2012-07-24

タイトルが思いつかない、ただの近況

いわゆるアスペルガー症候群の診断を受けて、6年程。

接客業のアルバイトを6年ほど続けている。自分場合本業制作なのだけれど、

営業が下手でそれほど仕事を取れないのと、仕事必要な胆力や対人技能を摩きたいこともあって、苦手を承知で続けてきた。

合間に学校卒業引越しを挟んで職場は幾つか移っているけれど、「体が動く」スタッフにはなれた、と思う。

ところが最近、体を壊した。

体をっていうと語弊があるな。完解宣告を受けてた、鬱と対人恐怖が再発した。

「人の言葉が聞き取れない」っていうのが、どうも一般の人には物凄く違和感があるらしい。

普段の会話にしろ何にしろ、大抵の場合は文脈や相手の様子から、次の言葉を先読みしながら対応するんだけど、

突然の指示だったり、あとはジョークなんかにも、とっさに対応できなくて訝しがられる。

人の顔が覚えられない。相手に対しての情報が少ないと、皆同じ顔に見えてしまう。

あと、接客というと笑顔必須なのだけれど、自分場合、緊張状態が長引くと、表情が無くなる。これもやっぱり不自然に見えるらしい。

最近は人と話すのが怖くなっていて、ホールに出るのも辛くなっていた。

スタッフの仲はいいし、待遇も悪くないし、いい職場なのだけれど、自分の特殊な状態を人に相談することもできない。

そして、一度うまくゆかなくなると、自分の行動の何もかもが不自然に思われてるのかと不安になってくる。

次の次の月までの生活費はかろうじて確保できていたから、解雇されても止むなしと覚悟して、

繁忙期が終わるなり連絡して休みを取らせて貰った。

孤立型に安住できない高機能自閉者の生きる道として導き出される解答なんて限られていて、

「許容される範囲の人間と付き合え」「容易に理解を得られなくとも、コミュニケーション努力放棄するな」

このくらいしかない。あとは常に腹を据えておくこと。自分を疑わないこと。わかってるんだけど、

ここ暫くの失敗で落ち込んでいるのにプラスして、無理が祟って今数年ぶりに鬱と対人恐怖がぶり返しているものから

人と会うのも話すのも辛いし、どう頑張ってもお先真っ暗みたいに思えてしまう。何を選んでも間違えている気がする。

正しい判断をできる気がしない。母親の、「あんたは何をやっても中途半端なのね」という言葉が脳裏を過ぎる

実際のところ、この言葉は母自身の投影で、私自身、体を壊したときを除けば、一度始めたことは意地でもやり通して、

結果を出してきた筈だ、と自分に言い聞かせる。でも、何か失敗仕掛ける度に聞こえてくる。

まだ不十分なのではないか。まだやれたのではないか。まだがんばれたのではないか

でも、体がもうついてこない。そうなって、罪悪感を感じながらほっとする。

そして、人と話すのが怖い。たとえば「おかしな人」の話を聞いたり、見たりなんかすると、

ああ自分もこういう風に見えてるんだなって思ってしまう。想起されるのは、これまで経験してきた疎外感。

人の感情なんて水物で、いちいち間に受ける必要もない、って、重々わかってる。

コイツちょっと変じゃないか、と思われても、それこそ子供の苛めと同じで、ちょっとした切掛けで簡単に挽回されたり、

驚くほど親しくなれたりする。……わかってるけど、疎外感にも、努力した分だけの成果を得られないことにも、もう疲れてしまった。

実は今、本業(制作業)のほうで契約社員求人に応募している。

本業的にはそこそこ経歴があるので、書類は大丈夫だろうな、と思いつつも、

本音、半分腕試しみたいな感じで、今の職場は続けたいな、と考えて。

でも、今回の抑鬱の再発で、自分仕事のやりかた考え直したほうがいいかもしれないと思い始めている。

今応募中の所がコケたとしても、本業フリーで続けるのを止めて、

置いて貰える職場を探したほうがいいんじゃないかと。

大学時代に一度病気で死に掛けていて、最終学歴高卒。だから、このご時勢就職なんて無理だって思い込んでた。

営業下手だから専業じゃ厳しいけど…という感じでぽつぽつ仕事を請けてたんだけど。中途採用なんて考えたこともなかった。

接客の仕事も、頭打ちのように感じていたし、無理な副業を続けるくらいなら職場を探したほうが良いのではないか

……でも、適性の問題なのか、自分根性の問題なのか。

今の職場は、せめてスタッフとしては一人前になろうという意識で居たから、中途半端で離れてしまうのは悔しい気持ちもある。

今回の件があって、

二次障害が一度完解して以来、必要ないと思っていた障害者手帳を取得するか迷い中。

アスペルガー症候群は二級か三級(自分場合ギリギリ独活してるからそらく三級)で、大した利益はないらしいけれど、

障害者枠での職は取りやすくなるらしい。ただし、今の流れのまま、制作一本でやれそうならこのアイデアはまた流れてしまうセンが濃厚。

自分、野垂れ死んだほうが人の為になるんじゃないだろうか。ずっと考えていることだけれど、今も考えている。

そのくせ、自分を取り巻く物事は動き続けていて、

バイト先の職場は休んでいるのに、本業の方は稼ぎは少ないけど細々と続いている。

何か起これば粛々と対応している自分が、何か別の生き物のように思える。

こんなんで生きていけるのか。はみ出し者だからこそ、もっと強くならなければいけないのに。

そして、人恋しい。違うな。今、すごく、自分存在を誰かに許して欲しい。

バイト先の人間関係はマトモに構築できなかったし、本業関係の付き合いはそんなに頻繁に会ったり話したりするものでもない。

友人は居るけど、こっちはマメ人間じゃないから、いきなり寂しいから会って話して、なんて言えない。

両親には、何かあると帰って来いと言われるのがしんどい相談事なんてできない。

失敗や否定ばかりの毎日に疲れてしまった。なんでこんな不完全な人間が生まれて・生きてるんだろうって思う。

それでも、自分で決めたことだから、死んでしまうまでは続けるしかない。

というより、死ぬまでは続けるのだろうなとも思う。その覚悟だけはあるみたいだ。

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