はてなキーワード: 何だかとは
何が言いたいかと言うと、
この部分を読み落としている人が多すぎる。
ガワだけオッサンに変えて「正義の味方が悪人を懲らしめちゃうでござるぞ~~」「モテちゃってモテちゃって男はつらいよ~~」では意味がないんだ。
それは結局、「美男美女が青臭いことを言い合うだけで何だかアニメ以上にガキっぽい」の一種だ。
どうやらそれを伝えるにはコチラの言葉が足りなかったようだ。
反省している。
今の自分の表現力だと「現実にありふれているようなどうでもいい日常の、ちょっといい話やスカっとする出来事"ですらない"なにかをどこか魅力的に描き出してくれるような作品を味わいたい」が限界だ。
なんだか世の中の物語は、やたらと脚色されていてスカっとしたりホロりとしたりクスりと出来るような作りにしようと必死になりすぎているように思う。
ドラマは美男美女が青臭いことを言い合うだけで何だかアニメ以上にガキっぽい
小説や漫画だって、メディアが違うだけでやっていることは一緒だ
そして勝手に裏切られたような気分になって大切な物を見失うだろう
だから、ありふれた物語を眺める欲求をぶつけるような娯楽を必要としているのだ
だけどそれがどこにも見当たらない
ツイッターとかで、芸能人とかアイドルとかのイラスト、流れてくるじゃないですか。
本当に一切の邪念のないイラストだと、ふーんって流しちゃったり上手いな…で終わるんだけど、おそらく腐女子の人がしれっと描いたファンアート作品がね、元の作品もそのファンアートも全然BLの要素はないんですけど、いやちょっと見え隠れする程度だったんだけど、見てたらドキドキしてきちゃって、今まで普通に見てた歌手とか俳優に対して何だか萌え…のような気持ちが芽生えてしまって。
ずぶずぶハマってしまって、立派なそこのジャンルの腐女子になってしまったんですよ。わたし今まで普通に生きてきたのに。
これってさ、どうなんだろ。
ベルギー国王の行政執行権っていったって、国王自らが親政を行う類のものではないから王権国家とは言えないでしょ。
タイはしょっちゅう国王を神輿にした軍事クーデーターが起きるが、しばらくすると収まるね。たぶん、どの国でも、今や王様は、象徴的な場所に居てもらった方が何だかんだで都合がいいんだと思うけど
「いけない」という抽象度の高すぎる概念で考えるからわからないんだよ。
あなたは、自分が何を問うているか分かっていない。当然問いが分からないなら解も分からない。
「日本には人を殺すと罰せられる刑法が存在する。その理由は何か?」
これなら答え出せるだろ。
無限豚しぐれ?
冷凍すれば1ヶ月、普通なら約1週間持ちます!って書いてあった。
あれって、どういう理由で1ヶ月って書いてあるの?
豚肉の賞味(消費)期限なんて、3日程度だったりするじゃん?
遊園地のアトラクションといえば、何が真っ先に思い浮かぶだろうか。
餃子につける酢醤油の割合について議論にはなっても、酢醤油をつけること自体には異論が入らない、みたいなもんだ。
そう例えたら、仲間たちからは首を傾げられた。
どうも俺たちの家系は例え話が下手らしい。
「あのジェットコースターとか、どう?」
ミミセンが指差した先は、まだ朝だというのに行列がそこそこある。
「よし、早く並ぼう」
「え、予約券だけ手に入れておいて、その間に他のアトラクション楽しんだほうが良くない?」
ミミセンが出鼻を挫くようなことを言う。
効率的に立ち回りたい気持ちは分かるが、俺たちにとっては野暮でしかない。
「おいおい、ミミセン。そんな賢いやり方をするほど、上等なもんじゃねえって。ここはイアリーランドだぞ?」
そもそも、予約券なんてシステムはイアリーランドにはないのだ。
俺たちは並ぶしかない。
並んでから十数分後、ジェットコースターの看板が見えるところまで辿りついた。
「変な名前」
「『スットコイン』ってとこがスポンサーらしいから、そういう名前がつけられているのかも」
「『スットコイン』?」
列に並んでいる間はヒマなので、普段なら歯牙にもかけない広告も読んだ。
お金を一元的に管理できるよう、お金を何やかんや……と書いてある。
横文字や固有名詞が多すぎて目が滑り、ロクに内容は理解できない。
少なくともジェットコースターとは何の関連性もない企業のようだ、ってのは分かるが。
何でそんな会社がジェットコースターのスポンサーなんかやってるんだろう。
遊園地のアトラクションってスポンサーがよくいるが、いまいち経緯が分からない。
「まあ、スポンサーが何であれ、ジェットコースターなら何でもいいか」
「身長が低い人間には子供が多く、そういった未発達な子供は高いGに耐えられないからだろう」
「ちぇっ、知ってたか」
当然、俺が答えられたのは、さっき同じ話をミミセンがしていたからだ。
それくらいの時間、並んでいたってことだが、それもようやく終わりを迎えようとしていた。
そして、それは待望の瞬間をも意味している。
“終わりの始まり”ってのは、こういうのをいうんだろうか。
「こちらのアトラクションは500円。チケットだと100イアリーですね」
このアトラクションに乗るには現金を1000円にするか、またはチケットの値段が50イアリーになっていないとダメだ。
「ああ……上がったんですね」
上がった?
「このアトラクションが出来た頃は、500円は100イアリーだったんです。チケットの値段が上がって、1000円が100イアリーになったんでしょうね」
何で値段なんか上げたんだ。
アトラクションの設定している値段と辻褄が合わなくなっているじゃんか。
「私、そんなの知ったこっちゃないんだけど。50イアリーで乗せて」
「そんなこと言われても、ウチは500円または100イアリーでやっているんで」
「おかしいじゃない! それだと私は500円損したことになるわ!」
「お気の毒です」
話が通じない、と確信するには十分な態度だ。
「もういい! お金と換えてくる!」
またも衝撃の事実が告げられる。
「お金をイアリーには換えられるけど、その逆は無理っておかしいでしょ」
「ちょっと前に、偽者のイアリーチケットが出回りまして。その対策を検討中なため、一時的に換金をとめているんです」
『対策を検討中』って……だったらイアリーチケットそのものを止めればいいだろ。
「はあ……私、ムカついてるけど、もういい。はい、100イアリーで乗るわ」
タオナケが怒りで超能力を暴発させたらどうしようとヒヤヒヤしていたが、意外にも落ち着いていた。
ここまで並んでおいて、乗らないというほうが損だと考えたのかもしれない。
もしくは、理不尽も一定のラインを超えると、怒りの感情すらどこかに行ってしまうのだろうか。
「じゃあ、俺たちも……」
タオナケの顔色を窺いながら、俺たちは恐る恐る500円を受付に渡した。
※すごく長いただの愚痴
TL警備は当たり前、食事休憩もボーッとTLを眺めて終わることがほとんど。休みの日なんてこれ幸いと一日中ツイッターしながらゲームしたり。
1日に何時間ツイッターをしているのか考えたことはないけれど、暇さえあればツイッターを見ていたように思うし、ツイッターのない人生は考えられなかった。
そんな私が、受験でも就職でも転職でもないのに、ツイッターを離れている。
理由は色々あるが、一番大きいのがこれだ。
ツイッターは素性を隠して利用している人が多い(そうでない人もたくさんいるが、今回は匿名性が問題になっているので除外する)。
それゆえなのか、なんとなく、昔から強い言葉を使う風潮があったように思う。
所謂『クソリプ』と呼ばれる、的外れだったり非常識だったりするリプライを送る人もいる。
声が大きい人に左右されがち、日本人あるあるだ。だからなのか、過激な発言をする人ほど信者だとかアンチだとかが集まって、大きなコミュニティを形成したりする。
だから、見ていて辛いものは、ブロックなりミュートなりして、自衛すれば良いと思っていた。
そうやって、何年も何年もツイッターを続けてきた。楽しかった。
あれ?
と思い始めたのは今年の冬。
新規のフォロワーも増えて、それなりに仲良くワイワイやっていた頃のことだ。
「×××無理なんだよね」
ふと、仲の良かったフォロワーAが呟いた。
ドキリとした。
私はそれが好きだった。
たぶん、Aは何も知らずに呟いたのだと思う。
けれど、それからずっとその言葉が頭をぐるぐるして、苦しくなってフォローを外した。
仲が良かったから、Aの地雷について呟かない別のアカウントは切らずに残しておいた。
また別の日。
Aと仲の良いBの呟きが目にとまった。
「××ほんと無理。焼きたい」
以降、つらつらとその理由が続く。
私、それ、好きです。
BはAとも、私が仲良くしていた他フォロワーとも仲が良かったので、その日は見なかったフリでスルーした。
後日、Bの更に過激なツイートを見て、怖くなってミュートした。
AやBは元からキツめの発言をしていたが、ツイッターに生息する我々にありがちなキツさだったため、あまり気にしてこなかった。
けれど、それが
という疑念に繋がると、
何だか一気に怖くなった。
この人たちは、こんな風に、こんな簡単に、誰かの『好き』を貶せるんだ。
全世界のあらゆる人が見ている、ツイッターという場所で、鍵もかけずに、誰かを傷つける暴言を平気で垂れ流している。
その事実に寒気がした。
私は自分にその矛先が向いたから、やっと「マズくないか?」と気がついただけで、この世界に長らく浸っていたのだから、私もまた誰かを傷つけていたに違いなかった。
AもBも、所謂『裏垢』を持っている。
ツイッター歴が長いと、無数のアカウントから裏垢を特定できるという、無駄な技能が備わってくる。
勿論、私は招待されていない。
共通のフォロワーが多いので、空リプなどで度々AやBの名前が上がるたび、チラッとホームに飛んだりしてはダメージを食らった。
AやBが過激な発言をするたび、仲の良かった他のフォロワーも便乗するように同意したりして、場はどんどん苛烈になっていった。
あるとき、Bが決定的な発言をした。過激すぎて、気分を害する人が出るといけないので伏せておく。
このあたりで限界がきた。
それが、自分がそれなりに打ち解けていると思っていた人だったから、恐ろしかったのかもしれない。
仲の良かった優しい人が、好きなものを好きと言っていいのだと言ってくれた人が、平気で暴言を吐いている。
それが耐えられなかった。
「あなたのことじゃない」
私が「私はその条件に該当します」と伝えると、彼らは口を揃えてそう言った。
それを判断するのは私だ。
それが、『ツイートする』ということだ。
「あなたのことじゃない」
と言うのは、その発言が人を傷つけるとわかっているからこその弁明ではないのか?
それって、なんだかすごく無責任だ。
何かを好きで、何かを嫌いな誰かだ。
『主張をする』のと、『誰彼構わず傷つけてよい』のは違う。
最近、これを履き違えている人があまりに多すぎるように思えてならない。
もちろん、私を含めてだ。
ツイッターは便利だと思う。
だからこそ、その恐ろしさをいつも忘れたくない。
『見たくないものを見なくてもよい』のは画期的だ。精神衛生上も良い。
けれど、それは、裏を返せば『自分に都合の良いことしか見えなくなる』ということだ。
趣味なのだから、そんな難しく考えるな、と言われるかもしれない。
けれど、趣味で人を傷つけていい道理も、趣味で傷つけられていい道理もないと、私は思う。
心の整理のために書き始めたものの、なんだかよくわからなくなってしまった。語彙力も説明力もない。しかも読んでいてまったく面白くない。ブーメランもいいところだと思う。ここまで読んでくださったあなたには土下座しかできない。申し訳ない。
きっと今日も、みんなは楽しくワイワイしているのだろう。
そういえば、桜が咲いてきたと聞いたので、明日はお花見をしようと家族と約束している。
【追記】
たくさんの反応ありがとうございます。個別に反応できないのがもどかしいです。
ただ、何やら誤解を招いているようなので、そこだけ訂正を。
ツイッターに思ったことを吐き出すことや、自分と異なる意見の存在を否定するつもりはまったくありません。自分と全く同じ物の考え方をしている人間なんてものは、この世に一人もいないわけですから。
だから、ふつうに嫌いだと言われても「へえ、そっか」と思うだけです。そうではないから、私はツイッターから離れました。詳しく書くと特定されてしまうため省きましたが、ありとあらゆるバリエーションの知的な皮を被った罵倒を想像してください。あとそこに女特有のハブグループとかの陰湿さをガンガンにプラスしていってください。たぶん、その十倍くらい酷かったです。そんな感じです。
私が言いたかったことは、マウントを取って勝手な優越感に浸ったり、安易に人を傷つけるようなことを言ったり、「わからない」という言い訳だとか、「あいつは悪いやつだから何をしてもいい」とかいうものがまかり通ってしまう現状が、好きな人たちがそうなるのを見ているのが、ただひたすら悲しく、疲れたということです。
これはツイッターに限ったことではありません。ただ、リアルで私の顔を見て同じことを言う人は殆どいません。心の中では思っている、もしくはそれこそツイッターで吐き出したり、こういう場所で心無いことを言ったりするのでしょう。
それが、回り回って、私の知らない誰かを傷つけているのだろうな、と私は思っただけです。
そして、そういうコミュニティに居続けた自分も、きっとそうなっている筈なのです。
なんだか、話していたらとてもスッキリしてきました。自分の考えがまとまった感じです。
聞いていただいた皆さん、ありがとうございました。ここを見ることは恐らくもうないと思いますが、皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。
…とここまで言うと中二病だとか黒歴史のような類いだと感じるだろうが、実際その通りである。
ここから語られるのは、大人になれないどころか中二病から微妙に動けなくなり、しかもそれを自覚したまま中二病行動を連発する、性自認が男女どちらでもない人の話である。
身にまとうはトレンドから微妙に反れつつも社会常識的にそれほど違和感のないファッションアイテムたち。
もちろんこれらにはある程度自分の中でのコンセプトがある。
んで音楽を聴くのはBluetoothのワイヤレスヘッドホン。
本当はイヤホンの方がいいのだろうが、耳の形が左右不対照なせいで片耳だけ合ってももう片方が違和感しかなかったりするから仕方ない。(イヤーピースを何に変えてもダメでした)
そして聴く曲は同人音楽。今これらを作ってるクリエイターは音ゲー方面で大活躍だが、自分が聴き始めたきっかけはそこではない。
急ぐ訳でもないのに早足なのは、昔からの癖。あと四つ打ち聴きながら歩くと自然と歩くテンポが128BPMになりがち。
周囲を歩く人々は皆、マネキンのコスプレをしてSONYの安いカラフルなイヤホン(現行の型番はMDR-EX155だったかな?前の型番からカラバリを変更しただけのただのカカシですな)で、きっと月並みなJPOPを聴いているのだろう。
自分自身の顔には割とコンプレックスがある(具体的には童顔かもしれないと思ってる)が、カーチャン曰く違和感がないらしいのでまあいいだろう。
んで街を歩いてると、時には怪しい男に捕まるわけだ。
悪いが私は性自認が男でも女でもないんで、みたいに断って人ごみに消える。
もし音楽定額サービスの勧誘のヤシが自分を狙ってきたら、『同人音楽があるなら入ります♪』みたいに言ってやるんだ。
今時の流行語やネット用語は、聞きたくないのが多いから分からないフリをし、凡人が支持するコンテンツは本当に関心がないから知らないフリ。
ポプテは少し見てみたが、11話のデキが悪かったね。ホラーは他人を選ぶってーの。
本当は、こんな痛い行動を続けるべきじゃないってことは分かってる。
分かってるけど、何だかんだでこういう事をやってる時の自分自身は割と生き生きしている気がする。
あの服にこんな感じの靴合わせたいな、古着屋に面白そうな服ないかな、今度同人イベントあるから通販で何を買うか決めなきゃ、だとか、
あまりお金をジャブジャブ使える身分ではないし、事情があってまだ親の管理下を離れられなさそうだけど、
正確には20日程前には気持ちに区切りがついていたが、今日グッズの一切合切を売り払ってきた。写真やトレカ、中には初めて参加したイベントで目の前で書いてもらったサイン入りのDVDもあった。
グッズは整理できたが自分の心はとっ散らかったままだ。書くことで少しでも整理されたらいい。
オタクを辞めた理由はきっかけは握手会で推しに「俺はアイドルじゃない」と否定されたことだ。ガチギレトーンで。
いやいや、君。それは厚かましくないか?と私は思った。
推しの所属しているグループは年に何枚かCDを出す。発売の3か月前からばっちりリリイベを組み各所を回り、CD1枚予約ごとに握手券1枚が付いてくる。いわゆるA○B商法で稼いでいる。
アーティストです、と言われてもライブはこの商法で売った歌がセトリの大半を占めるしそのライブにも物販購入額で接触特典を付けている。役者もやってます!と言われてもそのドラマや映画のDVDを発売イベントでまた接触特典を付けて売っている。
どっからどう見てもアイドルやないかい。どの口で否定するねん。
推しを含めてグループに所属するメンバーはグループの下積みが長いことと苦労をしてきたという話をするのが大好きだ。CD売上ランキングで1桁台に乗ることがこの3年、当たり前になった。それでもまだ頻繁に報われなかった下積み時代の話をする。感謝を忘れない推したちは素敵だ。だけどくどいな、とも思っていた。オリコン常連グループになったのに「辛かったわー、ほんと辛かったわー」と地獄のミ○ワしてるように見える。
この苦労人演出を続けるためなのか衣装は安っぽいままだし、去年の夏ライブはステージセットが何もなくただの板だった。ライブハウスではない。キャパ3千のコンサートホールだ。
私たちが買ったCDの金はどこに消えたのだろうか…?さすがにオタク仲間と首を捻った。
推したちの生活が豊かになっている様子もない。お給料は固定給らしい。スタッフの数も増えない。
社長は出しゃばりで見る度全身ルイ○"ィトンコーデだし両手に高級腕時計をしているのを見せていた時にはドン引きした。その社長は弟分グループのプロデュースにご執心の様子だ。
推したちが稼いだお金は推したちにもそのファンにも一向に還元されない。なにもステップアップしない姿は苦労人でも何でもなく貧乏臭いグループだとファンなのに感じる。
苦労人エピソードを「すごい」と持て囃し「私たちが支えてる!」と鼻息荒く肯定するオタクが多いのも苦手だった。悪い意味でファンとグループが一体化してオタクまで苦労した気分になっている。何だかよくわからない気持ち悪さがオタク界隈には漂っているように感じた。
こういう不満がずっと積み重なってて微妙なバランスで保っていたモチベーションが、今回の推しからの否定で見事にバラバラに崩れたんだと思う。
ここまで書いて気づいたけど推しはアイドルじゃないらしいのでタイトル詐欺にならないか心配だ。一体私は何のオタクを辞めたんだろう。
【期間限定無料公開】超進化魂ディアボロモン発売記念!「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」(https://youtu.be/DOCXY6PsCVY)
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流れてきたので初めて見た…初視聴の感激(と改めて感じたサマウォへの戸惑い)の感想をあげたい(無料公開:4/16までだってさ)
なんなら、「ほぼほぼ完璧」にまで下げてもいいけどこれにアニメ知ってての思い入れとか時代性への共感とか加えたらもうたまんないんじゃなかろうか
※なお、私は世代的には実はかぶらなくてシリーズも数回しか見たことないんだけれど、基礎知識は知ってます。
※「元はゲーム(およびアニメシリーズ)」「ひとりひとりにパートナーデジモンがいて”進化”で能力アップ」「8人の選ばれし子供が八犬伝みたく象徴を持ってる」「無印アニメシリーズでは子供だけで異世界転生冒険/長々と旅するが現実世界ではひと夏の思い出」…が概要(のはず)
以下所感。
・音楽の演出。クラシックもそうだけど、2戦目で気持ちを入れなおす際の歌入るアレ。2戦目にしてきちんと進化のバンク入れて気持ちのあがる歌を入れて「今回こそは…!」と思わせ…た後で歌がとぎれたり、かと思えばコウシロウ君の行動でいきなり音自体が遠ざかるとこ、好き。そしてすごく自然だと思う。クライマックス以上に演出としては好きな部分かもしれない。もともと細田監督作品の好きな部分としては「見ている瞬間はとても気持ちが持っていかれるし楽しい」って思ってたので改めて納得した。集中力の上げ下げが上手いんだろうなぁ…。
・デジモンって確か対大人・対家族との関係もテーマの中に入ってたと思うんだけど、とりあえずこの映画では「子供の世界」の話なわけで。
それが冒頭から何度も日常に邪魔されること自体も、めちゃくちゃ好きです
これさー、ゲームやっててこれからボス戦!ってところなのにお母さんにごはんよーって呼ばれるアレよアレ…!!!あの温度差!
逆にゲーム側での破壊性が、学校へ通えなくなるぐらい日常側を侵食するわけでもない/しかし世界の危機ではある、というアンバランスなコンパクトさも子供に受け入れやすそうで良い。
・ただし仲間全員の話ではない。なんならデジモンたちの話でもないと思う。
ちょっと寂しく思った部分。ただ「まとまりない」の台詞どおり、例えばミミちゃんとかいたら赤ちゃん敵を攻撃するの阻止されそうな気はするのでまあ尺的に仕方ない。
離れているとはいえ、それぞれの話の進行が時間経過(ミミちゃんは位置感覚)を見せていて不必要とも思わなかったし。
・…「ぼくらの話」ではある。
ずっと他国の子供映してるの好き。画面の前の応援してくれてるキミ!的な感じで。叩きだけでなく応援すらも、時に邪魔になってしまうのも面白い。
…見た直後、「こんな完璧なのに何で焼き直しでサマウォ作ったの?むしろ話破綻したよ?」という疑問と「あーこんな完璧なら”一般”に落とし込みたくなるよね、見てもらいたいよコレわかるわかるー」という共感が同時に沸いた。そしてサマウォでいろいろ腑に落ちなかった部分が解決した。
数字解析ターン(カチャカチャカチャ ッターン! を再びやりたかったんですね分かります)とか
周知の話なのに国単位での大人が描写されない理由(おかげで大学通う他国の小学生やコウシロウ君より、数学天才な高校生主人公の方が無理やりに感じる)とか……
割とショックだったのが、散々言われてた「美談のように描かれてるおばあちゃんの応援は害悪」説が「いやでも作中的には美談だし…」と擁護したい気持ちだったのが揺り動かされたこと。だってこれ描けるなら、応援の声も間違えれば害悪になるって知ってますよね…なにその劣化…。
ウォーゲーム自体にではないけど、細田監督作品の嫌いな部分「見た後に思い返すと何だか引っ掛かりがある」も改めて感じてしまった。
こんばんは。
「大学生活とか絶対うまくいかないし入りたくない」「この部屋も嫌だ何でこんなところに」と考えていることかと思います。
そんなつらい気持ちになっているあなたに、すこし伝えたいことがあるのと、お礼を言いたくて、いまこうやってブログを書いています。
誰がかというと、あなたからみて5年後の自分、つまりいまこの部屋にいるわたし。
きっとあなたはこんなことを知ったら驚くと思います。だって、行きたくもなかった大学で、5年生にまでなっちゃって、何だかんだで卒業しちゃってるなんて。
かくいうわたしもびっくりしています。まさか卒業してしまうとは。
5年前、この部屋に来たばかりのあなたが思っていたとおり、大学生活はうまくいったかどうかと問われると、勉強に関しては特に「うまくいってない」って答えになると思います。
でも、ちょっとだけネタバレをしてしまうと、あなたには素敵な友人知人がたくさんできます。あと、サークルと研究室はすっごいたのしいです。(卒論は大変だったけど)
しかもね、オープンキャンパスで出会った面白い先輩と同じ研究室に入れちゃったし、わりと仲良くなれちゃいました!凄い。
で、ネタバレはこのへんにしといて。
わたしがこの5年間何だかんだ言いつつもたのしく過ごせたのは、あなたが高校3年間勉強をがんばってくれて、途中で投げ出さずにきちんと進路を決めてくれたおかげです。 3年間ずっとおなじ担任に死ぬほど苛められたこととか、受験期に泣き喚いたこととか、未だに夢に見たりするくらいのつらいこともあったけど、
そのぶんあなたには、ほかのところでめちゃくちゃ楽しめる未来が待ってたりするよ。わたしがこの目で見てきたんだから間違いない。
だから「ここまで自分がんばったな!えらい!」って思って、自分のこと褒めながら生きていってください。そしたらめちゃくちゃ気分良くなるよ。
わたしはそのことに気づくのに数年掛かってしまったし、ちょっと遠回りもしてしまったし、あなたのがんばりに見合う大人にはなれなかったけど、あなたのおかげでたのしい5年間を過ごすことは出来ました。
これからわたしは、あなたに負けないくらいがんばるから、あなたはわたしに負けないくらいげんきに過ごしてください!めいっぱい楽しんでね!よい人生を!
5年後のあなたより
うちのトメが過干渉というか過保護の極みで、本当に勘弁してほしい
もう成人した息子たちをいつまで経っても子供扱い
朝と風呂上がりの着替えを用意し、何をするにも横からああしろこうしろと口を出し、ちょっとした外出にもついていく(最近は自分で行くのが億劫になってきたらしくウトを護衛につかわす)
結婚した長男(私の夫)は多少自立心が出てきて「そこまでしなくていい」とか言うことも増えてきたけど、この春大学を卒業したばかりの次男は「やってもらって当然」といった様子でズブズブの共依存
それどころか自分の思うようにしてもらえないと露骨に機嫌悪くなるので、私ら夫婦は腫れ物に触るような気分で接してる
ウトもウトで激甘なので、頼まれるとなんでもホイホイやってしまうから締める人もいない
とまあ、何だかんだ言ったがここまでは百歩譲って他所様の家庭事情だから目をつむれるにしても、本当に嫌なのが私まで同じ扱いを受けること
例えば「お風呂あがりました」と報告しただけで「髪の毛乾かしなさいよ」「お茶飲みなさいよ」「寒いからこれ着なさいよ」…
私今年でもう27なんですけど?
それとも、世の27歳はまだまだこれくらい言われて普通なの?
きっと私は誰かの一番はなれないし、私も誰かを一番に選ぶことなんてないんだろう。
私は誰かを好きになることもなく生きてきた。恋をすることなく生きてきた。
学生時代には友人の恋バナを聞いて、会社に入ってからは同僚や先輩たちの恋人の愚痴を聞いて生きてきた。いつかは自分もこうなるんだろうか、なんて考えながら。
小学生の頃、○○ちゃんは○○くんのことが好きだとかそういう噂話をよく聞いた。小学生の頃の「好き」は何だかおままごとみたいというか、噂する方もあまり真剣みがないというか、子供らしい遊びの一種というか、とにかくなんとなく「軽かった」。
中学生になってからは、そういう話は仲の良い子達だけでひっそりと語るようになった気がする。小学生の頃よりはそういった話題に慎重になった感じがするのだ。彼氏、彼女という言葉に現実味が出てきた。
テスト期間中、少し早く登校したときに、教室で同級生が仲睦まじくしているのに少し驚いた。邪魔をしてしまったなと思いながらも私は席についてテスト勉強をし始めた。
高校生。私の周りだけかもしれないが、恋人がいる、交際をしている……という子は少なかったような気もする。それでも中学生の頃よりは恋人がいる子が増えた。彼氏、彼女持ちは鞄にお揃いのディズニーのマスコットをつけていた記憶がある。一緒にディズニーに行ったんだろうな~。そんなことを考えていた。
高校生になる前はうすぼんやりと「高校生になったら私にも恋人が出来るんだろう」と思っていた。雪が溶けたら春が来るだろう、くらいの何の根拠もない漠然とした話だ。当然、私には彼氏も彼女もできなかった。
私は大学にはいかずに専門学校へいった。ちょっと特殊な学校で、私の在籍した科には十人ほどしか人がいなかった。男女比は極端に片寄っており、でもそれに何らかの不満も抱くことはなかった。ここでも恋人は出来なかった。けれど周りを見渡せば、恋人がいない方が珍しかった。バイト先や高校で知り合った人と交際しているのだ、という話に私は「すごいね」と笑った。自分には何だか現実的でない話のように思えたから、本当に他人事だった。
恋人が欲しかったか、と言われると返答に困る。人の話を聞くといたら素敵だろうな、お休みの日に出掛けたりしたら楽しいのかな、などと思えるけれど、女の子達の「彼氏とずっとラインしてる」や「三日もラインに既読がつかない」なんて話を聞くたびに正直『めんどくせぇな』と思った。そんなにこまめに連絡を取る几帳面さは私にはなかったし、そんなにたくさん話すことがあるものなのか、と驚いた。
でも、クリスマスになると男女問わず恋人に何をプレゼントしよう、どこでデートしよう……なんて頭を悩ませているのが素敵に見えた。恋人がいない身ながらも、プレゼントはこんなのがいいんじゃないかとか、こんなところでデートできたら素敵だとか、友人の相談にほんの少し乗ったこともある。
会社に入ってからも、私は恋人を作ろうとはしなかった。多分心のどこかで突然できるものだと思っていたのだろう。望まなくともそのうちなるようになるんじゃないか。今は恋人より仕事の方が大事だし。そんな風に考えて、結局ここまで来てしまった。
かつての同級生も結婚や出産をし始めている。二十三才の頃に「このままじゃいけないんじゃないか」と焦って婚カツをしてみたりもした。そこで私は気づくのだ。「私は恋が出来ない人間なんじゃないか」と。
そこまでの経緯は省くが、婚カツをしていてなんとなくいい雰囲気になった人がいた。何回か一緒に出掛けたりして、ランチしたりショッピングもしてみたりした。何しろ恋愛経験がないから男女が二人で連れ立って何をするものかもわからない。それでも何となくそれらしいように振る舞った。そのくせ、ショッピングしている間も食事をしている間も、私の頭の中には「何をしているんだろう」という疑問がずっとあった。
知らない人とご飯を食べて、買い物して、それで私は何をしたいんだろう?どうなりたいんだろう?
デートのような何かを終えて、別れ際に相手の人が笑顔で「またね」と手を振ってくれた。
本来ならこれはとても良いことなのだろうし、私に好意を向けてくれたのは本当にありがたいことのはずなのだ。けれど私は「ええ、また」と微笑む一方で「馴れ馴れしいな」と思ってしまった。
馴れ馴れしいな。そう思ってしまった瞬間に、私は「恋が出来ない人間なんじゃないか」とふとひらめいてしまった。
厳密に言えば私がしていたのは婚カツだし、婚カツとは結婚相手を探す活動だ。だからもしかしたらそこに「恋」を求めるのはお門違いなのだろう。
ともかく、好意を向けてくれたのであろう相手に「馴れ馴れしいな」と思ってしまった自分の最低さを恥じながら、私はその半月後には婚カツをやめていた。
恋人ってなんだろう、と思春期のような問いをずっと抱え続けている。婚カツをしている間にドライブに誘ってくれた異性も、夜の食事に誘ってくれた異性もいる。けれど、最終的には「面倒くさい」「ちょっと気持ち悪い」というような、本当に失礼な気持ちを抱くに至ってしまった。
ドライブといえば車の中でふたりきりなのだろうし、夜の食事といわれるとどうしても身構える部分がある。
「用心深すぎる」「隙がない」。知人友人によくそう指摘される私は、ここでも用心してしまった。
車で二人きりになって、そのまま知らないところへつれていかれたらどうしよう。食事で席をはずしたときに飲み物に変なものを混ぜられたらどうしよう。
書き出していて思ったが、これは都合のいい自分への言い訳なんだろうな。用心深く相手を見るということは、つまりは相手を信用していないというわけで、きっと私は端から相手のことを信用しようだなんて思っていなかったのだろう。でもそんな自分を正当化したくて「用心深い」なんて話を引っ張ってきたんだろう。
人を好きになるということは、その人を尊敬するのと似ているように私は思う。尊敬できる部分があるから好きになれるんだろうと思う。一緒にいて心が楽になるとか、楽しいとか、そういうメリットがある人間を人は「好き」になるんだと思う。自分にとってデメリットばかりの人間を好きになるひとがいるとはちょっと思えない。
私も友人や家族のことは好きだ。尊敬できる部分があるから。でもそれは「恋」じゃない。
恋をしてみたかった。
自分の中の何かを決定的に塗り替えてしまうような、その人のことしか考えられなくなるような、一言言葉を交わすだけで胸がドキドキするような、そんな経験をしてみたかった。
けれど、自分がそういうものを望めない人間だというのを何となくだがさとってしまった。
きっと恋をすれば、恋人になれば、手を繋ぐ以上のこと、キス以上のことにもなれていかなくちゃいけないだろう。しなくちゃいけないんだろう。私にはどうもそれが出来ない。
手を繋げるのはおそらく家族と友人の範囲までだろう。他人の体温は生ぬるく、どうも落ち着けそうにない。キスも同じだ。映画、ドラマ、アニメ、漫画。物語の中で交わされるそれはドラマチックだけれど、自分がすることを考えると鳥肌が立つ。
一人でいるのは気が楽だ。自分のことは自分で決めて、自分以外の何者にも振り回されないというのがすごく楽だ。
誰かの一番にはなれそうもないし、誰かを一番に思うこともなさそうだ。でも自分が一番楽ならそれでいいや。最近はそう思いながら、恋人がいないことに悩む二十代のふりをしている。
うちの職場では契約社員は1年契約で5年まで更新可である。だいたい毎年それで年度末に辞めることになる人が出る。次の勤め先が決まっていればいいけど、そうでないとせつない。若くて仕事熱心な子であれば何とかなるだろうと思いたいけど、それでも4月になるまでに決まっていなかったらなんと言えばいいんだか。
逆に正社員だと多少能力が低くても仕事にやる気がなくても、よほどの悪さをしでかさない限り首にできない。おまけに給料もよほどのことがないと毎年上がっていく。何なんだ、この格差は。
別に今に始まったことじゃないけど、この季節を迎えるたびに憂鬱な気分になる。アベノミクスが何だか知らないけど、これからの社会を支えていくべき若者になぜ雇用を保証してあげられないのかと思うともどかしい。全員を正社員にして、毎年昇給させて、定年になったらそれなりの退職金を払う…ってやったらうちの会社が持たないのも分かるんだけど、なぜ将来ある若者が犠牲にならないといけないのか納得いかない。
かと言って、ガチ貧困家庭や虐待されてる小中学生限定、とかにしてしまうと
そこに通う子=かわいそうな特別な子、という烙印を押される事になるわけで、
そういう子にだってプライドがあるわけだから行きにくくなってしまう。
と言う事で敢えて利用者に制限はしていない、と言う所が多いそうだけど、
実際は何だかんだでこども食堂=かわいそうな子供用、と言うイメージがあるからまだ濫用されてないけど、
仮にそういうイメージが完全に無くなれば
それこそ別に金に困ってる訳じゃないけど親共働きだから食事作るの面倒、買って来たものより手作りのものの方が身体に良さそうだし、とか
食費浮いた金で私立校や金かかる大学の学費出したい、という親の子とかが殺到して崩壊するだろうね。
親も利用可の所なんかは親子で食ってく人殺到しそう、んでそういう親子に限ってやたら身なりが良かったりして
んでガチ貧困家庭の子に対しては「ああいう子がいたら環境悪くなるからああいう子には利用させないで」とか言い出す親とか出てきそう。
なのでからくりサーカスについて気になってる点を
以下ネタバレあり
終盤のたたみ方が強引で駆け足というのはもういいや、置いとこう。
気になってるのは鳴海が受け継いだ仮面。いつの間にか物語からフェードアウトしてる仮面。
あれは騙し絵みたいなやつで笑いの表情をひっくり返すと嘆きの表情だからそれを活かしたエピソードでもあるのかと思ったらなかった。いつの間にか消えてた。さらに言うと、白銀が何であんなもんを身につけてたのかも分からない。何だか思わせぶりに出てきて特に何もないまま消えた。
もうひとつ気になってる点、生命の水を飲んだ者はオートマタを憎む白銀の感情に支配されるって話、そもそも白銀はオートマタを見たことがない。日本で正二と出会ってからフランスに戻ったけど、そのときには既に白金もオートマタも村を去ってた。なのに目の前でオートマタに家族を惨殺されたルシールよりもはるかに強い憎しみを持ってたというのが分からない。
日本にいたときは仮面をつけてなかったから、白銀が日本からフランスに向かう途中でオートマタ絡みの何かの事件に遭遇して自責の念混じりの深い憎しみを抱くようになって、その事件絡みであの仮面をつけるようになったとかだったらスッキリするんだけど。というか読んでる途中はそういうエピソードがあるもんだと思ってたら終わってしまった。緻密な物語を組み立ててるだけに気になる。