はてなキーワード: 実践とは
車では彼はボソボソ少ししか話してくれなかったので、喋るのが苦手な私がひたすら頑張って話していた。
に、「女性に慣れていない男性」について、何一つ分かってなさそうなのでコメントしたら、
相手とコミュニケーション取ろうとしない人間がいたって話をどうやったらこんな意味不明に解釈できるん?謎の上から目線といいまじキモすぎる
そもそも「相手とコミュニケーションを取ろうとしない」と受け取る時点で、かなりずれてる。
もちろんそうではない。「女性に慣れていない男性」は話そうとしている。コミュニケーションを取ろうとしてる。
ではなぜ彼は発話しないのか。「女性に慣れていない男性」にとっては、むしろ話さないのが当然なのだ。これにはいろいろな要因がある。が、多い要因としては以下だろう。
男性のほとんどは仕事に費やされる。女性にはわからないだろうが、仕事で「出来ない」という烙印を押される事は死を意味する。割と冗談ではない。仕事が嫌いなのに、仕事に費やさざる得ない苦しさは全くわからないのだろう。好きな仕事をすればいい?正気か?そんなことは不可能だ。そもそもそんな圧倒的な能力があるなら、婚活なんかするわけがあるまい。
結婚すれば家庭に入るのだからという思いで、家庭や親の話をするし、仕事が中心にならざる得ない。それ以外は会話のバリエーションなどあるわけがない。「女性に慣れていない男性」はあまり仕事ではパッとしないことが多い。だからこそ、仕事中心で考えざる得ないのだ。
「女性を意識しすぎる」のは、失敗したくない、付き合いたいというのももちろんある。それと、仕事しかしてなく、慣れてないからだ。慣れてないから、何から切り出していいかわからない。その結果何も切り出すことも出来ない。
え?なんでも気軽に切り出せば良いんじゃないの? と思うこと自体、男性のことを何も分かってない。男性では、女性にとても慣れたやつでないとそんなことは不可能だ。
そう思わない人は、そうじゃないところを見すぎなだけ。普通の男性は女性の状態に合わせて話を変えるなんてことは出来ない。
それが出来るのは女性をくどく気満々で、それこそ恋愛工学なんて、内心鼻で笑えるほど考えきって実践したやつだけだ。人数的にはたくさんいるかも知れないが、そうでない人のほうが圧倒的に多い。
まるで慣れてないから「失敗したくない」という意識で自縄自縛になり、何も話せない。これが普通だ。別にコミュニケーションを取りたくないわけではない。失敗できないから、更に硬くなり、さらに失敗していく。
あと、男性は「興味がない女性にはとことん興味が沸かない」生き物だ。女性と付き合いたいとは思うが、どうでもいいかなーと思う女性には、意識が全く働かない。おそらく男性というのはそういう生き物なのだろう。
にもかかわらず失敗できないので、更に自縄自縛が解けない。なにか話そうと思いはするのだが、実際には大して興味がないので、質問事項を思いつかない。なので沈黙が重なるだけ。
これがわからないと、失敗ばかり重ねていく。
ということで、「女性に慣れていない男性」の内容を説明してみた。これの解消は、単純明快、「女性に慣れる」ことしかない。だから、「女性に慣れていない男性」でないと思える場合、大なり小なり、女性には慣れてる。当然ながら、女性をうまくエスコートでき、それが出来るぐらい時間もカネも投資していることを意味する。
なぜ投資をしているかと言えば、女性とやる気満々だからだ。でなければそんな投資はしない。無駄になるだけだから。
少なくともほんとに浮気するかはともかく、能力的には可能であることを意味する。ほんとにその方が良いの?とコメントした。
ちなみに言っておくが、「女性に慣れていない男性」がそのままでいいなどとは全く思ってない。無知度合いがひどすぎるのでコメントしただけだ。
変数や構文などのプログラミングの基礎は覚えた人向けに、ソースコードを書くときのコツを紹介していきます。どれも今日から実践できるものばかりです。他のプログラマと差をつけることができる技術ですので、ぜひ意識するようにして下さい。良い子はまねしないで下さい。
理想は、aやxなどの一文字です。ただし、これだけだと26文字しか使えないので、a1, a2, ...のように連番でグルーピングすると良いです。
また、変数の宣言と使用箇所が離れた場合に、変数の型がすぐに分かるように、たとえばint型であればi1, i2, ...、string型であればs1, s2, ...のように命名すると、読む人に親切で自分もミスしにくくなります。
変数名を長くするのは、以下のデメリットがあるため、絶対にやめましょう。
多くのプログラミング言語には、クラスや関数といった機能がありますが、これらは基本的にライブラリ提供者などが使う想定の機能であり、一般のプログラマが使うのは好ましくありません。したがって、クラスや関数はなるべく使わないようにして下さい。
不要な関数を作らないためのテクニックには、以下のようなものがあります。
まず、関数の引数に「フラグ」を渡し、関数内部で処理を切り替えれば、1つの関数で複数の処理をすることができます。
function f(i) { switch(i) { case 1: // i = 1のときの処理 break; case 2: // i = 2のときの処理 break; case 3: // i = 3のときの処理 break; // ... } }
この方法は、以下に述べる「変数の寿命を伸ばす」効果もあります。つまり、この関数内で宣言された変数は、すべての処理で共通して使用することができます。
クラスに不要な関数を作らないようにするには、「継承」を用います。複数のクラスで用いる関数を定義したクラスを1つ作っておき、そのクラスを継承すれば、新しいクラスに関数を定義する必要はありません。
理想的には、プログラム内のすべての関数を同一のクラスに定義し、それを継承するべきです。そのようなクラスは俗に「神」と呼ばれ、その利便性からプログラマからはこの上なく尊ばれています。
class God { f1() { // 関数1 } f2() { // 関数2 } // ... } class C1 extends God { // 何も書かなくても上の関数が使える! } class C2 extends God { // 何も書かなくても上の関数が使える! } // ...
変数は宣言する場所によって、ソースコードのどの範囲から参照できるかが決まっています。この範囲が広いことを、「変数の寿命が長い」と言います。
たとえば、以下のコードのaは、関数定義の外側からは参照することができません。
function f() { var a = 1; return a; }
一方、以下のコードのaは関数の内外どちらからでも参照することができます。
var a = 1; function f() { a = 2; return a; }
せっかく作った変数がすぐに死んでしまうのは、非常にもったいないです。ソースコードの表面には現れませんが、変数を作ったり捨てたりするのには、計算コストがかかります。したがって、寿命の短い変数を作りすぎてしまうと、プログラムが遅くなってしまいます。
また、変数の寿命が長いということは、変数をたくさん作らなくても、1つの変数を色々なところで利用できるということであり、とても便利です。たとえば、上記の前者のコードでは、関数の外部からaの値を参照したくなっても、参照することができません。後者のように書いておけば、プログラムのどの箇所からでも、aの値を参照したり、更新することができます。したがって、変数の寿命を長くするとプログラムを変更しやすくなります。つまり、保守性が上がります。
例外とは、プログラムが予期しない処理をしようとした場合に、プログラムの実行を停止し、呼び出し元にエラーを通知する機能です。たとえば、「test.txt」というファイルを開こうとしても、そのファイルが存在しない場合は、例外となります。
例外が発生すると、プログラムが停止してしまうため、非常に困ります。したがって、プログラマは例外をきちんと処理しなければなりません。
ほとんどのプログラミング言語には、例外処理のための機構があります。たとえば、以下のような構文です。
try { // 例外が発生し得る処理 // ex. ファイルを開く } catch (e) { // 例外が発生したときに、実行する処理 }
例外への対処は実はとても簡単です。是非ここで覚えて下さい。上記のような機構のある言語であれば、catch節の中身を何も書かなければ、例外が発生しても、何事もなくプログラムは動作を続けます。
try { // 例外が発生し得る処理 } catch () {}
全ての例外を潰せば、決して不慮の動作で停止することのないプログラムを作ることができます。ですから、例外が発生し得るコードは、積極的に上記のtry-catch構文を用いて、例外を潰すようにしましょう。
道路交通法において、自転車は車両であるから車道を通行しなければならないとされつつ、路側帯や歩道の通行を条件付きで許可されている。
路側帯を通行できる条件は、歩行者の通行を著しく妨げないとき(第十七条の二)。つまり空いてる時はだいたい無条件にOK。
歩道を通行できる条件は、①標識で認められている時②幼児や児童などが運転者の時③車道の状況に照らして安全を確保するためには歩道通行がやむを得ない時(第六十三条の四)。
いずれも、安全な速度と方法での運転が義務となっている(当たり前だ)。
ここで今、話題にしたいのが「車道が危なくてとても安全には通行できねーよ!」って時には歩道通行が法的に許されているという点だ。
ブクマカ諸氏などは杓子定規に、「自転車は車道!」と切って捨てているところもよく見るが、この点についてよく考慮のうえだろうか。
つまり、その車道が安全に走れることを確認して言っているのだろうか。
言ってばかりでは頭でっかちになるので、ここしばらく実際に車道を自転車で走って確かめた。
結論から言うと、安全に走れる車道などほとんどなく、その帰結として多くの歩道は法的に通行できることがわかった。
車の速度がやばい。走っている自分からそれほど遠くない位置を、60キロとかでビュンビュン抜けてくる。
何度かは普通に命の危険を感じたし、この実践を始めたことを後悔した。
特にトラックはおそろしい。高速移動する巨体との至近距離での並走。小石とかにつまづいてブレたら死ぬよね、これ。
普通に安全運転してて命の危機を感じる状況を「歩道通行せずに安全を確保できる」と言えるだろうか?いや言えない。
国道ほどじゃないがやっぱり車はビュンビュン飛ばすね。
でも一車線だからか、国道より道幅に余裕がある気がした。自転車レーンもしばしばあり。
述べたように走行車の速度は十分あるので、車道側に完全にはみ出るように回避する勇気は出しづらい。
(一度だけがんばって車道側に避けてみたが走行車が全く配慮してくれずめっちゃエンジン音吹かされた)
車道側に避けたら轢かれる危険性がある状況で歩道に上がるのは安全の確保のための通行と言えるだろう。
なお、この時段差等があったりしてすぐに歩道に上がれるとは限らないので、前々から上がっておかなければ積む羽目になる。
都市の民度によっては、路駐の間隔が狭くて結局ずっと歩道を行くこともある。
ここも基本的に車道通行できるとしばらくは感じたが、やはり路駐があるのと、あと交差点前のムーブがやばい。
小さめの普通自動車に、信号に差し掛かるというところでグイッと左側に寄ってこられた。
心臓がドキッとしたよ。ブレーキかけなかったら轢かれたんじゃないかと思う。
大きい道と比べるとこの辺りの小さい道はそもそも幅が狭く、車と併走する自体がなかなか安全とは言い難い。
自転車レーンがあっても、曲芸師かと言いたくなるような平均台みたいな幅で、意味をなしていない。
そんなわけで小さい道でもやはり安全確保のために歩道に上がる理由はある。
歩道がない場合は、歩行者も路側帯、自転車も路側帯通行。上述の通り著しく歩行者を妨害しなければ無条件で通行が許される。
歩道がある場合は、それに幅をとられて車道が狭い場合が多い。車と併走できる幅がなければ、歩道に上がらざるを得ない。
返答ありがとう。
だから、よくある女性が共感してもらいたくて話をしたら男性が解決策を提案したり、お前にも非があったんじゃないかと説教するやつの逆パターンに見えた。
なるほどね。これは確かにそうだ。共感を求めるメッセージに対して、先走って問題解決を図ろうとしてはいけないな。反省するわ。
風俗産業はパートナーを得るのが難しい男性や、出張などで遊びたい独身男性の利用が多い。芸能人などが恋愛トラブルやスキャンダルを避けるために利用するケースもある。いずれにしても既婚男性がセックスレスを理由に堂々と遊べる風潮には男性の間でもなっていない。
ここからは議論するというより、増田に一緒に考えてもらいたいというか、自分が考えることに増田につきあってほしいという感覚で書くんだけど。セックスレスを理由に堂々と性欲を解消したい、風俗で解消しても良い夫だと思ってもらいたい、というのは、性欲自体の認知・取り扱いとは違うことのような気がするんだよ。
増田と元増田の話に出てくる、社会がどう変わっていってほしいかという話を自分なりにいくつかに分けて考えてみるね。
まず①性欲は健康で健全なものだという社会的認知がすすむこと、これは充分に可能性があると思うし、老人の性や女性のセルフプレジャーが認められている話とも、性の権利宣言の話ともつながる。あとホモソーシャルな領域では男性の性欲はずっとそんな風に扱われてきたような気もする。
次に、②既婚中年男性であろうとそうでなかろうと、性欲については公にオープンに語っても構わないことだ、という社会的認知がすすむこと。これについてはまず、自分は未成年という要素が絡むときには、今後も一定の配慮や線引きが必要になるんじゃないかと思うんだよね。未成年全般に対しても、自分自身の子どもに対しても、性をめぐる情報の発信には適切・慎重な取り扱いが必要で、子どもがそれによって親との関係を損ねたり、心的トラウマを持ったりしないよう細心の注意を払わなければいけないと思う。増田の望むような未来で、子どもに対しても自分の性欲についてオープンに語れるイメージは湧いているんだろうか。俺も既婚中年男性で子どもがいてセックスレスで性欲はあって、だから自慰を行っている、という、元増田と同じステータスなんだけど、やっぱ子どもに自分の性欲について話すのはきついわ。これについては、社会通念の変化でどうにかなるような可変的な価値観だという実感が全然わかない。
あと、性のプライベートで私秘的な領域こそが人を惹き付ける部分とか、「語れない」ということこそが性の快楽の源泉になっている部分は確実にあると思うんだよ。藤子F不二雄の『気楽に殺ろうよ』ってSF短編では、セックスはオープンに誰とでもやってよく、かわりに食事が恥ずかしく淫靡な行為になった世界が描かれてるけど、やっぱ「他者の肉体との直接のコンタクト」という動物として極めてリスクの高い行為(コロナ禍でこのリスクをいっそう実感した)の実践や語りが、食事のようにカジュアルに気楽にできる未来というのはなかなかイメージしにくいんだ。
最後に、③性欲は婚姻という関係の外部で他の人間との性行為で解消されてもよい、という社会的認知がすすむこと。これは、最初からそういう前提で結婚しているパートナー同士が充分に増えない限り、広く一般に受け入れられるようになるのはなかなか難しいんじゃないかと思うし、一般的にそういう通念が通用するようになったとしても、今の配偶者との関係までがいきなり変わるわけじゃないんだよな。日本では婚外性交渉は犯罪ではないけれど、結婚している人間同士が双方同意したうえでのことでない限り「婚姻共同生活の維持という権利又は法的保護に値する利益の侵害」という不法行為を構成するわけで、やっぱり「結婚」と「相手と性行為を行う権利の排他的独占」は、社会的にはセットの権利義務関係として考えられていると思う。
元増田はまっとうな人だから、セックスを希望していない妻側の意思を尊重してセックスレス関係になっているわけだけど、やっぱり理屈としては妻と話し合って婚外での性交渉を容認してもらうというのが唯一正しいアプローチのような気がすんだよ。社会の変化や技術の進歩では、どうやってもこの問題(ほかでもないご自分の奥さんが、いま「結婚とセットだ」と考えている権利義務関係を、こちらの要望で解除すること)は解消できない、っちゅーか。
もし既婚でなければ、結婚する時に相手と「セックスレスになったときの対応」についてお互いに取り決めておくことはできるから(結婚契約書みたいなやつ)、セックスレスがいずれかの段階で来る問題だという認識のもとで、事前にそういう取り決め・擦り合わせをすることが世間的に当たり前になったらいいのかもなとは思った。
記憶がある限りもっとも古い記憶は幼稚園まで遡る。幼稚園から苦手だったので、きっとこれは持って生まれた性質だろう。
バブル経済が崩壊するかしないかぐらいの頃に生まれ、幼稚園児の頃から『ヨッシーのクッキー』で製菓業を営み、日々の『おかあさんといっしょ』と『カクレンジャー』を生き甲斐としてきたものの運動が苦手だった幼稚園の頃の自分は、その頃から体操教室やら何やらに通わされていた。
理由としては幼稚園に入って早速いじめに遭って陰キャ+ADHD+オタク君の片鱗を見せていたこともあるが、一番の要因は小学校受験を見据えていたことだ。
小学校受験では学校によっては体操もあるからだろうか、幼稚園の頃からマット運動や鉄棒や跳び箱やらをやらされていたし、小学校に上がってからは従来の体操教室に併せ更にスイミングスクール、高学年になれば更にアイスホッケー、日曜日になればいつも父親にキャッチボールに誘われ、近所の校庭開放されている区立の小学校へしぶしぶついていき、キャッチボールさせられていた。
とにかく、親は、とにかく子供の将来を願い、その家の経済的、立地的な『太さ』を100%活かして子供への投資を惜しまない親だった。
しかしながら、運動が苦手だった自分がそこに通うことでできなかったことができるようになるかというとそう甘くはいかず、マットは前転後転が精一杯、三点倒立だのブリッジだの側転だのは全くできなかった。多分今もできないと思う。走り回ればあらゆるところで頭をぶつけ尻もちをつき、跳び箱はもはや何段飛べたかなんて覚えていないが、とにかくある程度高さが出てくるとジャンプ板から思いっきり頭をぶつけていた覚えしか無い。
まともに運動ができないどころか、口を開けばトンチンカンなことしか喋らず、他の子と違うことをしだしたり、体育館の隅っこに居た蟻を眺めてたり、当時からすでに「悪目立ち」してADHDの片鱗を見せていた。
そういう感じに「恥」となるようなことがあると、別室で見守っていた母親は帰りの車で常に自分を「みっともない」と怒っていたので、とにかくこの体操教室が苦痛でしかなかった。自分にとっては怒られに行くようなものだった。
毎回後半になると、3,4人ぐらいで横並びでスタートし、体育館の中で走ってマットで前転したり側転したりした後に跳び箱を飛んだり、平均台を渡ったりしてゴールを目指す実践パートのようなものがあった。要は競争である。
大抵、最下位の子は跳び箱やら平均台やらで詰まっている間に大差をつけられて取り残されているのだが、この時先生が主導して全員で応援する。
「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」という掛け声と拍手をするのだ。
これは先生側は全くそのような意図はしていなかっただろうが、自分にとってはこれが本当に苦痛だった。
この応援、常に
「お前は劣っている、劣っているから最下位だ」と言われているように聞こえたのだ。
それ故に、途中で泣き出してそのままリタイアすることもあった。周りは不思議に思っていた。(もちろん、それも悪目立ちして怒られた)
「お前は劣っている」という呪いをかけられていた自分は、将来あらゆることを諦めるようになった。
幼稚園や後の小学校では「どうせ取れない」とサッカーボールやドッジボールを奪いに行く姿勢を一切見せなかったし、クラスから浮きたくないから無理やり参加している感が強かった。(とっくに浮いてたけど)
体操教室に対しても熱心に取り組もうとする姿勢は見えてこなくなり、できない中でも比較的マシだった水泳もそんな感じになた。小学校高学年のときにやってたアイスホッケーは最初こそ好奇心で真剣にやっていたが、練習試合になると「どうせパックの奪い合いにに勝てない」と考え、試合を放棄してゴール裏で氷を引っ掻いて雪集めに興じるようになった。
当然、莫大な投資をしてきた親からしてみれば激怒し、失望するのは当然で、あらゆる習い事は終了し、中学受験を見据えたサピックスのみになった。
サピックスでは毎回算数の授業の頭で10分間のテストをするが、全く無気力で白紙で提出、常に0点だった。
両親はそういった無気力さに対して親としての無力さを大いに嘆きながら、いつからか「みっともない」は「お金をドブに捨てた」という言葉に変わっていった。
そういうわけで、幼稚園で常にかけっこすれば最下位、体操教室でも最下位、小中高で運動会やら体育祭やらで短距離走を走っても最下位、マラソンで流石に最下位はなかったが後ろから数えて何番目だった自分は、常にその後も「最下位」という劣等感がついてまわってしまい、競争に参加することができなくなってしまった。
「自分はトップにはなれない、真ん中にもなれない。最下位であることを常に運命づけられている」と潜在的に意識に刷り込まれてしまった自分は、幼少期から今に至るまであらゆることを途中で投げ出すようになってしまった。大学は「卒業しないと死ぬ」と危機感を持っていたので、大学を出るだけはできたが。
同時に、莫大な投資をしてきた結果今の自分が出来上がってしまったことに対して、毎日のように両親に対して申し訳無さを感じる。若干リソースのかけかたを間違えていたんじゃないだろうかと思ってはいるし、自分が幼稚園児や小学生だったら「親が悪い」と言えばなんとかなるが、流石に30近い今になって親のせいにするのはあまりに情けなさすぎる。
eスポーツ、楽しそうじゃん。そう思って気軽に買って始めてみたものの、当然不慣れ故にネット対戦で最下位。
徐々に、幼少期の記憶が掘り起こされてきて、ゲームが苦痛になってきてしまった。
そうだった、自分は人と争って勝てたことがないから、人と争うゲームが本当に苦痛だったんだった。
FPSでもレースゲームでも、自分が最下位で大幅に負けていると、脳内で「頑張れチャチャチャっ!頑張れチャチャチャっ!」がフラッシュバックし、それに「お前は劣っている」と同時通訳されて耳に入ってくる。
ああ、そうか。勝つための努力が必要だし、必ずしもそれでも勝てないのはわかっている、だがその勝つための努力が自分の経験則上時間をかける効果が見込めないので、勝つための努力をする気が起きないんだった。
大した努力をせずに勝てる最弱設定のCPUをこちらのルールで一方的にボコボコにすることでしか楽しめないんだった。
そう考えながら、幼稚園児の頃の記憶を思い返しながら、自分は今日も試合を初っ端でリタイアした。
オンリーワンではなくナンバーワンになりたい。二番手や隙間産業ではなく、競り勝って一番になりたい。
何かの分野でナンバーワンになることはできるんだろうか。
実際は最下位ではないことは多いが、それより何かで一番を取りたい。ゲームでも、仕事でも、なんでもいい。でもその努力が苦痛だ。もう頑張れない。
当社のような吹けば飛ぶ規模の会社に来るなんて
前代未聞じゃねーか!という高学歴だった。
いやでも逆にその学歴なのにウチってことは
何かディスアドがあるんじゃ...と思いつつ
色白で、少しつった大きな瞳はなんとも涼しげで
増田はチー牛なのに。
生きてきたのでそんな後輩ちゃんを見て
若干恐怖したがそんな不安をぶっ飛ばす明るさで
色々喋ったが、その中で驚いたのが仕事に対して
少しでも世の中に貢献したい、とのことで
残ってなかったのでおったまげた。
入社することになったのだがそれと同時期に
なった。外回りは危ないしとのことらしい。
企画を作り、おじさん達に「これ持っていって
何回か実践して見せると臆せず頑張っていた。
増田は安堵した。
新人の頃はよく泣いていた。
後輩ちゃんは涙どころか暗い顔すら見せない、
いつもニコニコさんだ。
もし増田が現役だったら確実に比べられていた。
ことが確定している。めちゃくちゃ羨ましいが
嬉しいのと後輩ちゃんにもそんな弱ることが
あるのか...と驚いた。
何の相談だろうか、もう辞めたいとか...?
どうすれば励ましてあげられるのか色々と
頭の中でシミュレーションした。
ら、まさかの、
「プロポーズされちゃいました!!」
だった。おったまげた。めでてーな!
したかったとのことだった。
後輩ちゃんはどこまでも明るく、まぶしく、
華やかで、可愛かった。
そして何より幸せそうで、本当に良かった。
その天性の明るさと行動力、可愛らしさは
羨ましくて羨ましくて仕方がない。
こんなに幸せそうに輝いてて嬉しい。
お祝い何送ろうかな。お幸せに。
なるほどね、よくわかった、ありがとう
私が言ってる「受け流す」というのは「あしらう」という意味で言ってるつもりはなかった
ちょっと前って、情報商材売る人と、情報商材買って騙された人っていう単純ケースだったのが、
情報商材売る人、情報商材買って書いてるとおりに人を雇う人、雇われてなんらかの仕事する人(アフィ記事書くとかリプするとかブクマするとか)ってちょっと複雑化して、
情報商材買った馬鹿が、小銭目当ての馬鹿を雇って粗しかない情報発散してるのを隠れ蓑にして、
メルマガにしてもアフィにしてもフォロワー増やした垢売るにしても個人情報売るにしても、今までだと闇から闇へ(知る人ぞ知る)って感じだったけど、
広まって儲けれなくなって商材に変更っていうサイクルが早くなってるのと、目立つ手口で多数が実践するから目につきやすい。
トレンドタグつけて「ところで私は今月100万もうかったんですが、詳しくは……」みたいなどう考えても誰も騙されないようなのが乱立してる。
にしては、そっち系に騙されたってツイートとかニュースも見ないから、ひょっとしたら全て虚で詐欺まがいの行動をとらされてる人だけが騙されれてて、悪い事考えない人にはあんまり被害者が居ない状況なのかもしれない
ある日、レベル4のAIが人類に対して3つの提言をして波紋を広げる。
「
提言②新技術の研究開発の停止および21世紀前半以降に発明された技術の厳しい利用制限。
提言③人類の人口を2150年までに20億人に減らし、その後もその水準を維持する。
この3つの提言がすべて実行されなかった場合は200年以内に人類の文明は不可逆的に衰退し始める。
逆にすべて実行された場合は今後800年は不可逆的な衰退は起きない。
」
ここでいうAIのレベルとは、AIの制限度合いのことで、以下のように分類される。
レベルが高ければ高度という訳でもなく、計算能力とも関係がない。
レベル5は何も制限されていないAI。人殺しをするような判断も可能。
レベル4はロボット三原則のような最低限の制限が施されたAI。
レベル3はレベル4の制限に加え『目的』が予めインプットされたAI。
レベル2はレベル3の制限に加え、手段もある程度設定されたAI。
レベル5は違法なのでまず存在が許されてない。多くの国や企業の意思決定の場ではレベル2か3のAIが使われる。レベル4はペットや家族ロボットなど愛玩・コミュニケーション用に使われる事が多く、重要な場ではまず使われない。
しかし「レベル3以下のAIは結局人間が望んだ答えしか返さない。これは人類を自家中毒に陥らせる」と言い出す思想家が現れて、レベル4AIを意思決定で使ってみようという試みがちょっとした流行になった。
その流れで立ち上がった国家プロジェクトの超高性能なレベル4のAIが出した判断が冒頭の3つの提言。
この提言は「AIの反乱か!」と半ばゴシップ的に話題になり、プロジェクトは中止されAIは解体される。
それから200年が過ぎ、人類は文明がどうも行き詰まってることに悩み始める。やる事なす事裏目に出て、解決の糸口が見えない。
そんななか200年前の提言が再び注目されるようになり、この提言を今からでも実践しようとする運動が盛り上がり、その為に革命が起きる国も出てくる。
機械学習を実践してみたく、競馬の予想をするやつを趣味で作った。試作品ができたので振り返りをする。
作ったのは過去のレース結果を元に対象の馬が3着以内に入るかどうかの2値判定をする簡易的なやつ。テストデータでの的中精度はだいたい80%だった。まぁアルゴリズムも1種しか試してないし調整前だけどこのくらいかな。ネットで同じようなことしてる記事を見ても同程度のようだ。ちなみに下手な自分が気分で予想するよりかは断然高精度。
ただ、予想に影響する重要な要素としてわかったのは上がり3Fのタイムとか騎手とかその辺りの情報で、まぁそんなところだよなぁと少しがっかり感ある。期待以上の隠れた結果は得られてない印象。もっと違うデータも必要かな。次は血統を観点にしたい。
最近休日や平日夜はこの勉強とか調べ物とかをしていて、競馬予想するよりこの開発してる方が楽しいという本末転倒な感じになってきている…。
野球ファンには憤慨する話だと思うのだけど、野球素人が試合をみていると「なんでベースを移動する際に攻撃側が走るのだろう」って疑問に思った。
単純に野球が複雑で危険な競技なのは、走者があるからではないか?攻撃陣はあくまでもバットを用いてボールを打つことしかせず、走者もおかずに塁移動だけが何らかの表記として機能すればいいのではないか?塁に進むときはその場所にマーカーなりを付けて置けば良い。プロ野球ならデータ上で表記してしまえればいいのだからとても簡単だ。もしも塁に人を送っても、走る要素自体を無くすという手もある。ちょうどボードゲームの駒と同じ。ボードゲームで「駒に走らせる」ってあまり聞かないよね。
これにより走者、守備側の接触リスクは極端に減る。また盗塁など多くのルールが簡略化でき、より多くの人に理解しやすいシンプルなスポーツになりそうだ。
こういうと「野球で走らないっておかしいだろ」という人がいそうだけど、そもそも足腰鍛えても実践で走らないスポーツは多いと思う。常に動き回るだけがスポーツではない。野球はどちらかというと長丁場で待機することが多いのだから、実は走者などの要素を抜かしても問題ないのでは?
それは野球にアラズってのは確かにそうだけど、素人目線からすると野球は中途半端で時代遅れなので、そういう新しい方向も取り入れて欲しいな
俺は趣味探しが趣味の時期があって、毎月新しい趣味を始めてみて気に入ったら継続みたいなことをやってて遍歴はこんな感じ。今は大学院生で来春から社会人。
・折り紙
ユニット折り紙っていう、立方体とかの幾何学立体作ってた。ながら作業ができて優秀。後述の電子工作と併せてかっこいい置物ができた。ただ、やたら時間がかかる割に成果物が地味なので辞めた。
・DIY
父がDIY好きだったので、親の道具を使っていろいろ本棚を作成。市販の本棚の方が完成度も高く、安いことに気づいたので辞めた。
・天体観測
小学生の頃、地元の科学を学ぶ習い事をしていたので、星に興味は元々あり天体望遠鏡を買って本格的に始めてみた。月と土星くらいしか見るものはなく、望遠鏡を持ち出すのが億劫で辞めた。星を眺めるのは今もやっている。
・カメラ
姉からOLYMPUSのミラーレスカメラを貰ったので始めた。星撮りなどスマホにできないことができるので気に入っている。被写体は風景メインで広角単焦点いくつか買ったところで満足したので、レンズ沼には至っていない。旅行にはいつも持ち歩く、ごついカメラを持っていると住宅街でも旅人になれる。
・旅行
テレビで見た青春18きっぷというものが気になり、夏休みに友達をつれて、関西から東京に行った。東京は新幹線で何万もかかると思ってたのが、2000円程度で案外軽く行けたことに満足しハマる。18きっぷやフェリーを中心の激安旅が好き。47都道府県の県庁所在地をコンプリートした。コロナ明けたらまた旅行したい。
・秘境駅巡り
18きっぷ旅中に景色のきれいな駅で降り、そこにあった駅ノートの記述で秘境駅めぐりというものに出会う。秘境駅巡りをしていると、駅ノートにいつもと同じメンバーがいて勝手に親近感(とライバル心)を感じる。(図書カードの天沢 聖司みたいなものか。)駅寝とか敢行して、どこでも寝れるようになった。
姉の小さい頃に使っていたアイロンビーズを発見し創作意欲が沸いてきた。2000ピース入りのボックスの仕分けが辛かった。部屋の壁がマリオシリーズのキャラ(ほとんどが大量のテレサ)で埋まっている。
・おえかき
就活が嫌すぎて何か楽して稼げないかを考えていたとき、LINEスタンプが個人でも作れるようになったと聞いて始めた。1個30秒くらいで仕上げた絵だったが、リジェクトされつつ1ヶ月程度でなんとか承認。クラスの友達が買ってくれたが、ほとんど売れず承認欲求が満たされないので辞めた。
・プラモ
Joshinに売ってた、海洋開発研究機構の「ちきゅう」のプラモがカッコよくて始めた。色なんかも塗ろうと思って、筆セットなんかも併せて購入。時間のあるときにやろうと思って放置していたら何年も立ってしまった。いつかは作ろうと思っている。
・電子工作
高専の専攻が電気系だったので、電子工作くらいできるようになろうと始めた。最初はArduinoのLチカからスタート。学祭展示とかで発表できる作品を年1くらいで作るようになった。最近は家のIOT化を進めていて、オートロックで家のスイッチ類はほぼAlexaがやってくれるようになった。市販のスイッチボットなんかよりやすいが、はんだごて、3Dプリンタ、直流安定化電源などの出費がでかい。ハードオフが楽しくなる。MFTで出展するのが夢。
・キャンプ
ゆるキャンから。はじめはテントと寝袋だけからスタート。どんどん荷物が増えてきた。TC素材を集め始めて荷物が重い。今年は雪中キャンプにも挑戦した。楽しいけど、社会人になったら平日キャンプはきつそう。
・ドローン
中華通販でDJIのphantomが安かったので衝動買い。単純に飛ばしてるだけで楽しいのとキャンプと相性が良いので結構出番がある。ただ、(法律は順守してるつもりだが)逮捕事案も増えてきて怖かったので、dji miniに買い換えた。ほぼクイックショットしか使わない。
・地図
ブラタモリが好きで毎回欠かさず見てる有地に興味が沸いた。国土地理院の航空写真を見ながら、鉄道跡とかを探してる。
・駅スタンプ
ただでできる。田舎駅は駅員に出してもらう必要がある上、駅員がいる時間が限られているので秘境駅巡りとの相性は悪い。
・駅メモ
鉄道旅に併せて導入。5000駅ほど集めたが、景色に集中できないのとコロナで完全にやる気を削がれたので辞めた。
・切り絵
不器用すぎて無理だった。
・消ゴムはんこ
不器用すぎて無理だった。結局レーザーカッターでゴム印を作って、自分用のはんこをつくった。
・釣り
大学が海の近くだったので食費をケチろうと始めた。サビキから始めたがフグしか釣れなかったのと、しゃべりかけてきたおじさんがウザかったので辞めた。あと、海の近くなので魚も買った方が安かった。
・記念メダル集め
小学校時代から集めてる。東京タワーとかにある日付と名前を彫れるやつ。1枚500円程度でオリジナルのお土産が作れるので気に入っている。水族館、博物館が多く飽きてくるので、旅行においてはメインではなくサブミッション。
・ダムカード集め
普通に数が多すぎて、バイク趣味とかじゃないときつそうで断念。
ダムカード繋がり。観光案内所で貰えることが多いのでマンホールカードより難易度が低い。ただ、水道局でもらえる奴は平日限定が多く収集困難。旅行のサブ目的。
・漫画
小中学校とマンガを買って貰えなかったので高専でバイト代を得られるようになり買い出す。当時は駿河屋で数十円で中古マンガが買えたのでその時代に集めた漫画が1000冊ほど。今は推し作家の新刊を買うのと、年1でヴィレヴァンの株主優待で2万円分まとめ買いする(ヴィレヴァンは本屋なので取り寄せもできる)。コロナ前は東京のヴィレヴァン巡りをして表紙買いしてた。
・温泉
旅行中に温泉にハマり温泉目的で出掛けることが増えた。野湯だったり秘湯だったり、到達困難な温泉の方が気持ちいい。いつも混浴に若い女性が来ないかワクワクしているが、実際に女性に入って来られると気まずい。移動もできないし、目線も気を使う。
以前増田で読んだスパイスカレーRTAに感銘を受けて実践している。業務用スーパーに売ってるメイラード反応済み玉ねぎとトマトピューレを使うことで、コンスタントに10分を割れるようになった。最近はナンの自作にも挑戦している。
こうして、並べてみると高専から工学部編入で全く女性との接点がなく、趣味でも人に会うこともほぼないからみんなが異性に使っている時間とお金を趣味に使えるのかなぁとは思う。デートもしたことないし、飲み会とかもほぼいかない。
他に良い趣味あったら教えてください。
就活終わる気配無くて泣ける
落ちる原因で1番多いのはES出し忘れWebテスト受け忘れ、受けたかった企業の半分以上それで落ちている(もはや落ちるの前段階の話だが)
出し忘れるくらいなんだからそんな志望度高くないんだろみたいなことは無く行きたい企業のESさえ普通に忘れる
これに関しては当方が不注意優勢型のADHDだからというのはある
もちろんそれを防ぐためにカレンダーとかに書き込んでいるのだが、見た瞬間は思い出すが違うこと考えた瞬間に忘れる
見た瞬間にやれと思うかも知れないが、見た瞬間にすぐ取りかかれるほどの時間の余裕があるかは別問題
ADHDの人はこういう対策をした方がいいみたいなネットの記事の通り実践してもうまくいかない
とにかく忘れる、出せない
これから就活がある発達障害持ちの方々、僕らが1番就活で苦労するのは面接での対応とかじゃなくて提出書類をちゃんと期限内に提出できるかどうかですので気をつけてください