BUMP OF CHICKENの一部の信者が痛かったり盲目的だったりする理由について考えてみた。作品そのものの批判ではなく、あくまで聞き手の側の問題についてである。
あくまで推測…どころか決め付けに近いが、彼らの多くは過保護な家庭で育ったんじゃないのか。
過保護な家庭で育ち、個性の必要性が謳われてきた世代が、ひとたび中学や高校などの“社会”(もっとも実際の社会に比べたら狭い空間ではあるが)に触れたとき、個性尊重を志向したために肥大化しすぎた自尊心はひどく傷つけられる。
この傷ついた自尊心を回復するために「君は一人じゃない」「みんな君を馬鹿にしたりするけど君は正しい」みたいなメッセージの曲を反芻して、無理やり自尊心を回復させたことにするのではないか。
こうした人にとってバンプの曲は本来の音楽性以上に「擬似的な自己承認を恒常的に与えてくれる装置」と化している。だがこれは対人関係の中で得られる根源的な自己承認ではないので(楽曲はあくまで“集団”に向けられたメッセージだし)、そのメッセージに個人つまり聞く人その人が直接には含まれていない。
この結果、バンプからだけで得られる自己承認じゃ足りなくなって、より解釈しづらい歌詞だったりよりマイナーなバンドを追い求めてしまうのではないか。わかりづらい歌詞ほど解釈が個人によってばらつくため、そのばらつきが「自分に向けられたメッセージ」と錯覚しやすくするのではないか。バンプ批判がやがてロキノン系全般的な批判へとつながるのは以上の理由によるマイナー志向の批判からだと思った。
こうした見せ掛けの自己承認を本物だと言い張るために、ある種のファン同士で互いに曲から得た自己承認を再度承認しあうんだと思う。自分の存在の根拠を曲のメッセージに求めているから、たとえばその曲が批判を受けると猛反発をしてしまう。せざるを得ないのだ。
こうした「ファンの集団」は、いまやネットのおかげで簡単に形成することができるので見せかけの自己承認への依存が悪化するばかりだという指摘があった。この「歌詞のメッセージ性から来る擬似的自己承認への依存傾向」という問題は、最近のヴィジュアル系バンドについても適応できる気がする(ナイトメアとかPlastic Treeの歌詞を見てそう思っただけだけど)。
……ってことを考えてみただけで、別にどうすべきだとかまでは考えておりませんが(まずこんな痛いファンだけじゃない。それに、歌詞のメッセージ性に頼ることが絶対悪だとも言い切れない)、こんな感じでどうでしょう。
考えの甘さなど指摘してくれるとうれしいです。
確かにと頷きながら読みました。家庭環境と批判への対応についてはどうでしょうか。 周囲に数人、増田的に言えば「痛い」バンプファンがいますが、どちらかといえば放任されている...
『格好良い』に理由は要らない。 その理由があればあるほど、みっともなくないって訳じゃ、ない。
黒光りは消せないようですなあ http://anond.hatelabo.jp/20091122215949
T.Hって人と俺は別人だよ、言っておくけどね
人間の自己承認なんて全て見せかけだよ。看板が綺麗かそうでないかの違いに過ぎない。