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はてなキーワード: 違和感とは

2023-09-28

anond:20230928043517

元です。

セックスジェンダー区別する考え方があるじゃない?あれからすると、その二つが一緒くたになってる時代にできた戸籍制度のままってことよな?血縁をはっきりさせるためのものだというふうに理解してるけども。

戸籍制度ジェンダー区別せずセックスだけを扱うって宣言しちゃえば、<身体違和感ないけどジェンダー規範から逸脱してる人>と戸籍上の性の問題理屈上解消されてわざわざ自分戸籍上の性を変えなくていいんじゃね?って思ってしまう。

性同一性障害特例法

性転換に手術強要してて違憲じゃないか?って裁判性同一性障害じゃない人がやってるのが違和感。あの法律トランスジェンダー戸籍いじる為の法律ではない認識なんだけど。判決どうなるんかねえ。

着いて行けてないだけ/とっくに通過済みの議論かもしれんけど、いわゆるトランスジェンダーと、日本法律の言う性同一性障害って、感覚的には別物なんだよなあ。変わりたい/越境したいトランスジェンダーと、戻りたい性同一性障害というか。私はシスヘテロのオスです。

性同一性障害当事者も訴えている側にいるってことらしいし、まあ、トランスジェンダーとその障害との線引きは難しそうではあるけども。

戸籍上の性別を自認に基づいて変えたいってのなら、ジェンダーフリー推し進めるか、どうしても別の性別戸籍変えたいならこの特例法とは別の法律作るのが筋じゃないのか?あの法は性同一性障害当事者達が勝ち取ったものじゃないのか?

既存ジェンダー規範がうざいってのはわかるんだけどもねえ。

2023-09-27

自分性別への違和感」て何?

Xとかヤフコメとかで書くと個人攻撃されそうなんでここに書く。

ここ数日よく出てくる「性別変更手術をしないで戸籍性別を変更したい」というアレに対する反論というか素朴な疑問について。

先に前提として自分立場を書くと私はトランスではありません。

手術要件をなくせと言ってる人の主張を見るとその根拠になっているのが

性別変更をするために不妊手術をさせられるのは過去優生保護法と同じ人権侵害である

性別変更をすることでホルモンバランスなどが著しく崩れ健康面をそこなう

性別変更手術は非常に高額であり、金銭面に余裕がなければ性別が変えられないのはおかし

・将来的に自分子ども出産したいと思っているトランスもいる

身体上同性パートナー婚姻をすることができない不利益がある

といったところだと思う。

というかこれ以上になにか説得力のある根拠を挙げている意見を見かけない。他に意見があるなら教えてほしい。

しかしそれらの根拠のもとになっているのは全部「私達はかわいそうな存在なので周囲が変わってほしい」という意識であって、その主張が通った場合にどのような社会的混乱が起こるかを想定してそれをどう解決すればよいかという提案は一切ない。

まるでそこにどんな混乱や不具合があろうと、自分たちが「かわいそう」ではなくなればそれが解決であると言わんばかりである

私は選択夫婦別姓同性婚全面的に賛成の立場であり、その実現のために法的な根拠歴史勉強し、それによって失う可能性のあるもの侵害される権利をできる限り想像したり、誤解(同性婚が導入されたら悪用犯罪者が増える、少子化が進むなど)をしている人には統計や諸外国の事例などを調べて細かく反論をするようにしている。

それでもなかなか政治家に近い人達理解をしないのが現状ではあるのだけど、この「手術要件撤廃」についてはそうした姿勢が一切見られていないのが非常に腹立たしい。

当事者ではないので完全に理解することは難しいのだが、ホルモン注射性器の切除・拡張手術が苦痛を伴うものだということはわかる。

その上でどうしても一言言いたいのが、「何のために戸籍の変更が必要なのか考えたことがあるのか?」という疑問だ。

よくよく考えてみれば「なぜ性別変更手術をするのか」というのは、「法律的にそうしなければ性別変更ができないから」ではない。

自分自身の体の性別違和感があり、それを解消したいという気持ちがあるからではないのか。

現在法律要件というのは「これをしなければ性別変更できませんよ」ということからできたものではなく、自分の体への違和感を解消するために手術をした人に対してその体に合った国民生活もっと言うと行政サービス)を送れるようにするためという趣旨からだ。

そこをどうも今主張されているトランスの方々は勘違いをされているようで、「変更するための法的要件が手術なので仕方なくやっている」という考えを前提に主張しており、目的手段へすり替わっている。これがどうもおかしい。

から「手術要件がなければ自分の体を変更することな性別を変更できる」と喜んでいるわけだろうが、そこに矛盾を感じる人はいないんだろうか?頭が悪いのか哲学がないのか知らないが。

もし彼ら・彼女らの主張がまかり通って手術をしない体で戸籍性別変更ができたとしたら、自分の体の性別は生まれときから変化がないのに戸籍けが変更されることになる。

その場合だが、その戸籍という紙切れ一枚に性別が変更されたと記載されればそれで彼ら彼女らの「自分性別への違和感」はきれい払拭されるのだろうか?

私達の性別戸籍にそう記載されているからそうだとなるのではなく、自分の体の分類として記載をされるものだ。

しかトランスとして手術要件不要にしたがる人たちは、自分自身が自分に対して感じる違和感そのままでも、戸籍が変更されればそれで性別が変わったと思うらしい。

さらに踏み込んで言えば、過去自分性別違和感を感じて高額の金銭身体へのリスクおかして手術をした人たちというのは、「自分気持ち」の中の違和感をなくすためにそれを行っている。

対して手術をしたくない自称トランスの人たちは「戸籍」という「他人の目」から客観的事実さえ変更さえできれば自分の中の違和感払拭できると言っているようなものである

彼ら・彼女らの言う「違和感」というのは自分の中から出てきたものではなく、他者からの扱いでしかないと言っているわけである

それがどんなに危険かというのは女子トイレ騒動で十分に世間に知られているはずなのに、自分は一切変わらなくても他人の目が変われば世の中ハッピーになると考えているのか全く反論に対する気概も準備もない。バカなの?と言いたくなる。

性自認がどうであろうとそれは個人自由だし、好きなように自認して周囲にカミングアウトすればいいと思う。

ですが自分の自認を満足させるために周囲の視線自分に都合のよいように強制しようとする姿勢はどうも好きになれない。というか愚かだとすら思う。

何より一番この流れにイライラするのは、そうした主観客観といった深い問題があるこの議論に対し、「かわいそう」だけで認めようとする裁判官政治家がいてしまうということだ。

もうちょっとましなやつがトランス代表してもらいたいのだが、どうして表に出てくる連中というのは揃いも揃って頭が悪いのだろうか。

うっせーなー

女性10歳以上も歳下の男を選んで、お互い同意してるならいいの!問題なし!

男が10歳以上も年下の女性と付き合ってたら、同意があろうがなかろうが、合法だろうが違法だろうが気持ち悪い!問題あり!異常!

それで終わりでいいじゃん。

女性の力がなきゃ子孫も残せない子宮なし能無し生物女性の感じる嫌悪感違和感に異議を唱えるなバカ

anond:20230927130821

ヅカ再就職先知らんけど、ごく一部のタレントになる以外は、ヅカ関係者になるか(これも一部でしょうね)、一般人に戻って結婚するとかしか

ないんじゃないのかね。その中で風俗嬢なら別に普通かなあ。それよりもヅカ芸能人枠って法が違和感あるけどw

スポーツでもたびたび話題になるけど、職業寿命が短い職種の第二の人生ってもっと真剣に考えるべきかもしれんね

そもそもロリコンってなんだ

20代30代が女子中学生かに欲情してたらそりゃロリコンだろうが

しかしながら、男なんてのは早いやつだと自我の芽生えと共にエロに興味を持ち出すわけで

それこそ小学生くらいの男の子中学生のお姉さんの、「中学生」の部分に欲情してショタちん勃たせてたら

この男の子は年上好きなのかロリコンなのかどっちなんだ

小学生からずっと中学生が好きならロリコンなのか

そうはいっても今現在、年上のお姉さんが大好きな彼のことをロリコン定義するのはなんとなく違和感がないか

それはただの年上好きだというなら

じゃあ彼は一体いつロリコン成るんだ

2023-09-26

なんだかんだカップルになって結婚みたいな流れになれば好きになったりもするんじゃないか、とか

一緒にいるうちに情も湧いて好きになるんじゃないか、みたいな

無人島に二人きりにしたらくっつく理論で思ってたけど

この考えは間違いだったなと

他に相手がいない、と思っても合わないもんは合わなかったし

違和感時間解決もしなかったし

無人島でもないし

金玉を失いかけた

今日ジム筋トレしてたんだけど、片方の金玉を潰しかけた。

ハイロウマシンハンマーストレングス製)で背筋鍛えてたんだけど、会社で嫌なことがあったのを思い出してつい無我夢中になってしまった。

その時脚は特に力を入れておらず、股の間にある鉄柱に金玉がグッっと圧迫され、一瞬強い痛みを感じた。

まり痛くはないけどすごくジンジンとした違和感があり、潰したと思った。

今思い返すと痛くないのに潰れた訳がないんだけど、あの時本当に一瞬意識がなかったので、寝ぼけたような感覚になった。

無事だったけどこれからもっと集中したいし、最悪のケースを考えて股にタオルでも詰めたほうが良いかもしれない。

anond:20230926180541

なんだか夢のない話ですね…

増田としては若い頃はプログラミングなんてやらずに設計とか交渉とかやれるようになれと言われて育ったものですから今でも一日に100通のメールやりとりなんてのに憧れていたりはしますが。

今でもプログラミング絶対主義みたいな考え方には少し違和感を感じながらプログラミングしてますよ。

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

anond:20230926091509

元増田よく読んだら、夫と同居してるって書いてるな

女性が当時のニコ動に触れて、世間多数派への鬱屈奇矯言動を取るオタク自分たちと線引きしてコピペテンプレネタにする攻撃性を併せ持つ、男性オタクホモソーシャル空気問題を感じなかったってのはだいぶ違和感があるし、釣りなのか特異なネットへの関わり方をしてたのかなって思う

2023-09-25

連携

取引先がやたらと「連携します」と言う。

それに対して私はいつも違和感を覚えた。

気になって辞書を引いたら、「互いに連絡をとりながら物事を行なうこと」と書いてある。

個人的には「互いに協力しながら1つの物事を行うこと」の方がしっくりくる。

連絡を重視するのか、協力を重視するのか…。

でもそれの両方が無いことには、物事を行うことは難しくなる。

なので、どちらを重視するかはあまり意味がないのかもしれない。

しろ私が一番引っかかったのは、ただ連絡しただけで連携したと言っている取引先の姿勢についてなのかもしれない。

何か問題が起きるとその取引先は「営業連携します」や「上の者に連携します」と言うだけで、進展や改善がない。

いや待てよ。

これを書きながら気づいたのだが、「〇〇に連携する」というのが一番のおかしい。

連携一方的では成り立たない。「〇〇に✕✕する」は一方的にできることだ。

一方的連携はできないのだから違和感を覚えたのだ。

そして上記の通り、取引先は「一方的」でしかなく、ただ連絡をしただけで終わっているから進展がないのだろう。

言葉意味や使い方も重要だけど、助詞の使い方も同じくらい重要なのだなと思った。

取引アカの「ご放屁」の使い方しばしば違和感あるんだが学生さん背伸びして変な使い方してるのかな

最初好感度低くて蔑まれていたけど実力で信頼を勝ち取るってストーリー違和感しかない

好感度低い相手に高圧的で傲慢嘲笑かましてくる人間手のひら返して信頼してきたから何だというわけ

こんな程度の低いゴミからの信頼なんざどうだっていいだろ

お前が私を評価するんじゃない

私がお前を評価するんだ

2023-09-24

取引アカの「ご放念」の使い方しばしば違和感あるんだが学生さん背伸びして変な使い方してるのかな

宝塚女性AVデビューしたことに対しての世論への違和感

世論って言うと大げさだけど、ネット上では「元宝塚女性AV女優しなきゃいけないなんて日本終わってる」みたいなコメントが多かった。

それ見て色々とびっくりした。特に宝塚=清らかで夢と才能にあふれる少女とでも思ってるのか?という点と、AVに出る人が全員無理やり出させられてると思ってるのかいう点と。

自分芸能関係で働いてたけど、芸能界がキラキラしたところだなんて一度も思った事がない。

芸能人全員性格終わってるとは思わない、むしろなんでこの人こんな性格いいんだと思った人もまあまあいるけど

基本的には何が何でも自分が目立ちたい、どんな手段を使っても表に出たいと思う人間の集まりに決まってるじゃん。キラキラピュアなわけないじゃん。

それをまるでいたいけな少女が騙されてAV出てるみたいに言ってんの頭大丈夫かと。

(宝塚はそれはないと思うが)芸能人の卵がキャバクララウンジバイトするなんて当たり前のことだし。

なんか芸能人というものに夢を見すぎじゃないかと思う。

あの人がどういう事情AV出たのかはしらんが、普通仕事ができないわけないし

(まあできない人もいると思う、ただそれは宝塚というか頭が出来上がってない若いころから芸能界にぶち込まれたことの弊害であって社会うんぬんではない)

庶民的暮らしじゃ満足できないならラウンジで働いたりパパ活やったり

ツテで男つかまえてのんびり専業主婦したり道はいくらでもあるわけで…

なんで被害者みたいになってんだって思う。

こう書くとフェミが追い込まれたんだ!芸能界や男の餌食になった!純粋演劇世界に憧れた人になんてことを!とか言ってきそうだけど

頭お花畑すぎるだろとしか

ちなみに俺が知る限り芸能界だけじゃなくバレエやらスケートやらもかなりやばい

やばい場所からやばい場所に移動したというだけのこと

かわいそうかわいそうって言ってる女性たち、清楚系AV女優を清楚と信じてる男性たちと本質的には同じに感じる

今更だけど、トップガン マーヴェリックみて、おもしろかったからレ

おもしろかった。

いつも通りの展開で「これこれ!トム・クルーズにはこれを求めてんのよ!」ってなりつつも、終盤ちょいと一捻りあって、それもまた良かった!

ありえねぇ展開だ!って怒るのは野暮ってものでしょう。


ーーー以下、時系列で良い点、気になった点を書いていくーーー

【良かった点】

ハンドサインってカッコいいよな。(ここが終盤につながるのかっこよすぎるよなぁ)

俯瞰視点での極超音速機かっこよい。地球が綺麗。

バーでの昭和レトロなやり取りが最高。

・自信満々なハングマン最高。こういう奴がいるかアメリカって強んだよなぁって思った。NBA選手トラッシュトークとかと通じる所ある。自分が一番強いって思ってるところ最高。

トム・クルーズ無双状態観れるの最高!やっぱトムはこうでなくちゃ!いやしかし、あのアクロバット飛行を観れるのいいよなぁ。あれCGなんかな?それとも実写なんかな?まぁCGやろなぁ。凄いなぁCG技術進歩やばい違和感まったくない。

ヨットのカッコよさね。ヨットってなんであんなカッコいいんだろうか。湘南に住むようになって、ヨットとかああいうののカッコよさが少しわかったかもしれない。

女性の美しさ凄い。あれ50オーバーの設定だよね?トム・クルーズは裸だけど、女性は服着てるの配慮が素晴らしい。体は流石に魅せられるレベルでは無いんだろうな。逆に言うとトム・クルーズ凄すぎなんだけどね。

作戦実行中にあんな波乱があるとは!!あれにより、ドッグファイトも生まれたし、最高の展開。あそこでもう一捻り入れられるのは、脚本家の素晴らしさ。僕だったら作戦成功で完!ですわ。というかスターウォーズジョージ・ルーカスでさえ、作戦成功で完!だったのに、流石だわー!


【気になった点】

・前作のトップガンは観てた方が良い。というか観てないと作品に入り込めないかも。アマプラ・ネトフリ、だいたいトップガン入ってるからいるのがおすすめ

マッハ10超えて、更に無茶するとか…。いや、そもそも上官の司令を無視て…。トム・クルーズ無茶しすぎ。軍法会議かけられるレベル。あ、でもこれの映画トム・クルーズだったわ。こんなツッコミ野暮だね。

マッハ10超えた機体がぶっ壊れてんのに、なんで生きてんの?意味わかんなさすぎやろ。あ、でもこれの映画トム・クルーズだったわ。こんなツッコミ野暮だわ。

・なんでトム・クルーズ教官なんだよ!お前が乗ればええやんけ!!ってなったけど、結局トム・クルーズが乗ったから最高!

女性軍服ちょっとピッチリ過ぎやしないか?と思った。けど普通わからんから判断はできないけど…。

あん軍事作戦ありえんやろ。あんなもん高高度からバンカーバスター撃って終了やろ。あん生命危険晒すような作戦は今の時代はありえん!!!って危ない危ない、これトム・クルーズ映画だったわ。こんなツッコミ野暮野暮。命を掛けるからキドキが生まれるんだからさ。

アイスマンとの友情とかは、前作観てないと分かりづらいだろうな。

ルースターのトム・クルーズへの恨みは少し分かりづらいかも。父親との関係や願書を抜いた件は、ここまで関係こじれるまでのことか?とはなった。母親からの頼みなのに、母親はなにしてたんや?真相話してないんか?ってなった。母親お前が一番悪いやんけ!

飛行機を奪い去って逃げるやつ、ウケるwww有り得んやろ!!スターウォーズやんけ!!!wwwあんなもん許してたまるか!!敵なにやってんだよ!!ありえん!!え?というかスターウォーズへのオマージュっぷりが凄いな。


世界観・設定【5】/10

ストーリー論理的整合性【5】/10

キャラ論理的感情的整合性【8】/10

キャラ魅力度【4】/4

テンポの良さ【4】/4

魅力的、独創的な演出【4】/4

映像美【4】/4

音楽の良さ【4】/4

合計【38】/50

2023-09-23

すずめの戸締まり32回目感想

「(コレクターズエディションの予約)どないする?」

「まぁ(予約に会員登録必要っぽいし予約特典スルーして店頭購入で)ええやろ」



9月20日

「あれっコレクターズエディションは?」

「ごめーんスタンダードエディションだけ入荷しちゃった」


「これでも私は慎重派でね近場の専門店を徹底的に調査・問い合わせさせてもらったよ その結果…コレクターズエディションの在庫がどこにもないことがわかった」

ウ…ウソやろこんなことが…こんなことが許されていいのか

まっBD対応機器も買いそびれてるからバランスは取れてるんだけどね

◇この計画性の無さは…?



まぁそれはそれとしてすずめの戸締まり御再上映だあっ

舞台挨拶は平日だから応募しようともも思っていなかった(強がり

わ…私は…すずめを見るために早退申請したのに結局ガッツリ残業した過去があるんだっ 労働の悲哀を感じますね…

嫌でも休日に見に行ってやりますよクククク…

フンッパンフレット以外のグッズ販売はないのか

シネコン上映には致命的な弱点がある 予告編がクソ長いことや

うあああ…幸福の科学映画映画館を練り上映されてる

また清水崇濫造ホラー…こいつもクソ映画っスねと思ったら別の監督だったんだ どこに需要があるんスかね 忌憚のない疑問ってヤツっス

ゴジラ-1は普通に面白そうなんだ山崎貴サイコパス感がプラスに働きそうなんだ

何故か知らんが予告編見てるうち泣きそうになって一番戸惑っているのは俺なんだよね 情緒不安定ではないかと思われるが…

ミノル君の存在を素で忘れてた…戸締まり展でもいなかった気がする

シネコン特有音漏れが気になる。たまたまどっかの戦闘シーンが被っちゃったんだろうけど、夜の旅館のシーンで爆発音漏れ聞こえて違和感しかないんよ

やっぱり旅館の夜のとこからハマっていって遊園地からのめり込む感じ

旅館以降、作画とかがそれまでより別段に良くなる感じがする

気のせいかもしれんが

細部を忘れてたので懐かしい…

初めてのデート遊園地なんてうちらXXやねぇ、相変わらず聞き取れん

オラ東京さ行くだもわからん

マスクは世の中一周して加筆前みたいな状況になってるね

追加で加筆したらしいけど、常世以降しかわからん

ミミズ常世の煙と陽炎ロリすずめが転んだ時の顔の泥、駅での芹沢カーの傷かなぁ

見間違えかもしれんが、常世の炎は正直これまでイマイチ感あったから熱気がわかりやすくてよかった

比べるもんでもないけど、君たちはどう生きるか火事シーンはやっぱ迫力すごかったし

草太のただいまはもっとアッサリ言うのかと思ったがそうでもなかった


結論としてはやっぱり面白かった、になるんだけど

やっぱり画質音質の差がデカいからいい映画館で観たい

でも100館限定で大体1日1上映だからそこは難しい…まぁそれはしょうがないというか、上映してもらえるだけありがたいんだけども

再上映したら念願のムビチケ使えるかな?ってのは、ムビチケ自体発行から6カ月が期限なので無理そう

まぁ中古ムビチケだけどっかで買ってもいいのだけども

2023-09-22

被害者女性加害者の男

事件報道なんかで、被害者を「男性女性」、加害者を「男/女」って表現するのって、よくなくない?

登場人物を書き分けるレトリック上の要請、というのは理解する。

ただ、裁判にもかけられてない人に対して(というかたとえ死刑囚であっても)、報道というパブリック文脈で、わざと邪険っぽくした言葉を吐きかけることに対してかなり違和感がある。

「悪い行い」に対する批判を表明するのはいいよ。それがペンの力だから

でも、マスコミという私企業、あるいはそこに勤める会社員が、人の尊厳を踏みにじるような言葉遣いをしていいってことにはならないでしょう。

上手く通じるか分からないんだけど、「日本語母国語とする人が、英語ネイティブとする人に近づけるわけでなく、いわゆるカタカナ英語的な発音で、どちらかといえば洋楽に多いテイストポップスダンスミュージック英語で歌う」というのが苦手なことに気がついた。日本語発音方法英語の歌を歌うと、元々ある言語発音上の滑らかさが弱くなって、なんとなくちゃちな感じというか、背伸びして英語歌詞を歌っているように聴こえちゃう普段ほとんど日本音楽ばっかり聴いているので、日本のPOPSがダサいとかそういうことを言いたいんではなくて、それぞれ言語に合わせた音作りになってるんじゃないかと思うから、無理やりカタカナに当てはめた英語で歌うくらいなら、母国語英語の人にオファーできんかったのかなーって思ってしまう。

なんで急にそんなこと思ったかっていうと、今遊んでるアークナイツって、本編にも出てこないテーマソング趣味で(かどうかは本当は定かではないんだけど)ぼんぼこ作って出してるのね。んで、現地でのコンサートはさすがに現地のアーティストに頼んでいるんだけど、配信音源は色んな国のアーティスト楽曲提供お願いしているみたいなんだよね。開発会社中国から、何なら歌だって英語じゃなくていいはずだし、最初から国内アーティストに頼んでもいいと思うんだけど、それだとイメージが違うんだろうね。中国の方も英語すごく訛るし。日本アーティスト英語で参加しているけど、その場合歌い手作曲日本の方であるので、違和感がない。予算問題があるんだろうけど、やるならそこまでやってみてほしいなと思ったりした。

anond:20230922154722

移送用にバスを買いたかったが、お金がないので車を二台買った」

どうだ、違和感がなくなっただろう?

まりは糞問題だってことだよ。

anond:20230921120244

やたらジャニオタ被害者叩きが避難されて一部の過激派でなくジャニオタは全員イカれてる!みたいなのまで見るけど、はてなー増田ブコメでのセカンドレイプが見えてないわけじゃないよね??

それはそれ、これはこれでどちらも叩いたらいいけど言及がまったくないの違和感あるわ。

2023-09-21

4℃ダサいばなしを見て思うのだが

かにオープンハートネックレス単体で見るとおっさんの目にもちょっとおもちゃっぽいなとは思う。

でもそもそもアクセサリーって単体でどうこうじゃないやろ?

単体だとアクセサリーなのかもよくわからんような物体だってあるやん。

それが服装や全体の雰囲気と合わさってアクセントになってたらいいわけだろう。

あるいはシンプル服装に敢えてゴテゴテしたアンティークっぽい指輪がいい感じにミスマッチとか、

まあ俺は自分でつけないからもうひとつ勘所がわからないが、さすが女性はそういうハズシとか違和感を逆手に取るのとかちょっと思い切った感じとか上手い人が多いな、一種の基礎教養なんだろうなと思っていた。

しろティファニーって書いてあるティファニーリング」とかこそ、よっぽど自信ある人が敢えてやる以外は恥ずかしいことになる鬼門のような気がするのだが。

なんか買いかぶりと言うか、ストレートに「ハイブランドじゃないと恥ずかしい」「デザイン自体無難でいい」という、あんまり遊び心とかは無い人もけっこういるのかな

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