はてなキーワード: ヴィジュアル系とは
突然だが、私には本命のバンドマンがいる。それこそ今回話のメインとなる、昨年2月から今年の半ばまでおよそ1年半私のエネルギーを全集中させたバンドマンだ。以後便宜上、彼のことを王子と呼称する。
王子に出会ったのは2016年2月5日。諸々の縁あって、とあるイベントライブに当日券で入ったのがきっかけだ。私はとても守備範囲の狭いバンギャだったので、その日のライブには目当てとなるバンドはいなかった。スタンディングで見る気力がなかったので2階席へ移動して幕の隙間から見える機材搬入をする真っ赤な衣装に身を包んだ人影をぼんやりと眺めていた。やがて幕が開いた。5年ほど前に一度だけ見たことがある、やたら覚えにくい名前のそのバンドの上手ギターが王子だった。真っ赤な衣装に真っ赤なリップ、派手な金髪、赤と緑のオッドアイ、テクニカルなギタープレイ、ギターソロを弾く真面目な顔、ソロを終えた後に大きな口をパカっとあけて笑う顔。彼の動き全てに目を奪われた。心が震えた。そんな状態のときに、王子は時たま2階を見上げてこちらを指差したりするものだから、完全にハートを撃ち抜かれてしまった。25分のステージが終わりメンバーが捌けるのを見送ったあと、すぐさま近くのCDショップへ走り最新アルバムを2枚購入した。我ながらちょろすぎる。私は王子と衝撃の出会いからおよそ30分で翌月の2ショット撮影会の参加券を手に入れた。
翌月3月14日。ホワイトデーイベントということで30秒トーク&2ショット撮影会が行われた。ガチガチになりながら初めてのイベントへ向かう。ライブ以来の王子。衣装着用時はつけまに派手なカラコン、赤リップ、とキャバ嬢のような見た目をしていたが、衣装でないときは薄いメイクになるようで、男らしさを感じてドキドキした。至近距離で見た王子はむき卵のように白くてツルツルしていて、隣に座るとなんだかいい匂いがした。優しくてかっこよくてトークも軽妙で、30秒間の間に100000000000回惚れ直した。この日の帰りさらに8枚アルバムを買い足して帰った。
4月、5月は毎週のようにライブとインストに通った。王子は3度2ショットを撮るころには私を認知してくれたし、手元にあるインストチケットがなくなる頃には自発的に名前を呼んでくれるようになった。以前通っていたバンドでは空気を貫いていた自分にとってはこれはかなり新鮮で嬉しいことだった。認知されたからには頑張らなきゃ(?)という謎の使命感からライブの本数を増やした。元々ワンマンライブ以外は行きたくないたちだったが、30分でも20分でも王子がステージにたつ公演のチケットはすぐに買うようにした。
7月にはツアーファイナルのため大阪へ飛んだ。王子のバンドの拠点は関西のため大きなライブは必ず地元大阪で行われる。実は私はギャ歴に比べると経験値が非常に浅く、ライブのための遠征の経験がほとんどと言っていいほどなかった。このライブが私の初遠征の皮切りとなり、以降東京大阪間の移動へのハードルがぐんと下がったように思う。
本当にこの頃、王子が好きで好きでたまらなかった。早いチケットを買い直してライブに行った。王子が構ってくれないと楽しくなかったからだ。構ってくれた日は浮かれて浮かれて、だらだらとツイッターに感想を垂れ流した。ライブの合間に行われるインストのために、バカみたいにCDを予約した。たくさん王子と写真を撮った。写真なんていらなかったけど王子に私という存在を忘れられるのが嫌だったから、毎週毎週飽きもせず撮影会へ向かった。私の顔を見て名前を呼んでくれるのが嬉しかった。
こう何度も現場に出向くようになると、周囲にいるファンの誰が王子を好きなのかも分かるようになってくる。いつも同じ列に並んでいる他のファンにたいして無駄に対抗心を持つようになった。こいつらが見てない王子を見たいという一心でたかだか20分程度しか持ち時間のないイベントライブのために地方へ行ったこともあった。とにかく私しか知らない王子を求めていろんなことをした。結果、何かが手に入ったわけではなかったけどその場限りの優越感を楽しんだ。
頻繁にライブに行くようになったある時。王子が贔屓にしている人が誰なのか、分かってしまった瞬間があった。周年記念のワンマンライブ中、そのうえ2列目にいたにも関わらずワンワン泣いた。その日、王子とは目も合わなかった。あまりにショックで翌週の大阪遠征も取りやめた。チケットは捨てた。10月のことだった。
しばらくの間、ショックでライブの本数をかなり減らした。11月に一度話す機会があったのでそこで少し会話をして、クリスマスにライブに行った程度。どちらも大したことは話せなかった。代わりに時々ファンメールを送った。ファンメールといっても、王子に対する八つ当たりのようなことばかりかいていたので、実際には迷惑メールだったが。迷惑メールを送り続けたことで、1月の接触では「痛い女」と王子に言われてこれまた泣いた。しかしそんな風にいいつつも、王子は優しいところがあるので迷惑メールに書いた私のお願いを結構聞いてくれることがあった。私信とまではいかないが、ツイッターやブログ、接触等で律儀にレスを返してくれる王子がやはり好きだなあとその度に実感していた。
ファンメールから徐々にモチベーションを取り戻した私は2月からまた少しずつライブの本数を増やしていった。麺被りは殺す精神はそのままだったので、とりあえず王子に構ってもらいやすい位置をキープすることでなんとか精神衛生を保っていた。その頃春からのツアーが発表された。モチベーション絶好調の私はウキウキで東名阪のチケットを押さえた。なんとこれが中々のあたりで全公演そこそこの早番だったうえ、そのうち1つは最前確実だった。狂喜乱舞した。王子にそのことを伝えると「ほんまか!最高やな!」とハイタッチしてくれた。可愛かった。
ツアーが始まった。気分は最悪だった。どうして目の前にいる私を見てくれないの。なんで私がいること分かってるのに別の人構うの。そればっかり考えていた。王子の目の前にいるのに王子の目に私は映らない。死にたかった。私はこんなに色々なものを犠牲にしてきてるのに、なんで、お前は。
公演のあと、メンバーと写真を撮るイベントがあった。能面のような顔で撮影場所にきた私に王子は言った。
「私のこと見えてたんですか」
もう本当に死にたかった。
私のことを見ない王子が嫌だったし、ファンの分際で見られたいという気持ちが肥大している自分が気持ち悪かった。私なんてたまたまチケット運が良かっただけの金なし乳なしブスだ。私よりお金をつぎ込んでる人も可愛い人もごまんといる。私が無視されることも、そういった人たちが気に入られるのも当たり前だ。でも我慢ができなかった。「次のライブも同じとこにいる」と王子に告げて撮影場所を後にした。1週間後、私はまた王子の前にいた。その日も王子はこちらを見なかった。私は限界だった。
好きだった頃に買ってしまったチケットが十数枚残っていた。ほとんどは売った。売れなかった3枚は捨てた。友達と行く約束をしていた2枚はちゃんと公演を観にいった。最前列で見たけど、やっぱり王子の目に私が映ったという実感を持てる瞬間はなかった。そして明後日、友人たちと約束しているライブで最後の1枚を使う予定だ。一体この日はどうなるだろうか。
好きというエゴが肥大して好きなものを好きだと思えなくなってしまった。少し前に起こったアイドルの殺傷事件。正直気持ちが少しわかるのだ。好きなのに、好きなのに、好きだから、憎い。まるで病気だ。
今も王子のことが好きだ。でも王子が憎くてたまらない。この感情と決別するまでは、王子に会いにいってはならないと、そう思ってる。
1997年に結成した彼らは、00年代V系シーンにおいて、その重厚なサウンドと自他への憎悪や怨念、そして寂寞の篭ったような世界観という強烈な個性から、多くのファンを獲得し邁進してきた。
そしてその世界観を自ら打破し、ロックやテクノ、メタル等の様々な音楽要素を取り込むなど、新たな個性として「多様性」を得た結果、今やファンも老若男女様々な層が増え、20周年の今年は日本武道館2days公演を納めただけでなく、更に年末にもう一度玉ねぎの下で大規模な主催イベントを控え、その日に向けて日夜怒涛のツアーやイベントに勤しんでいる。
私は、ファン歴で言えば中堅どころにあたると自負している。
もう十余年もムックの音楽に浸り、彼らのライブサウンドに酔い、最早生き甲斐やライフサイクルの一環として「次のライブに行くために、また彼らの音楽を生で楽しむために」と社畜生活に従事する日々。
長らく夢烏(=ムックのファンの呼称。ムッカーと読む)を続けてきて、もちろん不満に思う事や上がろう(=ファンを卒業しよう、追っかけをやめよう)と思った事も多々あった。
しかし彼らの最大の魅力は良くも悪くも「変化し続ける事」と「ファンを裏切る事」である。
何だかんだと文句を垂れ、貶しては「やっぱりムックは最高だ」と舌を巻く羽目になるからこそ、次の良い裏切りを期待して離れられずに、盲目的に好きであり続けている。
そして自身の周りの夢烏仲間も「だせぇwww」「無いわwww」「新アー写ぶっさwww」等と貶しては、生のパフォーマンスを拝んだり、新しい歌詞を読んで「やっぱムックいいわ…好き…かっこよすぎ…」と滂沱と溢れる涙を拭い、感涙に咽びながら新しい告知に躊躇無くクレジットカードを切っていた。
2008年夏にリリースされた19枚目のシングル、「アゲハ」。
このリリースをきっかけに、あるバンドのファンが怒涛のようにムックに流れ込んできた。
ムックと同じ事務所に所属する大御所バンド、L'Arc〜en〜Cielのファンである。
このシングルにはラルクのギタリスト、Kenが楽曲のプロデューサーとして参加している。
日頃ラルクの活動の無さに飢えているファンが、ラルクの片鱗を求めてムックの音楽に興味を持ったのだ。
ムックは元々、リーダーであるギタリスト、ミヤのワンマンバンドである。
幼い頃より音楽を嗜み、プロデュース、作曲、編曲等々多方面のマネジメントを行うミヤに対し、音楽のド素人から始まった他メンバー。技術的な部分から何から、3人はミヤに首を垂れ従い続けるのが常であった。
「メンバーもファンもひたすらミヤのご機嫌取りに徹するバンド」等とも称される事もあったし、夢烏を自認する私も事実そういうバンドだと自覚する。
なお余談だが、興味のある方は是非今年リリースされた「M」というインタビュー本をご一読頂けるといいだろう。
リーダーから何故出来ない、お前に期待しているのに、というスパルタ虐待親よろしく高いスキルを要求され、心身に支障を来たす者もいれば、トラブルを起こす者もいた、解散しなかったのが不思議でならないかつての殺伐としたムックが。
そして20年という歳月を経て、ようやく分かり合おうとし、ほんの少し分かり合えるようになってきた彼らの、ありのままの成長の軌跡が綴られている。
さて、そんなムックが、よそのアーティストにプロデュースを頼むだなんて。
当初は「は?ムックのサウンドが好きなのによそにプロデュースされるとか無いわ」という気持ちと「あのとんでもワンマンバンドがよそに力を借りるなんて、少しは丸くなったんだなぁ」という気持ちを抱いていた。
実際楽曲そのものは、これまでのムックには無かった新しいテイストが組み込まれ、彼らの「多様性」に新たな1ページが加わったなぁと感慨深かった。満足であった。
しかしそのシングル曲が含まれるアルバムツアーから、ライブ公演に違和感を覚えるようになった。
「アゲハ」と、同アルバム収録のもう1曲のKenプロデュース曲「空と糸」のイントロで、何故か、黄色い悲鳴が上がる。
V系というジャンル柄、ファンは盲目的に思い入れを持つ曲が各々あったりする。また歴史を重ねるごとに、昔の音源はだんだん演奏頻度が下がる。
そうした中で、たまにいわゆるレア曲を演奏したりすると、イントロの時点で泣き出したり、歓喜の絶叫を上げるファンは沢山居た。
何ならこのツアー中は100%演奏するし、シングル曲故に今後もセットリストに組み込まれる可能性は非常に高い。
私はただたた首を傾げる事しか出来なかったし、周りの夢烏友達もそうであった。
その正体に気付いた時には、奴らはすっかりムックに居座っていた。
あれは忘れもしない、某年の恵比寿リキッドルームでのライブ。
早めに着いた私は、グッズ販売の待機列で友人を待っていると、数人程前にやたら声の大きい2人組が和気藹々と歓談していた。
V系のファン=バンギャもある種のキモオタなので、声が大きいのもよくある事だと、会話をBGMにTwitterを眺める私の耳に、信じがたい台詞が飛び込んできた。
「ムックはチケ代が安いから、ラルク待ってる間の暇潰しにはコスパがいいよね」
「Kenちゃん、ゲストで来てくれないかな。Kenちゃん見たい」
先の台詞は百歩譲って許そう。
いくら盲目に、宗教的にバンドを愛するバンギャと言えども、複数のバンドのファンを掛け持ちする事はザラだ。
特に本命バンドの活動が乏しい場合、あの爆音の非日常空間が恋しいあまり、他のバンドに手を出す事はしばしばある。
そして本命バンドと比較して、やっぱり本命バンドが一番好きだという実感を改める事は私も多々ある。
ムックが一番好きな人達ばかりのアウェイ環境で、よくもまあ大声でそんな事がしゃあしゃあと抜かせるものだと少しイラつきはしたものの、気持ちは分からなくもない。
しかし猫も杓子も二言目だ。
そう言うのならばKenソロのライブに行けと。公演が無いならばDVDでも観ていろと。チケットに書かれた出演者をよく観ろと。貴様の目は節穴かと。ムックにラルクの片鱗のみを求めているのかと。
音楽シーンにおいて特に興衰の激しいヴィジュアル系というジャンルでは、新たなリスナーの獲得が今後の生死を左右する。だから、新しいファンが、殊に音源やグッズを購入し、ライブにまで足を運んでくれる存在が増えるのは大歓迎だ。
それでもムックの純粋なファンではなく、ムックを通して結局ラルクしか観ていない。カードだけ剥ぎ取られて、開封もせずに捨てられるプロ野球チップスのようだと感じられる、ムックが本命バンドの自分からすれば侮辱としか思えない発言だった。
気持ちは分からんでもない。ただせめてこの場においては、まっすぐにムックを観てくれないものか。とにかく不愉快で悲しくて仕方が無かった。
しかしムックは、みるみるそれらのファンを増やし、固定させていった。
その後もKenのプロデュースの機会も増え、ラルクメンバー絡みのイベントに参加し、オールナイトイベントなんかにも出るようになり。いつかの2人組が望んだ通り、ワンマンライブにゲストで現れるようにもなり。
気付けば、スタンディングのライブで友達とはぐれた時、自分の周りにいる人間は知らない空気を纏っていた。
先述の通り、私はファンが増える事は喜ばしく、歓迎すべき事だと思っている。
以前はモッシュピットに棒立ちで、ぶつかられ露骨に嫌そうな顔をしながらも近くで見たいからと動かない、危なっかしい新規ファンも居たが、最近はムックのノリに慣れたのかそんな人間も見かけなくなった。
ムックそのものをちゃんと観に来ているファンが増えた実感もある。
しかし、あれからずっと変わらずKenプロデュース曲で上がる黄色い悲鳴。
チケットのファンクラブ先行受付がある度に、既存の夢烏同士の規模を圧倒的に上回る人脈での人海戦術で、人数の何倍も申し込んでは、ひたすら身内に、余れば興味の薄い人間にまで回されるチケット。
「ムックは昔から、皆仲が本当に良い」「ボーカルさん可愛い、女の子みたい」「リーダーさんが人を殴るなんてありえない」という、誤解を超えて定着してしまった新しい解釈。
そして何だかんだ言っても結局、Kenが関わる話題が上がっては「Kenちゃん来ないかな」。対盤で未発表枠が告知されては条件反射で聞こえる「絶対ラルクでしょ」。
何より許しがたい、「今のムックの動員や売り上げは、ラルクに支えられているようなものでしょ」という、あまりにも乱暴で横柄な認識。
そして自分達が総意であり真実であるかのように振る舞う。いつしか私も、仲の良かった旧来の友人達も、周りを念入りに警戒してから遠慮がちに感想をぼやくようになった。
もちろん、いいファンと悪いファンがいるのは重々承知しているし、それは旧来の夢烏にも言える事だ。
それでも、メンバー間のトラブルや修羅場があったからこそ生み出された過去の楽曲やパフォーマンス。そして背景としてそれらがあったからこそ、紆余曲折と凄まじい努力を経たからこその「今の彼ら」が在るのに、「今の彼ら」しか切り抜かれていないようで悲しく思えてならない。
V系における2ちゃんねるのような某掲示板で、貢ぎやセフレ要員として簡単に繋がりを持てると、繋がり入門麺とまで称されたメンバーに対して、手放しで可愛いだの聖母だの褒めちぎる。
バンドの運営をほぼ全て自分を中心に回し、ステージでミスしたメンバーや段取りの悪いスタッフを一切の遠慮なく睨み付け、手や足を出す事もザラだった、田舎のヤンキー気質の抜けないワンマンリーダーを、優しいだのと聖人君子のように捉える。
先述のメンバー程よろしくなかなか女関係が汚く、今やすっかりほうれい線の強い老け顔に対してただただ馬鹿のひとつ覚えのようにかっこいいを連呼する。気持ち悪さが売りであり、コールアンドレスポンスとして罵声が求められるパフォーマンスに対してきゃー可愛いなどと場違いな歓声を上げる。
元よりお馬鹿キャラではあったものの、立派な一人の成人男性としてオフショットでは煙草を吸ったり、平均的な態度振る舞いである事は容易に見て取れるのに、そうであると押し付けんばかりにひたすらバカわいいなどと称する。
昔の楽曲も好きだけれど、暗いから最近の曲の方が好きだなどと抜かす。
汚い部分もひっくるめてのムックは今時のファンの中では息絶え、やがてムックの中でも無かった事にされるのだろうかと、一抹の寂しさを抱いた。
ファンの在り方は様々だ。貶し愛と呼ばれる、極端なツンデレのような愛し方をする者もいる。ガチ恋と呼ばれる、本気で結婚したいと考え必死に札レターを贈る者もいる。アイドルのように無条件に可愛いかっこいいと愛でる者もいる。
ムックが本命バンドの人間もいれば、他のバンドが本命だという人間もいる。
必死な人もいれば、緩く追っている人もいる。
十人十色、千差万別。色んな愛し方があって当然だし、「多様性」を強みとするバンドならばファンも多様であっていいと思う。だからこそムックは、色んなものを身につけ、色んなものを培い、色んなものを味方につけて、色んな道を歩んできた。
とりあえず、これからもムックに金を落とし続けてくれればそれで結構なので、頼むからせめてダイブする時は柔らかい靴で・アクセサリー類は外す・髪は括る・ステージにもフロアにも余計なアピールをせずさっさと転がって降りるの4点くらいは徹底をお願いしたい。
それと人海戦術チケ確保も程々にして頂きたい。激戦チケットとの交換カード用に、自分にとっては余計なチケットを申し込んで転売するのもほんとに勘弁して下さい。
あーあ、やっぱりラルクソ居なくなって欲しいな。何だかんだ言ったけど、やっぱ存在が無条件にただただムカつくし気持ち悪いわ。
さん付けとかたつえちゃん呼びもきしょいし、下手くそな小学生の夏休みの工作以下のお手製土産(笑)を「声かけて下さい!」とか拡散してるのも本当にきしょい。
それもラルクソの文化?男性アイドル追っかけてる夢女子腐女子のオタ中学生みたいですね。
ガチ恋も増えた臭いけど、やってる事だけじゃなくて身なりもオタ中学生みたいな糞ダサデブスだし、見た目も繋がるためのお金も何の努力もしてないから本当に見苦しい。
せめてまず痩せろよ。1人で2人分くらいスペース取ってるデブ本当に殺意沸く。
何食ったらそんなデブになるの?何処かの相撲部屋に所属してるの?ちゃんこが美味しいのは仕方ないだろうけど、ここは土俵じゃないんですよ。
万が一にも動員落ちたら1人でチケ20枚くらいは買い支える気持ちでいるから、ここらで一発ムックには炎上してみて欲しい。
至って健全。自らの性欲や承認要求をスポーツに求めており、変な方向に走ることがまずない。村主某のように、スポーツから離れた後は要注意。
ライブ会場で団扇を回すことに命を掛けるため、風落ち危険度は低い。ライブの遠征費を稼ぐために風に走る可能性も低い。ライブチケットが争奪戦であることが幸いし、そこまで遠征費がかからないからだ
オタクの世界への抵抗が薄いのか、比較的風俗で稼ごうとする女の子が多い。ソシャゲの課金を稼ぎたいのか、他に目的があるのかよくわからない傾向あり。メイドカフェがエントリージョブとなっている。ここからバンギャ層を経て風落ちすることがある。
所謂「バンギャ」層。好きなバンドの追っかけと、一緒に枕することに命を掛ける人達である。遠征費などの追っかけ費用はジャニオタとは桁違いにかかることも珍しくなく、それを稼ぐために風俗に走る人が多い。バンギャの2ch的存在である「V系たぬきの掲示板」は、バンドの誰と寝た、という自慢話が話題の中心になっている。男の趣味が後述のホストに酷似しているため、ここに足を踏み入れた時点で半分風俗嬢に足を突っ込んでいると考えて良い。
ホストに貢いで枕してもらうために風俗で働く女の子は多い。小生が以前行ってた店は在籍の女の子全員がホスト狂いとまで言われていた。特にバンギャ→風落ち→ホスト狂い…の流れは、今どきの女の子の典型的な風落ちパターンと言って良い。色々なルートを経てホストに枕してもらうことが生き甲斐になってしまった人達である。
ヴィジュアルロック=「社会を否定するため、あらゆるメッセージを拒否(現実からの逃避)」
ということで、形は違えど「社会的な影響を受け、それに反発するためのムーブメント」だったように思うのです。
以下、もう少し詳しく。
まずパンクロックがなんぞやというと、60年代後半から80年代に入るまでにかけてのイギリスの経済停滞による社会の鬱屈感と、同時期に複雑化しすぎたロックミュージック、両方への反発として生まれた若者中心のカウンターカルチャーの亜種であり、それまでに流行していたファッションに対しても反発する個性的なスタイルをとっていたことも特徴のひとつ。
対してヴィジュアル系は、特に社会に対するメッセージなどはなかったが、歌舞伎役者ばりの白塗り&奇抜なメイク、カラフルな頭髪、中世の雰囲気を取り入れたり、ハードロックのバンドマンが着ているものを参考に、さらに派手に彩った衣装などとにかく凝った外見と各々独自の世界観をもつことが特徴であり、音楽性については特に定まった様式はなかった。(強いて言えばバンドサウンドが基本にあり、ハードロックをベースとしているというのが共通項かもしれない)
で、ここから本論なんだけど、ヴィジュアル系には「メッセージ、主義、主張」ってのは一切なかった。(一部例外を除く)
あるのは、自分たちのビジュアルはこうだ!っていう世界観だけ。
これって実は、
メッセージを全く持たないものを信仰する=メッセージを押し付けようとする社会を全否定する=パンク的
当時の社会情勢としては、まず80年代後半にX JAPANが登場。時はバブル絶頂期。景気の良さも手伝ってか沢山のフォロワーが誕生する。(ちなみにヴィジュアル系の起こり自体は70年代後半までさかのぼれるが割愛。)
次に90年代に入りバブル崩壊。この時点でも世の中はそこまで暗い雰囲気でもなく、ヴィジュアル系は徐々にその勢力を大きくする。後に成功するバンドたちはこのあたりで結成されたケースが多い。
そして90年代中盤。いわずもがな、就職氷河期のスタート。不景気による世の中の停滞、鬱屈した雰囲気から逃れたくて、若者は縋るものを求めた。そこに、今までの価値観と全く異なるものを体現したカルチャーが表舞台に現れた。それがヴィジュアル系だった。メジャーにも多くのヴィジュアル系バンドが台頭し、大きなブームになった。それに伴い一層先鋭化した個性的なバンドが現れたりもした。が、所詮は一過性のブームであり、そう長くは続かなかった。
90年代後半。勝ち残ったバンドは僅かだった。そしてその代表格であるのがGLAY。だがこのGLAYこそ、じつは本当の意味でのヴィジュアル系ではないと筆者は考える。なぜか。彼らは「メッセージをもったバンド」だからである。
もちろんそれは社会や体制を批判するようなメッセージではない。恋人や友人に語りかけるような、いわゆる普通のポップスやロックの世界観の上に、ヴィジュアル系の要素を軽く味付けしたしたバンド。それがGLAYであり、その普通さ故にブレイクし生き残ってこれた。
皮肉にもヴィジュアル系ブームで最も恩恵を受けたバンドがじつはヴィジュアル系ではなかったことが、音楽業界では王道的な価値をもったものが生き残るということを証明したのではないかと思う。(GLAYが最も影響をを受けたというBOOWYもビジュアル系ではなくロックバンドである)
ここから更に話は飛躍するが、このGLAYが最もブレイクしたのと同時期に、ヴィジュアル系のような独特の世界観を持ち、GLAYのような身近なメッセージで大ブレイクしたものあある。ご存知「新世紀エヴァンゲリオン」である。
既存のロボットアニメからは大きく飛躍した独特のヴィジュアル、言い回し、中身があるようで無い、複雑でわけがわからないけど「なんかすごい」と感じられる世界観。しかし実際テレビシリーズの中で伝えられたのは、視聴者同様の思春期によくある悩みを抱えた主人公・碇シンジの成長物語という、とてもシンプルな内容であったことが、この90年代後半の「何に希望を見出したらよいかわからない世代」に対するヒットの要因であったのではないかと考えられる。(細かくはそれ以外にもたくさんあるんだろうけど専門外なので割愛)
さて、時代は回って2016年。この時代を代表する音楽文化とはなんだろう?ぼんやりとした括りではあるが、それは「アイドル」ではないかと筆者は思う。
AKB,perfume,ジャニーズ、地下アイドルetc、、、それぞれにスタイルは異なるが「メンバー個人に対して熱烈なファンがいる」「楽器の演奏ではなく歌とダンス、パフォーマンスが主体である」「ライブ以外に活動する場所がある」というあたりが共通項と言える。
そしてアイドルは、社会に対する反抗者への、「癒やしと共感」なのではないだろうか。
我々は失われた20年の間に大きく傷ついた。後退した。その傷を埋めるために「つらいのすごくわかるよ」「一緒にがんばろう」というメッセージを発したのがアイドルたちだった。それは、理由もわからず暗い時代を過ごすことになったゼロ年世代にとってとても甘美なものだったに違いない。
アイドルに求められる像というのも、昔は「憧れの存在」であったものが、いまやバラエティ番組どころか街角の中まで進出し、アイドルという唯一の存在でありながら「身近なお兄ちゃん、妹」のような共感を得られる人がヒットしているのもそれを後押ししている。
さてここで気になるのは大ヒット中の「君の名は。」である。これもエヴァの考察がヴィジュアル系のそれであったように、アイドルの「癒やしと共感」というキーワードで紐解くことができるだろうか。
そろそろ書くのめんどくさくなったので終了。
誰か気が向いたら続き書いてくれると嬉しいです。
プラスティックトゥリー 初期はキュアなどニューウェイブに似てたけど、最近はシューゲイザーとかオルタナっぽいことやってる。
L'Arc〜en〜Ciel 上のバンドと同じくキュア好きらしい。
LUNA SEA 初期はダークなニューウェイブ。ギターがたまに80年代キングクリムゾンっぽい
deadman このバンドは最高。ニルヴァーナ+ヴィジュアル系。ギターの人がラルクのサクラと活動中
the god and death stars デッドマンのギタリストがやってる。ニルヴァーナ+中島みゆきらしい
9goats black out ひたすらダークなアルペジオ
ジャニーズのコンサートにおいて1本のツアーで何公演も顔を出している人を指す言葉らしい。
何公演も行くことが悪とされていることを知ってびっくりしてしまった。
今までジャニーズ界隈において「盛り髪」や「ヒール」が悪とされているのはうっすらだけど知っていた。後ろの人が見えなくなるし、危ないからね。これはわかる。
でも、なんで好きなアイドルに何回も会いに行くことが悪とされているのかがわからない。
しかもこれは当たらなくて行けないファンが文句を言っているのではなく、メンバーもMCで遠回しに注意しているらしい。
いや、たくさんの人にコンサートに来てほしいのはわかるよ…わかるけど、わかるけどさあ…。
母がいわゆるジャニオタでツアーのたびに何か所か遠征をしている。お金と、名義を貸してくれる人脈を使ってチケットを手にしている(オークションなど転売は使っていない)。それを当たり前のように見てきた。
だから母のやっていることがまさか悪とされているなんて思いもしなかった。
このことに驚いたのは私がバンギャだからというのもあるかもしれない。ヴィジュアル系界隈では遠征しないと「え、遠征しないの!?」といった反応が返ってくることが多い。まあジャニーズとヴィジュアル系じゃ動員数が桁違いだけど。
大学時代からの男友達と久々に連絡を取ったら嫁とセックスレスになっているらしく、内心クッソワロタと思いながら相談に乗った。
色々と下世話に突っ込んで聞くと、
こんなことをしているらしい。
アホか!老化をイジられてしたくなる女がどこに居るか!
鬼のごとく説教してやったらこんな言い訳を繰り出してきやがる。
はい来た。来ました。「俺なり」。
なぜ失敗してる方法を繰り返す。アホか?アホなんだな?
これを実行したところ、見事男友達はレス解消に成功したとのことです。
「愛情表現を素直に」が一番難しく、なかなか出来なかったらしいけど、まあそれでもレス解消できたわけで、よかったね。
ここでやっぱり一番問題なのは、イジってる側は愛情表現しているつもり、イジられる側はけなされてると感じて落ち込む、この食い違いだと思うのです。
そもそも「けなすことで愛情表現」というのが狂ってるように私には感じられるのですが、これは男友達のような奴に限らず、実は一部の女にも見られる行動。
ありがちなのが、オタ女界隈。好きなイケメン二次元キャラをボロックソにけなしながら「愛」と言い張ってるオタ女が、実はtwitterとかにいっぱいいます。
あとはヴィジュアル系界隈、ジャニーズ界隈、K-POP界隈なんかもそういう行動が見られる。愛情の対象をけなさずにはいられないファンの存在がある。
面長のメンバーに「馬」、歯茎の出たメンバーに「歯茎」、最年長のメンバーに「爺」なんてアダ名をつけて、ファン同士キャッキャ笑ってたりするんです。
それを彼女たちはメンバーへの愛情表現だと思ってる。言われた側は絶対嬉しくないと思うけどね。
こういう行いがオタ女界隈でメジャーなせいで、「けなし愛」なんて言葉も生まれています。私のすごく嫌いな言葉。
なぜ素直に美点を褒めるのではなく、けなして笑いものにする形で愛情を表明してしまうのか。
私には全く理解できないので分析不能ですが、きっと彼女たちをそうさせてしまう何かがあるのでしょう。
でもそれが相手に受け入れられるはず、とは思わないで欲しい。ぶっちゃけ、夫や彼氏に対して「けなし愛」をやったら、インポになってもおかしくないよ。
愛情表現をこじらせた事情もそれぞれにあるのかもしれないけど、パートナーとの関係を良いものにしたいのであれば、直せ!と。私はそう思います。
http://anond.hatelabo.jp/20121012110818 で書いた俺の文章を改行しても俺の人生の問題は解決しないしむしろ俺の人生を改行してほしいぐらいという心境なのであると同時にPCのスピーカーは鳴らないために曲が聞けないのだがそれとは関係なくアニメ「ゴクドーくん漫遊記」のオープニングテーマであったところのヴィジュアル系バンド・ベーゼの歌「プリズム」が今日はずっと頭の中で流れており止めることができないのでBGMは不要だし考えてみたらもう何年も音楽を聴く習慣がない俺が書いているうちに思い出したのはあの女はフリッパーズ・ギターやウィーザーが好きだったようだが俺はよく知らないし眠くなってきたので増田の幸運を祈って今日を終える。
浜田「ものすごいファン これどゆこと?」優木「これも?ガクトさんですね!」
Gackt「ボク?あ~ボク。あ~ボク。あっ、あ~あ~あれなんですよ、バンドの時に~」
Gackt「昔マリスミゼルっていうバンドやってて。当時ヴィジュアル系のバンドが腐るほどいたんですよ」
浜田「なるほどなるほど!」
Gackt「で、そのころに、全国的にいた有名な・・まぁ・・その・・・グループを組んでいる、チームの女の子達がいっぱいいたんですよ。」
Gackt「まぁファック隊って言うんですけど。」
一同爆笑
優木「wwwwwwwwww何そのファック隊って!wwwwwww」
浜田壁を殴る
浜田「なんやねんwwwwwwww」YOU「そうなっちゃいますね。」
Gackt「まぁ、あの、一応全国にいるんですよ(笑)」優木&YOU「うわ~うわうわ怖い怖い怖い」
浜田「そうか色んなところでライブするから その土地土地にファック隊がおるんねや」
Gackt「あの~ボクらライブハウス周るじゃないですか。で、ボクらだけじゃなくて、そのヴィジュアル系のバンドって全部周るんで、
もう北海道ファック隊まぁ札幌ファック隊函館ファック隊とか・・もういっぱいいるんですよ。」
一同爆笑
浜田「あっちはええことしとんやからwwwwまぁファック隊もええことしてんのやけどwwww」優木「響きだけでwwwww」
Gackt「だいたいライブをやると、わかるんですよ。ライブハウスの、あの~前には・・前から、
一番後ろのちょっと前くらいまではファンの子たちがすごい勢いでノってるわけじゃないですか。」
浜田「もう熱狂的に、こう~見てるわけや」
Gackt「一番後ろの一列だけ、その・・スーツを着た女の子達で、髪の毛を立ち上げてる子達で、完全に・・・一応来てはいるんだけど、
"私達は全然違うのよ"みたいな。で、こうパッとそこに目線をやると、こう顔を上げるんですよ(笑)(顔を斜め上に上げるしぐさ)」
浜田「フフッwwwwwwww」Gackt「何だコイツらwwwとか思って」
浜田「ハハハハハハwwwwwwww」陣内「そうですねぇ~!」
Gackt「で・・当時ファン打ちっていうのが結構普通で、ファンの子達と合同で打ち上げをやることがよくあったんですよ。」
一同「へぇ~!」
Gackt「で、そこで、何故か・・・その・・・ファック隊達の子がいるんですよね。」
浜田「そらそうでしょ~・・そこには絶対に~・・」
Gackt「で、狙ってたんですよ。メンバーを。それで、ボク・・その・・ファン打ち結構苦手で、もう露骨に来るんですよ。
ファック隊の子達も。で、良くいつもメンバーに『先上がるわ・・』て言って、上がってたんですよね。」
浜田「あっ、ガクちゃんはファック隊にはお世話になったことは無いわけ?」
Gackt「駄目だったんですよ。あの・・・何かこう~露骨なんですよね。」
浜田「まぁ他にもバンドがいっぱいあるから、そいつらはまぁ色々こう~お世話になったりして・・?」
Gackt「・・・・でもあの~・・岡山で・・・まぁ抜けて。(ファン打ちを)」浜田「まぁ一人でね」
Gackt「バーに行って、まぁ飲んでたんですよね。したら横にすーごい綺麗な女の子がいて。この子可愛いなぁー・・と思って、
声かけて、『ちょっと一緒に飲もっか。』って言って飲んでて・・・そのまま連れて帰ったんですよ。」浜田「おぅ!連れてかえろ!wwww」
Gackt「部屋で・・まぁちょっと喋って。」浜田「おぅ~!喋ろう!」一同「wwwwwwwwwwww」
Gackt「・・・で、先にシャワー浴びて来いって言って浴びてたんですよ。」優木「浴びて"こい"ってww」
Gackt「そしたら目の前に・・テーブルの上に、その子の手帳が置いてたんですよ。」一同「おおww」
Gackt「で、こう普通に全然関係無いページが開いてたんですけどやっぱりああいうのって、いつも開いてるページに開くじゃないですか。
こう(ページがめくれるジェスチャー)」
YOU「癖がね。癖が。」大沢「サラッと!」優木「型がついちゃってますからね。」
Gackt「途中でピタッピタッピタッってなって、ピタッって止まった瞬間に・・・・こう・・・・バンドの名前がものすごい勢いで書いてあるんですよ。」
Gackt「そこには、あの・・・マリスミゼル。うちのバンドですよね。には空白だったんですよ。
これ一体なんだろうな・・・・って思ってて、でハッと思って、ファック隊だ・・・・!と思って。」
一同爆笑
Gackt「あの、そこの・・・用はそのバンドの名前と、バンドのメンバーの名前と、そのメンバーの横に正の字が書いてあって。」
一同「ええええええええこっわ~」浜田「なるほど!!」陣内「すごいなぁ・・・・」
Gackt「バンドの名前が書いてあってぶわーっとこうリストになってるんですよ。ショックで。」
浜田「やばいでー!wwwwwファック隊にやられるでー!wwwww」大沢「シャワー逃げろシャワー!!」YOU「逃げろー!!!!!」
陣内「でもシャワー浴びてるんでどうするんですかガクトさん!!」
Gackt「とりあえず出てくるじゃないですか。でもそれまでは、バンドなんか全然興味無いみたいな顔だったんですよ。」
浜田「バーの時はね。」
Gackt「ええ。で、バッと見せて(手帳を)何なんだコレ(笑)って。お前ファック隊だろって。」
浜田「ハハハハハハハwwwwwwwwwwww」優木「言ったんだ~!」
YOU「刑事みたい!刑事!カッコイイwwwファック隊だろ!ww」(梅沢辰夫が腕組んでて怖い)
Gackt「じゃあ・・とりあえず・・嘘はいいから、もう本当・・・この名前は・・・『これはした相手だろ』」
浜田「なるほどね。正の字もあるし!」Gackt「したら、『そうだ』と。」浜田「あ~・・・吐いたか!」
Gackt「でもその中には(失笑)ボクの信じられないくらいボクの知ってるバンドが、メンバーが。まぁもちろん友達もいるわけじゃないですか」
浜田「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
Gackt「友達の名前も全部そこに載ってて。」一同「へぇえぇええええーー・・・!」
Gackt「でー・・それは言えないですけど、もうあまりにもショックで。」
浜田「うん。やっちゃった?(その綺麗な子と)」
一同爆笑
浜田「wwwwwwwww泣きながらやっちゃった?wwwwww」
YOU「そっちですかぁー?!」
浜田「wwwwwwww」
Gackt「(笑)ボクはさすがに、やっぱり・・みんなの弟になるのは・・やっぱ嫌じゃないですか!」
浜田「アッハッハッハッハwwwwwww」
YOU「順番かぁ~。」陣内「ガクトさんから声かけるくらいの美女やったんでしょ?」
Gackt「うんすごい綺麗な子だったんですよ。すごい綺麗だったんですけど、でも良く見ると、例えばこの有名なバンドの、
例えばボーカル、ギター、ギター、ベース。名前書いてあるんですけどドラムの名前が入ってなかったりとかwww」
浜田「なるほどなるほど」
浜田「おい!wwwwwwわかった今ので!!wwwwwwww」
Gackt「wwwwwwwwwwww」
一同爆笑
陣内「ガクトさん何となくわかりました。」YOU「まぁじっすかぁー」陣内「何となくわかりました。大ヒント。」
Gackt「そういえばいっぱいあったんですよ。」
Gackt「でもうちの・・一応バンドのメンバーの名前は入ってなかったんですよ。」
浜田「なるほど。」YOU「そこにガクト一!って」浜田「すごいなぁー危ない危ない」YOU「怖ーいねぇ~・・・」
優木「すごいのがいるなぁ~」陣内「そのファック隊はそこにガクトさん来るのわかってたんですかね?」
Gackt「いや、多分たまたまだと思うんですけど。う~ん。」
YOU「つけてたんですよ~」陣内「つけてたのかもしれないですね~」
浜田「そりゃそやわ~・・・・声かけてきたからキター!て思たんかもわからへんで。」
Gackt「ボクはそのファック隊にすごい敏感になっちゃって。行く土地行く土地ファック隊いっぱい
いるんですよ。で、その子から情報もらって、何処にどういう子達がいるのか?ってことを聞いたら、」
Gackt「すごい数で。何故かわかんないけどボクらが泊まってるホテル全部知ってるんですよ」
優木「えー怖いー><」
浜田「ガクちゃんそれちなみにファック隊って誰がつけたの?」
Gackt「(笑)ボクが東京来てバンドやる時にはうちのメンバーに説明されたんですよ。」
Gackt「これから、まぁ神戸に行くけど、『神戸ファック隊がいて!』」
浜田「wwwwwwwwww神戸ファック隊wwwwww『京都ファック隊!』ww」
Gackt「もうすごい色んなところにファック隊がいるんですよ。で、『まぁ綺麗だけど・・・後でややこしくなるから、手は絶対に出すな』と」
優木「すっご~いwwwwww」YOU「そんな全国にそんな"隊"があるとはすごいですねー。」
Gackt「いや・・・今はもう一回ヴィジュアルブームっていうのが落ちちゃったんで。それと共にいなくなっちゃってると思うんですよ。」
浜田「そりゃそうやんな。イトキン(?ET-KINGの禿げ)なんか周りにおらへんやろ。ファック隊。」
禿げ「ファック隊はおらんすねー」
一同爆笑
友人S(女の子)は、出会った頃は40キロあるか無いかの、今にも折れそうな女の子だった。可愛らしい風貌で、クラスの男女共に一目置く存在で、普段着も可愛らしい物を好んでいて、それが似合っていて、羨ましかった。
学校を卒業しても、私たちの関係は続いた。趣味が似ているし、話題が合うから、時々週末にあって、呑みに行ったり、互いの家を行き来したりしている。
卒業から、もう5年。彼女の体重は、今何キロだろう。80キロは優に超えていると、思う。けれども、可愛い物は未だに好きらしい。
この間感心したのは、彼女がライヴに行った後、ご飯を一緒に食べようとなって会った時、私と同じ卒業仲間のKとファミレスで待ち合わせをした時、「よく売ってたな…」と、思う位サイズがデカイロリータ服を着ていたからだ。いちお「可愛いね」と、言ったら、「コスプレとかで売ってる奴じゃなくて、ちゃんとした所のだから、やっぱり違うんだよ」と、力説された。需要と供給があるんだな…と、思った。
卒業後いわゆるヴィジュアル系バンドにはまったSは、メイクの方向もなんだか凄い方向に行ってしまって、顔面は真っ白、目の周りは崩れたパンダメイク(目の周りが真っ黒なのだが、丁寧に塗っていないらしく、何時も横にはみ出したり、塗りすぎたのか、上瞼も下瞼も真っ黒)、食い込んだメガネと、冬でも汗だく。
同窓会みたいな仲の良かった友達同士で集まった時も、そのメイクで、弾けそうな位パツパツのTシャツ(お気に入りのバンドのらしい)に、ミニスカートで、何故か靴がおばちゃんサンダルで……みんなSがトイレに行った時「バナナマンの日村が女装したみたいだ」と、一言。2次会に向かう道すがら、私が気になったのは、サイズがパツパツTシャツが鞄でめくりあがり、お腹のお肉が丸見えだったことだった。
「痩せなきゃって思うんだけど、何がいいか知ってる?」と、何度か聞かれた。ホットヨガ、水泳、ウォーキング…私たちがそれなりによかったものを薦めたが、どれも長続きしていないらしい。
この間、4ヶ月ぶりにSに会った。結婚した同級生が、旦那さんの友達も交えて鍋パーティーするから誘われて、新居にお邪魔した。ちょっと合コン風な人数構成、仕事の都合でSは後から来た。お尻まであるダボッとしたチュニック、短すぎるホットパンツの所為で何も下に履いていないみたいに見えて、びっくりした。かいがいしくしていたSだったが、服装がみんな気になって、会話も弾まなかった。まあ、私は出会いを求めていなかったから、いいんだけれども、帰り道でSが「母さんがそろそろ結婚しろって言うから、今日会った人の中で運命の人がいたらいいなー」と、言ったので、服装に納得したような、しないような…。
「電話番号交換したから、誰かから誘われるかも、来週」嬉しそうだったが、4ヶ月でまた太ったみたいだ。
Sを見る度に体重に気を付けるようになる。今日は休みだったから、3時間歩いてみた。暑さで休み休みだったけれども、すがすがしかった。
定期的に男の娘うんたらっていう記事が出てくる。
で、アニメや漫画に限定してスレが盛り上がってるだけなら何とも思わないのだが、
"毎度のこと"現実の女装子や性同一のトランスジェンダーの画像が貼られて盛り上がっている。
いい加減にトランスジェンダー、性同一性障害、女装子をまとめて男の娘呼ばわりするの辞めてほしい。
全部別もの。
男の娘ってのは、服装や性別はもちろん、アイデンティティも普通の男の子なんだけど
顔立ちやスタイルがどう見ても女の子のようにしか見えないような若年男子のこと。
そういう可愛い男の子が女装した時の女装男子も男の娘呼ばわりされることがあるが、
そして本人が、男に生まれたけど自分を女だと認識してるのが「性同一性障害」。
そこで実際に女の服装したりホルモンに手つけたりしたら「トランスジェンダー」。
トランスジェンダーは、性転換の有無は問わず、性同一性障害でありながら、
性ホルモン投与などを行って女性化をしている段階であればトランスジェンダーなる。
自分が男だと分かってて趣味で女装を楽しむだけのは「女装子」。
そういう女装子が行きすぎてホルモンとかに手をつけたら「女性化願望症」。
(見た目はトランスジェンダーと同じだが、トランスジェンダーは性同一性障害である事が前提なので異なる)
実はこの性同一性障害ではないのに性ホルモンや肉体改造にまで手を出す人達を女性科願望症以外の適当な言葉が存在しない。
日本じゃホルモンやったり豊胸したりして限りなく女性的な容姿の人をトランスジェンダーとは別に
「ニューハーフ」って呼び方するけど、本来はニューハーフは水商売業(タレント業含む)をやってる事が前提にある呼び方。
ただし性転換をして戸籍変更すれば「元ニューハーフ」となる。ニューハーフという呼び方はまだ性転換手術をしていない状態。
以上のように、性同一性障害者/トランスジェンダーは男の娘には含まれない。
ニューハーフは職業的な意味だから、ただ女装が好きな男性が水商売業に就いたらニューハーフになる。
男の娘だった男子も、女装をして水商売業に行けばニューハーフになる。
性同一性障害者やトランスジェンダーも水商売でニューハーフになる。
ニューハーフ業を辞めれば、元ニューハーフという肩書きは付くが、
トランスジェンダーも、また一般のトランスジェンダーに戻るだけ。
(男の娘と女装男性は、女装しなければ普通の男性にいつでも戻れる)
ここまで書けば、各呼び名の違いやニュアンスが掴めたと思う。
日本語での妥当な翻訳だと、「ニューハーフ」が一番近いとされているけど本当はちょっと違う。
女装子やトランスジェンダーの人らを総じて男の娘って呼ぶ風潮があるけど、
メディアにおいては、ニューハーフ&性同一性障害とは違うという分け隔てができてるみたいだが、
メディアはどちらかというと、若年女装子を男の娘って呼ぶ風潮がある。
(中高年女装者や中高年で乙女的な人をオネエって呼んでる節がある。このオネエが昔で言うオカマの代替言葉)
オカマ・・・見た目も心も男性なのに仕草や言動が女性的な男性/または心や仕草・言動は女性なのに見た目が男性的な男性(今は侮辱言葉でもある)
オネエ・・・オカマの現代における代替用語。(メディアではニューハーフも含める事がある)
女装子・・・普通の男性なのにファッションや性的趣味で女装を楽しむ人
→ その中で若年で綺麗に見える人に限り、男の娘と呼ばれる節がある
→ そうでない人や中高年者は、好意的にオネエ、または差別的にオカマ・女装者と呼ばれる
男の娘・・・普通の若年男子なのに、風貌が女の子に見えてしまう男の子。
→ 上手く女装をした時だけ綺麗な女の子に見える若年女装男子にも用いられることがある
ゲイ・・・自分を男だと思っていて、なおかつ同性の男を好きになること
(性同一性障害者は自分を女だと認識しているので同性愛だとは思っていない)
もっと分かりやすく、芸能人を公言を元に振り分けてみよう。
(元ニューハーフで性同一性障害のトランスジェンダー)性転換&戸籍変更済
(性同一性障害のトランスジェンダー)性ホルモンはやっているが未性転換
一説によると、芸能界では世間の混乱を招くために、トランスジェンダーである者は
(性同一性障害を抱えたオネエタレント)性同一ではあるが性ホルモン等すらやっていない
(オネエor女装キャラを演じてるだけの一般男性/女形に近い)
(不明・その他)
女装が好きな事は明白だが、本人の性自認が謎(自分を男だと思ってるか女だと思っているか)
彼の素顔は女の子っぽいというより、クールな美少年なので少し違う。
実際には、メディアには男の娘に当てはまる芸能人はあまり出てこない。
ネット上にはよく出てくる。
女装してるわけでも化粧してるわけでもないし、
それが「男の娘」。
されどネット上では、全部がごっちゃになり、
これは間違い。
そして女装した時だけ綺麗な女に見える女装上手な女装男子のことも
現実でのセクシャルマイノリティの区分けは前回も記事を書いたので、
是非参考にされたし。
なんか、J-ROCKっていうのかな、そういうののサウンドをつけたら結構いい線行きそうな気もする。
ヴィジュアル系的な感じの。
>ヴィジュアル系男のお手本はFFとかゲームのキャラクターです。
これだとV系男子は全員FFとかゲームが好きってことになるよ(笑)
浅い人の視点は楽しいなぁ
昨今の「男の娘」ブームは、2次元だけに留めておいてほしいものですが、
それに乗じて全然「娘」でないような外見の輩による「女装コス」にますます拍車をかけそうで戦々恐々としている。
「ネタであっても、それはちょっと…」っていう女装コスの輩と、冬祭りで何人とすれ違い、
その度に「うわあ…それはないわ」とテンションが下がっていった。
コスプレイベントだと、女装禁止が今や主流になってしまったし。
他方で、
「2次元の男の娘が、そのまま3次元に具現化したようなレイヤーさんがもし万が一居たら、それはそれで見たい!」
という欲求があるのは事実。
私だって、もし万が一準ちゃんや秋月涼や秀吉や、あるいは「元祖・男の娘」こと鰤たんがリアルな男の娘としてそこにいたら、
倒錯的な美しさに背徳感が加勢して、なおのこと萌えることだろう。
ということで、イベントでの女装は「ライセンス制」にするというのはどうだろう?
コス写真をサイトに上げて、ネット投票かなにかで合格か不合格かを判定。
判断基準は、美しいかどうか、萌えるかどうか、この1点のみ。
合格したらめでたくライセンス付与。どこのイベントに行っても、女装コスが出来る。
ライセンスは1~2年毎くらいに更新にして、その度に美しさの再審査をされる。
定年制度を設けるのも、よいかもしれない。
「どんなに美しくても30歳で卒業」とか。
そしたら、醜い女装が一掃されて、可愛い男の娘ばかりのイベントとかも開催されるかも。
少なくとも、見た目のレベルが「ヴィジュアル系バンドの女形」にまでは昇格するだろうから、
もうあの「目に毒」な輩を見なくて済む。
そしたら、私も堂々と、その場で鰤コスが出来るというものだ。
仕事が終わって家まで歩いていたら、知らない男に跡を付けられていた。
怖くなって、駅までもどって、公衆トイレに逃げ込んで、一時間震えながら過ごした。
私、いつか殺されるんじゃないだろうか。
小学校の時も、一回本気で死ぬと思ったことがある。
近所の気が狂っている事で有名なお姉さんに、小学校の帰り道、ゲラゲラ笑いながら首を締められた。正直、これはもう完全に死んだなと思った。でも、その時お姉さんの親が出てきて、お姉さんを止めてくれたので、なんとか助かった。私の親は警察に訴えるか本気で検討していたけど、地域社会的なところもあったし、それにそのお姉さんの親が菓子折りをもって謝りに来たので、まぁその場はそれで収める事にした。その後お姉さんが家から出たところを見たことがない。
その次は、中学生の時だった。
夜九時頃、塾の帰りに自転車に乗って走っている時の話。
あと家まで50メートル位だなというところで、後ろからゆっくり車が近づいてきた。
轢かれたくなかったので、私は速度を落として壁際に寄って、追い抜いてもらうのを待っていたのだけれども、車は全然私を追い越さなかった。それどころか、私の自転車と同じ位の速度。道が狭いから私の事追い抜けないのかなーとか思っていたら、今度は段々と幅寄せしてくる。
これは何かちょっと変だぞ、と思ったんだけれども、その時はもう遅かった。
車は私の目の前で止まった。
そして運転席の扉が開いた。
扉が道を塞いでしまったので、私は自転車を止めてしまった。
運転席から、中年の男の人が出てきた。
男の人はまっすぐ私に向かってくると、なんと、私の自転車の横に、思いっきり、蹴りを入れてきた。私はそのまま自転車ごと転倒して、コンクリートブロックに思い切り頬をぶつけた。そのまま自転車ごと地面に倒れたけれども、とにかく私は逃げなきゃと思って、起き上がろうとしたら、男の人は私の後ろに縛った髪を引っ張って頭を持ち上げて、右目の目の前に、刃物を向けてきた。私はもう、怖くて声がでなかった。男の人は、私の腕をつかんで、無理やり後部座席に押し込もうとしてきた。
その時、すぐそばから悲鳴が聞こえた。男の人は、それに驚いたのか、私を突き飛ばすと、自分は車に乗って、すぐにその場から逃げた。叫んだのは私の母親だった。帰りが遅い事を心配した母親が、玄関から出てみたら、すぐ家の近くで、何か変な車があるから、気になって見に来たらしい。本当にこのときは命拾いをした。母と二人で抱き合って泣いた。その後、警察に届け出たけど、どうなったかはよく分からない。
次は高校生の時。部活から帰って、家のマンションのエレベーターに乗ろうとしたら、扉の前で背の高いヴィジュアル系の格好した男の人がずっとこちらを見てたっていたので、不気味に思って私は乗らずに、階段で家まで上がった。そして、家のチャイムを押して、応答を待っていたら、突然後ろから口元をぐっと抑えられた。さっきのヴィジュアル系の男の人だった。男の人は私に「動くな」と言ってきたけれども、私はびっくりして、思い切り叫び声を上げてしまった。そうしたら、その叫び声がインターホン越しに、ちょうど応答しようとしていた母親に伝わって、母親は急いでドアを開けて来た。男の人は、ドアが開くと慌てて逃げて行った。その後、またすぐ警察に届けた。ここ一年、同じような被害が何件も発生してるという事だった。他の子達がうけた被害がどうゆうものだったのかは、怖くて聞けなかった。
大学生の時は、姉と二人で都内のアパートに暮らしていた。ふたり暮らしだから大丈夫だろうと思って、オートロックがついていないところに住んでいて、普通に洗濯物も外に干していたりした。そしてある日夜眠っているとき、物音で目がさめたら、目の前に男の人が立っていた。もう、本当にびっくりして、思い切り叫び声をあげたら、その人は窓から逃げて行った。姉はずっと寝ていた。それも警察に通報したけど、結局なにもなってない。
なんか、そうゆう事があって、いっつも自分はいつか殺されるんじゃないかっていう脅迫観念に駆られてしょうがない。
遺書を常に持ち歩いている。あと家の机の中とパソコンの中にも保存してある。そして、一ヶ月に一回位、書き直したりしている。
物をすぐに、お棺の中に入れるものと、そうでない物とに分ける癖がある。
悲惨な犯罪で死んだ人を見ると、私もその立場になった場合を考えて、シミュレーションしてしまう。
口癖は「私はいつ死んでも後悔ないから」になってしまっている。後悔なんてあるに決まってるけれど、後悔してないって言っておかないと、私がもし死んだ時、残された人がすごく悲しむだろうと思うから。
なんか、まとまりがないけど、文章がすごい下手で申し訳ないけど、私はいつも、自分が殺されるんじゃないかと言う恐怖感を抱きながら生きている。ちょっと回数が多すぎる気がする。外にいても家にいてもいつも怖い。なんかもう、今日も怖かったから、なんか生きるのが辛くなってきた…
BUMP OF CHICKENの一部の信者が痛かったり盲目的だったりする理由について考えてみた。作品そのものの批判ではなく、あくまで聞き手の側の問題についてである。
あくまで推測…どころか決め付けに近いが、彼らの多くは過保護な家庭で育ったんじゃないのか。
過保護な家庭で育ち、個性の必要性が謳われてきた世代が、ひとたび中学や高校などの“社会”(もっとも実際の社会に比べたら狭い空間ではあるが)に触れたとき、個性尊重を志向したために肥大化しすぎた自尊心はひどく傷つけられる。
この傷ついた自尊心を回復するために「君は一人じゃない」「みんな君を馬鹿にしたりするけど君は正しい」みたいなメッセージの曲を反芻して、無理やり自尊心を回復させたことにするのではないか。
こうした人にとってバンプの曲は本来の音楽性以上に「擬似的な自己承認を恒常的に与えてくれる装置」と化している。だがこれは対人関係の中で得られる根源的な自己承認ではないので(楽曲はあくまで“集団”に向けられたメッセージだし)、そのメッセージに個人つまり聞く人その人が直接には含まれていない。
この結果、バンプからだけで得られる自己承認じゃ足りなくなって、より解釈しづらい歌詞だったりよりマイナーなバンドを追い求めてしまうのではないか。わかりづらい歌詞ほど解釈が個人によってばらつくため、そのばらつきが「自分に向けられたメッセージ」と錯覚しやすくするのではないか。バンプ批判がやがてロキノン系全般的な批判へとつながるのは以上の理由によるマイナー志向の批判からだと思った。
こうした見せ掛けの自己承認を本物だと言い張るために、ある種のファン同士で互いに曲から得た自己承認を再度承認しあうんだと思う。自分の存在の根拠を曲のメッセージに求めているから、たとえばその曲が批判を受けると猛反発をしてしまう。せざるを得ないのだ。
こうした「ファンの集団」は、いまやネットのおかげで簡単に形成することができるので見せかけの自己承認への依存が悪化するばかりだという指摘があった。この「歌詞のメッセージ性から来る擬似的自己承認への依存傾向」という問題は、最近のヴィジュアル系バンドについても適応できる気がする(ナイトメアとかPlastic Treeの歌詞を見てそう思っただけだけど)。
……ってことを考えてみただけで、別にどうすべきだとかまでは考えておりませんが(まずこんな痛いファンだけじゃない。それに、歌詞のメッセージ性に頼ることが絶対悪だとも言い切れない)、こんな感じでどうでしょう。
考えの甘さなど指摘してくれるとうれしいです。