はてなキーワード: 新興国とは
任天堂のスマホ参入についての記事がいろいろ出てるけれど、岩田社長はゲーム系メディアのインタビューは
基本的に受けてくれないので突っ込んだ話が出てこない。
日経ビジネスの井上理記者はゲーム業界に詳しい方で、岩田社長の覚えもめでたくよくインタビュー記事を書いておられる。
しかしその記事は溢れる任天堂愛にほっこりするばかりで、厳しい部分にはノータッチでなんとももどかしい。
(後半の記事で詳細が話されるかもですが、厳しい質問は出てこないはず)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20150319/278932/
そこで、某西田宗千佳氏などのインタビューお断り系のズバズバ切り込むメディアが訊きそうなことについて考えてみた。
あえて嫌味っぽく痛いところを突いてみたつもり。
スマートデバイスにどのようなソフトを出すべきか、どんな課金方法にすべきかといった課題を解決するためには数年の検討を
必要としたが、それは決して遅くないと伺いました。
しかし、モバイル業界はコンシューマー業界よりも環境の変化が早い世界であり、経営判断の遅さが命取りになりかねません。
事実、パートナーであるDeNAさんはブラウザゲームからネイティブアプリへの変化への対応が遅れ、一線を退いたという過去を
持っておられます。
「スマホは順調だがコンシューマーへの動線ができず、コンシューマーの売上が落ち込む」
といった現在想定しているシナリオとのズレが出てきたときの方向修正をどのようにイメージされておりますでしょうか。
それとも、変化が起きてからまた数年を費やして熟考するのでしょうか?
任天堂の強みはハードソフト一体型ビジネスであり、それを生かせないスマートデバイスでは長期的なビジネスを持続することは
困難だから決して手を出さないと繰り返しおっしゃってこられました。
しかし、他社のハードウェアが前提となる環境でも任天堂の強みを発揮できるとの結論に至り、今回スマートデバイスへの
そこから想像できることは、コンシューマービジネスにおいても、ソフトの内容や料金体系その他の課題について真剣に
考え抜くことで、ハードソフト一体型ビジネスに拘わる必要はないという「答え」を導き出せるのではという検討も
当然なさっておられるのではないかということです。
減少が続く自社ハードでの独占に拘らず、マイクロソフトやソニーなどの他社ハードにソフトを供給することは、
任天堂ユーザーの全体数を増加させることにつながります。それは今回のスマホ展開の目的でもある「ゲーム人口の拡大」
数年後、
「ずっと否定してきたが、実は前からソフト専業化について考えてきた。ようやく全体像がまとまったので今回発表することができた」
「時は来た」
というお話を聞かせて頂ける可能性があるのではないでしょうか。
2014年の5月、10月に行われた決算発表会で、それぞれ新興国への展開の進捗に関する質疑応答がございました。
そこで、先進国向けのプラットフォームを持っていくだけでは価格の面で難しいので、新興国向けの製品を開発中であるというお話がありました。
今回発表された「コードNX」は、この新興国向けに開発中の廉価ハードだと考えてよいのでしょうか。それとも、平行して2つの製品の開発を
行っているのでしょうか。
スマートデバイスにおけるDeNAとの役割分担に関する説明の中で、DeNAはバックエンドのサーバー周りのシステムの開発を任せるが、
ソフト開発はIP貸しではなく任天堂自身が中心となって行うというお話がございました。
現在、任天堂は携帯機と据置機の2つのゲーム専用機プラットフォームを展開しておられますが、ソフトの発売スケジュールに大きな空白が
しばしば発生し、定番タイトルの投入により一時的に販売が上向くことがあっても勢いを維持できずに失速するという状態が続いています。
現在の2つのプラットフォームへのソフト供給に苦しむ中、スマートデバイス、コードNXを加えた4つのプラットフォームの維持に必要なソフトを
供給していくための具体的な施策をお持ちであればぜひお聞かせください。。
あるいは、開発リソースには限りがあり、ソフトの品質や数を大きく増やすことは困難であるため、増えた分だけどこかを削るといった
方針なのでしょうか。
ゲーム専用機への情熱を失っていないことをアピールすることを目的として今回コードNXについて発表されたとのことですが、
「スマートデバイスやコードNXに注力する分だけ、現行の家庭機向けの開発リソースは減らされるのではないか」
経済のルールが変わるからそれに合わせないといけなくなったという事なのだ。
昔のルールは;お金を稼ぐのは日本国内で日本語を話していればいいよって言うルール。
これからのルールは:国内のお金はだんだん少なくなるからお金を稼ぐのなら英語を使って海外で稼いでねーっていうルール。
ルールが変わったからゲームのプレーヤー(この場合は国民とか産業とか小さな意味では先生とか学生)はこれに適応しなければ生存できなくなるかもっていうこと。
それを分かっていないと、小手先の議論になってしまって、入学試験制度は大学が自由に作れるはずとか、高校生の基礎学力が落ちているとか、今の大学制度に問題はないのに
なせかえるんだとか、入試制度を変えれば問題が解決する訳ではないとか (おもにここに書いてある事だが(笑)http://blogos.com/article/63882/?axis=&p=1)
今までのルールは
と言う形。日本は確かに輸出で儲けたがそれでも経済は内需型。2010年の対GDP比で輸出依存度は11.4%で先進国ではアメリカに次いで低い。
ちなみに韓国は43%、ドイツは33%、中国でも24%。2010年でもその程度なのでそれ以前はもっと低い。一桁だったときもある。
そのような経済状況で必要な教育は内需経済のために必要な教育でいい。
だから国内の大学同士を競わせ、優劣を付け、教育のレベルをあげるというのでよかった。英語教育もいらない。英語は優劣を付けるための手段であり、
では、これから20年後どうなるのか?
2)内需の縮小
3)経済のグローバル化、知識のグローバル化による日本の産業の競争力の低下
が見込まれる。っていうかもう始まってる。
日本の経済を成長させ続けるためには本格的に外需で食べる事が出来るような体力をつけないと、
そうなると日本は国策として国内の大学同士を競わせて内需向けの労働者を大学で育成しても
貴重な外貨を稼ぐ事が出来ない。
また、人口が少なくなる中、海外からの優秀な頭脳を取り入れなければ競争力を持続できないが、
インターネットをつかったコンピューターネットワークが出来てしまった事によって英語の優位性は
もう既に決まってしまった。今後300年くらいっていうか未来永劫英語は世界の言語になってしまった。
それ以外の言葉はあまりにもお金を稼ぐのに不利になってしまったんだ。
お金を稼ぐルールが変わってしまった以上、プレイヤーはルールに従ってお金を稼ぐしかない。
で、いままでのルールでは日本国内だけで競っていれば良かったものが、国外の経済と競わなければならなくなった。
内需ならばいくらでも保護貿易できたんだけど、外に行くとなると保護できない。それどころか排除される側。
しかも輸出したい国は中国韓国はじめとする新興国から、欧米の先進国まですべての分野で競争相手がいるのだ。
また競争するためには時には相手とくむ事だってある。そのときの相手も日本語話してくれない。
つまり英語使って交渉できなければ売る事も研究も、つまるところ仕事ができないのだよ。
今回の入試改革によって入学試験は学力の面では圧倒的に緩和されるだろう。
そして大学に入るのには、勉強するに足りる基礎学力(特に理数系)、仕事に使う英語、交渉の際に必要な論理性の3つにおいて
ある程度のレベルを達していればよいとなるはずだ。
またそのためには勉強のスコアだけではなくて面接(特に英語、論理性)が試されるようになるに違いない。
入学試験は学力で学生を選抜する試験ではなく、学生の適正、能力、伸びしろをみるための試験となる。
一部の一芸に非常に優れた学生(たとえば数学オリンピックに出るような才能)はその枠で、
それ以外の学生に対しても可能性という枠で席を与えていかねばならないのだ。
勉強のできる学生が選抜されて入ってくる従来の制度では大学は入試が大事であとは学生が勝手に勉強してくれた。
これからは可能性のある学生が入ってくるのであとは「大学が育てる」という形になるはずだ。
故に大学は本当に勉強も教えなければいけなくなるだろう。また勉強だけではなくてコミュニケーションと論理性を育てる場所である必要がある。
これまで大学は国内の学生の選抜システムという形で機能していたが、これからは本当の意味での「学びの場」にならねばならぬのだ。
ルールが変わったのだから今までの国内のランキングなど関係なく東大を抜かす事だって出来るのだ。
この変革によって大学のレベルはより平準化され、専門化される。そしてその事が日本の大学のへきんレベルを底上げするだろうし、一部の学校は
イタリアのマルコ・ポーロが日本海について表記した「WakuWaku」も忘れてはならない(戒め)。
別に韓国が「東海」だと主張しようが中国が「東シナ海」だと主張しようが問題はないはずだけどね。
絶対「日本海」にしたいと思うのは勝手だけど、国ごとにその表記が違うんだから統一しようなんて考え持つのは
分からなくないけど、だからって国が正規表現と決めた海の名前を勝手に統一表現にするのは言語道断だよ。
国独自のアイデンティティーが存在するのに、統一表現はそれを否定してるんだよね。
IKEAが「日本海」を「東海」にしたとしても別に問題はない。
逆に、世界標準で国際規約みたいなので決定済みの地図をその通りに書いてる事の何が不都合なのか、と言う事を
韓国はIKEAに言うのでなく国際規約を裁定した所に言わなくちゃいけないのに、一会社という弱い所に猛抗議したのは頂けない。
イスラーム地図やユーロピア地図には実際にそれぞれの国独自の地図表記が為されてるというのに、それらを各国が主張しないのは
だって大韓民国はまだ50年か60年しか歴史のない新興国だからね。
本当は北朝鮮と南北統一後に言わないといけない事を南だけで主張するから問題になるんだよ。
あるべき姿に戻れば領有権の主張もなるほどその通りだって事になるのにしないから、
海の名称にいちゃもん付けないと国を存続できないなんて極論になってしまうんじゃないかな。
9/19、現地時間で深夜0時を周る少し手前から異変は生じた。
全国各地に散らばっていたはずの電子妖精のトラッキング情報が同一座標を差し始めた。
そして、時間を少し置いて、タイムスタンプ以外全く同一のデータが送られてきた。
まるでDDosのように、一分間に40というスピードで、的確に。
20^3という重さが空白のテーブルを食いつぶしていく。
数の暴力と時間推移がもたらすマトリクスは傾斜をなだらかに描き、
頂きをみることも、それに至る歩みをも、依然とやめようとはしない。
午前7時、朝のテレビは高らかに告げる。
そして、林檎は投げられる。
地図上の侵略拠点から、戦士達と"林檎"の個数がグラフィックスとともに天高く聳え立つ卒塔婆のように伸びていく。出陣の時間だ。
彼らはやがて、あらゆる戸口の鐘を鳴らし、押し入り、一口齧った林檎を証明書として渡す。そして高らかに叫ぶのだ。今ここで一人の人間が林檎帝国に魂を売ったと。その声は電子妖精を通じてモニターに犇き、占有していく。
林檎中心。
一年に数回、泡のように現れ、消えていく戦士達の母艦の名前である。
午後10時過ぎ、お祭りはいつしか過ぎ、蜘蛛の巣のようにマッピングテクスチャを這い回っていた戦士達と電子妖精達は帰る場所に帰ってきた。体力を限界まで減らし、最後に蚊の鳴くような声で終了の時報を告げると電子妖精は己の揺りかごに帰っていく。翌日の5:00にマスターの声に起こされるまでの束の間、彼女達は浅い夢を見るのだ。
そしたら来るわ来るわ変な奴らがw
銀行が向こうからやってくるのを体験した頃から「ああ、俺って金持ちになったんだなー」って実感が湧いて嬉しくなってたんだが、
さすがに怪しい奴から怪しい投資話が毎月のようにやってくるようになると、さすがにウザくなってきた。
金やら太陽光発電やらランドバンキングやら例を上げたらキリがないんだが、中でも一番ハチャメチャだったのが先週聞いた若返り投資。
なんでもアメリカのセレブの間で今年ぐらいからむちゃくちゃ流行ってるとかいって、
会員になると新興国とかで若者の血液を輸血してもらって若返ろうってプラン。
なぜこれが投資になるの?って聞いたら、若さは将来の自分への投資と同じだとか
ごちゃごちゃ言ってたが、結局紹介料が美味しいってことに尽きるらしい。
なんと5人紹介するだけで年収が億を超えるんだと。
普通のマルチだと自分が勧誘した子会員が更に子会員を勧誘して、ねずみ講式に増えるってのが当たり前なんだが、
この商法は額が額なのでたった5人に紹介するだけで簡単に億を超えるってのがミソらしい。
年会費が800万円ぐらいなのになんで5人で億超えるのかメカニズムが謎だが、
800万円のはあくまでエントリープランで、若返り効果が絶大だから体験した人は
ほとんど1億円ぐらいするプランに乗り換えるとか、オプションがどうとかグレードがなんとか結構複雑。
俺はこのマルチみたいなシステムにはあんまり興味が持てなかったのでこれ以上はよくわからんが
若返りの仕組みの方は話が面白かったのでつい色々聞いてしまった。
簡単に言うと、新興国で厳しい検査をパスした数万人規模の若者に毎月血液を提供してもらってて
老化とは衰えたリンパ球が自分の体を攻撃することで自然治癒より劣化が勝ってしまい起きるとかなんとか。
なぜかそいつ異様に詳しくて、この話自体は面白かったけど、他に聞いたことがないし、金額が大きいし、
なんか妄信してる感じな奴なので信用できん。
あと法律の問題だかなんだかで輸血してもらいに毎回海外に行かなきゃならんのも面倒臭そうだった。
とりあえず保留ってことでフェードアウト中なんだが、そいつからさっきもまた電話がかかってきたので、我慢できず増田に愚痴ってみた。
着拒できたら簡単なんだが、ちょっと偉い人からの紹介なんで、そうもいかず。。。
自称インテリや自称金持ちが多い増田ならこの話の信憑性とか含めて良いアドバイスがもらえたりしないかな。。。
無理だろうなw
ソ連海軍と中国人民解放軍が太平洋で暴れるのを防ぐ「蓋」としてベストな地理条件と形状をしていた
日本国は補給港と物資供給の拠点としての役割を担うだけではなく
共産国の海軍を抑止する程度の軍隊を保有することをアメリカ様から認められました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E4%BA%88%E5%82%99%E9%9A%8A
でも国防の負担はアメリカ様が主にやってくれたので日本の国防予算はGDP比で見ると極めて少ない支出で済みましたし、現在も変わりません
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5220.html
で、朝鮮半島やベトナムでアメリカ様が共産国とドンパチやるのにかこつけて日本は経済成長しました。
朝鮮特需 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%89%B9%E9%9C%80
つまり、方法がデタラメでも死ぬ気で仕事をしてたらお金持ちになれたというのは
戦後の日本を取り巻く環境要因であって、高度経済成長期にサラリーマンとして働いてきた世代の実力ではありません。
労働時間 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3100.html
有給消化率 http://www.expedia.co.jp/corporate/holiday-deprivation2012.aspx
労働時間は長く休まず働いているのに賃金もGDPもだだ下がりにはなりませんて。
新興国がかつての日本と同じことをしたら日本の儲けが減るというのは日本社会がこれまでの方法論を考えなおす時期に来ていると思います。
メモ内容
現代のヒット作りのヒントは3つある。
①所有から参加へ
②いつもから今だけへ
③誰にでもから私だけへ
日本の企業は、ていねいな仕事や絶え間ない改善で、世界で評価されるヒット商品を生み出してきた。
しかし残念なことに、21世紀は誠実なモノ作りだけでは、人々の支持が得られない時代になってしまった。
モノがあふれる時代、需要より供給が上回り、いくら市場調査しても人々のニーズは見えにくくなった。
このため企業は調査と開発に時間をかけるよりも、とにかく作って市場に出す傾向を強めている。
そんな使い捨て時代のヒット作りがエンターテイメントの世界にある。
AKB48はインターネットで音楽が手に入り時代に、CD販売の新記録を作った。
①握手会へ参加できる
②今購入すると特典が付く
この新しい価値を作ったからこそAKB48は大ヒット商品に育った。ここに今後の成長事業を生み出すヒントがある。
現在は景気が悪い時期に共通する「安さ」や「健康志向」、さらには倹約・自粛などから脱出を模索する
「ちょっとプレミアム」なものや「技術や機能開発」によって拓かれた新しい市場の商品などが交錯するタイミングにある。
この先、どのようなものがヒットし、それをどのようにして仕掛けていけばいいのか。
新興国の拡大市場では従来からある「品質、価格、納期(QCD)」の追求が、まだ効果的かも知れない。
しかし、衣食足りた成熟社会においては、より顧客とエモーショナル(感情的)なつながりを感じさせる商品がヒットするようになる。
商品の背後にあるストーリーに共感して消費者がモノやサービスを選択し、さらにソーシャル化したネットワークを通じて
互いに影響を与えあう構造が生まれている。
消費者は自分のライフスタイルにあったものを選べる時代に生きている。
「文学」という言葉の定義を、もう少し広げるか狭めるか、ハッキリさせた方がいいんじゃないかね。
定義を狭くして、いわゆる「フィクション」を楽しめないという人は一定いるわけで(たとえばウチの兄貴は、映画というものが金輪際楽しめない、という。理由は登場人物を見ていると、その行動の非合理性にイライラさせられるからだそうだ。)、面白くないものを無理に面白がろうとする必要はないと思う。堅苦しく難しい「フィクション」というのは、そういう趣味の世界にはあるかもしらんけど、まあ必需品ではないし。
また、例に挙げられている「ニホンブンガク」はもう少し定義が広く、「文学は社会の教師たるべし」みたいな時代の産物なんだよね。哲学・社会問題・警句・歴史・神話・劇、などなど、さまざまな要素を加味して楽しまれていた総合芸術。表現技術や技法というのもその中にはあるけれども、単なる言語芸術以上の何かを含んでいたもの。そういう意味での「文学」には、社会で生きていて、人文系の問題領域に関心があれば、どこか引っかかる作品や作者があるだろうと思う。優れた作品も、時代性を背景にしている部分は大きいので、たとえば日本が新興国として成長とその限界の予感にあった時代の雰囲気を抜きにして夏目漱石を読んでも当時人気を博した理由は分かりづらいだろうし、社会の逼塞の度合いを抜きにして横光利一の「機械」やその文体の面白さも分からないだろう。また、大正の退廃から戦時下にかけての日本の時代風景を抜きにして太宰を読んでも、本当のところ何やら分からない部分があっておかしくないと思う。「御伽草子」なんか、戦時の言論統制下で発表されたということを理解すれば、相当面白い。(これは、実際当時の人が「戦時下で次々大家が筆を断ったころ、太宰の御伽草子だけが『文学』を求める乾いた心を癒してくれた」といった類の感想がある。)
もちろん、そんな中にも、時代を超えるような「何か」に触れた作品というのもあるわけで、同じ作者のものでも「こころ」や「春は馬車に乗って」や「人間失格」なんかはそういう部分を大きくもつ。だから、日本文学に世界性がない、ってこともないと思うよ。
とりあえず、増田は、太宰よりは坂口安吾、芥川よりは谷崎潤一郎を読むべきじゃないかなあと思う。現代文学でいうなら、村上春樹より村上龍を読んでみたら、っていう程度のアドバイスだけど。まあ、あんまりいい喩えじゃないんだけどね。
1. 膨大な労働力のグローバル市場への参入(→海外の低賃金労働への代替)
2. 世界的な教育水準の上昇(→新興国への生産移転が容易に)
4. 製造業就業者を減少させる技術進歩(→経済のサービス化)
7. これらの要因が相互作用した結果、若者(特に男)の"decent work"の減少・貧困化が進んでいます。日本でも、失業率悪化は男の方が顕著です(上のグラフ参照)。
女に対する男の所得の相対的減少は、結婚(パートナーシップ形成)の阻害要因として働きます。女は結婚相手に「自分より上」を求める傾向があるためです(marrying up)。男女平等が進んだ北欧でも、女は男に大黒柱であることを期待します。
http://totb.hatenablog.com/entry/2014/03/05/070529
なぜ女は男に経済力を求めるのか。
答えはただ一つ、妊娠出産授乳時に収入が途絶えることが恐ろしいからである。
つまり妊娠出産授乳時の収入を政府が保証し、産前と待遇の変わらない復職が可能になれば、女が男に経済的上昇婚を求めることは無くなる。
ここでは"女は結婚相手に「自分より上」を求める傾向がある"と書かれているが、男は女に「自分より上」を何も求めないのだろうか。
それは違う。男は女に経済力を求められる代わりに、結婚相手に「自分より上の容姿」を求める傾向がある。
妊娠出産授乳が女にしか出来ないという生物学的不平等の結果、男と女はカネとカオの交換を行うようになったのだ。
妊娠出産授乳時の収入を政府が保証すれば、女は男に経済的上昇婚を求めなくなる代わりに、男の容姿への妥協を以前よりもしなくなるだろう。
痴漢の暴露率が通念より高いっていう話は前どこかで聞いたことがあったから驚かないけど、それと同時にセーラー服を着ていると有意に被害に遭いやすいという話も聞いたことがあるし、その地点でセーラー服を潔く捨てられるという女子高生は(こういうと今度は年齢で絞るのは政治的に正しくないとか来るのか、リクルートスーツの成人とかも似たようなもんだろう)結局余り多くないのだろうなと思う。
あと部活での体罰や会社での恫喝に遭っている男性は多いっていう記事もどうせなら欲しいけど別にこれも男女関係ないか。
どうせなら制服の華美さをアピールする女子校や満員電車を放置する鉄道会社がまとめて訴えられればいいのにと思う。ただ満員電車ももう最近は新興国のほうがすごいようだけど。
funaborista お花畑めざして
http://d.hatena.ne.jp/funaborista/20130720/1374321737
これと同じような論調は色々なところで見かけます。たとえばこちら
http://antimainstreameconomics.blogspot.jp/2013/11/blog-post_6327.html *下注1参照のこと
しかし、このサイトに載っている2つのグラフは、2003年から2007年にかけての企業の利益拡大局面においてなぜ賃金が増えなかったのかを、本人の意図に反して如実に示してくれています。
それは、1990年以降、企業の利益が増えない時にも賃金の方は高い伸びを続けていたということです。企業にとっては利益から考えて非常に高い賃金を払い続けていたのです。1990年代の終わりにはそれも無理になって利益に対して賃金を減らしはじめますがそれでも高めの水準で、2003年から2007年の景気回復局面になってやっとそろまでの無理を取り戻したのです。
企業は利益が伸びなくても無理をして賃金を増やしてきた、そしてその後にやっと利益が伸びる時が来たので賃金を据え置いて調整を行ったわけなのに、無理して賃金の比率を高めていた時を基準に見て「景気が回復しているのに従業員に還元しなかった、けしからん。もう企業は信頼できない。」と言われてはたまったものではないでしょう。
さらに、リンク先のグラフは企業の規模別に利益と賃金が出ていますが、この中で2003年から2007年にかけて利益は大企業の占める割合が増えています。「大企業は内部留保を大量に溜め込んでけしからん」と言われるところでもありますが、大企業のように世界で商売をしている場合には仕方のない面があります。
というのも、当時は新興国の発展がめざましかった時期で、それによる需要で原油などの資源や、設備投資に必要な資本財、そして現地の人件費なども速いペースで値上がりしていました。企業が翌年以降の海外での生産活動のために必要となるお金がどんどんと拡大していくことを想定する必要があったのです。そのため、可能な限りは手元のキャッシュを増やしておく必要があり、またそのキャッシュは実際に使う段になっては海外でいろいろなものが値上がりしていたため想定を下回る設備しか作れず、さらに多いキャッシュの必要性が生まれていました。このように大企業も「溜め込んだ」というよりは海外の人や企業に漏出させていました。(これは国民経済計算統計における交易利得の大幅な悪化などから確認できます。)しかし、海外市場に出ないよりは出た方が企業の利益になったから進出しているわけであり、それはまた日本にとっても思ったほど手元に残らなかったとはいえ利益であったのです。
この、2003年から2007年の前には企業は非常に無理をして利益が増えない中で賃金を増やしてきたという事実、そして2003年から2007年における大企業の利益は新興国の発展にともなう資源価格上昇の備えとして取って置かれ、また海外の人や企業に漏出した事実、この2つを踏まえて考える必要があります。これらを無視して「2003年から2007年に企業の利益が増えたのに給料に還元されなかった、だから企業にお金を回す政策はだめだ」というのは近視眼にすぎます。
そして2003年から2007年と比べて現在は、利益と給料の関係は平均的な水準に近いか、やや給料が少なめであり、また新興国の発展も当時ほどの拡大が再度起きる可能性も低い。つまり今回は2003年から2007年と違って早い段階から企業が利益を上げれば賃金の上昇につながってくる、「お花畑がある」可能性が高いと言えます。バブルの後遺症に苦しむ1990年代に無理してでも賃金を上げてきた企業です、大きな障害がなければある程度は賃金を上げたいのです。もちろんそれは企業が優しいからではなく、賃金を上げた方が労働者の意欲を高めたり離職コストを下げられるからでしょうが、やみくもに賃金を下げることばかり考えているわけではありません。
*注1
http://antimainstreameconomics.blogspot.jp/2013/11/blog-post_6327.html
このサイトの給与総額のグラフは2007年以降の数字が間違っておりますので注意して下さい。2007年以降は給与総額の数字に賞与が入っていないために急減し、水準も低いままとなっています。賞与を含めた数字と、このサイトにあるような賞与を足していない数字の比較はこのようになります。 http://upup.bz/j/my93349RrEYt7VI5YghA4jQ.jpg サイトのグラフと比較してみて下さい。21世紀以降を見ると賞与の足し忘れでイメージがかなり違うことがわかります。 http://upup.bz/j/my93352OiXYt2nvuW3LTbtU.jpg なおサイトのグラフでは2012年までですがこの画像は財政金融統計月報に出ている2011年までとなっています。
その通りだね。
長い目で見れば全ての国は滅びるやろうね。
そら他の国と一緒に滅ぶ必要はないでしょ。でも、いつかは滅ぶでしょう。
その辺は昨日の最初あたりに諸行無常云々という話でしたんだよね。
そいでもって、正義と言う言葉は一切使いたくないけど、お国のために奴隷になれ、とかいう議論はちょっと古いんだよね。
滅ぶなら滅べばいいのさ。
国が滅んでも山河が残る。そこに住んでる人がいいようにするよ。
余計なお世話を焼いて、現代と未来に生きる国民を弾圧する必要はないんじゃないかって思っているよ。
その結果、滅亡を早めた事例がいっぱいあるからさ。
住宅街にある焼鳥屋だったのだが、店内やメニューには大量の「じどり」という文字が散りばめられていた。
そのため、お客さん達は「地鶏」を食べているつもりのようであった。
店長が笑いながら事実を告げるまでは、アルバイトの私ですら誤解していたぐらいである。
少し良い物を知っている風に振る舞う学生や社会人のお客さんは、
「やっぱり〇〇(某チェーン焼鳥屋)とは違って地鶏は美味しいなあ!」
なんて声を頻繁に(ドヤ顔で)上げていた。
彼らは知らなかっただろう。
新興国の劣悪な環境で育てられたブロイラーを美味しそうに頬張っていたことを。
http://anond.hatelabo.jp/20130903002317
この人、自分と同じ高校の出身だろうか。少なくとも高校に関して書いてあることは全部一致しているので、似たような環境で育ったことは間違いない。高校時代は学年最下位クラスの落ちこぼれだったが、東大・京大クラスの大学には入れた。大学でやった予備校のバイトで、「MARCHは夢」という世界を目の当たりにして驚いたところまで一致している。
昔、高卒で派遣社員の彼女と付き合った。お互いにグルメ好きだったので意気投合し、バラエティ番組とか、お笑い芸人とか、密度の濃い友人関係とか、今まで全く知らなかった世界に驚き、毎日のできごとの一つ一つが新鮮だった。が、まじめに結婚を考える段になると、子供の教育とか、未来像が全く描けなかった。
結局、その彼女と別れて、同じような学歴の今の妻と結婚した。それまで彼女とは学歴のことなど問題になったことがなかったけれど、あらためてそのことを指摘されて複雑な気持ちになった。それでも、子供の教育方針では良くぶつかる。今から考えても、高卒の彼女と結婚することは考えなくて良かったと思う。
上のリンク先の記事を書いた人との、考え方の違いの最大の原因は、学歴に対する見方の違いだと思う。おそらく、自分の能力に本当に自信がある人間は、学歴をあってもなくても良いものだと思っている。未来には無限の可能性があると信じていた大学時代の自分もそう思っていた。
ただ、実際働いてみると、学歴がないと、高度な仕事を与えられる機会が激減するということがわかった。学歴があるから、仕事の機会が与えられ、成長することで、次の仕事の機会が与えられる。大学卒業/大学院修了直後から、このサイクルを高回転させられる人と、下積みから初めて、ふるいにかけられ、それで初めて高度な仕事が与えられる人とでは、10年後20年後のキャリアの違いは歴然としている。卓越したコミュニケーション力+技術力 or 体力でもあれば別だが、そうではない自分のような一般人は資格とか学歴に頼るしかない。特に自分の業界では取得困難な資格はなく、プロジェクトの効率が、「一番頭の悪いメンバー」に依存することから、採用側から見ても、学歴は非常に重要だ。
MARCHも難しいと考えている子供の前で、「東大なんか入って当たり前」と言い放って、子供を追い込んでしまうような親にはなりたくないけれど、自分と似て、ちょっぴりコミュニケーションが苦手であろう子供には、それを克服して、グローバル社会を楽しむ方法を見つけてほしいと思っている。新興国の労働者と競争しつつ、上司に媚びず、客に媚びず、体を壊すこともなく、自分の成長を感じつつ、楽しく仕事をするための、有力な方法が、学歴だし、少なくとも自分はそうだったわけだから、結婚相手の学歴は無視できない。大学生の自分には、こんなことは理解できなかっと思うけれど、今はそう思っている。
そういえば、小学生の頃の自分は、なぜか、貧しい女の子が王子様と結婚するというストーリーの小説を良く読んでいた。そして、「王子様になって、貧しくてかわいい女の子と結婚するんだ」というよく分からん夢を描いていた。増田で言われている「高学歴の世界」を王子様にたとえるのは趣味が良くないが、少なくとも、「自分と違う社会階層の女性と結婚しない」という、物語の王子様と正反対の選択をしたことには変わりないだろう。
友達と話していても、似たような話は良く出るから、多くの似たような環境で育った人間が、同じような判断をすると思う。もちろん、そういう話はごく限られた友人でしか話さないから、表には出てこないけれど、実際にはそんな風に考えている。だから、自分から高学歴の彼と別れた元増田の判断は正しかったのではないかと思う。少なくとも本人が傷つきたくないという気持ちをかなえるためには・・・。
社会の問題と個人の問題は違う。
この問題について言えば、多くの社会調査が示す通り、学歴は再生産され、社会の階層は固定化されている。そしてこのことは、長期的な社会の安定の維持のために大きな問題であり、これを回避するためには、奨学金の充実が必要という意見があるかもしれない。しかし、学歴の再生産が問題だから、異なる学歴の人との交際を継続しないといけないとか、した方が良いということにはならないだろう。
http://jp.reuters.com/article/jp_forum/idJPTYE97J04220130820?sp=true
大胆な金融緩和の推進を主張する安倍晋三首相の意を汲んだ黒田東彦氏が日本銀行の総裁に就任し、アベノミクスの「第1の矢」とされる大胆な金融政策を打ち出したことを市場は材料視。ドル円は93円台前半から大きく上昇したが、その方向性に大きな影響を及ぼす日米金利差は8月半ばを過ぎても2年前の水準とほぼ変わっていない。
市場は積極金融緩和をする日銀総裁が選ばれることはずっと前から分かっていたので、黒田総裁の実際の行動を見てから動くというようなのんびりしたことはしない。為替にしても野田前総理の解散発言か、その後の安倍総理就任を起点に考えなければならない。また、そこを起点とすれば従来の金利差との関係からでは説明できない円安が起きていることになるが、それこそが効果の一つの表れである。
企業の設備投資が増えると主張してきた。4―6月期の国内総生産(GDP)は年率換算で2.6%増とまずまずの伸びだ。しかし、民間設備投資は前期比0.1%減と6四半期連続のマイナスを記録した。
いみじくも6四半期連続のマイナスを記録と言っていることからわかるように、設備投資は減少トレンドにあった。となれば、政策の効果はそのトレンドをどれだけ跳ね返したかで見る必要がある。そのマイナスの6四半期(2012年第1四半期から2013年第2四半期)は前期比-2.5%、-0.3%、-3.2%、-1.4%、-0.2%、-0.1%と、明らかに下落幅を縮めている。
機械受注をみても、設備投資の先行指標とされる民需(除く船舶・電力)の7―9月期見通しは前期比5.3%減と大きく落ち込んでおり、設備投資が今後、増加に転じる期待は持ちにくい。
機械受注は4-6月期に+6.8%と大きく伸びており、7-9月期の見通しがマイナスなのはその反動に過ぎず、内閣府が基調判断を「緩やかな持ち直しの動きがみられる」から「緩やかに持ち直している」に上方改定したように本来はポジティブな内容。また、+6.8%も伸びた4-6月期について、3ヶ月前の見通しでは-1.5%と減少予想となっていた点も重要。振れが大きく、見通しの信頼性は低い。さらに達成率が高まってきている。
輸出数量は現実には6月まで13カ月連続で前年割れとなっている。7月に入り前年比1.8%増となったが、米国景気の強さを考慮すれば、あまりに弱い。
輸出数量には品質変化が考慮されておらず、円安による輸出への効果を正確に捉えることができない。円安による適正販売価格の低下によって、付加価値の小さな普及品を購入していた海外の人たちが、付加価値の大きな高級品の購入へと切り替えた場合、輸出数量は変化しないが輸出向け生産活動による付加価値はより多く生み出されることになる。その品質面まで考慮した実質輸出は2013年第1四半期、2013年第2四半期にそれぞれ前期比+4.0%、+3.0%と伸びている。しかも、円安が始まった昨年の第4四半期からの米国の成長率は+0.1%、+1.1%、+1.7%と全く以て強くない。米国のみならず、新興国も弱くなってきていた。その中で実質輸出がこれだけ伸びているのは、かなり強い。
付加価値の高い高級品に売れ筋が変化すれば、それに対応するための設備投資が必要になる。加えて上述の4-6月期の機械受注では外需受注も大きく伸び水準が切り上がっており、この受注分の生産が完了すれば輸出されるようになる。輸出数量も今後伸びていく可能性が高い。実際、7月に入り輸出数量が前年比1.8%増となったとある通りである。
日経平均株価が5月23日の場中に記録したピーク(1万5942円)どころか、1万5000円すら上抜けできないことをみれば、円安による株価上昇に限界があることは容易に理解できる。
円安が止まった時から株価も頭を打ったということは、円安と株高の結び付きが非常に強いことのむしろ表れである。
金融緩和による期待インフレ率の上昇は期待実質賃金を押し下げる効果があり、企業が追加的な人員を雇うことによって事業拡大するインセンティブを与える。コストに占める人件費の多い業種が金融緩和で雇用を増やすというのは自然である。
円安の進展は結局、輸入物価の上昇で吸い取られた家計の購買力が、日本の輸出企業や産油国といった海外に移転するだけとなっている。
交易条件の悪化による海外への所得漏出を反映するGDIは2013年第2四半期に+0.7%とGDPの+0.6%を上回っており、まず、海外に移転するだけといった事態は起きていない。そして実質雇用者報酬が2013年に入って四半期前期比で+0.7%、+0.4%と伸びているように企業から消費者へという流れは出始めており、輸出企業に移転して終わりということにはなっていない。
アベノミクス信奉者
いかにコラムと銘打たれているとはいえロイターのような広く見られる場所で、こんな言葉使いをしてしまう幼稚さが一番ヘンだよ。