が玄関まで鍵を開けに行くと、酔っ払った父が家の中に入ってきた。私はなぜかすぐにコタツの中に潜って隠れた。父と顔を合わせたくなかったんだと思う。あと、酔っ払うと絶対に喧嘩になることを知っていたからかもしれない。私は真っ暗なコタツの中で息をひそめていた。しだいに口論になっていくと、突然父が怒鳴り声を上げる。いつもここでびっくりしてしまう。本当に突然大きな声で怒鳴るのだ。そしてバシッと叩く音が聞こえる。何度も叩く。母はその度に「もう!やめて!やめてよ!!」と甲高い声で泣きながら叫ぶ。ドカドカと殴る音になると「やめてーーーー!」と母の絶叫が聞こえる。私はコタツの中でずっと震えていた。隠れているのが見つかったら私も同じ目にあってしまうと思っていた。喧嘩が終わると、まだ興奮がおさまっていない父の口から漏れるシーシーという息と、母のすすり泣く声に変わる。怒鳴り声か金切り声はだんだん慣れていくが、すすり泣きの声だけはいつまで経っても心臓がぎゅっと掴まれるような痛みを感じる。
両親はほとんど毎日喧嘩していた。父がいない日は心からホッとした。母が私を寝かしつけたあとに父が酔っ払って帰ってくると、ドスドスという足音とひどい喧嘩で起こされた。それでも布団にもぐって怯えながら寝たフリを続けなければならなかった。母をかばったことは、たぶんなかった。
次に記憶があるのは、小学校の高学年のときだと思う。父は自営業を始め、母は事務を手伝っていた。工場に隣接されるように建てた一軒家には自分の部屋がつくられた。
仕事は忙しく、夕飯はいつも11時くらいに食べていた。共に自営業を始めたことで、喧嘩のレパートリーが増える。母も気が強い方なので、父に対して仕事の意見を言うが、父は「口出すな」「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」「黙っとけ」と応戦する。「くらすぞ!!」と拳を振り上げ、しだいに喧嘩はヒートアップする。プロポーズだと笑われてる九州の方言だけど、聞くと少し複雑になる聞きなれた言葉。
また始まった...と呆れながらテレビを見続けた。うしろで行われる喧嘩が聞こえてないようにじっとテレビを楽しむふりをしていた。怒鳴り声で音なんか聞こえないのに、ずっとその場に固まったままテレビを見続けた。喧嘩が始まると、その場から動いちゃいけないという気になるのだ。トイレに行きたくても、立ったその瞬間に「聞こえてません知りません」のフリは解けてしまうと思っていた。自分の部屋に戻りたかったけど、その場から逃げることはなんだか卑怯だと思っていた。母を助けないくせに。
怒鳴りながら暴力をふるう父と、泣きながらやめていたいと泣き叫ぶ母と、テレビから目を離さない子供。今考えると異常な光景だった。すぐうしろで母が泣き叫んでるというのに、見ないふりをしていた。
その日はなかなか喧嘩がおさまらなくて、近所迷惑だなと呑気に考えていた。その時、怒り狂った父がとうとう台所から包丁を持ってきた。この時の光景はずっと忘れないと思う。父は「ころすぞ!」と怒鳴りながら泣きじゃくる母に向けて包丁を何度も振りかざすまねをしていた。母がその時やめてと叫んでいたのか、刺せばいいでしょと反抗していたのかはもう覚えていないけど、ただ包丁を母に向ける父の姿から目が離せなかった。
頭の中で「終わった...」と考えていた。父が母を殺して、両親をどっちも失うことになって、どうやって暮らしていけばいいんだとまで考えていた。その喧嘩はなんとか父が冷静を取り戻して終わったが、ずっとこの喧嘩のことは忘れないだろう。
父は交友関係が広い人だった。外に出ると、何度も友人や知人に明るく挨拶をする姿を目にする。外での父はとてもいい人だった。明るくて面白くて輪の中心にいるような人だ。私に対しても優しくて少し甘い普通の父親だった。だからこそ、その二面性がこわくて気持ち悪かった。
父の友人は私に「いいお父さんでしょ?」とにこにこしながら聞いてくる。私はいつもなんと言っていいかわからなかった。
やがて反抗期に入った私は父とまったくしゃべらなくなっていた。そこまでは良い。よくあることだ。しかし、私は母に対してひどい態度をとるようになってしまった。母を小バカにするような口はまるで父のようだった。私の中で無意識に「母にはひどい態度をとっていい」という意識が生まれていた。今考えると、父の母に対する態度の影響が出ていた。
大学に入って地元を離れることになった。簡単には両親と会えない距離だ。そこで私は一人暮らしのあまりの快適さに感動してしまう。怒鳴り声も暴力もない、近所迷惑も考えなくて良い生活は本当に心地よいものだった。
そして、両親が今まで不自由なく育ててくれたことに自然と感謝できるようになった。夫婦喧嘩の記憶もだんだんと忘れていった。
でも、正月や盆に帰るたびに夫婦喧嘩は日常的に行われていた。私は理由をつけて帰らないようになっていった。
大学にいる間、たびたび友人間で両親の話題をするようになる。もちろん良い部分だけを話した。そうすると友人の中でうちの両親のイメージは「優しくて天然なお母さん」「面白くてちょっと寂しがり屋なお父さん」という理想的な両親になる。私も誇らしかった。「私の両親は良い人なんだ」と思うことができた。久しぶりに帰ると、そのイメージは壊され、やるせなかった。
うちは普通の家庭である、と思っていた。喧嘩が少し多いだけの、普通の家庭だ。でも、親元を離れて暮らす中で、あれは普通ではなかったかもしれないと気づいていく。夫婦喧嘩で包丁は振らないし、「誰のおかげで生活できてると思ってんだ」なんて言葉は出てこないらしい。
大学を卒業して地元に戻ってきた私は、いまだ喧嘩を続ける両親に向かって言った。「夫婦喧嘩がほんとに嫌だった、辛かった。喧嘩するのもうやめてほしい」と伝えた。父は笑って「どこの家もこんなもん。だいたい喧嘩じゃなくてじゃれてるだけ」と言った。情けなくて、もう何も言いたくなくなった。
夫婦喧嘩について調べていく中で、「面前DV」という言葉があることを知った。直接子供に暴力を向けなくても、夫婦喧嘩で子供に精神的DVを与えるというものだ。たしかに辛かったが、私はあんまり精神的DVを受けたとは思っていない。なぜならいつも知らないふりをしていたからだ。母がどんなに泣き叫んでも庇わなかった。でも面前DVを受けたという話の子供はほとんど母を庇っていた。怖かったとはいえ、自分が情けなくてたまらなかった。
今では大人になり、父の言い分も母の言い分も理解できるようになった。仲裁に入るようになった。ずっと離れていたためか、暴力をふるう姿はあまり目の当たりにすることはなくなった。母方の祖父と共に暮らしているため、怒鳴り合いだけに抑えているのかもしれない。職場では、従業員の前でも怒鳴り合いの喧嘩をしている。人のいないところでまだ暴力をふるってるのかもしれない。
そういえば、病気で目が見えづらくなってきたのに配達に行かせるのよ、と母にこの前愚痴られた。なんでもないただの愚痴のように言われた。一歩間違えば事故を起こすというのに、「父は昔からそんな人だったのか」と改めてショックを受けた。
仲裁をしていく中で、私の意見なら父はちゃんと聞いてくれるということがわかった。母も「あなたの言うことならちゃんと聞く耳持つのよ」「あなたから言ってよ」と言うようになった。
私が言わなければならないということはわかっているし、母を庇おうとしなかった負い目もあるため私から話をすることが増えた。しかし口論になって、怒りを滲ませた父の表情を見ると、恐ろしいと思ってしまう。白目のところが赤くなっていくのだ。次には拳が飛んでくるのではないかという考えがよぎる。
離れたら穏やかに暮らせると思う。だけど、私がいない間の両親の喧嘩を想像すると苦しい。いつかどちらかが殺してしまうのではないかとずっと思っている。
私に対しては優しい父への接し方がいまだにわからない。
デレステでは無料10連が始まりましたね。さっそく引きました。フェス限SSR本田未央が出ました。
恒常SSR本田未央も持っていたので、本田未央は自分にとって初のSSR二枚持ちアイドルになりました。
しかし使う気にも育てる気にもなりません。
パッション属性のSSRはまだ合計7体程度、捨てるなんてもったいなくレベルも親愛度もMAXにしておいて損はないはずです。
しかしなかなか育ちません。恒常SSRの親愛度もまだ二桁に留まっています。
なぜかというと、本田未央のツラをプレイ中に見ることが苦痛だからです。
トリオやデュオ曲の隅っこに配置してお零れを与えるのが精一杯の状況のためさっぱり育ちません。
本田未央が自分のプロデュース対象になっていることが非常に不快でなりません。
そんな状態をいつまでも続けているとシンデレラガールズ自体嫌いになりそうなので、SSRが二枚も来てしまったこの機になぜこんなに本田未央が厭なのか考えてみました。
アニメです。
アニメで本田未央の魅力をどこにもみつけられなかったことです。
アニメまで、自分は本田未央がどういうアイドルなのかまるで知りませんでした。
アイドルマスターの番組はよく見ていたので、むしろ声を当てている原紗友里女史こそ面白い方として認識しており、その担当アイドルであり、パッション属性である。その程度の知識でした。
そんなモブ同然の理解だったCパートでぽっと出のアイドルが、狂言回しを担い、話を乱し、背中を押す。
非常な違和感を感じつつも、そのうち本田未央の個性や魅力が描かれるだろうと冷静に視聴を続けました。
アニメで本田未央の苦悩は描かれました。本田未央のリーダーシップも描かれました。
ネットの感想を読んでいく中で、ナイスバディが魅力であるらしいことは理解できました。
そこだけでした。
アニメ終了後の自分の中の本田未央は、自信過剰が治ることなく場違いな場所に居座り続け身勝手に自分の幸せを追い続ける市営住宅育ちの取り立てて華のないマイルドヤンキーでした。
まあ、人の好みはそれぞれです。
鷺沢文香も大槻唯も正直大して興味はありませんでしたが、SSRが来て触れ合っていくうちに魅力が理解できましたし、今は愛用しています。
でも本田未央はだめでした。SSRの二枚目が来てしまったとき、一枚目のSSRが一ミリも好感度上昇に貢献していないことに否が応でも気付かされました。
そして考えました。
良い家に生まれ気品よく育った「貴種」の娘が、父親の過ちで労働階級に落とされるも、王子に発見されて幸せな結末を迎える。
シンデレラとして見出される為には、「貴種」である必要があるのです。
アイドルマスターシンデレラガールズでは、その要素を表現する手段として「本人が知らない魅力」を用いています。
しかし自分の理解する本田未央は身の程知らずで自信過剰の万能感の塊です。
なにを実現しても、本田未央の知らなかった本田未央の魅力を引き出すことはできません。
そんな子が自分のプロダクションにいては場が乱れる。一体感が得られない。空気が読めない。
表現はなんでも良いですが、とにかく「自分の空間から排除したい」と思うようになりました。
これがどういうことかご理解できるでしょうか。
そうです。差別です。
理由は自分の思うアイドルマスターシンデレラガールズの世界に相応しいとは思えないから。
さて、差別という受けた教育によっては思考停止を余儀なくされるようなワードに考え至っても、自分はこの姿勢を無理に糺す必要は無いと思っています。
なぜなら、自分のプレイするデレステの世界は、自分だけのものだからです。
そして人の好みはそれぞれです。
しかし、LIVE PARTYで、イベントストーリーで、アニメで、ライブで、街頭広告で、本田未央が現れるのは当たり前のことなのです。
自分が嫌っている事実と、外の世界に本田未央がいる事実は両立しうるのです。
今後本田未央をこの中には入れない。
これは差別ですが、他人の介在しない世界で続ける限り精神衛生上必要なものです。
おいおい、途中から僕のカキコに対する話じゃなくて自分語りになってるぞ?
自分語りしたいなら別で書こうや。文才無さそうだけどw
結婚してて子持ちでさえあれば底辺ではないという認識をされているようですが、その認識は田舎的、あるいは昭和的価値観だと言わざるをえません。
どこをどう読んだらそのような認識になるのか教えてほしいですね。
子供は9割方諦める、万が一出来てもダブルワークなら1人は何とかなると書いています。
結婚してても底辺は底辺ですが、健常者が結婚してダブルワーク前提なら、日本では底辺にはなりようが有りませんという話です。
貧しい女性が生活保護で暮らせなくなる確率と、今から焦って結婚してクソ男を捕まえてしまい、結果的に離婚する確率、どっちが高いかなというと後者ではないかと。
何かご自身と重ねていらっしゃるご様子ですが、焦れとも書いていませんし、低収入男とは書いてもクソ男とは書いていません(むしろクソ男は避けるべきと書いている)
何か男関係で酷い目にあった事でも有りそうな書きっぷりですね。
そして生活保護は間違いなく削減されますよ。まぁ配給制フードチケットあたりに落ち着くかと思われますが、住居の自由は無くなると考えた方が良いでしょうね。
築50年以上の市営住宅や、廃校になった校舎で集団生活したいならお好きにどうぞ。
はてなの貧乏人って、日本は良くない、アベ政治を許さない的な言説が多いけど、日本の福祉に対しては絶対に切り下げが無いと宗教的な信仰心を持ってるよね。
良くない国の独裁的(と自分で言ってる)政権が、福祉を切り下げないと信じられるなら、相当おめでたいですね。
向こう10~20年で間違いなく福祉は切り下げられて、多数の老人が死にますよ。財政が持たないので、これは確定事項です。
人間というのは、「経済的に明確に有利」とわかってる場合でも、
「よく知らない」「めんどくさいから」と言う理由で、有利な選択肢に乗り換えないケースが、
案外あるんじゃないか、と思う。
例1
クレジットカード経由支払いの方がポイント貯まって経済的に有利なのに、「カード申込がめんどくさい」と現金払いを続ける人がいる。
そもそも、「カード払いの方がポイントが貯まって(現金払いより)有利」という基本的な事実すら、
「そもそも知らない」老人も多いんじゃないか?
例2
大阪市の市営住宅って、平野区辺りで徒歩15分程度だと、内風呂なしだが1万円台のがあるらしい。しかも結構空室あるそうだ。
大阪市が年齢制限や保証人制限見直せば、大阪に関する限りは脱法ハウス問題は解決する。
案外、首都圏の築古不便公営住宅なら安くて空きがあるんじゃないか?
役所側も制限規定廃止が望まれるが、脱法ハウス入居者側(ワーキングプア)も、
そういう行政サービスの広報、啓蒙を「知ろうとしない」「見てもスルーしちゃう」というメンタリティな気がする
以前立ち寄ったネットカフェに、やたら自己啓発書籍ばかりあったが、そんなクソ役に立たない本置くよりも、
公営住宅の案内を置くべきだが、そんなことしたらネカフェの「お得意様」が減っちゃうんだろう。
住宅難民向けに公的機関が用意してる各種メニューを、そもそも知らなかったり、「どうせ自分は対象外」と決め付けて無視したりしてる。
例3
最新の省エネ家電の経済メリット、白熱灯→LEDの経済メリットとか、
経産省やヤマダ電機は「啓蒙し尽くしてる」と思ってるが、高齢者とか、全く知らなかったりする。
こういうところを啓蒙工学でリーチするだけでも、結構省エネ化が進んだりする
例4
阪神大震災の時、国道43号線沿に持ってた家が被災した人に(不動産屋の自分は)住宅営業した。
その際、幹線道路沿いの土地を神戸市(国かも知れない)が買い上げる制度を自分が調べ上げたら、
「知らなかった」と喜ばれ、成約になった。
案外、「役所の使える制度」は住民に知られていないんだな、と感じた。
例5
マンションの管理組合単位で電力を購入し、それを各戸で配分する「高圧一括受電」というサービスがある。
大口電力単価と小口電力単価の差分だけ、消費者は「トク」するんだが、
そのためには管理組合の決議&個々の電力契約の切替という事務作業が伴う。
各戸には「経済的に確実にメリットある」スキームなんだが、一定比率で決議に反対したり、切替契約にハンコ押さない人が現れ、
一括受電会社が苦労している。
で、高圧一括受電導入にハンコ押さない人が、確固たる理由で反対しているのならまだしも、
その多くは「めんどくさい」とか「なんとなく」とか、脱力する理由なケースが大多数らしい。
やったー!
婚約した!
婚活サイトで知り合った人ととりあえずお茶でも、とお話してみたり、
で、結果、ずっと地元グループで仲の良かった男友達から結婚を前提にしたお付き合いの申し込みをされて
(私が、結婚しない人とはお付き合いしたくないとずっとブーブー吹聴してたので)、
OKしたのが去年の夏。
最初は男友達と恋愛関係にあるというのが自分の仲で不思議な感覚で、
いちゃいちゃすることに抵抗があったり、なんやかんやあった。
お互いの友人関係はほぼ繋がっているので、大勢で遊ぶ時も一緒だった。
婚約するに至りました。
婚活婚活行っていたときは、多少なりとも稼いでいる人を!と分相応にもギラついていたし、
スーツを着る仕事の人がいい!とかちょっとおしゃれで色々な遊びを知ってる人!とかお前何様だよという条件があったように思う。
彼は、顔も体も全然好みではない。
お金もそんなにない。
でも人のために泣けて、共感能力が高くて、意見が食い違ったらお互いに譲り合って妥協点を見つけられるし、
仕事には真面目だし、ゲームや漫画ももちろん同い年なのでネタが通じるから会話も楽しいし。
元々友達の時は、「いい子だなあ。いい女の子見つけてあげたいなあ」とお見合いおばちゃんよろしく思ったりしていた。
それが何を間違ったのか私に結婚前提でお付き合いを申し込んできた。
付き合って、今まで知らない部分や拘りも見えてきたけど、
こんなことばかり言ってるけど、ちゃんと彼のことは好きですよ。
女って、メロメロになってるときでもその自分を俯瞰してる自分が「条件に見合ってるか?」とか何とか言ってたりするものだと思う。
ただ、夢見るばかりじゃいられないので、きちんと判断しないと、と思って出てきた、以下彼の結婚に向いているいいところ。
・共有できる趣味がある。
・読んできたものや観てきたものが年代的に同じなので、ネタが通じる。(これまでかなり年齢の離れている人とばかりお付き合いしていたので)
・男の人と行く買い物はつまらないもの(男の人がつまらなそうにしてる経験ばかりだった)だと思っていたが、何かすごい楽しい。
・素直なので、この服着てほしいなというと着る。
・お互いの両親の感じが似ていて、経済的・家の格的にも同じくらいなこと。(下の中くらい)
(縁起を気にするだけで、拝んだりとかはしない。そもそも仏壇がない。私の周りは学会二世がとても多いが、うちも彼実家もただの仏教。)
・安いものでも楽しめる。贅沢や見栄を張ることが苦手。
・私はすぐパニックになる質であるのに対して。彼はいつも冷静を心がけてる。
ローンは彼の名義らしく、頭金も大分払ったらしい。家賃も入れている。
で、最近、新居をどこにしようかと悩んでいたところ、(私の家を立てなおしてマスオさんでもいいかという話も出ていた)
そのマンションを新居にしてもいいかな?とあちらのお母さんに話したらしい。
お父さんお母さんは市営住宅だか県営住宅だかに空きを探してもらって…と。
あちらのお母さんは二つ返事でいーよーと答え、なんか、とりあえず新居が決定した。
すごい。よく言った。
とりあえずあのマンションは立地が良い。
駅まで徒歩五分だし、近くに24時間営業のスーパーがあるし、その中に百均もあるし、
大きめの公園が真横にあるし、バス停も郵便局も銀行も通っている病院も近い。
マンションのすぐ下には内科小児科が入っているから、この先子どもが出来ても公園に連れて行ったり病院に行ったりが凄く楽だ。
何より私の実家まで車で五分って、すごい。
実家でも猫を飼っていて、離れるのが寂しい気持ちが一気に新猫とったどー!とウキウキに変わった。
遊びに行っている現在、かなり噛まれているが実家の猫にも殺すか?な勢いで噛まれているので全然余裕だ。
なあに、かえって免疫がつく。
あと、彼は私が初めての彼女なので、誰とも比べられない。
元カノの方が良かったなあなんて比べられたらやっぱり悲しい。
ずっと在宅の仕事をしたかったのだが、とりあえず社会経験を積まねばと入った会社も、
辞めて専業主婦になってくれていいと言ってくれた。
稼ぎが少ないと詰られることがなければいいよ、と笑っていた。
(貧乏でも、好きなことを在宅でさせてもらえるって本当にありがたい。
ちょっと話は飛ぶが、私の母も専業主婦で、もちろん父への労いは欠かさない。いつでも一歩ひいて、父をうまくヨイショしている。
サラリーマン川柳などで、妻と娘がお父さんを蔑ろにする句が多くあった。
うちの家では絶対にありえないことだ。
たぶん私は自分の実家をモデルに、彼をヨイショして快く働いてもらう。
もし子どもが生まれたら、私はその子らに、父親を尊敬できるように育てるだろう。)
たまたま好きになってもらえて、そしたらまるで誂えたかのように結婚に向いていた。
フィットしてた。
何を言いたいかって言うと…
しあわせはとっても身近に転がっていたのだねー、ということ。
私は婚活市場から降りて、私ってこんなもんだよな、と思っていたら、
鴨がネギしょってやってきた。
ただのしあわせ自慢でした。
ulogは魚拓取らさないようにしてあるようだ。取れなかったので画像にしたが、ここも保存リンク用
画像はこれ http://kie.nu/1yo http://kie.nu/1yp http://kie.nu/1yq http://kie.nu/1yr http://kie.nu/1ys
Ulogで、ほんの少しやり取りした時は、ギークハウス関係者とは知らなかった。
人を精神病認定しつつ、チャットしたがる心理って、一体どういう心理なんだろう? それこそ正気を疑ってしまう。
http://togetter.com/li/208070 見られない時は保存用→ http://backupurl.com/uprs1n
この人が書いている道路拡張工事は、とっくに終わっている。 人に聞いたように書いているが、「「嘘」」だと思う。 google earth や map の画像がまだ工事中だからではないか? 人に聞いたらわかる事なのに。。。 こんな風に平気で、嘘や思い付きを確定した事実のように語っている。
失敗例です。何かしたいと考えている方の参考になれば(良い案あれば教えて下さい)。
既に福祉医療法律の知識がある方にとっては失笑モノかもしれませんがなんで黙って見てるんですか><
病院いけといっても行かない方をどうにかする施設は、無料法律相談所への連絡では見つからなかった。これがあれば解決すると思うのですが。。
目次
・感想(何の足しにもならないよ)
AtoMa
Re:する
精神障害者であることを前提に調べた。無料法律相談所へ連絡した。
■やったこと
・現地の人にネットで話して現場付近の事情を聞いた。無料法律相談所へのメールして対応することになる機関特定した。
■結論になる選択肢
・今、障害者手帳などをお持ちの場合、障害者世帯向公営住宅入居斡旋の制度があるので、瑞穂区役所で相談する。
・お持ちでない場合、まずは病院で診断を受けて下さい。病院のソーシャルワーカーさんに相談してみてはどうでしょう。
AtoMa
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名古屋市精神保健福祉センターに話を聞いた時の内容まとめ
目次に入れ忘れた。。
■名古屋市精神保健福祉センターに話を聞いた時の内容まとめ(録音はしてないです)
・保健所では診断を受けることはできないので第一にこちらに来られても、手帳がない場合は何も出来ない。
・何かの福祉的援助受けるには手帳が必要。病院で診断受けて下さい。
AtoMa
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■背景:現在瑞穂区では、道路拡張工事を行なっておりそのために立ち退きを命じられている人が居る(らしい・現地の人に聞いた話です)
■困っている人:その立ち退きを命じられている人で、何らかの障害を患っている疑いがあり、うまく対処できず不安があるようでインターネットで助けを求めている
■相談者(私):困っている人の話を聴いたので、対応できる公的機関などを探して連絡しようとしている。
私が、困っている人の話しをざっと聴いて、さらに現地の人の話しを伺って事実関係のあるところの確認(工事していること)と、通常の対応はどうなるかを調べましたが素人ができることにも限界があると思いますので、あとは専門家の力をお借りしたいと思い相談します。
住宅の立ち退きを受けた場合は、親族などに連絡して済めば良いと思いますが、困っている人は嫌がって、立ち退かなければならないアパートに居座っている様子です。
現在、困っている人はここ数ヶ月に起こった立退き関係や、家族との関係に満足が行かない様子でインターネットに情報を載せて、あっちこっちで助けを求める活動をしています。
時間に余裕がありましたら、その方が運営してるブログを読んで状況を把握してください。(ただし、大変読みにくく、解析に時間がかかります。)
参考URL http://d.hatena.ne.jp/oooquree/about
■わたしが考える対処の流れ(素人がひねり出したものですので、最適ルートの最検討をお願いしたいです。。)
1)統合失調などの疑いがある人を説得するような専門のNPOなどがあれば、そこに要請し、困っている人に精神病を患ってることの診断書を受け取るよう説得する。
2)診断書があれば、家を失った場合でも入ることができる施設がある?(すみませんがそこまでは調べていません)と思われるので丁寧に誘導する。
困っている方が早く安心できて、インターネットで迷惑書き込みを続けるのをやめる一番良い方法を探しています。
対応すべき期限などの詳しい情報までは分かりません。相談者の私はどこを調べればよいのか分からないので、できれば専門家の方に対処をお願いしたいと思う次第です。
AtoMa
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この度は、「名古屋おしえてダイヤル」にお問合せいただき、ありがとうございます。
以下の通り、回答をさせていただきます。
精神障害者の方を対象とした関係施設には、
社会福祉法人や医療法人等の設置する施設に入所又は通所し、社会復帰に向け各種の訓練を行っている施設、
地域社会において自立した生活を営むための居住の場を提供し、世話人が日常生活における援助を行っている精神障害者のグループホームなどあります。
また、市営住宅家賃・敷金の減額の制度や障害者世帯向公営住宅入居斡旋の制度などがあります。
お問い合わせのメールによりますと、「統合失調などの疑いがある人」と記載されていますが、まずは、お住まいの区の瑞穂保健所または精神保健福祉センターにご相談ください。
○各区の保健所において、週1回、予約制にて精神科嘱託医による精神保健福祉相談日を設けています。
また、随時、精神保健福祉相談員、保健師等が相談・訪問指導を行っています。
○精神保健福祉センターここらぼにおいて、予約制にて思春期の精神保健相談、ひきこもり相談、高齢期の心の健康相談、薬物リハビリテーション相談、自死遺族相談などをはじめとする精神保健福祉相談を行っています。
相談日の日時などについての詳細は、瑞穂保健所または精神保健福祉センターへ直接お問合せください。
≪ 問合せ先≫
【瑞穂区保健所保健予防課保健感染症係】電話番号 **********
【名古屋市精神保健福祉センターここらぼ相談援助係】電話番号 **********)
問合せ応対時間は、土・日・祝及び12月29日~1月3日を除く、午前8時45分から午後5時15分まで
※プライバシー保護の観点から電子メールによる相談は受付けておりません。
またのご利用をお待ち致しております。
AtoMa
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感想(何の足しにもならないよ)
わたしにあらゆるルートあたる力は無いので、今できることはここまでです。
あとはどうなるのか?病院行きは嫌がっているようなので、後は強制退去待ち?不明。誰か教えて!
長文メディア上では、説得には逃げ道を用意しない・意味をその都度確認できる環境などの条件が最低限整わないとと思うので、説得は無理と素人でも思いました。
他この件で、わたしがひと通りやった路線で調べようとしてる人を見かけたら、ここの内容を提示すると良いかもしれません。
以上です。違う路線で調べる力をお持ちの方の意見あれば聴いてみたいです。
わたしは名誉毀損っぽい発言受けたしそれを活用できる案でもあったら使って下さい(ただしわたしが損する案はいやだ)。
渦中の人には関わりたくないけど私へは文句言えるみたいな人とかも書き込んだって下さい誰かの参考になるかも。
わたしは福祉系医療系法律系の知識が薄いので言いたい放題できるでしょう。
あとこれ最後に
わたしの立場はボランティアです。そこのところよろしく。この件でこれ以上何ができるか検討付きませんし一生懸命調べる余裕無いです。
掲示板くらいは作れるので必要になったら呼んで下さいな程度です。ここもだいぶ前作った階層型掲示板が使えると思って活用してるだけです。
以上です。
AtoMa
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© AtoMa製 TreeBBS Ver0.2.2
自分の中で、今まで書いて整理できなかったものとして、「部落」というものがある。
部落っていうと関西のイメージが強くて、有力者なんかだと食肉業界で成功したりしている、みたいな感じなんだけど、それとうちの近所の部落との整合が取れないなあ、と。多分東北とかまで行くとあまり部落ってイメージもなくなっていて、松本大臣VS地元メディア、みたいなこともあったのかなあ、と思う。
あと、田舎。割と構成員が変わらないってのがあった。そのへんが世間一般の感じてるものと自分の感じてるものが違うなあって思った。
自分の地区の隣の地区が、行政的にそういう位置付けのところである、ってのを、まあ成人するかしないかぐらいのところで知るわけです。行政的に、っていうのは隣保館とかがあったり、区画整理がされてこのへんじゃ珍しい2車線道路が走ってたり、地区に入るところに信号や横断歩道がついていたり、市営住宅がたくさんあったりするってことなんですけどね。
自分ちのそばに解同の事務所なんかがあることなんか知らずに育つわけですよね。
でも、その地区が特殊な地区であることは知っている。うちの隣のその地区は食肉とか皮革とかではあんまりなかったみたい。あとでちょっと調べたけど、民間陰陽師とかそういうこともあったらしい。まあどういう区別なのかよくわかんないけど。
で、部落の歴史としては、全国的なことなのか、農地を持っていなかったり小作していなかったりする人たちなので、戦後困窮したらしい(民間陰陽師も禁止されたとか)。卵が先か鶏が先か、って話だけど、その地区は生活レベルが周囲より下がってしまった。そういう歴史はもちろん僕らは知らなかったが、その地区の子たちの学校での勉強が芳しくなかったのは体感している。(ちなみにその地区は土建と自営が多く、他の地区は農家と勤め人が多かった印象)
これもあとから知った話で、というか母が小学校教諭として自分の通っている学校に勤めていたことがあったのだが、ここに赴任する前にそういうレクチャーを受けるらしい。そして全校100~200人程度の過疎の小学校なのだが、質の高い教師が選ばれていたらしい。そんな恩恵を知らずに受けていたのだが。そういうわけで、僕も利権の中の人と言える面はある。
そういうわけで、母曰く、僕らはかなり大きく同和(人権?)教育を受けていたらしいのだが、子ども心に全然覚えがないんだな。部落という地区があっても、そんな地区がどこにあるのか知らないのだもの(隣にあったのに)。「出自によって差別するのはよくないね」「はーい」なんて言ってたのかどうか、今考えると靴の上から足の裏を掻くようなもんで、具体的にその地区のことを説明せずに、よくそういう教育ができたもんだ、と思うが、その地区の人もその地区じゃない人も同じようにその教育を受けていたようだ。
で、そういう部落とは知らないその地区に対して、かなり年配の大人(祖父母など)は「そこへ行ってはいかん」「その地区の人と遊ぶな」という教育をしてきましたね。で、噂としては「狂犬病の犬が放し飼いにしてある」「おかしな人が追いかけてくる」などの噂があって、怖がりな僕はほとんどその地区に入っていません。いわゆる級友、クラスメートとしては全く違いはないので、その地区にも友達はいて、何かしらの努力をしてその地区に立ち入ったことはあります。友達関係としては至って普通でした。
その地区は学校の成績としては低かった体感があり、その地区の中でつるんでいるグループがあって、ちょっと荒い印象はありました。
いまさら親と同和について話を聞いたりするようになったんですが、難しい話ですよね。その地区は土木工事的にはお金がつぎ込まれて、ハコモノもできて、小学校には優秀な教師が送られていたはずが、昭和末期から平成にかけても、教育水準の体感に差があった。学校にいる子どもたちは、同和や部落のことは何も知らないし、知ることがいいこととは思わないが、もしそこに格差があっても、打てる手は少ない。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20110816220206
というエントリを読んで感じたんですが、もともと地域の水準って、モザイク状なんですよね。うちのあたりは全体的に遅れた地域ではあったんですが、やっぱりその地区と他の地区では成績の体感に差があった。これってどこにでもある話だけど、どこにでもはない話とも言えると思う。
ついでながらの無駄話をしておくと、今でも市単位で、人権講演なんかがあったりして、同和行政は終わってても、どこかでそういう予算がついているみたい。で、関西四国あたりの人に喋ってもらってるらしいんだけど、何か違うと思うんだよな。
http://www.asahi.com/national/update/0317/OSK201103160089.html
しょうがないから、僕はネットで安全な西日本などへの「疎開」を呼びかけている。とりあえず、妊婦や幼児や病人、児童生徒たちは、用がなければ被災地と救援の活動拠点となる都市部を避けた方がいい。
政府は可能な人には「疎開」を呼びかけるべきだろう。東北・関東から100万でも200万でも人口が少なくなれば、資源への負荷も軽くなり、救援の資材や人員の搬送も円滑になる。
100万人をどうやって運ぶのか、どこに住まわすのか、親と子供が離れると言うこと、それぞれその現実的な姿を想像したことがあるのだろうか。
その上で、お友達の『大阪市長が市営住宅500戸を提供する』と。
500戸に何人住めるか知ってるんだろうか。
ほんと、冷静に考えろよ。