はてなキーワード: 中毒とは
ここ2、3年風俗通いを続けている。
本番できる確率は、デリヘルが80〜90%、デリエステでは30%くらいだ。基本追加料金は払わない。
デリエステではできないことのほうが多いが、オプションでオールヌードが可能なら、できる確率は若干上がる。要はパンツを脱がせることができるかがポイントだ。
毎回店のホームページを見て予約するが、詐欺写メやパネルマジックも多いし、タトゥーがあったり肌が汚かったりすると萎えるので、本当に自分好みの女とセックスできるのは10回に1回程度だ。
料金は1回の利用で平均20,000円。ということは、自分好みの女一人とセックスするのに200,000円も使っていることになる。まあ、セックスだけが目的ではないが。
結婚して、そろそろ子供を作ろうかなんて話もしているから、そろそろ風俗通いは止めたい。
毎回自分好みの女とセックスするたびに、これで終わりにしよう、終わりよければすべてよし!なんてつぶやきながら風俗サイトのブックマークを削除するのだが、1ヶ月もしないうちに我慢できなくなってしまう。
もう、これは中毒なのだろうか?タイガーウッズと同じ、セックス依存症かもしれない。
妻とのセックスでは到底満足できない。満足できないどころか、勃たせるのもひと苦労なのだ。
そして、昨日もデリヘル嬢とセックスをした。18歳の大学生で、普通のバイトもしているという新人の子。擦れておらず、初々しい。色白で細い割に胸が大きく、感度も良かった。声が出ないようにタオルを口にあてて我慢する姿が可愛らしく、興奮した。
だけど、今度こそ、本当に、本当に、これで終わりにしよう。
【追記】
>お気に入りの嬢を指名しないの?
するときもあるが、あまりしない。やっぱり初回と比べると興奮しないから。
>嫁を開発
いまさら嫁を開発する気にはならん。
嫁に対する愛情も感謝の気持ちも持ち合わせてはいるが、それとこれとは話が別。
欲しいな。子づくりのために必要だ
>本番できる方法
自分なりのコツみたいなのはあるが(ただしイケメンに限る)ってやつかもしれないからな
>なんでやめたいのか
一番は金の問題かな。今は共働きだから問題ないっちゃないが、嫁が子づくりで仕事を辞めたりしたら金銭的に風俗通いは難しくなる。
そうなれば必然的に止めざるを得ないのかもしれないが、やっぱり止めるなら自らの意志で止めたいよね。
>素人にすればいいじゃない
>性病
一回だけ淋病になった。ちんこの先から膿が出て、おしっこするたびに激痛が走るんだ。
泌尿器科で処方された抗生剤を飲んだらすぐに治ったが、数ヶ月は風俗から足が遠のいたな。また戻っちゃったが。
>なんで嫁で勃たないのか
そのとおり。嫁に飽きたんだ。
勃たないとまでは言わないが、みんなも嫁に飽きてるんだろう?
フィニッシュ後の心地よさのまままどろんでそのまま睡眠に入るという黄金の流れ。
そう、トイレットペーパーを使えばいいのだ。
オナニーというとやたらティッシュとか風呂場とかという言葉が口の端に上るが、トイレットペーパーを使えばそのままトイレに流すことができる。
トイレットペーパーは安いし量も多い。
学生時代サルみたいなオナニストだったときからお世話になっていた。
シングルでよい。長さを重視する。大抵シングル50m、ダブル25mだから。
床に敷くときは厚さよりも床と股間をいかに効率よくカバーするかが重要だ。
また、まっすぐなまま敷くのではなく、一度ぐしゃぐしゃに丸めてそれを広げて使うのがよい。
そうすることで凹凸ができ、横モレを防ぐ防波堤となる。
寝る前に一発。起きて一発。そのまま二度寝。また起きて一発。
これほどに怠惰に快楽におぼれてよいのかと不安になるくらいに中毒性が高い。
うつぶせオナニーをやる際の注意としては、フルボッキ状態ではなく、あえてそこから少し硬度を下げた状態を保つことだ。
最初は敷布団の上ででも試すのがよい。
ただ敷布団の上でやりすぎるとカバーが破けるので注意すべき。
そして布団に慣れたら次は畳だ。
畳のにおいを鼻先に感じつつ行ううつぶせオナニーは、どこか郷愁すら感じさせる。
幼かりしあの頃。
昼下がりの日光に暖められた畳で行うそれの快感はまた格別のものがある。
イチモツの硬度の調節がかなりシビアだが、ここまでこれた者であれば、快楽ポイントをつかむまでそう時間はかかるまい。
ベッドの上でセックスをし、そのまま裸で倒れこみ泥のように眠る。
まさにそれだ。
童貞だが、間違っていないと思う。
ひとつ欠点があるとすれば、うつぶせオナニーによる強い圧迫の快楽に慣れると、通常のオナニーやオナホール、本番でいけなくなるおそれがあることだ。
かくいう自分も、うつぶせオナニー20年目にして初めてオナホールを購入してみたが、まったく気持ちよくなかった。
童貞だから本番でもいけなくなるかどうかはわからないが、うつぶせオナニーより圧迫感の強い女性器を持つ女性などまずいないだろう。
通常のオナニストは右手が恋人と言うらしいが、自分の場合は床が恋人ということになるのだろう。
あともう1点。
これから気温が下がるため、床も冷える。
うつぶせオナニーをするとお腹を始めとする体全体を床に密着させることになるため、内蔵を冷やしやすい。
ここで登場するのがダンボールだ。
ホームレスが重用しているだけあって、断熱性・入手性ともにピカ一である。
これを1枚敷くだけで、適度な硬さと暖かさを維持したまま、冬でもうつぶせオナニーにいそしむことができるのだ。
股間はこすりつけている間に熱くなるので問題ない。
神のいたずらで小学1年生のときにうつぶせオナニーを発見せしめた俺の偶然を呪う。
俺は一生童貞だ。
すべてにおいて完璧な人間はいるだろうか?という問いに対し、多くの人が否と答えるだろう。
では、否定不可能な意見表明はあるだろうか?これも存在しない。
どんな正論であっても、否定する方法はあるのだ。綺羅星のごとく。
◆
昔観たテレビ番組。あれは確か芸能人の座を奪い合う番組だったか。
その座を競う若い男女に対し老練な芸能人が発した問いが印象的だった。
男女は思い思いに熱弁をふるう。しかし、その全てに首を振る芸能人。
今なら少しわかる気がする。そして、その適用範囲はネットの拡大と拡がったと感じている。
◆
それでも人は主張をネットにアップする。なぜ?
思うにそれは人を動かす事に中毒になっているからだ。誰かに何かしらの影響を与える事は甘美だろう。
人は主張を読む。なぜ?
思うにそれは納得したいからだ。もやもやした自分の心を整理し、落とし前をつけるためにそういった主張を読むのだろう。
人は否定する。なぜ?
分からない。自分と対立する意見に感化すまいとするアレルギー的な反応なのかもしれない。
最近はこちらをターゲットにしてしまったブログが多いような気がする。
◆
とまあ長々と書いてきたが、上記のような事をぼんやりと考えた俺は一つの結論を出し、数年続けてきたブコメを閉じる事になる。
◆
故にネット上で正しい振る舞いがあるとすれば、それは沈黙である。
そして、沈黙はなかなか難しい。
タバコ吸ってる人って、見てるとかわいそうになっちゃうんだよね。
だって、日本の法律が止めてくれないから、依存性の高い嗜好品に、精神状態を握られてるわけでしょ。
たとえば喫煙可の居酒屋やレストランに複数人で入ってね、「タバコ吸っていいですか?」って訊く人いるでしょ。
あれに対して「『いいよ』以外答えようがないし、『だめです』って言っても吸うだろ!」って怒る人いるでしょ、それは違う。
彼らは本当は「この中に、タバコ吸う人いますか?」って訊きたい、本当は訊きたいんだよ。
そういう風に聞けば、全員が手を挙げた場合は吸う、1人でも手を挙げない人がいたら吸わない、というふうにできるでしょ。
それができない。なぜなら、そう聞けば自分が吸えない確率は飛躍的に高くなってしまうから。
こんな簡単なことができないほど、彼らはタバコに依存させられているってこと。
確か自分は吸わないけど、それは単に化学的に依存していない、というだけ。
無理矢理何度も吸わされれば、自分だってすぐに中毒になっちゃうと思う。
表現の自由をどうこう言って反発するのもいいが、
私の意見としては子供が見てトラウマになるような映像は教育に”良い”影響があると思うから規制には反対だ。
悪夢にうなされたり、エロすぎて目に焼き付いて取れなくなる経験は大人になるために絶対必要である。
殴られもぜずに大人になった奴がどこにいるのか!
さて、なぜこのような暴論が幅を利かせているのか。
もしかしたら、この問題を扱う新しい切り口を見つけたかもしれないので報告する。
アニメなどの表現にはある程度の規制は必要だが、今のままで十分である。
にも関わらず、なぜ暴力的とも言える過剰な表現規制を唱える人が出るのか。
それは、人間の心理の持つ”慣れ”という性質にから来るのではないか。
人間は同じ刺激を受け続けると、徐々に慣れて何も感じなくなる。
より詳しくは以下の文献を参考にされたし。
Thompson, Richard; Spencer, William (1966). "Habituation: a model phenomenon for the study of neuronal substrates of behavior". Psychological Review. No.1 73: 16–43.
http://www.cns.nyu.edu/~david/courses/perceptionGrad/Readings/ThompsonSpencer-PsychRev1966.pdf
アニメの表現規制を唱える人々は、馴化によって現状でも十分表現は規制されているという認識を持てないでいるのではないか?
おそらく、昨今のアニメ表現規制を推進したい人々は、過去にも同じように何らかの表現規制の運動に参加していたはずである。
自分たちの運動が実を結んで社会を動かしたというのは、言いようのない快感であっただろう。
だがそれも、2度、3度と繰り返す度に馴化によって何も感じなくなってしまったのではないか?
一度オナニーを覚えたら、定期的にせずにはいられなくなるようなものだ。
ダイエットという問題を克服した快感が忘れられず、ダイエット中毒になって骨と皮だけになる女子高生だっている。
同じことではないか?
彼らが理性的な表現規制不要論に耳を貸さず、なんら科学的、統計的な根拠のないアニメと犯罪の因果に固執する原因となってはいないだろうか?
私には彼らこそ、十分な休養を取りながら広い社会と交わり、自らの偏狭的な関心と生産性のない快楽主義を克服すべき存在に見える。
蛍光灯からは、多くの電磁波が発射されています。この電磁波の危険性を十分に認識しない人が大勢いるので、蛍光灯が発する電磁波についての様々な事を書いていこうと思います。
電磁波といっても、400THzから800THzという非常に周波数の高い電磁波です。
※T(テラ)は、1,000,000,000,000倍という意味です。それだけ高い周波数の電磁波だということです。
蛍光灯は夜、有害な虫を集めます。それはこの周波数の高い電磁波が誘引していると言われています。
この周波数の電磁波は、中毒性に似た症状を引き起こすことでもよく知られています。
例えば、この周波数の電磁波をたくさん浴びた人間を、電磁波を完全に遮断した部屋に入れると、
食事を満足に摂れなくなるばかりか、目が見えなくなります。
パズドラ、ってかゲームに賛否があるのは、大人もハマってしまうほどの中毒性があることかな。
ゲームのやり過ぎとかもそうなんだけど、自制心が備わってないうちに無駄に我儘言ったらやらせてもらえる、ということを覚えてしまうのは良くない。
勿論他のおもちゃも同じなんだけど、適当なおもちゃなら自然と飽きるから。(飽きない様ならゲームと同じ。)
体動かす様なことだと自然と体が疲れて出来なくなるから問題になりにくい。
だから、例えば本を読みまくるとか、勉強でも知恵の発達用のものでもいいけど、周りが見えないほどのめり込む、ってのは同じように危険。
その方向にアホみたいに伸ばして唯一の存在に育てるんだ、みたいな事したいなら止めはしないけど、パズドラやりまくり、と同じ結果の将来を持つ可能性も大きく出てくる。
http://anond.hatelabo.jp/20140804094950
人間としての相性がいいと勘違いしてしまうのはしかたがないけど、それは違う。そういう相手と結婚しても上手くは回らない。
片方の鈍感なほうが自分たちは冷静で上手くいっていると勘違いしている状態のまま始まり、もう片方の不満はどんどん膨らんでいく。
「友達としてしか見れない」これの本当の意味は「あなたと何かを構築する気にはならない」そして「あなたは私のセックスの対象ではない」ということ。
告白した相手に「友達にしか見れない」と断ることは異性愛者が仲の良い同性に告白されたときのような気持ちに近いものがある。
ただ楽しい状態というのは本当にただの友達である。特に自分が肥っていたり容姿が相手の好みでなかったりしたら尚更だ。(顔や体の良い者はかなりの有利である・・・)
惚れたほうは相手にすでに性的魅力に憑りつかれ、相手を恋人として夢想したりしているが、肝心の相手からしたらただのヒゲの生えた女友達である。
そんな相手に告白されるのはなかなか苦しいことであるし、場合によっては相当気持ち悪い。
想像してみて欲しい。いつも仲良くしてた自分そっくりの同性に告白される気持ちを・・・・
何も性的魅力をアピールせず、相手を喜ばせること(自分の見た目含む)もせずにただ会える喜びにだけ浸るのは握手中毒のアイドルヲタクや水商売にハマる奴と同じだ。
何も前進させていない。何も生み出していない。
恋愛というのは告白するものじゃない。発情し、努力し、相手も発情させてオトすことだ。
嫁が孕んでる間の性欲も我慢出来ない(※しかも自慰は禁止されてないのに※)ゴミクズ共が堂々とふんぞり返って父親ヅラしてるのが今の日本国の現実なんだから別にいいんじゃないの。親のうち50%がクズでも100%クズでも大して違いないだろ。
海外の医療ドラマなんか見てると、アル中どころかヘロイン中毒の母親から産まれて来た生まれつきヘロイン中毒の赤子の出産なんか扱っててロックな国だと思うわ。そんな状況じゃ腹の中で普通死ぬやろと思うけど意外と死なないんだから人体って不思議だよな。
重ねて書くと「子供が一番の被害者(キリッ」とか偉そうに抜かしてる連中は、この父親が子供を腹に入れてる母親に対してしてる仕打ちについてはどう思ってんのかね。
自分が腹の中にいるせいでお父さんがお母さん以外の女と浮気してました! なんてのは虐待の最たるものだと思うんだけど、母性神話狂徒の男性様と名誉男性様的にはそのへんアーアーキコエナーイなの? まあ知ってたけど。
自分をむやみに責める。そうしたところで現実はいい方向へ行くはずもないのに。
きっと、自分を責めて、苦しい気持ちになったり、虚しい感じになったりするのが、どこか心地いいんだ。
メランコリー親和型だとか、誰かが言ってた。
憂鬱な雰囲気が、落ち込んでる自分が、「苦しくてかわいそうな」自分が、好きなんだ。
うじうじめそめそしている人を見て、よくあるシーンとして、
「なにうじうじしてんだよ!」的なのがある。それはきっと、そういう、憂鬱な雰囲気に耽溺して満足してしまっている様子がその人には透けて見えて、気持ち悪いんだろうと思う。
もしくは、「これ以上傷つかないための予防線」としての自責もあろうと思う。
こういうことを言うことで、本当に傷つきたくない所を隠す。本当にツッコまれたくない所を隠す。
こんな風に、自責している自分をさらにメタに見ることで、さらなる自責の余地が生まれる。
「苦しい自分に酔っちゃってる自分、気持ちわりい」、「つらい・限界、とか言いながら、本当に痛いところを守ってる自分、ださい」等。
でも、本文では何を書こうとしているかというと、自責している自分をさらに自責するとかではなく、
「ああ、俺はそういう、溺れるのをどこか楽しんでるふしがあるんだなあ」と気付いたので、それならそうと、それを肯定して、もっともっと憂鬱になって、もっともっとこじらせてはまり込んで、楽しんでやればいい。ということが書きたかった。
水が低いところへ流れるように、人の欲望も低いところ、もとい、その人にとって楽な方へ流れる。
いつも気づけば憂鬱で虚しく、今ここにいる自分の存在がうらめしくてしょうがなくなるのは、もしかしたら、それが自分にとって最も好ましいからなんじゃないか。
漫画やなんかで、「いつまでもうじうじめそめそしやがって・・・ そんなにうじうじめそめそしたいなら一生そうしとけ!」みたいなのがあったりするが、そういわれた主人公は、奮起するのではなく、もしかしたら、指摘通りにするのがいいのかもしれない。
確かに、憂鬱な状態は、体感として、実際に、「しんどい」。これは間違いない。楽ではない。精神はガス欠で、体も思うように動かない。だけど、それを、「己が本能的に・無意識的に欲しているんだ」ととらえれば、幾分ましになりそうな気がする。受動的だった責苦が、まるでマゾヒストの行いのように、能動的なものになる。それを意識することができれば、「好きでやっているんだ」「体が欲しているんだ」と思うことができれば、楽にはならないが、ましになる。たぶん。
きっとこんなことを書いたところで、来週には忘れていて、ただ単にいつも通りのしんどい感じになっているんだろうなあ。ブラックホールに落ちたのならば、とことん落ちて、ホワイトホールから異世界へ出るくらいにとことん落ちてやろう。今はそう思ってます。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM2800R_Y4A720C1EAF000/
……他者に迷惑をかけず自身も安全、酩酊しても大丈夫な無人の平原というものがほとんどない日本のような国では、第三者の十分な監視のない酩酊等行為そのものを禁止すべき。施錠による自己監禁など判断力が低下したら突破する可能性があるので信用出来ない。路上や線上などに現れて命投げ出し、交通障害やライフライン損壊、人材に対するトラウマを植え付けるなどされては、社会に対する損害が大きい。特に中途半端に判断力が残っていて、鍵や塀など様々な侵入抑止装置を突破されたり、車を運転されるとなると、全建築物が脅威にさらされることになり、コスト的に対策のしようがないだろう。
アルコール、薬物、高齢や疲労等による脳機能の低下など、判断力があまりに低下した人は、"いざというとき全員を即時物理捕捉できる"第三者の監視下に置くか、脱出不可能で内部が安全な専用特区へ置くよう定めるべき。他人の生命に"不要で過剰"なリスクを負わす人権など無い。(ただし"判断力低下"判断の濫用は厳しく抑えこまれなければならない)
自分も高齢になるなど脳機能が低下したらそのような特区へ世話になりたい。年老いたら社会に多大な損害を与える可能性が留意すべきほどには高いという普遍的な予測が、あまりに悲しすぎるゆえに。
自動車の運転には、チェーンソー作業や高所作業と同等以上のリスクがある。大勢の他者を巻き込む点ではそれ以上のリスクを有している。
この事実には、なかなか気づきにくい。自動車産業とマスコミとの癒着で、その事実はなかなか伝えられず、国民はそれに気づきにくい環境にある。
1トンを超える乗り物を、それと同等かそれ以上の乗り物の通行、歩行者、自転車が混在するなかで行う。
これは、ちょっとでもハンドルやペダルの操作を誤れば、加害、被害とも甚大となる。
自分の息子二人には「車の免許なんか取るんじゃない」と教えたという
青山さんは言う
「車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない
車はステアリングをちょっと間違っただけで人様の人生を壊してしまう」
そしてこんな言葉もある
住みやすい街ランキング上位は、いずれも自動車の運転が必要のない地域。
そういった地域ほど、高齢化が進むこの先、人口が増えていくことが予想されている。
自動車から市民を保護するために、自動車への規制取り締まり強化、自動車侵入防止柵等の積極設置を議員や警察に要請しつづけよう。
自動車の要らない地域ほど、基本的に便利が良く、発展している。
自動車依存が引き起こしたスプロール現象により、地方の財政に重い負担を強いている。
『NHK クローズアップ現代 わが町を身の丈に ~人口減少時代の都市再編~』によると
自治体職員
「すべてのものを残していこうとすると、財政破綻に行き着いてしまう。」
また、自動車では移動がまったく運動にならないゆえに、肥満、糖尿病、高血圧・・・メタボリック症候群も蔓延させてしまっている。
自動車中毒の蔓延は、郊外化による道路の維持費負担と生活習慣病の蔓延による医療費増大という2つの大きな問題を生み、地方は自滅しようとしている。
1.あなたの「まち」、これからどうしますか?|よくわかる中心市街地のまちづくり 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/index.html
住宅や商業施設だけでなく、病院や市役所、学校なども郊外に拡散しています。 農地の中に建つ建物農地の中に建つ建物 中心市街地の空洞化
中心市街地から人が少なくなり、まちの活力や楽しみ、にぎわいが失われています。 シャッターの下りた商店街シャッターの下りた商店街
このままでは「まち」が・・
車を利用できないお年寄りなどが、公共公益施設や店舗などを利用しにくくなり、生活が不便になります。
新たなインフラの整備が必要になり、維持管理のコストも増えます。
人との交流やにぎわい、文化などの機能がなくなり、まちとしての魅力を失ってしまいます。 ■環境負荷の増大
車の利用が増え、多くのエネルギーが必要になるとともに、開発により自然が失われます。
郊外化の歯止め
都市機能が集積した、アクセスしやすい 「生活拠点」を作る必要があります。
http://d.hatena.ne.jp/yamada-home/20130722/1374467968
あなたの「まち」、これからどうしますか? コンパクトなまちづくりを目指して ──自動車不要で誰しもが安全安心、快適、便利に暮らせる地域づくり 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/crd/index/pamphlet/01/index.html
コンパクトなまちづくり 理念と手法 ──国土交通省九州地方整備局総務部長
http://tochigi.jimusho.jp/koza/dai2kai/dai2kai.pdf
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/archive?word=*%5B%BC%AB%CC%C7%A4%B9%A4%EB%C3%CF%CA%FD%5D
まずその「生活必需品」というのが認識の間違いだし、単にコンドームという薬物中毒(欲望に取り付かれてしまい、それがない世界が考えられなくなってる)に陥ってる者のたわごとに過ぎない。実際はなくてもなーーーーんにも問題ない。
だからマフィアに与える利益などは微微微微微微たるものとなる。裏ビデオ程度だ。
そこもう間違えてるから、アメリカだかなんだかという間違えたものを引用してきて実証済みだと勘違いしてしまう。
さらに言えば、例えばクーラーなんかぜーんぜん生活必需品じゃないからな。そういうのも生活必需品だと勘違いしていそうだけど。
例えばインターネットだって全然生活必需品じゃないから。自動車もな。あると便利でなくす理由が今のところない(か少ない)というだけ。
もっと言えば禁酒法なんか、俺のアイデアを使えばもっとうまくできる。マフィアの資金源になんかならずに酒のデメリットを減らせる(完全禁酒に比べたら減らせる量はそりゃ下がるが)。
もっと言えば、マフィアの暗躍なんて、少子化によるひどい社会に比べたらゼーんぜん圧倒的にマシだから。比較しようがないほどに。それが嫌だというのはあなたの価値観であって、イタリアでもメキシコでもそこにちゃんと人々が生活してるからね。
ただ、あなたの意見で、最後にちゃんとあなたのアイデアが出てるのはいいと思う。場合によってはそういうレベルに抑えておくのもアリといえばアリ。悪くないアイデアだと思うよ。
簡単。
実は現代的な精度の高い避妊具のというは非常に最近になって完成・流通したもので、少し前までコンドームの質は悪く、分厚く、装着感が悪く、破れやすいゴムで、しかも知名度の低いものだった。さらに流通ルートも限られていた。
そのころまで、子供というのは意図的に作るものではなく、自然にできてしまうものだった。だから昔は兄弟が多かった。
ということは子供ができるできないをコントロールできないということでもあった。結婚した若い男女が一緒にいて、セックスしないことはかなり難しいだろう。
結婚しないで子供を育てるのは大変だから、結婚するまでセックスをさせないというのは普通だった。男はセックスをしたいから、早く一人前の大人になろうとした。昔は大学進学率も低く、働き出すのも結婚するのも早かった。
昔と言ってもたかだか数十年前の話だ。
避妊具のというのは人間の欲望に作用して、全体としてその集団が衰退していくという、アヘン戦争におけるアヘンのようなものだ。
現代人はすっかり避妊具という名のアヘン中毒になってしまった。
誰か強力にリーダーシップのある指導者が、たった一つ避妊具を禁止する法律を作るだけでいいのだ。
時計の針をほんの少し戻すだけでいいのだ。
確かADHDの父と言われてた人が死ぬ間際に、自分が作った病気みたいなこと言ってたんじゃなかったか?
私もADHDかとおもったけど、私の場合は単なる努力不足っぽい。
診断済みの人はともかく、未診断の人は
・低血糖(血糖値が低いと判断力が下がってADHD的な症状がでる)
あたりの情報も読んどいたほうがいいかも。
ADHDではないかと疑っている人は
まず片付けがみにつくようにトレーニングした方がよいんじゃないかな。
自分の片付けできないと時間管理がうまくいかない原因が似ていると思う。
一つ一つキリ(片付け)しないで別の仕事始める。
優先順位がつかない