2023-09-27

自分性別への違和感」て何?

Xとかヤフコメとかで書くと個人攻撃されそうなんでここに書く。

ここ数日よく出てくる「性別変更手術をしないで戸籍性別を変更したい」というアレに対する反論というか素朴な疑問について。

先に前提として自分立場を書くと私はトランスではありません。

手術要件をなくせと言ってる人の主張を見るとその根拠になっているのが

性別変更をするために不妊手術をさせられるのは過去優生保護法と同じ人権侵害である

性別変更をすることでホルモンバランスなどが著しく崩れ健康面をそこなう

性別変更手術は非常に高額であり、金銭面に余裕がなければ性別が変えられないのはおかし

・将来的に自分子ども出産したいと思っているトランスもいる

身体上同性パートナー婚姻をすることができない不利益がある

といったところだと思う。

というかこれ以上になにか説得力のある根拠を挙げている意見を見かけない。他に意見があるなら教えてほしい。

しかしそれらの根拠のもとになっているのは全部「私達はかわいそうな存在なので周囲が変わってほしい」という意識であって、その主張が通った場合にどのような社会的混乱が起こるかを想定してそれをどう解決すればよいかという提案は一切ない。

まるでそこにどんな混乱や不具合があろうと、自分たちが「かわいそう」ではなくなればそれが解決であると言わんばかりである

私は選択夫婦別姓同性婚全面的に賛成の立場であり、その実現のために法的な根拠歴史勉強し、それによって失う可能性のあるもの侵害される権利をできる限り想像したり、誤解(同性婚が導入されたら悪用犯罪者が増える、少子化が進むなど)をしている人には統計や諸外国の事例などを調べて細かく反論をするようにしている。

それでもなかなか政治家に近い人達理解をしないのが現状ではあるのだけど、この「手術要件撤廃」についてはそうした姿勢が一切見られていないのが非常に腹立たしい。

当事者ではないので完全に理解することは難しいのだが、ホルモン注射性器の切除・拡張手術が苦痛を伴うものだということはわかる。

その上でどうしても一言言いたいのが、「何のために戸籍の変更が必要なのか考えたことがあるのか?」という疑問だ。

よくよく考えてみれば「なぜ性別変更手術をするのか」というのは、「法律的にそうしなければ性別変更ができないから」ではない。

自分自身の体の性別違和感があり、それを解消したいという気持ちがあるからではないのか。

現在法律要件というのは「これをしなければ性別変更できませんよ」ということからできたものではなく、自分の体への違和感を解消するために手術をした人に対してその体に合った国民生活もっと言うと行政サービス)を送れるようにするためという趣旨からだ。

そこをどうも今主張されているトランスの方々は勘違いをされているようで、「変更するための法的要件が手術なので仕方なくやっている」という考えを前提に主張しており、目的手段へすり替わっている。これがどうもおかしい。

から「手術要件がなければ自分の体を変更することな性別を変更できる」と喜んでいるわけだろうが、そこに矛盾を感じる人はいないんだろうか?頭が悪いのか哲学がないのか知らないが。

もし彼ら・彼女らの主張がまかり通って手術をしない体で戸籍性別変更ができたとしたら、自分の体の性別は生まれときから変化がないのに戸籍けが変更されることになる。

その場合だが、その戸籍という紙切れ一枚に性別が変更されたと記載されればそれで彼ら彼女らの「自分性別への違和感」はきれい払拭されるのだろうか?

私達の性別戸籍にそう記載されているからそうだとなるのではなく、自分の体の分類として記載をされるものだ。

しかトランスとして手術要件不要にしたがる人たちは、自分自身が自分に対して感じる違和感そのままでも、戸籍が変更されればそれで性別が変わったと思うらしい。

さらに踏み込んで言えば、過去自分性別違和感を感じて高額の金銭身体へのリスクおかして手術をした人たちというのは、「自分気持ち」の中の違和感をなくすためにそれを行っている。

対して手術をしたくない自称トランスの人たちは「戸籍」という「他人の目」から客観的事実さえ変更さえできれば自分の中の違和感払拭できると言っているようなものである

彼ら・彼女らの言う「違和感」というのは自分の中から出てきたものではなく、他者からの扱いでしかないと言っているわけである

それがどんなに危険かというのは女子トイレ騒動で十分に世間に知られているはずなのに、自分は一切変わらなくても他人の目が変われば世の中ハッピーになると考えているのか全く反論に対する気概も準備もない。バカなの?と言いたくなる。

性自認がどうであろうとそれは個人自由だし、好きなように自認して周囲にカミングアウトすればいいと思う。

ですが自分の自認を満足させるために周囲の視線自分に都合のよいように強制しようとする姿勢はどうも好きになれない。というか愚かだとすら思う。

何より一番この流れにイライラするのは、そうした主観客観といった深い問題があるこの議論に対し、「かわいそう」だけで認めようとする裁判官政治家がいてしまうということだ。

もうちょっとましなやつがトランス代表してもらいたいのだが、どうして表に出てくる連中というのは揃いも揃って頭が悪いのだろうか。

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