はてなキーワード: 違和感とは
いにしえの少女マンガ、やっぱり価値観が変わっていて今読むと古い
幼なじみの男の子と窮地に陥って、どうしようと慌てふためく男子に落ち着けしっかりしろ、と喝を入れる
そして、ここから抜け出す方法を考えるのはあなたの役目でしょ!とたしなめる
ええ〜なんだこの価値観、と今読んで思う
今なら一緒に考えよう、が正解だろう
さらにいにしえのスポーツ女子マンガも謎の上下関係を尊ぶ心理描写に違和感感じまくったけど
価値観も変わるもんなんだなあと
自分は気持ちだけ強く持っておくのが役目で、実際の仕事は全部男がやるもの
でも愛の力、想いの強さで奇跡が起きる展開
書かれてる内容からして精神疾患についてあまり詳しくないんだろうというのが伝わってくる
発狂とは何を指しているのか
ストレスにより適応障害になる人たちが出てくるのでは、という表現のほうがよほど理解できる
想像と思い込みでふんわり「もうやめて!私の大好きなナントカくんの精神がおかしくなっちゃう!心が壊れちゃう!」って言ってる小中学生みたいで違和感がすごい
この増田にASDだけが発達障害だと思うなよ的トラバがちょいちょいあるのに具体例が上がってないからでしゃばってADHD(注意欠陥優勢)語りするね。
まず最大の違いとして、ADHDの発達障害当事者は黙示のルールをだいたいは察知できる。ADHDはとにかく情報が大好きで情報でパズルすることがもっと大好きなので、”明示のルールの上では違反だけど、情報を繋ぎ合わせて考えると違反してもしょうがないところがある“黙示ならいくらでも飲む。パチンコがどうして三店方式を採用してるのか分かるし、学校にスマホを持ってきている友達を見ても「お母さんが車で送り迎えしてるから」みたいな事情を把握できれば放っておく。そもそも不良だったとしても怒りを抱けないので放っておく。これはASDとの大きな違い。
ADHDは相手の感情をなんとなく察知したり、頭が良いほうなら定型発達みたいに話すこともできる。そのうえで他人との接触をどうでもいいと思っている関係上ほとんど反発しないので、感情面においては、いわゆる発達障害特有の焦燥は生じにくい。ここでは話が逸れるので扱わないが、基本的にADHDの”つらさ“は身体面に集中している。
ADHDは自分の意志や感情を抱くことがなにより苦手なので、それを逆手にとって穏やかに振る舞うことができる。ADHDは喋るのもとろいのであんまりとげとげしいことは言わない。ADHDはぼんやり生きているので発言はいつも的を外しているし、言いたいことの7割くらいはそれを口に出す前に他のことに興味が移動するから、”“言いにくいことをついスパッと言ってしまって気まずい空気になる”“みたいなイベントはADHDにはめったに起こらない。
とにかくADHDが最も苦手としているのは、周囲に馴染むことではなく、情報に付随する情動やライブ感みたいなものを持続させること。ADHDはマホちゃんのスカートを見て「似合ってない」「ダサい」みたいなことを思えない。ああ、知らない形のスカートだ。初めて見たな。それだけ。
定型発達やほかの発達傾向のみんなが生のまま摂取できる情報を、ADHDはそのまま手に入れることができない。ADHDが知覚したものはすべて脳みそを通って漂白され、俯瞰的な情報としてだけ記憶に残る。なのでADHDは自我が希薄で、強い感情を抱くのがあんまり得意ではなく、いつもヘラヘラして見える。
ゆえに”黙示のルールの察知“こそできるものの、ASD増田と同じように「浮いた見た目の奴は笑いものにして馬鹿にしていい」ルールには従えない。ADHDには人を嘲る方法が分からないし、それを娯楽とできないので従うメリットがない。なのでこの辺は表面上同じ感じになる。
これによって軋轢が生じにくいのは、ADHDがあまりにもぼんやりしているせいで、こういうときに意固地になるような真面目ちゃんではなく、打っても響かないうすのろとして認識されるからである。
大元の増田の一番の違和感はここだった。とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃうのは”発達“の悪癖ではなく、とげとげして気が使えなくて思ったことをズバズバ言っちゃう定型発達の未熟さである。ADHDは他者に干渉しないので、萎びた観葉植物くらいどうでもいい穏やかでのっそり動く謎の生き物でしかない。
まともな人生を送りたい場合は障壁になることもあるが、素の性格に関わらず偏屈者ではなくまぬけとして認識されやすいのはADHDの大きな強みでもあるので、とにかくここが気になった。
ADHDはマホちゃんにあのスカートが似合わないことにも、周りのみんなが「いっしょになって嗤え」と要請していることにも気づかないが、情報の追加には敏感なので他の子がまずしないような服装であることには気づく。
ADHDは頭の中でとりとめもない情報同士を接続させることに人生のほとんどを費やしているので、”誰も履いていないようなフリフリのスカート“はファッションアイテムではなく”はじめて見る物体“であり、他の情報と接続されるのを待っている新しい情報である。すてきな新しい情報。マホちゃんに似合うかどうかは分からないしどうでもいい。そんなことより既知の情報とスカートを繋げるべく「プリキュアがあんなスカートを履いていたな」とか「ああいう鳥がいた気がするな。なんて鳥だったかな?図書室で図鑑が見たいな」みたいなことを考えはじめ、ADHDの知覚範囲からマホちゃんはいなくなる。
なのでマホちゃんに声もかけないし、マホちゃんがお友達にべったりな性質の子でない限り、高校生になる頃にはマホちゃんとは疎遠になる。
ADHDは来るもの拒まず去るもの追わずなので環境によっては知り合いを多く得られるが、人間関係を維持できないので竹馬の友はいない。
ADHDは人の話を最後までうんうんと聞き、口答えせず、ゆっくりと動き、細かいことを気にしないので、中高年や高齢者の相手をするのが得意である。なのでパートのおばさんから無視されることはあんまりない。
ただ、ADHDの動作は何もかもがとろくさく、仕事中にどうでもいい物事に気を取られるので怒られることは多いかもしれない。
ADHDは美術部には入ると思う。ADHDは自分以外の人間たちもみな、たくさんの情報を頭に流し込まれると幸せになると思い込んでいるので、自分の頭の中に入っている情報をいろんな形で出力して見せびらかすのが大好きである。というかそれ以外にまともなコミニュケーションが取れないので、ADHDにとっては、文章をしたためたり絵を描いたりすることは定型発達における世間話や歓談に相当する。
ADHDは先生のことを好きにならない。ADHDにとって全ての人間は情報の塊であり、有用な情報がたくさん詰まっている先生のことは心から慕うだろうが、それは人間への好意ではなく、使いやすい辞書とか見やすいwikiとかに対する信頼と同じ感情である。ADHDは強い感情を安定させることが苦手なので、恋愛感情が発生するまでテンションを上げ続けることができない。
ADHDは具体的でないアポを全て忘れるので、社交辞令で飲み会に誘われたことをそもそも覚えていない。ADHDは人間とのコミュニケーションを情報として知覚できないので、具体的なアポであってもたまに忘れる。
ADHDは交友関係を維持する努力ができないので、大人になったADHDのスマホにマホちゃんの連絡先が入っている可能性は限りなく低い。ADHDにとって他者との繋がりは最も価値の低い情報なので、スマホを新調するさい電話帳の引き継ぎを忘れるかめんどくさくて移さないに決まっている。もし奇跡的に連絡先が入っていても連絡する理由が分からないので、マホちゃんに電話する代わりにTwitterで久しぶりにたずねた地元のラーメン屋にかんするツイートをする。
ADHDに友達はいない。好きな人もいない。ADHDは悲しくない。ADHDの感情はいつでも「眠い」一択である。いろんな情報が絶えず頭に流れ込んでさえいれば幸せなので、ADHDは人間を欲しがらない。
まぁでもADHDはADHDなので職場で気にかけてくれるパートのおばちゃんは存在しているはずである。同世代の知人はいない。
ADHDはADHDの特性それ自体も情報だと思っているので、いろいろ調べたりする。そうしてこういう場をめざとく発見してはADHDの情報を見せびらかす。
たぶん多動が強い人はまたちょっと違うんだろうな。
おわり
これって吐き気を催すエイジズムだと思うんだけど、普段反差別を主張する人々が支持しているのが信じらんない…
ていうか持て囃してる人って25歳という若さを持て囃しているだけだよね
少なくとも、女性にとって若さはハンデではなく武器にしかならないのに、そこを無視して若いのに凄いと持ち上げる向きには凄い違和感
同じ事を35歳の女性が言ってたら絶対、羊水腐ったBBAの嫉妬だの何だの言われてるでしょ
若さがちやほやされるような社会、年を取ったら切り捨てられるような社会で若者にどう希望を持てというのか
https://twitter.com/emil418/status/1706921339209269337
𝐄𝐌𝐈𝐋
@emil418
「この議場の年齢や性別の構成を見ても明らかなように、これから任出産する可能性のある当事者はどれくらいいますか?」
それな
スターウォーズのベイダーがルークに親子であることを伝えるシーンでしょ
中国文献だと狗奴王はヒミココという男王でヒミコと名前が似てるからファンタジー的に親子としても違和感はない(両方中国側に残った呼称でしかないから実際は違う名前の可能性が高いけど、血縁はあってもおかしくない)
赤ちゃん泣いてもおむつか授乳か機嫌が悪いだけかを理解するのはそこまで精度高くない。わかった気に合っているだけで外れることも普通にある(嫁談)
授乳は定期的な間隔で与えればとりあえず害は無視できるレベルなので、緊急性はそこまで高くないです
おむつの方が実がおむつに残ってる違和感っていうわかりやすものがある上に、時間調整ができないので緊急性は高いです
虐待といわれるかもしれませんが、諸事情で定期時間過ぎても授乳時間取れなくて、1時間おしゃぶりだけとかでもご機嫌だったりしたことはある
授乳なんて基本計画的にやってあとはおもちゃでもおしゃぶりでも少しの時間は代用が可能
授乳室はあれば便利だけどなくてもないなりに動ける
仮にあの授乳室に天井が付いたり素材がダンボールから高級感あって頑丈なものに変更された程度で今文句言ってる人達がみんな授乳室を使う様になるんだろうか?そもそも件の施設は道の駅なのだから利用者は乗ってきた車の中でシェードなどを使いながら授乳すれば鍵も掛けられるしエアコンも付けられるし公衆トイレなどの誰でも使える公共施設と違って盗撮用カメラが仕掛けられてるなんていうリスクも心配する必要なくなるのでは?そういった「車内で授乳させること」以上の利便性を授乳室として提供させられる見込みがあればどんどん改善させていけば良いと思うけど、そうでないなら需要に合わない無駄なリソースを投入しているだけだと思う。
例の騒動で目にした意見の中で自分が一番違和感を覚えたのは「批判がおきたから天井が新たに設置されたんだ。批判は無駄ではなかった」系のやつ。正直「カイゼン」されることそのものが神格化され過ぎている様な気がする。リソースを投入する前にまず目指すべきゴールを明確にするのが先なんじゃないだろうか
たとえば、普通の銀行でカネを横領した行員や詐欺をやってた行員がいたら、行内での再発防止策を求めるのは当然だし、意味があることだと思うけど。
仮に「詐欺師がカモを物色するために作り、実際に多くのカモを騙してた銀行」があったら、存在自体が犯罪組織なんだから、内部での再発防止なんて意味なくね? その銀行を潰すのが「社会としての」再発防止策じゃね?
同様に、テレビ局の中に少年をレイプしてたプロデューサーが1人いました、とかなら、テレビ局内部での再発防止策にも意味があるだろうけど。
「常習的な性犯罪者が好みの美少年を物色するために作り、実際に多くの美少年を権力を使ってレイプしてた会社」は、存在自体が犯罪組織なんだから、内部での再発防止なんて意味なくね? その会社を潰すのが「社会としての」再発防止策じゃね?
だから、ジャニーズ事務所の内部調査や再発防止策が不十分だって責められてるのすごい違和感があるんだよね。いや、彼らにそんなもの求めてどうするの? って思っちゃう。
彼らがどんな調査結果や再発防止策をお出ししようが、社会としての結論は1つしかないんだから、彼らにマトモな対応を期待するのをやめて、粛々とその結論に向かって歩みを進めるしかないと思うのだけれど。
好きではあるんだが
アニメ化、しかもジブリか新海かみたいな大枠を取るのはかなり違和感あって
原作はもともと相互のコミュニケーションについての問いをひとつづつ具体的な事例として立てては示し、立てては示し、を黙々とやってるだけの話で
バトルも、ファンタジー世界のエキゾチックなビジュアルも、ほぼ脇だし
魔族の設定は他者とのコミュニケーションのあり方を巡ってのフリーレンとの対比を意識したものだし、道中のイベントもまた、コミュニケーションや理解、受容について抽象的な問いにせず実際の体験や行動に落とし込むだけで、そこに過剰な意味づけしちゃうと旅してる意味がなくなるよねって代物だし
魔法についての、人間は内容を理解しないでそのまま使うって解説とかもそうで、これ科学談義の話でもあるけど、魔族が人間の精神や感情を「理解」しようとして人間を殺しまくるって描写と並行してやってて、作品世界の設定が全部、フリーレンの物語のために従事する作りになってる
こういう、世界設定が全て個人の物語のためにある、古いタイプのファンタジーって今どき珍しいからさ
恋愛的な意味になる。男性を見ていて、本当に鈍いと思うことがある。人生でそう何度もあるわけじゃない機会だ。ここで愚痴らせてほしい。女の子が不憫すぎる。どうして男の人は気が付かないの?と思ったことがそれくらいある。
若い年齢ではないから、リアルな感じは伝わらないし、違和感もあるかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい。
これまでに何十回とそういうのを見てきたけど、年代別に3人だけ語りたい。それぞれ、高校生の時とか、大学生の時とか、社会人の時とかいろいろある。
小町とかで書いた経験もない。文章は不足してると思う。読みにくかったらごめんなさい。
一つめは、高校の部活での出来事になる。文化系の部活に入っていて、社会福祉の活動をしてた。今の言葉でいうと、ヒューマンライツ部みたいな名前だった。
ハンセン病とか、人権があやぶまれている人達のために募金活動をしたり、東日本大震災の被害者のためにカンパでお金を集めたり、署名活動をしたり、あとは非核運動にも参加していた。集めた募金の方は、政党や団体に寄付していた。
書いてるうちに懐かしくなってきた。自慢にはなるけど、実績のある部活動だった。広島県庁からも、文部科学省からもインタビュー依頼があったり、賞をもらった。
忙しい時はとにかく多忙だったけど、普段はそこまでやることもなかった。そんな日は、狭い部室棟の一室で、みんなで雑談して盛り上がっていた。その部室で、ある時、当時は高3だった私と、同じく高3の女の子と、高2の男の子がいた。3人だけだった。
私は人権学習の資料を読んでいて、あとの2人は楽しげにトークをしていた。ちょっとうるさくて、注意しようか迷ったけど、そういう雰囲気の2人なんだなと思ってやめた。
気がついたら6時半になっていて、もう帰ろうかと思ってたら、高3ちゃんが高2君に話をはじめた。
「ねえ。なべは帰りは自転車だっけ」
「うちは電車なんだけど、じゃあ途中まで一緒だね」
「途中……あぁ、あの坂が途中で別れますよね」
「なあ、今日いっしょに帰らん? 駅まで。暗いし」
「途中までなら」
「駅まで帰らん?送ってくれん?怖い」
「うーん」
イライラしていた。高2君に。男はここまで愚かなんだろうかって、この時絶対にそう思っていた。高3ちゃんは黙ってたけど、一声を振り絞ったのを覚えてる。
「ねえ。なべー、今日一緒にかえろ?」
「すいません。帰れないです。今日は家まで急ぎなので」
さっきまで、あんなに楽しい調子で話してたのに。なんだったんだろう。だったら、さっさとあなた1人で帰ればいいのに。どうして、ここまできて駅まで送ってあげないの?
どうして、男の人はこんなことをするんだろう。たとえ乗り気じゃなくても、一緒に帰るのがマナーだと思う。高3ちゃんは、性格のいい子だった。外見だって。私から見てもブサイクじゃない。
なんで、高2君はあの時、誘いを断ったんだろう。一般的な男子だったら、一緒に帰るものだと思う。
彼のような男性が減ってほしいと願う。高3ちゃんの勇気が無駄になってしまった。ひどすぎる。
二つめになる。
大学生の時だった。教職課程を取っていた私は、ある難しいグループ講義に参加していた。教育方法学だったと思う。6人でチームを作って、先生が出した課題に沿ってグループ内で討論をして、レポートを半年間で4回作って提出する。2・3年生が中心の講義だった。
私が通っていた大学では教職課程最難関と言われていて、まじめに受けても3人中2人しか単位がもらえないという話だった(しかもほとんどの人が「可」の評価)。当然必修科目だ。
私が入った講義グループ(チーム)は、3年生が1人、2年生が5人で偏りがあった。講義の初回はオリエンテーションで難しくなかったけど、2回目からは本格的な教育学の討論が入って(エリクソンの発達課題?)、みんな自分の意見が出せずに苦戦してた。しかも、2週間後には関連付けたレポートを出さないといけない。
私もぜんぜんわからなかったけど、話の種はなんとか出てきて、ノートに記述を書き留めていって……でも、次の回になると課題がもっと難しくなった。上の課題が、別の経済問題(非正規雇用とかの多様な働き方)と関連付いていた。
ほかのみんなも黙り込んでしまってどうしよう、となったところで3年生の男の人が口火をきった。なんて言ったかは詳しく覚えてないけど、「先生の意図は、どうやったら主体的な学びができる子を増やせるかだと思う〜」という内容からはじまって、経済問題につなげていって、話を終える頃にはグループ全員が小レポートを作れるくらいの論がたまっていた。
講義終了後に、担当講師の人が用意したチーム単位の登録制SNSがあったんだけど、そこでも自分の論考をオープンにしていて、みんなその人の意見を参考にしていた。
第1回のレポートを終える頃には、チームのある女の子(大2ちゃん)が、その3年生(大3君)にひたむきな視線を送っていた。
講義中に話をする機会があったら、大2ちゃんはまっすぐに大3君の目をみていた。座っている同士だと、講義机の上に両手をちょこんと載せて、口を結んで彼を見ていた。お互いに立っている時だと、背筋をのばして大3君を見上げるみたいにして、できるだけ近くに寄ろうとしてる。
そういう姿を見るのが楽しみだった。大3君は、見た目はぼやっとしているけど、頭の回転が早くて、堂々としてた。私自身も、いい人だな、ご飯に誘われたらどうしようと思ってた。
第2回、第3回のレポートも提出が終わって、いよいよ最後のレポートを出す直前の講義だった。
その講義の責任者だった教育学部の教授から言われたのは、「最後のレポートを出す前に、お互いを評価しあいましょう」というものだった。5点満点で、メンバーがそれぞれ評価を出し合って、平均点が最終レポートに加算されるみたいだ。
その時、6人のメンバーは長机×2にそれぞれ座っていて、その5点満点の評価シートを眺めていた。緊張感があったと思う。人生初めての経験だった。
そしたら、大3君が言い出した。「これは、お互いに満点をつけるために存在しているとしか思えないから、みんなそうしよう」って。
みんなうんうん、と頷いていた。かくして、私たちはお互いに5点を投じ合った。大2ちゃんは、彼のそんな様子をあこがれの視線で観ていた。もう、第三者にもわかるような、それくらいわかりやすかった。
でも結局、彼女の想いは報われなかった。最終レポートを出し終えて、「最後に飲み会をしよう」となった時だった。福岡市内にある落ち着いた雰囲気の居酒屋で、みんなで六人だけの飲み会を楽しんだのだけど、わたし達は一緒に見計らって、大3君と大2ちゃんをくっつけようという話になった。
席を隣にしたり、一緒に話す機会を作ったり、ふたりがいっしょになるように計らっていた。でも…大3君は、そんな彼女をスルーしてた。仲良くする気配もなくて、ただ「そうだね」みたいに呟いてた。
その後、最後のチャンスということで、大2ちゃんが彼をご飯に誘ってみて、一緒にデートしたみたいだった。けど、大3君からは特にアプローチはなく。
告白しようか、と思ったみたいだけど、傷つくのが嫌だからやめた方がいいかなって彼女は言ってた。私もそうした方がいいと思って「待った方がいいよ」と、一通り話を聞いた後で助言した。
私が許せなかったのは、その次の年の別講義で私と大3君が同じ班になった時、一緒にご飯に行く機会があったんだけど、彼はその時「実は、大2ちゃんのことが気になってた」と意味不明なことを言ってた。
こいつ最低だと思った。自分の想いも告げないのに、勝手にフラれた気になって、自分からは動かないのに。どうして、男性はここまで自分勝手なんだろう。
大2ちゃんが気になってるなら、彼からご飯に誘って、彼からそれとない会話をして、彼から告白して、とにかく想いを告げるのは男性の役割だ。
もう過ぎたことだけど、今でもそういう煮え切らない態度の男性を見ると、正直腹が立つことがある。
三つめになるけど、今の職場でいうと、私と同じ齢の30手前くらいの男性がいて、彼は多分、私の同僚の好意に気づいているのに、なにもしようとしない。私はすぐ近くの席で見てたから知ってる。
その子は、彼と目が合いそうになったらすぐに逸らしたり、廊下ですれ違う時に端っこに寄ったり、彼と話をする時にまっすぐ背を伸ばして彼の顔を見詰めたり、話をしている時は声が極端に高かったり、低かったり…そういうわかりやすい態度で示してるのに、その男性は知らん顔をしている。
※結婚してる人じゃないよ。念のため。
その男性も、会社の飲み会の二次会では「あの子が気になるかも」ってトークをしてた。お酒の席だから冗談かもしれないけど、私からすると彼も彼女のことが気になってる。
男性って、どういう気持ちでそんなことをするんだろう。女の子からのアプローチがあって、しかも自分がその子を気になってるのに…どうしてそんな行動が取れるんだろう。
私にとっては、男性のそういうところが理解できない。悲しい話ばかりになったけど、我慢できなかった。今回は、自分の気持ちを正直に言ってみたつもりだ。厳しい意見は覚悟してる。一増田の意見として読んでほしい。
そんな感じだな。
浅い例えで恥ずかしいけど、京極夏彦氏とかが使ってたら文体や他の語彙とかと馴染むけど、ラノベとかなろう系みたいな薄っぺらい娯楽極振りな文体で「ヤバい」みたいな語彙と使われてるとめちゃくちゃ違和感ある。
https://note.com/mako_makkonen/n/n83058a4ce0ca?magazine_key=m46cb1ef7f125
文章力が伴ってない作家がこういった表現やマイナーな慣用句使ってるの、ちょっとした気色悪さというか違和感あったけど、本質的ではない付加価値や権威付けとして「ヒマラヤの岩塩」って例えるのめちゃくちゃしっくり来る。
せめて段ボールでも「ないよりはマシ」と思って設置したつもりが、使われもせずしかも叩かれるという「ないほうがマシ」状態になっている。
たしかにあれは道の駅みたいなところに設置するにはちと心許ない。あれを使いたくない気持ちもわかる。
上から覗かれるとか(人が大勢いる公共施設で踏み台使って授乳室を上から覗き込もうとする男はかなり肝が据わってると思うけど)、子供にカーテン開けられるとか(出入り口を壁側に向ければ問題ないと思うけど)、風で飛びそうとか(紙でできているので雨の降りかかる屋外には設置されないと思うけど)、どれも不安な気持ちとしては理解できる。
もっとも、道の駅はマイカーで立ち寄る場所なので、みんな鍵のかかるプライベートスペース持ち込みで来てるんだよな。日除けシェードで目隠しすれば車の中でも十分授乳はできる。
したがって、要不要で言えば、マイカーを超えないスペックの授乳室は道の駅にはあってもなくても大丈夫なものなのだ。
じゃあ、なんで怒ってんの? 女性のみなさん。
「置くのは勝手ですけど、あたくしたち使いませんわよ。お車がありますもの」で済む話じゃん。どこに叱られ要素あった?
これが置かれることによって何か不利益を被った女性がいるわけ?
そもそもあの授乳室は自治体が公費で設置したわけでも何でもなく、道路建設業協会っていう業界団体(一般社団法人)による寄贈なんだよね。プレゼントなんですよ。
ありがたがれとか感謝しろとまでは言わないけど、逆ギレするところかな? していいところかな? あなた誰かからプレゼントもらって気に入らなかったら怒るの?
ママさんが怒っていいのは「設置されていた授乳室が撤去された時、またはスペックダウンされた時」だけですよね?
まともな授乳室が撤去されてあの段ボールにすげ替えられたのなら怒っていい。けど、なかったところにできたんだよね、段ボール。
もう一回言うけど、あの授乳室は善意の寄贈品であって、置かれることによって損する人は一人もいないんですよ?
なんで怒ってんの?????
もうひとつ違和感を覚えたのは、「段ボール授乳室は道の駅のような場所には不適だが、これこれのような場所では役に立つだろう」といった建設的な提言が女性の側からは何一つ出てきていなかったこと。
「どうせ男社会の自己満足でしょ」と切り捨てるばかりで、実際のママさんたちのニーズと現実とをすり合わせて「道の駅にあるべき授乳室の姿」とか「段ボール授乳室の役立て方」の方向に思考を向ける気配が女性の側にはさっぱり微塵も感じられなかった。それができるのはむしろ女性の側のはずなんですがねえ?
「男は何もわかってないわねえ」とグチュグチュ不平を書き込むような無駄なエネルギーがあるなら、そのエネルギーを一歩でも世の中を前進させるために使ってみてはどうですかね?
「社会の問題はすべて男が解決すべき。女はただ文句だけを言う」っていうその根本的な甘え気質が、まさに女性の社会的地位を今の状況に甘んじさせている所以なのと違いますか?
段ボール授乳室を見て「男が考えそうなことよねー」とおっしゃいましたな。じゃあおうかがいしますが、女は何か考えたの?
道路建設業協会という男社会の代表みたいな団体が、男なのに女のために、ない知恵を絞って、ピントはずれてたかもしれないけど実際に道の駅に授乳室を設置するところまでは行動しましたよ。その間、女は何をしてた? 1つでも道の駅に授乳室を建てましたか? 建ててませんよね? 「授乳室がナーイ、ナーイ」って文句言っただけですよね?
自分たちのための施策ですら男社会に考えてもらう・やってもらうのが当然で、しかもそれが気に入らなかったら怒る。いや逆か。自分たちが気に入らないあらゆる社会施策は全部男のせいにして攻撃する。本当にそんなんでいいと思ってんの君たち?
社会問題はすべて男が生み出したものと思ってらっしゃるにしても、その解決に女性が主体的な役割を果たさなくていいと決め込む態度は控えめに言っても幼稚だし身勝手というものでは。
段ボール授乳室という製品そのものに否定的な意見もたくさんあったね。
ちゃんと調べればわかるけど、そもそもあの段ボール授乳室はまさに仮設用途(災害時の避難所など)を基本コンセプトとしている製品で、現場のニーズを受けて開発され、見たところ2019年頃から製造販売している。耐久性の面などからも常設には不向きだけれど製品に瑕疵はないし、製作元が耐用期間は「1年以内を目安」と謳っている以上、贈った側も設置した側も、ちゃんとした授乳室が整備されるまでのツナギとか傷んできたら交換するといった前提と考えるのが自然だろうね。
『転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件』
→転校先の清楚可憐な美少女が、昔男子"だ"と思って一緒に遊んだ幼馴染だった件、な?
『マジカル★エクスプローラー エロゲの友人キャラに転生したけど、ゲーム知識使って自由に生きる』
→マジカル★エクスプローラー エロゲの友人キャラに転生したけど、ゲーム知識"を"使って自由に生きる、な?
ごめんなさいね
https://anond.hatelabo.jp/20230927002433
この増田に限らず発達障害あるあるが当事者目線からして全く共感出来ないのって(まあこの増田にしろBさんにしろ、発達障害という言葉が直接には使われていないけれど)、
発達障害者(と思われる)の「空気の読めない」言動が、明示のルールに反しているからなのかなーって思う
そんな奴はいねえよっていう。
発達障害者は明示のルールには従うし、寧ろ頑ななまでに守ろうとするよ。だからこそ定型発達の世界では軋轢が生じるとも言える。
発達障害者が守れないのは黙示のルール。明示のルールと黙示のルールは多くの場面で衝突する。
例えば6歳のときのマホちゃんのフリフリのスカートの件。発達障害あるあるでは本当によく見掛けるシチュエーションだけど、物凄く違和感がある。
何故ならば、「人の見た目を悪く言ってはいけません」というのは明示のルールだから。親や教師から口を酸っぱくして言われるので真面目な発達障害者は守るし、仮に言ってしまったとしても学習して以後は言わなくなる。
で、黙示のルールとしては、「浮いた見た目の奴は笑いものにして馬鹿にしていい」というのがある。マホちゃんの件は寧ろこっち。マホちゃんが本当に、「誰も履いていないような」フリフリのスカートを履いていたのなら、マホちゃんを笑い物にして楽しむ方が多数派であり空気が読める扱いだっただろう。
ちびまる子ちゃんのみぎわちゃん何かが典型的だよね。似合わないフリフリを着たブスは笑い物にしていいというのが黙示のルール。
マホちゃんの容姿は分からないが、少なくとも城ヶ崎さんのような美少女ではない設定なんだう。
他人の色恋を口外してはいけないのも、教師と生徒が恋愛すべきでないのも明示のルール。「空気が読めない」子は、寧ろこういうルールを頑なに守った結果つまらない奴としてハブられがち。
発達障害だったら他人の秘密を守ろうとか約束は守ろうとかいう明示的なルールに縛られて、女同士のコミュニケーションの潤滑油としての噂話トークという黙示のルールに添えなかった結果ハブられる方がリアリティあるんだけど、そういう描写は全然見ない。
で、この先生の言う「世界のルール」「秘密のルール」って、本当に秘密なものと別にそうでもないものが混在してるんだよ。
「他人が気に入っているものは、たとえ変でも面と向かってけなしてはいけない。」これは明示のルール。これをきっちり守ろうとすると人間関係はうまく行かない。
「明らかに悪いことや間違ったことをしている人がいてもすぐに指摘せず関係ない信頼できる人に相談した方がいい。」これは明示のルールと衝突する黙示のルール。処世術的には守った方がいいのは確か。
「信頼できる人っていうのは人が自分から言わない秘密を誰かにペラペラ言ったりしない人、誰かの悪口を言わない人。」これは明確に嘘。誰かの悪口を言わないような人はカーストが低くて力がないから役に立たない。匿名性が保証された公的機関や通報窓口と言わないのは何故なのか。
「人が私に話しかけてきたときは、他の気になることがあっても手を止めて、私に何か意見や相槌を求めてくるまで黙って聞くべき。」これは明示のルールと衝突しない黙示のルール。別に秘密でも何でもない。
「質問をするときは今質問をしてもいいですか、時間はありますかと一度聞くこと。」これも明示のルールと衝突しない黙示のルール。別に秘密でも何でもない。
元です。
セックス/ジェンダー区別する考え方があるじゃない?あれからすると、その二つが一緒くたになってる時代にできた戸籍制度のままってことよな?血縁をはっきりさせるためのものだというふうに理解してるけども。
戸籍制度はジェンダーを区別せずセックスだけを扱うって宣言しちゃえば、<身体に違和感ないけどジェンダー規範から逸脱してる人>と戸籍上の性の問題は理屈上解消されてわざわざ自分の戸籍上の性を変えなくていいんじゃね?って思ってしまう。
性転換に手術強要してて違憲じゃないか?って裁判、性同一性障害じゃない人がやってるのが違和感。あの法律はトランスジェンダーが戸籍いじる為の法律ではない認識なんだけど。判決どうなるんかねえ。
着いて行けてないだけ/とっくに通過済みの議論かもしれんけど、いわゆるトランスジェンダーと、日本の法律の言う性同一性障害って、感覚的には別物なんだよなあ。変わりたい/越境したいトランスジェンダーと、戻りたい性同一性障害というか。私はシスヘテロのオスです。
性同一性障害当事者も訴えている側にいるってことらしいし、まあ、トランスジェンダーとその障害との線引きは難しそうではあるけども。
戸籍上の性別を自認に基づいて変えたいってのなら、ジェンダーフリーを推し進めるか、どうしても別の性別に戸籍変えたいならこの特例法とは別の法律作るのが筋じゃないのか?あの法は性同一性障害の当事者達が勝ち取ったものじゃないのか?