はてなキーワード: 女児とは
女児の言うことを真に受けるな
理解ある彼くん現象とは、精神疾患や引きこもり等の女性が『女性の生きづらさ』『困窮した状況から立ち直った方法』をテーマに描いたコラムや漫画の中で『理解ある彼氏』が最終ページ辺りに唐突に登場し、男性パートナーの経済的・精神的な支えによっていきなりすべての問題がなんとかなってしまうというある意味デウス・エクス・マキナ的な超展開パターンがあまりにも多いため、皮肉や嫉妬を込めて『理解ある彼くん現象』とか『そ理彼(そんな私にも理解ある彼くんがいますの略)』などと言われるようになったネットスラングである。
逆に障害者や引きこもり男性の人生にこのような『理解ある彼女』が登場し経済的・精神的に支えられ人生におけるセーフティネットとして機能するケースはそ理彼に比べると極めて稀で(健常男性だったパートナーが結婚後に鬱病を発症したケースや数十年前の国民皆婚時代の話であれば例外的にないこともないが)、自由恋愛化した現代日本においての生まれながらの性的価値の差による男女の非対称性の象徴としてよく扱われている。
また、男性の自殺率などを持ち出し『男性と女性どちらが本当の弱者であるか』というテーマの議論でもよく議題に上がる内容だ。
ちなみにこれは『無能の世界』の男女の対比の話であって、例えばそこそこ良い大学を卒業していたりコミュニケーション能力が高かったりと男だろうと女だろうと現代社会で就業や恋愛や結婚に特に困ることのないような五体満足の男女とは全く別次元の社会問題であることは予め頭に入れておいてほしい。
解説するが、理解ある彼くんの正体とは『一応定職にはついているが健常者の女性に相手にされなかった冴えない非モテ男性』のことである。
恋愛競争に敗北したチー牛顔の彼らは『無職や障害者のメンヘラ女性を養う』という戦略を取ることでギリギリの境界で恋愛競争に振り落とされないように必死にしがみついているのだ。
男としての性的魅力は低いが『優しい』『メンヘラ相手でも面倒を見れる』『嫁を養えるレベルにはまともな経済力』という属性がたまたま彼女らのセーフティネットとしてマッチングし、双方の妥協と打算の歪な結果生まれたのがあの物語なのだ。
しかし、この構図は同時に、後世の男性に対する重大な加害行為ではないだろうか?
この漫画で描かれる多くの『性を売ることでしか生きていけない無能な女性』というのは、言い換えるともし彼女がたまたま男であれば生きていけない人間だったということだ。
この『性を売る』というのは売春行為だけでなく当然恋愛での優位性を利用して婚姻等の社会制度の中で『理解ある彼くんに面倒を見てもらう』ことも含まれる。
男性パートナーに依存して生きていくということは、大人として成熟していけば結婚、出産などのイベントからは多くの場合逃れられないだろう。
そして、精神疾患や発達障害などは高確率で子供に遺伝してしまう。
私が『理解ある彼くんに支えてもらいか弱い女性が幸せになったお話』を見たときに一番違和感を感じるのは、彼女らの間に生まれるかもしれない男の子、つまりは不幸の再生産による後世の男性に対する加害行為があまりにも見て見ぬ振りされすぎではないだろうか?という点だ。
生活や承認のために様々なものに目をつぶって『ただ女だから生きていけた無能な女性』が『男だというだけでは生きていけない無能な男性』をこの世界に生み出すことはあまりにも残酷ではないか?
生き方が多様化した現代社会、中には「私は理解ある彼くんと無能な女性の間に生まれた性的弱者の無能な男性であるが、それでも趣味や宗教に打ち込むことによって幸せな人生を送ることができた。」というような男性も、ミクロレベルにはいるのかもしれない、だがそんなレアケースが生まれることを期待して恋愛や生殖のような生物としての根源とも言える選択肢を生まれながらにして当人の意思とは関係なく奪われた弱者を生み出すことは果たして人道的であろうか?
Twitterなどで男女論で議論しているフェミニストやこのような論説に異を唱えているアカウントを追っていると、(勿論漫画化などされていない)暗数も含め『無能な女性が理解ある彼くんと結ばれることで不幸な人生を歩むであろう男の子を生産する』パターンはかなり多いように見える。
現代の発達障害者の男女の生涯未婚率などを比較すると、統計としてもより顕著になるだろう。
もしかすると、この歪な関係の男女の間に生まれてくるのが運良く女児である可能性もある、その場合、その娘は母親と同じように将来『理解ある彼くん』を生やすことで幸福や承認を掴むことは可能なのかもしれない。
しかし、結局は彼女らの子孫から男の子が生まれてしまうまで問題を先送りするだけのことだ。
弱い男性が恋愛や人間関係の中で淘汰され苦しまざるを得ない現代の構造は誰が悪いという話ではない。
それが自然の摂理、といえばそれまでだし、ほぼ全国民が見合い結婚をしていた数十年前の方が生物としてはおかしかったのかもしれない。
これは黒人の奴隷制や昭和時代の女性蔑視な法体制のように国家による責任でも、ましてや『彼らを選ばなかった女性』の責任でもないだろう。
国民に自由を与えた結果、たまたま彼らは選ばれなかっただけだ。
LGBTや黒人のように歴史的な道徳的優位性もなければ、彼らは被害者ですらないだろう。
しかし、そんな歴史の都合は本人達の苦しみとは何一つ関係ない。
100年前であれば、現代では考えられないような碌でなしの男ですら皆何も考えず結婚できていたのだろう。 労働者階級が農民中心の時代では、現代では無能扱いされる彼らも無能ではなかったのかもしれない。
もっと昔の狩猟時代であれば、生きることに必死でこんなことは考えすらしなかったのだろう。
たまたま時代と自己の存在がミスマッチしてしまった不幸な存在が現代の無能な男性なのである。
社会は自動化が進み労働環境は複雑化し続け、教育費は高騰。経済格差は今後も広がり続ける。
無能な社員を雇い続け海外からは『日本式経営』と揶揄される現代の終身雇用形態も合理性のもといつ終焉を迎えるのか誰にもわからない。
きっと無能男性に対して厳しい社会は今後も長い間続いていくのだろう。
社会が形を変え、自殺率や幸福度が更に悲惨な状態になり、無能な世界の男女格差がどれだけ広がっても、きっと彼らは被差別階級にすらなれないのだろう。
情報化によって無能な男がどんな惨めな末路を辿るのか、現代はこんなにもはっきりと知ることができてしまう。
今の世界は、無能な男が笑って胸を張って生きていけるほどまだ優しいものではない。
政治的な正しさなんて概念も、そこまで万能ではない。 『多様性』なんて甘い言葉にきっと苦しむ彼らの存在は含まれていない。
現代における政治的な正しさにおいては「どんな人間であれ恋愛や生殖の権利はあるし、か弱い彼女らがパートナーに救済され子供を持つことは何一つ間違っていない」という主張の方が圧倒的に正しいのだろう。
しかし、どんなに取り繕っても現代の自由経済・自由恋愛社会というものは性淘汰と優生思想の理のもとに機能していて、結局は彼女らの救済の物語とは性淘汰の苦しみを後世の男性にすべて押し付けているだけではないだろうか?
実の子供というのは親にとっては可愛いものだ。 それは多分、種としては出来損ないの息子であったとしてもだ。
理解ある彼くんと無能な女子との間に生まれてきた子供の存在意義を無理やりこじつけるとすれば、それはきっと弱い女性と冴えない男の人生に多少の彩りを与える愛玩動物なのであろう。
彼らの存在は、さしずめカップルが寂しさを紛らわすためにペットショップから貰ってきた去勢済みのポメラニアンと何も変わらないのだ。
悲しいことに、愛玩動物として生を全うするには人類は幾分賢すぎる。
もし今後このような物語を見たとき、少しでも思い出してほしい。
か弱い女性が『理解彼くん』に救われた明るい物語の陰には、その皺寄せにより生涯苦しみ抜かねばならない後世の男性がいるかもしれないことを。
中央署によると、久保容疑者は11日午後2時ごろ、東京都千代田区であったイベントに参加していた小学5年の女児を連れ出し、東京都中央区内のビルの一室でわいせつな行為に及んだ疑いがある。女児にけがはなかったという。
不審者情報】年配男性が遊んでる女児らに小銭を渡し「2人でジュースでも買いなさい」と声かけ事案が発生 鹿児島
https://this.kiji.is/724133119003787264
実行者の言動や状況
・下校途中の女児らに声をかけ、小銭を渡した。
・「得意な教科は何?」
・「2人でジュースでも買いなさい」
これが
アンパンマンが女児にジュースをおごるポスターが町中に貼られてそういう行為を世間が肯定していたら
https://anond.hatelabo.jp/20210120180007 の続き
こうして羅列すると本編はめっちゃ好感触でDCDはもうちょっと何とかしろよって感じだな。
本編は今のところ文句なしに面白いです。ガワが変わってもやってることはいつものアイカツ!だからすんなり受け入れられたわ。これはスタッフ陣がちゃんとやってくれたからだと思う。
シナリオは良いしキャラも可愛いで言うことがない。1話ごとに推しが増えてしまう。立ち位置が最推しと同じシオリ、ギャップが可愛すぎるルリ。ガチ勢キューピットと、今年はこの三人を推していこうと思う。っつってもどうせ全員で揃う時には箱推しとか言ってんだろうな、オタクは単純だから。もちろんハナも好きだよ。
ただ一つ本編になんか言うなら、日曜7時放送はかなりつらいよ…いや、俺は女児なんで7時起き余裕ですよ?でも周りがね?キモータしかいないので^^;
ヒープリの前にやってくれりゃいいのになんで1時間空くのがきついね…ヒープリの前ってなにやってんだ?…ってポケモンか。ポケモンなぁ…これとディズニーずらせんかったの?流石のバンダイ様もディズニーには勝てないか;;
俺やっぱりアイカツ!好きなんだな……そう感じさせる作品です。ありがとうアイカツ!ありがとうBNP。
それに比べてお前はなんだDCD!
俺はさぁ、きゃわわなマイキャラちゃんや版権キャラに自由にきゃわわなドレス着させてきゃわわなステージできゃわわに歌ってるのを見るのが好きだし、うるせぇ戦いてぇってひたすらに相手をボコボコにするのも好きなんですよ。
DCDプラネット!はコンセプト的に後者だから、前者のような楽しみ方をしたいなら音ゲー部分完璧にして高レドレシアで殴るか低レべ脳死プレイしかねーんかなぁ…両方は両立しないだろうし。
なんだろう、当然なんだが変わっちまったな。どっかの誰かが言ってた「ラブベリだと思ったらムシキングだった」がしっくりくる。
楽しいっちゃ楽しいしマイキャラちゃんが滅茶苦茶可愛くなったのは素直に感謝してるし、これまでなかった「悔しい」って気持ちを感じられることでオーディションや大会で負けて悔しい思いしてる"あいつ等"と同じ気持ちになれて嬉しいってのはある……んだけど前作までの"楽しい"とはまた違うベクトルの楽しいに少し気持ちが追い付いてないって感じだ。
多分DCDプラネット!の楽しさって、対戦ゲーとして見るならガンダムのクソゲーみたいな楽しさじゃなくてカードゲームみたいな楽しさなんじゃねぇかなって。
相手の構築に合わせてスイング選ぶ戦術が似てるっていうか、ポケモン?みたいな?
ただ、俺はカードゲームもポケモンもハマったことないのよね…人並みに手出してたけど対人戦はあんまやったことなかったし(別ゲーではバリバリやってたよ)。合ってるか分からん。
だからDCDプラネット!の本当の楽しさにまだ気付けていないだけなのかもしれない。それが分かるまでおかねを入れ続けるぜ。
ただこの対戦ゲー特有の楽しさをアイカツ!に求めていたかというと………う~んどうでしょうね。大体本編とDCDで対戦の重きが違うんだよなぁ…本編ぐらい対戦要素はあっさりさせて従来のアイカツ!の楽しさを詰めた方がいいかな~なんて思ったけどそれで8,9年戦ってきたから今更感あるかな?
それに、いつまでも昔の作品を引き合いにするのは健全か…?と。アリシアさんも言ってたじゃないですか、
「あの頃の楽しさに囚われて、今の楽しさが見えなくなっちゃもったいないもんね」
「今―――楽しいと思えることは、今が一番楽しめるのよ。だからいずれは変わっていく今を、この素敵な時間を大切に、ね」
って。俺達大事なことは全てARIAが教えてくれた勢としてもこの考えは大切にしていきたい。
今までのシリーズと差別化して展開しようとしてるんだからそこは評価せんとなぁと思いたい。本編は実際に楽しいしね(DCDのバトルが面白いとは言ってない)。
どれだけ変わろうとアイカツ!の「コーデを選んでステージに上げる楽しさ」さえ失わなければ、いいんじゃないでしょうか。
本編は最高!DCDはもうちょっと頑張れ!!これが今の俺の感想。
ゾンビは今日も元気にバンダイとBNPにお金を落とします。
せーのっ
この事件は2004年11月17日に発生した奈良小1女児殺害事件からほぼ1年が経過して発生した事件であったためか、
Xが逮捕されていない段階からワイドショーのコメンテーターを中心に「オタクによる性犯罪目的」説が喧伝されていた。
2005年11月23日のテレビ朝日『やじうまプラス』では、勝谷誠彦が犯人について
「これねかなりねぇ、心理的に見ると、まるで女児を物の様に扱ってますよね」と発言した。
保育士の待遇問題を見聞きするたびに、定められた保育料とは別に保育園が独自で収益を確保できる仕組みを構築できないのかと以前から考えている。
例えば、保育園の場所(スペース)を貸して、夕方~夜まで習い事教室を開催できないのだろうか。
東京の習い事教室は、平日の午後に実施している教室も多いが、恐らくターゲットは幼稚園児向けだろう。
保育園児の場合には、土日の習い事しか選択肢がなくなるため、少ない選択肢の中から選ぶことになり、親も土日が潰れることになる。
もし、平日17時~18時まで保育園で習い事が開催されていたら、保育料とは別に月謝を払ってでも通わせたいと考える家庭は少なくないのではないだろうか。
習い事教室と保育園の移動距離がゼロであるということは、親にとっては付き添いの負担がない上に大きな安心感もあり、他の習い事教室にはないメリットがある。
ダンス教室でも、英語教室でも、リトミックでも、保育園のスペース・用具があれば一通り何でもできるはずである。
(保育園は保育をする場で教育をする場でない云々は、提携しているだけならいいのではないだろうか?)
それから、子供を保育園に通わせていると不便に感じることは多々あるが、それらの不便さを顧客ニーズとして捉えた場合、不便さを解消する代わりに保護者からお金を徴収してもいいように思う。
一例を挙げると、手書きの連絡帳をデジタル化して、報告内容は子供の写真とそれに一言添えるような形式にすれば、保護者も保育士も負担は減るのではないだろうか。
そのシステム費用を各家庭に負担させれば、保育士の負担は減りつつ、保育園も収益を確保できると思うのである。
(手書きがいい保護者、システム料が払えない家庭は、従来通りでいい)
また、以前に男性保育士に女児のオムツ交換をして欲しくないという保護者が一定数いるということが話題になったが、その問題もそういうニーズがあるならオプション化してお金を取ればいいと思う。
そのようなことを考えていくと、保育園は収益を改善する方法はまだまだあり、保育士の待遇改善ができる余地は大いにあるような気がするのである。
恐らくは、法的な縛りなどがあり実際にそれらを実現させるのは難しいのであろうが、保育士の待遇を改善させるには、保育園の経営改善が必要であり、そのために厚生労働省が主導になって助成金ありきの経営ではない新しい保育園の経営モデルの道を示すことが求められるのではないかと、門外漢ながらに漠然と考えている。
この前先輩に最近生まれた女児の話をしていて、話の流れで「セクハラもあるんで守ってあげないといけないですね」と言った瞬間、あれ何で会社でこんなマイナスなこと言ったんだろうと不思議に思った。今まで気づいていなかった違和感があった。
家のベッドで真っ暗な天井を見ながら考えた。
そういえば男性がいると心のどこかが緊張していて常に疲れることが多かった。学校でも仕事でも何なら実家でも。
いわゆるモテるタイプじゃないから慣れてないだけなんだと思っていたけど、今までの人生を振り返ってみた。
家に隠されもしないたくさんの18禁の本や物が置いてあったこと
同級生男子に電子辞書を貸したら卑猥な言葉達が登録されて返ってきたこと
偏差値が高いはずの同級生男子達が同じように頭のいい子を苛めていたこと
夜道で大きな男の人に手を無理やり取られ撫でさすられて俺は相性がいいと思っていると言われたこと
相手との初めてのデートで至近距離で相手が背後にピッタリずっとついてきて離れなかったこと
初対面の相手に相手の好きなAVの話をされて、相手の職場で行われた下品すぎる催し物について聞かされたこと
待ち合わせした相手が待てど暮らせど場所に現れず連絡も取れなくなったこと
職場で既婚男性たちが他部署の女性の容姿を品評して「○○ちゃん」と呼んでいること ※○○は名前や苗字ではなく違う言葉
未婚女性の仕事ができる上司をあそこまで人生捨てられないという既婚男性
そんなんだから結婚できないと言ってくる客、未婚の女性を笑っている未婚の男性上司
高齢者の客によるセクハラ報告の社内報の数々 大声で罵倒してくる男性客達
確かに女性でも嘘はつくし手のひらを反してくるし、裏でひそひそ言われることも知っている。実際裏切られたこともある。
それでも職場で女性しかいない場面は何も思わないし、ニュートラルな状態でいる。男性のことを信用できなかったのは自分のせいでもあり、今までの経験もあったんだな。職場で仕事の問題を話し合うときになぜか女性にはそうじゃないのに男性相手によりマウントをとろうとしてしまうのは下に見られたくないという意識が過剰に働いていたから。今まで好意を伝えてくれた人もいたけど、疑いに疑いを重ねて自分が疲れてしまって続かなかったんだということを今更にして気づく。結婚した友人の事を今までよりも信用できなくなっていたのは、結婚できない僻みかと自分で思っていた。それもあるだろうけど、ただ正確に言うと少しずれていてなんというか悪の組織に引き込まれた元仲間みたいな意識になっていたんだと思う。じゃあLGBTはどうなんだみたいな話になると、今まで会ったことがないからわからない。今の自分の中での線引き、緊張するかどうかは生理学的な雄・雌で分けられていると思う。
自分が感じたマイナスより大きなプラスの要素を男性に見いだせないから今なんだと思う。職場での違和感の理由もわかったことだし、これからは…どうしようか。あんなに職場では女性の容姿とかゲスいことを散々言っている人たちが女児の父親達ということがなんとなく解せないがまあそれは他人の人生だからそっとしておこう。
芸能人で応援している男性アイドルもいるし、何ならテレビの前ではしゃいでるし、職場で尊敬している男性上司はいるし、今後自分自身たぶんいつか結婚したいと思う…たぶん、いややっぱりわからない。どういう人を選んで、どういう人なら信じてもいいかわからない。
どこか矛盾している。
男性が嫌いなわけじゃない。うまく言えない。あまり直視せずにここまで来たから拗らせてしまった。小さいころの自分ごめんよ。小さい頃の嫌だった、傷ついたであろう気持ちを大事にしてもう少しはやめにケアしてあげればよかった。兄弟、なんで私のことを触ったの?今でもわからない。もう昔の事は忘れてる?私も忘れてると思ってる?親や誰かに言えると思うか。言えるわけもない。今まで取り繕ってちゃんと兄弟関係を保ってきた私の苦労がわかるか。職場で同僚男性が結婚や容姿や子供の時のことを言う度に、友人が子供や結婚や彼氏のことを言う度に、明確に思い出すわけじゃなくて無意識に昔から今までの嫌な気持ちが揺り戻されていて緊張したり疲れたりするんだと思う。
その通りと思うが実際にならない理由は戦後発展の共同体任務なく生活できる解放感の体感価値が高すぎと人身御供の儀式の意義と必要性義が喪失しているので継続的に慣習を維持できないところかと。
前提として
金があればみんな黙るともあるがそんなのは当たり前で金がないから文句をいう始末。文句を言うだけならいいけど金がないのを理由に感染を広めているのだから金がないなら感染させていいという感覚より金がないけど感染させたら死ぬからどうしたらいいの≒死んでということを暗に理解をするべきところ。
人間一人が生活できなくなることが問題だから社会で生活する10人なり100人なりに感染させてそれらに活動を停止させるリスクを背負わせる事のほうが倫理的でそれが社会の共同体、助けあいってもんだろというのならそうだろうけど、感染を拡大させるようなやつをどうすべきかははっきりいってやってほしい。
病院の受け入れがどうのということにもなるだろうけどそれいまさらいってもそういう金をもらえたら休むけどという人がさきに入り詰めてもうあふれてるわけなのだから第二陣以降は金がなくなって死ぬなら死ぬしかない。
全員に回らなかった金も人数が少なくなれば少しばかり出せるようにもなるかもしれない。
まずその団体への貢献が必要という思想が海外の宗教徹底からくるそれとは大きく異なるし、個別に分断されることがどれだけ個人にとっては楽しくメリットがあるかという甘い汁は依存性の高い麻薬のようなもの。
しがらみや血縁のストレスからいったん解放されたものはもう団体に属すのは金をつくるためだけの疑似人格がやっていることで本当の自分は仕事以外の時間にいるしむしろ死んだら自分が支配する側(されるのはどれだけ嫌がっていたのか記憶していないのか)になりたいと言い出す始末。
個人が村から追い出すのはその行動の残酷性が楽しくしかも団体が責任と批判を肩代わりしていくれるので、自分は意見を言っただけといえるのでおそらく陰口私刑は多く行われる可能性は高い。
村の存亡をかけた使命感から悪役を買って出るなんていう人間はまずいないだろう。
そうすると観測点から匿名で行動する者が増えるだけで、それらを逃れた潜在的な問題は浮上するまで目につかないところでリスクを増大させることになる。
具体的に人物ないしは役職がそれらをくまなく取り上げ批判する団体行動が必要になる。
その批判側の団体ですら属することができない人間が単発で提示された情報に食いついて扇動した人間の意図どおり攻撃する以外できない。
直線方向にしか飛ばない火をつけたら飛んでいく兵器と同じである。たしかに有用ではある。だがお祭りのように直上に放って炸裂するのを見て楽しむ風流ものではない。
その使いどころの微妙な要素を具体的に結果を望む方向にあわせ必要なタイミングを待ち効果的な配置で使う指導者やその命令が直接伝達されなかった場合に独自の判断で行動するための指針が必要になる。
団体を形成した時点でルールや定義はある程度理解をしているだろうしさせられることもある。それに従えばよいのだが局面としてその指示を得られず単独で判断を必要とする場面がくる。
それは個が団体の一員として行動をする瞬間そのものでもあるし、行動作戦中でもあるだろう。
確実に団体へ有益な結果を出すべく個人行動をするときに考えるのがリーダーの名前であったり家族の名前であったりすると、固定的に帰着する必要性の対価がある。
自分の命が、何と交換されるのかという式において、神に返す天皇万歳、残された家族にコミュニティから手厚い補償があるはずだという信念、それらを抱くための偶像が必要になる。
自分の大切なものは自分で考えろと、個に浸りきった考えでは至るだろうけれども自分で考えた主神に祈ってその効果が期待できるだろうか。
ぼくがかんがえたさいきょうのあんぱんまん、というメモを胸にそのさいきょうのあんぱんまんが家族を救ったりコミュニティを守ったりすることを妄想しながら自分は死ねると覚悟ができるだろうか。
できる人間はいるだろうしそれはもうこの話の指摘に含まれるほど大多数ではないので、イケるなら個人で逝っておいてほしい。
天皇や親鸞やキリストやあこがれの先輩や王なり首相なり、その名前に少しでも威厳を感じたりそれらに自分は損害を払っても貢献したいと考えるそれが必要になる。
その自分がポリシーとしている事についてなにをすべきで何がすべきでないか、自分の人生を形成しているそれともいえる対象のサブストーリーを考えれば自身の成すべき行動も必然的に選択されるはず。
従っている上位存在についてそれらが怒らず喜び、受けつけ歓迎されて失望されず見放されない、すでに周知されているはずのそれらについて自分の可能な行動が選択できるようになる。
短期的に前例のない突発事項へそれを行使するためには、単発的な神が必要。その神というのが人身御供、実際に最初に目的のために死んだ人間をつくることでその意思を複製し行動することに意義を感じ忘れず方向性を個別に同じ方向へ維持できるようになる。
かつて女児がそれを担っていたのは村で一番価値のある生命といえば生命を生み出すことができる女性であり若くてだれからも愛でられる人の子であればまさにそれである。
その無念を晴らすという感情や、無駄にしない行動を慎重にとるという基礎行動ができる。
この団体行動のデメリットの不快感が現在手に入れている個の解放感に比べ非常に大きいのと、継続的に意思を維持できない偶像の消耗具合がそれらを成功に導かないと想像される。
問題点を具体的にあげてダメだというだけであればただのネット論客()と同じなので、これらを現代に差し替えられる提案を一つしたい。
私個人が挙げる候補としての一つなので、人の数だけ提案はあるだろうしそのうち成功できる策もあるだろう。
個の魅力は無限である。部屋に閉じこもって生きてさえいれたらそれだけでいいという人間すらいる。絶望とはなにかを問う事すらできない。
永遠の命に魅力を感じるという人間はみなこの性質があるだろう。
生きていけないという条件に個を追いやると、全部の個がそれに当たってしまいコミュニティの維持が出来なくなるのは必至。
生かしたまま、とそれだけで個のメリットを充分に満たすのでそれ以上のが必要なくなる。まさに生きる無駄となる。
オンラインゲームですらメリットしかないはずなのにコミュニケーションの不和から天国で殺し合う結果になる人間。
言語による意思伝達しかもたないのでそれに変換できる行動理解でしか他人を理解できないため齟齬がおきる。
ならばコミュニケーションを団体が代行し個人は完全に個のままで行動できるように形成する。
国家の国民管理方法をオーバーライドして氏名や住所や身体そのものという動員をもって行動をしたりするだろうそれを完全に匿名にする。
そして団体の行動は個で行いその集積は団体で行う。個人間のコミュニケーションは無し。メリットの変換は個人の特定されないもの。
現金などを団体から個人に平等に。コミュニティの貢献が実質自分の手取りになり上下や不平等貢献度の差など感知されないようにする。
個と個のリレーを行う仕組みをネットや端末で補うことで可能なはず。
構成員同士が顔を合わせる可能性をあらかじめ禁じた方向で維持をする。
手段が分散しては即時完全に意味を無くすので唯一無二の連絡方法をもってその団体とするのであれば可能だと考える。これが団体行動への一案。
人身御供については実際に志村けんが第一波でなったそれだと考えるが維持性能としてはそれを継続的に支える母体がなかったため消滅したと思われる。
志村けん財団やファンクラブなんてものが存在しそれがコロナによる死を無駄にしないという提言をしていれば、また志村けんをふたたび殺すなと行動ができるはず。
支持を継続できる人物、あまり深く知られていないが表面上愛されて価値があるそれ、アイドルなりを掲げればと思うが実際に人間がそうなる意義をもはや失っている現在効果は期待できない。
ならばアニメや漫画、Vtuberのようなものを人身御供にするのはどうだろうか。
あのアニメがもう10年前、15年前、20年前のものだったと世代差に驚くトゥギャッターがときどき浮上するそれを掲げるのだ。
しかし実際に葬儀を行われたアニメキャラや数多くのキャンペーンに使われたものたちもなんら方向性を代弁したり団結する意思の基礎とはなっていない前例から難しいだろう。
では継続的に伝承となっているキャラクタの特性を利用するのはどうだろうか。
平将門、アーサー王、ゼウス、サタン、定番とされているような名前以外なにもよくわかっていないのになにかしらの方向性を決定するのに大きな推進力となる現在に存在していない人型のものの名前は多くある。
なぜ名前だけしか存在しないのにそれだけ利用されているのか、それは支持層があるから。実際にそれが存在しているという文章や建築物、そこに人を集める方法があり公知されるしくみがある。
これらを象徴とすることで行動の指針とできるしそれを語るだけで人を説得することができる。モニュメントの意義とはこれだ。
ガンダムを実在させたというアトラクションもあった。何かはわからないけれども炭治郎というのもなんとかの呼吸をしていた。
これらを維持継続させるオブジェを存在させるか、支持する団体を存在させればその認知度がすなわち行動指針への再利用価値としての生贄になりえるのではないか。
ガンダムや鬼滅、アイドルといえば何か、現在結果からみてそれらの共通点といえば「ごり押し」だろう。
ごり押しの失敗例としては剛力彩芽があるだろうけれどもあれは個人だったので好き嫌いが別れて分断することは当然であった。
ポスト和田アキ子みたいなものを企画側が創造できることを実証したかったのかもしれないが結果失敗に終わっている。
では団体にしてしまってどれがどの顔なのかもわからないような女子集団にすればどうか。これは成功している。
毎年もっともよい状態の女子を人としての情報が出てこない間に使う。無料で配布することの威力はK-POPが示している。
無料配布で素材利用ができる一定量の女子団体を形成して順番にコロナで消滅させていけば、全員が息絶えるそれまでのドラマを行動に使えるのではないか。
攻勢に予防をするためのキャンペーンキャラクタでもよいし、感染して死んでいくキャラクタでもそれは運営の手腕による。
それ以外の選択肢を無くして動員を図ると自然と動員は成される。他にないから行かないとならないのは実証済みである。
収益について関係各位が綿密に分配を算段する必要があるだろうけれども、その収益活動が金銭とそれをさらに継続的に生み出す人の命も救うのだと思って計画が成されたらというのが一案。
いらすとやのようなフリー素材として使える期間限定アイドルグループ、コロナで私刑を容認する村社会アイドルを全国デビューというわけだ。
これが現実的でない理由を二次創作かさねていだく必要はない。実際に存在していないしこれからも存在しないだろう。
存在していないものについてさまざまに論じていただく「だまされておどけた姿を晒してそれにより本題がいかに愚かしいか」という恥ずかしい踊りをしていただく必要はないのだ。
案があればそれを出してそれをもってこの案を否定していただいたらよい。
取り組むべきではないと考えるそれならば、口をつぐんでおくのが得策であろう。
なんでリズムゲームとバトルゲームどっちも採用したんだろうね?
いや、リズムとバトルで8:2とかの凝り方ならまだわかるけど、
なんか半端に5:5にしちゃって結局どっちも箸にも棒にもかからん…みたいになってる
リズムの方はタップして終わり、後ろのキャラクターの動きも大して凝ってるわけではないし、
曲だって「なんでもよくない?」みたいな曲。どうせならででにーとかの曲を使えるようにするとか、
5章でやったテーマみたいなのを声優さんとかに歌ってもらったりしたらよかったんちゃうの?
そんな簡単なことでもないとは思うけど
バトルのほうは半分運ゲーやし、育成してれば勝てますよ、みたいな
スキルとかほんまに「これってあって意味あるんです?」みたいなお飾りのようなものだし
ようはこっちが選択できる行動がない
キャラクターの授業中の言動とかがレベルとかグルーヴィー前後とか一緒に授業受けてるキャラの
組み合わせで変わるとかしてくれればまだよかったのかもしれんね
飽きもなかなか来ないかもしれないし
ていうか授業をリズムゲームにして報酬を育成アイテムにしたらよかったんちゃう????
なんで授業って別枠作った??????????????????
そんでゲームシステム自体に対して魅力というかゲーム性がないならストーリーとかキャラクターで楽しめればいいやん、
そう思ってた時期が私にもあったけどいかんせんメインストーリーの更新がおっっっっっっっっっっそいのなんの。
しかも遅いうえになんか……キャラクターの登場回数とか扱いが……目に見えて……こう……みたいな
Twitterでもばずってたりするけど、まだメイン更新来てないキャラ推しが離れていきつつあるって地獄が生まれててほんとに笑える
キャラのひいきがあるとかないとかは知らんけど、公式設定資料集のページの割かれ方があからさまに違ったのは笑った
そりゃひいきとも言われますわ。それは作者の権利だから好きにすればいいと思うけど、会社としては「へたくそやな~」としか思わん
キャラゲーで売るなら、キャラクターをさ、しっかり掘り下げたりさ、ボイス増やしたりさ、新規の低レア出すとかさ、そういうことをすれば離れていった
ファンも戻るんだろうなって思うけど、出てくるのはなんかよくわからん女児向けのコスメみたいなグッズばっかやん????
フィギュア出しても結局不信感ある層からは「クオリティが違いすぎる……」みたいな声も続々上がるし。
もう何やっても火が上がる界隈になってる気はするな。新鮮な火種がゴロゴロ転がってる。
この状況下で二次創作続けてる人ってすごいなって思う
なんなら8割幻覚やんって
それにしたってすごい
男児はよく泣くしよく暴れる。
また、男児は身体能力は女児に勝る場合が多いのに対して、精神面の発達は女児より遅い傾向があるので、言い聞かせによって行動を抑制させづらい。よって走り回ったり暴れたりする男児を止めるには力で抑制しなければならないので、女親の手には余るということになりがち。