はてなキーワード: 新興国とは
日本と同等かそれ以上の速度で凋落してくのは分かりきってるっしょ。
アメリカだって速度が遅いだけで衰退してる。その現実を直視したくないからこそのトランプ。
韓国は日本の数年遅れの映し鏡、犬猿の仲だろうと最後は仲良く共倒れ必至。
海外に出ろよ、自立しろよと人は言うんだろうけど、もうそんな気力もない。僕はそれなりに豊かな国で、それなりにのんびりと楽しく暮らしたかったけど、この国にいる限りそれは無理なのだろう。だから、最近はいつ死ぬべきかばかり考えている。
こういう受け身な奴は活気ある新興国に行ったところで、
結局何もできずに同じように恨み言こぼすのが関の山だろうしなぁ。
場所にもよるけれど、有名なタイのバンコクでも物価は日本の1/2〜1/3ぐらい。
バンコクだから高めだけれど、電車で30分ぐらい都市部から離れるともっと物価は安くなる。
物価が安いということは、収入が低くても生活できるということ。
仮にWebやクラウドワークで月に10万稼げれば、実質生活水準は月収20万円レベルの生活はできる。
タイとかならば生活に関するインフラは全く問題ないため、日本語とちょっとの英語しか話せなくても全然生活できる。
娯楽に関しては、Amazon Primeでも契約しとけば映画見放題。
副業で10万稼げれば、あとは海外に移って生活費を落としてから本業にして20万ぐらい稼ぐのを目指したほうが良い。
ずっと日本にいるより刺激があるだろうし、意外にそういう経験が長年1つのところで働くより
有意義だったり、人生を変えるターニングポイントがある気がする。
海外にいる間に新しいビジネスを見つけて立ち上げる人は案外多い。
学校じゃ教えてくれないけれど、日本人は日本円で月に10万円でも手に入るシステムを構築できれば
あとはなんとでも生きていける。
先日、フランス人のカップルに出会って、いろいろな話をしていたところ、
若い世代間において、支払いは基本フランスでは割り勘だという話を聞いた。
男女は常に平等であるという概念と、自立心を持つ女性が増えていることが要因のようだが、
話を聞いていて、非常に納得できた。
そりゃそうだ。収入面だって、男だけが努力して勉強し、収入のいい会社に入るわけではないし、そういった概念は、女性が働いていなかった時代の名残でしかない。
日本は因習的だし、あらゆる非合理性に対して何の疑問も持たず、当たり前だからという理由でそれを行う。
だから社会通年的な概念がいつまでも古臭いし、ビジネス面では新興国にどんどん抜かれていく。
メディアはバカだから、若者のなんとか離れとか言って、時代の変化に価値観がついてこれていない。
日本ももう少し論理性を持って、思考し、もっと社会的に成熟してほしい。
遅れているって自覚がないから、クールJAPANだのおもてなしがすごいだの自画自賛に走る。その姿は本当に醜いし、成長の意思すら感じられない。暗に落ち目であることを自覚している表れだと思う。
安倍首相や現政府の動向、またそれに対する社会の反応を見ても、日本の右傾化は否定のしようも無いものと言える。20−30年前なら安倍首相や稲田大臣の数々の放言は毎回政権をひっくり返してもおかしくなかったようなものだが、今は保守化した社会とそれにともなう高い支持率のおかげでまったく安泰である。
こういった日本社会の右傾化の原因を探る記事は多々あるが、多くは日本の社会構造の変化、国民の気質の変化にその原因を探っている。控えめに言っても、的はずれとしか言いようがない。なぜなら右傾化・保守化・国家主義化・排他化は全世界の先進国で並列に同時に起こっているからだ。イギリスのブレクジット、アメリカのトランプ、今回当選はかなわなかったがフランスのルペンの台頭。その他の国でも国民は保守化しており、あきらかに世界的な流れである。その世界的な状況を無視して国内だけの事情を説明できたとしても、単に場当たり的な後付理論以外にはなりえない。
それではこれらの国を同時に襲った共通の事情とはなにかといえば、2008年以降の経済の停滞である。リーマンショックによる一時的とはいえ壊滅的な被害を受けた後、どの先進国も2000年前後のような高成長率に戻ることは叶っていない。一人一人が保守化する原因は多種多様だが、国民全体が一度に保守化するのは大概において経済的な行き詰まりが原因である。第二次大戦前にドイツやイタリアがファシストの台頭を許したのも、本邦が軍国主義化したのも、経済的な苦境という背景が大きな役割を追っている。70年台に不況に入ったアメリカは保守化しジャパン・バッシングを始めとする排他主義に陥ったのは日本人ならば記憶に遠くないところであろう。今回の低成長もそこまでとはいかずとも世界的な保守化を引き起こしているのだ。
したがって、先進国がなぜ軒並み保守化しているのか?という問いは、なぜ先進国が低成長に陥っているのかという問に還元されるべきである。
そしてこの問への解はシンプルだ。世界の成長余力が新興国に移っているのだ。この十年も世界経済の成長率は極端に落ちたわけではないが、先進国の寄与度は明らかに減っている。たとえば、こちらのページに世界成長率への各国の寄与度のグラフが載せられている。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4505.html
これを見れば先進国の寄与度が落ち続けており、特にこの10年ほどは先進国全体で中国一国にさえ遅れをとっていることがわかる。
ここまで読んで、「なんだなんだ。なんでも中国のせいだというのか。まるで風が吹けば桶屋が儲かるという類の与太話ではないか。」と呆れられた方もいるかと思うが、中国は単に今もっとも目立っている国ということで出てきただけであり、経済力の先進西側諸国から新興国への移動は全世界的な潮流で、たとえ中国をなんらかの理由で止めたとしても全体の方向性が変わるわけではない。例えばインドの名目GDPは今のところ約10年前の中国の水準でありしかも成長率は7%前後を維持している。中国の成長が止まれば、インドや他の新興国が経済成長の中心となり、旧先進国は常に蚊帳の外である。
では今後我々はどうすれば良いのか。どうすれば経済を安定成長に戻し、極端な排他主義のさらなる台頭を防ぐことができるのか、というのが次の問になる。
方法はない。
我々は甘んじて低成長を受け入れねばならず、民族主義の広がりを黙って見つめ、あるいは自分もその中に身を投じていくことになる。
この経済力のシフトは単に経済のグローバル化に伴い隠れていた成長余力が表に出てきているだけであり、経済のグローバル化は有史以来、いやそれ以前から続いてきた不可逆な流れであり、それを止めるにはローマ帝国の崩壊、中国王朝の崩壊、といった歴史的転換点に近いカタストロフィレベルのイベントが必要になる。しかもそれさえも流れを一時的に止めるだけであり、しばらく後にはグローバル化はまた進みだす。一国、又は狭い地域でグローバル化を無理やり止めれば自由経済主義の国々に遅れをとり、状況はさらに悪化する。その中で自分の身を守るためにさらなる排斥主義が広がり、先進国からは寛容性はなくなっていく。
しかしそれは終わりではない。それは、これまでの先進国が後進国化し、これまでの発展途上国のなかから次の先進国が生まれる、というだけの話である。その時現ヨーロッパ、アメリカや日本は、偏狭で旧来の古臭い価値観をもつプライドばかり高いが文化的に劣った国々と見られるようになっていることだろう。
普段ネット上でトンキンwwwなどと煽ったりもしたが、ちゃんとしたかたちで東京を見てみた。
俺は今の日本の経済についての知識が欠落しているのであくまで一個人の主観的な感想として見てほしい。
まあ、腐っても鯛というか、一言で東京スゴイ東京発展し過ぎwwwと思った。
まず熱気が違う。どこも人に溢れ、各人が明日の夢と成功を求めていきいきと生きているようだ。
海外旅行で熱いアジアの新興国へ行った帰り、日本の家路につく時に感じる落ち着いた空気、冷えた空気、少し寂しさの残る空気が、東京に限っては皆無のように思われる。
そして、資本の密度が田舎のそれとは明らかに異なる。ここだけ異常だ。
日本全体の資本の4割くらい東京に集まってんじゃないかと目まいがするほど、東京の街は執拗にギラギラとしていた。
道を3メートル歩く度に、雑貨や食べ物の個性的な素晴らしいお店が立ち並ぶ。東京は街そのものが遊園地のようだ。
街中にメーカーのロゴや店の看板がこれほど絶え間なく多く寄せ集まっているのを見たことが無かった。田舎の繁華街が、東京では1ブロックごとに配置されていた。
麻布という言葉は知っているものの、どうしてメディアによく登場するのか分からなかった。実際に夜の麻布に行ってみてそれが分かった。
少し歩くと六本木へとつながる麻布では、日本の一般的な戸建て住宅とは異なる重厚な外国風の豪邸が立ち並び、日本のビバリーヒルズ?と思った。
歩いていると大使館の玄関に次々と遭遇し、ここが首都であることを改めて実感した。
洒落た少戸数型マンションへ帰宅する人たち、1分に1回の間隔で見かける品川ナンバーの高級外車・・・
日本の上位数パーセントの成功者・支配階級が寝床とするコミュニティ、外の世界の喧騒からの影響を受けない住み心地の良い閉じたコミュニティに足を踏み入れていた。
海外のエスニックな料理が好きなのだが、普段日本ではそれが食べられないと嘆いていたものの、東京では全く心配いらない。
ここは本当に日本か?と思うほど海外で経験したスパイシーで胃袋を鷲掴みする良い香りの熱気があちらこちらから流れてきて心が躍った。外国人の数も非常に多い。国際色豊かでカオスな感じ、料理が不味いわけがない。いつか夜の居酒屋巡りをしてみたい。
同じ日本人でも、地方田舎で住むことによって形成される日本に対するアイデンティティと東京で形成される日本に対するアイデンティティは異なるということに初めて気が付いた。
田舎の落ち着いた日常の心休まる日本、東京の激動の熱い日本、どちらも素晴らしいものだ。交互に味わえたらどれほど幸せだろう。
小泉進次郎氏が、
「悲観的な1億2千万人より、自信に満ちた6千万人のほうが良い」
と語ったという。
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/25808
これに対して、切り捨て、虐殺、優生思想と感じた人がいるようです。
日本の人口密度は2005年(平成17年)で343人/km2で、人口1,000万人以上を有する国の中では、バングラデシュ(2005年で985人/km2)、韓国(同493人/km2)、オランダ(同393人/km2)に次いで4番目(注:台湾の627人/km2を含めると5番目)の人口密度をもつ。 ただし近年では日本の人口は減少傾向にあり、また途上国や新興国の人口増加により日本の人口密度を上回る国が増加している(2012年時点では、台湾を含めて9番目になっている)。
平野部への偏在
日本は山地を多く含む国であり、人口は都市部や平野部に集中している。日本の過疎地域のデータによれば、2006年4月時点で過疎市町村となっている地域の面積は 204,329km2で全国面積に対する割合は54.1%、そこに居住する人口は約1064万人で全人口に対する割合は 8.3%、この地域での人口密度は52人/km2となっている。逆に、残り45.9%(173,506km2)の地域に、総人口の91.7%(約1億1711万人)の人が住み、この地域での平均密度は675人/km2となる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%AF%86%E5%BA%A6 より引用
人が少なくなれば、既得権益も薄れていくはずですし、その分日本の経済的なリソースは各個に新たな配分がされるように変化していくはずです。
これまで人類は経済的に行き詰ると、戦争をすることで、新たに破壊と創造をすることを繰り返してきたと思います。
大規模戦争が少なくなった今日では、人口減少が戦争に変わる新たな平和的な破壊と創造の契機となるのではないしょうか。
戦争はやりたくない、でも人類社会は平和が続くと行き詰る、とすれば、人口減少は人類が直面している新たな人類史のページであると言えると思います。
国ごとに社会の段階が異なりますので、国際関係の具体的な問題において異論はあると思います。
ですが、私たちは新しい人類の歴史におけるパイオニアという地点に立っていると、人口減少を肯定的にとらえても、いいのではないでしょうか。
発端はイギリス のEU離脱だった。世界経済は混乱し恐慌がきた。失業者が増え人々は不安になった。
次にアメリカでトランプが大統領になった。これで世界中が保守主義、国内優先孤立主義に走った。
特に新興国にトランプを真似したかのような過激で保守主義的な指導者が増えた。
次にドイツがおかしくなった。ネオナチが羊を被ったような党が躍進してきた。民族主義が堂々と声をあげるようになった。その影響でフランスはドイツと距離を置くようになった。
フランスとドイツの関係が悪くなるにつれ、EUは徐々に解体していった。一時的と言われた人の移動制限は、恒久的なものになった。ドイツが勝手に関税を取り始め他の国もそれを真似た。
一応国連が介入したが、国連は中国寄りな態度しか示さず、関係国は失望している。何度か火種があったが大きな紛争にはならなかった。
日本は高齢化が進み経済が縮小した。一時期格差の拡大が騒がれたが最近は落ち着いている。
移民を一切受け入れない姿勢が各国なら批判され国際政治での発言力も弱くなった。
大きな混乱なく緩やかに経済を縮小させていく日本の手法を「日本モデル」と呼ぶ人もいるが、単なる自画自賛だと思う。国際社会は日本を老いたかつての大国とみなしている。
アフリカでは、中国が一部の地域に多額の投資と引き換えに内政干渉を繰り返した。中国人が大量に移住しているらしい。遂には治安維持の名目で軍を駐留させた。さすがに諸国が反発したが実行力のある対策は打てなかった。近い将来、住民投票で中国に編入させるんじゃないかという噂だ。現地では民族運動が盛んになって治安が悪化しているらしいが、なにせ情報が出てこない。アメリカが介入をちらつかせているが中国は引く気はないらしい。キナ臭い雰囲気がここ数年続いている。
東京オリンピック?あったよ。面白かったさ。でも中国の宣伝みたいだった。あんなに金をかけなくても良かっただろう。
とにかく、2026年の今現在、日本は平和だ。 世界でも大きな戦争は起きていない。でも、この後の10年間はそうはいかないだろうと、みんなが言っている。どうか日本だけでも平和であればと願っている。
日本に優位がある製造業に限って見ても、もう発展が限界までされているような先進国の中でさえ生産性のバラツキは大きく、
その中で日本の生産性は高くない。逆に言えばモーレツなんてなくても生産性改善の余地は大きいということ。
モーレツなアジア中進国との競争に面しているとしたって、モーレツで立ち向かう必要性はない。
むしろ(その国の所得水準が上がるにつれ)頭打ちがあるモーレツで勝負をかけられているのは日本にとって楽な話だ。
ただ、そのためには国内一社が働き方を変えただけではどうにもならない。だから「労基署仕事しろ人増やせ」とか
安倍政権への働き方改革の方針へ繋がったロビー活動とか、国内一社ではなく国の制度設計に声が向かっている。
一社だけフライングでやって上手くいかなかったといって文句ぶーたれても仕方がない。
昨日、自身の経験から残業禁止にしてもブラック企業は生まれるよという話を書いた。
予想以上に反響があり、また想像以上に私の意見が伝わりらない部分があったように思えたので、ブコメで出ていた意見や突っ込みに対して回答を書きたい。
これでもまだかつて私が在籍していた会社を他人事として笑っていられるだろうか?
Q1. 単に残業禁止にするだけなら弊害出るのわかってるでしょ?馬鹿なの?
A1. 今回の残業禁止令は外部から来た役員の発案でしたが、外部から来た役員というのは往々にして社内に基盤がない。
部外者が社内に居場所を作るには何かの実績を上げる必要がある。
そんな新役員の野心と、人件費削減という汚れ仕事をよそ者に押し付けたいという元からの経営層の思惑という利害の一致が
ちなみに新役員のイメージとしてはマクドナルドやベネッセの社長を歴任した原田氏を想像していただくと話が早い。
Q2. 業務効率化を優先的にしなかったのが悪いのでは?不要な会議をなくしたりしなかったの?
A2. かつて在籍していた会社の情報を書かなかったので、いろいろ想像をする余地ができてしまったのかもしれない。
ひょっとしたら『Excel方眼紙にFaxが現役です!』みたいなロートル企業を想像されたのかもしれないが、そうではなかったと明言しておく。
PC一つとっても、技術系の社員はフルHDのデュアルディスプレイが標準装備だったし、
会議だって外せないコアメンバー以外はSkypeで自席からの参加でよく、必要な部分だけ入ればよかった。
上司の決裁がいるときも、ハンコをもらって回るなんてことはなく、直属の上司と関係者をCCに入れたメールを送れば終わりだった。
Wikiベースの社内グループウェアも導入していたし、生産性については割と理解のある会社だったように思う。
不要な業務といえば、社員旅行や花見といった昭和の文化は遠く昔に廃止され、学会発表や業界紙への寄稿といった業務に関係あることも数年前に廃止済み。
これ以上どこに無駄が残っているというのだろうか?
Q3. 人増やせよ。教育削るなよ。
A3. 人を増やすのって一朝一夕でできることではない。特に技術系の仕事は一人前の戦力になるまで時間がかかる。
かつての弊社の場合、社員総数800人程度で、毎年平均して30人程度の新人を採用していたが、もし人員増を計画したとしても一気に100人採るなどということは不可能だっただろう。
採用コストもあるし、オフィスの空きスペースがないというのもある。一番大きいのは『教育リソース』の問題だ。
新人を指導するのは30代~40代の中堅、ベテランの仕事だったが、日常業務の主力である彼らの時間を『OJT』という名の教育でとられるのは短期的にみると戦力ダウンに直結するからだ。
ちなみに残業禁止後、新人教育が削られたのも、業務の主力たる彼らが事業に専念しないと仕事が回らないため。
で、そういう面から考慮した結果が採用人数30人という数字なわけで、これではどう頑張っても年4,50人に採用を増やすのが限界だろう。
現実的に考えると人員の適正化には5~10年くらいはかかるんじゃないだろうか。
また、人員に余裕を持つということは、不況時にリストラされる可能性が上がることも意味しているわけだが
これの件については皆さんどのようにお考えなのだろうか。私はリストラを食らうくらいなら平時は残業で労働力不足をカバーする方がましだと思うのだが。
私もブラック企業の文化には反対の立場だが、私の文章の表面的な部分を拾って一斉に弾劾する皆さんのコメントからは、ブラック企業の『匂い』を連想せずにはいられなかった。
正義の御旗のもとに盲目的に悪を弾劾するのもありだとは思うが、こういう世間の空気による同調圧力こそがブラック企業の長時間労働を正当化した原因だということを思い出していただけないだろうか?
それから、私がやっているメーカーの仕事だが、国内同業者との競争だけでなくてアジアの新興国との競争も激化しているというのは周知のとおり。
彼らのハングリー精神はすさまじいものがあり、昭和の日本を思わせるモーレツぶりを発揮している。
そんな状況において、国内一社が働き方を変えただけではどうにもならないと思うのだが、そういう場合でも一律に社会悪だというのだろうか?
どうも最近の議論は近視眼的すぎるように思う。狼男を撃つ銀の弾丸は存在しないのだ。理想論を語るのもいいがもう少し現実を踏まえて議論してはいかがだろうか。
六なんちゃらっていうビルと、なんちゃらタワーっていう東京のビルで働いた
ドヤれる 俺あそこで働いてるんだぜー。友達居ないから意味ないけど。しかも大したことしてない
駅が近い 大抵高層ビルは駅直通だったりするよね? そうでもない?
エレベーターの乗り継ぎ 意味分からん、エスカレーター、エレベーター、エレベーターみたいな
意外と広くない 人がいっぱい入るからしょうがない、あとエレベーターが意外と幅取ってる
家賃が高い 六なんちゃらの家賃やべーよ、家賃分給料に還元してよ
高層ビルには頭が良くて悪の幹部みたいな人たちが働いているんだと思ってたけど
きれいな景色を写真に撮りたいけどコンプラ的に危なそうでできないのが残念
ちょっぴり高所恐怖症だけど意外と大丈夫(ガラス張りのエレベーター除く)
ビルのカードキーで入れる場所増えるのちょっと楽しい、ドラクエ思い出す。宝箱はないけど
※雑居ビルって書くと語弊あるかも、小さいビルの上から2フロア借り上げとかそういうやつ
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追記
高層ビルで働く前 : 日本も新興国に負けずにもっと高いビル建てろよ!!
高層ビルで働いた後 : すいません今のままでいいです。人は土から離れて生きられないのよ
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追記2
みんながトイレを気にしてることはよく分かったw
確かにトイレは足りないけど、それは高層ビルじゃなくても同じじゃないかな
民主主義国家の混乱を見て、民主主義に理想を抱く若者は減るだろう。
タイのように民主化に挫折し、軍事国家や強権国家に逆戻りする新興国も増えるだろう。
あるいは韓国のように、中国の影響が強まって法治主義から人治主義的な国家へと
移行する国がでるかもしれない。
アメリカはどうなるだろう・・・人種・階層間の対立が激しくなり、
30年後には主要国の中で西欧的な民主主義・人権主義を掲げる国は、
民主主義や人権は、今の共産主義と同じように古臭い過去の遺物とされてしまう。
そのとき、日本はどういった国とどういう関係を築いて生きていくのだろう。
信用連鎖安ねえ。
それだとしてもね、リーマンショックの時みたいに、信用を証券化して、しかもレバレッジかけて、でかい銀行が一つでも潰れるとドミノ倒しで全てが不良債権化するような状況でもないし。
中国が失速とか、新興国が原油安で消費が伸び悩むとしても、それを織り込んでも安すぎるな。
上海、香港市場より東証がパニックになってる理由が説明がつかない。
例えば、オリンピック、ワールドカップの様に世界的なイベントが少ない気がする。
さっぽろ雪まつりも素晴らしいのだが、世界的には中国の大連氷祭りの方が知名度が高いと思う。
コミケ… は盛り上がっているとは思うが、一般層(子供連れてとかハイカルチャーの評価に耐えうる)から見て難しいので、その内、英語系のメディアに、アダルトイベントを国策を上げて応援する異常な国日本という記事が出るだけの話は時間の問題であるので論外だろう。(決してコミケが悪いと言ってるわけではないが、そういう性質のイベントだという話)
本線に戻ると、よいお祭りなどもたくさんあるのに、例えばスペインのトマト祭り、牛追い祭りに比べると世界の認知度が低い気がする一方で、かなまら祭りだけはやたらと知られているのも、なんだかなーという感じ。(逆に日本人の方がかなまら祭りにはあまり行ってもない、尻もしないというところではないだろうか)
映画祭・音楽祭・ファッションウィークも日本でもやっているが国際的な知名度はほとんどない。
コスプレなんかは単独イベントでアダルト性を排除すれば世界でもトップクラスのイベントになれるポテンシャルはあると思うのに、ちょっと残念だ。
それこそ寿司職人ワールドカップを日本で開催してもいいくらいだ。
なぜこうなるかというと、もともとイベント毎にビジネス性がなく、日本の場合とりあえず「東京」に来ればなんでもできるという環境のせいなのではないかとも思っている。
モントルー・ジャズ・フェスティバル、フェットドゥラミュジック、サンバカーニバルなどと比肩しうるいろんなイベントを是非日本からも胸を張って出てほしいものだ。
##トラバもらったので追記
・甲子園はなるほどいいなと思ったのだけど、甲子園はオラが街の高校生を応援したいという日本の土着のコンテキストがイベントに強く付与されてしまう気がして、そうなると世界的なプッシュはなかなかハードルがあるのかなと。
・漫画賞の話に関しては、全く同感で別のポストで書こうと思っていた所。(中身は一緒)
・CWCはトヨタカップの頃を少し覚えてるなぁ。確かに盛り上がっていた。ただ今回の投稿は海外のコンテキストでのイベントを「誘致」するという話ではないので、ちょっと別の議論だとは思うけど。誘致に関してはそれによって国威発揚が必要な新興国やオイルリッチのアラブとかにまかせておけば良いのかなーと。
・増田だとこのレベルでもネトウヨみたいと言われるのは正直困ってしまうが、ブコメは多分違うんじゃないかなぁと。政治色の強いものはブコメはそもそもあんまりID付きだから見ないわないしね。国境のなく且つユートピアに暮らしたいならどうぞご自由にとしか。
インドネシアの自治体が中国の高速鉄道を選んだことに恨みつらみを垂れ流してる人を見かけた。
そして、採用にあたって重視した項目が技術ではなかったということにもだ。
よく考えて欲しいのはこういったインフラ設備を購入しているのは自治体だけれども、その自治体の財源はそこに住んでいる住民が出したお金だということ。
先進国がその高速鉄道を購入するのと、新興国がその高速鉄道を購入しようとするのとでは抱える負債の相対的な重さが違う。
新興国がただでさえ高額なインフラ設備をより安い国から購入することは仕方のないことであるという思うべきなんじゃないかと、僕は思う。
日本は先進国になった今だからこそ、自治体(主に東京都と政令指定都市)がポンポン高額なインフラ設備を作ってることに違和感を持たないのかもしれない。
ただ、ほかにも整備しなければならない必要最低限のインフラが多く残ってる中で少ない財源から、そのインフラを整えるお金を出すわけであって、日本が新たな鉄道を建設しようとするのとわけが違うことだけわかって欲しい。