はてなキーワード: 中毒とは
中毒性があるんじゃないの?
先週の日曜、引きこもって休みを満喫していた。
全体的に充実してた。
ふと気付いたんだけど、なんかいつもと違う充実感あるなあと思って何でだろうとその日の一日を振り返ってたらまとめサイトを見てなかった。
毎週毎週、ふと気づけば用事の無い日はまとめサイトを見てる。
嫁姑だとかモラ夫だとか不倫浮気だとか・・・自分に関係のない出来事を見て怒ったり興奮して鼻息荒くしてコメント書き込んでいる。
先週の日曜が充実してたのは昔やってたゲームを延々やってたからだ。楽しかった。
昔のゲームをやってる方が充実感を覚える。まとめサイトめぐりは本当に虚しくなるだけ。
なのに見てしまう。仕事中の休憩時間とかでも鬼女まとめとかググって(ブクマはしない)見てる。
やめたいし、見たって虚しいだけなのに見てしまう。中毒性があるんだ。
まず一言言わせてもらうと文章が長いっていうことと、あともう1つはお前は昔の俺かっていうことね。
多分だけどズルズルいっちゃうよ。そしてかなりヤバくなってからやっと動き出す。昔の友人みんながすごい先へ行ってしまったと思った頃からだ。そして同時に怠け飽きた頃でもある。テレビゲームやり飽きた頃。
でも動きさえすればどうやっても生きてはいけるからね。そこはあんまり気にすんな。動きさえすれば最低ラインは確保できると思っていい。
そのうえで俺は思う。俺みたいになるなと。俺みたいな奴を一人でも減らしたい。人生の有意義な時間に気づいて欲しい。若い時間を後悔しないように使って欲しい。
でだ、努力を努力だと思ってるうちは億劫になっちゃってやる気は起きないよ。しなければいけないことは習慣化すること。
例えば勉強なら、家ではしない。どこかスタバ的なところとかスーパーの飲食コーナーとか、家じゃないところでやる。学校帰りに寄る。飲み物1杯頼むと、飲み終わるまで席を動けないから、その時間を使って勉強をする。そういう時間を毎日1時間でいいから作る。気が向かないなら30分でもいい。
PC(インターネット)、テレビゲーム、テレビは時間を吸い取る悪魔だから、いかにそれに時間を吸い取られないか考える。たとえばPCなら、「パソコンねむねむ」のようなソフトを利用して例えば夜9時半以降は立ち上がらないようにしたりする。パスワードは他人に設定してもらおう。
そして予備校でも習い事でもサークルでもバイトでもいいから外に出よう。ただしこの中で一番中毒性が高いわりに無駄な時間になってしまうのはバイトだ。金がもらえるというのは快楽で、そこから離れられなくなる。が、バイトでもらえる金というのは「はした金」なのだ。その程度の金で満足してしまうとその程度の金しか稼げない人間になる。気をつけろ。
人間というのはいろんなことがしたい、見たい。色んな人と合いたい。それをバランスよくやる工夫をすることだ。その際、精神力に頼ってはダメだ。人間は弱い。精神力の弱い自分でも強制的にバランスよくなってしまうようなシステムを周囲に組み上げろ。中毒性の高いことというのは世の中にたくさんある。それに時間をとられすぎないことだ。
そうしてるうちに、君は一歩ずつ進んでいると思えるだろう。人生を。
ループする世界に意味をこじつけなくたって、ポストモダンが動物化しなくたって、何かで性欲を正当化する必要なんかなく、いつだって僕たちにはオナニーする権利はある。
F4Uの新作『好奇心は猫をもアレする』は、ひとたび開けば一気に理性なんて吹っ飛ばし、声に出して読みたい日本語と限りない法悦が襲い掛かる、そんなステキな作品である。
この一冊を開いて、一番初めのコマに書いてあるのは「ヘルス部だぁ!?」の一言である。変な部活ものがこの世の春を謳歌する現代において、逆に禁じ手なのではないか。
僕はこれから自分を打ちのめすであろうF4Uワールドへの期待に、床上手な処女のように打ち震えた。
手際よくぴゅっぴゅする導入を経て、「偏差値15学園」連作は開始される。ヒロインはレイプが横行する偏差値15学園において先述のヘルス部を立ち上げ、貯めたお金で塾に行くことを夢見る黒ギャルである。奇想である。どこへ行くんだこの話。その先は是非あなたの目で確かめてほしい。その果てで、あなたはきっと「偏差値」という単語の持つポテンシャルを知ることとなるだろう。
さてさて話はかわるが、読者諸賢もご存知の通りエロ漫画において女の子が行為に及ぶエクスキューズは数多く存在する。そして、どの「なぜ」を選ぶかには、作家性が色濃く現れる。
らぶらぶえっちがあり、無理やりからの快楽堕ちがあり、悪堕ちがあり。中には、極端に人口上の男女比が崩れ女は牝奴隷と化している、機械が人類の観察のために性行為を模するなど、世界の法則を歪めるレベルのエクスキューズでSFというジャンルに一歩も二歩も足を踏み入れた作品も少なくない。
『好奇心は猫をもアレする』では、凌辱系にしろらぶらぶ系にしろ、とにかく女がペニス(作中の言葉をひくなら“そう、それは――ちんぽと呼ぶには、あまりにもペニス”)を求めて堕ちてゆく。
エロ漫画ってそういうものでしょう、と紳士たるあなたは思うかもしれない。
しかしそこはF4Uの真骨頂、堂々たる男根で牝を盛らせ、攻撃的なまでに擬音を響かせながら堕としていく様は迫力すら感じられる。中出しした後に膣から溢れ出る精液からは生命が匂い立つ。
言葉で、絵柄で、セックスに至る過程を暴力的なまでに納得させられている。その独特な言語感覚に支えられた強烈なドライブ感に、F4Uの作家性があらわれている。
思うにF4Uの凄味は、可愛い女の子描写(頭身高め、ヤンキー、優等生、地味子、巨乳貧乳何でもアリ)、ダイナミックな構図作り(魅せるための体位作り!)だけではないのだろう。
それらに加えて、底抜けに力強いちんちん賛歌があるのではないか。どいつもこいつも血管の浮き出た逸物をビキビキイキり立たせ、牝を思うがままに喘がせている。
F4Uの描くちんちんは、物言わずともその在り様で雄弁に語る。早く挿入れたいと切なげに、女を牝に引きずり堕としたいと猛々しく。
「カラオーケストラ」では優等生らしいJKに自ら笑顔でチンポを求めることを強要して内側から精神を破壊し、「忘れ××もの」では処女からセックス中毒に堕とした元カノに真の絶頂を思い出させている。
F4Uの作るエピソードには、どれにもチンポへの畏敬の念が通底している。本作のカバー下でも、チンポ作画に関するこだわりを見せている。そのチンポへの飽くなき追求、はもはやちんちん賛歌の域にある。
これは私見なのだが、エロ漫画は可愛い女の子とちんちん賛歌の両輪で駆動する地獄車である。エロスとナルシシズムの幸福なマリアージュと言い換えてもいいだろう。
性的欲望を向けるに足りる対象と、欲望やその持ち主自身を肯定する象徴としての力強いペニス。特に後者は、露出された欲望を雄々しいもの・女性から欲望されるものそのものとして描いていることで、読者から理性を引き剥がすための後押しとなりうる。僕たちはヒロインたちに欲望を肯定され、ガチガチの男根の背中に自分を重ね、ひととき獣に戻る。男根によって世界に没入し世界と繋がり、猫をもアレしているのは、きっと僕たちだ。
理屈をこねまわすのは終わりだ。サタデーナイトはオナニーフィーバーとキャノン先生も言っている。
さあ諸君。知恵の実なんて吐き捨てよう。猫に戻ろう。めくるめく夜を始めよう。
わりと早起き(朝起こしてくれる)
料理好き
仕事をしている
あいさつをちゃんとする
話かけたら無視しない
メールはちゃんと返信する
噂話をしない
悪口を言わない
愚痴を言わない
親や兄弟姉妹、友達の誕生日を覚えていて、ちょっとしたプレゼントを準備する
車の運転ができる
英語がまあまあできる
家計簿をつけている(金遣いが荒くない)
片づけや掃除が好き(完璧じゃなくてもいい。潔癖性はむしろカンベン)
本をよく読む
ニュースも見る
服のボタンがつけられる
大酒飲みではない(飲み歩く人は不可。家飲みはOK)
タバコを吸わない
やたらと薬を飲まない
金がかかる趣味の人は不可
大量のコレクターも不可
性格は明るく前向き
自分より先に寝ない(帰りが遅くても起きて待っている←これ重要!!)
理想をダラダラと書いてみた。
こんな人どこかにいないか?
Unixという考え方という本を読んだ。もう図書館に返してしまったので、これから書くことはあまり正確じゃないと思う。〜的なという表現が多くなってるのはそのためだ。
この本で最も印象に残ったのが、梃子(てこ)の話。著者の叔母がちょっとしたマルチ商法で大金を稼いだ話を例にとり、「プログラミングもこういうもんさ、梃子を使うんだよ」的なことが書かれているが、倫理的な問題はおいといて、そういう感じでプログラミングをすることってどうすれば可能なんだ?と疑問が湧いた。自分のようなクズ野郎はもちろんのこと、たとえ修行僧のように淡々と技術を磨いているプログラマでも、本節を読めば自分の技術を使って著者の叔母のように大金が欲しいと思うはずだ。
プログラミングの梃子らしい部分は自動化だ。少なくとも、本にはそう書いてあった。梃子の具体例としてシェルスクリプトがあげられて、たった一行のスクリプトが賢いプログラマたちが作った何千行のプログラムを実行するんだ。これこそ梃子だ、的なことが書いてあった。いや、でもちょっと待って欲しい。こっちは叔母のように大金が欲しいわけだ。Unixの素晴らしさは他の章でも散々書いてあるし、ここでシェルスクリプトの話をされても困る。話をそらさないで欲しい。
著者が言いたいことはわかる。この節ではあくまでもシェルスクリプトの凄さを語りたかったわけで、叔母が大金を稼いだ話はそのための撒き餌に過ぎないんだろう。でも、ほとんどの人間にとって、本気で考える価値があるのは大金の方だろう。優秀なプログラマが生産性を上げた結果、それだけで幸せになれると思うか?むしろ仕事が増えているじゃないか。資本家はいつだって労働者を限界までこき使う。プログラマが創造的な仕事だということは、プログラマにしか理解されない。梃子をプログラマの幸福につなげるには、どうしても社会で使える通貨にしないといけない。
さあ、シェルスクリプトの梃子を使って金を生み出すとして、どういう具体的な手段があるんだ?
ソフトウェアで大金を稼いだやつを思い浮かべろ、と言われたら真っ先にビル・ゲイツの顔が浮かぶだろう。彼がやったことはなにか。ソフトウェアを作って、ライセンスを刻んだ。そのソフトウェアがどこのメーカーのハードウェアで動作しても、ソフトウェアはMicrosoft社のものだということがはっきりしている。そこから、利益を得るわけだ。これはまさに本に書いてあった梃子(著者の叔母はタッパを販売して、さらにその販売先の客に販売を勧め、その利益の一部を手にしていた。マルチ商法だ。)と同じ類のものだろう。
「I'm CEO, bitch.」
学生時代にFacebookを作り上げたマーク・ザッカーバーグは、FacebookがダサいSNSになった今でも、若い起業家の憧れの的だ。
彼がやったのはなにかというと、広告だ。
学生たちが楽しめるようなプラットフォームを無料で提供し、そこに広告を掲載することで大金を生み出した。広告のどこに梃子があったかというとソーシャル・ネットワークだ。広告で稼ぐにはたくさんの人に見られる必要があるわけだが、SNSという特性自体が梃子になり、ユーザー数がみるみると増大していったことが、広告による大金を生み出した。
主に日本で見られた現象が、ソーシャルゲームだ。これは偶像を売る商売だ。一度イラストレーターが作成したものは、いくらでも複製できる。それを消費者の射幸心に訴えかけながら売っていく。この電子的な麻薬が、なぜか日本では異常なほど受け入れられる。梃子の力は複製が容易ということだけでなく、消費者の脳内でも起きている。消費者自身の購買行動が次の購買を促す仕組み、中毒性こそがこの商売にユニークな梃子だ。
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飽きた。ブクマがたくさんつけば書き足す。
ブクマの伸びがゆっくりなのでここらで書き足しておく。上に書いたのは、本を読んで率直に感じた疑問と、それに対する、偏見なども大いに含んだ主観的な考察だ。しかし、こんなことをしたのは、他の誰のためでもない、自分のためだ。興味本位でプログラミングを始めてしまって、それが楽しくなってしまった自分の行く先を少しでも認識したいという切実な願望があったからだ。
ちょうど他の増田に漫画家の話が書かれていたけれど、ソフトウェアエンジニアだってああいったことになりかねない。いや、もうなっているかもしれない。創造的な人たちがつくりあげた偉大な製品が、資本家に食い尽くされることが、平気で行われている。以前ネットで知り合ったインドネシアのプログラマーは、自分の仕事が不当な扱いを受けていると嘆いていた。「海外の安い人件費」として働く彼らは、高度な技術を持っているにも関わらず、正当な報酬を手にすることができない。
まどろっこしいので言いたいことを言おう。梃子は生産性を高めるために使うだけじゃだめだ。自分や他の創造的な人々の権利を守るために使わないといけない。でなければ結局、プログラミングを始めたときに感じた魅力や全能感、思考力を捨てて、資本家の歯車になるような未来しか待っていない。
http://anond.hatelabo.jp/20141025173500
あなたは自動車運転により、大量殺人犯になるんですよ。交通刑務所行きもある。
それに見合う娯楽とは思えませんね。自身が自動車を運転せずできる代替案だっていくらでもあるでしょう。配達という手段もある。
自動車の要らない楽しいデートすら組めないようでは、都会の人間に負けていますよ? 自動車中毒、自動車依存は割に合わず、寿命も短い。地域の寿命も縮める。
自動車は他者へだけでなく、自分の死傷により重度障害や死亡もありうる。そうなると親や大切な人を喜ばすどころではなくなりますね?
この本質に目を背けず、善良で利口な判断ができるはずですよね。
自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという
青山さんは言う
「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない
車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう。
・それなのに自動車メーカーは乗用車を快適なものカッコいいものという間違った認識で売りつけようとしている
・本来、運転中に音楽を聴いたり談笑したりタバコを吸ったり飲み物を飲んでていいはずがない
・なぜなら原発作業中や電車の運転中と同等の、尊い人命を預かる一時のわき見も許されない労働行為であるからである
・自動車社会の本質は100万もの人身事故と大震災並みの犠牲者を毎年同じだけ生み出す欠陥システムである
・運転することは、飲酒どころか単なる不注意でも刑務所に入れられ人生を終わらせる可能性がある割の悪い労働である
・任意保険に入っても被害者への賠償は担保されても加害者となった自分の生活が保障されるわけではない
・不当な責任をかぶせられる不条理に嫌気をさして、賢い人から運転にはかかわらないようになってきている
・自動車免許は低所得の必要条件となっても高所得へのパスポートとはなりえない
・危険な作業は専門家に任せるのは社会の常識であるのに運転という危険作業を自分で行うのはなぜ?
・首相や大臣や一流企業の経営者の多くが自分で運転をしないのはなぜか?
・逆に一般人であるあなたが運転するのはなぜか?事故を起こして人生を終わらせ社会的に葬られても誰も困らない駒だからである
・よって駒として切り捨てられたくないと思うなら車の運転はしてはならない
自動車を運転する必要のない地域に移住する人々が、いま増え続けている。
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
http://www.city.kamagaya.chiba.jp/kakuka/toshiseibi/atmkamagaya/imawatasi.htm
『野蛮なクルマ社会』
http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/Yaban.html
http://melma.com/backnumber_16703_5796048/
自転車側が第一当事者の割合はたった15.4%であり、自転車より悪質な自動車運転が蔓延しているのが日本の交通実態だと明らかになった。
思いを紡ぐ: 危険な通学路、全国に6万か所
http://tomosibi.blogspot.jp/2012/09/6.html
http://uemuraakifumi.com/sub7_teigen_numazu.html
自動車害 暴走自動車により地域の劣悪化、危険化が蔓延している 自動車害の深刻化と共に進む過疎化
http://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51557653.html
県内初「ゾーン30」 車両速度30キロに規制 和歌山市高松地区で設置
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130315/wky13031502110004-n1.htm
http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/120512_01.shtml
http://www.y-yamasita.com/diary.cgi?no=110
http://www1.ubc.ne.jp/~jichisoken/column/2008/column200810.htm
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesf4001.htm
なぜ日本人ドライバーは法を知っていながら交通犯罪行為を繰り返し暴走を続け、国内外で道路を危険化するのか
制限速度・・・守らない!深刻な騒音公害と危険をまき散らしても知ったことか!→自動車規制取り締まり強化&交通刑務所服役へ
横断歩道・・・渡らせない! http://blog.jablaw.org/?eid=1074745 横断歩道で歩行者や自転車を加害し逮捕、交通刑務所で懲役生活へ
横断歩道前の菱型マーク・・・意味知らない!ブレーキランプ無点灯が示す狂気。速度超過も併せて犯す。
歩道・・・安全不確認の我が物顔飛び出しで歩行者、自転車、を加害し交通刑務所服役へ http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
歩道&車道&自転車レーン・・・違法駐車で事故誘発。自動車の我が物顔な危険行為により尊い命が犠牲になり、ドライバーに6千万円の賠償命令 http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html
子供らが学校へ通う通学路・・・オラオラ!自動車様のお通りだ!プップー!(クラクション) 速度超過xスレスレ追い抜きx異常接近x警音器使用制限違反x徐行義務違反x横断歩行者等妨害?知るかボケ!
上記交通犯罪はすべての道路で日常的に繰り返されている。歩道のない通学路でさえも!
交通犯罪危険運転自動車撲滅のため、自動車規制取締強化を市長や知事、議員等に要請しつづけよう。
あなたの「まち」、これからどうしますか? コンパクトなまちづくりを目指して ──自動車不要で誰しもが安全安心、快適、便利に暮らせる地域づくり 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/index.html
いくら気をつけていても、大勢の児童ら市民らを殺傷させて道路を血の海、地獄絵図に変える殺傷力をもつのが自動車という凶器。
地域の安全のため、自動車への規制取り締まり強化、自動車抑制施策の推進、自動車の運転なしでも快適に暮らせる子供からお年寄りまですべての人にやさしい地域の実現、これらを議員や警察、知事、市長ら等に要請しつづけよう。
2 : 車を捨てるといいことばっかりじゃないですか[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 21:39:29.01 ID:gEM4FMoW0 [2/7回(PC)]
・毎年数十万から100万円以上のコスト削減が出来、その分生活にゆとりが生まれる
・ガソリンの充填、車検・点検、消耗品の交換補充や洗車、税金、保険、車の買い替え、事故や違反の対応などの手間から開放される
・車を捨てることで生活の場を郊外から都心に移す事が出来、通勤時間を減少させ自分の時間を増やせる
・郊外のどこへ行っても同じ郊外型SCやファミレスから、街中の変化に富んだおしゃれなお店での買い物・食事へ生活の質をシフト出来る
・会社帰りの近所のお店での買い物が増え、週末をジャスコでつぶされることがなくなる
・海外旅行などにシフトし国内でも新幹線や送迎バスを利用し、飲酒制限や事故や運転ストレスとは無縁の休暇旅行
・駐車違反の心配や駐車場を探すムダな時間、駐車時間の拘束から自由になれる
・違反点数の心配、交通事故の不安、加害者になる可能性がなくなる心理的負担の軽減
・車での移動中使えなかった時間が、読書・モバイル・睡眠などに使えるようになる
・他人の目のある公共交通の利用が増え、いつの間にか服装にも気を使いオシャレになる
・車を捨てれば温暖化ガスの家庭排出量の3割を減少させることが出来、事あるごとにそれを人に自慢できる
3 : 車の運転で犯罪者になる[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 21:41:26.37 ID:gEM4FMoW0 [3/7回(PC)]
「そんなことは滅多にないだろう...」
と思われるかもしれません。ですが、冷静に考えてみましょう。
人身事故は、年間約100万件です。
クルマの利用人口(約5千万人注1)から換算すると、普段運転しているドライバーが人身事故をする確率は、一年で2%です。
つまり、3分の2のドライバーが、「事故でケガをさせて」しまうのです。
注1:「余暇開発センター」の調査より、「普段、クルマを利用する」人口を算定
注2:1 - [1-(100万人/5千万人)]50 = 0.64
交通事故で亡くなる方の人数は、年間約1万人です。
先ほどと同じ計算でいくと、一生で死亡事故を起こす確率は、1%注になります。
つまり、100人のドライバーのうち一人は、死亡事故を起こすのです。
注:1 - [1-(1万人/5千万人)]50 = 0.01
交通事故死のうち、約1/3が「運転者」です。
つまり、300人のドライバーのうち1人は、事故で死ぬのです。
④250人のドライバーのうち1人は、「人をひき殺して」しまう
つまり、250人のドライバーのうち一人は、見ず知らずの人をひき殺してしまうのです。
http://www.plan.cv.titech.ac.jp/fujiilab/info/accident.html
4 : 車の運転はバカがするものby鈴木正文[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 21:43:31.11 ID:gEM4FMoW0 [4/7回(PC)]
・それなのに自動車メーカーは乗用車を快適なものカッコいいものという間違った認識で売りつけようとしている
・本来、運転中に音楽を聴いたり談笑したりタバコを吸ったり飲み物を飲んでていいはずがない
・なぜなら原発作業中や電車の運転中と同等の、尊い人命を預かる一時のわき見も許されない労働行為であるからである
・自動車社会の本質は100万もの人身事故と大震災並みの犠牲者を毎年同じだけ生み出す欠陥システムである
・運転することは、飲酒どころか単なる不注意でも刑務所に入れられ人生を終わらせる可能性がある割の悪い労働である
・任意保険に入っても被害者への賠償は担保されても加害者となった自分の生活が保障されるわけではない
・不当な責任をかぶせられる不条理に嫌気をさして、賢い人から運転にはかかわらないようになってきている
・自動車免許は低所得の必要条件となっても高所得へのパスポートとはなりえない
・危険な作業は専門家に任せるのは社会の常識であるのに運転という危険作業を自分で行うのはなぜ?
・首相や大臣や一流企業の経営者の多くが自分で運転をしないのはなぜか?
・逆に一般人であるあなたが運転するのはなぜか?事故を起こして人生を終わらせ社会的に葬られても誰も困らない駒だからである
・よって駒として切り捨てられたくないと思うなら車の運転はしてはならない
紳士諸兄よ、元気だろうか。
季節の変わり目だが、体調を崩したりしていないだろうか。
昨年、以下の増田を書いた者だ。久しぶりだ。
http://anond.hatelabo.jp/20130916225651
あれからめでたく結婚し、仕事も激務だが、相変わらずビデボ通いを続けている。
今回、こうして再びの増田を書いてみようと思ったのは、ここ1年、かなりの頻度でビデボ通いを行った結果、「自慰コスト」がパねぇ状態に陥ったため、自省を込めて、状況を書き記してみたいと思ったからだ。
ここ1年、手持ちの手帳に、ビデボに通った日には印をつけてきた(私はこれをGコードと読んでいる)
振り返って見ると、最低週に1日、多い時は週3日通っていることがわかった。
今回、恥を偲んで、コストを算出してみようと思う。
単純計算するために、以下の設定を行う。
・月の利用回数:月4~10回 平均して6回
・計測期間:12ヶ月
・1回あたりのコスト \1,050円~\2,050 最大値\2,050(オナホ代\1,000を含む)
・1回あたりの視聴本数 6本
※消費税改訂に伴い、使用料\1,000に対して50円の値上げ。
上記に基づいた、年間を通じての計算結果は以下のようになる。
・利用回数=72回
・トータルコスト=\147,600
・年間視聴本数=432本
いかがであろうか。
30代男性サラリーマンの自慰コストとしては高すぎる、大きすぎるのではないか。
正直自分が怖い。
ここまでとは。
その問いに対しては、そこに個室があるから、とクールに答えたいのだが、それはアホな思考停止に過ぎない。
自問してみると、自宅での自慰行為が制限されているから、としか答えられない。充分アホな回答だが。
私はおそらく、中毒症状を呈しているのだろう。
スッキリ日々の生活に臨むには、良きタイミングでヌいておかなければならない、という脅迫観念があるのは否定出来ない。
それを果たすために、私はビデボに通うのだった。
この頻度で自宅でヌけていたか、と考えると、恐らく無理だったろう。
週に1度であればきっと許される、2000円程度の出費であれば小遣いで乗りきれる。
それは私が欲望をコントロールし、自らの自慰衝動を征服するために必要なコストだ。仕方がない。ついでにオナホもつけちゃえ~♪上原亜衣ちゃんハァハァ。
……そんな甘い考え、自己正当化が私をここまで追い込んでしまったのだ。
今回算出された私のコストは一般的ではないとはいえ、世の男性、世のご夫婦はいかなるものだろう。
少なくとも私は、そこに金を落とし続けてしまった。
あなたの彼氏、旦那が年間72本ものオナホを利用していると知ったら、どう思うだろう。
432本ものDVDを視聴し、「チッ!これ前に見たDVDじゃねーかよ!この乳見覚えあるよ!」と言いながら下半身丸出しで取り出しボタンを押している姿を目の当たりにしたら、どう思うだろう。
行為後、ウェットティッシュで局部をやさしく拭いている悲しい姿をどう思うだろう。
※ちなみに、前に見たDVDを借りてしまうのは、嗜好に基づきパッケで選んでいる以上、よく起こる事態と言える。ビデボあるある。
おそらく幻滅するに違いない。
そのお金を旅行や、素敵な家具や、自分みがきに充てればよかったものを。
その時間を、パートナーとの大事な時間に充てればよかったものを。
今際、私はそう後悔しながら死んで行きたくはない。
ぜひ紳士諸兄にも、自らの自慰に関わるコストを算出し、よく考えてもらいたい。
そこに愛はあるだろうか。
暗い個室に浮かぶ愛はある。だがそれは自己愛にすぎない。すべてはバランスなのだ。調和なのだ。
ビデオボックス通いを経て、私はそう思うようになった(賢者タイム)。
私は、ビデボ通いもほどほどに、と自らを戒めようと思う。
コントロールが難しい我々の欲望の調整機能。ビデオボックスはそれを担っている、というのが私の持論だ。
だが、それに溺れてはならない。
我々は、自らの手で、自慰への欲望とコストを統制し、再び制さなければならない。
紳士たちよ。同士よ。
「ほどほどにな」と。
そして、愛する人が待っている場所へ帰ろう。僕にはまだ帰る場所があるんだ。
中毒になる前に。
以上、賢者タイムに記す。ふぅ。
まず4000円でアイドルマスターのフィギュアを狙った(天海春香?)。箱が小さくて取りやすそうだったので。べつにアイドルマスターのファンではない。ゼノグラシアは好きだったけど。基本的にアイドルアニメはアイカツ以外お断りなんだ。あと少しで取れそうだったんだけど、最後の最後で全然取れない。動かない。で、あきらめた。
そのあとラブライブのフィギュアを狙った(矢澤にこ?)。言っておくが、ラブライバーではない。ことりちゃんのことは好きだが。これは箱がでかくて取れる気がしなかったので1000円であきらめた。
そのあと艦これのフィギュアを狙った。当然艦これのファンでもない。むしろ嫌いだ。が、これにクレーンゲーム研究のためとかいって2000円使った。やっぱり取れなかった。アホか。
あと適当に1000円使った。
ふひー
こんなんじゃ破産する。
ハロワに行くとストレスたまりすぎてゲーセン行きたくなってしまうんだよね。
でもハロワに行かないと仕事が見つからないというジレンマ……。やべえよやべえよ……。
9月からゲーセン行き始めてフィギュアは4つ取った(中二病の小鳥遊六花、ジュエルペットの桜あかり、物語シリーズの忍野忍、wake up girlsの岡本未夕)。取れるときは1500円で取れるんだよなあ。取れないときは今日みたいに4000円使っても取れない。うまくなりたいんだけど、なかなか難しい。
初手はうまくなったと思うんだけど、そのあとが続かない。1500円くらいやって取れそうもない状態だったらやめたほうがいいんだろうけど、ついついやってしまう。
たまたま六花のフィギュア見て、かわいいと思って、そこからはまってしまった。そのとき取れなかったらはまることもなかったんだろうけど、たまたま1500円で取れちゃったんだよね。あの興奮をもう一度とか思うと、ついついクレーンゲームやってしまう……。
取れたときはほんとにテンション上がる。でもそのために何千円も使うのはちょっとどうなのだろう。クレーンゲームやるために漫画売ったし。
軽い中毒になりかけてるのかもしれない。
今月あずにゃんのフィギュアが出るんだよね。あずにゃんほしいよ。でもまた4000円やって取れなかったらすっごいむなしいので、どうしようかなあと。
とりあえずこれからは好きなキャラ以外は狙わないようにしたい。
フィギュアがほしいっていうのとはちょっと違うんだよね。あのでっかい箱を落とすのが楽しいんだわ。いろいろ計算しながら、考えて一手一手じりじりとゲットに迫っていくあの感覚……。
元増田に聞いてくれw
いや、ほんとにラノベとその辺の大衆文学に差はないよ。基本的にどっちもくだらないのが多い。そしてラノベにも見るべきものはあるってこと。そんなシンプルな話なんだが、なんで議論になるのか。ひとによってはぼくみたいに、ラノベ>ノーベル賞作家の作品ですらあるわけ。ラノベだからくだらないってのはおかしな話だわな。
ラノベって想像や期待に応えてくれるけどそれらを超えるってことが概して無いよね。だいたいジャンルで語れちゃうし。
映像化(アニメ化ってことじゃなく脳内ビジュアライズ)前提であるせいなのかしらんけど挿絵必須だしキャラ全員(「普通の人」設定でも)前提的に美形だし、例えば「美女」って期待に対して「超美女」とか「男の娘」を提示するのが限界で、普通のありふれた人間の美しい一瞬を描き出すとかしないよね。
「美しいものがアレコレ(きゃっきゃうふふなり陰惨な殺し合いなり)やってるのを見たい」という期待を満たすけど決して超えてはこない。
あと「そもそも想像とか期待とかできない」みたいなのも無い。
トニ・モリスンとかカズオ・イシグロにはおよそ期待というものはできない。「面白いだろう」「楽しめるだろう」という漠然とした期待すらできない。読んだら後悔する可能性だって普通にある。しかしラノベにはそういうの無い。読んで後悔するラノベってのは単純な駄作であって淘汰されておしまい。「読んで後悔するけど優れているラノベ」は存在し得ないし実際してない。
「文章自体が美しい」ってのはこれ以上ないような「想像とか期待とかできない」ものだけど、ラノベって読者層的にそういうの切って捨ててるんでしょ?
生存戦略だよねー。それが悪とは言わないけど、文章の美しさで勝負してる作品に絡むラノベ読者ってもはや単なる中毒者だしさっさと治療したら?とは思う。アル中ニコ中と一緒で息が臭いんですけど。
嫁と交際するときに禁煙すると宣言して10年以上経つのに未達成
【1日目】
でも、僕は、おっぱいなんて悠長なことを言ってる場合でもない。
ドンキでパンツとズボン買えば…ってドンキにうんこ臭漂わせて入店できるか。
僕は糸井重里のおっぱい理論を超えた下痢クソ理論で今回はがんばろう。
【2日目】
なんかこの感覚が僕にはすごく気持ち悪くてしょうがないからタバコが吸いたくなる。
きっと吸えば、この変な体の火照りは収まるんだろうなって思うけど、なんで、今、こんな火照りに悩んでいるかと言えば。
これまで何度かこの体の違和感にムカついて禁煙を断念したけど、自業自得だと思ったら、我慢出来た。
【3日目・4日目】
もともと休日は吸わないように心がけていたので違和感はそんなになかった。
3日目は娘の運動会で、午前中の娘の出番を録画してたら電池の残量がヤバくなったので駅前のモスに。
そのモス。電源は喫煙ルームにしか無い。こんな禁煙3日目に喫煙ルームに突入とか正気か、俺。絶対吸いたくなるに決まってる。
でも、俺には「下痢クソ理論」がある。ちょっとでも吸ったらうんこ漏らすようなもんだぜ、と言い聞かせって喫煙ルームに。
正直な感想。
喫煙所ってこんな臭かったっけ…。
でも、すぐにそれがいい匂いに感じてきてヤバイと思いながらも、臭かった印象を何度も思い出していたら我慢出来た。
【5日目】
フリスクネオレモンミントがうますぎてちょっと中毒になってる。
【6日目】
職場のトイレで籠城している人。最近多いけど、基本的にお腹がゆるい俺には許せない。
トイレに籠城してスマホとかいじってるヤツに限って、仕事中に喫煙する人をすげーバカにするんだろうな。
トイレでジタバタと順番待ちしながらイライラしてタバコが吸いたくなる。嫌煙厨にタバコの煙を吹きかけたくなる。タバコ馬鹿にすんじゃねえよって思う。
でも、俺が吸ったところで、トイレの順番が回ってくるわけでもないし、嫌煙厨のふざけた主張が覆るわけでもないし、タバコの社会的地位が向上するわけでもない。
もちろん吸わずにいても何も変わりはしないんだけど、吸っても吸わなくても何も変わらないなら吸わないほうがいいんだと思ってたらドアが空いたので、ダッシュしてブリブリ。
【7日目】
たった1週間で禁煙してるよ(どや)とか言うのもかっこ悪いけど、ひとつの節目。せっかくだから1週間の記録をまとめてみる
今までは、禁煙が数日続いて、禁煙パイポ加えた瞬間にタバコが吸いたくなって困ってたけど、今回は禁煙パイポも禁止してるから調子がいい。
あと、糸井重里のおっぱい理論を進化させた()「下痢クソ理論」が自制にかなり有効的。
スタートダッシュの1週間を支えてくれたのは間違いなく「下痢クソ理論」とフリスクネオレモンミントなのは間違いない。
マジで今回はイケそうな気がする。
コッテリが好きだ
ニンニクが好きだ
九条ネギが好きだ
チャーシューが好きだ
メンマが好きだ
餃子が好きだ
チャーハンが好きだ
オシンコ付きご飯が好きだ
かしば店で 押熊店で
この地上で食べられる ありとあらゆる天一コッテリが大好きだ
戦列をならべた天一のコッテリラーメンが 轟音と共に空腹を吹き飛ばすのが好きだ
スプーンで放り込まれた唐辛子味噌が 丼の中でばらばらになった時など心がおどる
1分で食べ尽くした時など胸がすくような気持ちだった
中毒状態のラヲタが 既に空っぽの丼を 何度も何度も舐め回している様など感動すら覚える
次々注文される伝票達をカウンター上に吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ客達が 私の降り下ろした手の平とともに
金切り声を上げる「麺売り切れ」に ばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
何も知らない客が 味がさねを食べようと健気にも来店してきたのを
途切れない行列が昼休みごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える
必死に守るはずだった品質が蹂躙され コッテリの注文にアッサリが出される様は とてもとても悲しいものだ
強欲客の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
無料券目当ての客に追い立てられ 害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ
君達は一体 何を望んでいる?
更なる天一を望むか?
情け容赦のない 粘液の様な天一コッテリを望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な天一を望むか?
よろしい ならば天一だ
我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で1年もの間 堪え続けてきた我々に ただの天一では もはや足りない!!
ならば我らは 諸君と私で総兵力100万と1人のラヲタ集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし 眼を開けさせ思い出させよう
連中にコッテリの味を思い出させてやる
連中に丼の底の文言を思い出させてやる
天と地のはざまには 奴らの哲学では思いもよらないラーメンがあることを思い出させてやる
一千人の屍食鬼の戦闘団で
天一コッテリを喰らい尽くしてやる
征くぞ 諸君
それはよかった。でも中毒にならないでね。