はてなキーワード: 悪臭とは
尻にできた粉瘤を手術でとってもらってから三日。
風呂から上がったときにガーゼから血が漏れてたから、ガーゼ変えたほうがいいかなと思って今日彼女に取り替えを頼んだんだが、
ガーゼ取るときになんか傷口から黄色くぬめったビニール紐みたいなんが出てきた。
黄色くぬめった粘液は膿だとは思うんだけど、芯のような部分はなんなのか、固形の膿なんて聞いたことないし、痛みとか何かが出ていく感覚もない、けれど傷口から何か出てきてる。
最後まで引っ張って出したんだが、特に何も感じず、全長7センチくらいの紐っぽい何かが出てきた。ちょっと変な匂いはするけどひどい悪臭というほどではなかった。
あれはなんなんだろう。ネットで調べても何も出てこない。こわい。
💩「悪臭型だよ」
簡単に言うと「白人だけど汚い奴は黒人のような外見をしていた」ということだ。
何故か。
簡単だ。
当時のヨーロッパにはまだ風呂やシャワーに毎日入るという文化が浸透し始めたばかりだった。
一般人でもそうなんだから貧乏人やスラムの住人なんて水浴びすらロクにしていない。
すると当然彼らの身体は垢で真っ黒になる。
その理由としては当時の底辺労働者が炭鉱などの汚れが付着しやすい環境であったことにも依頼している。
「変な病気を持った身体のやたら汚れて真っ黒な白人」が白人社会のあちこちにいたのだ。
ハッキリ言うが、当時はヨーロッパ社会であっても街中に悪臭型だよ言ってたのでみんな鼻は腐っている。
だからもう目の前の相手が不潔なのかどうかは顔の色が白いか黒いかぐらいでしか判断できなかったのだ。
そんな環境に子供の頃からいるといつしか「肌が黒い人間は(元の肌の色に関わらず)不潔である」という偏見が植え付けられるようになる。
黒人と見間違えるレベルで肌が黒ずんでいた白人の多くは病気持ちだから近づくべきではない時代が終わるまでそれは続いた。
現代人の考え方で「肌が黒いからといって不潔であるなんて偏見も良い所だ」というのは当時の社会背景が理解できていない。
なによりも当時の社会は今よりも教育の水準も低いし、科学的な思考も出来ず統計や定量といった概念なんてもの自体が一部の学者しか知りえなかった。
そういった背景を知らずに、昔の差別の話を聞いて「どうやったらあんな考えになるのかしら!」と言う人間が本当に恐ろしい。
差別の本質とは想像力の欠如と、世界観に対する客観性のなさ、視野の狭窄、知識の乏しさ、歴史的背景に対する無理解だというのに……。
私はチキンだからそういった人を相手取っても「そうですね。おほほほほ」と誤魔化してしまうが、内心では「テメーみてーな奴らが当時差別してたまさに当事者なんだよクソ共が……よく自分を完璧に棚上げしてんなマジでこのゲロカスがよぉ……滅んだらどうなんですか?あなたみたいな思考回路の血筋なんて?」と思ってるよ。
水域が貧栄養から富栄養へ変化すると、栄養塩が豊富に存在する為、日光の当たる水面付近では、植物プランクトンが増殖する(一次生産の増大)。また、それを捕食する動物プランクトンも増える。更に、これらのプランクトンを捕食する、魚貝類の増殖につながる。
しかし、港湾内や池、湖などの停滞水域では、光合成が停止する夜間等に、生物の呼吸による酸素の消費が増えるため、水中が酸欠状態となる。また、異常増殖したプランクトンの群集が死滅すると、これが沈降した水底では有機物の酸化的分解が進行し、急激に溶存酸素量が低下して貧酸素水塊が形成される。水温躍層によりこの水塊が維持されると、有機物の分解が停滞してヘドロが堆積し、嫌気性微生物が優占して悪臭の原因となる。また、水塊と周囲の水が混和した際、貝類等に酸欠被害をもたらす事がある。
人口数について簡単に解説したけど、そのついでというかこんな話も。
ホロコーストは誤解が多いというか、そんなに簡単でも無い話なのは間違いない。日本人にありがちな多くの誤解の一つが「アウシュヴィッツがドイツにある」というものだろう。日本人に取って縁遠い話だし、義務教育の世界史でも大して詳しく教科書に書いてあるわけでも無いから仕方ないが、ドイツ本国ではそんなに沢山のユダヤ人は殺されていないだとか、強制収容所と絶滅収容所は違うだとか、ソ連でも現地虐殺部隊(映画では例えば『炎628』は有名だが、あんな風なことが実際にあったかもしれないけど、その多くはピットを使った銃殺である。現実の現地虐殺は映画にしたら正視に耐えないだろう)でたくさん殺されたとか、細かい話をし出すと訳がわからなくなるかもしれない。
そんな多くの無理解や誤解の中でも、「ヒットラー・ナチスドイツは計画的にユダヤ人を大量虐殺した」なる言葉に対する誤解があると思う。「計画的」とあるから、何やらナチスドイツはユダヤ人絶滅のために綿密なプランを策定してから絶滅計画を推し進めたかのように捉えられがちだが、実は全然違う。むしろ、最初から計画されたものではなかったと、今ではほとんどの歴史家が同意している。昔は意図派と機能派と呼ばれる歴史家グループが盛んに論争したそうだが、最初から計画的=意図的にユダヤ人絶滅を進めたという説はこの論争に敗れ去ったようである。私個人は、ナチス内部の権力争い・主導権争いがユダヤ人絶滅を引き起こした原因だと考えているが、ユダヤ人絶滅がヒトラーの夢でもある事は間違いなかったと考える。そうでなければ、親衛隊だけでなく、ナチス全体、国防軍までユダヤ人絶滅に協力するなんてあり得なかったろうからだ。
しかし、ユダヤ人絶滅は、当初は確かに単なる支配地域からのユダヤ人の排除だった。そして当初のユダヤ人排除のマスタープランであったマダガスカル作戦がバトル・オブ・ブリテンでのドイツの実質的敗北によって実行できなくなった為、ドイツ人地域を東方へ拡大するというヒトラーの目論みと共に始まったバルバロッサ作戦、すなわち独ソ不可侵条約を勝手に破ってソ連領へ進撃すると、今度はヨーロッパのユダヤ人をソ連地域へ追放するという東方移送計画が生まれる。ところが、この独ソ戦の見通しの甘さから、最初こそ快進撃だったものの、1941年末には戦線が拡大しすぎて膠着状態に陥ってしまう。
しかし、ユダヤ人のポーランド地域などにあるゲットーへの移送(要するに狭い地域に押し込めることによる排除政策)がずっと続いため、とうとうゲットーは悲鳴を上げ始めた。で、ゲットーに集めておいて、さらに移送させるなどという面倒な事はやめて、ユダヤ人を殺すべきだ!との声が実際に上がり始めたのである。現実には、共産主義と結託していたとみられたソ連地域のユダヤ人は危険と見做され、ドイツ軍の進撃とともに、現地で絶滅させられる動きが既に始まっていたからであろう。
このような流れの中、1939年頃から既に始まっていた障害者絶滅作戦であるT4作戦を、ユダヤ人絶滅に流用する形で、ガス殺による大量殺戮が実施されていくのである。だから、毒ガスの代表格であるとされる青酸ガス=チクロンBは最初は用いられず(実験的に使用されたという説もある)、T4作戦を引き継いだ形での一酸化炭素ボンベから始まったのだ。もっとも、最初はポーランド・ポズナンでの精神障害者虐殺からスタートしたものをその辺の地域のユダヤ人殺害に転用しただけのことである。そのうちに、ガスボンベ積載車で地域を移動してガス殺を行うようになり、それがガソリンエンジンの排ガスを使えば手っ取り早いということで、本格的なガス車へと移行していく。
このガス車によるユダヤ人殺害が、その近くにあったリッツマンシュタット・ゲットーでの「ユダヤ人なんか殺すべきだ!」との声に呼応する形でヘウムノ収容所で利用されるようになっていく。こうしてまず最初の絶滅収容所であるヘウムノ絶滅収容所がガス車を持ちた形で稼働し始めたのである。リッツマンシュタット・ゲットーのユダヤ人を絶滅させるために。ヘウムノは一旦1943年中に活動を終えたのちに、1944年に短期間だけ再稼働され、トータルで15万人以上のユダヤ人が虐殺されたと言われる。
これがいまいちよくわからない。ベウジェツ・ソビボル・トレブリンカはラインハルト作戦収容所として、ユダヤ人絶滅目的だけのために建設された収容所であり、かなり計画的なものであった事は間違いない。しかし、アウシュヴィッツはラインハルト作戦の収容所ではなく、そもそも一般の強制収容所・捕虜収容所であり、絶滅の機能はあとで追加されたものであった。ではどのような経緯で絶滅収容所に設定されたのか? これが司令官だったルドルフ・ヘスの証言の中にしか出てこない話で、ヘスは記憶を誤って証言したりしており、はっきりしない。最初のガス室はアウシュヴィッツの基幹収容所で始まったのであるが、最初にガスで殺されたのは、1941年当時大勢いたロシア人捕虜だった。だが、この時確かに毒ガスを、アウシュヴィッツでは他の絶滅収容所とは違ってチクロンBで行くと決めたのである(チクロンB自体はマイダネク収容所も使っていたが、マイダネクでは一酸化炭素ガスやガス車もあるようで、これについては実態が不明瞭ではっきりしない)。
そして、アウシュヴィッツ・ビルケナウで本格的なガス室によるユダヤ人大量虐殺が始まったのは、実はアウシュヴィッツ基幹収容所のガス室(観光用に公開されているガス室)でもなければ、有名なビルケナウのクレマトリウムでもなかった。ビルケナウの敷地外にある農家を改造した、日本語ではブンカーと呼称されるガス室からだったのである。このガス室は二箇所あったが、一箇所は既に影も形もなく、もう一箇所はほんの少しだけ土台を残す程度であり、おそらく一般にはあまり知られていないだろう。ここで、おそらく1942年3月頃から1943年3月頃の一年の間に15〜20万人程度のユダヤ人が虐殺されたと考えられる。なお、同時に基幹収容所の第一火葬場のガス室も使われていたようであるが、ここでは併設の火葬炉を死体処分に使っていたのだが、この火葬炉の数が少ししかなかったため、一度のガス室での殺害人数の少なさや焼却処理能力に問題があり、毎日使うなどは全く無理であり、トータルで一万人もガス殺はされていないと言われている。このガス室は1942年末で使われなくなった。
では有名な、ビルケナウのクレマトリウムはどうだったのか? 実は当初はこのビルケナウのクレマトリウムにはガス室は設定されていなかったのである。元々は純粋にビルケナウの囚人用のために設定された火葬場であり、のちにガス室となる場所はただの死体安置所であった。これが、どうしてガス室に変わったのかは、事情は複雑である。この謎については、実際にはとっくの昔にルドルフ・ヘスが自伝にその理由を書いていたのだけど、細かく解き明かしたのは、1989年に発表されたJ-C-プレサックという薬剤師(プレサックは当初はホロコーストを題材にしたSF小説を書こうとしていたのである)による『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』である。
ヘスは自伝で、ブンカーのガス室殺害遺体は、最初は単に近くにピットを掘って、埋めていただけだと書く。ところが、この大量遺体の埋葬が衛生的な問題を引き起こしたので親衛隊トップのヒムラーの命令で、アウシュヴィッツを含めた各地の大量埋葬地の遺体をもう一度掘り起こして、焼却処分することになった。だがアウシュビッツでは焼却の始まる夏の終わりまでに10万体もの遺体を埋めていたため、これを焼却し切るには昼夜を問わず延々と焼却をし続ける必要があった。これが問題化する。夜でも煌々と光る焼却の炎は何キロも離れたところから見えるほど目立ち、ものすごい煙で悪臭が周辺数キロにまで漂い、地域住民は全員がアウシュヴィッツで大量殺戮を知ってしまう事態へと発展してしまう。すでにある程度はガスによる大量虐殺の情報は外部へ漏れてワルシャワの地下組織などに伝わっていたが、この焼却はなんとニューヨークタイムズで報じられるまでになってしまう。
実は、ビルケナウのクレマトリウムにガス室を併設する案は、これが原因だったのである。野外焼却をこのまま続けるのは秘匿性の観点で問題がありすぎるので、ビルケナウの焼却場で遺体焼却を行い、それなら基幹収容所のガス室同様、焼却等に併設してしまえということになったのだと考えられる。そして、ソ連やアウシュビッツ博物館の資料から大量の図面を入手していたプレサックは、クレマトリウムに重大な設計変更がなされていることを見抜く。1942年の夏頃の図面にはあったはずの地下死体安置所に死体を下ろすための死体シュートが1942年12月19日の図面から消え去っていたのだった。これはどう考えても、死体が地下へ自分の足で降りていくことを意味するとしか考えられない、とプレサックは自著に記述したのである。他にも、死体安置所の扉は内開きだったのが外開きに変更されていたり、その後の図面では外開きの一枚扉に変更されていたりと、結論としてプレサックは、やはり多くの証言どおり、図面には死体安置所としか記述されていないそこは、ガス室である事は間違いないと決定付けたのだった。なお、証拠はそれだけではないのだがややこしくなるのでここでは省く。
修正主義者達はどんなことがあっても、ガス室だけは絶対に認めない。知恵の限りを絞り尽くしてでも、ガス室を否定する論拠を導き出し、それがどんな出鱈目でも採用しようとする。有名なアルフレッド・ロイヒターなる死刑技術コンサルタント(当時彼1人しか全米にいなかった)がカナダの修正主義者、エルンスト・ツンデルの扇動罪に関する裁判で、有名なロイヒター報告を裁判に提出した(しかし裁判所から証拠採用されなかった)。曰く、アウシュヴィッツのガス室とされる場所の採取サンプルを分析すると、極めて微量のシアン化成分しか検出されず、ガス室などなかったと結論付けられると。「極めて微量」というのは、チクロンBの合法的な使用方法である害虫(疫病を媒介するシラミ)駆除をしていた害虫駆除室のサンプルと比較して、という意味である。しかし、これは分析のルール違反であった。なぜなら、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンBの使い方は同じガスを使うというだけで全く異なる使用方法であり、さらに、害虫駆除室はガス処理は二十四時間が基本(ガス殺は1日あたり一回で30分程度)、その使用状況の違いから害虫駆除室ではプルシアンブルーという極めて安定したシアン化合物を生成しており(殺人ガス室にはなく、通常の壁表面などに浸透したシアン成分は安定度が低く、水などで大半は洗い流されてしまう)、これをロイヒターはサンプルにしているのだからほとんどインチキなのである。なお、余談的ではあるが、このロイヒターのアウシュヴィッツにおけるサンプル採取は完全に違法であり、無許可である。その上、ロイヒターらは入ってはいけない施錠された部屋の施錠を勝手にぶち壊したりして入ったりもしており、無茶苦茶であった(それをあろうことかロイヒターのチームはビデオに収めて堂々と公表しているのだから呆れてしまう)。
その数年後に、ポーランドのクラクフ法医学研究所がアウシュヴィッツ博物館側の正式依頼でロイヒター報告に対する対抗調査を行なって、プルシアンブルーを除外した上で分析した結果、殺人ガス室であると断定できる濃度のシアン成分を殺人ガス室から検出している。しかし、修正主義者は、クラクフの調査方法の方がインチキであるとして全く譲る気配はなかった。ともかく、修正主義者は、ほんとに知恵の限りを絞り尽くしてでも、そこはガス室絵ではなかったという結論を無理からにでも捻り出して、断じて認める気配はない。プレサックの死体シュートの話だって、実際には設計変更が工事の進捗状況に間に合わず、死体シュートが作られてしまっていたことを理由に「死体シュートはあったのだから死体シュートは実際に使われたのである」などと、設計変更のことを無視したりしている。だが、その死体シュートが使われた証拠は何もない。
そう簡単な話でもないという事は少しは理解してほしい。もしホロコーストを勉強したいのなら、修正主義なんかから入らず、まずは普通のホロコースト関連書籍を読むべきである。どうしてユダヤ人迫害がホロコーストに発展してしまったのか、あの時代はどんなことがあったのかなど、先に歴史を学ばないと、修正主義にコロッと騙されると思う。ガス室ひとつとっても、述べたようなさまざまな経緯の中で成立したものなのであって、予断を可能な限り廃して、普通の真面目な歴史学者・研究者達の記述内容に従うべきだろう。
コロナ禍となって1年以上経つが未だにマスク同調圧力が無くならない、ノーマスクの人間を攻撃しなければ気がすまないクズどもがワラワラ湧いて出てくる
ただのヒステリーのくせに、聡明で思慮深い人間のフリをしながら…
コロナ初期には布マスクの類は効果が無いという事は証明されていたが、未だ街中では布・ガーゼ・ウレタンなど、約立たずのマスクを付けている者達であふれている。
感染対策を根拠にノーマスクを攻撃するくせに、約立たずマスクはスルー(笑) 精々アベノマスクを攻撃したくらいだが、その割にガーゼマスクは受け入れている。
使い捨ての不織布マスクにしたっておかしい、ウイルス遮断効果があるというが街中で見る不織布マスクの99%は裏表を間違えているし鼻横や頬に隙間だらけで効果はマウスシールドレベルに落ちている。
一度外したマスクを勿体ないのか再着用したり、脱着時に平気でマスクの汚染面を素手で触ったりする。何の感染対策にもなってねーわ(笑)
でもそんないい加減な状態でも、マスクさえしていればいいらしい(笑)
「あれは医者従事者のための物だから(キリッ」だって?嘘だね。ネット見ればいくらでも余ってるけど値段が高いから使いたくないだけだよね、高いと言っても1枚200円程度なんだけど(笑)
ああ、分かるよ、既に50枚入300円で売ってる不織布マスクとは比較できないもんな、つまり200円程度の価値も無いことにこだわってんの。「感染対策不十分で人が死んだらどうするんだ!」とかヒスってるけど、その主張に200円の価値も無いことを自分で証明してんの(笑)
ショッピングモールのトイレとか、推奨の30秒間手洗いしてる奴なんか居ないだろ、コロナ前と同じく洗ってないか指先チョロ濡れ族だらけ、でも批判されないんだよな。
ちなみにアルコール消毒なんて先に手をハンドソープで洗ってないと効果無いぞ(笑)皆見てるからやってるんだろうけど意味無いぞ(笑)
こんな調子だから家帰ってイソジンうがいしてるやつも皆無だろ、飛沫感染リスク減るのにね。少しでも感染リスク減らしたいんじゃなかったっけ?
日本は緊急事態宣言が出ていなくてもマスク着用率が世界トップクラスなんだが、
もしマスクに効果があるんだったら、緊急事態宣言を出す必要はなかっただろう。
効果がないから、緊急事態宣言を出して外出自粛や営業規制を要請したわけだ。
これ以上のエビデンスはない。
感染者が減ったらマスクのおかげ、だからマスクしろって馬鹿多すぎだな
コロナ禍で1年以上経つがマスク崇拝者の知見が深まったかと言うと全然そんな事は無いな(笑)
マスク着用の感染者をスルーする一方で、マスク未着用の非感染者を「お前のせいで感染が広がった!」と徹底的に叩く叩く。
マスクしてなくても感染しないのは何かが正しかったからじゃないの?
「無感染者でもノーマスクであれば徹底的に批判するくせに、マスク着用者が感染しても盛大にスルー」
というのは、
「無事故無違反でも無神論者は死刑!神に祈っていれば、交通事故を起こしても許す!」と同じ
「感染者を攻撃すべきではない」ってのも嘘バレバレ(笑)ほんとはマスク崇拝しない奴を叩き潰したいだけだよね。
こんなカルト教な調子で知恵も経験も更新されないまま1年以上経過した。
どんなに衛生に気を使っていてもマスクをしてないだけで叩く癖に
乞食レベルに不潔なやつが付けっぱなしの悪臭マスクを付けていてもセーフ
なにこれ?
マスク強制の理由として「他の人に不安を与えないため」とか言うやつまで居るよな(笑)
最初聞いた時びっくりしたよ、不安とか言い出したらもはや感染対策ですらない(笑)
科学でも医学でも無い、神のお守りレベルの話。でもマスク崇拝者は突っ込まねーの(笑)
信じたいものを信じる人たち、なんてったってマスクさえあれば安心なんだもんな(笑)
「いつまでマスク付ける?」に答えられない
こんなバカどもクズどもだから「いつまでマスクを付けるんだ」と聞いても答えは出さない。
ゼロコロナ? ワクチン接種後? 集団免疫獲得語? 治療薬が出たら? 国の安全宣言が出てから?
答えは全部違うよな、正解は「何となく大丈夫っぽくなったら」だ。
合ってるだろ?散々吠えてきた結果が「なんとなく」なわけよ(笑)
ああ、分かるよ。
ゼロコロナなんて言っちゃったら10年後も自分だけマスクを付けないといけなくなるから(笑)そんなマヌケな絵面には耐えられないよね、プライドが許さないんだ。
人の命を守る人道主義者のフリをしてるくせに、本当に守ってるのは自分のメンツ(笑)
去年はアベノマスク配るくらいならマスク工場新設しろとかほざいてたけどさ、結局アベノマスク配る頃にはマスク不足なんて解消されてたよな。
マスク崇拝者どもの理屈に合わせて製造ラインまで作ったシャープとか馬鹿じゃないですかー(笑)
50枚2,860円の国産高性能マスク(笑) 欲しかったんなら責任持って買ってあげなよ(笑)売れ残ってんぞ(笑)
あの頃は、マスクを転売屋から買い、薬局に並んで買い、マスクが無いぞと政府を罵っていた。
まるでマスクさえあれば全て解決するかのような病的な反応をしていた連中。
わずか1年ほど前の話なのに思い返すと余程狂って見えるわ。
サイコパスの眼窩前頭皮質の機能の低さは、嗅覚にも影響するとされている。オーストラリア、シドニーのマッコーリー大学の研究者らは、79人の非犯罪者のサイコパスを対象に嗅覚テストを行った。テストは、「オレンジ」「コーヒー」「皮革」などの匂いが塗布された16種類のペン状の器具を嗅いで、その匂いを特定するというものだったが、サイコパスの被験者はいずれもその特定に苦労した。特に、サイコパシーチェックリストで高得点を獲得した者ほど、嗅覚が劣っている傾向があったという。
はい。
嗅覚が鈍いから自分の悪臭を感じ取ることができずに悪臭を放置しがちになる。
そんだけよ。
「閃光のハサウェイ」の評判が良いので見に行った。ガンダム映画を劇場で最後に見たのはF91。いったい何年ぶりだろう。
しかしそれは単に「綺麗な作画」と「しゃれた会話」と「派手なアクション」だけしか印象に残らないものだった。
気持ち悪いのは、なぜハサウェイやその仲間達は戦うのか、その理由がさっぱり分からないのだ。
汚染された地球を救う?はぁ?この美しい南国リゾートのどこを見れば「人類は地球から去らねばならないの」となるの???
と思って33年ぶりに原作を読み直す。
ああ・・・懐かしい感覚をふと思い出す。
そう、この30年あまりの間に日本人の心的傾向は大きく変化した。
もう現代では「閃光のハサウェイ」は理解・共感できないのではないか。
あまりにも遅い映画化だった。
振り返って1979年、ファーストガンダムが出た頃は、日本はまさに高度成長の負債で苦しめられている時期だった。
40年足らずで1.5倍に増えた人口により、食料と住宅の供給が追いつかず不動産は異常なまでに高騰し、自給率は落ち込んだ。
環境規制は未熟で、悪臭のドブ川やヘドロの海、大気汚染と公害病は身近な恐怖だった。
オイルショックの記憶は生々しく、「石油の輸入が途絶したら日本は破滅」という恐怖が意識の奥底にあった。
一方、「人類の月面着陸」は、科学進歩の到達点として強烈な印象を与えた。
「増え続ける人口、破壊される環境、枯渇するエネルギー源」を解決するために「人類が宇宙に進出する」という考えはごく自然だった。
そしてファーストガンダムから42年。原作から33年が経過した。
今、日本は人口減に苦しみ、厳しい環境規制で公害病は過去となり、山河は綺麗になり、エネルギー供給源は多様化した。
アポロ計画から50年、人類は月はおろか静止衛星軌道の外ですら誰一人として到達できていない。
原作の「序文」に描かれた「生活圏の宇宙への拡大による地球の環境汚染の救済」はまったくピント外れなお題目になってるのだ。
マフティの理想に現代日本人は共感できない。
いや、映画の監督ですら理解できているのだろうか心配になる。
「逆襲のシャア」で描かれた香港は、エネルギー枯渇と公害により貧しくなった人々の精神が荒みテロが日常茶飯事の社会であった。(余談だが、クエス・パラヤのように裕福な親から反発した家出娘が向かう先はカトマンズかゴアのヒッピーのたまり場、という行動様式も現代では理解されにくい文脈だろう。)
「閃光のハサウェイ」で描かれたダバオは、現代の東南アジアリゾートの姿そものであり、その綺麗な街並はとても人口過多・エネルギー不足・環境破壊を連想させるものではない。
劇中でタクシーのおっちゃんが「マフティの理想なんて理解できない」と言われても、映画見ている人みんなが同意するだろう。
汚染された環境の中で、貧困の中でも明日のパンのために生きざるを得ない人々と、一旦「地球を休ませる」という理想の対立軸がまったく上手く描けていないのだ。
背景描写が綺麗であればあるほど、物語の背景としてのディストピアな地球社会がまったく見えてこなくなる。
しかし・・・この30年の社会変化をどう脚本に織り込めば、この映画における「マフティの理想、ハサウェイの野望」に観客が共感できるようになるのだろうか。
よく家に来る野良猫をかわいがっている
でも野良猫にエサをやるのはご法度らしいので、エサ以外のお世話グッズを買っては試している
猫用のおもちゃは何種類か買った、けっこう遊んでくれた
猫用のブラシも買って、たびたび使っている
お風呂は難しそうだから、猫用のウェットシートを買った、舐めても大丈夫なやつ これは1、2回使ってみた
けど猫からそこまで悪臭もしないし、もしかしたらどこかで飼われていて・あるいは地域猫として面倒みてもらってて、自分以外にちゃんとやってくれてる方・場所があるのかも、と思っている
割としょっちゅう玄関先に来て撫でたり抱いたりしているが、夫からノミ・ダニが心配だと言われたので高価な薬も買った、こちらはまだ試していないが、夏前に一度使いたいと思ってる
けっこうお金もかけてるし、撫でたり抱いたり可愛がってるけど、エサは与えないし、家には入れないのを徹底している
地域猫のルールでも餌やりなどは団体が行うので勝手に餌をやらないように、とあるし、ご近所トラブルも避けたい
もしエサをやったらその時は室内飼いにする時だと思ってる
と、一線を超えないよう自分を律しつつ可愛がってきた
が、さっき玄関先に出たら、💩がコロコロと3つばかりしてあった
猫に餌だけやってフンの始末をしない身勝手な可愛がりはご近所トラブルのもと、地域猫ルール違反なのは十分に承知していたから、餌やりだけはしなかったのに
猫は通常、隠せるような場所、石・土・草などがある場所でフンをするらしい
うちの玄関先はコンクリートだ、こんなとこでわざわざするのは縄張りを示したいとかなんだろうか
エサこそやらなかったがあれこれと面倒を見てたのは事実で懐いているのも事実だろうと思う、もともと大変人懐こい猫だけど
フンは乾いたら片付ける、撫でたり抱いたりブラシをかけたりとかわいがる代償でたまにフンを片付けるくらいは大した事ではないけれど
昔々、そうコロナが騒ぎになるよりも前、あるところに女子事務員がおったんじゃ。
まあ私なんだが。
当時は数年かけて金貯めて、年に二回のデパートのセールに行くのが楽しみじゃった。正月時期と7月あたまとかにやる、三越だの伊勢丹だのの大規模セールな。
セール初日に休み突っ込んで、ド平日に高級な服を見て、手が届きそうだったら一着か二着買う、そういう趣味というか娯楽。
忘れもしない、あれはレディスのマッキントッシュ(フィロソフィーではない方)(無論リンゴでもない)をぶらぶら見ていた時じゃった。
マッキントッシュてのは、なんかこう、ハイソな方々のきちんと感のある普段着的なポジのブランドでな。具体的に言うと、今検索したんだが今期のコットンのトレンチコートが16万円くらいするような価格帯の。
デザインは奇抜さはなくてむしろスタンダードとかトラディッショナルとかそういう感じのところど真ん中で、素材は良いもん使ってるし縫製とかも気ィ配ってるわと思わされるような服の店でな。
マッキントッシュのセール品は別のもっとでかい催事会場に集められてて、その日、店頭に出てるのはセール対象外の新作ばっかりじゃった。
女子事務員は自分に買えないとしても良い服見るのが楽しくてぶらついてたが、あんまりにもひとけがないし、ちょっと対象年齢(及び想定されている御予算額)が高くてノックアウト気味だったので、そろそろ帰ろうかと思っとったときじゃった。
一人はオシャレで高そうなスーツ着たマダムって感じで、もう一人は就活用っぽい黒だかネイビーだかのシンプルなパンツスーツ着て髪をシンプルに結った、20代なりたての若者って感じだった。
女子事務員はその二人を見て親子かなと思った。セール会場で似たような二人組、金のかかったきれいな服を着て金のかかるうつくしい服をキャッキャしながら楽しそうに見て回ってる年配女性と若い娘の組み合わせをいっぱい見ていたからだ。「ひええ、お金持ちの奥様とお嬢様だ、実在するんだこういう人たち」「都会のハイソな家ってすごいなあ」とすれ違うたびにいちいち思っていた。
だから、そういう二人組なのかと思った。
娘さんの方は就活スーツでトレンチコートを腕にかけて他のブランドのショッピングバッグとか持ってたので、就活帰りに合流して息抜きかなあ、いいなあ、と思ったのだった。
ところで、マネキンが着てたのはスカートスタイルで、目に見えてすごく華やかだとか愛くるしいってわけではないけども、上品で知的で清楚な感じのコーディネートだった。
それを娘さんが見ていて、お母さんの方が、「こういうのがいいの?」とか言っていて、娘さんの方を見て、
「色気づきやがって」
と低い声でその耳元で吐き捨てた。
女子事務員はまさにその瞬間、親子の真後ろを通過せんと歩いていたところだったので、ばっちり聞こえた。
なに今の、うわあ、マジでそんなこと言う親いんの、しかもこんなクッソ高いモンが並ぶデパートで買い物するような客層に、うわあ、
あんなちゃんとしてそうな格好してるのに、うわあ、
しかも色気づくって、普通の、いや値段とか普通ではないけど一般的なキレイ系の服じゃん、別に色気づくとか言われるほどのセクシー系とかビッチ系の服とかでは全然ないじゃん、うわあ、
うわあ、うわあ、うわあ。
と思ったそうじゃ。
奥様は他人に聞かれていたのに気づいたのか、黙ってゆっくり歩き去ろうとしていた。女子事務員の方は絶対見ないようにしていたのがよくわかった。
娘さんの方は…はて、どうしていたんだったか。奥様とちょっと距離が開くくらいのあいだ、マネキンの前にいたような気がするが、女子事務員の方を見たか、マネキンを見ていたか、これが全然記憶にない。
ただ、娘さんの持っていたショッピングバッグのブランドが、高級で高価で、娘さん自身が着るにしてはちょいとミセス向けのブランドのそれだったのは覚えている。
女子事務員は自称するところ田舎の山猿で、田んぼの中に集落がぽつりぽつりと落ちているみたいな地域の出じゃった。
中学に上がる前までは、
脱走した飼い犬を追いかけている途中田んぼ道の片隅にヒタキか何かの巣を見つけては大騒ぎする
などして生きてきた。
義務教育の始まる前の時分にガチ排水のドブにはまったことすらあって、真っ黒いヘドロにまみれて悪臭放ちながら泣いて家に帰るなどしたこともある。
当然、幼少のみぎりから祝いごとなどで良いべべ着たら「馬子にも衣装」くらいは言われたし、親も先生も化粧や染髪にまったく良い顔しない時代でもあって、まあまあ色々とこじらせており、東京出てきて山猿から人間に進化(擬態)するのはそれなりに大変だった。
しかしそれでも、あんな声音で、あんな風に、「色気づきやがって」などと吐き捨てられたことはない。
「人には人の地獄がある」、見えてないだけでツラの皮一枚下にものすごい憎悪を抱えている人、その憎悪に晒されている人がいるということを実地で知ったという話。
女子事務員は自分の記憶違いではないことは確信していながらも、すべてが何かの間違いであったこと、せめて彼女が今は逃げ切れていることを、思い出すたびに祈っているとさ。
世界が全部自分の敵って感じがして、でも上手い具合に論破してやったら拍手喝采で負けを認めてくれるといつも信じてる。
実際には、子供の頃に良心や教師相手に癇癪を起こして見せれば周囲があれこれと配慮してくれただけの思い出を自分の手によって権利を勝ち得た成功体験として深く刻んでしまってるだけ、ってことに気づけてはいる。
でも頭に血が上るとついついやってしまうんだな、不機嫌アピールによって周りを自分に従わせようとする赤ん坊帰りみたいなことを。
それもこれも俺の前頭葉辺りが生まれつきアルツハイマー症の老人並みに貧弱で、自制心というものを生み出す機能がまともに備わっていないせいなんだと思う。
言い訳を言ってるんじゃなくて、むしろ逆で、私は無能で、はっきり言えば生まれついての悪党だと自白している。
大坂なおみも多分同じなんだと思う。
一応今の医学では病気や障害ということになってるが、単に社会が許容する定型発達の枠が狭いだけの代物だ。
一番上の皮を虫がちょっとかじっただけのキャベツを歩留まりとして畑の肥料としてトラクターで埋め直してしまうような。
社会が持っている豊かさの総量が低いがゆえの余裕の無さというものが、非定型発達の絶対数を見かけよりも増やしてしまっているというただそれだけ。
なんて言うには自分たちの人格が極めて粗暴で傍迷惑で、はっきり言えば人権が全人類に備わっているから生き延びているだけで時代が時代なら迷惑防止条例違反感覚で打首にされてたのかもとは思う。
だが違うんだ聞いて欲しい。
そういう人間でも普通に生きなきゃいけないっていう時代の要望が厳しすぎるんだ。
おとぎ話の隊が一律の26cmの靴を配って、23cmだろうが29cmだろうが靴を足に合わせろと言い張るような、そんな余裕の無さからくるえげつなさばかりが社会を構成するブロックとして積み上がりすぎている。
大坂なおみみたいにキレるスポーマンがいてもよくて、それについて私達がスポーツマンは聖人だから税金で援助してやってるのになんて言い方をすべきじゃない。
それを言ったら、多くの人は単なる凡人のくせにIQがマジで200とかあるような天才が発明してくれた色々なものを享受して社会を行きているわけで、それもある意味では身の程知らずの援助を受け続けているってものだ。
これは何も大坂なおみが多様性の象徴になるべきという話ではなくて、単なるスポーツ選手に戻るべきって話でもなくて、誰がどういう風であるべきか押し付けたり一度誰かが演じたキャラクターの再演ばかりを求めたりしててもしょうもないってことだ。
人間は他人に対して興味があるけど興味がないから、他人のキャラクターについて単純で分かりやすくて理解するのに使う脳のメモリが少しでも少ないことを求める。
悪人は純粋に悪人で死刑が妥当であってほしいし、親愛なる友人はどこまでも自分に都合がいいが本人はそれを喜んでやっていて欲しいと思っている。
話がこんがらがっているが、こんだけこんがらがれば俺がアスペということは嫌でも信じてもらえると思うし、俺もこんな形で信じてもらえるんだろうなと確信しかないことに嫌気が差す人生だ。
大坂なおみはもしかしたらアスペとはまた違うのかも知れないが、そうであってもきっと普通の人より前頭葉が生み出す我慢強さが脆弱か、脳の他の部位が生み出す衝動性の強さに対して凡人レベルでしかないんだと思う。
早く走るF1カーにはそれ相応のコーナーリング性能やシャーシの耐久性が必要で、そうでないなら自分の加速力を自分がコントロール化に置くことが出来なくなるように。
一流スポーツ選手のテストステロンやアドレナリンの分泌量が常人とは全く別の生物種レベルであることは想像に難くない。
だがそれに相応しいだけの制動力を脳組織が身につけることまでが出来るかというと微妙なんじゃないだろうか。
つまり大坂なおみはものすごく興奮しやすいけど、それを御するだけの自制心がないんだ。
これは悪口とかじゃなくて、そういうデザインの肉体を持って生まれただけなんだ。
そう私はこれがいいたかった。
脳筋だの瞬間湯沸かし器だの言われてしまう人間は、人格が劣悪で生来神仏の視線を意識したり他人を慮ったりしてこなかったから怒りっぽいのではなく、身体がDNAレベルでそういう風にデザインされてしまっているだけなんだ。
それがもちろん赤の他人からすれば単に迷惑なだけで、ナチス的に言えば10秒後にガス室域が決定して10日後には死体の処分も終わっているような人間のクズという扱いなのだとしてもだ。
大坂なおみが何をしたいのか理解できないなんて安易にあれこれ言うべきじゃない。
単にカッとしたというだけだろうし、そして単にカッとしたというだけのことを他人があーだこーだ言っていいのはそれで人が傷ついたときだけだ。
補足するが、大坂なおみの発言によって私は傷ついたとあなたが主張するなら、それはあなたを傷つけているのはあなた自身の中にあるプライドの高さだったり自分に対する誤魔化しの繰り返しで起きた歪だ。
相手の中にある後ろめたさを内側から爆発させることで、相手の中から出た毒によって自家中毒を起こし、それによって生ずる不快感を取り除くための代償行為として誰かに忖度してみたくさせようとすることが、アスペにはよくある。
アスペ的な人間がカっとすることで他人をコントロールする時にこれはよく使われる手だ。
だがこれには弱点があって、本当に良心の呵責がない人間には効かないし、トリガーの起こし方が的外れすぎると完全に意味不明で終わる。
多くの場合はお互いに非がある状況で、自分の非をことさらに認めることで相手も相手から非があることを主張しないと人道にもとるかのよう雰囲気を醸し出していくことでそれは行われる。
もしそれが綺麗に刺さってしまったのなら、それはつまり自分が後ろめたさを持っているということだ。
この自家中毒攻撃の最悪なところは、それを爆発させられたことに対してアスペを恨むと結局はその毒がどんどん自分に回るということだ。
やるべきことは落ち着いて自分の中にある毒を解毒するような方向に動くことで、焦って反撃をするほどに自分の精神も社会的立場も苦しくなるようにそれは作られている。
大坂なおみのブチギレアクションによって傷ついたと思うのなら、距離を取れるならとにかく距離を取ることが最適だ。
アスペの一人としてハッキリ言うが、こういったことをする場合はやった側の作戦目標の一つに距離を取る方針を同意させるというものがある。
とにかく距離を取りたいんだ。
それはある意味では大坂なおみの作戦勝ちとなるのだが、こんな手を使った時点ですでに負けのようなものなので、そのまま勝たせてやればいい。
形としては1-1のイーブンになるが、引き分けなら別に何のデメリットもない。
もしも引き分けにデメリットがあると感じるのなら、それはあなたが自分が特別で誰に対しても勝利しなければいけないと誇大妄想に陥っているか、自分以外の人間を矮小化しすぎているだけで、あなたもまた心の病気、生まれつき脳の構造が定型発達に失敗した悲しい現代人なのだ。
こちらでもコロナがかなりの勢いで流行してきている。そのせいか、さすがに昨日は来客者数は少なめだった。ただ、やっぱり暇な時間帯・暇そうな場所狙いで変な時間に来るお客様というのは多くて、そのせいですごく暇な時間帯は消失したままだ。
オーナーに「どうせ今日は暇に決まっているから」とフライヤー室のシンクの掃除を命じられた。別にこんなもん、10分かそこらで掃除出来るんだから、わざわざ暇を狙わなくても毎日でも掃除出来るんじゃないかなと思うのだが、オーナーは忙しくて普段はなかなか出来ないのだという。昼勤のパートさん、三人もいるのに?
昼勤には一度しか入ったことがないから、昼勤事情は私には実感としては分からないのだが、仕事の引き継ぎの時のやり取りから推察するに、昼勤の人は接客だけが自分達の仕事だと思って他はあまりやらないんじゃないかという気がする。掃除なんて夜勤の仕事と思われていそう。
いざシンクの掃除にかかったが、特に散らかってる訳でもないのに物凄い悪臭がした。発生源は排水溝に着いたゴミ受けの部分で、どんだけ生ゴミ溜め込んでるんだよと思ってゴミ受けを外して中を漁ると、ほんの5ミリくらいの厚さに腐ったトマトソースが堆積していただけだった。て、こんな所にトマトソース捨てるのなんかすぐそこで笑って見てるAさんくらいしかいないだろう。ちゃんと水切ってすぐゴミ箱に入れなさいよ!
フライヤー室じゅうものっすごい臭かったが、主な原因は結局腐ったトマトソースだけだったので、シンクの掃除はすぐ終わった。ゴミ受けを空にして洗ったら、排水溝のフィルターを交換してシンクの表面をスポンジで擦ればいいだけだった。さすがに、こんなの日々のルーチンで出来るだろう。
オーナー的にはシンクの掃除が最優先事項で、あとのフライヤー室の汚い所の掃除はやってもやらなくても別にいいらしかったのだけど、実はその「汚い所」の方こそ厄介で、一度手をつけると地獄の釜の蓋が開くヤツなので、うかつに触れなかった。排水の分離層の掃除なんか、Aさんに聞いたらもう辞めた夜勤の人が三年前に暇潰しにやって以来一度もやってないということだった。分離層の掃除なんか、それこそ毎日やれば出来るもので、吸収体を数枚ぽいぽい放り込んでおいて5分待ち、油を吸わせた吸収体を取り出して捨ててから、中をブラシでちょこちょこ擦るだけで完了するはず……なのだが。そんなにも放置してると内部が作った翌日の豚の角煮の鍋の中みたいになってそうだ……。暇といえども死ぬほど暇じゃないので、恐ろしくて開けられなかった。
クリーニング屋って「ボールペンのインクが染みたとかじゃなきゃ新品レベルにピカピカにするぜ?」って店だよな?
でもウチの近所のクリーニング屋は違う。
単にドライクリーニング装置にポイポイ投げ込んでアイロンマシンに打ち込んで満足する。
濡らしたハンカチで拭えるレベルの汚れさえまともに落とさずに返してくるし、ズボンのシワは出す度に増えて十重二十重となり最後には巨大な太い線が出来上がる。
競争原理が働いていないのか、逆に低クオリティを貫いてカルテルに貢献アピールしたいという競争が行われているのか、近所にある8軒のクリーニング屋すべてが酷い。
クリーニング屋なのに入った瞬間に悪臭がする店(もちろんそこに服を出すとその匂いになって帰ってくる)、臨時休業が多すぎる店、出すと服から糸が2本ぐらい生えてくる店、様々な路線でクソさを競ってくる。
俺、クリーニング屋なんて単に洗濯するだけだからどれも一緒だと思っていた。
違うんだよ。