はてなキーワード: 公序良俗とは
昭和から平成の前半では、ポルノグラフィー・猥褻物への禁止圧力は主に保守系の政治運動と結びついてて、左翼側はそういう禁止圧力の緩和やポルノ開放みたいな要求だったけれど、今では政治的には左翼側の人間が、猥褻を理由とせずに「性差別を助長する表現」を理由として、萌え絵に代表される様な一部の表現の禁止を政治的に主張し、保守右翼側の人間が「性差別的」と決めつけられた表現を表現の自由を旗印にして守ろうとする、俺みたいな者の目から見ると「なんだか変な」時代になった。
日本の右翼保守(要するに自民党)は、本質的には民主主義ではなく「統治者にとって都合よく制度設計された、民主主義と称するもの」を追求しているが、それ故に正面切って表現の自由を否定することは出来ないので、刑罰を以て表現を禁じるやり方(猥褻図画や小説の取り締まり。チャタレー裁判とか、愛のコリーダとか)をなるべく露骨に使わずに、出版業界や映像業界に自主検閲組織を作らせて「自主的に検閲しているので、法的には何の表現規制も存在しない」状態を作り上げることで実質的な表現規制をする様になってる。なので、公共の利益、公序良俗の保護を理由に法的に制限できる猥褻ならともかく、表現の自由が一義的に示す表現である「思想的・政治的表現の規制」はさすがの日本国でも不可能になってる。(少なくとも現状はポルノほどあからさまな実質的表現規制の犠牲にはなっていない)
で、昭和の頃の左翼だと、こういった猥褻表現の禁止であっても、国家による国民活動への制限は最小限であるべきで、猥褻規制はその限度を超えている、みたいな話をするものだったのだけれど、今やその左翼、とりわけフェミニストの中で「猥褻だから」とは言わずに「性差別的であるから禁じられるべきで、規制は全く十分でない」という意見が主流を占める様になってきたのが2010年代じゃないかなと思う。
何を以て性差別的かという理由付けは色々見るのだけれど、メディア効果論(それも強力効果論)に基づいたものが多いと感じるが、(多くは女性である)自分にとって極めて不愉快であり加害的であって、公共の場での存在は許されない、ってものもかなり見かける。これ、伝統的な右翼によるポルノ撲滅運動の題目が「子供の教育に悪い」だの「破廉恥で見るに耐えない」だったのと、ほぼつながってないか?と思うのである。極右と極左は政治的主張は逆だが、粗暴さや残酷さ、頑なさや頭の悪さは同じに見えるのと似た感じだが、そう言ってしまうと純然たる悪口になるので止めておく。
左翼側・フェミニズム側の表現規制主義者(本人たちが自分をそう認めることは絶対に無いが、それは右翼側でも同じこと)も、自民党と同じ様に自らが表現規制者と呼ばれる事を非常に嫌う。そうした中で憲法の示す建前を崩さずに「実質的な表現規制」を行おうとするなら、自民党政府のもとで成功してきた、自主検閲組織を業界に作らせて『自主的な規制を権力側から強いる』事で実質的な表現規制を行うやりかたがやはり踏襲される。
特にフェミニストとされる人達が特定の表現(宇崎ちゃんとか)を特定の場所(日赤)で禁じようとする時には、これが権力による直接的な規制ではなく、在野の民間人による公的機関や企業に対する言論圧力によって当該機関や企業の「自己規制を促した」のだから、これは絶対に表現規制じゃない、って言い方だった。彼らの言う通り、確かに憲法上の建前は守られた上で(彼らにとって存在の許し難い)不快な性差別的表現を「実質的に刈り取る」ことに成功していて、最初にこの自粛要請という「単純だが案外に強力な仕組み」を考えた政府役人や自民党の政治家達、そのアイデアをそのまま利用したフェミニストは賢いなと思う。
左右の違いが全然ないかと言うと、それはそうでも無い様で、大昔の矯風会の様な保守的アンチポルノ団体はあらゆる猥褻表現をあらゆる流通ルートにおいて消滅させようとしている感じなんだが、今の左翼・フェミニズム的な「反性差別表現」をやっている人達は、流石に左翼であるだけあって「ポルノであるならこの世に存在を許さない」などということは主張しない。存在が許されない表現はある程度は絞り込まれていて、大体それが「男オタク好みの性的な表現物」に被さっているし、流通に関しても「表通りに出てこなければ許す」という感じである。 ポルノショップで無修正ポルノが販売されることまで禁じろという主張はしてない。(コンビニ、一般書店で水着グラビアの雑誌販売を禁じろは言ってるのがいるが)
良く知らない世界なのだが、腐女子の世界における「学級会文化」というものがあり、世間に対して目立たぬように「厳しく自粛」(恐らく自己認識としては自粛ではなく相互批判によるコミュニティの自浄作用だろう)する傾向があって、それは同性愛を正面から扱う表現であるために『世間の目を憚る代物』である自覚があり、それ故に何かと謂われなく侮辱されたり非難されたりする『腐女子の表現の世界』を守ろうって云う同調圧力が(人・場所によっては)やたらに強い、って話を聞く。
そういう文化があるためなのか、同様な「当然の自粛」が男オタクの表現物でも行われるべきで、それが全く行われずに結果として表通りの世間に流出し、そこで調子良くのさばるべきではない、って理念が、腐女子でもある一部のフェミニスト(一部じゃなくてマジョリティなのかもしれないが)には潜在的にあるのではないかと考えているが、ちょっと確認が難しい。
この「表現自粛」に対する積極的な考え方は男オタクの世界にはあまりなさそうなもので、この部分では政治的には極右のオタクでも昭和左翼的な「政府による自由の規制は最小限であるべき」って建前を大事にしてたりするし、左翼のオタクならもちろんそう考えるはずなのであるがそうなっていない。これは恐らく今の左翼・フェミニスト達による「最小限の規制対象」の裁定基準が「表現の自由戦士」と悪意と侮辱を込めて呼ばれる人達にとっては理不尽に厳格であるってことなんじゃないかと思う。かくいう俺もフェミニスト達、とりわけネトフェミと悪罵される人達の基準はちょっと、いや全く受け入れられない。
昭和左翼は自民党政府による「公序良俗=保守的性道徳観」の保護に反対した訳だが、基本的に右翼である「表現の自由戦士」はフェミニズム側からの「公序良俗=反女性差別的性道徳観」の保護に反対している訳で、その意味では政治的立場と主張の食い違いは無いとも言える。
どちらにせよ、憲法の建前からして最優先で守られている政治的表現と違い、その殆どがエンタメである文学や映画マンガアニメといった表現は、我国が戦前も戦後も内務省=警察権力が強い強権的国家であったこともあり、公序良俗の保護を理由・目的として簡単に規制を受けがちであることは戦後の歴史が証明してる。
それを守りたいと思うのであれば自分が右翼であれ左翼であれ、機会を捉えて発言して意見し議論することはどんなに嫌でも避けられないのであろう。 ああ嫌だねえ……
リベラルがどうとかオタクがどうとか関係ないんよ。法なんやから。決まっとんのよ。表現の自由は21条に定められとって、リベラルがどう思うかなんて関係ない。
・国や自治体(行政)が個人の表現内容を審査して一般的網羅的に発表の禁止をすることは絶対ダメ
・表現行為がなされる前に、公権力(行政だけじゃなくて司法も)が表現内容を事前に審査し、表現行為を禁止するのもごく例外的な場合を除いてダメ
・その他、権力が表現を規制する場合は、表現内容に着目して規制するのか、それとも表現方法に着目して規制するのかで許される度合いが変わる。前者は許されにくい
・表現内容に着目して規制する場合でも、内容が政治的主張なのか、それとも営利目的なのかで許される度合いが変わる。前者は許されにくい
個人を含む私人が他人の表現の自由を侵害しうるかどうかも決まっとるよ。
規制しようとする私人が公序良俗に反したり、不法行為になるような規制しとるなら、憲法違反。
大企業みたいにもはや公権力に近いような力を持ってる者がいち個人を侵害するような場合は不法行為とかじゃなくてもアカンやろ、という批判が強いけど。
だから誰か個人が「これこれの表現を表に出すなボケが」「行政のポスターに使うなボケが」「お前の表現は不快なんじゃボケが」という表現も表現の自由の範疇で当然許される。法ですよ。
行政に対して「ヘイトスピーチやわいせつ表現を規制せよ」と意見を言うのも当然表現の自由の範囲内で最大限尊重される
行政が実際にヘイトスピーチやわいせつ表現を規制する場合に限って、それがどの程度なら上述の憲法の縛りに引っかからないかが問題になる。
何派とか、単に知識ないだけやん?
この元増田 anond:20210903184406 が言いたいことがあまり伝わってなさそうなので解説と補足をしてみようかなという試みです。
id:yas-mal ゾーニングされてましたよ? 有料なのはもちろん、順路的にも突き当たりで、入る前に説明文、カーテンも掛かってた。河村市長だってそんな馬鹿な理屈は言ってないはず。(「河村より馬鹿」の称号ゲットおめ)
とか言う意見があったりするんですがたぶんそーいう話じゃないと思うんですよ。
ゾーニングて言うならエロ表現だってゾーニングされてて、公的に子供に見せちゃダメと認定された18禁表現は表に出されてないだろうが
と書いているので多分ゾーニング反対論者でもないと思うんですよね。
たぶん「起こる被害を防ぐ」すなわち治安を理由にゾーニングしちゃいかんよねという話じゃないでしょうかね。
アイトリとの比較の話にもどると一般市民と権限を持つ市長では立場が違うので無理がないわけじゃないのですが
「ある表現を行うことによって治安が脅かされるという想定の上で違法とはいえない表現を自分の管轄・関係領域から切り離そうとしている」ということに関しては共通しているんです。
もちろん、無辜の一市民たる作者と一大都市の首長たる河村氏が負わねばならない責務、倫理性からみて
なので元増田はわかりづらいところはあるもののそこまでおかしなことは言っていません。
ただ、なぜそれがまずいのかは説明していません。
というわけで、文頭に述べたように僭越ながら僕の方からなんでそれがまずいか補足しようと思います。
あ、ちなみに最初に言っておきますが僕自身はゾーニングはある程度すべきであるし、禁書房の関しても
この漫画の中の事例にかんしても子供が中身をみないような工夫をすべきだとおもっています。
この漫画の中の事例にかんしても子供が中身をみないような工夫をすべきだとおもっています。
ブコメに割れ窓理論を援用してポルノ広告が街中にあると治安が悪くなるという意見を書かれている方が何人かいますよね。
その方達は落書きやポルノと言った「風紀」を乱すものを放置しておくと犯罪率があがる、だと思ってそうですが実はちょっと違います。
割れ窓理論は「風紀」が乱れると治安が悪化する、ではなく、「秩序」が回復されないと治安が悪化するという理論です。
つまり困った状態になってもそれに誰も関心を持たないような状況下なら犯罪も起きやすいよね、という話です。
なので、割れ窓理論において重要なのは「割れ窓」が発生した際に迅速に回復させる仕組みを作ることであって
窓を割るやつを排除することではないのです。
ここで問題になってくるのは AV のポスター等は「割れ窓」に含まれるのかということです。
正直、どのようなものが飾ってあったのかはみないとわからないのですが、あの漫画の挿入画を見るに
なんだかんだ言って局部は隠してあったんじゃないかなとおもっています。
(というか丸出しならわいせつ物頒布等の罪としてうったえればいいだけの話ですからね)
となると秩序を乱していない以上、割れた窓扱いするのもおかしいでしょう。
なので漫画に書かれてたような痴漢がでたりした場合はすぐに逮捕できるように、
もしくは、痴漢を防止するためにパトロールする警官を増やせ、というほうが割れ窓理論に沿っているではないでしょうか。
もちろん、窓を割りそうなやつを排除するほうの指針というか政策もかつてありました
元ニューヨーク市長のジュリアーノ氏がやった「ゼロ・トレランス」政策がそれにあたります。
落書きや未成年者の喫煙の取り締まりといった小さいのから始まり、ポルノショップの締め出し行って行きました。
しかし、残念ながらその施策は最終的にはホームレスの強制収容にまで発展してきました。
故にid:by-king 氏や id:nikakunikaku 氏の保育園建設反対運動やホームレス排斥につながるのではという意見は歴史的経緯からみてもそんなにおかしな話じゃないのです。
実際、宮下公園の話( https://anond.hatelabo.jp/20200815092248 )とそれに紐づくブコメみてもホームレスの人がいなくなって治安がよくなった、というコメントまぁまぁありますよね。
ゾーニングの理由を治安にしてしまうのを危険視してるのは上記のような排除が治安維持のもと容認されかねないからです。
じゃあゾーニングしなくていいのかというとそーいうことではないです。
最初の方に述べたようにゾーニングはすべきだと考えています。特に就学児童が通るようなところであれば。
当たり前ですが性交渉にはリスクが伴います。充実した内容とはいえないとはいえ、
義務教育下の性教育を履修が完了していない児童にポルノを見せることは弊害が大きいでしょう。
また、すでにお酒やタバコと言った年齢制限のある商品は少年誌に広告をだせなかったり CM も20時以降という制約があります。
ポルノ商品にも年齢制限がありまた、わいせつの法的定義的にもある種の有害性が定義されている以上ある程度のゾーニングは仕方ないでしょう。
とくに公道から商品内容が見える、みたいなのは避けるべきです。
以上、僕の意見をまとめると
子供が通るような道にポルノ関連コンテンツを設置するべきではないが、それは公序良俗、社会法益または子供の教育的視点から論ぜられるべきで
決して治安維持の観点から語るべきではない、という事になります。
よねはらうさこ氏のポルノ商品はゾーニングをすべきだという部分は同意できるものの、なぜすべきなのかの部分が非常に危うく
そしてそれを指摘してる人が少なかったため書きました。
以下の一連のTweetで、作家の王谷晶が表現の自由戦士を批判している。
https://twitter.com/tori7810/status/1427952640923631616
王谷晶『バ バ ヤ ガ の 夜』10月23日発売
@tori7810
ちなみに私は「徹底的にゾーニングしてモザイクを外せ」という公権力による性表現の検閲反対派なんだけど、自由戦士系の人で同意見の人あんま見ないね
「ギリギリの線」を狙った(たまにコースアウトしてるものも有り)性表現が公共空間に撒き散らされ、18禁のコンテンツにはモザイクかかってるってイビツでしょう。
表現の自由というより「公共空間に(シスヘテロ男性向けの)エロが巻き散らかされている、シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる」という状況を欲している人たち、な印象。自慰ができる部屋以外の場所でエロいものを見たがる理由、他に何かあるかな
これは、偏見に満ちていて甚だ不誠実だと表現の自由戦士である増田には感じられた。また、このTweetに対するブクマも同じような感じのものが多く見受けられたので、批判をする。
王谷は「徹底的にゾーニング」と言っているが、これはどのようなものなのか全く示されていない。ゾーニング対象を設定するレーティング、次にゾーニングの手法があるが、それについて何も示されていない。
と書かれてはいるものの、その内容ははっきりしない。しかし、現状で、明らかに生々しい性交の描写が描かれているような男性向けのポルノは、自主規制である表示図書(いわゆる18禁)として、陳列方法などが条例で規定されてゾーニングされている。王谷は、現状について批判しているのだから、18禁とする敷居を下げろ、あるいは異なる基準にせよという指摘をしていると考えられる。しかし、この基準が示されていない以上、表現の自由戦士は「フェミのお気持ち」と想定するしかないし、実際にそうとしか解釈できないような批判にさらされ続けてきたと、こちらは認識している。
また、ゾーニングの手法についても、疑念はある。現状は、棚の高さや目隠しの大きさなどを規定した区分陳列の手法が条例で規定されているが、当然にこれは、好まない人が絶対に目にしないということを担保できるものではない。また、少なくとも「ここにポルノがありますよ!」という表示は明白にする必要があることから、ポルノそのものに嫌悪感を持つ人たちにとっては、それだけで不快感を与えるであろうことは想像に難くない。また、売上が大きくなれば、当然に売り場が増えたり、宣伝が増えたりして、露出する機会は増えていくだろう。これらをどうにかしようとすれば、厳しい広告制限や売り場の制限などを加えるしかないから、当然に、売上が減少するだろうし、売れない商品は作られないということになるのは想像に難くない。
王谷晶自身がBLを書いていることなどを考えれば、BLを棚に上げているという批判は妥当するだろう。なぜならば、現状で、ゾーニングができていないことで問題になっている(=東京都の指定図書になっている)のはほとんどがBLだからだ。
もちろん、少なくない表現の自由戦士は、現在、東京都で多くのBL作品が指定図書に指定されてしまい、実質的な発禁に追い込まれている現状を憂慮している。しかしこれは、BLが表示図書としてゾーニングしていないから起きている事態である。
対して、男性向け作品はほとんど指定されることはない。これは、差別ではなく、過去、男性向け作品が大量に指定されたことから、グレーゾーンにあったソフトコアポルノ的な作品が淘汰され、ハードコアポルノを中心とする表示図書ばかりになった結果、そもそも指定されない状況になったためである。なお、ソフトコアな作風の作家は、女性向けのTLに活躍の場を移して、やはり表示図書ではない形で出版されている例が散見される。
さて、男性向けに対して、女性向けであるTLじゃBLは表示図書にしてしまうと、明らかなエロ本売り場に隔離されてしまうので、女性が買いにくくなったり、一般の書店で取り扱われ無くなったり、扱いが縮小するために出版ビジネスとして成立しなくなってしまう。なので、女性向けのほうがゾーニングが難しい状況である。
腐女子などに見られる認識で、「隠れる」ということがゾーニングであるという考え方があるように見える。王谷晶も「公共空間に撒き散らされ」と男性向けコンテンツの在り方を批判している。しかし、実際は、ゾーニングというのは「これはポルノである」「ここではポルノを売っている」と、明白に表示する事である。当たり前だ、ポルノが欲しくない人や買ってはいけない人が買わないようにすることがゾーニングだからである。ポルノの存在に気付いて不快に思う人は考慮されないし、考慮されるべきでもない。世の中に自分の嫌いなものが存在するのは当たり前だからだ。
「自慰ができる部屋以外の場所でエロいものを見たがる理由」は単純に、それが目に嬉しいからと考える方が妥当だろう。世の中は、目を楽しませるための装飾や、広告に視線を引くための表現が溢れかえっている。わざわざ、「シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる」などというものを仮定して、余計な理屈をつけるほうが妥当ではない。オッカムの剃刀である。
そして、そもそも論として、公共の場というのは、むしろ明らかに害があるものでなければ排除してはならない、という性質の場である。たとえば、天皇制を批判する言説の表現は、少なくない人を傷つけたり、不快感を抱かせる可能性が高い。しかしながら、だからといってそのような表現を公共の場から排除せよというのは妥当ではない。
もしそれでも公共の場から排除すべきと主張するのであれば、公共の場からの何をどういう理由で排除するのか、一貫した理論を展開する必要がある。
当然に、表現の自由戦士は局部修正に反対の人がほとんどである。しかしながら、何か別の規制とバーターで局部修正を解禁しようと言うつもりも無い。
例えば、局部修正が解禁されても、厳しいゾーニングで商業的に成立しなくなるとか、同人誌即売会が公共施設から追い出されるとか、ロリコン表現や侮辱的な表現が禁止されるとか、ポルノではないがフェミニストが批判するような描写を一般誌から排除するとか、そういう条件が付されるならば、当然に許容できないだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tori7810/status/1427952640923631616
id:zyzy 自分もこれだが表現の自由戦士たちはチキンレースで悪ぶりながら周囲に嫌がらせするのが目的なので、どうもこれには反対らしいんだよね。
他人の内心を勝手に想像して目的とするのは妥当ではない。そして、あえて言えば、チキンレースは悪いことでは無い。ギリギリの表現を狙うことは、全く自由であるし、それは表現の可能性である。
id:akakiTysqe https://twitter.com/jenaiassez/status/1427970782584467456?s=21 同意見なんだけど、彼らはむしろ刑法175条を守るからゾーニングはいらないという人たちなんだよ。
まず、刑法175条には反対である。しかし、実際に処罰されるリスクがある以上、従わざるを得ない。また、ゾーニングやレーティングが全く不要だとは言わないが、少なくとも、その妥当性は厳しく吟味されるべきだし、その範囲は最小限であるべきだと考える。
id:cinefuk (無意識の)加害欲求を度々指摘されてるけど、否認するばかりなんだよな『公共空間に(シスヘテロ男性向けの)エロが巻き散らかされている、シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる』
「(無意識の)加害欲求」があると主張するならば、その存在を証明すべきである。また、よしんば加害欲求があったとしても、加害行為でなければ問題はないと考えられる。
id:nowa_s 公権力に全て委ねるのか、表現の作り手と受け手とその輪以外の人々の合意による自治を図るのか、だよね。/合意形成って、議論は論破ゲームだと思ってたり、「価値観は人それぞれ、以上」の文化で可能かは知らんけど
公権力は素晴らしいとは思えないが、「自治」という名前の学級会で、非道徳的なポルノを楽しむ悪い男子が吊し上げを食らうことが明らかであるならば、そんな人民裁判への召喚状は破り捨てるしかない。
自治や合意形成なるものを、人民裁判に貶めているのは、フェミニストやキャンセルカルチャーの成果ではないのか。
id:HanPanna 表現の自由戦士は「お上の規制なら従う」って態度の人が多くて、公権力による規制を最も警戒する(民主主義のため)表現の自由とは真逆のスタンスなんだよね。彼らが守りたいのは表現の自由じゃなくて権威だと思う。
はっきり言えば、フェミニストよりも「お上」のほうがいくらか信用できる。東京都の青少年健全育成条例は、決して素晴らしいとは言えないが、少なくとも出版側の意見を出す場があり、明確な基準の無いお気持ちで運用されているわけでもない。少なくとも、憲法擁護義務のある公務員は、ある程度謙抑的に振る舞ってくれることが多いが、学級会で吊し上げをやってきたような連中が暴走する様は嫌と言うほど見てきた。
id:tvxqqqq 男女とも同じ基準でゾーニングした上でモザイク外すというのは同意。レーティングは女性向けに甘いと言われてるようだけど(BL興味ないから実際は知らん)、公共の場での表現物についてはヘテロ男性向けだけゆるい。
「ヘテロ男性向けだけゆるい」というのは根拠が薄い。女性向けの欲望に即した広告表現は珍しくないし、具体性に乏しいためにする批判である。
id:quick_past 何を持ってしても、より良い選択肢を目指すより、とにかく相手を叩きたいだけの連中だし、さんざ投げかけられた返答も無視してるからな
その「より良い選択肢」というのが「(フェミニストにとって)より良い選択肢(もちろんクソオスの利益なんかしらん)」と区別ができない。何かしらの提案、特に誰かの自由を制約する提案をするのであれば、自由を制約される側の利益を考慮していることを積極的に証明しなければ、悪意が推認されて当然である。
また、返答は無視していない。理解できないか、理解できても配慮を要するとは考えられないかだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210825220838
id:brightsoda "実際に処罰されるリスクがある以上、従わざるを得ない。" これがアリなら表現規制派に火炎瓶を投げ込まれるリスクがあるから従うでも怪獣がインクの匂いに怒って襲うリスクがあるから焚書でもアリになるじゃん
もし仮に、北朝鮮や中国、アフガニスタン、あるいはシンガポールのような表現規制派が牛耳っているような国に住んでいるならば、多くの人は従わざるを得ないと考えるだろうし、そうするだろう。表現規制派が、時々火炎瓶を投げる程度であれば、少なくとも私にとっては許容可能なリスクなので、従うことはないだろう。また、怪獣は居ないので怪獣の脅威を理由に焚書をすることもないだろうし、もし、怪獣を信じて焚書をする連中が他人の財産を破壊しているならば、警察に通報するだけである。
id:mogmognya おおちょうど良い、増田はちょっと前に話題になった秋葉原のエロゲーム広告はアリと思う?ナシと思う?あと、演者が痛がる様子を笑うお笑いはアリ?ナシ?
話題になった秋葉原のエロゲー広告程度の表現は、「屋外広告として」「法的に」規制しうるかギリギリのラインだと思う。このぐらいの、際どいグレーゾーンに対する公序良俗の判断は、むしろ関係者が納得できる公正な判断の仕組みを担保することが望ましいと思われる。このような表現を批判する側と擁護する側を概ね均等に含む、有識者、利害関係者による付属機関を設置すること、その議事録を公開すること、当事者の異議申し立ての機会を担保する教示をすることなど、そういった関係者が納得できる仕組みを予め用意することができれば良いと思う。
また、演者が痛がる様子を笑うお笑いは、まず、その映像を放送することが、直接に法的に規制しうるものではない。チャンネルを変えることは簡単である。しかし、放送は規制産業であり大きな影響力を持つことから、高度な自主規制を行うことそのものは妥当性があると思われる。その意味で、現状のBPOは完ぺきではないにせよ、それなりに妥当な形で機能しているように見えるので、BPOが慎重に判断していくことそのものは、私は妥当性があると考える。
増田の個人的な考えは、単なるポジショントークだから、「規制に反対」としか言えない。
私の価値観の話をすればお気持ちでしかない。しかし、それは、他の誰もが同じことである。
その上で、ゾーニングをしろと言ってくる以上、その公正さをいかに担保するのか、あるいは担保できるのかということを問うている。
id:HanPanna いや、増田が誰を信頼するかしないかの話はしてないよ。表現の自由は「民主主義の維持」に必要不可欠なものだから他の人権よりも優越的な地位にある。権力と学級会では民主主義への脅威が全然違うのに馬鹿だねって話
実際、その学級会で潰される側から見れば、権力も学級会も大差は無い。
アメリカの権力と、非正規のタリバン、どちらが民主主義にとっての脅威か問われれば答えは明らかだろう。
id:fourddoor おお、レスくれる系増田だ。JK痴漢エロ漫画の本編抜粋広告看板を停車中の電車から見える位置に掲示するとか、小学生レイプ漫画の広告を通学路に掲示するとかはどうですか?なお局部は隠れているものとする。
屋外広告条例は、都市計画や建築の分野になっており、意匠については「景観風致を害する」程度の基準でしかなく、実際に問題になるのは、広告の内容などよりも大きさや派手さ、手続きの話ばかりなので、これといった基準がありません。
が、これは、表現の自由の問題であるとともに、公序良俗の問題であるとすると、基準は「普通人が耐え難いか」程度のものになると思われます。
なので、仮に「JK痴漢エロ漫画の本編抜粋広告」があからさまに痴漢行為、性交又は性交類似行為に及んでいることがわかる意匠、乳首や陰毛が露出しているような意匠であれば禁止されると思われます。また、「小学生レイプ漫画の広告」も同様に、その意匠がそういう意味で問題あるかという判断になろうかと思います。逆に言えば、LOの表紙、あるいはクジラックスの単行本「ろりとぼくらの。」の表紙のような意匠であれば、屋外広告としては問題無いと思われます。TENGAやirohaのような路線の広告も問題無いでしょう。
また、逆に、いくら胸を強調しているとしても、宇崎ちゃんの表紙や、スカートに影できているといってもラブライブの高海千歌のPOPスタンド程度の表現もまた、普通人を基準としてそれほど耐え難いとは思えませんから問題無いと思われます。
コンプラ白雪姫の内容はともかく注の法的説明について、いくつか誤りが見受けられます。
>(※注10:王のパートナーの方との契約に違反する行為ですが、契約内容自体に嘱託殺人罪に繋がる恐れのある行為が含まれるため法律行為の要素に錯誤があるものと判断され、契約行為そのものが無効であると考えられます)
嘱託殺人とは、殺される人の依頼を受けてその人物を殺害する行為をいいます。自殺関与罪の一種です。
また、猟師さんに殺人の依頼を受けることについて錯誤があったとは思えません。暗殺という犯罪行為を内容とする契約は、公序良俗に違反するため無効になると解されます。
>(※注22:「ひつぎの中の白雪姫にキスをしました」との表現については、見ず知らずの女性に対して昏睡状態にあることを理由に性的な行為を迫る大変卑劣な犯行であり、準強姦罪に問われる可能性があります。あまりに不適切であるため、一部表現を修正しています)
キスをする行為は準強姦罪(現行日本刑法では準強制性行等罪)には該当しません。強制性行にいう「性行等」は、「性行、口腔性行、肛門性行」をいい、キスは該当しません。刑法は類推解釈は禁じられているというのが一般的な解釈です。
フルチ〇という公序良俗に反する言葉と医療にかかわる事象がかけ離れているなと思っており、
単純に聞いた際に何のことを言ってるのかがわかりづらくイライラする。
一番最初に会話の中で聞いた
「街中とかフルチ〇の老人がいっぱい闊歩してる。」
は、「はぇー、最近はそんな事案がおおいのかぁ」って思っていたが、
よくよく聞いてみると、ワクチンを2回打った老人が緊急事態宣言中なのに街中に多すぎるということが言いたかったようだった。
わかんねぇんだよ!!!
3回目打つ未来が見えてきたなか2回目をフルっていうのも違和感があるし、
100歩譲って、フル(であった、ワク)チンの略称であったとしても、
1回しか打ってないことをフルチ〇からの派生でハミチ〇も「半」でも「ハーフ」でもない「はみ」は、完全に下ネタ言いたいだけだろっておもう。
ポイントが付与される話が出たときも、チ〇ポ!って連呼しやがって。
一個人がボソッというくらいならわかるが、「ワクチン2回!?フル〇ンじゃん!フ〇チンフルチ〇」って一人で舞い上がって連呼して、
ワクチン予約できねぇ人もいるんだよ!
真面目にルールを守っている人間が何故苦しんでいる?どうか皆思考して。自分の手で調べて考えて議論をしよう。ネットに溢れ返っている違法二次創作、公序良俗に反した二次創作、ガイドラインのない作品の同人誌、感想 目に入る度 私何してるんだろう?って思う。
でも思考を止めて胡座をかくだけの人にはなりたくありません
色んな人が思考して、議論して、利害を擦り合わせて、その結果として今の二次創作のルールや文化やバランスがあるんだよ。
もちろん現状が完璧というつもりはないし、現状に否定的な意見を述べることが悪いと言うわけではないが、「現状追認は思考停止」、もっと言えば「俺の考えにそぐわない奴は思考停止」みたいな増田の意見はただの独善でしかない。
私は作品を見たり、絵や文をかくのが好きだ。二次創作も大好きで、以前までは積極的に二次創作の投稿・閲覧をしていた。
しかしある日を境に意識が変わった。ある文章を読んで「二次創作は違法で、加害性がある」とはっきり自覚した。
「二次創作はグレー」「違法ではない」「二次創作を違法と言うことが犯罪」中には凄く偏った意見もあった。
▼https://adenoi-today.hatenablog.com/entry/2018/11/07/041547
▼https://togetter.com/li/102372
▼https://togetter.com/li/1139617
私は法律の専門家ではないので、間違いもあるかもしれないが調べた結果はやはり「二次創作は黒」だ。
著作権者に許可なく二次創作を行うことは、著作権法違法(翻案権、同一性保持権の侵害にあたる)だ。
二次創作が見逃されているのは親告罪だからで、公式が訴えることがなければ罪は問われない。
だからといって二次創作をして良い理由にはならないのではないか。
違法であることは間違いなく、著作者の許可も得ず作品やキャラクターを勝手に拝借するのはとても失礼ではないか。
犯罪かどうかは、裁判所が決めることだと思う。しかし違法であることは確かだ。違法であると知りながら何故二次創作をやめられないのか?訴えられるリスクを考慮しないのか?
ルールを守らないということは、作者も、作品も、自分以外のファンも、自分自身も危険に晒し、傷付けるリスクがある。その自覚はあるのか?
また、上記のリンクに上げられた安倍首相の答弁。(2016/4/8)
▼https://www.itmedia.co.jp/news/spv/1604/11/news087.html
要約すると、著作権侵害は検察官も起訴できる!とされていたのに対し、「二次創作、同人誌は著作者しか訴えられない(非親告罪ではない)」とした。その理由が「権利者の権利を不当に害するものではない」から。
この「権利者の権利を不当に害するものではない」ため、著作権法ではないと主張する方がいるようだが、それは「非親告罪に当てはまらない」だけで親告罪には当てはまる。
そもそも他者が大変な努力をして作った作品やキャラクターを、尊敬や愛情が理由とはいえ許可なく拝借していいのか?
私は一次創作も行っていて、自分のキャラクターを描いて貰えるととても嬉しい気持ちになる。漫画やイラスト、小説、呟き どんな媒体でも自分ではない誰かのフィルターを通して見たキャラを、大好きの気持ちを込めて形にして見せて貰えるのは本当に嬉しい限りだ。
しかし、全員がそうではない。自分が嬉しいことでも、嫌な気持ちになる人は必ずいる。
相手の意思の確認が出来ない中、勝手に描いて良いのか?またその内容にもよるだろう。これはいいけどこれはダメ、というのは必ずある。
又聞きでしかないのだが、漫画家の中にも二次創作をして欲しくないという人をよく聞く。その人たちは、この二次創作が当たり前、描いて貰えばハッピーが当然の社会で声を上げることも出来ず苦しんでいるのではないか?もし、自分が善意や愛情を持ってかいた二次創作が、原作者や制作者を傷付けることになったら、それは悲劇でしかない。
以上のことを全く考慮せず、好き放題かいては上げて盛り上がる二次創作界隈が憎くて憎くて憎くて仕方がない。
私も自cpの同人誌を出して布教したい、このキャラが、この作品が好きだという想いを形に残したい。共有できたら本当に楽しいし、共感して貰えることの嬉しさは凄くよくわかる。
でも、違法性は?加害性は?一番大切な作者と作品のことを考えず作った二次創作なんてたかがしれてているだろう。解釈もクソもない。そもそも常識がない。 大抵の二次創作者は調べようという気概もない。
私は二次創作を廃止して欲しいのではない。むしろ二次創作したい。しかし、違法であることと作者の同意を得られないのであれば二次創作なんかしない。犯罪者になってまで、何より感謝してもしきれない原作者、制作者を傷付けるリスクを背負ってまで二次創作をしようと思わない。
今二次創作している人たちは、何を考えている?どんな理屈で二次創作をしている?是非教えてください。
ネットの普及もあり、原作者がTwitter上で二次創作歓迎の意を示すことがある。
私はそれを無責任だな、と思って見ている…。
作者がokするのなら描いていいだろう!と思うのだが、ルールが無い状態でokすることがファンを危険に晒していることを自覚して欲しい。
ルールがない状態で二次創作を盛んに行えば、秩序も保てないし公式側から訴えることになった場合、全て二次創作者のせいになってしまう。原作者が推奨したとしても、ルールがなければ責任が持てない。
これら全ての問題を解決するのは、二次創作ガイドラインと公式の運営方法だと思う。
作品ごとに二次創作ガイドラインを設け、確実なセーフラインを定める。ファンはそれを守る。守れない人は公式が取り締まる。もしくは全面的に作品ごとに二次創作を禁止するべきだ。
現在、著作権法が機能しているとは言えないと思う。新たに二次創作ガイドラインを定め、各出版社等は作者の意思を最も尊重した形でガイドラインを定めて欲しい。
まとめ
世、本当に憎い
真面目にルールを守っている人間が何故苦しんでいる?どうか皆思考して。自分の手で調べて考えて議論をしよう。ネットに溢れ返っている違法二次創作、公序良俗に反した二次創作、ガイドラインのない作品の同人誌、感想 目に入る度 私何してるんだろう?って思う。
でも思考を止めて胡座をかくだけの人にはなりたくありません
▼追記
沢山のご意見ありがとうございます。
コメントを拝見した中にはっとさせられるものがありました。下記に添付させていただきます。
◆訂正
『二次創作は黒』と断言致しましたが、訂正させていただきます。
『二次創作はグレー』です。
▽参考にしたコメント
https://anond.hatelabo.jp/20210815014235
私の調べたソースが古いこと、2020年の知財高裁判決で『キャラクター自体に著作権はない』という解釈から『キャラクターを流用しただけの新しい著作物は翻案権や同一性保持権の侵害にあたらない』という解釈がなされた ことをご指摘頂きました。
コメント主様は『作品を丸パクリしたようなものでなければ二次創作はほぼホワイト』とおっしゃっていますが、私はグレーと判断致しました。
二次創作が白か黒か、というのは権利者による訴訟の結果がでなければ判断出来ません。よって『二次創作は黒』という当記事の文章を訂正させていただきます。申し訳ありません。
◇◇◇
また、もう一つ大変参考になるコメントを頂いたので添付させていただきます。
https://anond.hatelabo.jp/20210814235915
クリエイティブ・コモンズというものを初めて知りました。とても勉強になりました、ありがとうございます。
◇◇◇
ここからは持論です。
やはり、二次創作は権利者が認めていないのであればするべきではないと思う。
法は本来作者の権利や心、作品を守るためにあると思う。法は時代で変わる。合法非合法に囚われず、最も重要するべきなのは作者の意思である。
作者が許可している場合であっても、それが公式の発表でない限りやはり訴えられるリスクは変わらない。
私はこの記事を、社会が変わって欲しくて、議論の切っ掛けになって欲しくて投稿した。
登録者数153万人・ゆゆうた、ユーチューバー飲み会の実態語る「気持ち悪い縦社会」「酒の強要される」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0cd4be0eca864cf60944efd5f25df86f2ec65d5
この方のように、まともな考えを持って活動してる人もいるんですよね。ただ一部のYouTuberだけがいつも取り沙汰されてしまうけれど。
ゆゆうたさんはそういう輩とは距離を置いてるようですね。
このゆゆうたというYouTuberは好感持てる。
手本にしてほしい。
当初YouTuberを庇いましたが、こういうゆゆうた氏のような至って公序良俗を理解するYouTuberも数多いるからです。
https://megalodon.jp/2021-0413-1743-03/https://anond.hatelabo.jp:443/20210413153854
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たしかに二次創作自体は著作権侵害だけど過去に二次創作の同人誌に著作が認められた例があるから、そこを裁くのは法に任せるしかないので一般人が大義名分を得て叩くのは違うのでは。
だったらVを裁くのも法であって、無関係な同人作家たちがVを叩くのは違うのでは?
それにそもそも0から何も生み出すことができず他人の創作物を寄生することでしか生きられないVが作品を晒すこと自体おこがましい。
0から何も生み出すことができず、ってまさに二次創作作家じゃん。
特に二次創作腐女子。この間話題になってたけど、二次創作腐女子が商業BLを「知らない人同士の恋愛なんて興味ない!」ってディスってたの見たよ。
それはなくない?
二次創作のガイドラインを出している企業もあるけど、公序良俗に反する内容は禁止と言ってるところが多いよ。