はてなキーワード: 中途採用とは
http://www.mynewsjapan.com/reports/1734
あー、俺です。
なんか最近UNIQLOって超ブラックなんだぜ?っていう記事を読んだので、元UNIQLO社員の俺がしゃべります。
まず俺のことなんですけど、UNIQLO辞めたのは2年以内のどっかです。在職期間は5年以上10年以内で、中途採用でした。
在籍部署はあんま言いたくないんですけど、商品系のどっかです。
生産部とか、R&D部(デザイナー、パタンナー等)とか、MD部とか、そういうモノ作り系です。
そいでまぁ、一言で言うと確かにUNIQLOはすっげーブラックだとは思います。
ネットで読んだ記事はIDが無いので最後まで読めなかったんですけど、だいたい書いてあることはわかります。
ただ本部と店舗だとまた違うとこもあると思うので、その辺のことを書けたらと思います。
できるだけグチっぽくならないように書くつもりですけど、どうしても主観的になっちゃうのは許してください。
まず俺が入社した当時はUNIQLOはこんなじゃなかったってのを先に。
けっこう和気藹々な雰囲気で、社内のムードも良くて、厳しい決まりごとなんてのもそんなに無かった。
9時出社だったし、一定階級以下は残業代も出るし、一定階級以上は逆に「裁量労働制」つって、一日一時間でも働けば出社扱いになった。
風邪ひいて欠勤しようが別に給料に影響することはない素敵システム。
休みが少ない!ってのも特に感じなかったし、総合的に考えて、給料は悪くなかった。
課題なんてなかったし、残業は確かにあったけど、いわゆるアパレルらしいルーズさというか、いい加減さみたいな空気が社内にもあった。
ただ柳井はそういうのがもともと嫌だったんだろうね。あの人は経営に関しては完璧主義で潔癖症だから、そういう「大企業病みたいなものを排除しないと」っていうパラノイアみたいなもんにとりつかれていった。会議でも度々そういうことを口にするようになっていたし、社内にもピリピリした空気が漂うようになってきてた。
社屋が六本木に移った頃から目に見えてちょっとずつ厳しくなっていった。
それでまぁ1年経ち、2年経ち、だんだんお風呂の温度があがっていって、俺はもう熱くて我慢できなくなったので先にあがった感じ。
だから今、新卒や中途採用で新しくきた人は、急に高温のお風呂にぶち込まれるわけで、「あちゃちゃちゃちゃちゃ!むりむりむりむり!!!」ってなるのもわかる。
①就業時間
前述にもあるけど「裁量労働制」。
おれは法律には明るくないからわからんのですけど、これってありなんですか?
うまい汁吸わせてもらってる時はいいんですけど、風呂の温度が高すぎて人がいないんで、1人あたりの業務負担がすげー多くなっちゃった今、正直この制度のせいで、ほとんどの社員が残業代出ないまま毎日何時間も残業することになってる。くどいようだけど残業代無しで。社員からしたらまずもうこの時点でアウトだろ!って思うけど、どうなんですか?
そのくせ、半期に一度の業務評価で、残業無しとか、有給全消化とかを目標にさせられて、クリアできないと評価が下がってボーナスが目減りする。だけどこの目標は強制項目だから回避できない。これは詰んでる。
それと朝7時出社。これはけっこう精神にくる。思ってるよりずっとキツい。
そもそもなんでそんなことを始めたかというと、「早く帰って、プライベートな時間を勉学やリサーチ等の情報収集に使うのが良い人生だよね!」みたいな柳井の妄想からスタートしてるんですけど、そんなんほっといてくれよっていう。
そもそも、就業時間、拘束時間が変わらない限り、早く帰ろうが遅く帰ろうが、睡眠時間をキープしようとするとプライベートな時間は変わらないはずなんですけどねぇ。
そんで柳井曰く、じゃぁそのプライベートな時間にやる勉強をこっちで用意しといてやったから!おまえら早く帰れるようになってうれしいだろ?これやっとけよ!?っていうのが「英語」。
②英語
まず、TOEIC750点以上。これ無理。
俺みたいな超絶バイリンガルな天才はさておき、デザイナーとかパタンナーとかアホですもん。デザイナーとか200点とかがゴロゴロしてる。え?TOEICて4択ですよwwwwwwみたいな。
専門学校卒ですよ。学生時代にハマったのはボディピとスケボーですよ。レゲーが世界を変えると思ってるんですよ。無理でしょ。
あとMDとか生産部とかも基本アホですもん。そもそも店舗から引っ張ってきて本社勤務してるやつなんて、基本三流大学出てれば良い方。高卒レベルの脳みそ引っさげてアルバイトのUNIQLOの店員からはじめたような奴らですよ。そいつらが、それでも現場で類まれな能力を発揮して、店長になって、エリアマネージャーに昇格して、そんで、じゃぁ君いいね、来月から本社で一緒にモノ作りしようよっつって本社勤務してるんですよ、そんな叩き上げのおっさん捕まえて、「半年でTOEIC750点出してもらうから。できなきゃ給料から授業料天引きね★」って、いや無理ですって。詰んでるって。
当然、点数だけでは給料から天引きされないんですけど、条件がある。
まず勉強時間。これはBerlitzのEラーニングシステムを導入してるので、誰がどれくらい勉強してるかが全てわかるようになってる。いろいろやったけど基本ズルは難しい。
週に10時間以上勉強しないと、上司から指導が入る。それでも改善できなければ給料から授業料の半額が天引きされる。
それと、半年ごとのテストで50点アップ。これをクリアできないとさらに半額が天引きされる。コンボだと全額。
だけど①でも述べたように、ものすっごい残業して、家帰ったら寝るだけみたいな生活(しかも5時起き)の中で毎日1.5時間以上の勉強時間を捻出するのは本当に辛い。体力をどんどん疲弊する。ライフはゼロよ!ってまじで思う。
当然その勉強時間に給料は出ないので、UNIQLO社員はもれなく月30時間以上は家でサビ残してることになるとおもうのだけど。
これも始まったのはここ2年くらい前かな。
そもそも社員の時間を勝手に使って、勝手に給料から天引きするシステム、これがブラックじゃなくて何がブラックなん?
③課題
今週の課題は柳井正の「一生九敗」を読んだ読書感想文だし。まぁこの本の代金は柳井のポケットマネーでいいわそこまでせこくないし。売上部数1万は上乗せできるし。でも来月の課題図書ドラッカーの「経営の哲学」な。本の代金は給料から天引きしといたから。あと感想文提出できないと面談な。
④責任
えーと、俺がUNIQLOを辞めようって思ったのはこれです。個人的にはこれが一番堪えられなかった。
会社の経営方針として「全員経営」ってのがあって、これは柳井の口癖でもあるんですけど、要するに全員が経営者の自覚をもって、もっと利益や売上にコミットしましょうってことなんだけど、それがどう転じてか、「責任は個人がとる。」ってことになって、それがさらにこじれて、「担当者(末端社員)が責任をとる。」ってのがUNIQLOのやり方。
おれはアパレルしかわからんので、アパレルの話をしますけど、モノ作りってのは基本トップダウンで行われる。
ディレクターって呼ばれる人達が(UNIQLOの場合大勢)いて、その人達がじゃぁ今季のコンセプトはこれこれですよってのを決める。
それを元にカラーを組む人や、柄を組む人や、デザインを考えるデザイナーがいて、サンプルを作って、会議をするわけです。
でもすぐにサンプルを作れるわけじゃなくて、何度もそのエライ人達と打ち合わせして、パタンナーと打ち合わせして、じゃぁこれでいこうってなったら、生産部と協力してサンプルを作って、会議に挑むわけです。UNIQLOの商品は全て社長が目を通すので、商品系の会議と言えば社長会議なんですけど、そこまでに「会議のための会議」を何度も重ねて、会議に挑むわけです。
そんで会議でたまたま柳井の意にそぐわなくて、「誰ですか!こんな下らないもん作ったのは!」ってなったとするでしょ?
首根っこ掴まれて、社長の前に放り出されるのは、一番下っ端のデザイナーだったりパタンナーだったりMDだったり生産なんです。
んで、ボーナスの査定が目減りする。上司はうまくそれを処理して昇給する。
おれはこれがどうしても納得できなかった。
責任の取れない上司なんて必要ないし、そもそもみんなで話して決めたじゃん!っていう。
1つ例を出します。
今飛ぶように売れてるウルトラライトダウン。あれ、初年度とサイズ感が違うんです。
当初のコンセプトだと、あれは「ミドルレイヤーとしてのダウン」だったんです。mont-bellさんやPatagoniaさんがやってるようなシャツダウン。アウターの中に着るダウン。
そういうコンセプトですから当然サイズ感は、「シャツのよう」にミドルレイヤーとしてのフィット感を重視したサイズ感だった。
ところが、これが販売を開始してみると、店舗から「従来のものよりサイズが小さいのではないか」いう問い合わせが頻出したんです。
これ自体はよくある話です。誰が悪いというわけでもない。
きちんと商品説明が店舗まで行き渡っていなかったのも悪い。お客様に説明できていなかったのも悪い。そもそもそういうコンセプトが受け入れられる土壌がUNIQLOの客層にはできていなかった。いろいろ悪かったんです。
でも、これは責任をだれかがとらなくてはならない。何故なら!それが!UNIQLOの!やり方!ヒャッハー!魔女狩りだゼェ!
でも当然商品化されるまでには、何十人もの人間が携わり、会議で議論し、社長自身が「それで行きましょう!」と判を押してる。
そういうの全部無視して、企画立案者に罪をなすりつけるような会社で、良いアイデアや、良い商品が産まれるわけがない。
みんな萎縮して、実績のあるものをこねくり回すだけの仕事になっちゃう。
おれは絶対間違ってると思う。ねぇお兄ちゃん、これが全員経営ってやつなん?これがドラッカーがめざした理想の経営学なん?
こういうことが日常的に起こる会社にいると社員はどうなると思いますか?社員は常に怯えて仕事するようになるんです。
自分が責任をとらないでいいようなやり方。共有のメール、共有のための会議。会議、会議、会議、メール、メール、メール、メール。。。
⑤鬱病
そして作り出されるのが鬱病。
これはほんとに多い。多分%に直したら日本の企業で一番多いと思います。いや世界一。
もうみんな感覚が麻痺してて、誰々が明日から暫く休みますなんて報告を聞いても、あーまたかー、仕事が増えるなぁ、くらいにしか思ってない。
感覚でしゃべりますけど、10%~20%くらいの確率で鬱病経験者です。
原因は、逃げ道の無いプレッシャーです。
けっこうわりと、仕事がクソでも、メンツが良ければ楽しくやってける、みたいなのあると思うんですけど、今のUNIQLOにそんなお花畑はない。
毎週朝礼で「プレッシャーを感じて仕事しろ」「もっと追い詰められろ」「緊張感をもて」って言われて仕事する。
社員はプライベートな時間も、仕事の時も、どんどんどんどん自分を追い詰めて仕事をしてる。そして死ぬ。
最後にこんだけクソミソに言っておいてなんすけど良いことも書きます。
UNIQLOのブラックさは、経営コストを削るために無理させてるってよりは、あいつら本気でそれが客のためになると思ってやがんですよ。
「プレッシャーを感じて仕事しろ」ってのは、売れてる時は、客が店に来てる時。客が店に来てる時は、何か期待して来てる時。その時につまんないもの、粗悪なものしか見せられなかったら、そのブランドは終わり。っていう理論。だから売れてる時ほど緊張感をもってなきゃダメだってこと。
英語にせよ、なんにせよ、まるで宗教みたいにすげー崇高な理念の為にやってる。
英語をしゃべれるようになれば、もっと世界のいろんな企業と「直接」取引できて、もっと安い原材料を仕入れられて、もっと工場とコミュニケーションがとれて、もっと良い商品がつくれるんじゃないかって、そんなことを考えてる。マジキチ。
7時出社にせよ、裁量労働制にせよ、元々は社員のため!みたいなお節介企画が始まりですし、なにも搾取してやろうって始めたわけではない。
その辺は某居酒屋とかコンビニとは違うかなーとは思いますけど、おれもまだUNIQLO脳に侵されてるので他人からみたら一緒かもですね。
あと商品につては、まじで今でもUNIQLOの商品はすげーと思います。中にいても、外に出ても思います。
縫製とか生地のクオリティが最近悪いとか言われてるけど、全然そんなことなくて、むしろどんどん良くなってると思います。値段は高くなってるかもですけど、それは原材料の高騰がどうしても響いてる。デザインはクソですけど。
あそこまで単品の完成度が高い服は無いと思う。
むかしTVで見たけどチョコボールは毎年アップデートしてるらしい。あの小さな一個の粒を、チョコの味をちょっと変えたり、ちょこの厚みを変えたり、硬さや大きさを少しずついじって、今でもベストを探り続けてる。
UNIQLOはまさに同じ事をやってて、靴下一足、ポロシャツ1枚が去年とは全部違う。シルエット、素材、縫製、必ず何かアップデートしてて、そんなことを毎年毎年やってる。
社員がみんな萎縮してるから良いアイデアが生まれなくなって、デザインはどんどんクソになっていくけど、反比例して、既存の商品がどんどん良くなっていく。
お客様が喜んでくれる為って本気で思ってて、良い物を適正な価格で出せば絶対売れるっていう理念は創業当時から変わってない。モノ作りで妥協は絶対しない。
下っ端の社員なんて基本バカで単純。柳井教をうぜぇうぜぇと言いながら、信じてる。
だけど、他の会社で、そんなところは絶対ない。妥協しないって、できることじゃない。
おれはそういうモチベーションの高い人間じゃないので無理でしたけど、本気で服で世界を変えてやる!くらいに思ってるような熱いやつならまぁ向いてるんじゃないですかね。給料はいいと思います。平均よりは。
ただ、おれは服ってのはそういう切り口もあるけど、やっぱ基本楽しいもんじゃなきゃヤダって思う人なんで、あーUNIQLOむりかもーって思い始めてた。
そんでまぁ風呂の温度も一向に下がる気配ないし、むしろどんどん熱くなってるし、のぼせる前にイチ抜けした。
今は楽しくやってます。
追記:「積んでる」→「詰んでる」に訂正しました。id:takeda25さん指摘ありがとうございます。
町山智浩が、先日新聞で、娘のためにアメリカに住み続けたい旨のことを言っていた。
いわく、それは30歳過ぎて大学に行って職が見つかる国はアメリカだと。
町山の妻は30過ぎてアメリカの大学に進学して就職したのだという。
日本の少子化が危機的状況だと言われだしたのはいつからだったろうか。
例えば、企業に勤めている既婚女性で、何度も産休や育休を取れる企業はどのくらいあるのか。
復帰しても、時短勤務や閑職ではない仕事をさせてくれる企業はどれほどあるのか。
第一子出産後復帰して、第二子、第三子、同じように休めるだろうか。
休めない場合、辞めることになる。
もちろん、公立の学校に大学までいけば、それほどかからないということをいう人はいる。
しかし、公立の学校に行っても、結局塾には行く。もちろん、一切そのような所に行かずとも、
東大などに行く人はいるだろう。しかし、それはレアケースだろう。はっきり言って。
塾などに行かなければ、それなりの学校に進学するのは難しいというのが、今の日本の現状だろう。
従って、子供にそこそこの教育を与えようと思ったら、やはりそれなりの金額が要求される。
それを考えたら、仕事は辞められない。
それは正しいのだろう。
すぐ熱を出しやすい子供、アレルギーがあって、食事などに気を使わなければならない子供、
親は家庭で子供の面倒を見ていたいと思うだろう。
仕事は、辞めざるを得ないことの方が多いだろう。
しかし、一番下の子供が手がかからなくなるまで、何年かかるのか。
10年近く、保育所やらなんやらとの綱渡りを続けて仕事を続けることになる。
たとえ、保育所や学童保育が充実していても、精神的にも肉体的にもそれが可能な人はどのくらいいるのだろう。
第三子まで産んで、全ての子供に手がかからなくなった後、仕事をしたいと思っても、
以前勤めていたような企業にはたして勤めることができるだろうか、または前職ほどの収入は得られるだろうか。
きっちり働いてそれなりの収入を得ている人ほど、辞めたら二度と今と同じ収入は得られないことを知っている。
こう考える既婚女性は多いのではないだろうか。
一生懸命就職活動して、新卒で大企業などに入社した女性ほど、こう考えるだろう。
だって、うちの会社、新卒でしか採らないもん、中途採用もいるけど、ブランクのある人なんか採らないもん。
長期療養が必要な病気になることもある。または、身内に介護を必要とする人が出てくることもある。
例えば、自分が病気になって仕事を辞めたら、数年後無事回復した時に、それなりの収入を得られる仕事に就けるだろうか?
日ごろ健康に気をつかっていても、突然難病に襲われることだってあるのだ。
学生が、新卒で就職しないと一生不安定な収入で終わる不安を持つ世の中というのは、健全なのだろうか。
時給いくらで得る収入では、結婚したり子供をもったりなんか無理と思うのは道理だろう。
以前、民主党が政権を取る前、小渕優子が少子化担当大臣だった時に、
子育て支援として保育所の拡充を強く言っていたような記憶がある。(その前の人たちも言っていたんだろうけど記憶がない。)
ちょっと違うんじゃない?自民党ってわかってないなと思ったのは自分だけだろうか。今の民主党政権がよくわかってるとも思わないが。
もちろん反対ではないが、それも大事だろうけど、それよりも、子供を産めるような収入の確保なんじゃないの?
今もう収入がある人の方を向くだけではなくて、今収入の少ない人の方を向かなければ駄目なんじゃないの?
多少なりとも税金を払っている身としては、その税金はきちんと使われてほしい。
地域差はあるだろうが、多くの親が子供を大学まで出そうと思ったら、塾に行かせるのはなぜか。
また、私立学校に行かせたいと思うのはなぜか。
公立学校の教育がもっと充実していれば、現在のように教育に金がかかることは減少するのではないか。
もちろん、私立学校の教育方針に同意して私立に通わせたいというのはある。
公立学校だろうと私立学校だろうと、質の高い教育が受けられるというのが本来なのではないのだろうか。
公立学校にもっと税金を使って、もちろん頭も使ってほしいが、満足のいくものにしてほしいと思っているのだが。
今起きている多くのことの解消の一端になるように思うのは自分だけだろうか。
もちろん、会社を選ばなければ、いくらでもできるよと言う人はいる。
しかし、そのような企業も、例えば数年のブランクのある人間や、ずっとバイトだけで生活してきた中年を
時給いくら以外の職で雇うのだろうか?
または、生活できるような待遇や収入を得ることができるのだろうか。
起業すればいいという人もいる、フリーランスでやればいいという人も。
しかし、起業にしてもフリーランスにしても、誰にでもできるというものではないのだ。
ただ、もしブランクがあるなり、年くってるフリーターなりが入社してきた場合、
かれらをどう教育するのか、どんな扱いをするのかという問題が残る。
場合によっては20代が上司で40代が部下で、または40代の人間に新人研修をということになる。
採用された場合、年くってても新人なんだから、周囲に教えを乞う態度を持たなければならない。
年くってるだけで威張る人っているからね。
また、新人としての待遇、給料に甘んじる必要もあると思う。しかしバイト時代よりは人生設計が建て易いだろう。
その辺の意識改革を、国民レベルでやる必要はあるのかもしれない。
また、新卒一括採用のない国では若者の失業率が高いという問題が起きている。
経験者募集の職場ばかりで、新卒が職業に就けないということらしい。
町山智浩の妻は就職できたが、今のアメリカでは大学を出ても職に就けないらしい。
ヨーロッパの若者の失業率の高さを考えると、日本の若者はまだ恵まれているのだろうか?
女性が社会に出てくるから男性の取り分が減って給料が減るのだと、だから女性の雇用をなくせば、
男性一人で充分家族を養える収入につながるはずだ、だから少子化は減るはずだという話もある。
しかし、一定の割合でバカも優秀もいるのだから、企業としては、いい人材が欲しければ母集団の人数は多い方がいいだろう。
50人から選考するのと100人から選考するのでは、いい人材に当たる確率は後者の方だと思うんだがどうなんだろうか。
優秀な人材揃えて回していかないと、企業はつぶれるんじゃないか?
それに、パキスタンの少女が学校に行くことを訴えて銃撃されたことに憤慨するんなら、
女性が働くことにケチをつけてはいけないんじゃないか?話は飛びすぎているだろうか?
働くという行動そのものに、正規だろうと正規じゃなかろうと本当は違いなんかないのだが。
つーか、もっと年齢上の話ですよ。
うちも起業当初はノウハウが不足してたので、30代とか雇ってみたことあったんですよ。
中途採用かつ、経験者扱いで。主婦の方がいたこともありました。
「若い子を自前で育てる。ノウハウは自分で学ぶ」という結論に落ち着きました。
別に、年齢制限かけてるわけじゃないんですよ。ただ、30過ぎてウチみたいな中小に
転職しようとするような人は、99%ハズレ人材だってことです。
で、ハズレ人材の可能性が高いエリアは経営判断として丸ごとフィルタリングするしかないわけです。
だから、雇う人は結果的に子どもを産む適齢期の人になっちゃうわけですよ。
まー、そもそも「女は雇わない」という手もないではないですが、それは些か反社会的な気がするし。
先日、私の祖母が亡くなった。85歳だった。
祖母との思い出といえば、私が生まれてから成人するまでのおよそ20年間、元旦に直系の親族一同とともに正月祝いを行っていたことを思い出す。正月祝いと言っても、細田守の「サマーウォーズ」に描かれるがごとき祝祭的な性格のものというよりは、近況報告を兼ねて親族同士で気を使いあう儀礼的な色彩のつよいものであった。
祖母には一人の息子と三人の娘がおり、息子が一番年長、その下に長女、次女、三女と続く女風上の一家で、この末娘が私の母である。四名とその家族が毎年元旦に祖母のいる実家へ帰省していたわけだが、態々そのような古臭い集まりを続けていた理由は簡単で、いずれの親族も実家から車で1時間以内の場所に住んでおり、集合するのが容易だったためである。
長男は、礼儀正しく気の優しい人で、奥方とも仲睦まじいが、子宝には恵まれなかった。長女は結婚してすぐ最初の孫――――私のいとこに当たる娘を産み、次女もまた結婚後すぐに娘を一人もうけたので、祖母からすれば、自身の若いうちから孫を抱いて可愛がる楽しみを得ることが出来た。私が生まれたのは次女の娘よりも5年ほど遅れてのことだったが、あとから母に聞いたところによれば、祖母にとっては初めての男の孫であったから、幼少時の猫可愛がりは尋常ではなかったということだった。現在を見てみれば、いい年をして結婚もせず、祖母の期待に沿う形には成長できなかったのだが。
私に遅れて妹と弟がそれぞれ誕生したが、正月にはこれらが皆、映画のように広い日本家屋などではなく、昭和のごく平均的な一軒屋に集まるわけだから、私たち孫の小さいころの祖母は片付けや食事作りなどにてんやわんやで、忙しそうに家中を動き回っていた。
生前における祖母と祖父のおしどり夫婦ぶりは母や親戚から伝え聞いているが、その足取りは大抵のものではなかった。
大正生まれの祖父は、呉服屋の息子で自らも商店を営んでおり、利発聡明と専ら評判の若者であったが、当時の男性としては体は丈夫なほうではなかった。そのためかは定かではないが、第二次大戦時もなかなか徴兵されることはなく、結局日本が敗戦する直前になって突如として徴兵されることとなったという。
終戦後、祖父は無事帰還したものの、兵役の最中に肺結核を患っており、生業である商売もままならず、しばらくは寝たきりの生活を余儀なくされた。戦後の結核治療の確立から一命はとりとめたものの、後遺症か定かではないが、原因不明の発熱と咳に生涯悩まされることとなり、商店の経営にも難渋した。
祖母は、看護学校を卒業していたが(戦中、従軍看護婦になることを希望していたのかもしれない)、卒業後すぐに祖父と結婚したことから、看護婦となることはなく、祖父の徴兵後は夫に代わって商店を切り盛りしていた。しかし、祖父の体調不良もあって戦後いよいよ先行きが怪しくなり、結局私の母が生まれて5年後に閉店したという。
その後の祖母は、しばらく職を転々とした後、昭和42年ごろ、某市の市立病院の看護婦となる。祖母にとっては、高校以来の看護業であり苦労は並大抵ではなかったというが、持ち前の剛毅さと天性の快活な性格にナースは天職であったようで、中途採用者としては異例の副婦長の地位まで昇進したという。60歳で定年した後も、市内の私立病院に嘱託職員として居場所を得、4人の子供を成人させ、病の夫を支え続けた。
しかし、その祖父も私が5歳のときに癌で帰らぬ人となる。確かではないが、病室で遺族が泣き伏せる中、祖母は一度も涙を見せなかったと幼いころの私は記憶している。
祖母との最後の思い出らしい思い出は、一昨年の夏のものである。
何とか就職が決まり、自分の車を手に入れた私は、何を思ったか一人で先祖の墓を参りたいと考え、祖母に親類の墓地の場所を尋ねに行った。その前の年、私の父が母と離婚しており、20年続いていた正月の集まりは中止されてしまっていた。祖母の顔を見るのは、同年の冬、祖母が初期の癌を患っていることが判明し、見舞いに訪れた病院以来であったと思う。これは治療により完治し、祖母は実家で一人暮らしを再開していた。
唐突に尋ねてきた孫に、祖母はメロンを振舞ってくれた。墓地の場所を教えてもらい、私はひとり車を走らせる。天気は伸びぬけるような快晴であった。セミが絶息の声を漏らして、草だらけの殺風景な墓所に風情を齎していた。確か、わざわざ花を携えて行ったと記憶している。
墓めぐりが終わって、私はもう一度祖母の自宅を訪ねた。最近腰が痛くて食器の片付けに苦労するというので、洗物を手伝い台所の片づけをした。年季の入った炊事場の汚れを見ると、正月に走り回りながらおせち料理を拵えてくれた、祖母の苦労が感じられるようだった。帰り際に、祖父の眠る仏壇へ線香を立てた。
帰り際、私を何事か心配そうに見つめながら、祖母は言った。
「私はもう、長くない。私が死んだら、後のことは頼む」
私は、何を言っているの、おばあちゃんは癌になったって死なない人でしょう、と言った。豪快な祖母のしおらしい一面を見て、私は意外に思いつつ、やや後ろ髪を引かれながら岐路に着いた。
その2週間後、祖母は脳梗塞で倒れた。
以後の祖母の容態は、芳しいものではなかった。脳梗塞からただちに生命の危機には至らなかったが、脳の神経が一部破壊されてしまったことから、記憶の維持に支障が生じ、軽度のアルツハイマーの様相を呈していた。また、翌年の冬、恐れていた癌の再発が認められた。
近年の病床の不足から、祖母は短期間の転院を繰り返し、結局地元の病院(かつて勤務していた病院ではない)に落ち着いた。最後に会ったのは、今年の5月ごろであったと思う。もう、私の顔はあまり分からなくなった様子であったが、お見舞いに来てくれているのはわかっているようで、こちらが手を振ると童子のように身振りで返してくれた。黒かった御髪はすっかり白くなり、顔も痩せて、さながらどこぞの聖人のようでもあった。母は週に一度見舞いに行っていたが、亡くなる前日までは、元気に呼びかけに応えており、当日は眠るように安らかに逝ってしまわれたという。
通夜には、上述した親族はもちろん、各地に散らばっていた祖母の兄弟の他、長女の娘の息子と次女の娘の娘、つまり祖母にとっては曾孫に当たる二人も参列した。二人とも終始、お経が退屈で帰りたいとぼやいていたが、赤ん坊のときにまだ健全だった祖母に抱かれたことは記憶にないのだろう。
私にとっては従甥・従姪にあたる二人の相手をしながら、私はかつてこうして祖母の実家で遊んでいた時代のことを思い出していた。辛櫃の前をずいぶん騒がしくしてしまったが、生涯をかけて一家を守ってきた祖母にとっては、たぶんこの光景が一番望んでいたことであったのだろう。
おばあちゃん、生前は本当にお世話になりました。
■名乗らない
最近多いです。非常に多いです。
名乗らない、というのは、出元があやふやで、どこにあるなんて会社なのか不明という意味です。
まずメールアドレスがフリーメール。株式会社なのかどうかすら書かれていない。
担当者名はフルネームなのですが、このメール以外でどうやって連絡すればいいかが分からない。
会社の電話番号などないし、所在地もないというふざけたものもよく来ます。
何を考えているのでしょうか。
当然無視です。もしかして間違って送ってきたのかな?とも思えますからそれは。
■名刺を渡さない
名刺も持たせてもらえていない半人前と話す事などありません。人を馬鹿にしてるわけですから。
また、目の前に座っている担当者が偽名を騙っている、なんてのも多い。だから名刺を渡せないわけです。
作家にメールを出した時点で既に偽名を騙っているわけですから、これは後ろめたい事をはじめから考えてんだなというのがよく分かります。
「偽名を騙るのがこの業界よくある事だから、」なんて業界はロクなとこじゃありませんし、社会人としても、とても信用できません。
万が一打合せや面接や、あるいはもっと大きい段階のPJキックオフや初顔合わせなどで相手に名刺も渡せて貰えないようなら
ハッキリと「名刺ください」と伝えましょう。普通なら名刺今ないんですよ、なんて恥かくような真似はしたくないですから持っているはずです。
そこで渡せないというなら、以後相手にしなくてもいいと思いますよ。
また、その名刺のメルアドがフリーメールなら、対応は同じです。信用する必要などない。まともな企業さんなら@企業名.co.jpがあるはずですし。
まず、本当に法人格なのかどうかすら怪しい。
HPがない、HP見ても情報が古い、HPがすごく簡単なブログ形式、どうみてもやっつけで作ったような出来、
どう思います?尚、電話番号がHPにないのは通信情報業では普通です。
本当に会社なのかなあ?で、この会社さんは自分に一体どんな仕事して欲しいのだろうか?不安になります。
親会社だから、○次請けだから、そんな理由知った事じゃありません。発注してくるあなたの会社を事を聞いています。
そこで答えられないような会社さんは、まず、なぜ大元の発注元を公表できない(普通できませんが)から、怪しい会社だと思われているのかが
自覚していないケースがほとんどです。つまり、受注した仕事に責任など感じていないわけですから。
今日日、悪名高い人材派遣業界でさえ、派遣先は事前に公表しますよ。そうじゃないなら違法だったはず。
事前に判断する方法としては、こっちが知人なり誰かを用意して、その会社の代表に仕事を依頼する電話をかける、という方法です。
「御社のHPを見てですが」「代表者に代わって頂けますか?」とうような探りを入れる。
3回くらいかけても代表者が不在、いつ戻るか分からない、というのであれば、その会社は相当怪しい、という事になります。そもそも代表などいない会社とも言えるわけですし。
■ギャラの話を先送りにする、または渋る、異様に安い
最近増えているソーシャルアプリの絵師様で被害に遭われている人が多いようですね。
まず、1枚いくら、なんて決め方はありえません。ハンコ絵じゃないんですから。
キャラクターなりデザインなり、他に多岐に渡って制作すべき要素が多く存在します。それなのに1枚いくら・・・値切る気満々です。
また、経験が浅い若いディレクターさんに多いのが、ギャラの話は上長に聞かないと等で逃げる人。お前は一体何なんだよ。じゃその上長とやらをはじめに出せと。
こっちも商売でやってんだから同じく商売の話をできる人間を出しなさい。
スゴイ例になると、先に成果物出してからじゃないとギャラは判断できないというのがありました。何させる気なんだよそれ。サンプル描かせるだけ描かせてやっぱりダメでした、でもサンプル貰っとくね、で、そのサンプルをゲームにこっそり使う、というのは見え見えです。実際そういう被害もあったそうです。
大体そんなのは作家のHPなりpixivで腕は分かるはずですからそんな事する必要などないんですよ。
いわゆるアスペルガー症候群の診断を受けて、6年程。
接客業のアルバイトを6年ほど続けている。自分の場合、本業は制作業なのだけれど、
営業が下手でそれほど仕事を取れないのと、仕事上必要な胆力や対人技能を摩きたいこともあって、苦手を承知で続けてきた。
合間に学校卒業や引越しを挟んで職場は幾つか移っているけれど、「体が動く」スタッフにはなれた、と思う。
ところが最近、体を壊した。
体をっていうと語弊があるな。完解宣告を受けてた、鬱と対人恐怖が再発した。
「人の言葉が聞き取れない」っていうのが、どうも一般の人には物凄く違和感があるらしい。
普段の会話にしろ何にしろ、大抵の場合は文脈や相手の様子から、次の言葉を先読みしながら対応するんだけど、
突然の指示だったり、あとはジョークなんかにも、とっさに対応できなくて訝しがられる。
人の顔が覚えられない。相手に対しての情報が少ないと、皆同じ顔に見えてしまう。
あと、接客というと笑顔が必須なのだけれど、自分の場合、緊張状態が長引くと、表情が無くなる。これもやっぱり不自然に見えるらしい。
最近は人と話すのが怖くなっていて、ホールに出るのも辛くなっていた。
スタッフの仲はいいし、待遇も悪くないし、いい職場なのだけれど、自分の特殊な状態を人に相談することもできない。
そして、一度うまくゆかなくなると、自分の行動の何もかもが不自然に思われてるのかと不安になってくる。
次の次の月までの生活費はかろうじて確保できていたから、解雇されても止むなしと覚悟して、
繁忙期が終わるなり連絡して休みを取らせて貰った。
孤立型に安住できない高機能自閉者の生きる道として導き出される解答なんて限られていて、
「許容される範囲の人間と付き合え」「容易に理解を得られなくとも、コミュニケーションの努力を放棄するな」
このくらいしかない。あとは常に腹を据えておくこと。自分を疑わないこと。わかってるんだけど、
ここ暫くの失敗で落ち込んでいるのにプラスして、無理が祟って今数年ぶりに鬱と対人恐怖がぶり返しているものだから、
人と会うのも話すのも辛いし、どう頑張ってもお先真っ暗みたいに思えてしまう。何を選んでも間違えている気がする。
正しい判断をできる気がしない。母親の、「あんたは何をやっても中途半端なのね」という言葉が脳裏を過ぎる
実際のところ、この言葉は母自身の投影で、私自身、体を壊したときを除けば、一度始めたことは意地でもやり通して、
結果を出してきた筈だ、と自分に言い聞かせる。でも、何か失敗仕掛ける度に聞こえてくる。
まだ不十分なのではないか。まだやれたのではないか。まだがんばれたのではないか。
でも、体がもうついてこない。そうなって、罪悪感を感じながらほっとする。
そして、人と話すのが怖い。たとえば「おかしな人」の話を聞いたり、見たりなんかすると、
ああ自分もこういう風に見えてるんだなって思ってしまう。想起されるのは、これまで経験してきた疎外感。
人の感情なんて水物で、いちいち間に受ける必要もない、って、重々わかってる。
コイツちょっと変じゃないか、と思われても、それこそ子供の苛めと同じで、ちょっとした切掛けで簡単に挽回されたり、
驚くほど親しくなれたりする。……わかってるけど、疎外感にも、努力した分だけの成果を得られないことにも、もう疲れてしまった。
実は今、本業(制作業)のほうで契約社員の求人に応募している。
本業的にはそこそこ経歴があるので、書類は大丈夫だろうな、と思いつつも、
本音、半分腕試しみたいな感じで、今の職場は続けたいな、と考えて。
でも、今回の抑鬱の再発で、自分の仕事のやりかた考え直したほうがいいかもしれないと思い始めている。
今応募中の所がコケたとしても、本業をフリーで続けるのを止めて、
大学時代に一度病気で死に掛けていて、最終学歴は高卒。だから、このご時勢就職なんて無理だって思い込んでた。
営業下手だから専業じゃ厳しいけど…という感じでぽつぽつ仕事を請けてたんだけど。中途採用なんて考えたこともなかった。
接客の仕事も、頭打ちのように感じていたし、無理な副業を続けるくらいなら職場を探したほうが良いのではないか。
今の職場は、せめてスタッフとしては一人前になろうという意識で居たから、中途半端で離れてしまうのは悔しい気持ちもある。
今回の件があって、
二次障害が一度完解して以来、必要ないと思っていた障害者手帳を取得するか迷い中。
アスペルガー症候群は二級か三級(自分の場合、ギリギリ独活してるからおそらく三級)で、大した利益はないらしいけれど、
障害者枠での職は取りやすくなるらしい。ただし、今の流れのまま、制作一本でやれそうならこのアイデアはまた流れてしまうセンが濃厚。
自分、野垂れ死んだほうが人の為になるんじゃないだろうか。ずっと考えていることだけれど、今も考えている。
そのくせ、自分を取り巻く物事は動き続けていて、
バイト先の職場は休んでいるのに、本業の方は稼ぎは少ないけど細々と続いている。
何か起これば粛々と対応している自分が、何か別の生き物のように思える。
こんなんで生きていけるのか。はみ出し者だからこそ、もっと強くならなければいけないのに。
そして、人恋しい。違うな。今、すごく、自分の存在を誰かに許して欲しい。
バイト先の人間関係はマトモに構築できなかったし、本業関係の付き合いはそんなに頻繁に会ったり話したりするものでもない。
友人は居るけど、こっちはマメな人間じゃないから、いきなり寂しいから会って話して、なんて言えない。
両親には、何かあると帰って来いと言われるのがしんどい。相談事なんてできない。
失敗や否定ばかりの毎日に疲れてしまった。なんでこんな不完全な人間が生まれて・生きてるんだろうって思う。
元気でも働けるとは限らない。仕事はいつでもすぐに発生するとは限らない。日本企業は中途採用を嫌がる傾向が少なからずある。自分で商売を始めようにも、普通はそれなりに元手がいる。それに就職して働き始めても、すぐに給料は入ってこない。給料は普通締め日までの労働に対しての計算だから、もらえるまでにはだいたい1ヶ月くらいかかる(まあ、良心的な所なら、その間の凌ぎとして準備金をくれるんだが)。
と言うと、大抵「仕事を選り好みしているんだろう、介護とかあるだろう」と返されるんだが、長期的に働くことを考えると選択肢は殆ど無いという現実を無視している。介護は確かに人手不足に悩んでいるが、あれは業態としては相当に特殊で、誰でもできるような仕事ではない(だから慢性的に人手不足になる)。人に勧める前にまず自分でやってみるがいい。
ほかも色々見てみるといいよ。
ボクは人事ではないけど、会社が小さいので履歴書が回ってきて、
使えそうな人にチェックしてーと、頼まれることが多い。
今朝も、中途採用に応募があった履歴書をパラパラ眺めていたが、
もっといい会社にいくだろうから仕方がないことと割り切っている。
答えは予想通り「No」だった。
おもしろいことに彼女自身は私学出身だ。
逆にコンプレックスになっているのか、なんかよく分からないけど盲目的に国公立をスゴイと思い込んでいるようで、
その為か、職無し期間が長かったボクも拾ってもらえたようだ。
さらに彼女と同じく銀行出身者だと仕事の基礎が出来ていると勘違いしているようで、
国公立+銀行出身者は麻雀で言うところの満貫ぐらいの扱いになる。
そして彼女のフィルターを通して採用された者にろくなものはいない(ボク含む)。
「今までだって、いい大学出た人間をとったところで、ろくな人材じゃなかったんだから、
試験だけ受けさせてあげたらどうすかね?」
『学歴を重視しているのではなく、大学に通わせる家庭に育ったかどうかのチェックしているのよ』
とのこと。
・・・・・・そういえばボクの両親も公務員だな・・・・・・。
ボクが雇われた理由をなんとなく納得した午後でした。
まぁ、テストを兼ねて、っていうか、ここには今回しか書かないような気もする。
まぁそれなりの大企業の系列でバブル期の入社だからかれこれ20年。
見回すと平均年齢は50歳弱でもう終わってるよね。数年前に中途採用取ったけど、なぜか「即戦力」とか言って同世代ばっかりとるからすでに守りに入ってる。頭が固いから新しいことが怖いんだろう。
そして不景気で仕事がへると日本的雇用で人も減らせないし「なにもさせないわけに行かない」って貧乏根性で個人の能力に関係なく仕事を分けだす。おかげで元の仕事を人に配りまくって社内ニート。で個人の能力・仕事量・成果に関係なく8~900万給料出す。まぁこのままじゃそのうちつぶれるだろうなぁ。ホントに若い世代がかわいそう。
いやだから、大手の中途採用は普通、人材会社とかを経由して行うだろ。
そして、行ってるよ、現実。
本当に転職について考えてる?
「経験」と言ったら単なる時間の長さを意味する場合があるからな。
うちの会社はいくつかの契約してるけど、そうするとその会社からメールで募集情報が流れてくるようになる。
自社ホームページでは載せなくてもね。
それが今の話とどう関係あるの???
そこは別に良いけど。
うちの会社はいくつかの契約してるけど、そうするとその会社からメールで募集情報が流れてくるようになる。
自社ホームページでは載せなくてもね。
「中途を無視してでも」の部分がよく判んないな。
いや中途採用そのものを完全に打ち切ってるのに新卒だけは採用してる会社いっぱいある。ホンダとか。
基本的に思い込みです。
僕は社畜生活が2年間だった。
時間に換算すると、8時間×365日×2年で5840時間になる。
5000時間集中して取り組めば何かのエキスパートになれる説があり、
僕も、自分の体験上、この説を支持している。
本人のスキルが足りてないからかもしれないし、原因はいろいろ。
ただ、効率が良いからといって、残業せずに済むほど社会は甘くない。
効率が良くても誰かに足を引っ張られて、残業することも多々ある。
僕も、50代のおっさんが頻繁にタバコ吸ってるせいで残業したことがある。
「いい加減にせい、お前は」とキレそうになった。
それだけ、はい。
社畜になるというのは楽なことだと思う。
線路の上を走っている限り、何も考える必要がない。
意思を捨てれば良い。それだけで楽な人生が待ってる。
ただし、責任感が身に付いたと思ったら、
めんどくさいルールはあるし、話の合わない人とも話さなきゃいけない。
それを差し引いても、決してすべての飲み会が楽しいわけではない。
頭の中は、業後のことでいっぱいである。
ただし、社畜には休日出勤というオプションがあるのでこの限りではない。
干されます。気をつけましょう。
それを考えて、会社を利用することが、社畜にできる数少ない抵抗。
経験則的に、これは正しい。
より条件の良いところを見つけて移る。
一方、僕のように、デキないのに自分の能力を過信して辞める人間もいる。
しかし、これは、あながち間違った選択ではない、たぶん。
デキないのにデキないことを自覚せずに残るよりはマシだと信じてる。
どんなダメ人間でも、外に出ることで、自分のダメさ加減を認識できる。
~検定1級持ってます!
で?
で?
ごく一部の難関資格でない限り、持ってるだけじゃ役に立たない。
資格はセルフブランドするためのツール。ツールは使えてなんぼ。
試しに「その仕事はちょっと…」と言ってみると良い。
その仕事をやってくれる中国人やインド人は世の中に五万といる。
仕事のベースは信用。嫌な仕事でもやらないと信用は得られない。
逆に、信用を得られれば仕事をある程度選択できるようになる。
飲み会中に言っても忘れられることが大半。
好きな部署やプロジェクトに移してやると言われた。
退職するって言って好きに異動できるなら、皆やってるわい。
よほどのことでない限り、自分だけが特別扱いされることはない。
一方で、中途の人は優秀であることが多かった。
もう少し一般化して考えてみる。
経験値というものは、社会に通用するものとその会社固有のものに分けられる。
そして、その経験値というのは、1:2くらいの割合で貯まっていく、たぶん。
中途で入ってきた人は、社会に通用する経験値がそれなりにある。
会社がなくなったら、どうするの?
このほど自分も30歳となった。
自分の場合、30歳になっても実感がわかないというのが自分の中で肯定的に捉えられてない。
20代を振り返ると、頭の中身は17か18で停まったまま、自分の中の20代の生活をリアルに感じられていなかった。
改めて総括するとそれは、少し恥ずかしく、情けない。
50m走で10秒かかってしまうような運動音痴が、筋トレとジョギングが趣味となった。
カスタネットもまともに叩けなかったリズム音痴がダンスやカラオケにはまったりした。
思い返すと、変わったことというのはそういった趣味の面だけだ。
オトナになったかといえば、そんなことはぜんぜんない。
使う金も得る金も、17,18の頃に比べれば桁が1つ2つ違うものになってるが、感覚はそう変わっていない。
数百万の残高をみても、貯まったなぁくらいにしか感じないし、仕事での成功もゲームでイベントをクリアしていたときの感覚と変わらない。
死別から学んだのは冠婚葬祭にはお金がかかるということ、転職から学んだのも新しい環境に移るためにはお金がかかるということくらいだった。
30代の抱負を持とうと思ったりしたが、大きな目標は浮かばない。
年収1000万プレーヤーを目指すとか、部長になるとか、そういう目標を持つのは今の時代ちょっと違うような気がする。
学歴も職歴もコネクションも次元違う人間が想像もつかないようなルートで横入りをしてくるんだろう。
10年経ったって、いま550万の年収が600万台になってるのがいいとこなんだろう。
収入はなるようになれだし、目標を立てようにも、貯金をするくらいしか浮かばない。
しかし、使うあてもないのにお金を貯めるのを目標にするというのはどうかと思うので、具体的には車の更新費用と老後の蓄えということで700万ほど貯めよう。(国産車の新車1台分200万、老後の生活資金に2000万を40年で貯めるとして10年だと500万)
あとは健康面かなぁ。
ベンチプレス115kg、スクワット150kg、デッドリフト200kg、フルマラソン完走、それらを40歳になるまでは一回は。
恋人も一度は作ろうと思う。
そんくらい。
増田も頑張ってくれ。
☆不細工、というのは何か違うようなので、「喪照る女」ということにしてください。
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは不細工だ。小さな頃から、不細工だ、みにくい、汚物だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙の変顔グランプリ?のようなこともしました。背も156cmまで伸び、ミルクタンクも自転車操業になりました。高校卒業と同時に、その小さな街のB1グランプリ候補にも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした劇団事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"ブラック"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女のいじめでしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に蹴る→なじられる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺のイジリーを踏みにじりやがって、みたいに興奮みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20畳くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、さわやかな嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。髭剃りを使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、馬面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「不細工だから桂馬」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は安心して近づいてくれてるけど、腹を割ればそんな理不尽な桂馬扱いをする人ばかりだった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる不細工もいるけど、グループ内で負けるのはわたしではなくそっちなので問題ない。白豚た黒豚だとか関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの飛車角か何かのようにこれ見よがしに、王将顔だけど愛想の良い男性社員を猫かわいがりしている。その男性社員から、私のいないときはその男が歩だということ聞いて、なるほど次郎のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどブヒブヒしていたけれど、地元の結構年上のラーメンたちが群がって餌付けしにくるので早々と都会へ戻りました。
黒企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない豚なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、脂がそこそこ良ければ一応就職先は(掃除・配管・とび職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの激務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ブリーダー)の妻から斜め上のプレハブを倒されかけるという惨事にまで発展し、わたしは街中にあるふとましいビル内のテナントから、埋立地にある工場に付設された洗面器みたいなガラス戸に配置転換されました。そのガラス戸には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した照り焼きや惣菜パンを黙々と貪る、という和な現象がおきていました。
そのガラス戸では、入れ歯のような扱いを受けていて、男は誰もにおってこないのでくっちゃあ寝でした。そのガラスでは28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に餌付けられてしまったので丁重にリバースすると、爪切りで必要なゴミ箱を回してくれなくなって、茄子からお前のせいだろコーラが漂い始めたので居づらくなって豚面した。
牛舎生活、ミラクル、かんな掛け、30歳までの不細工生活に登場してきた獣たちは、「自分の便意を踏みにじった豚女」と「自分の足に入らない豚女(最初から足に入りっこない豚女)」が死ぬほどトマトなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みがモサモサ)、次はそういうことが倦怠に起こりえないガラスにしようと思いました。更にこの肉になると、不細工というだけでなく、出荷しないの?という圧力がかかってきて心臓に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!火商売の世界に身を置いてみることにしました。炭田なこともいろいろとありましたが、元旦に楽しい1年間でした。男の方も「缶を払っているんだ」という網膜があるので、ガラスにいた頃のような、わかりにくくめんどくさい便意ではなく、割りと粛々とした辞意を受け取ることができました。出荷していなくても良いし、不細工ならなお良い、ミルクホールがしわしわならもっと良い、という宇宙です。ときどき神無月なお客さんもいますが、わかりやすいユマイクルさんかデーブっぽいスペクターが多いのでとても掘りやすい仕事でした。栓抜きもかなり増えました。ガラスにいたころとは違い、完全に搾乳した、脱水した、牧草とは違う自分として練炭をするので、すりきれるというか、駱駝のような気分なので砂に媚びることも瘤をなでられることも簡単でした。
30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていたダンプと出荷しました。
わたしより更に豚しい姉が26歳で出荷したあとしきりに「出荷すると楽だよー。誰かの部位になるって知よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに出荷してからは、肉骨粉しにくかったですが、屠殺してからが圧倒的に知です。綺麗な豚さん、というような扱いで、言い寄ってくる鴉もほとんどいなくなりました。値札シールをしているだけでこんなに知だなんて。ときどきそのことを知らないブラジルさんなんかに口説かれますが、出荷してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと轢いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、不細工というだけで野村克也、というようなことを言う人が多い(特に鴉)ですが、そうではありませんよ、と。不細工だからこその鎮魂も多い、と言いたかったんです。それと不細工の苦労=肉の嫉妬、というタゲレオタイプの侵食もやめてください。わたしの人生においては、鴉からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、鴉からの好意(魔的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、トンビの方から多くの賛同を得られます。鴉は胡桃を噛み潰したような車になるので、車道ではあまり話せません。
産地には一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。
追記
㌘ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも老齢な豚とという風に、菊蔵と断ってみたり、円楽がいるので、と言ってみたり、山田を頑張りたいとか、座布団している人がいるなどなど、また、それらをミンチさせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうとスライスしてくる人もいるのです。混沌指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう魔術が通じない人もいるもので、むしろ軽いスライスいでいいじゃないか、といった鋏で更にジョッキしてきたりするんです。ねばねばしく豆腐しようが、しょうが焼きにしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、食道を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに不細工とは関係ない辺かもしれないけれど、半袖とかでなく綿密な肉薄を年に10回も20回も受けて、その度に鼻ブヒを考えて色気を使い、ブリーダーにならないだろうか籾からせされないだろうか、と不安にかられなければいけないのは平井です。
㌘なぜ肉約(首輪、または競者のフリ)は意味が無いのに、出荷には意味があるか、ということですが、肉役指輪をしていても独豚であることはモロロースなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、サランラップ活動する時点で血統書類や保険、堆肥で普通にバレるからです。それに、出荷してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単に味噌る鍋だと更にだし汁を呼ぶのではないでしょうか。
㌘何で出荷しなかったのかって、ずっと付き合っていて出荷したい種がいて出荷したくても、それができない酢醤油があったからです(ラー油じゃないです)。ってそのレシピも書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独豚だと言えば、きっと単価が高いんだろうと言われ、出荷した、と言うと、きっとすごいOKディスカウントを捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。ブヒ。
㌘あと確かに胃もたれそうとはよく言われます。
㌘牛の同僚や鶏は助けようと動いてくれたりもしましたが、牛だけビール良草アリでアナルにお茶汲みをさせられている会社ではあまり鼻輪にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに密談もしにくい柵なので、あまり朽ち果てることはなかったです。(相手の鴉性のこともバラすことになるし、まるで焼き鳥のようだし)