はてなキーワード: 何だかとは
そんな世界はないよ。
昔の女はそれやってもずっと軽視されてきた。
祖母世代の女性って、「夫の悪口を言う事は女同士誰もが共感出来る娯楽である」と素で思ってる人が多い。
それだけ彼女らの世代は、妻は夫に酷い目に遭わされているのが当たり前で
皆一様に夫に対する鬱憤を溜めているから、妻同士でそれを発散するのが定番の娯楽だった、って事の現れなんだろう。
子供連れていると街中で知らないおばあさんに話しかけられる事が多いんだけど、
そんな知らない人にまで、例えば「これから趣味の習い事に行くのよ」なんて話をされてから
「じいさんと家に一緒にいたらうんざりするからね」とか言われたりして。
そう言えば相手が共感して喜んでくれる、とデフォで考えているその認識が歪んでいて何だか哀しい。
若い妻同士だと、少なくとも私の周りではそういうコミュニケーションを取ろうとする人は皆無。
たまに夫の愚痴言う人はいるけど、「悪いけど愚痴聞いてくれる?」と言う前置きをしてから言ってたりして
「とりあえず初対面でも妻同士なら夫の悪口言ってりゃ皆楽しめるはず」なんて雑な認識で
皆が楽しむためのネタとして夫の悪口を喋る人には出くわした事はない。
これも時代や世代の変化だと思うし、「妻は夫に酷い目に遭わされているもの、だから夫の悪口は妻の共通の娯楽」と認識している世代よりは
わたしが導入から見られた大きな制度に介護保険ってあるけど、これ何気に何だかんだいいつつちゃんと廻ってるよなー。
この間、地域包括支援センターというところにいっていろいろ説明聞いてきたんだけど、1時間話して無料だよ。ちゃんと納税してて良かったって思ったよ。
ここまで大きな制度を導入して回して、現実社会に浸透させたって、よくよく考えるとすごいことだよな、って改めて思った。
おむつ代は別とかいろいろあるけど、介護の度合いによってバラバラだけど、それでも特養で入れれば月20万くらいでジジババを預けられちゃうんだよ。
現実問題として、介護に疲れる人って多いわけで、それでもこういう仕組みがあるっていうのは、使う使わないは別としてすげえなって思った。
ある日、日課の芝刈りから帰ってくるとおばあさんがでかい桃を携えて帰ってきたところだった。芝刈り用具で桃を割ってみると中から小さな男の子が出てきたので「桃太郎」と名付けたんじゃ。わしがしたことはこれくらいかな。え、この財宝? これは桃太郎が持って帰ってきたものじゃよ。
いつもと変わらない日、川へ洗濯に行くと川上から「どんぶらこ、どんぶらこ」という異音がしたのでその方を見てみると、とてつもなく大きな桃が流れてきた。桃を拾い上げて持ち帰ったんだ。中から男の子が出てきて、おじいさんは「桃太郎」と命名していたね。大切に育てたさ。
やがて、桃太郎は「鬼退治に行く」とか言い出したのできびだんごを持たせた。わたしがしたことはこれくらいかな。
何かいい匂いがしたので近寄ってみたんだ。美味そうな団子だったね。「ください」と言ったら「等価交換だ。ついてくるならあげよう」と言われたので、ついていった。それがあんなことになるとは夢にも思わなかったワン。
怪しげな男に犬が隷属していたので興味本位に近寄ってみると、男はごちそうを携えていた。「くださいな」と言ってみたら「わたしの指示に従うならあげよう」と言うのでついて行ったよ。何しろ美味そうな団子だったからね。鬼? 誰だいそいつは? ウキキキ。
変な男と犬と猿が歩いていたね。そのコミュニティに参加したいと思っていたら、男は美味しそうなものを持っていた。あれは魔力だね。「くださいな」と男に言ったら「これから鬼の征伐に行くんだ。共闘するならあげよう」と言うのでついていったよ。戦いには興味がなかったが、花より団子だからケーン。結局、鬼ってのは誰だったんだろうね? わたしは会ったことがないのでわからないな。
何かいきなり来たんですよ。「征伐だ」とか言って。正義感を振りかざす男一人と動物が三匹いましたね。数の暴力。お父さんはこてんぱんにやられました。理由? わかりません。何しろ突然だったもので、何が何だか。財産もすべて奪われました。せめて父さんを返してほしい。だけど、あの平穏な日々は戻ってこない。なんで罪もない父さんはこんなことにならなければならなかったのでしょう。父さんが「隠れていなさい」と言ってくれたのでぼくは命を救われましたが、あんまりです。犯人には死罪を求めます。今はその一心です。
知りませんよ。じいさんとばあさんが鬼ヶ島へ行けって言ったんです。そこに行くといいことがあるよ、って。鬼? ぼくが殺したのかって? まさか。何もしてませんよ。犬と猿と雉が勝手にやったことです。ぼくはあっけに取られていたのですから。「おい、やめないか」とも言った。だけど、あいつらは喜び勇んで鬼の命を弄んだんだ。正直、見てられなかった。
財宝? 知りませんよ。おじいさんとおばあさんの家で見つかった? 証拠もある? まさか。ぼくが鬼ヶ島から強奪してきたものとでも言うんですか? 馬鹿言わないでください。ぼくは知りませんよ。
あ、そうだ。浦島太郎とか言うやつが怪しいんじゃないですか。亀をいじめてたとかいう噂がありますよ。あと、ほら、金太郎。熊を撲殺したとか。恐ろしいですね。ぼくにはそんな無謀で残酷なことはできないなぁ。疑うなら先にやつらを調べたほうがいいんじゃないですかね。
彼氏が寂しいとか会いたいとか言ってくるけど気分が乗らなくて断ることが多い。
あれは付き合って3年目だった。
賃貸の更新時期だったし、徒歩圏内のお互いの部屋を行き来して家賃がとてももったいないなと思っていた。
断られた。理由も言われなかった。
「んー、ごめん。」これだけ。
それからも相変わらず付き合い続けていて仲は良い。
たぶん浮気とかそういうことがなければ私たちはこの関係のまま行くのだろう。
一つ変わったことがある。
会いたいと言われても正直あまりうれしくなくなった。
だからせいぜい寂しがっていてほしい。
でも、こうじゃない。こうじゃないんだ。
ストーリーとしては、船が大破して島にたどり着く。
お金を稼ぐゲームでも、恋愛ゲームでも無いよ!物々交換、等価交換で成り立ってるよ!
やってみて3日。飽きた。
物作りは出来るものの、作った!感が薄い。
宝くじで数億円当たった。
嬉しいぃいいいいいいいいいいいいっっっっっっっっっっ!!!!!!!
私はもともと怠け者で、フリーランスと称してフリーターのような
これから働く気なんてまったくない。
おかしくなりそうになった。ファストファッションではなく、
でも本当に買ったとしたら? それを続けたら?
すぐにお金は無くなるだろう。
というわけで数億円は手付かずにして、
大金を使うという快楽がそこにあるのに我慢しなくちゃいけないという辛さ。
働けばいいのに働く気が出ない。
言ったら大変なことになるだろう。絶対人が変わると思う。
私がこんなに変わったのだから。
私が上手くできる自信は全くない。むしろマイナスにしてしまいそうで
何もしていない。現状、貯金だけ。
アドバイスが欲しいわけではないけど、とにかく誰にも言えないので
吐き出してみた。不幸ではないと思うが、正直幸せではない。
身にしみてわかった。でもああはなりたくない。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
友達が出会い系の男の人としょっちゅう会ってセックスしてる話とか聞くと楽しそうだなぁって羨ましくなる。
じゃあ、お前もアプリとか使って会ってみればいいじゃんって思うけどやっぱり怖いし、会った瞬間にうわっこいつねーわって思われるのも嫌だ。
25超えて処女なんて所詮そういう女なので体も綺麗じゃないし、全然自信がない。
ただ性欲がないわけじゃないしエロ本読んだり、動画見たりはする。でも、それはファンタジーみたいなもんで、いざ自分がするとなると嫌悪感がある。
何度か男の人とデートしたことあるけれど、自分が異性として見られているっていうのを感じたり、手を繋いだ時だったり、何だか分からないけどゾワッとしてしまった。
友達に相談したら、それって性的に見られるのが嫌なんじゃない?って言われたけど、そんな難しい話じゃない。異性として見られることに慣れていないだけだ。
多分そういうことって中学生高校生ぐらいで慣れるもんなんだろうけど、ブスだとかデブだとかの自覚があって自分に自信がなかったし、異性からの視線みたいなものは見て見ぬふりをしていたと思う。実際異性として見られていなかったのでどうしようもないけど。
高校までそんな感じだったけど、もしかしたら大学に入ったら変われるかもと思ってた。でも人はそんな簡単には変われない。周りはどんどん彼氏できて、私の友達はそういう話はしなかったけど、やることはやってんだろうなとなんとなく思ってた。
何もないまま大学卒業して社会人になったけど、地元離れて誰も友達いない土地で休日を楽しむ余裕なんてない不規則な仕事をしていたのでもちろん出会いなんてない。
でもようやく1人暮らししてたし、あの時恥を捨てて適当に誰かと会ってしておいても良かったなと思う。
社会人になって友達もポロポロと性事情について話してくれるようになった。
すると、案外初体験は彼氏と、っていう子ばっかりじゃなかった。意外だった。
初体験をよく分からないおじさんにあげた女の子の方がその後アプリで色んな男の人に会ってもう結婚したりしてるし、別に初体験を大事に取っておいているからといって偉いってことは何もないんだよな。
というか、年を取れば取るほど処女がしんどくなってきませんか?
結局なんだかんだ何もないまま実家に帰ってきて、またズルズルと喪女をやっている。
この年になって喪女なのは完全に自己責任なんだ。デブならダイエットすべきだしブスなら化粧ちゃんとしてニコニコと明るく振る舞うようにすればいい。出会いだって街コンも婚活もある。いくらでもやりようはあるのだ。
同級生のあの子はもう結婚したし、あの子はもう子供も産んだ。それなりに彼氏いる子がほとんどで、いない子は30までに…と将来を逆算して婚活行って頑張っている。
私はどうだろう。
でも、なんかピンとこない。どんどん日々が過ぎていく。
自分から動かないと何にもならない。恋愛だって仕事だってなんだって全てそうなのだ。
……だといいな、なんて言ってるうちは捨てられないんだろうな。
すぐに彼氏できる女友達が恋人作りに期日を設けてたので、それぐらいの意識を持ってやった方がいいのかもしれない。
何にせよ、周りが結婚だの子供だの言い始めているのに、未だに私は手を繋ぐより先の段階を踏むところからのスタートなのだ。
そういう周回遅れの焦りがずっと離れない。
いつもありがとう!結婚してくれてありがとう。それまでは吉野家、松屋、すき家のヘビロテで不健康に太り気味だったんだけど結婚してから凄く健康になった気がするよ。
それと納豆が小鉢に入っててビビったよ。なんだよ、小料理屋ですかこれは。ネギ一緒に食べると美味しいですね。
あと休日は引きこもりぎみだったけど、外にでるようになった。「天気もいいし、川に散歩に行きましょう」って言われたとき、よくわからなかったよ。散歩ってそもそもなんだろう。あと川ってそういう場所なの?という。
歩いてみて、疲れきった体にあたる日差しが暖かくて、あと太陽が少し眩しくて泣きたくなった。僕はこんな経験をしたことがなかった。
それからいろいろ引越とか子供が二人もできたりしたけど、まぁ君も毎日なにかに笑ってるし、あと私が抱きしめると何だか嬉しそうなので、まだなんとかなりそうな気がするよ。いつもありがとう!
なんとゆうかうまく言えないど
27歳になるまでは27歳ってなんかもっと大人だと思っていた。
実際そのくらいの歳になってみて
20歳くらいのときと感覚的に特に変わりはなく淡々としている。
相変わらず童貞だし。
更に進んで、どちらかというと、上司の性別に問題があるというよりも、
・むちゃぶり仕事やOJTという名のノーフォロー体制など、"旧態以前的・男性的(比喩表現です)"環境がが何だかんだまだまだ多い
・女性社員の育成メソッドが、育成する側・される側双方に共通言語化されていない
今もずっとお辛い思いをされているんですね。
私は貴方の直接の知り合いでも何でも無いので、何だかかわいそうだなぁ、良い方に向かってくれたら良いなぁと思うくらいしかできません。
多分ここで◯◯がいいよと言うようなことを言われても反発なさるだけかと思います。なので貴方がおっしゃっている通りご自分で探されるのが1番だと思います。
配属ガチャに失敗したよ。泣きたいんだ。書き殴らせてくれ。春から社会人の身。
もっと悲惨なやつだっているって意見はくるのが目に見えてるけど、本当に、本当に号泣してしまったんだ。吐露させてくれ。
三分の二は東京勤務って聞いてたのに、残り三分の一の大阪勤務の方に見事に入った。
大阪?いいじゃん!
そんな意見うるさい。
配属地が大阪か東京の二択の会社を就活して選択した。まずこの時点で全国転勤といえど確率66%で東京の会社なんだ。
つまり、もう訳の分からないど田舎に飛ばされない会社で就活したんだよ。そんな○○なんて僻地に行くあいつよりマシだ、みたいな前提が違う慰め方しないでくれ。
そりゃまぁ勤務地が東京オンリーの会社を選択するべきだったかもしれない。でもそれは何を重視するか、みたいな上限100のゲージを会社選びで振り分ける際に、勤務地以外にも当然ながら給料とかやりたいこととか残業時間とか休日数とかいろんなことを加味した結果のベストが、今選んだ会社だったんだ。だからここぐらいは許してくれ。
まぁそんなわけで本題。
彼女は俗に言うビッチだった。このビッチちゃん、寂しいと色んな男とヤッてしまってた。まぁ性欲も強くて、俗に言う性依存症の症状に似ていると思う。
自分はそんなことをするのがなんだか悲しくて、やめて欲しくて、付き合った。もちろん、何だかんだ話も合うし、可愛いし、そういうところも当然ながら魅力的。
付き合っているときも裏では一回ヤってたことがあった。俺は号泣したけど、本気であることが伝わったのだと思う。大変なこともいろいろあったけれど、徐々に信頼できる関係ができてきたと思う。
で、大阪配属を伝えた。電話越しで号泣してたよ。悲しい、俺も悲しい。
そりゃ66%東京なわけで、うまくいけば東京で一緒に俺の家へ転がり込む形で住もうと多分思ってたわけで、もっと長いスパンで付き合っていこうという話もお互いにしてたし、思ってた。そういうプランが、希望もしていない配属ガチャメールで崩れた。
彼女はもうそんなビッチなことをしなくて済むんだと俺は思ってたのにな。
彼女は俺の所有物でも、モノでもない。分かってる。ビッチなことをしてほしくないからっていう俺のエゴが詰まってるのも分かってる。自分に都合のいい女しか愛せない訳でもない。
ただ、目の前で愛していた人が前みたいにビッチなことをして、壊れて、自己嫌悪になって疲れていく姿をもう見たくない。ただ、辛い。
そして、性依存症気味だから、このままいけばこの物理的な距離に耐えかねられず、別れてしまうだろう。
かといって切り捨てたくもない、要は自分のエゴの詰まった愛なんだ。こんな形で気づかされてもっと泣いた。
配属ガチャのせいでうまくいってた彼女とは別れるかもしれず。なんでなんだろう、人生ってうまくいかないね。また涙が出てきた。
ぶつけようもなく、でも誰かに話したいけど感情的になってしまいそうだから支離滅裂だけど少しぼやかせてほしい。
日曜日に飼い犬が死んだ。女の子で、14歳。あと3か月で15歳。
元々生まれる時に母犬の産道に首をひっかけてしまって、それで脳やら神経やら足やらに影響はあった。身体が丈夫な方ではきっとない。
でも彼女の人生の中で心臓が合計3回止まった事があるのに、蘇生した生命力の強い子だった。
あとお世辞にも賢いとは言えない子だったけど、とても愛嬌のある子だった。
最近、ぜえぜえ言ってるなとは思ってた。土曜日にも少しだけ息を荒げてこちらを見上げる顔は、何となくいつも通りではなかった。
けど腎臓が悪いという事は病院に通っていて分かっていたけど、その他に持病も無かったので風邪なのかな、くらいで思っていた。
ご飯もいつも通りいっぱい食べる。見上げてくる顔は今日も世界で一番可愛かった。
肺炎になってると。まぁでもその日でどうにかなるというわけではないらしいけど、入院という形をとった。
家族で入院一日2万円だって、頑張って工面しないとね、一人で寂しくないかなと話していた。
夕方に病院から電話がかかった。「息が止まった」。私の息が止まりそうだった。
急いで病院に向かったら、息は吹き返していた。触ったら暖かくて、けどつらそうだった。
何度も機械に繋がれている所を見た事はあっても、何だかその日はザワザワして仕方がなかった。
あれよあれよと先生から説明を受けて、結局一晩様子を見ようだなんだ言ってて、でも早い話先生から最終的に言われた事は
「もうきっと、残念ですがダメだと思う」
抱っこして、酸素ボンベを貰って、家に連れて帰って、もしかしたら連れて帰るって時に死んでしまうかもと言われていたのに彼女は酸素ボンベが無くなるまでずっとずっと生きつづけた。
病院から連れて帰る時、抱っこしたのは私だけど、こんなに柔らかかったっけ?って思うくらい、もう彼女の身体には力が入ってなかったけど車の中で撫でながら名前を呼ぶと、力が入っていった。
おしっこを作る力がもう残ってないって説明をされたけど、私は彼女が逝くまでの間、二回おしっこを足にかけられた。
母犬が亡くなった時、私は仕事中で看取れなかったけど、この子の事は看取れた。
充分彼女の強さも垣間見れて看取れて幸せなはずだったのに、心がぽっかり空洞のようになってる。
酸素が切れて、苦しそうに息をする姿も徐々に弱くなる呼吸も頭から離れなかった。忘れようと思う事はない、ずっと覚えておきたい事である。だけど思いだす度に彼女がこの世からいなくなる事が現実のように感じて胸が痛くて仕方がない。
元気に立ち直って、ちゃんと生きていかなくちゃ、受け入れなくちゃとは思ってはいるけど
今朝もふと無意識に彼女の事を撫でようと振りかえってしまった自分にどうしようもなく悲しくなった。
もう使う事の無いオムツ、おやつ、ゲージ、ベッド、洋服、タオル、目に入っても匂いが鼻についても、やけに静かな部屋も、歩くのに地面をする音がしないのも、今は非日常過ぎて夢なのではないのかとしか思えない。
いないと分かっているのに、いない事が信じられない。
突然いなくなったあなたと一緒に遊べない事が信じられない。家に帰っても、いない事が信じられない。
私が二次創作活動を始めたのは随分と遅くて、今年の三月でやっと一年が経過した。
その活動の中で、今まで全く関わりを持ったことのなかった人たちとSNSを通して交流を持った。
それはよく分かっているが、現実ではついぞお目にかかったことのない人との交流を持ってしまった故の心の澱を吐き出したい。
ひとりは、とにかく同じ過ちを繰り返す人だった。
過ち、という言い方は強いと思われるかもしれないが、これは私視点の言葉ではない。
Aさんと仮に名付けて話を続ける。
私と違い、Aさんは二次創作活動をもう十年を越えてやっている方だ。
その方は、あるジャンルにハマって活動をし、SNSで交流を持つと必ずその場所にいられなくなってしまうらしい。
人間関係で失敗し、twitterのアカウントを何度も変えてはまた居場所を探してジャンルを渡り歩く。
Aさんと交流を持ってみて分かったのだが、とにかく約束が守れないということに尽きるのではないかと思う。
スカイプという無料電話的な物で話をすると決まってから、Aさんが時間を守ったことなどほとんどない。
何なら、約束を自体を忘れていてこちらから連絡をしたこともある。
Aさんが自ら言い出した約束すら、ずっと守らずに放置し続ける。
そしてその約束に関して、謝るということが出来ない。
私は現実でこんなに人を軽んじる人と交流を持ったことがなかったので、ただただ驚いた。
Aさんが嫌われる理由もよく分かるのだが、本人はそれを理解しておらず、自分は被害者だと言い続けていたのが印象的だった。