はてなキーワード: 中毒とは
大人になった今でも、大人のADHDテストや高機能自閉とかのネット診断をすると、要素アリに分類される。
じっと大人しくしていられなかったし、お友達とあまり上手に遊べなかった(だいたいがわがままを発揮して除けものにされる)し
一方で、家で一人でいつまでも遊んでいられるし、一度その遊び(やら宿題やら)に集中しちゃうと、寝食を忘れるような子供だった。
小学校に入学しても、授業中歩きまわってはいけないということを、先生に叱られるまで気付かなかった
周りの子が前を向いて座っているのは、そういう風にキチンとしているのが「好き」だからだと思っていたので、
私は授業中歩きまわっている方が好きだしべんきょうも良く覚えられるから、歩きまわってオッケーだと思っていた。
一度叱られたら歩きまわらなくはなったが、今度は後ろを振り向いて後ろの席の子とおしゃべりして怒られた。応用力がない。
今、小学生をやっていたら、そうとういじめられただろうなぁと背筋が寒くなるのだが、30年ぐらい前の当時はおおらかだったのか
たまたま恵まれていたのか、たまたま勉強はできたからか、陰湿ないじめになることはなく、やんわり「変わり者」として扱われていたと思う。
学校での「嫌な思い出」はあまりない。ありがたいことに、担任教師や友人にとても恵まれた。
あとは、特有の鈍感さで、いじめを認識できてなかった可能性もあるかもしれないけど。
高校で進学校に入り、賢くて、そして気が強いというかハッキリものを言う友人に恵まれて、ようやく「どうやら自分は他の人からかなり浮いている」と気付き
少しずつ行動を矯正していけるようになった。持ち前?の妙な集中力で、いわゆる良い大学にするっと入った。
就職は氷河期世代だったし、「どうせ普通の会社を普通に受けても、私は絶対に無理だろう」と思ったので、普通のシュウカツのようなことは一切せず、
就職した友達の紹介である会社にバイトで入り、契約社員になり、そのまま社員になった。その会社と仕事にうまが合ったみたいでそのまま働いている。
大人になった今でも、仕事で「あ、これ私がダメだったやつ」「あ、迷惑かけた」「ごめんなさいごめんなさい」という事故をたまに起こすが
いくつか任せてもらっているクライアントからは「この人は穴だらけだけど、発想と根性は買っている」と残念なことを言われたりしているが、
一応、売上も上げられているし、仕事も広げられているし、クビにもなってないし、なんとかやれている。
生きにくい、息がしづらいと感じながら生きている若い人の言葉を見ていると、今の世界の「ギリアウトのライン」がもうちょっと低ければ、
与えられる機会が増えて経験が増えて、経験が増えれば「やり過ごせるコツ」も増えるだろうにと感じる。
自分が「ギリアウト、だけどまぁ今回はしゃーない」と、機会をもらえたからこそ。
止めることが出来ない。禁煙も普段吸わないレベルは余裕で持って行けるのだが、完全な禁煙は出来ないのさ。
酔っぱらった時に、人が吸っている様を見たりすれば、100% 自分に勝てない。
なんだかふと気分転換したくなる時は、酔っぱらってなくても吸いたくなる。
久々に吸うと、不味いことも、気持ち悪くなることも十分にわかっている。
吸わなきゃ体調も気分もいいこともわかっている。
だけど、吸いたくなる。
恐るべし、タバコ。
おそらく一度タバコをうまいと思ったら、その呪縛からは一生抜け出せないのだろう。
ニコチンの中毒なんのははたいしたことないのさ、最近の禁煙外来なんて完全にいらない。
ニコチン中毒ごときは大した中毒ではないのさ、本当に止められない理由はニコチン中毒ではなく、
説明できないけど、たばこに支配されている俺。
これを治療出来ないなら、医者は治療しますなんて詐欺まがいの宣伝をするんじゃないって思う。
た・ば・こ....
なんだかフランス大変みたいですね。
ただ、僕もしがない表現者の端くれとして
ちょっと書いておこうかなと思って
筆をとってみました。
あるものなんですよね。
お前の表現を受けて
傷つく人を想像できないのか?って
話はあるわけですが、表現者なんて言うのは
どうしょうもない業でして、
誰かが傷つくとかどうとかよりも、
根っこの部分はそんなに大差ないなと
で、翻ってシャルリーの人たちは
喜ばれて良い反応があることに取りつかれてたか、
したんだろうなと思うわけです。
無いわけですが、表現者というのは
常に誰かにぶっ殺されるみたいな覚悟が
実際、殺されなくても、
友達なんかほぼ全員いなくなったし、
じゃあ、まあそれで辞めるかって言われても
辞められないんですよね。
辞めさせたいならそれこそ、なにかしらの
更生施設みたいなの入らないと無理だろうし、
まあはてなもそうでしょうけど、簡単に
みんな、表現することは
刺されるリスクを負うことだよという
自覚がないんでしょうね。
まわりまわって刺される可能性が
ありますよってことです。
ブクマも自分のブログもほぼ書かないロム専で(IDは1年前ここに愚痴を書いてみたくて取った)うっすらとしかこの界隈のことを知らないのですがだんだん理解してくるとすごく楽しいなと思う。
この内輪の感じ 謎の中毒性で、素人が簡単に楽しいというのはいけないことのような気がするのですが、あの人が言及していたのはこれか、みたいなのが分かったときに謎の快感が湧き出てしまい。
古文書解読とはこういう気分なのか。
以下ファンレターみたいなの
ちょうど腐女子デビューした時に801ちゃん1巻が出て小ネタとかあるあるが面白くて、以来ずっと単行本を買っている。
ので801ちゃんの人という認識だったのにその前にはてな村の人だと知ったときは驚いた。はてな村奇譚もそれ以外も楽しみにしています。
余談ですが先日のコミケで生801ちゃんさんにあえたのに染垣ロスのその気持ち本当に分かります、しか言えなかった……本当はもっと長年のファンとしての想いを……???
ブギーポップ私も好きというかすごく思い入れが強いのでこれからも小ネタたのしみにしています。
・hagexさん
hagexさんもTwitterでおたくトラブルの記事が回ってきて行き着いてしまった……。
ブログ記事を遡って一夜を明かすなんて初めてでした。hagex脳こわい。
いつも楽しく拝見しています。以前、デザフェスでちらっと拝見したのですがイケメンでした。
・topisyuさん
hagexブログを見ていたらいつのまにか。お二人のコラボ?の時は読者としてはとても面白かったです。
いつかのためにと思い育児関連や嫁姑問題についての記事を読みイメトレしてるけどよくない気がする。
いつかこんなお母さんになりたい。
奇譚おもしろいです、というだけの話。
■本文。
最終回だというのに最初からくどい話になるのだけど、インターネットなどのメディアが、世界が一体化したかのような幻想を生み出す一方で、野放図に拡大される情報社会が、心の繋がりを裁断し続けている。断片的な情報を追いかけることに躍起になるあまり、多くの価値観=ジャンルは求心力を失った。例えば、メディアミックスにしても、それぞれがジャンルという枠による秩序を持っているからこそ、混淆することに意味があったし、一体化の幻想自体が、[かつての全能感]を取り戻すための侵略に他ならない。そして、互いの領域を侵略した結果、秩序という枠組みが曖昧になったことで、インターネット上では無制限に肥大した自意識が互いに衝突を起こしている。情報という麻薬に蝕まれた中毒患者は絶えず全能感と無力感を往復しているが、目の前にある荒んだ光景は認識することができない。
そんな現代において、旧来の世界観に回帰すること=思考停止による癒しが唯一の自己防衛手段となっているケースは多い。そして、箱庭のような偽物の原風景に引きこもることで、飽くなき侵略=拡大する欲望を抑えている。自己言及的な表現を頑なに拒むのも、居場所を自壊させてしまうことへの潜在的な恐怖があるからなのだろう。そして、マッチョイズムとフェミニズムの対立から零れ落ちた層を汲み取る為に、ポルノメディアの特異点……ポルノメディアから遠く離れたポルノとして、美少女ゲームは存在している。マッチョイズムにせよ、フェミニズムにせよ、その論理は自身のセクシャリティ=現実の恋愛やセックスを前提としているが故に、現実と虚構を対比し優劣を決定する方向性で結論を出してしまう傾向が否めない。例えば、フェミニズムの功績としては、男女の恋愛関係におげる規制緩和と自由化が挙げられるが、同時にそれは恋愛における自由競争を生み出したと言えるし、当然、自由競争から弾き出された恋愛弱者も多く生み出すことになった。ちなみに、この構造は、フェミニズムをインターネットに置き換えれば、情報弱者を生み出す構造と同じになるのだが……。
美少女ゲームはポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分と他人]という基準で駆動している傾向がある。言い換えれば、自身のセクシャリティに対する意識が希薄であるが故に、全くの異物としての他者(異性)を認識することが難しく、自己の延長としての他者という方向性で純化されているのだが、同時にコミュニケーションを崇高化し過ぎるという弊害も見られる。その弊害が悪化すると[引きこもり]に繋がっていくのだけども、ユーザーの大半は普通に社会生活を送っている。理由は色々とあるだろうが、スピリチュアリズムに似た信仰システムの機能を、美少女ゲームが持っていることも挙げられると思う。
そして、セクシャリティに対する意識が希薄である=前時代的であるために、恋愛至上主義的な表現が勃興した。例えば『ToHeart』や『ONE』で描かれるセックスはあくまで婚前交渉であって、娯楽としてのセックスではない。娼婦と素人娘が厳然と分かれていて、素人娘と付き合う時は必ず結婚が前提になる時代の価値観が無意識のうちに再現されているので、『Kanon』に至っては、名雪シナリオ以外ではセックスすることを選択しなくてもトゥルーエンドに到達できる。それは、セックスは結婚後に初めて行うものと考える人々が未だそれなりの割合で存在していたということだろう。だから、美少女ゲームの一部は厳密な意味でのポルノメディアから離れつつある。風俗産業の二次元版としてのポルノではなく、結婚相談所の二次元版としてのポルノメディアなのだと考えれば分かりやすいのかも知れない。
さて、現代の物語メディアの多くが単独で成立しにくい原因の一つに、経済やテクノロジーの発達に伴い、物語の消費スピードが飛躍的に加速しているという状況がある。または、物語がパーツ単位で解体された結果、秩序を維持できなくなっていることに起因する。物語がジャンルとしての秩序を失い、単なる情報の集合体として氾濫した結果、その多くは誰もが知っている[お約束]と呼ばれるものになってしまった。そして、[物語を読む]という行為の目的が、疑似体験を介して思索することではなく、氾濫する情報を収集し続け、酩酊状態に導いて思考停止することに変質してしまった。同時に、ゲームというプラットフォームから発信される物語が、作者の意志によって導かれる連続体としての表現ではなく、ユーザー自身が演じる舞台……遊戯空間としての情報集合体へスタイルを変化させつつある。
つまり、他人の波瀾万丈な人生を追体験するのではなく、原風景としての平穏な日常を演じる媒介として機能しているケースが増えているのだ。原風景=楽園志向が悪い訳ではないのだが、美少女ゲームが遊戯空間として完成するにつれ、文化的伝統に回帰するルートとしての側面は失われつつあるように思う。
例えば、他者との関わりは、現実世界の他人や社会といった抽象的な意味で捉えられがちだが、過去から連なる歴史的蓄積という視点も存在する。おそらく『ONE』が特徴的だったのは、『ToHeart』で確立された偽物の原風景=楽園を[かつての全能感]を補完するシステムとしての機能面だけではなく、過去の価値観のレプリカと捉えた上で、同時に時間的な意味での[他者]を再現しようとしていたことだ。一見『ToHeart』の二番煎じと思われるような構造に[過去との接続]という要素を加えたことによって、ノイズと判断される危険性を孕んでいながらも、過去と現在を繋ぐ連続体=物語として作られた『ONE』が成功を収めたことで、物語に対するニーズが未だ潜在的に存在していることを証明している。
また、『Kanon』や『鈴のうたう日』では、胎内回帰的であるために閉塞へ陥りがちだった楽園志向を[共生と循環]という方向へ発展させているし、『フロレアール』『とらいあんぐるハート2』『デアボリカ』といった作品も、それぞれの方法で物語表現としての美少女ゲームの可能性を拡げている。そして、そういった作品が予想外な場所から出現する限り、筆者は美少女ゲームのユーザーであり続けると思う。
■あとがき。
本当はこれから出るゲームを取り上げて、今後の展望を書くつもりだったんですが、本業以外の分野を未来予測するのは、やっぱり難しいので、普通に連載の総括という感じになりました。
とりあえずは療養しながら、積みゲーの数々をクリアしようかと思っております。そういう訳で、今後は体調と相談しながら、不定期で登場するかも知れません。どんな形になるかは今のところ、分かりません……って、別に打ち合わせもしてないので(笑)。あと、FAKEOFFICEのホームページに、このコラムのバックナンバーを順次再録していく予定です。こちらも体調次第ですけど……まあ、そういう訳で一年とちょっとの間、どうもありがとうございました。
■イントロ。
今回の【N.C.P.】は、『へっぽこ通信』のへっぽこくん氏と二人で、1999年度のベスト5を選ぶ……という、年間総括だったりします。あと、例によって筆者の暗い文章。とほ。
おいら的に今年やったゲームって事で……(汗) 発売は去年かも……多数?
1 Kanon
2 ぱすてるチャイム
3 がんぶる
4 days innocent
1→久々にやりまくりでした~音楽と絵のタイミングがよかった。
2→コレットさんが成長しちゃうところがマイナスですが、ぶかTシャツにスパッツはよい。
3→全てが丁寧に作られた感じがよいいなり。ただパッドがないと最後つらかった。
4→一部当てはまらないけど、精神的にはみんなずーれーだから。
5→はじめて、ごんぽりーな女の子が可愛く見えた。(EDENは今年の作品なのかわからないけど……やったのは今年)
【個人的総括】
うーん、今年はKanonですかねぇ~。何はともあれ、音楽が好きかも~。当時はアレンジCD聴きまくってました。オープニングからかっちょよろしくて、ぶるぶるきました。他的には……う~ん『days~』がえろ~すゲームとしてはえろかったかなぁ。後は可愛いので選んでしまった感じ。
実際、まだ全部のゲーム終えれてないので、今やってるママトトとかがランクインしてた可能性もあるんですけど、いかんせん、おいらゲームはじめる前にねかして熟成した頃にやるから(^^; 故に、ママトトやダークロウズは、すでに来年のゲームな位置づけなり。個人的には、大作なえろーすRPGをやりたいなり~(闘神都市2みたいな)
実は、キャラ的には沙耶(ぱすてるチャイム)だったりします……へふ。
1 フロレアール
2 Kanon
3 とらいあんぐるハート2
4 くるみちゃん あ・そ・ぼ◆
5 憧れ
1→巧みに構築された論理と悲劇……と書くと『総長賭博』っぽい?(誰も分かりません)
2→バランスの悪さはあれど、印象は強烈。でも、えろげーとしてはちょっと辛いかも……(全年齢版出るけど)。
3→昔気質のラブコメ魂と意地を感じさせる作品だと思う。中毒性はメチャ高い。
5→アダルトで上品に抑えた雰囲気がナイス。女教師ゲーとしては最強かも。
【個人的総括】
今年はエロゲー界のチェ・ゲバラこと、臭作さんのようなヒーロー不在で寂し……もとい、昨年に比べると、大手・中堅メーカーに意欲作が少なく、面白みに欠けたかも。大作ばかりでなく、味のある小品がもっと増えないと、全体の層が薄くなる一方だと思う……。
あと、恋愛描写の水準は強まっているけど、全体的にえっち度が弱まっているような感じが、ちょっとあるなあ……。キャラ萌え&ストーリー重視な流れの弊害かも知れないけど、えろげーはやっぱり、エレクチオンさせてナンボ!って気はするですね(小池先生ライクな台詞)。……いや、Kanonもかなり好きですが~。
■本文。
親がとある新興宗教の狂信者だったので、生まれてからずっと、カルト的なコミューンの中で育った。ある時、その閉鎖性に気づいて、家を飛び出した。でも、辿り着いたのは、[オタク]という別のカルトだった。
それはそれとして、1999年の美少女ゲーム界で最も気になっているのは、ジャンルとしての共通言語が失われつつあるな、ということだったりする。[萌え]と[泣き]の両極がそれぞれ先鋭化し、カルト的なコミューンが形成されつつあるようにも見えるのだ。具体的に書く気すら起きないが、コミケの企業ブースやデジフェスで、毎回決まったように起こる混乱は、そのあたりの空気を微妙に表していると言えるだろう。
量的な飽和と多様化が、ユーザーの細分化をもたらしている。そのこと自体は悪くないと思うが、それがカルト的な求心力を持ってしまうことには、危惧を抱かざるを得ない。そして、[萌え]=キャラクター志向派、[泣き]=ストーリー志向派……という図式が発展していく過程で、両者がそれぞれ保守化し、一部では対立の構図も見られるようになっている……というのは、美少女ゲームというジャンル全体を考えるに、不幸な結果しかもたらさないのではないか? という気がするのだ。
早い話が、筆者が、ある陣営のゲームについて、コラムを書くだけで、別の陣営には激悪な印象を与えている……という状況が、厳然と存在していて、どうも息苦しいのだ。
さっき、「カルト的」と書いたのは、特定のイデオロギーを通してでしか、ゲームや人間関係を判断できない人が、あまりにも増えてしまったからだ。元々、美少女ゲームには、フェミニズムやマッチョイズムに属することのできなかった人々にとっての宗教という側面はあるが……。
例えば、神仏を信じられない人のために、心霊主義(スピリチュアリズム)や科学信仰があるように、それ自体はごく自然なものなんだけど、行き過ぎると単なる狂信者になってしまうのは、どちらも同じだ。筆者も、昔は狂信の極みにいたしね。
だから、このコラムも、印象批評的な文章はすっかり書けなくなってしまった。どうしても状況論的なものに終始してしまうのは、印象批評を書いた瞬間に、どちらかの陣営に与したと見なされ、筆者の友人は半分に減ってしまうからだ。これがまた、かなり実話だったりするから笑えないんだけどさ……。
別に[萌え]でも[泣き]でも、どちらでもいいのだ。出来上がったゲームが面白ければ。いや、本当に心を動かされるような良質の物語は、[萌え]と[泣き]を内包しつつ、そんなイデオロギーの枠組みすら超えてしまうはずなのだ。だいたい、イデオロギー抜きの意見を述べるのが最も難しいという状況は、冗談抜きでふざけているとしか思えない。好きなゲームを好きと言えないって、どういうことだい?
まあ、美少女ゲーム業界に限らず、どこの世界でもそうなりつつあるのは確かである。編集やライターを生業とする筆者の周辺でも、オタク系とサブカル系でお互い反目しているので、人間関係では要らぬ苦労を強いられる。全てのジャンルにおいて、そういった対立構造が必ず存在し、延々と繰り返されているメビウスの輪の中で、閉塞感だけが肥大していく……そんな悪夢が年々、増幅されているような気がする。
だから、もう嫌なのだ。オタク世界全体に漂っている、奇妙な停滞感が。何より、汲み取るべきものが見当たらないから、何も編集する気が起きないし。よって、編集者としては、秋から休業中だったりする。なんだか、自分の話ばかりで申し訳ない上に、冒頭から変なことをカミングアウトしているんだけども、今回の年間総括は、この連載を一年近く続けてきた、自分に対しての総括でもあるのです。申し訳ない……。
最後に、[萌え][泣き]……どちらにしても、[癒し]を大量消費している構造には変わりはない。問題は、[癒し]という概念が、思考の暴走を抑えるという、本来の意味を失い、思考停止の為だけに使われていることである。何も考えないために、生まれてくる全てのものを消費していくのだとしたら、これほど不毛なことはない。これはもう、「終わらない日常」どころじゃない。だいたい、始まってもいないのだから。何となく、『キッズ・リターン』のラストみたいだけども。
この状況に対して本当に必要なのは、ノイズを削ぎ落とし、完成された構造の作品ではなく、むしろ、ノイズとされてしまった要素を積極的に取り込み、想像力の領域を拡げ……ポストモダンを超えていく作品だと思う。新しい[魔法]の材料は、ノイズの中にしかないのだから。
しかし、閉塞を乗り越えた作品も時が過ぎていくにつれ、カルトに取り込まれ、更なる閉塞へ向かって保守化してしまう。そう、どんなに素晴らしい魔法も、[メディアミックス]という名の魔物による、カルト性を帯びた資本主義の洗礼によって、いつかは解けてしまうのだ……。
もっとも、商売としては、カルト化して、一定数のユーザー=信者から、大量の金を収奪するシステムにしてしまった方が、美味しいんだろうけど……その辺は、世間を騒がせている『法の華』や『ライフスペース』の事件を見ても分かる通りで……カルトの信者ほど、財布の紐が緩い人々はいないからねえ……。
それでも……いや、だからこそ、作り手とユーザーは、次々と新しい魔法……新しい物語を目指さなければならないのではないだろうか?
それは、思考停止して閉塞へと向かっていくカルトの罠から、自立していくために必要なことだ。更に言えば、進化と消費は、セットであるべきもので、乖離してしまっては、全く意味を成さないのだ。
つーか、逃げるために消費するのは、もう止めようや。キャラクターへの愛情は、グッズに注ぎ込んだ金額じゃ計れないんだぜ!(←バカ)
■総括の総括というか、感想。
毎年恒例(?)年間総括……と思ったら、周りにバランス良くえろげーをやってる人が、へっぽこさんしかいないという……いや、それ以前に、えろげーをバリバリやってる人もいない……何故~?
という訳で……へっぽこさん、今回は本当に、ありがとうございました~。
女になりたいって、それ必ず美女やら美少女になれると思って言ってるんだろうけどな!
世の中普通やブスな女もいっぱいいるわけでな!
夜中に下着が汚れて冷水で手洗いすることになったり
大事なプレゼンあるっつーのにナチュラル貧血状態で具合は悪いわ
布団に血が垂れるし
トイレに血も垂れるし
ほんとやってらんねーわ!
しかも子どもできたらつわり、つわり終わったら妊娠中毒で入院、
やっと産む時期が来て産んでようやく退院したと思ったら今度は不眠不休で育児!
長いと3年だぞ!!
おっぱいやってる間は好きなものまともに食えないってえる知っているか!
「えっ乳児かかえてそれ食べちゃうの…マジで?」って白眼視される環境と戦わねばならぬ!
そして再開される生理!
まともに眠れないのに増える洗濯物、布団の汚れ、不安定な精神、
これでも男は女に生まれたいというのか!
自分は大麻を摂取したことないし、取り立てて吸いたいという感じもない。公共の福祉を重視する保守系政権与党が牛耳る日本では合法化などありえないと思ってる。
自分のバックグラウンドはそんな感じ。で、そんな自分でも北米の大麻産業を投資先として見た場合、魅力的に思えてしまう。連邦政府との係争がーとかビビられてる今のうちがチャンスっぽく見える。
逆に言うと連邦法が書き換わった時点では大手ファンドが介入するのだろうから投資タイミングとして遅すぎる気がする。
投機熱が芽生えれば、今の段階から張っとくことでテンバガーどこじゃない利益を生み出す可能性すらある。
医療目的にも嗜好目的にも現時点で既に需要はあるわけで(アメリカの麻薬闇市場の規模は11兆円、うち2割が大麻)、
健全化されたブランディングによって、さらなる潜在需要を掘り当てられたら・・。1995年頃のインターネット・バブル前夜のような状況に見えてくる。
2013年の北米の正規の大麻産業(医療大麻とか繊維とかも含む)の市場規模は1500億円くらいらしい。
2014年は2300億円くらいという予測記事もあった。実績は不明。
州法がこのまま合法路線で開けてくると2018年には北米だけで1兆円くらいになる予測らしい。
闇市場での取引額が州政府管轄のマーケットに移転する事を考えるとさらなる成長もありうるとも考えられる。
2016年の大統領選で民主党政権が維持されるかされないかでも状況は変わりそうではあるけど、アメリカという国は自己決定権を保護する雰囲気を持っているから基本的には合法に向かうのだと思う。
あと、世界がより一層、合法・非犯罪化路線になると市場規模がどうなるかは、探したけど見つからなかった。
全世界の麻薬闇市場の規模がわかればその2割を大麻市場規模という前提にしてフェルミ推定できそうだけども。
今のところTHC由来で死人が出るなどのエビデンスは、無いように見える。というか大麻が積極的に消費されだしたヒッピームーブメントあたりからのサンプル数を考えると、まぁ無いのだろう。
メルクマニュアルのような文献を読む限り中毒症状のような身体的な依存性は、無いように見える。精神依存はあるのかもしれないけどそれを言い出したらインターネットだってゲームだってなんだってそうだ。
あとは可逆的な記憶力低下のような悪影響があるとか、酩酊状態での交通事故リスクとかそういうのしか無く、相関関係が不明瞭な大麻精神病の主張があるくらい。不可逆な身体への影響は無いっぽい。
要するにアルコールと同程度かそれ以下のリスクだわーというふうに見える。まぁ死者がいない分、アルコールよりだいぶマシっぽい。
この程度のリスクテイクだとするとお金をこの産業に数年程度プールしておくのはとても魅力的だ。
問題は未上場企業しか無いみたいなので、投資する手段がよくわからんこと。そういうファンドがあるらしいけど英語力がヤバイので探せず。
それと、日本では禁止されている薬物ではあるので一応このような投資が国内法に反してないかも気になる(無いと思うけど)。
どうやったら投資できるんすかね。
調べてたらleaflyの親会社に投資家と対話するみたいなフォームがあった。でもleaflyみたいな周辺システムじゃなくDiego Pellicer みたいなブランドに投資したいんだよなあ。
少額(1000万円以内)なので相手してくれるかも微妙ではある。
あと未上場しかないと書いたが、撤回します。"weed stock price"で検索したら結構あるっぽい。ただし実体がよくわからないので勉強が必要そうだ。
英語力欲しすぎるわ。。
苦労が糧になった話は美談として多くの人に好まれるけど、不遇だった時代と現在の差分を幸福に感じているだけで、別に苦労が糧になったわけではないと思う。
苦労している人には二種類いて、親がアルコールやギャンブル中毒だったり、精神障害だったり貧乏だったりするなど、環境に苦労させられるパターン、
もう一つは自分に障害があったり、容姿が悪かったり、才能も無かったりして、自分の生まれつきの運の悪さに苦労させられるパターンがある。
前者については、本人に能力や魅力があれば、どこかの組織に引っ張りあげられたりして、苦労を過去の話と振り返ることができる。
でも後者については、苦労は何の糧にもならないと思う。
よく、都市を人体に例えて、「道路は血管、基幹道路は大動脈で、そこを走るクルマは血流を流れる酸素(赤血球)」みたく言うけど、これは嘘だよなあ。
だって、街に欠かせない“酸素”は、あくまで“人”であって“クルマ”じゃないから。
地方がやってる郊外への大型スーパー配置は、身体の末端に“大きな臓器”を配置しちゃってるみたいなもんだよな。そこに人(酸素)が片寄っちゃって、中央や途中の臓器が酸欠で壊死してるみたいなもんだ。そりゃ心臓も負担ばかり掛かって良いことなしだ。
何かあるとすぐ「道をもっと良くしろ」とか、イベントやるときにすぐ「駐車場はどうするんだ」とか、「自転車(笑)」とか言うやつが何考えてるのかサッパリ分からなかったけど、そうか、あいつらはクルマ依存症だったんだな。
でも地方じゃ、市長や地方議員、まちの住人のほとんどがクルマ依存症だから困る。
しかも、そういう連中に対抗しうる唯一の人材、低所得ドキュン層が、自動車大好き人間どもだから余計困る。
そうだよなあ、そもそもクルマがないと行けない距離に住居構えたりしてる時点でオカシイよなあ。
土地が安いとか以前に、皆、壮大に誰かの戦略に騙されてるんじゃないかとさえ思える。
クルマがないと買い物にも行けない、医者にも行けない。でもそれが当たり前?当たり前なわけないし。生活に必要な施設を自ら遠くに配置させる地方のまちづくりはオカシイよねぇ
http://anond.hatelabo.jp/20141211011047
自動車蔓延させて郊外化、点在化を促進させて、人口密度低くして地域の活力を奪い、さらに道路維持費でヒィヒィ言ってるのが今の地方。
高速道路つくったり道路をいろいろ作っても、逆に地方から都会への人口流出が止まらないという皮肉。
都会を知っちゃったらねえ、そりゃ地方のマイカー必須な不便でくたびれた町並じゃ満足できなくなるのが人の性。
中心市街地の活気も失われて、自家用自動車必須な地域では、みんなマイカー移動で公共交通を使わないもんだから
免許手放した高齢者が出始めた途端、公共交通が衰退しており交通難民の急増化問題が表面化及び深刻化というしょーもないとこに落ちてる。
そんなら最初から郊外化と自動車の乱用をガンガン規制してたらよかったろって話だ。
自動車の税金やガソリン代をもっとガンガン上げて公共交通を発達させたりコンパクトシティ化を早めたほうが逆に地方のためだ。
地域の安全のために移動式オービスで速度超過時速1km超えからきっちり検挙するのも不可欠。そうでもしなきゃゾーン30概念の否定につながるからね。
自動車を締め上げれば、自然と中心市街への移住が進んだり、公共交通の利用が促進される。
小さい頃から怒られ続けたけど地頭だけは良くて授業聞いていればテストの点は取れたけどちょっと頑張って受験して高専に入って親が悲しむのが嫌いだからそれなりの会社に入ってとても辛かった。俺は親に褒められたかっただけ。嬉しかったんだ高専時代に書いたブログを書いて、ブログ辞めた後にmixiし始めた時に「日記面白かったです」とメッセージが来たことが。確かに読書はしていたけど中毒じゃなかった勘違いしちゃったのかもしれない。書くのが好きだと勘違いしたのかもしれない。読みやすい文章を、おしゃれな文章を、人に喜んでもらえるような文章を書くことが生きがいだと、勘違いしちゃったのかもしれない。なんだ、俺の好きなことはなんだ。インテリア?服?承認欲求の塊がこんな仕事に就きたいだなんて思って大丈夫か、それは本当に楽しい事なのか?親と話し合いたいけど親には俺のこんな弱いところ知らないんだろうな。喧嘩嫌だな、悲しいな。親の悲しい顔とか怒った顔嫌いだな。どうかどうか子供を怒らないであげてほしい。俺はテストで点を取って褒められたかっただけ。「小さい頃からおとなしい子だった。」本質は簡単に変わらない卑屈で変態で気持ち悪いやつ。まずは自分を認めてあげよう、わかる、でも俺はすごいじゃんって言って欲しいだけわかって。