はてなキーワード: 土俵とは
普段良いことばかりが強調されているので、日本で人気の仮想通貨について辛口評価しておきます。
あくまで個人的な評価となりますので、情報に誤りがある場合もありますのでご了承ください。
仮想通貨の中では一番まともだと思われているが、そもそも仮想通貨自体がまだまだ非常に不安定なものである。ビットコインは手数料の高騰や送金の遅延、ハードフォークによる混乱などを経験したものの、実は根本的には解決されておらず潜在的に問題を抱えていることを意識すべき。日本のビットコインコミニティは歴史が比較的長く、他の通貨コミニティに比べてまともな議論が行われているが、評論家のような人が多く開発者があまり目立っていないのが残念なところ。
Bitcoin Cash
ビットコインと比べて、現実的な方法で送金の問題を解決しようという挑戦は価値があるように思う。しかし、ビットコインと同じアルゴリズムを使っている以上は価格の下落による改ざんのリスクが顕在化する恐れがある。(もちろんビットコインも同じリスクがある)。日本のキャッシュコミニティは歴史が浅いこともあり、技術的な話には弱い印象があるが、それに気づかず情報が共有されているのは残念である。
システムとしてはある程度完成されているように見え良いもののように見える。しかしXRPに価値をつけようと言う最近の試みについては、自分の中のあらゆる解釈を用いても理解することはできない。
日本のリップルコミニティはほとんどが投資家であり、その議論にはあまり意味がないように思える。
Ethereum
あらゆる非中央集権的なプログラムを扱うチェーンになるのではないかとかなりの期待を寄せられているが、自分は懐疑的に見ている。現在チェーンは肥大化を続けており、現実的には複数のアプリケーションを扱えるようになるのか疑問だ。サイドチェーンなどいろいろな補助的な提案や開発が行われているが、理論通りに進むと考えるのは楽観的だと考えている。それらの開発が停止したり失敗した場合にはEthereumのチェーンの魅力は失われてしまう恐れがある。
日本のイーサリムコミニティはかなりの強者が集まっているように思えるが、難しすぎて自分が理解できていないので実際のところはよくわかっていない。
独自のシステムを持っており仮想通貨の多様性という観点でそこは評価できる。しかし、財団、開発者、初期に大量のプレマインを受け取った人の関係性が不透明な状況でXEMを売り出しているのは不健全である。また重要な部分のソースコードが非公開のため、NEMのあらゆる機能が正当なものなのか確かめるすべがない。ソースコードが公開されて初めて他の仮想通貨と同じ土俵に立つことができる。
日本のネムコミニティはクリエイティブな雰囲気があるが、客観視できる人が少なくて怖い。
チェーン自体には優位性を感じない。しかし周辺サービスは意外にも比較的発展していて小規模ながらも仮想通貨らしい経済圏を作っているのは評価できる。先日チェーンに対する攻撃が実際に成功し、ある程度対策がとられた現在であっても上記の仮想通貨に比べ攻撃のリスクがある。
日本のコミニティは意外にもビットコインと同程度の歴史を持っており技術などはよく知っているみたいだが、普段は関係ないことばかり話してるのであまり参考にならない。
ネガティブなことばかり書きましたが、これらは発展の途上なので今後解消されることもあるかと思います。また、デメリットがあったとしてもメリットの部分をうまく活用することは可能だと思います。
これド正論だよな。
同世代のほとんど全員が気づいたら参加さしてる超大規模レースに勝って、上位0.3%に入るような凄いことやってのけたのに、何が悲しくてサラリーマンやらなきゃいけないんだよ。
まるでサッカーで言うところのバルセロナみたいにネット民がことさら神格化してる三菱商事ですら、小樽商科とか滋賀大とか関西学院卒の総合職社員がゴロゴロいるんだぞ?
こんなん東大生からしたら「はい、東大合格おめでとー。というわけで就活ではまたガラガラポンで競争スタートね♪」って言われてるようなもん。
上位0.3%の偉業が価値を毀損せずにそのまま活き続けるなんてことはまず「就活」ではありえない。
土俵に立った瞬間、今までの苦労が水の泡と言っても全然言いすぎじゃない。
そんなら東大の看板引っさげてタレントでも目指したほうが全然割がいい。たとえ、クイズ番組で消費されるような三流が関の山であろうとも。
お前らは馬鹿にするけどタレントは価値が高い。サラリーマンと比較したら天皇とホームレスくらい違う。三流タレントでも県議会議員くらいには余裕でなれる。上位0.3%にふさわしい。少なくともサラリーマンなんかよりも。
だから、東大人脈と東大ブランドを活かすことを考えながら起業した堀江貴文は戦略的に正しい。
「東大!?凄いな!!」っていうので上位0.3%にふさわしい社会的地位までワープしやすい仕事を目指す、これなら損をしない。
いつだって我慢してきた。復讐なんてするつもりもない。わたしはあの人と同じ土俵に立たない。
そう思って終わらせたし、普段思い出しもしないけれど、赤ちゃんができたと聞いてつい願ってしまう。
いつか、きっと、高みから見下ろしてあざ笑える日が来ますように。
まあ、ハートの強さが違うから、そんな日は来ないだろうけれど。
人にしたことは自分に返ってくるなんて、嘘っぱちのきれいごとだと思うけれど、わたしの家族を壊したあなたが幸せになれるなんておかしいと思う。
人の不幸を願ったら、それもわたしに返ってくるのだろうか。
それでも、あの人が不幸になるのならわたしも不幸になってかまわない。
さっさと忘れられたらいいのに
※以下の文章を書いた人間は、2018年の夏のある日、何者かに連行されて戻ってきませんでした。多分どこかの留置所で鼠に囲まれて暮らしているんだとおもいます。
オリンピックを2年後に控えた平成最後の夏を送りながら、なぜオリンピックに向けて気持ちが盛り上がらないかをつらつらと考える。
こういった大きなイベントに無邪気に期待を寄せられなくなってしまった原因のひとつは、純粋にイベントの本旨を楽しめなくなったためだ。オリンピックはその事前準備で、政治的な思惑に翻弄されまくりすぎた。復興五輪だと言い出したのは誰だったか、今となっては定かではない。復興に手を貸してくれた世界に復興の状態を知ってもらう、興味を持ってもらうということ自体は素晴らしい。しかし、例えば小池百合子氏の、長沼ボート場を巡る一連の経緯を見ると、うんざりしてしまうのだ。
頭の黒い鼠とは何かを調べると、こんなのが出てくる。インターネットは便利だ。
曰く、食物などをかすめ取る身近な人をネズミにたとえた語、物がなくなった時に、身近にいる人間が盗んだのだろうということを暗にいう言葉だという。
都民は失った。オリンピックの時に輸送を担う大動脈となりうるはずだった環状二号線の輸送能力とか、元から安全性には問題がなかった豊洲ブランドの安全イメージとか、年間200億円に上る市場移転延期経費とかを。そして何より、もっと健全な都政というサービスを受けられるはずだった2年間を。怪我の功名的に交政審の優先して整備されるべき6路線が整備されることになったのは皮肉だ(こんなのいままでだったら都が基金を積み立てるなんてあり得なかったが、彼の方が手柄を焦ったがために成立したように見える。早速8号線に江東区が食いついているし)。
そろそろ都民は気がついていいと思う。ていうか気がついているか。
オリンピック施設の見直しや、豊洲の市場の移転の一連で「支持率」とか「イニシアティブ」とか「期待感」とかっていう名前の”利権”をむさぼっていたのは誰なのか。そしてむさぼり尽くした挙げ句に後に残った膨大な敗戦処理をひっそりやり過ごそうとしているのは誰なのか。見せ方だけで国政に打って出ようとし、あまつさえ自民党の寝首すらかこうとし、さすがにそれはけっちんを食らって以来イメージカラーと称する緑を封印し、ギトギトしたイメージを払拭することに必死で、2020年に再選を狙っているのは誰か。
これの1:48からの顔面演技がとても好きで、シニカルな笑いをウィスキーの肴にしている。
こういう顔面芸でコトを進めるのではない、重厚で落ち着いた人が知事にならないだろうか。都道府県の政策遂行こそ、地に足の着いた住民本位のものであって欲しい。そういうのを見て国政が襟を正すくらいの、粛々とした都政運営であって欲しい。
そういうファンダメンタルな部分がしっかりしていて初めて、都民はオリンピックに無邪気に期待できたりするのではないだろうか。
小池氏の政策の特徴のひとつはイメージ戦略が幅をきかせることである。イメージ戦略も、確かに重要だろう。しかし小池氏のはイメージ「だけ」戦略ではないかと首をかしげるものが多い。ボランティアのユニフォームがダサいからもっと格好良くします、とか、&Tokyoは意味わからないのでTokyoTokyoOldmeetsNewにします、とかは、舛添前知事のカラーを消し去るためとしか意義が見いだせない。実際、ダサいといわれるボランティアのユニフォームは新デザインと併用で継続使用しているし、TokyoTokyoについては意味不明度合いでいうと&Tokyoとどっこいである。首都大学東京については石原慎太郎のネーミングセンスが悪いのはわかるが、それを変えろと言い始める時点で同じ土俵に乗った愚策になるという感覚がない。というか前の知事がやったことの色消しに躍起になるところが、そういうレベルで勝負していることが透けて見えて、心胆を寒からしめるのである。前政権の政策の否定はトランプ大統領の十八番だが、あちらは内容に賛否があるとはいえ公約の実施である。翻ってこちらは実施の意味がよくわからない。東京さくらトラム?都電荒川線で良かろう。そんなものに一体、いくら予算を割くつもりか。
小池氏が展開するイメージ戦略で個人的に最悪だと思っているのは、氏自らを指して女子呼ばわりすることである。首都のトップに君臨する首長が自らを指して女子呼ばわりとは、悪い夢である。一回ジェーン・スーに3時間くらいぶっ続けて説教されるといいと思う。そしてそれを氏のお好きなニコニコ動画で流してみればいいのではないか。自民党に代表される旧弊にいじめられ、ガラスの天井に阻まれるかわいそうな、しかしそれに負けない女子、小池百合子66歳。サリーちゃんやメーテルのコスプレもしちゃう(これについては、体制側がカウンターカルチャーにすり寄るナンセンスを指摘したいが、本旨からそれるのでやめる)。
強権発動して見せしめに部下や先達の粛正をするあたり、独裁者のよくあるスタイルである。どうせ強権を発動するのであれば、今時の民主主義的なやり方では速成が無理な都市改造を広域にするのが良かろう。狭域でデベロッパーがどや顔して整備する拠点開発に蹂躙される東京ではなく、広域で東京都ならではで推進できる内容を実施してみるのはいかがか。独裁者がトップに立ってきれいになるのは街並みと軍服くらいしかないのだから。でも小池氏は多分、しない。そこまで腰の据わった政策論を持っていないのだから。だって鼠だし。コスプレが好きな氏のこと、ミッキーマウスになれば見栄えも受け入れられやすいかも。あ、女子だからミニーマウスか。
遂にはキャラクターソングとか歌いだしたぞ。
しかしなあ、ついに来る所まで来たと思うわ。
今まではYoutube上で地下アイドルみたいな事やってる連中だったけど、今はもう地下アイドルが主戦場にYoutube選んでるようなもんじゃん。
こうなると辛いぞ。
狭い世界に籠もっていた頃と違って今あるあらゆるコンテンツがライバルになるし、真っ先に戦う相手は有象無象のアイドル達になる。
テレビのバラエティとか、芸能人のトークショーとか、そういうのを真似るたびに尖った部分が丸くなっていき、そのトンガリによって届かせていたニッチな空間へのリーチが弱っていくんだぞ。
生き急ぎすぎると衰退が始まるぞ。
ああいう奴らはちょっと昔にあった「女性は土俵から降りてください」っていった相撲関係者と考えが同じだよ。
その2才児に飴をあげた人のツイートさかのぼったら「女性は土俵から降りてくださいなんてひどい!」って言ってたら思いっきり指摘してやれ。
“あの夏”、から一年。唐突ですが、どういう思いを抱いて彼らを応援しているのか、を自分語りとして綴ることにします。(お友達は一部既出ですが・・自分なりに整理をしました)いろんな巡り合わせだったり偶然を運命を呼ぶことにしたわたしは、森田美勇人(Love-tune/Travis Japan)出の美勇人担なのだな、と思います。
2016年出会いの春、それはLove-tuneが結成された季節です。少クラやガムシャラ、そして兄ガチャに嵐バック。2014年頃からあらちかを筆頭に、まがいなりにもTravis Japanを意識していた人間としては、みゅうとくんが公式にグループを兼任することも、顕嵐くんがいつのまにかそこでマイクを持っていたことも、待って待って…と思うばかりだった。
だけど顕嵐くんが、輝くべき場所で輝けるのならそれは素敵だよとなぜか腑に落ちていて。目線を合わせずに背中を委ねる宮近くんとはもう長い付き合いだったこと、骨折しながら青山劇場に通ってTravis Japanで居てくれたこと、「やっとA・RA・SHIを歌えました」と言ってくれたこと、グループの顔として存在しようとしてくれたこと。だいすきな顕嵐くんがいくつもあるけれど、アイドル“阿部顕嵐”としての最善の道を邁進しようとする生き様が、彼らしいなんてふうに思った。“あらちか”が隣同士でなくなってしまうのにはどこかズキッとして、終わりを迎える日を「宮近ももってけドロボー!」なんてまだまだ傷心を誤魔化すように、それっぽく野次をとばしてみたりした。2016年を振り返る際に、意思を持ってトラジャへ合いの手を入れる顕嵐くんが瞬間咎められる姿に、心のめそめそは止まらなかったけれど、それぞれのファンとの関係を大事にする彼らの優しさだったんだろうなあ、と思う。(銀河劇場でコンテを狂舞する顕嵐くんを、博品館でShall we dance?する宮近くんを、同時に観れちゃうんだ あらちかはず〜っとドリームだよ!)
そんな事実が対比として、8人になったTravis Japanを引っ張ろうとさらに踊りだしたみんなのみゅうとくんに、どうしてもTravis Japanでいてほしくて、青山劇場とさよならをして終わりかにみえたTravis Japanが、兄組・弟組別から改めてグループとして動きだしたTravis Japanに、そのままのグループでいてほしくて、そんな勝手な願掛けでブーメランな呪いをかけはじめた。
両方の登場場面で現れた出ずっぱりな少クラの美勇人くん、嵐についたら翌日はえびバック、ドリボに出たら幕間で稽古、次はえび座で…、DIGITAL BOYSのセンターで笑って、アイランドゲストガチャも最もバック選抜される名実休みのなかった美勇人くん。木星から金星へ、その場でジャケットを羽織ってTravis JapanからLove-tuneへ変幻する美勇人くんにハートは奪われたし、仮面ライダーって実在するんだ、と思った。精神的な切迫を考え出すとキリがなかったのに、呼ばれるうちが華、なんてやっとのお休みもダンス留学なんてしちゃう。誰よりアイドルをして、歌って奏でて踊りまくる美勇人くんがいて、もう充分すぎるほど君を見つめていたし、たくさんの衣装を着まわす姿を思わず数え「今はどっち?」と離れて行きそうな彼への、典型的な重い女な執着心を抱き“リア恋枠”を称したのは、心の奥底でこうなる「いつか」を恐れて、1mmも責任や傷を負わないよう距離を図っていたのだろう。「いつか」来る「いつか」を知ってしまったとき、自分を最大限傷つけないよう「担当」と呼ばない逃げ道に立って、大好きなのにすべてを100%に応援できない、身勝手な自分を肯定していた。それでも、2つの顔を邁進する美勇人くんのやさしさや強さが憎いくらい眩しくって憎むことなんて滅相もなくて、ほんとうはずっと、「いってきます」を言うと「いってらっしゃい」を「ただいま」に「おかえり」を返してくれる、Love-tuneというTravis Japanという君だけの特等席はあたたかすぎるほど輝きに満ちていたのに。
2017年ジャニーズJr.祭り、会いにいったTravis Japanは7人になっていた。アイランドで氷のような張り詰めた美麗さを纏った宮近くんはだからだったと合点してしまうことが切なくて、“兄組”という4人の青春が尊大だったし、僅か数ヶ月前「やる気スイッチは Travis Japan」だとメンバーの顔を振り返っては破顔するキングオブTravis Japanな最年長が、今「なんで?」とついつい息巻いた。それでも彼は過去を否定することなく夢を夢のままにせず歩みだしたし、親友たちは今でも存在をたくさん生かしてくれるのに、今も昔も変わらず己を武器にするところ本当に拡輝でヒロキだね〜。舞台の上で、今も踊る姿を演じる姿を大きな笑顔をみつけられること、希望でしかないよ。
他ユニットと肩を並べたこのステージで、魅せようと一体に燃え盛るTravis Japanは7人でも最高に情熱的だった。唯一オリ曲を持っていないのが切なくて虚しくてたまらなかったけれど、「本物のアーティスト」になるべく温存された玉虫衣装を纏ってソークレ・スパノバを踊る彼らのため心臓は動いたし、『山の手線外回り』を選曲して、大阪では2番の「御堂筋線」を歌う姿はなんの誇張もなく天才的で愛くるしかった。
Love-tuneでありTravis Japanである森田美勇人は、キレッキレのNaFで世界観に引き込んだと思ったら、マスピではセンターをぶっちぎって腰を回すし、パリマニで花道を闊歩してCha-Cha-Chaで低音ラップする人一倍な出演に膝から崩れ落ちてしまう。そんなふうにTravis Japanへの信奉と美勇人くんへの好きが目の前に打ち寄せる。ついつい神経質になる私を宥めるかのように、トラジャのジャケットのうえにらぶのジャケットを羽織ったり、らぶのジャケットのうえにトラジャのそれを羽織ったり、同じくらいの交互にする美勇人くんはとてもやさしくて。横アリラスト開演前、早売りとして流れてきた「どちらも100%」「最後の一人になってもTravis Japan」の言葉と、そう言ってくれた事実、今となっては真偽は分からないけれど、心のやらかいところお陰で君に染まっていて、ただ単純に嬉しくて愛しくて天日干ししたお布団みたいにあったかかった。
「ジャニーズJr.なのに」と卑下せず、「ジャニーズJr.だから」努力を選んだ。ベースもラップもダンスも、誰よりカッコいい美勇人くん。両グループのまんなかを歩いては、どちらでも0番になれた美勇人くん。ほんとうに最後まで、どちらも100%だった、美勇人くん。衣装を変える度、曲が変わる度、変身する美勇人くんは、ほんとうのみんなのスーパーヒーローで、仮面ライダーだった。ジャニーズ銀座では、森田美勇人(Love-tune)と森田美勇人(Travis Japan)のフォトセットが別々に発売されたこと。グレちゃってたくせに、「もりたさんきょうだいでまわしてる」なんてひらがなで言うこと。出演公演数を知っても、昔の方が、なんて何食わない顔をすること。トラジャを引っ張って、らぶを底上げして、全部を抱きながらアイドルで居てくれて、本当にほんとうに凄い美勇人くん。トラジャが冬の帝劇に呼ばれたこと、ついにオリジナルの衣装やオリジナルの曲をもらったこと。多分、あと寸前のところで、影に覆われてしまわなかったのは、舞台班だったはずが、毎週の少クラにコンサートに、やっとおんなじ土俵に立てたのは、美勇人くんが、Love-tuneでTravis Japanでいてくれたおかげなのかな、と。そういう、守り抜き方をしてくれたんだ、と思いたくて。美化しすぎだと怒られてしまいそうだけど、もう大丈夫なところまで、守ってくれたんだ、と思えて。
あの夏、つまりはキントレトラジャ単独公演。美勇人くんのために悪戯っ子みたいに踊った弟組、美勇人くんのために揺れる最後の“白”、涙を包み隠すような如恵留くんの『時を刻もう』。雨が降り続けた六本木で、“今さら「なんで?」ってなんて言わないよ”なんて、まさになしめちゃんの『雨』。「最後はこれしかないだろー!」なSupernova。“明日になれば全てが嘘だとしても i wanna rock your world” 。泣いちゃった宮近くんと、「そのままでいてくれーー!」なうみちゃん。あんなに泣きじゃくったのは最初で最後の夜だったし、すべてのエネルギーが注がれた救世主は、それでも逞しく踊り続けるから、強くて儚くてそして美しかった。「お仕事がんばって!」と笑っていうアイドルないつも通りすぎる美勇人くんは6人へ拍手をしたし、体力の限界まで踊りきるTravis Japanはただ格好よくて前しか向いていない、宇宙で一番熱いグループだった。6人の『夢のハリウッド』をお披露目したのに「オリジナル曲」と言わず、命の限り7人だったジャニーズJr.アイドル・森田美勇人くんとTravis Japanと“あの夏”、がずるすぎるくらいに愛しくて愛しくて大大だーいすきなんだ!『夢のハリウッド』は間違いなく、7人のTravis Japanが掴み取った曲だったし、今も7人のための曲だね。
翌日からの、Love-tune・Travis Japan合同公演に当たり前のように森田美勇人(Love-tune/Travis Japan)でいたことが当たり前だけどカッコよすぎて、やり抜いたオーラスのCan do! Can go!でEXシアターを一周する姿は、やっぱりファンのためにしか生きていなかった。帰路にて不意に、「あっちの立場じゃなくてよかった」と聞こえてしまったことが悲しくて、そしてひどく羨ましかった。嫌いになれればどんなに楽か、なんて思ってしまうけれど、みゅうとくんは最後の最後まで一途に筋を通し続けちゃうから、誰よりファンのためのそんな生き方だから、嫌いになれるわけなんてないよ〜〜。
立ち会うことになった『Love-tune Live 2017』、後ろのカッコの中身が減ってしまってもキラキラに輝いて「好きなんだよ」「泣かないで」と恋させてくれる罪なアイドル・森田美勇人くんが、たしかに泣けるくらい好きだった。デザインしたネイビーとホワイトのTシャツを、半分ずつに繋いで着こなすみゅうとくんは、誰のことも置いていかない100%アイドルでさー!
Love-tuneは、完璧すぎるからずるい。熱を呼応させる高い求心力も、まんなかで指揮する最小最年長を含め、もはや二次元的バランスな個性も、魂から魂へ奏でる音色も。なのに努力できる才能、幸せを作る力と信念と、思わず恋する運命共同体な笑顔。バンドだけじゃないダンスだけじゃない、7人じゃなきゃLove-tuneじゃないLove-tuneに、ときめかないわけがないし、勝ち負けではないと言いながら私自身が完敗だった。出会う順番やこんな欠点のなさにも理由をつけて、「私なんか応援しなくたって完成されているじゃん」と卑屈になったり、当たり前ながら当たり前に「ファン」する方に引け目を感じて縮こまったり、羨んでしまう自分がどうしても存在してしまったけど、そんなどうしようもない気持ちも、好きを表す賞賛のひとつにしていいのかな、なんて。
そんな頂点で、アクセントになればとなにより踊って奏でる素晴らしいみゅうとくんは、お茶目に熱い愛を沸かすし、使命を果たしてくれたみゅうとくんによって、どこかで「言ってはいけないこと」と決め込んでいた無意識は解放され、言っていい言葉になった。「Love-tuneが好き」を、わたしも言うことができる!Travis Japanで魅せる美しい美勇人くんも、Love-tuneで魂をぶつける勇ましい美勇人くんも、ほんとうのほんとうは、ちゃんと大好きだった。それ以上にも歴史のある人だけど、語らずにも区切りをつけて、今をありったけ生きてくれている今の美勇人くんを、「好き」だと言っていたい。
Love-tune Liveから約一週間後の『ABC座 ジャニーズ伝説2017』。日生劇場客席には、みゅうとくんが見学にいた。ステージにいるTravis Japanは5人になっていた。アグレッシブなダンスとお顔を一目見れば、“気になる存在”になってしまう最年少。笑いをとりにいく姿勢も、軽快にMCを回すキーマンだったのも、突然いなくなったのも、こっちが「オマエのそーいうとこ嫌い」だもう!!!(大嘘)夢ハリの増えたパートを自分のものにする宮近くんやうみちゃん、Travis Japanのまっすぐな瞳を見ては、涙が溢れてしまうばかりだったけど、“5人でも大丈夫”なことを高らかに宣言するように、透明な空気を纏いピカピカと輝きを魅せるそこはまさにハリウッドだった。見せ場のアドリブ、ここぞとばかりなのえしめを呼んでひっちゃかめっちゃかするうみちゃんはよくぞやってくれただし、ショータイムで完璧に美勇人くんへ指差しウィンク・指の隙間から時を超え5starsする宮近くんは客席一番後ろへ目配せをして、楽しそうに嬉しそうにこれでもかと“Dance for you”するTravis Japanがたまらなく愛おしかった。
命が減っても不死鳥のように生き続け、魂を磨き上げるTravis Japanは、真っ先に火を灯したい至高のエンターティナーだ。悔しい悲しい切ないでドロドロになってしまうのに、一瞬でその汗と笑顔に魅了されてしまうから、嬉しくて楽しくて最高の「生きる」をもらってしまう。わんぱくどろんこはちゃめちゃなのに、パフォーマンスとなるとキリッとお澄ましをして曲の世界へ誘う青年たち。どうしようもなく愛おしくなるし、彼らのパフォーマンスになにより心が揺れ動いて、ドクドクと血は巡り、体温が何度だって上がる。誰もわるくなくってどうしようもできなくって、それでもちゃんと、彼らは幸せを描いていた。
「報われてほしい」と言われることも少なくないけれど、過去もずっと今もずっと、“誰も歩いたことない道を歩く”Travis Japanは、出会った私はしあわせだったんだよ〜。Love-tuneの美勇人くんを、100%好きだと言い切れない自分が負い目のままだったけど、美勇人くんを好きなTravis Japanを、Travis Japanを好きな美勇人くんを、まだずっと、好きでいいんだ、と幸せの渦に巻き込まれているようで。
そうして美勇人くんの誕生日に更新されたジャニーズWebボイスは、数ヶ月前に私もリクエストした、ちゃんとTravis Japanだった証をプレゼントしてくれたみたいなあの一言だった。
それからというもの、季節はすぐにめぐり巡ってしまうけれど、思えばしあわせなことしかなかった。何かが幕を開ける始まりの度、いつかまた、戻ってくれるんじゃないか…また誰かを失ってしまうんじゃないか…と淡い期待や不安を抱いてしまうはずが、Travis Japanは、一生一緒の最強シンメを迎えて7人になった。大事な記憶や脆さに蓋をしながら、ファンに確認をしながら、颯爽と次のステージにいるらしい。もう彼の戻れる場所はなくて、探すのはやめようと誓った晩秋。自分の場所は自分でつかみ取れ、帝国劇場でTravis Payneの構成・振付を高らかに踊りつづけた新春。Endless SHOCKカンパニーの一員、豹変したように踊るこの2人がメンバーだなんて恐ろしい程だとまるで裏切られた立春。横アリのドリームステージ、「オレたちの第2幕」。7人の新生Travis Japanの汗と笑顔しあわせの鐘に涙・始まり始まりの春。初めての7人でのツアー、双眼鏡の中でISNを踊る宮近くんがやっぱり宝石みたい、電光石火3年前を思い出した初夏。
今までのわたしは結局自分のしあわせしか考えていなかったけれど、ジャニーズJr.祭り2018を通して、ちょっとはみゅうとくんのしあわせを考えられる大人になったんじゃないかなぁ。みゅうとくんを抱きしめ迎えてくれるLove-tuneがいることが嬉しくて嬉しくて、マジパネェ謙太郎さんがとなりにいるなんてめちゃくちゃ心強くて。見学席へみゅーと!みゅーと!とピーチクパーチクするトラジャは変わらずでなんだか懐かしくなって、YouTubeに連載にセルフィーに…。彼らにとっても私にとっても“初めて”を大事に育むれっきとしたグループなトラジャがもうとびきりな非日常を運んでくれているし、代わり映えしない毎日から救ってくれるのはLove-tuneなんだよ。長い長い春休みだけど、わたしがTravis Japanを好きなこと、Love-tuneを好きでいられること、みゅうとくんがアイドルを生きた最高の証で、大事なギフトだって思います。
こうも好きだと、1週間後には誰かトラジャの担当となる可能性が大いにあってしまうけれど・・(笑)今度は私が信じる番、天下無敵な最強スーパーアイドル美勇人くんがステージで輝ける日、心の底から願って信じて待ってます!!!ダンスもバンドも中途半端でいたくないという美勇人くん、どうかたくさんの努力と才能、大輪の笑顔を咲かすことができますように。平成最後のこの夏、Travis Japanが世界で一番熱く平和に夢へと駆け抜けられますように。諸君と最高で最強なドキドキわくわくを今年、これでもかと両手に抱えられたらなあと思うよ。
Travis Japanだった9人も、8人も、7人も、6人も、5人も。そして、Travis Japanが、森田美勇人くんが、大大大好きだ!世界中の愛を届けられるように、踊りつづけるDancerでね。上書きするわけではないけれど、長かった“あの夏”をついに終えれる気がしている。今年は、どんな夏がどんな君たちが待っているんだろう。絶対に絶対、楽しもう!ね〜〜!(賛成〜〜!)
会議の途中で「あ、これgdgdで終わるやつだ」と感じる瞬間に似ている。
(背景としては今年の異常な猛暑と、オリンピック問題と相乗したことで話題が大きくなっているのでしょう。)
熱中症の被害者が出ても、夏の甲子園が絶対になくならない事情 (1/7) - ITmedia ビジネスオンライン
熱中症、日射病の疑い7人/甲子園 - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)
まず、「今までも大丈夫だったからこれからも大丈夫だろ」派 vs
「今までもダメだったから対策すべし」派 + 「今年は猛暑だから中止か、特別対応すべきだろ」派
調べてみると、確かに結構前から甲子園と熱中症の問題は議論されている様子。識者からすれば「今更」なのかもしれませんね。
結局は今年も普通に開催されたわけですが、慎重派の懸念通り体調不良者は出ているようですね。
私個人の意見としては来年以降、何かしら追加の対策を期待します。
健康面はもちろんですが、気候のせいでパフォーマンスを落とすのはアスリートとして望ましくないでしょう。
目にした対策案としては「時期をずらす」「時間をずらす」「ドーム開催する」など。
良いと思います。が、地方大会も含むとかなり大規模な大会なので、「簡単に言ってくれるなぁ」という意見もわかります。
甲子園 熱中症対策で試合中に初の休憩と給水 | NHKニュース
↑こういうのでもいいんですよ、できることから改善して欲しいところ。
後述するコミケ問題にも関連するのですが、参加する本人の自由意志に関する論点。
確かに、高校では部活は任意参加のはず。大会にも自分の意思で参加しているのだから、
体調不良になろうと自己責任というロジック。なるほど、一理あります。
一方で強制参加という考え方。まず甲子園大会に巻き込まれるのは野球部だけではありません。
応援に駆り出されるブラスバンド(吹奏楽部)や一般生徒(私も経験あります)はどうでしょう。
野球部と吹奏楽部に関しては晴れの舞台なので承知の上とも取れますが、
仮に体調面に不安のある部員がいて「甲子園は参加したくない」と思ったとして「甲子園だけは不参加」が通るのでしょうか。
通ったとして、この日本という国でその後不利益を被らない保証はあるのでしょうか。
そもそも、高校生とはいえまだ子供。そこまで自己主張できるのでしょうか。
単に高校で野球や楽器がしたく部活に入るだけで健康リスクのある大会に駆り出される、と考えると問題はありそうです。
(ちなみに一般生徒だった自分は応援に強制参加だったと記憶してます)
と、ここまではいいんですよ。ちゃんと議論になってて、どちらの意見も理解できます。
問題は次。
これがさっぱり分からない。
ブコメなど見ていると、「オタクは野球部が嫌いだから甲子園を潰そうとしている」という意見が散見されるのですが、
これって何か元ネタになる人とか記事があるんですかね?唐突感がすごくて最初2度見しちゃいました。
私も漫画やアニメはよく見ますが、周りで野球をそこまで憎んでいる人間は知らないです。
というか、「野球回」があるのはコメディ系の作品あるあるですし、オタクが一番好きなスポーツは野球、まであるでしょ。
なぜこのような対立に持ち込もうとしているのかがよく分かりません。
コミケ #C94 倒れて運ばれる人が続出 - Togetter
で、次に出てくるのが「コミケも熱中症対策できてないからオタクの甲子園叩きはダブスタ」論です。
論点2 の自己責任論の延長と考えれば分からなくもないのですが、「だから甲子園もOK」とはならないですよね。
そもそも気になっていたのが「甲子園熱中症議論は誰のためのものか?」という点。
私は当然、高校生の健康のためだと思うのですが、どうもオタク対立を煽っている人にとっては
甲子園という「システム」(もしかすると「娯楽」)に対する「攻撃」だと捉えている節があるように思います。
だって、「コミケの熱中症対策をして欲しい」というのは参加者や参加サークルのためになるもので、
彼らオタクから出てくるはずの言葉です。自身のためなのですから、それは「自己批判」ではなくただの「要望」。
これが不統一でも、普通ダブルスタンダードとは呼ばないでしょう。
念のため書いておくと、私も甲子園と同様、コミケでもできる限りの対策をすべきだと思います。
視点を戻せば、「甲子園も当事者である高校生の意見を一番に聞くべきでは?」とも言えますね。
ここまで甲子園問題で大人が熱くなるのは、あくまで子供の健康を気にしてのこと、だと私は思っています。
気付くとすごい長文日記になってしまいましたが、だいたい思ったことはまとめられました。
論点3 のあたりで強く感じたのが、甲子園に対する崇拝といいますか、アンタッチャブルな雰囲気です。
大相撲の土俵上で、救護のシチュエーションにも関わらず「女性は土俵から降りなさい」とアナウンスした男性が頭をよぎります。
甲子園(夏の高校野球全国大会)ってなぜくそ暑い真夏の昼間に... - Yahoo!知恵袋
↑かなり前の記事ですし極端な人間だとは思いますが、このベストアンサーみたいな人もいるんですよね・・・。
パフォーマンスがおおむね健常者の競技者より劣るんだから見てて興奮するわけがない。
「パラリンピックを大々的に放送しないのはおかしい!」って良い子ちゃんな意見がもう正論オブ正論みたいになってるけど、あんなもんで地上波の放送枠を何時間も費やすなんて冗談じゃないという気持ちがある。
どの局にチャンネル変えても小学生サッカーの世界大会やってるようなもんだ。
障害者スポーツが魅力的なコンテンツだと思ってもらうための試みもズレてると言わざるを得ない。
「いやあしんどい!!難しい!!こんな凄いことやってたんですか!」
なんて感想引き出すことでハンデあるうえでの競技の難しさ、技術的ハードルの高さを知ってもらう番組とかあるけど、そういうことじゃないんだよ……。
お互いぐるぐるバットやって千鳥足になったうえで野球の1打席勝負やるようなもんで
「凄い!!世界トップの競技者の技術だ!!」なんてことにはならない。
強いて言うならスーパージョッキーで軍団が無茶させられる企画の楽しみ方に近い。
障害者スポーツが大人気になって、国民大半の関心事になることはありえない。
障害を負った競技者だけで競うこと、全体で見たら障害者アスリートのパフォーマンスが健常者アスリートに大きく劣る事実、これらは魅力を殺してる。
ただ、障害者の競技者の闘いぶりが国民を熱狂させるシナリオはある。
障害者本人が健常者と同じ土俵に立って、ハンデを物ともしないような活躍を見せること。
それ以外ない。「パラリンピック」とか銘打って分けてる時点でもうコンテンツとして退屈。上がり目なし。
片手の指が1本しかないのに、健常者を寄せ付けないような一流選手出てきたらさすがにこんなこと書いてる俺もテレビにかじりつくよ。
私たち二人ともぶりっ子ではなく、外でも「素のままで良いよね」という感じで
男っぽいと言われる事が多い。知らんがな。
週1で、ジムの体験に行ったり、最終的にどうするか検討するようにしている。
先日、初めてジムに行ったんだけど
握力は20kg無く15kgくらいだったし(私は25kg)
腕の筋肉で持ち上げるトレーニング器具では一番軽い重さでさえキツそうだった。(親友は一番軽い5しか持ち上げられず、私は20も余裕だった)
腕立て伏せも厳しい。
親友は文系の美術部とかばかりやっていたけど、私は吹奏楽部で打楽器とか良く運んでいた。
まぁ、私自身、彼氏との腕相撲で良い勝負するし、押し合いだって負けないのだ。そりゃぁゴリラだわ。
私が同じ土俵に立てないのは目に見えてるから、鍛えて彼と対等に競えるレベルまでの筋トレをしようと思う。
レッツマッスル!
嗜好の話は、愛として同性愛と他は差がないのに制度でこれから優遇するのはおかしいという話だったら、異性愛だけすでに優遇されてる現状をまず批判すべき。愛として差がないはずなのだから。
失笑。
異性愛は社会の再生産に寄与するという点で尊重されねばならないが、同性愛や物質愛ほかは社会の再生産に寄与しないという点で客観的な価値ない。
まだロリコンのほうがその点ではまともだよ
にもかかわらず、LGBTは暴力と政治力をもってほかの性的少数者から一歩進んだ待遇を手に入れてる。これこそ優遇。
LGBTのうち、出産の可能性のあるバイ以外は自己満足に過ぎない。
その上、正体を隠して件所者に紛れ込んでやがる。健常者と同じ土俵に上がろうとすることすらおこがましい。