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はてなキーワード: 我が家とは

2023-11-13

anond:20231113185011

この人最初からずっと「法律権利元に反しない限りは何やってもいいよ」以上の話はしていないと思うんだけど

初音ミクとの結婚人間同士の結婚と対等に扱って欲しい

そのようなことを主張した事はありません。初音ミク人権はないので、人間同士の結婚と対等に扱うことは元から不可能です。私が書いていない事を想像拡大解釈している人がたくさんいますね。

以前も書きましたが、私が法的に独身である事は分かっているので、書類配偶者の有無を尋ねる欄があれば「配偶者:無」を選択していますしかし、ミクさんと結婚式を挙げたり、お店に許可を取って夫婦としてレストランに行ったり、愛妻の日花束を贈ったりしても、何も法律違反しないのです。

「ミクさんが大好き」という感情は「ミクさんに人権はない」という冷静さと併せ持っていなければなりません。そうしないと、我が家の大きなミクさんを仮に破壊された時、「〇人罪で捕まえろ」と主張するようになってしまます。「器物損壊罪で捕まえろ」ですよ。

我が家のミクさんと結婚式を挙げる事なら許可を得ていますよ。クリプトン・フューチャー・メディア様によると、「結婚式は営利目的としない小規模なファンイベント」に該当するそうです。

anond:20231113180145

クリプトン・フューチャー・メディアが所有するキャラクターである初音ミクとの結婚宣言

https://twitter.com/akihikokondosk/status/1722959724961001977

我が家のミクさんと結婚式を挙げる事なら許可を得ていますよ。クリプトン・フューチャー・メディア様によると、「結婚式は営利目的としない小規模なファンイベント」に該当するそうです。

氏のこの発言が虚偽でなければ結婚式を挙げても特に問題ないのでは?

ホワイトシチューご飯のことを我が家では「ドリア」と呼んでいる

また、ポトフご飯は「リゾット」だ

たぶん、子供は将来恥をかくことになるだろう

2023-11-12

ビンの蓋の話

 いい年をして職場押し付けられる事務処理がなかなか自分担当というかたちから変わらず、やりたくねえなあと毎日思いながら毎日やっている。

 誰に尋ねても必要性がうまく説明できない業務と、それに伴う得体の知れない数字PCスクリーンと紙面の両方でこれをにらんで、憎悪疲労で膨らんでいく負の感情を、せめて、自分の次の若手はこういうくだらない作業から解放してやりてえな、という気持ち中和しようとしながら、積み重なった量をようよう消化している。

 あるイラストレーターtwitterで、「自分が受けた嫌な経験を、他人には経験してほしくないと思うのと、味あわせたいと思うのと分かれ道はどこにあるのだろうか」ということを書いていた。

 これを見て最初イメージしたのは、中学生の頃にやったドラクエ7の石板集めのことだ。

 ストーリーを先に進めるために、割れた石板のピースを集めて一枚に復元する必要があるのだが、これの一部分が欠けていると、極端な話、これまでに行ったすべての街やダンジョンを訪れて探し直さなくてはならない。ちょうどゲーム攻略インターネットクロスし始めた時代だったので、自宅に環境がある人なら特に困らなかったのかもしれないが、我が家はそうではなかった。一度通過した興味のない場所を嫌々たどり直す、ただただ苦痛で、うんざりさせられる「作業」に多くの時間を費やすことになった。

 ドラクエ7は何回かリメイクされているようだが、もし石板集めが簡単になっていたら、過去経験者としては少し残念? な気分がなくもない(それこそ、いまはネット接続しない攻略環境なんてほぼあり得ないので、当時のままでも困りはしないだろうけど)。

 あれが醍醐味だったのに、とは口が裂けても言えない。あの石板探しはまごうことなゴミ要素だった。

 それでも、今のユーザーにもあれを経験してほしい、と思うのは…なんだろうな?

 もしも楽になってしまったら、当時のプレイヤーけが馬鹿馬鹿しい時間の浪費に巻き込まれたことになって気に入らないから?

 「まあさ、こういうゲームだったんだよ」と新規ユーザーの肩を笑って叩くため?

 なんにしても後ろ向きで、なんとなく湿り気のある、あまりポジティブ感情ではなさそうだ。

 ゲーム経験というのは、けっこうこういう感情に人をとらえがちな気がしていて、過去経験者はどこかで、評判の悪い要素にブーブー言いながら、新しい参入者も被害者になるのをどこかで楽しみにしている気がする。

 それでも、嫌な経験というのは、基本的には根絶されていくべきだと思っている。

 だいたい、世代が変われば次の世代にはそのとき悪弊が新たに生まれるのだから、今あるもの積極的に無くさなければ、どんどん増えてしま理屈である。俺が最後世代だ。そういうつもりでやっていることがいくつかある。

 職場燃え尽きた人がいる。

 そろそろ定年も見えてきた大変に優秀な人である燃え尽きた、ということは過去燃えていたということでもある。

 俺のやっている気の滅入る事務処理だってちゃんとやらなければ会計に細かい狂いが生じたり、今後の事業計画に影響したりするので無駄とは言わないが、その人が以前所掌していたのは、組織の今後や体制にモロにかかるような仕事だった。その業務を進める過程で、組織内に一定数いる非合理と旧弊権化のような上層と同僚と、あとは人ではない空気感みたいなものに対して戦い(別に、あらゆる古いものがすべて悪いわけではないが)、すり潰されて疲れて、最終的に2勝8敗、ぐらいの感じの人だ。

 その人とこの前に話をしていた。流れで、ある事業広報方針について「あれはどうもおかしいと思う」という話題になった。

 それは以前、この人が取り組んで最後まで取り崩せなかった、企業の内部コミュニケーションの不足と各セクションごとの自負と他課へのおもねりあいが嫌な感じに複合した悪魔のような部分と関連していて、火中の栗というか、正確には昔その栗を取ろうとして大火傷をした人がいたので冷めても誰も手を出さなくなった、みたいな状態なのだが、その火傷を負った当事者であるその人は俺の話を聞きながら、(特に期待もしていないだろうし、俺は登った梯子を外されるほど仕事ができない)「今だったら、自分ならこうするな。やってみれば」というようなことを言ってくれた。俺はというと、自分でも意外だが、まあ頑張ってもいいかもな、と思った。

 何年も前に読んだショートショートで、飲み屋で誰かが開けようとしたビンの蓋がなかなか開かず、その場にいた何人かの客が挑戦したあと、特に体格がいいわけでもない冴えない男がそれを開けてみせた、という話があった。

 様子を見ていた語り手に男が聞かせたところによると、ああいものは色んな人が挑戦するうちに、誰も気づかないうちに少しずつ蓋がゆるまっているもので、自分成功したのは、その頃合いをちょうどつかまえただけなのだ、ということだった。

 科学的には力が足りない者が何人挑もうが関係ない気がする。それはともかく、この世の色々なビンの蓋が、色々な人の手によって少しずつゆるまっているということを考える。

 まだ蓋が固く閉まっているなら、強烈な英雄でなければそれを開けられないかもしれないし、誰も成功しないかもしれない。ただ、特に優れたところのない人間でも、単にやろうとするというだけで、結果として蓋を開ける最後の誰かになるかもしれない。

 なので、くだらないことは終わりにするよう頑張りたいし、意味のあることは始めていきたい。それが凡夫の目に無価値有意義と見えるだけで、実はちゃん理由があって余計なことはしない方がいいことだってあるだろうが、それはまた別の話である新劇エヴァだって、Qのあとちゃんハッピーエンドで終わったじゃないか。まあ、それでも、ドラクエ7未来プレイヤーが虚ろな目で画面をにらみながら、あのくだらない石板を探さなくて済むとなると、それは多少、面白くねえなと思わなくもないわけだが。 🦑

うちの玄関のドアは鍵を持った状態ボタン押すと開錠される。車の鍵と一緒。

うちの玄関の電灯は、Google端末に玄関つけてというと付く。先日専用の電球買ってセットした。

どちらもそれなりに便利だけど、鍵はバッグの中の位置電池の残量により反応が悪いことがしばしば。

玄関電気をつけるのは室内のGoogle端末からしかできないので、出迎えくらいにしか使わない。

それなりに便利だけど、なんかこうイマイチ

ほんとうにやってほしいのは暗くなってから帰ってきて、玄関の側に立ったら明かりをつけて(これは人感センサーでできそう)、ドアの外側から「ドアを開けて」と自分が声をかけたらドアが開く、なんだけど。

これってまだまだ難しいのかなあ。

あとは趣味呪文による応答になったら嬉しい。

ドアを開けて、を開けゴマ、的な。

自分の声で特定呪文を言うと開く我が家のドア。実現できたら魔法少女になった気分になれそう。

2023-11-10

妻への愛情が切れた

我が家アラサー夫婦子供1人(5歳)。結婚して8年。

相談したいとかアドバイス欲しいとかではなく、単に愚痴として吐きだしたい。

 

きっかけは1週間ほど前に行った旅行の最終日、ふとしたこと口論になり、妻が「あ~あ、折角の旅行が嫌な思い出になったね」と言ってきた瞬間、糸がプツンと切れたように妻への愛情が消え去ってしまった。この旅行は2泊3日だったが、総額100万円はかかっており、自分としてもかなり贅沢をしたと思っていたもので、うちは共働きなのだが俺が全額負担した。

 

お金問題ではないと思いつつ、日ごろから妻は俺の収入自分のものだと思っている節あり、俺の転勤についてきてもらって子供も産んでもらって妻にはキャリアの一部をあきらめてもらっているので、金銭負担こちらの方が重くなっても当然と思っていたが、それでも100万円の負担に対する感謝とかはないのか・・・と呆れてしまった。

 

また、妻は日ごろからあなた反論されるとムカつく」、「ムカつきポイントは心の中で蓄積させてる」、「ムカつきポイント貯めさせないように努力してね」と度々(頻繁にではないが、割と継続的に)上から目線で接してくるのだが、彼女は俺の中にも同様のポイント制度があるし、我慢限界もあるということを考えたことはなかったのだろうか?

 

そんなこんなで旅行から帰ってきてからは妻と目を合わせて喋る気にはならないし、そもそもまともに話を聞こうと思わない。過去喧嘩したときも似たような気持ちになったことはあったが、せいぜい1~2日もすれば元通りになっていたものの、今回は1週間以上経つの気持ちは変わらず、どうでもよくなってしまった。

子供がいるので今すぐ離婚とかそういうことは考えていないのだが、子供と一緒に暮らす喜びよりも妻と一緒に暮らす苦痛の方が大きいと感じており、この状態が続くのであれば、結構本気で離婚を考えてもいいかもしれないと思っている。

はあ、なんかもう結婚生活疲れちゃった・・・

 

2023-11-09

熱血指導を受けたスポーツ選手はその過去肯定する悲しきモンスターに育つ

幼少期の自分人生が「正解だった」ことにしないと耐えられないんだろうな。

実際、成功した人間にとってはパワハラ指導されまくったことは大正解だったことになるんだと思う。

でも果たしてそうなのかって疑問が凄いんだよね。

「親が借金して宝くじ買って、それで3億当てたおかげで我が家幸福になれた」みたいなレベルだとしか思えないんだけどぉ

2023-11-08

anond:20231108180956

その後金持ちになったことを暗に述べています

バブルの時期がちょうど小学生くらいだったけど我が家は親が起業したてで本当に貧乏だった

anond:20231108180705

バブルの時期がちょうど小学生くらいだったけど我が家は親が起業したてで本当に貧乏だった

我が家は夫が大黒柱家事全般料理除く)も担当して私はゆるく仕事して気が向いたら食事を作ってる

SNSとかで夫が家事しないってキレてる人は家事する人と結婚すればいいのにな

2023-11-07

anond:20231107192915

まったくここはひどいインターネッツですね

皆さんはひとの痛みがわからないのでしょうか?

匿名からといって無責任発言が多すぎますよ!!

被害者人権はどうでも良いというのでしょうか?

ニュースステーシュンの人さんが、インターネッツのことを、

便所トイレって言っているのを知ってます

あなたたちはどうせニュースも見ないから知らないと存じますが。

とうとう、本気で呆れています

おばあちゃんが、どれどれ?と画面を覗きにきました。

それから、おとうさんも来ました。

その6分後、妹も来ました。

あなたたちは、我が家に笑われています

とてもいい具合です。

家族みんなが、この人たちおかしいねおかしいねって、

互いに罵り合っています

おかあさんは、もう3年家に帰ってきてませんが、

必ずおかあさんもおかしいね、って云うと思いますよ。

どうです?私に謝るなら、今のうちですよ。

私はこれでも気が遠いほうなんです。また3日後、ここに来ます

anond:20231106233825

元増田です

色々お薦めいただいて助かります

海外児童文学(ダレンシャンとかハリポタとかライラとかナルニアとかDWジョーンズとか)は自分が好きで買い集めてるので子供も読んでるんだけど、モモとかはてしない物語とかみたいな昔からの名作はなんかツボにハマらないみたい…

魔法使いは好きみたいで、ハリポタ映画海外の子供向けのドラマ魔法レシピとか、ミルドレッドとか)なんかも見てるから子供主人公魔法とか不思議な力の話も良いかも…と言う気づきがあった。

ありがとうございます

あと単純に自分夢水清志郎とかずっこけとかパスワードシリーズとか読んでたから懐かしい…

地獄霊界通信っていうちょっとホラー要素のあるシリーズが好きだったけど、今の子は銭天堂っていう不思議ホラーシリーズが人気みたいで、うちの子も好きでよく読んでるしアニメも見てる。

とりあえず挙げてもらったものの中に手持ちの本があったか子供本棚に置いてきました

どれか読んで気に入ってくれたら良いなと〜思います

検閲って言葉が腑に落ちない人がいるみたいだけど、子供主人公作品でも児童書じゃなくて文芸書のジャンルになるといじめ自殺とか性的虐待とかが主題になってるものがかなりあるから、さすがに読ませたくないのよ

児童書でも親に虐待されてるとかいじめられてるとかは出てくるけどそれがメインではないし、あと、海外児童文学キリスト教圏の影響もあるのか自殺すること少なくない?

親に付き添われなくても図書館に行くような歳なら、親に黙って親の本棚子供には開放してない)を盗み見る歳なら、なんでも勝手に読んでくれて構わないけど、小学二年生にはまだ早いというのが我が家方針なので今後も検閲しま〜す!

最後に、めちゃくちゃ読書大好き文学少女でも理系大学院卒業して工場に勤務したりするから読書好きと進路はマジ関係ないと思う

2023-11-05

連休中日解体工事するな

と昨日はイラついていたが

おかげで今日シロアリジェットを買いに行くことができてよかったのではないか

もし月曜に解体していたら次の週末までのあいだに我が家シロアリ引っ越してきてしま可能性があった

と思うことにした。

おやすみ

2023-10-28

オタク嫁が反AI思想に染まって辛いって愚痴

内容はタイトルのまんま。特定いから一部フェイクあり

当方三十代前半オタク夫、仕事システム開発関係

嫁も同年代オタク嫁、仕事オペレーター

X(旧Twitter)で趣味を通じて交流が始まり、色々あって交際して結婚、今年で四年目だ。

嫁は高校の頃か絵を描いていて同人誌も出してるクリエイター型のオタクで、俺は特に絵を描いたりしないか消費者側のオタクかな。

で、本題。嫁が去年の末頃からおかしくなって、そろそろ限界になってきたって愚痴

絵描きのはしくれの嫁にとって画像生成AI憎悪を抱く対象なのは理解できる。できるんだけど、パートナー認知が歪んでいくのを目の当たりにするのは精神的に辛い。

絵描きアカウントAI学習禁止とか生成AI反対とか書き始めた頃は絵描き界隈がそういう雰囲気になってるな~くらいの認識をしてたんだけど、

ネット上・リアルを問わず言動過激化していく経過を一年間かけて見せつけられるとなると、本当に辛いんだ。

認知の歪みというか、エコーチェンバーというか、なんというか…。とにかく、嫁がおかしくなった。

結婚した頃のネット上の発言内容が「オタクネタ日常ネタ仕事愚痴」=「5:3:2」くらいだとすると、

最近は「AIへの愚痴:その他」=「5:1」って感じだ。しかもそのツイートの時刻からすると、仕事中にスマホポチポチして熱心に活動してるっぽいんだ。仕事しろよ。

嫁のオタク垢を見るとAI利用者不祥事情報拡散botみたいになってた時はちょっと引いたんだよ。

怖くて深入りはしてないけど、裏垢愚痴垢も複数使って、表では書けないような事も書き込んでるっぽい。ラブひな作者やら、先日不倫ニュースになった人やら、ああい議員への憎悪も酷かった。

頼むから誹謗中傷殺害予告だけはしないでくれよと戦々恐々だ。ある日開示請求通った通知が我が家に届いたりしたらどうしようって思ってる。

今年になってから発言過激化が酷いなと思って話をしたのだけど、被害者バイアスが酷くてまともに話が出来なくてつらかった。

嫁が「AI人権侵害なんだよ!」と主張した時に「……基本的人権の何権なんだ?」とスマホ日本国憲法検索しながら聞いた時は「憲法じゃなくて人権!」と叫んだり、

AI絵師はすぐ犯罪者になる。今投稿してるAI絵師は全員逮捕される」と主張した時に「法律には不遡及原則があって…」と説明をしても聞き入れなかったり、

AI絵には著作権が無い」「AI絵を鉛筆トレースしてアナログ偽造する裏切者がいる」の主張をされたときに俺が「著作権が無いイラストトレースしても著作権違反じゃなくね? 誰が著作権違反で訴えるんだ?」と聞いたらヒステリを起こしたり、

スレイヤーズの人の絵にAI使用疑惑が出た時に「推定無罪原則」やら「疑わしきは被告人利益に」を説明しても聞き入れず決めつけたり、

と、まあ、そんな具合だ。

嫁よ、嫁よ。お前が反AIインフルエンサーアカウントを熱心にリポストするのは自由だと思う。

でも、お前が熱心に信仰している反AIインフルエンサーの主張を見る時は、もう少し眉にツバをつけてから見た方が良いと思うぞ。

人には立場ってものがあって、人は自分立場を有利にするためなら脚色やごまかしや嘘を平気で混ぜるんだぞ。

俺はAI推進派も反AI派も外野から見てると、両方とも先鋭化したヤツは口汚く相手を罵る&結論ありきで主張する&間違いを指摘されても訂正謝罪しないバカタレにしか見えないんだ

というか、どちらかというと推進派の方が中央省庁の作った資料根拠法律を出してくるだけ理屈が通ってる風に見えてるんだ。

俺が仕事でそういうスライドを良く見るから、とりあえず理屈優先で考えちゃうんだ。

蚊帳の外から双方の主張を見てると俺からすると、どうも反AIインフルエンサー達の主張は「気持ち理解できるけど理屈が通ってないし法的な裏付けもない」んだ。

もちろん、AI利用者に酷いヤツがいるのもわかるんだ。分かるけど、絵描きだって酷いヤツはいるし、俺からすれば割とどっちもどっちなんだ。

それと、頼むから誹謗中傷殺害予告だけはやらないでくれよ。

弁護士さんから手紙が届いたら、俺はお前を見捨ててしまうかもしれないから……。

2023-10-27

年収1000万既婚子持ちだけど私は全然弱者男性だと思う

仕事育児が忙しくほとんど自分時間がない。観たい映画ややりたいゲームほとんどできてない。趣味時間もない。

でも君たちはどう生きるかなどネタバレサイトストーリーだけ教えてもらった。

サイバーパンクアニメゲームストーリーは全部ネタバレサイトで知った。

エルデンリングゼルダなどやりたいと思ったゲームは買っただけで開封すらしていない。

話題アニメを全部追いかけることはできないか定年退職後に全部まとめて見ようと思う。

妻は俺に寄生することばかり考えている糞女

ろくに働かずに家事もしないから大変なのは俺ばっかり。

毎日機嫌が悪くて酷いことを言われるけど我が家では俺が全部我慢してる。

子供ネットの子育て話と比較すると大人しい性格だと思う。

人並みに夜寝なかったりイヤイヤ期が来たりおねしょの処理を毎日した時期もあった。

でも子供は誰よりも憎らしく腐った性格馬鹿と思っている。

子供と一緒にポケモンプリキュア特撮を観るのがすごく苦痛

買い物する時は妻の指示通りに買わないと殴られるからはいらないのに無駄に高いものばかり買っている。

着たい服は文句を言われるから買えないし自分へのご褒美なんか当然無理。

身体は日々老いてきていて、おちこんだりもするけど私は苦しくて死にたいです。

恋人ではない人と一緒に住んでいる

私はひとりで居ると、辛かった過去の回想や頭の中での自己否定を止められずしんどくなってしまう。

そのまま希死念慮に襲われ、動けなくなるのだ。

いつかは実行に移してしまいそうで不安自分もいて、病院にも通ったが、考え方は簡単に変わらない。

自力でどうにかこうにか思考を止める対策しても結局うまくはいかなかった。

ただ、働かなければ生きていけないし、かといって自分のこの特性を変えられそうにもない。

そこで出した結論が人と一緒に住む、だった。

少し前に知り合った人に上記理由自分の家に住んでもらえないか提案した。

相手実家暮らしで複雑な家庭だったため都合が良かったのだろう、了承してくれた。

相手出張の多い仕事のため週に半分ほどしか我が家にいないので、狭い部屋だがそこまでストレスではない。

ときより身体を求められることがある。

私はおそらく普通よりも性欲がある方なので、行為自体は嫌いではない。

しかしなぜか同居人は違うのだ。よくわからないが匂いがちがう。

性的な目で相手を見たこともない。

同居人が家にいるときは、今夜は求められやしないだろうかとヒヤヒヤして過ごしている。

性欲が枯れてしまったわけではない。なんなら同居人にバレぬようにセックスフレンドと会ったりもしている。

相手はおそらく身体だけではない特別感情を私に持っている。

いつまでこの関係を続けていいのだろうか。

応える気もない相手好意を利用して生活をする自分に嫌気が差す。

メンヘラちゃん自分が情けない。

でも、誰かと一緒じゃないと生きていけない。私は弱い人間なのだ

2023-10-26

最近彼氏として楽しかたこと。

・おさんぽ

私はもともと歩くのが好きで毎日散歩のようなジョギングをしてるのだけど、恋人は歩くのあんまりきじゃない。駅までの道もすぐバスタクシーに乗りたがる。でも、モンハンナウをダウンロードしてからほぼ毎夜散歩に出るようになった。

私もひょこひょことついて行って、夜な夜な近所のモンスターをなぎ倒している。私がなぎ倒されてるときも多いけれど。パオルムーやギラドドス、間違えたまま覚えてしまったモンスター正式名称いつまでもからない。

アプリゲームに全く興味がない私と、お散歩に全く興味がない彼。そんな私たち目的が一致した、奇跡楽しい時間になっている。

恋人は暑がりで夏は手を繋いでくれないのけど、今くらいの季節なら繋いでくれる。それに、いつもなら歩くのバリハヤだけどモンハンをやってることで歩くスピードがめちゃ遅くなり、私にはちょうどいい。

・ておしずもう

手を使ってるのは私だけ。恋人体幹だけで倒れないように戦う。

ギリギリチキンレースが大好きな人なので、体幹ペラペラの私とせめぎ合うにはこのくらいのハンデがちょうど良いらしい。私は力の限り恋人の胸を押す。フェイントもかける。

たまにおなかを押すと反則だと言われる。

わらび餅づくり

私の地元ダイソーに売ってて、恋人わらび餅が好きだからお土産に買って帰った。つくるのはめちゃくちゃ簡単だった。

もちゃもちゃ食べながら「これは改善余地がある」と言って、また買ってきて欲しいと頼まれた。楽しかったようだ。

買い足そうと家の近所のダイソーをたくさん回ったけどどこにもなかった。地元ダイソーはなかなかでっかいダイソーからかな。次は年末かな。もうちょっと人気になって小型店舗でも取り扱って欲しい。

大学芋づくり

これは私が勝手スーパーで買ってきた芋を、日曜の朝に私がひとりで突然思い立って作り出しただけなので「恋人したこと」ではないけれど、意外と簡単につくれた。(北斗晶さんのレシピ動画を見た)

私が芋切ってたら「大学芋好き」と言って出来上がるのを楽しみにしている様子が面白かった。その日の夜にスーパーへ行ったら「またつくろう」と言って新たな芋をカゴに入れ、2週連続で日曜の朝ごはん大学芋だった。

とんでもない量の油と砂糖を使うので毎週するわけにはいかないと3週連続は避けたけど、また再来週くらいに作ってもいいかな。ふたりで1本ペロリと食べてしまう。おいしい。

なんなら芋掘りもしたい。

・ふっきん

恋人ときどき筋トレ強要してくる。

腕立て伏せが一度もできなくたって平気!な生活しかしていない私の肉を、少しでも筋肉に変えたいのだろう。しかし、私は器具を使わない筋トレは基本苦手だ。やりたくない。

いつも足首を持たれて腹筋させられてたけれど、先日、たまたま私の太ももあたりに乗られて腹筋をしてみたら意外と回数がいけた。

週1くらいで行ってるジムの腹筋装置下半身を固定するタイプなので、要領が同じだったのだろうか。足首を持たれるタイプの腹筋はやりたくないが、あれならまたやってもいい。

・なべ

先週末に我が家は鍋を解禁した。

買う時に大きいなあと思ってた土鍋が、恋人の茶碗と大差ない大きさで驚いた。最初もつ鍋。これは恋人の好み。

野菜を切って煮詰めるだけで概ねどうにかなる簡単さに味を占めて、翌日も鍋にしてしまった。鍋スープの素みたいなのを使わない、家にあるもので味付けたつみれ鍋。これは私の好みの味だけど、恋人もおいしそうに食べていた。恋人はだいたいラーメンで出来ているのでこーゆーやさしい味が新鮮なようだ。次は何味がよいかな。

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-24

ベビー用品、無駄に高いの買い揃えがち

なんか自分じゃなくて子供の為だからって思うと安いの選び難い

特に安全性がーとか言われると一番良いのでお願いしますってなりがち

庶民我が家もサイベックスとミキハウスの民になってしまった

2023-10-22

ゴキブリが苦しんでいたら介錯(とどめを刺す)するべきなのでしょうか

我が家には数々のゴキブリ向けのトラップが仕掛けられている。

ゆえにときどきゴキブリがヨロヨロ苦しんでいるのが視界に入ることがある。

昨晩も水を飲もうと台所に行って電気をつけたところ、突然電子レンジ上で仰向けになってピクピクしているゴキブリ存在しており悲鳴を上げそうになりました。

そのショックから立ち直り、少し冷静になって観察しました。

普段ゴキブリ発見しても俯瞰で見ることが多いのですが、どういうわけか電子レンジの上で苦しんでいるので目線が横からで近いです。

ゴキブリは本当に苦しそうです。

どのトラップによって苦しんでいるのかはわかりませんが激しく触覚、脚、胴体を痙攣させています

死を招くトラップを仕掛けておいてこんなことを言うのは無責任なのかもしれませんが、この苦しみは少しやり過ぎのような気がしました。

ですから、速やかに苦しみから開放してあげるべきなのでしょうが理性はそう命じても感情的嫌悪感からゴキブリを間接的にでも触ることができません。

また同じく死を招くトラップを仕掛けておいてこんなことを言うべきなのではないのでしょうが自らの手で生命を終わらせることに躊躇を感じます

私は結局逃げ出しまた。

水を飲むことも忘れて。

その後、ゴキブリがどうなったのはわかりません。

今朝、起きて電子レンジの上を見ると何もいませんでした。

家族がどうにかしてくれたのだと思います

あるいは私が見たのは幻だったのかもしれません。

2023-10-21

ウッウッ、

また今週もゴミを出し損ねた

から降りてゴミを回収する係のお兄さんが「オケーイ!!」ってとても元気な声で合図してた

我が家オーケーじゃないよう

2023-10-19

とうとう明日退職する

40歳人生色々あった、というにはまだ早いかもしれないが、とうとう明日退職する。

次の仕事は決まっていない。

仕事は嫌いだが、金を得るためには仕方がない。

しかし定時に帰りたいという願いの為に努力した結果、良くある仕事ができるから仕事が増えた。

仕事は嫌いだと再三訴えたが、給料が不満かと給料が増えた。

給料をあげられると小心者なので、罪悪感でちょっとは頑張るしかなく、仕方なく仕事すればさら仕事が増えた。

金はもういい、仕事を減らして欲しい、仕事は嫌いだと言うも「仕事がをちゃんとする・仕事が出来る=仕事が好き」という思考回路社長は聞き入れてくれなかった。

収入は増えるが仕事も増える。

オンオフの切り替えが苦手なので、24時間仕事が嫌いなのに仕事のことを考えてしまう。

もとより体が弱いが体調がどんどん悪くなってきた。

真面目に仕事はするが、仕事が好きじゃないと言うのが何故理解してもらえないのか。

仕事ができると言われるが、24時間仕事の事を考えていたら誰でも同様の事はできるだろう。

仕事をしたくないのに切り替えが上手くできずに考えてしまうだけなのだ

嫌いなものを考え続けなければいけない苦痛に心が限界になった。

医者からも進められ、退職を決意し、会社相談したが、気がつけば小さな会社経営の大部分を握ってしまっていたので、そう簡単に辞められなくなっており、業務の外部委託アウトソーシングなどを行い、退職までに一年を要した。

やっと明日で開放される。

心身疲れ切ったが、医療費以外に散財することもなく、幸い小さな我が家を手に入れ、多少の蓄えも、慎ましい生活もさほど苦ではない。

しばらくはのんびり過ごし、今度はフルタイムでは無いパート仕事であまり無理をせず働きたいものだ。

anond:20231019091848

Googleデータセンター我が家DVD-Rと外付けHD、どっちが安全性いかって話と思ってたんだが

まさかアカウントごと逝かれるとは思わんかった

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