1991年、高校3年だった私はバブル崩壊のニュースが騒がれていても何も考えていなかったし危機感もなかった。
生まれてから株価や地価が上がり続ける好景気のニュースや、良い時計、良いブランド、良い車、お洒落な都会の暮らしと浪費を煽るTV番組しか見てこなかったので
経済が右肩上がりなのは1+1は2だというのと同じくらい揺るぎない当然の事実だと刷り込まれていた。
だからバブル崩壊なんて聞いても一時的な大騒ぎだと思っていたし歴史の教科書に載るレベルの事が今起きているなんて実感は全くなかった。
もちろん、後から我が身を以て知る事になるのだけど。
大学は都会の人、お金持ち、頭のいい人が行くところという認識。女性の大学進学率は身の回りの体感で2割以下だったと思う。
就活は東京に行くと良い。交通費がもらえるから面接のスケジュールを何社もうまくまとめれば数十万になる(関東は飛行機の距離)
知り合いがクルーザーを貸し切りでコンパしていたらしい。タクシーが捕まらなすぎるから札束を見せて止めるし、もちろんチップも弾むらしい。
あと高校生でも高確率でヴィトンの財布持ってた。コンビニでたむろしているヤカラ系の人たちも、上下スウェットでヴィトンのポーチが定番だった。
金を稼いでブランド物やいいものを買う!時代の空気がそんな感じだったから、流されやすい私も高校生の時はバイト三昧で稼いでは散財していた。
私は広告デザイナーに憧れていた。頭の出来は悪かったけど絵をかくのは好きだったし
弟妹に比べてあまり可愛がられてこなかったので、おしゃれな都会でかっこいい仕事をしている自慢の娘として褒められたかったのだ。
それでデザインの専門学校へ進学した。生活費と学費はバイト三昧でどうにかしたが、絵の課題の物量とバイトの両立は難しくて卒業はギリギリだった。
クラスで一番絵が美味かった友人はデザイン業界には就職できずにパチンコ屋に就職した。
運よく個人のデザイン事務所に就職できた友人は手取り13万で会社に泊まり込むような毎日だと言っていた。
私は朝も夜もバイトしながらの就活がつらく、20社ちょっとで圧迫面接されたタイミングで早々に心折れてしまった。
でも今思えば1994年なら私もまだなんとか職種を選ばなければ就職できたのでは?広告業界はかなり厳しかったけど。
スキルも勉強も微妙な成績で、顔も微妙だからやっぱり厳しかったかな?
ただ、今よりは派遣も幅を利かせてなかったから バイトで頑張って正社員!という流れも現実的で、だからとにかくいろいろバイトしまくろうと考えた。
コンビニ、ビル清掃、ファストフード、新聞配達、アパレル、カラオケ屋、居酒屋、パン工場、食品加工工場、弁当屋、デパート、ラーメン屋、ゲーセン
最低賃金は600~700円の時代。掛け持ちで250時間/月くらい働いて手取り15万以下、賞与も有給も無し。家賃は5.5万円。
新聞やテレビでは「最近の若者は責任感がない」とか、「フリーターという自由な働き方!」とか好き勝手言って
親にもいつまで根無し草でいるつもりなのかと責められた。好きでやってんじゃねーよ。
結局バイトから正社員のルートは3年やってダメで、バイト先の先輩が就職したIT企業に誘われて、やっと正社員として就職できた。
この時の親の喜びようといったらヤバかった。花束送ってきたもんね。
大手の孫請け・曾孫請けくらいなので単価は安いし、すでに炎上している案件を受けることが多かった。
1ヶ月連勤とか、朝方家に帰って9時にまた出社するとか、片道の航空チケットを渡されて「今から飛べ。バグを直すまで戻ってくるな」なんて事もあった(2ヶ月かかった。仕様バグだった)
しかも名前だけ役職だったので、10時間を超えた分は全てサービス残業なのだ。賞与もまともに貰ったことない。
あんなに親が喜んだのに辞めるなんて言えなかったし、若いうちは体力もあったのでなんとかなった。
でも30を超えて疲れが蓄積して部屋の掃除ができなくなり、食事もコンビニばかりで、美容院行ったり化粧品買いに行く時間もなく
そもそも仕様書ができてないから想像で作るしかなかったコードレビューで毎日詰められて、17時以降にも1人月分のスケジュールが割り当てられ
今はなんやかんや縁があって地方都市のホワイト企業で働いて生きている。
この会社でも同年代は絶望的に少ないので、団塊とバブル世代が定年を迎えたら部長・課長のなり手がいない。
初の女性課長代理やらないかと言われているが、バブル世代の後始末を彼らよりずっと安い給料で、課長以上の成果を求めるくせに課長代理止まりなのだ。
断るつもり。
世の中を恨んでいるし、特に団塊とバブル世代の勝ち逃げ組は呪いたいくらいだ。ぜひとも来世はブラック企業で使い潰されて欲しい。無償で!
実家は太くなく、偏差値は55くらい。顔面偏差値は47くらい。コミュ力は中の下。人より強いと感じるのは不本意だが「我慢する事」
理解のある彼くん無し。それでも穴はあるとか言われるだろうが、穴として使う人と人間同士の信頼関係を構築するのは難しく、私には無理だった。
そりゃめちゃくちゃに頑張ったり美人だったり頭良かったり運が良かったり、何かに突き抜けていれば同じ年代でも勝ち組にはなれたかもしれないので、能力も頑張りも見た目もそうでもない自分がダメだったのは自業自得かと思ってた。
でも私のような中くらいより少し下の人間が、中くらいより少し下のままでもそこそこに生きていける時代になったらいいねって思う。
そしてその為には、私達は救われないまま死んでいった方がいいのだとも思う。
テレビ番組とかスポーツ中継とか見てて伝わってくるバブル的な華やかさ、贅沢さって20世紀いっぱいくらいまで続いてたから不思議だった 賞金10万円をお遊びのしょぼ企画で連発してた...
「これができたら100万円!!」のおかげで100万円は大金だと思ってたな。 そのあとクイズミリオネアが出てきて、いまだとクイズ番組でも100万超えは珍しくないもんなあ。
2006年くらいまでは結構バブルだったな 相関性あるのかわからんけど、PRIDEやK-1等格闘技がオワコンになったと同時にバラエティもショボくなった印象がある
ギリギリ年金システムも崩壊して死ぬまで働く世代がここな気がする。 ギリギリで逃げきれなかった世代
大卒より高卒の方が、短期的に就職良かった最後の時代だったかもね。
自分もそのへんの世代だけど、短大行った同級生から就職の面接で落ちまくった話を聞いていて、大卒となると文系の女子だと全滅→仕方なくバイトで食いつなぐパターンも珍しくなか...
すごい似た気持ち、将来とか別にどうでもいいとか笑。山本太郎が同世代だから選挙で投票してる笑。
貴重なコメントありがとう。少子化克服の最後のチャンスだった第三次ベビーブームが来なかった根本的原因がまさにこの団塊ジュニア世代女性の多くが子供を産まなかったことなんだ...
たぶん増田(たち)を救わずに見殺しにした社会は、それを「成功体験」として繰り返すだろう、次は意図的に。 そうして恥も外聞もかなぐり捨てたあけすけで身も蓋もない世界が顕現...
バブルとか関係なく、学歴低い人のサラリーマン生活のボリュームゾーンなんてこんなもんじゃん?
同世代ですが、当時はIT土方なんていう言い方すらなかった。一部に創作入ってないかな。 文章が上手いのでよけいに創作っぽさを感じてしまうのかもしれないけど。
2000年くらいにはIT土方って言われてなかったっけ?
2000年くらいには言われてたというか言ってた 1997年からのチャットで言ってたので、2000年にはパソコン使う人間の一部は言ってた 2000年あたりでモニターはブラウン管のネットはISDNでテ...
しゃーない! 切り替えてこ!
実家は太くなく、偏差値は55くらい。顔面偏差値は47くらい。 女のいう偏差値は高校の学力のこと また50歳の女性非婚率は2割だから、顔面偏差値は43以下が適当
でもスロットでハイエナしてるだけで生活費稼げた時代でしょ? そりゃ今でもめちゃくちゃ頑張れば不可能じゃないけどさ…難易度が全然違うよね