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はてなキーワード: 班長とは

2021-09-04

松田  軍事課の資材班の戦争指導全体に関する国力判断は、どうですか?  私は航空の方をずっと研究しましたので、航空の軍備を通じては、これは結果論ですけれども、もっと、深刻に検討しなければいけなかったという反省が非常に強いわけです。  

中原  十五年と十六年では、大分違うんで、僕は兵站総監部参謀にもなって、よく、次長沢田茂・総監部長参謀次長兼任〕に呼びつけられました。「君は、俺の部下でもあるんだ。あんまり悲観的なことを言うなよ」と。  そのときは、「ハア」と言って帰ったけど辻(政信・ 36期)さんなんか、開戦前に、兵站班長でしたが、会議室に入るとき入口で呼び止めて、「お前、この会議同意するのか、しないのか。同意しないなら、会議したってしょうがない」と、頭から極めつけられる。言うならば脅迫されたりして、実際、僕らの仕事数字からカーブに書いてあげると、一番よく解るんで……。しかし、それをあんまり出してもいかんし、当時の空気では「駄目です」なんて、言えんものがあった。」

—『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議 (文春新書)』半藤一利 編・解説

2021-08-05

小山田圭吾いじめ問題月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)の記事の一部書き起こし

クイック・ジャパン』『ロッキンオンジャパン』以外で、小山田いじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、

メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、

案の定これを利用して、拡散元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事外山恒一氏のnote記事反論している。

また変な扇動しかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。

なお、カドカワ記事フリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士世界塔」の発売直後に刊行されたもので、

アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。

月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352

きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。

幼稚園ときに、巨人土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初記憶ですかね(笑)土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビ土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。

すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。

普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。

小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校身体障害者の人が多いんだけど、特別クラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校ときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。

小学校ときは成績は良かった。運動会リーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣消しゴム流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲消しゴム流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャカプセルを出すと効率悪いのね。

ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分スーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)

小学校ときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいタイトルで作文書かれてね(笑)別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいついかにして迫害たかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃん印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)

運動会リーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。

音楽幼稚園からアニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのときイナズマン』のLPサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)

テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメ再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャート信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方チャートだとフリッパーズ・ギター四国全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。

あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆ジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフ志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。

中学になると、人当たりが悪くなって。クラス友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達クラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としかさなくなった。

Kはね、体がでかくて、小学校ときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。

同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子テープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマンブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときクイーンかな。

その頃、初めてエルヴィス・コステロインペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌グラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテックカメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチシングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面音楽にどっぷりいった。

そういうふうにして中学生のとき洋楽を聴いてると、みんな馬鹿自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。

ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテックカメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コード名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。

高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスなっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)クラスにいるときは、Kとしかさなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドル写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外小説を読みながら歩いていたという話をきいた。

ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校友達かいたから。

変な高校でさ。普通レベッカとかBOØWYコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンクニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスコピーやって出てた。授業中はウォークマンヘッドホンコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。

小沢中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水ジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったか一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)

※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソードアルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめ関係する箇所は上記だけなので以降は省略。



読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。

そして問題記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、

自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。

小山田圭吾問題の最終的解決|外山恒一|noteより

まず第一に、これは小山田氏が、自分いかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。

ーーー(省略)

それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりエスカレート過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的ことなのではないかと思うのです。このことはむしろ世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身イジメ加害経験真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそも最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオンジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。



また、件のブログの反論としては、”自分判断で「障害者虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、

フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。

下手したら、「障害者虐待アピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。

2021-08-03

カイジ17歩編読んだ

いいよね…。

壮大なギミックやひりつくような激情が渦巻く帝愛から脱出として沼で綺麗に終わったカイジ黒服しゃんしゅき…。

と思いきや結局落ちぶれて続いているカイジ賭博堕天録。

舞台も落ちぶれて狡い男とサシの17歩。簡略麻雀

スケールちっせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。

通しのイカサマが2重3重になっているのは面白いけれどほかのサマがトイレ中に覗き見るってさああああ~~~。

店長お前ちっせ~~~~~~~~。ちんちんちっせ~~~~~~~~~~。

帝愛幹部班長の半分も風格がないよお~~~~~~~。

うふふ、でも覗き見前提で捨て牌と手を直前で入れ変えるシーン好き~~~~~~~。

こうですね、箸休め的な戦い。悪くない。そんな風に味わえる俺、かっこいい。

長編長編の間にある短編集が嫌いじゃあないのだよ。短編?長いわボケ

ただカイジはこのあと盛り上がるかというと和也~ワンポーカーはいい話を聞かなくて不安

ま~ね~この話もやっぱ見劣りしちゃうよな~~~~~~~。

まず二人の裏切りがね~~~~~。艱難辛苦っ!艱難辛苦っ!!三好てンめぇええええええええええええええ~殴ったぐらいで済むか!?済まんよなァ!?おっちゃん!?あいつは許す!!!?!

私、続編で過去作の感動を台無しにするのやめてって言ったよね!

もうチンチロも沼も読み直してもすっきりしな~い~よ~。

次、偽白。山にあることを祈るまでは運否天賦としてデジカメで撮られるだろうから粗くてバレないだろうってのはないよ~ないないよ~。覗いてる現場を押さえる方がメインの保険としてもちょいムリめ。どちらにしてもカタルシス失踪中~~~~。

敵も場所シチュエーションギャンブル方法も盛り上がりが欠ける設定すぎてそういう縛りにチャレンジする作品なのかいと問いたい。小一時間問い詰めたい

最後、終盤がアカギ並みに時間が泥めいて鈍化!長い長い長い半分ぐらい読み飛ばしたよ~~~~~~~。

打たない漫画アカギだけで十分ざんす!

結局この漫画で一番ドキドキしたシーンはぼっちゃんが金を貸すか貸さないかってとこでしたな。ウン。

和也が居なかったら究極の駄作とこき下ろしていたかもだが。ぷんぷん!

その和也もそこまで魅力あるかと言われるとこれまた無い。

少なくともおそらく和也店長スピンオフは作られないんじゃない?自信あるよ。カシオミニを賭けてもいい。

賭博堕天録、これから評価をひっくり返せるかどうか。敵はおそらく和也なのでギャンブル面白いかどうかだな。

しかしひとまず…読むのは気力のチャージが出来てからってことで…。

地道にいこう…!キラン…

2021-07-23

anond:20210723082746

今月上旬までは障害者一家というのははてな界隈では叩くべき迷惑存在だったという現実から逃げないでほしいよね

[B! 教育] 泡盛とらこ(心ない介護職員) on Twitter: "中学生の子ども(女子)が、 修学旅行キャンセルしました。 実行委員長班長でしたので、 田舎中学では前代未聞の事態。 私も何度も担任と話し合いました。 キャンセル理由は、 「まったく交流のない障害学級の男子(保護者意向で診断… https://t.co/QegfQmAhbh"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/torakoawamori/status/1411113159046270980

anond:20210721172728

ロッキンの座談会比較すると、

ネット拡散している「ぐるぐる巻きにしてうんこ食わせた」という部分は

クイックジャパン記事で書かれている村田くん(仮名)との修学旅行についてのことなんだろうな(増田では7と8のページ)

 

Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 8

https://anond.hatelabo.jp/20210721001207

 

クイックジャパンでどう書かれているかというと、修学旅行でなぜか小山田村田くん(障害児)、留年した怖い先輩の3人で班を組まされ、宿舎で村田くん相手プロレスごっこをして(小山田立場で)じゃれていると、先輩が入ってきて村田くんをぐるぐる巻きにして好きな女子名前を言わせながらオナニーさせたかドン引きしてしまった(笑)とある小山田本人の行為ではない。ウンコ食わせたという事実があるのなら、それをやったのも先輩なんだろう。

障害児童との修学旅行といえば↓の話が思い出されるが、はてな民はこれと自分感想比較してくれ。教室から障害児童排除すべきか、排除するなら子供はどこで障害者と接して多様性を持つことができるようになるのか。生活の場で接しなければ障害者はテレビの画面越しで見る架空の生き物と同じだしね。

[B! 教育] 泡盛とらこ(心ない介護職員) on Twitter: "中学生の子ども(女子)が、 修学旅行キャンセルしました。 実行委員長班長でしたので、 田舎中学では前代未聞の事態。 私も何度も担任と話し合いました。 キャンセル理由は、 「まったく交流のない障害学級の男子(保護者意向で診断… https://t.co/QegfQmAhbh"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/torakoawamori/status/1411113159046270980

 

村田くんをロッカーに閉じ込めてガンガン蹴ったり、日常イジメ行為クイックジャパン告白されている)

小山田はもう1人の障害児の沢田くん(仮名)については良い思い出のように語っており会いたいとも答えているが、村田くんとはそうではないと言っている。

もう1人、朝鮮人の生徒をからかっていたとネット拡散あるが、クイックジャパン記事では「家出したならうちに泊まりに来い」と小山田が誘って実際に泊めてあげており、いい思い出としか書かれていない。

2021-07-05

anond:20210705011818

班長お疲れさま。周りの子たちの理解がない態度が悲しいね。私も独り言のように書かせて欲しい。

子供の頃は優等生タイプで物わかりも良かったので、障害学級に通う男の子と机を並べたり、ペアになったりすることがあった。物静かな相手だったし、嫌ではなかった。たぶん小学二年生とき、風船にひまわりの種とお手紙をつけて飛ばすという行事があって、文章が上手くかけないその雄作くんの代わりに私が手紙を代筆して用意した。校庭に全員が揃って風船を飛ばした。極稀に風船がどこかにたどり着いて、返事が返ってくることがあった。そんな児童クラスに1人か2人くらいで、それは鼻高々だった。そしてうちのクラスでは、かの雄作くんに3つ離れた市のおばあちゃんからお返事が届いた。クラスは一瞬沸いたあと、どうしよう…?という雰囲気になったのだと思う。私がまた返事を書き、以降、下島セツさんと私は10年近く文通をすることになった。

セツさんとお手紙をやり取りするのは楽しかった。先生でも親でもない大人友達がいるのは面白かったし、いつも丁寧な文字で私のことをめいいっぱい褒めてくれた。けれど、この文通は本当は雄作くんが楽しむはずだった、という受け止めきれない思いがずっとあった。今でもある。私が雄作くんのお世話をすればするほど、先生も雄作くんの親御さんも私の親も、みんな立派だと褒めてくれて気持ちよかったけど、雄作くんはどうだったんだろう。私が良い人になるための道具みたいに、なってはいなかっただろうか。私ばっかりいい思いをさせてもらったような、居心地の悪さがついぞ消えない。

それに中学に進んでから、すっかり雄作くんみたいな子を表で見ることがなくなってしまった。元気にしているのだろうか。ご家族ともども、楽しい時間人生の中にある日々だろうか。多様な人の暮らしに思いを馳せたくても、目に映らないからつい忘れて居ないように感じてしまう。あの日々、私は雄作くんの友達になれていただろうか。

消えた友達なら、正美ちゃんもいた。親同士が仲良くしていた一家の末娘で、出産時の事故脳障害を負ってしまったという。意思の表明が難しく、楽しんでいるのか、嫌なのかも、私には常によくわからなかった。あまり上手く立てなかった気もする。ただ、とびきり綺麗だった。10歳近くになっても幼子のあどけない眼差しが残っていて、野山を駆け回っていた私とは比べものにならないくらい肌が白かった。故に、ちょっと大きいお人形さんみたいだと感じていた。お姉ちゃんと私が同い年ということもあり、学区は違えど休みの日にはしょっちゅう行き来して遊んだ

ある日、大きなワゴン車1台に乗り合い、正美ちゃん一家我が家は合同でお出かけした。私は助手席の後ろに座っていて、ふとバックミラーを見ると、薄暗い最後部に座る正美ちゃんがさっき買った油揚げムシャムシャと食べていた。大人たちは仕方ないねえなんて笑っていたが、妖怪のように勢いよく食べる様子は冷や汗を感じるほど怖かった。あの日から接し方が分からなくなったのだと思う。もしかしたら、正美ちゃんがうちの家族じゃなくて良かったなどと不埒な思いが、頭をよぎったのかもしれない。それまで、お友達という存在は増えることはあっても減ることはなかった。私は正美ちゃん一家消息を知らない。あんなに日々を共に過ごしたのに、いつしかいなくなってしまった。

もう一人、記憶に残っている子がいる。小松くんと言って、白いハツネズミみたいな印象の男の子だった。こっちは普通学級にいたけど、おそらく今ではボーダーと言われるようなタイプで、問題児だった。座っていられない、話を聞けない、加減がわからない、善悪が分からない。優等生の私からするとエイリアンみたいだった。笑い顔が怖かったし、なんだか不潔な感じもした。なるべく関わらないようにしよう、私はああいう感じではないし、と軽蔑気持ちがあったことは間違いない。天は人の上に人を造らず、みたいなお題目はさておき、クラスにはカーストがあることをじんわり感じ取り始めた小学校高学年の頃だったと思う。

当時、中学受験に挑戦する予定だった私は、学校テストなんて勉強無しで受けて10分以内にすべて回答して95点〜満点をとることが当然だった。(特例で、終わったら図書館に行っていいことにすらなっていた。)特に国語は大得意だった、はずなのに、ある日のテストで1問解けない漢字問題があった。それはもう焦った。今までケアレスミスで失点することはあっても、解答欄を埋められないなんていう事態はなかった。悔しいことに、悩む時間たっぷり残されていて、私はもんもんとその空白を眺めていた。ふと周囲を見渡すと、隣の席の小松くんが目配せをして、もぞもぞ体を動かしてくれた。何をやっているんだろう?と一瞬考え、すぐに私が彼の回答をカンニングやすいように見せてくれていることに気がついて頭がカッとなった。私の埋められない例の一文、彼は埋めていた。

その答えを写したか、頑なに知らんぷりをしたか、どうしても思い出せない。モヤがかかったように思い出すことができない。私はもしかしたらカンニングをしたのかもしれない。でも記憶の端っこは、格下だと自分カテゴライズした人に優しくされたときに沸き起こった、恥ずかしいような情けないような悔しいような、ドッと押し寄せた表に出せない感情で終わっている。自分の中に人様を格付けした卑しさを自覚し、またそんな存在が優しい気持ちを持っていることに驚き、さらに憐れまれたことを悔しく思い、そう悔しく思う自身の下卑さをまた思い、ぐるぐるとパニックになったのだろう。

やがて大人になり、権利を主張することも、自分の言い分がいかに正しいかを当たり障りなく主張する口技も、日頃から誠実そうに振る舞ってここぞのときに有利な立場を得る処世術も、覚えた。それで日々をなんとか乗りこなしているし、厄介事も避けて生きている。

けれどどうして、思い出が胸に蘇る日がある。誰かと誰かがせんなく争っていたり、白黒をつけたがっていたり、ジャッジメントを求められたり。人は助け合って生きていくのよと教わった日々から遠く離れて、誰かを助け、誰かに助けられることを受け入れられる大人になれただろうかと考えてしまう。人に上下はなく社会的な有利不利しかないという事実自分が常に弁えていられているのか、思い出すたびに突きつけられて泣きたくなってしまう。

集団登校の思い出

https://twitter.com/torakoawamori/status/1411113159046270980

これを見て思い出したことがある。

小学校6年生の時、自分集団登校の班長をやらされていた。

同じ町内で10人くらいの班で数組に分かれて集団登校していたのだけれど、その中のひとりが障害学の子供だった。

その障害学の子は、気づいたらいないとかどっか行っちゃうとかじゃないし体に異常があるわけではないんだけど、歩くのがとにかく遅い。

自分班長で一番前にいて他の1年生から5年生までを引率して登校しているのだけれど、途中からうちらグループから離れていって明らかに後方でポツンとノロノロ歩いてしまっている。

自分以外のメンバーもそれに気づいているから「何とかしろよ」って自分文句を言ってくるんだけど、かといってその子の歩くスピードに合わせて歩くと「歩くのおせーんだよ」って文句言われる。出発してから学校に着くまで10から15分くらいで、同学年の人間自分だけだから別な時間に直接誰かから文句を言われることもないのでその登校時間だけ我慢すれば問題なかったんだけど、今振り返ってみてもすごく嫌な時間だった。小学6年生なのに同じグループ小学2年生やら小学3年生やらに学校で遭遇したら悪態つかれるし。てゆーかよく我慢できたな。自分が。

自分の親も他のメンバーの親も傷害学級の親も学校も誰も問題視しなかったのは曲がりなりにもその子がはぐれずにいなくならずに毎日無事学校にたどり着いていたからだけど、それはたまたま傷害学級の子が危ない動きをするタイプの子じゃないからだし自分内向的なせいで声を上げなかったからだけど事故事件も起きずに1年間やり過ごせたのはたまたま運が良かっただけだと思う。

24時間のうちの十数分我慢すればOKだったとはいえ、何したって他の子から悪態つかれるのは本当にしんどかった。かといって誰になんて言えばこの問題解決するのか当時もわからなかったし今もわからない。そもそも小学6年生にそんな自力での解決は無理だろう。みんな薄々とこのままだとやばいんじゃないのって思ってただろうけど他のメンバー自分文句言えばOKだし自分自分我慢したらOKだったけど、子供同士で解決させたように見せかける構造って今考えたって歪だったと思うよ実際。

2021-06-10

ティッシュペーパー

一枚一枚キレイに畳んで箱に詰める仕事って大変そうだなぁ

フワフワしてるから、この時期は扇風機の風で舞っちゃったりして

すごくイライラするんだろうなぁ。

何枚重ねたかよく分かんなくなって、適当で良いやってやってたら班長にバレて怒られたり

折り目を綺麗につけれるだけじゃ一人前とは言えないよ、とか

先輩のおばさんに嫌味を言われたり。

昼ごはん食べる席も決まってたりするんだけど

誰も教えてくれなくて、しょうがいから外で食べないといけないし

タイムカードしわすれたのを午後に思い出しちゃったり

なんかもうすごく憂鬱だわ。

あー なんかすごい落ち込む。 

会社行ってきます

2021-06-04

続 自衛隊のメシ

昨日書いた日記にたくさんの人がコメントをしてくれて嬉しかったです。ありがとう

平成の米騒動あたりは記憶曖昧だが、たしか食堂タイ米を食べてました。

多分、入隊してすぐくらいだったか…この辺りは、半年以上教育期間だったので、

TVも見られず、もちろんスマホも無い時代なので、世間がどうなっていたのか全く知りません。

知らないうちに総理大臣が変わっていたことにはびっくりした。

米騒動は終わっていたかもしれない。

マズかったメシ以外にも、自衛隊の楽しみだったり、心に残ったメシをつらつらと書いていこうと思う。

20年間で5回くらい転属してあちこち臨時勤務等もあったので、ひとつ食堂の話ではありません。


① テッパンオブテッパン 「カレーライス

カレーライスは間違いなくアタリの日だった。どこの駐屯地でもうまかった。

ただ、訓練後のカレーは午後がむちゃくちゃ眠くてキツかった。

だが、午前中の訓練のモチベーションを上げてくれるのもまたカレーだった。

新人の頃は午後、ウトウトして先輩からよくどつかれたものだが、

先輩になると、どつく側になった。

そしてまたそれを超える年になると、どつきどつかれしている後輩達を生暖かく見守る立場になった。

昔、料理長に聞いたカレーの隠し味「焼肉のたれ」は、今でも家でカレーを作るときに入れている。


② 自分ひとりじゃない 「クリスマスケーキ

12月24日だか25日の昼には可愛いクリスマスケーキピースが出た。

恋人がいない隊員はあえてこの日に当直を入れ、寂しさを紛らわした。

もちろん自分積極的に勤務についた。

この日あたりから年末休暇が始まるので、ウキウキと帰隊する既婚者がなかなか憎たらしかった。

ケーキはうまかった。


③ しんみりと故郷の母を思う 「おせち

元旦の昼はおせちが出た。大皿に少しずつ黒豆とか、なます田作りなんかが適当な感じに盛り付けられていた。

まあ、おせちは出来あいなので大してうまくはないし、おかずになりにくい。

数年に1回は元旦勤務があったが駐屯地にはたくさん人がいるので寂しくはなかった。



④ 全員平等の 「チョコレート

バレンタインデーには昼飯にチョコレートがついた。不二家ハート形のチョコレートが多かった気がする。

男女関係なくみんなにもらえるチョコレートはなんだか嬉しかった。


自衛隊女性モテるというが、頭が良くて優しくて素敵な、妙齢独身の先輩はたくさんいた。

自衛隊の男の目が節穴だと思っていた。

自衛隊イケメンはなぜか民間女性とばかり結婚していた。

少し年を取るとWACモテなかった。常にすっぴんだし、男女平等階級社会なので言葉遣いも荒くなることもあった。

女性とみなされないのかもしれない。

WACですぐ結婚する子は新人ばかりでした。


⑤ 3月ボーナスステージ 「ステーキ

3月になると、予算に余裕が出るのか使い切ろうとするのか、メニューがわりと豪華になった。

ステーキの日は朝から駐屯地中の営内者が浮足立っていた。

なんせ隊員数百人分のステーキなので、朝から焼き始める。

午前中から匂い駐屯地中に漂ってくるので仕事にならない。

料理長が大きな鉄板で手のひらサイズの肉をジャンジャン焼き上げ、横にうずたかく積んでいく。

外で焼くパターンもあった。

もう焼きあがっているので熱々とまではいかないが、本当に美味しくて年に一度のパーティタイムだった。


その他、創立記念日には紅白饅頭が出ることもあったし、節分には小袋の豆が出た。

夏にはスイカが出たしアイスも年に1回くらい出たかな?

美味しいメシは本当に訓練のやる気に直結していた。


ただ、唯一不満があるとすれば、白米がまず出てこなかった。

健康留意してか、常に玄米とか粟とかヒエとか謎の穀類が混入していたので、ただただ真っ白な白米が食べたかった。

同期なんかは「また鳥のエサが入ってる…」と、よくぶつぶつ言っていたことを思い出す。

あと、駐屯地食堂では目玉焼きが出ないので、外で食事をするときはひたすらベーコンエッグ定食を食べていた。

生の卵は出るので玉子かけご飯は出来るが、半熟目玉焼きに飢えていた。

あとはなぜかクリームシチューが出てこなかったなあ。


自分除隊する前の数年で糧食班がなくなり、民間業者が隊員食堂を切り盛りするようになった。

団塊の世代だった古い栄養士糧食班長も定年を迎え、若くて新しい世代栄養士さんに代替わりした。

男性若い栄養士さんは、自衛官の心をグッとつかむ旨いガツメニューが上手で、とても人気がある。

辛くて悲しい出来事任務もあったけど、仲間と自衛隊メシを食べれば元気になれた。

自衛隊メシよありがとう

2021-05-15

求:はだしのゲンの親父みたいなおっさん対処

はだしのゲンの親父みたいなおっさん(以下おっさん)が町内にいて、扱いに困っている。

おっさんの家は俺の家と番地の同じブロックで、奥さん高校生の息子さんと小学生の娘さんの四人家族

今年度は俺の家が一年毎の持ち回りのブロック班長をやっていて、自治体から配布される回覧板を回したり自治会費や募金などの集金をまとめたりするのが主な仕事

今まで基本おっさん自治会の集まりに参加しなかった。奥さんもお子さんも来ない。奥さんにそれとなく話しかけてみたら、土日は忙しいのだとか。

しかコロナ禍でおっさんの状況は大きく変わったらしい。仕事が減ったのか失くなったのか、おっさんはずっと家にいる。

去年の夏頃から、うちの向かいコンビニポケストップで日に何度も出てきてはスマホをシュピシュピやっているのを見かけた。

その後ワクチンの声が聞こえ始めた頃、自治会掲示板コロナ陰謀を知らしめるチラシが貼られるようになった。ツイッターなどで作られているものだった。

俺の家のお隣さんの老夫婦班長だったので、相談して見かけたら剥がすようになった。

チラシが貼られるのは毎週金曜日の深夜だったので霜降りANNを聞きながら窓から見張っていたら、紙とホチキスを持っておっさんが歩いてきた。おっさんはこども会のおまつり中止とビン缶ゴミ分別徹底のお知らせの上にツイッターで見たチラシそのままプリントしたものホチキスで貼って帰って行った。俺は朝刊配達を待ってチラシを剥がした。

4月、俺達の家が班長になった。回覧板を見ると、おっさんの家の受取ハンコは去年7月からなかった。飛ばされているのか、見ないで回しているのかはわからない。

日5月の土曜日おっさんは町内清掃に来た。ノーマスクで、酒をしこたま飲んでいた。奥さんとお子さんは来ていなかった。おっさん座り込み日本に来ているワクチンを打つと死ぬ、本物のワクチンユダヤ人中国人上層部しか打てない、コロナウイルスは存在しない、ワクチン不妊にされて日本人は絶滅すると延々と一人で話していた。俺はマスクを渡したがおっさんは胸ポケットに突っ込んで下を向いて独り言を続けた。

作業をしているとバブァァァと怪音がした。おっさんの屁だった。俺ははだしのゲン最初の方の、ゲンの親父が竹槍訓練に来たシーンを思い出した。果たしてゲンの親父は正しかったし、近所の人や町内会長は間違っていた。

おっさんの家の壁には反ワクチンコピー紙が貼られては雨に濡れて溶けている。奥さんと息子さん娘さんは通りがかりに挨拶してくれるが、フレンドリータイプではない。先週からおっさんポケストップの前にもチラシを貼りコンビニ店員にすぐ剥がされていた。

おっさんをどう扱ったらいいのかわからない。

2021-04-11

[]2021年4月10日土曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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2021-03-31

欧米エスタブリッシュメント日本の男女格差は120位!」

フェミニスト「そうだ!そうだ!」

リベラル左翼「これに文句言うやつはネトウヨ!」


建設・運輸の採用「女を採用しろと上がうるさい。でも女が応募してこないか現場職は99%を男にするしか..」

製造人事「管理職候補にするため現場からグループ長に引き上げたろ。女で班長やる人手挙げて?(しーん)」

ホームレスネカフェ難民「(日本ホームレス欧米と違って96%以上が男だろ)」

2021-03-28

マネジメント職は男性名採用されやすいか男女差別とか言われてもね

総合職の上のほうだけみて男女差別かいうのいい加減やめてほしい。

現場のほうがずーーーっと人数多いんだよ。

こういうのやられると班長になる女の人いなくなる。

ただでさえ現場職は女の応募ないんだから

2021-03-07

anond:20210307211824

太陽光発電日本電気の9割を賄う時代が来たら、

モップでパネルを拭くとか、電力調整のため班長命令に従ってパネルの上にブルーシートをかけるとか、

ニートバイトの出番が来そうなもの

火力や原子力や風力は専門性が高くて無理だな

2021-02-11

anond:20210211074846

以前に、くじ引きで「当たって」しまい、PTAの班員になり、学校行事に参加させられた。

かると思うが、女性が多い。というより圧倒的女性

そして以降の話もわかると思うが、話が長い。というより話を決めないという方向に一生懸命だった。

そこでベテランらしい男性役員誘導して「いつもの」やり方へと落ち着かせるのが決まりパターン

雑談が延々と続く。「次」へのステップのたびに雑談タイムがある。

なるほど森元首相のいったとおり。

ただ、どういうわけか途中より班長が入った。周囲からもかなり若い部類に入る女性だ。

彼女がすごかった。仕切るんだ。全盛期の浜田雅功くらい仕切るし、長い話をシャットアウトするし、雑談タイム強制的に打ち切る。

すばらしい。惚れそうになったくらいだ(このメンバーの誰と誰が不倫しているなどという話題にも事欠かない環境ではあった)。

から森元首相のいっていることは全てではないと思うのだ。それはどこでもそう。

まり「人による」というおもしろくない普遍的結論になる。

2021-02-10

anond:20210210093339

でも今の男女平等推し進める世の中なら子育て別に男性がしててもいいわけでしょ?結局は工場仕事女性のやる仕事じゃないとか班長みたいな責任のある仕事はしたくないってのが女性根底にあるんじゃないの?

anond:20210210091323

大手工場班長からはじめる出世コースあるんだけど女は全く応募がないと聞いた

2021-02-08

消防団員階級

話題消防団員階級章をみていたんだけど、

団長班長区別が難しい気がする。

視認性が悪い。

班長と団員は細い金色一本線が良かったのではと思う。

いずれにしても、ユニバーサルデザインにしないとみんなやりたがらないと思う。

https://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000019254.html

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