はてなキーワード: ポリティカル・コレクトネスとは
何百回目に言われてきたことかわからないけど一応もう一度書いとくと、
ポリティカル・コレクトネス自体は全く間違いがなく、真面目に主張をしている人は
女性だろうが有色人種だろうが障害者だろうがLGBTだろうがほとんどがまともな範囲で主張している。
そもそもおかしくなりだしたのはそういったポリコネが社会的に認知されるようになってきたことで
それで一儲けしたやろうとか有名になってやろうとか思いついて炎上狙いを始めた連中が増えたから。
そういうポリコネ乞食が増えたせいで、もともと真面目に主張してきた人が発言しにくくなって結局争いの種だけが残ってしまった。
宇宙空間の表現とかじゃなくて声とかに出さず画面にチラッと文章や重要なアイテムやキャラの表情が映るやつね。
アレ本当に辞めて欲しい。
実況してたりWEB漫画読みながらアニメ見てるとそのシーンを見逃してしまう。
そして同じようにながら見で見逃してる人が多いのかネットだと「は?そんなシーンあったの?」って所から嫌な方向に話題が流れる事も多い。
アニメはながら見してる人とそれに巻き込まれる人たちに配慮して重要なことはちゃんと口に出して欲しい。
全部口に説明しろってことじゃなくて音声なしで映像の上でだけ重要な情報を見せるのをやめろってことね。
というかさ、映像だけで全部説明って盲目の人はどうするんだろうね。
ポリティカル・コレクトネスがなってないよねアニメ業界。
https://www.youtube.com/watch?v=AXSKyFrqY14
こいつまだ生きてたんか、ってのは置いといて
なーにぃ!?放置まったなあ!?まではまだいいけど(本当はやっちまったなあの定型文を崩されるのはちょっと不快)、その先が残念
しかもその後ハゲてないほうが「○○だよぉ~」って妙にキレのないツッコミを入れるところまでが芸なのに「東京都からのお知らせだよぉ~」って・・・
これじゃあクールポコの魅力の3割も引き出せていない。作らせた人がクールポコをただの顔芸するハゲ+餅触るフサフサとしか見てない証拠だろう。
せっかくはてな公認芸人であるクールポコを使うのだから、もっとそれっぽいのを考えてほしかった
男は黙って!燃えるゴミ!くらい言って、男は黙ってがポリティカル・コレクトネスじゃないと炎上した後に自転車を燃えるゴミは良くないで炎上して動画が燃えるゴミになるところまでやってほしかった
女子感などという政治的に正しくないものに目覚めた子供は矯正しないとな
3歳ならまだ間に合うから徹底的にポリティカル・コレクトネスを植え付けろ
然るべきときに然るべきことだけ喋ればいい。
つまり被差別時の議論においてはしゃべっていいってことねOKOK
いつでもどこでも「キズを晒すことを許せ」と言うようになるのは、人間が差別者・被差別者にしか二分できないという思想から出ている
はいバカ。特定のキズを晒したからといって別のキズは論点になってないから。
被差別者を見て不快になるクズバカが黙れと言いたいがためにこじつけすぎ。
差別を受けていると称している人間の中にも口が悪い奴がいたら、差別を別にして口の悪さをを指摘する必要があるだろ?その他にも色々あるはずだ
うんだからこういうこと言うバカって当事者意識もないくせに差別が悪いなんてみんなわかってるというエクスキューズさえすれば自分が不快になる言い方をたしなめる権利がある~でも明日には忘れるけど~というだけのクズだと散々言ってきたけど一ミリも人の話を聞いていないわけだよね
そんなバカが自分の話を受け入れてほしいとか言ってもあー馬鹿すぎてそりゃあ誰も話し聞かなくなるわなぁという感想しか湧かないわ
差別以外に本人の人格が原因で所々の問題が生じていると疑わしい場合、それを指摘するのは悪手か?
本人の自己申告だけでは差別がそもそも生じているかどうか疑わしい場合、それを検証するのは悪手か?
こういった場合でもとにかく「被差別者だ」と言う人間の意見を丸呑みしろと?
うんだから百万回言ってるよね事実性がどうかという検討がやりたいなら一人でやってろよ
キズを負わせるリスクを無視して爆弾投げ込んでからあれは間違いでしたすいませんでも差別はダメってエクスキューズしたからいいよね!というスタンスのゴミクズが人様と話そうとするなひとりきりで部屋の片隅で日光だけ浴びて24時間過ごしてろ
おまえの開示には付き合わないがオレの自称有益な情報や議論には付き合え、あぁおまえの被差別性には興味ないし明日には忘れるけどなというスタンスで他人から受け入れてもらえるとか想像力がなさすぎ
当事者を置き去りにして当事者感覚のない議論したつもりの自己満オナニーに黙って付き合え!!ってことなんだよなぁ
そりゃあそういう議論ではマジョリティ様が勝つよね、ネット上の議論でもだいたいが自分にとって心地良い意見が出た時点でそれを結論とするクズばかりなのだから
それ故にポリティカル・コレクトネスが求められているのに部外者でありながら不快を感じたくないマジョリティ様がワーワー騒ぎすぎ
うんだからそういう議論の際を論点としていたなら「いつでもどこでも」「なんかあるたびに」などと言ったりしないからな
前増田のように、「この場合は差別に該当するのか」「この差別への対応には過剰すぎる対応ではないか」「もっといいやり方はないのか」などの主張が本題の場合
つまり被差別者は差別されている当事者にもかかわらず差別されたというキズを晒すことすら許されないのね
当事者を置き去りにして当事者感覚のない議論したつもりの自己満オナニーに黙って付き合え!!ってことなんだよなぁ
そりゃあそういう議論ではマジョリティ様が勝つよね、ネット上の議論でもだいたいが自分にとって心地良い意見が出た時点でそれを結論とするクズばかりなのだから
それ故にポリティカル・コレクトネスが求められているのに部外者でありながら不快を感じたくないマジョリティ様がワーワー騒ぎすぎ
挙句の果てに「差別を受けた内的情報」を根拠に「もっといいやり方はないか」という意見を出すことすら封印するだろ
そりゃあ当事者意識のない外野がワーワー騒いでマジョリティであるおかげで自分たちにだけ心地良い結論を出しやすい環境を整えていたら属性で黙らせる以外方法はないからな
感動ポルノとおなじで外野のくせに「考えてますよ~」という知識人オナニーの道具にしか使われてない
なぜそう思った?「有益な情報」はインプットだけど「オレサマのきんもちよくなるフレーズを浴びせる」はアウトプットだ。
最初の増田からず~~~~っと議論したい、止揚を求めたいと言ってるじゃん。沈黙したらそこで終わりなんだし俺の目的も果たせないの。
おまえの目的?あぁ被差別者を黙らせて部外者で議論して心地よくなって被差別者のことなんか明日には忘れてすっきり生活するオナニー欲求のこと?
そんだけ議論したい話を聞いてもらいたいならまず被差別者の開示にもキチンと向き合って受け入れてもらえる状況を努力して作ってからにしような。
おまえの開示には付き合わないがオレの自称有益な情報や議論には付き合え、あぁおまえの被差別性には興味ないし明日には忘れるけどなというスタンスで他人から受け入れてもらえるとか想像力がなさすぎ
http://anond.hatelabo.jp/20160831021105
を読ませていただきました。
この記事の主題にはだいぶ外れるけど、「Pは男と決めつけないで」というのはだいぶ重要だと思う。
実際のアイドルのプロデューサーだって男と決まってるわけではないだろうし。
「プロデューサーは男」と決めつけたような言説は、いろいろなところで見てきたけど、これこそ
最近話題になってる「ポリティカル・コレクトネス違反」、略してPC違反というやつではないのか。
togetterで、だいぶたくさんこの関係のまとめを見たが、大体が「萌えキャラの存在自体」を叩いてる人が多かった。
まあ、「オタク女子」の存在でそれは否定されるだろう、という意見がかなりあったのだが。
その点を考えると、このPは男だけではない、という問題のほうが、よっぽど現実的に問題にするべきPC案件ではないのか。
「男にとって都合のいい女」の代表例みたいな、P=プレイヤーに無限の愛を向けるままゆだけど、それを好んで、自分もヤンデレと化す女性もいるという。
アイドルは男であるPに好意を寄せているのだから、百合はそもそも成立しない、という意見もよく聞く。
しかし、Pが女性ならば、十分百合が成立する。まゆりーな案件で百合厨が叩かれてるから、こういうことを言えば批判の対象になるのかもしれないが、
こういう観点でもPは女性の可能性もある、というのは重要だと主張したい。
で、最後に。この方も佐久間まゆのようなヤンデレと化していて、そのあたりがとても興味深いなと。
「ままゆを愛するものは、自分もままゆにならないように注意せよ。あなたがままゆを眺めるとき、ままゆもあなたを眺めているのだ」
と言った感じか。
百合厨的にはこういうデュンヌの存在でお腹いっぱいなので、公式で荒れそうなCP百合わざわざつくらなくても、と思ったりしました()。
そういう人は、相手がポリコレと言ったら、自分の発言の中では「でもそのポリティカル・コレクトネスって~」と展開して返す。
相手が「USB返して」と言えば、「ああそのUSBフラッシュメモリはBさんに又貸し中なんだ」と返す。
(コンテンツに思い入れがなければダメだという日本で商業的にもまかり通ってきた俗説を鑑みるに)、やっぱりひとつの創作にこだわりがあると全くダメで、こだわりがなければないほど商業性や一般性というクオリティに貢献できるので商業的には大変有意義な結果を出せるんじゃないかなと思う。GoogleとかAmazonも、多分自分のやってる「コンテンツ」に興味がなくて、プラットフォームとかどうすれば効率的かみたいなことに注力してるんじゃないかと思う。
日本の場合「自分で作ったもの」にこだわりすぎて身動きがとれない。また、プラットフォームを作ろうという人達も自分たちの作ったサービスの動き方にとらわれすぎている。自分の決めたことにとらわれすぎている。
そういうのは作家に任せておけばいいのであって、フォーマットだけ作ればいいんじゃないかなと。
アメコミのヒーローは社会情勢によって変革できるフォーマットをとっている。だからとてつもない時間を生きながらえている。そういう作品って日本にあるかなと考えたら、多分ない。長く居続けているのはサザエさんとアンパンマンくらいで、前者は何も語りはしない。語るけど、せいぜい時代錯誤なことか持っている機器の変化くらい。アンパンマンは設定が普遍性がなく、大人向けに落としこむことが出来ないので(全身タイツの超人/一般人と、頭がアンパンの人造人間の、どちらが感情移入できるかは明白)いついかなる時代の空気を落とし込めることは出来ない。社会性のある、そしてなおかつエンタテイメント性のある作品は作れない。作ったとしても、アンパンマンでは世界全体に届かない。
ドラゴンボールは孫悟空という人格破綻した存在と、世界を脅かす悪役が魅力的だから日本以外の国にも受けている。しかし、ドラゴンボールを鳥山明以外が作ったら受けるかと言ったらそんなことはない。それはドラゴンボールエボリューションでも明らかなことだと思う。ファンが作ったものが最高だというけれど、それは商業には成り得ないし、社会性は得られない。ドラゴンボールという作品自体、社会性は得られない、鳥山明の個人的な世界を描いた作品でしかない。日本の作品はそういうものしかないと思われる。
どんなにクールジャパンだとか政策として日本の作品を世界に輸出しようといっても、作られる物自体が社会性の乏しいものだとしたら一般性は得られないだろう。進撃の巨人も、バットマンやスーパーマンのように80年近く愛されはしない。
日本人が世界に向けて「売れる」作品を安定供給しようとするなら、すべての自主規制的なものを取っ払い、個人的で、誰にも想像し得なく、そして少数の心に突き刺さるインディペンデントな作品を大量に押し出していくしかないだろうなと思う。それは太宰治や夏目漱石、それよりももっと前の作者にしてもそうだと思う。日本は今のところ個人的なものしか作れない。ライトノベルもそうだし、内需しか見えてない。ポリティカル・コレクトネスがどうこうではなくて、作る人間の数メートル先しか見えてない。それは宮﨑駿もそうだと思う。
クールジャパン、あり得るけれどもそれが全世界、普遍性のあるものなんて幻想だ。普遍性がないからこそ求められてる。新堂えるが、トレヴァー・ブラウンが国外脱出した意味を考えるべき。自分のありようを考えるべき。どうしても日本人は、自分から、自分の周辺から抜け出せない。あるいは自分を外部化出来ない。
熱烈なトランプ支持者連中と飲んだあとにモヤモヤしてたんだが、
流石トランプ!
おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!
そこにシビれる!あこがれるゥ!
ポリティカル・コレクトネス(political correctness)が
「ホンネはホンネとして、オオヤケの場ではちゃんとしよう」
ひとことで言うと、
オマエはジャップだが良いやつだ!」
ガハハハハハハ
オマエラの国にもいただろう?
道路を繋ぎ電車を通して行き来しやすくしたら日本全体が発展する言うてトップに立ったヤツが。
日本みたいにちっちぇえ国に電車を隅々まで通すとかクレイジーだが、オマエラはそうは思わんのだろう?
主張、やり方、メリット、分かりやすくシンプルだ。誤魔化しが無い。
馬鹿だが無能では無いので、例えば「万里の長城をメキシコとの国境に立てる」がマジに立つとは思ってない。
ただ、「不法移民が、まっとうな移民を圧迫してる」とか「不法移民がいるから移民の地位が低い」とかは思ってる。
(※アメリカは不法移民は基本的に職につけないことになってる。雇用主側にも確認義務がある。
それでもなお不法移民が働いているということは、そういう雇用主が居るわけで、足元も見る)
ああ、仲良くなってヤりたい。自然な流れで。ソレな。
産業スパイ的なことや、上司の問題を個人的に解決することでコネも作りたい。
でも、超人的な活躍とかゴルフの腕はちょっと、泥臭いほうが親近感ががが。
ああ、オレもこんな風にラッキーで先に進めたらなぁ
本気にするヤツぁ居ないが、ネタにして笑うんでもあるまい。
「トランプレベルの不動産王でも、大統領選では最下位レベルの金しか使えない」ことで、
「エラそうなこと言ってるが、トランプ以外はみんな金持ちに媚びてるだけじゃねーか」と強固な支持がある。
面白いことに、メディアが叩けば叩くほど、「俺ら(トランプ支持者)馬鹿にされてんな」と結束が強くなってる。
(底辺層、低学歴、ブルーカラー、反知識人と言えば言うほど、トランプ支持者を貶めてることになる)
アメリカは外向きに配慮しすぎて自国民の不満を「それは正しくない」と抑えつけすぎでは?
とベロベロに酔い潰れながら言っていたのが印象的。
「大統領の万能感」「エライやつはどうせ同じ」「トランプは自国民最優先」のコンボは強えわ。
トランプ支持者が、トランプ以外の候補者に抱いてるイメージって
「日本死ね!は、言葉が汚い」とか言ってる政治家に対する印象に似てるというか。
これはある。もう消されてしまったが事件直後まで生存していた以下の記事(アウトランダーPHEVのタイアップ記事)でも、「コメンテーターとして気をつけていること」を聞かれ、「一般人の代表者としてなるべく中立的な立場からためになるコメントすること」を心がけており、そのために「具体的な数字を出すこと」は大事だと言っている。
時間を我が物にする/東洋経済オンライン(削除済み)
コメンテーターを担当するにあたって彼はそれなりにその分野の知識を調べようとしてきたのだろう。入門書やネット記事を探して読むくらいのことはやってたはずだ。
といっても「概説」以上の域を出ていたとは言いがたい。
具体的な数字(だいたいはパーセンテージ)や専門的な単語(だいたいは横文字)だけを拾い、一般論的な文章の単語と矢継ぎ早に置き換えていくことで、「それっぽい」雰囲気を出していたにすぎない。
一部のラジオリスナーからは「話が明晰」「わかりやすい」などといった擁護意見が出ていたが、元となる文章が平易なのだからあたりまえだ。
それをあの低音ボイスで述べるものだから、なんとなく説得的でプロっぽく聞こえていただけだ。
気位の高いラジオリスナー、特に政治経済チャンネルを聞いている奴らほどチョロい人種はいない。俺もセッション22で紹介された本はだいたい買ってる。
反面、彼の「聞く技術」はラジオパーソナリティとしては基本に忠実かつ理想的だ。
彼は担当している番組上、学者などの専門家的な人々とトークする機会が多い。
MCとゲストの専門家なら、MCは「生徒役」として聞き手に回る。あたりまえの話なように思えるかもしれないがショーンKはこれが徹底できている。徹底せざるを得ない、と言ってもいいかもしれない。
ラジオパーソナリティというのはその人物がインテリであればあるほど、大なり小なり「自分を」喋りたがる。
ゲストが筋道だててきっちり話しているのに、余計な単語を拾ってそこから脇道へそれてしまうテレビのバラエティショー的な愚を犯すMCも多い。
そうでなくても、たとえば荻上チキりんなどは普段はそういう欲求をおさえて話に耳を傾けるタイプなのだが、ゲストはポリティカル・コレクトネスやファクトに反した発言したさいは絶対に看過しない。
彼はゲストだけでなく、オーディエンスに対してより誠実であろうとしているのだろう。
MCは難しい。相槌ひとつうつのでも、頭が良すぎたら「ああ、言いたいことを我慢してるんだな」と、ちゃらんぽらんすぎたら「ああ、話に興味ない/理解してないんだな」ということをゲストにも視聴者にも悟られてしまう。
ショーンKは見事にその間を取る。
相槌を打つべきときはそれに徹し、何かリアクションを求められたり話が途切れたりしたときは即席で憶えた単語をパッチワークし、「それっぽい」コメントでつなげることはできる。
ゲストというのは自分の言いたいことを言うことにしか興味ない素人だ。なので、「それっぽい」コメントの内容が多少薄かったりおかしかったりしても、あまりに気にしない。かといって、相手にあんまりにポケーッとされるのも不快に感じる。適度に理解しつつ、俺の話の邪魔はしないでほしい。わがままな人種なのだ。大学教授なんかに多いタイプだ。
ショーンKはその手の人らの話を聞く技術に長けている。男向けホストの技術と呼んでもいいかもしれない。
相槌をうつタイミングと聞く態度と低音ヴォイスと理解度三十パーセントくらいのリアクション。
ベテランのラジオパーソナリティにしか身につかない呼吸を、ベテランのラジオパーソナリティゆえに修得している。
しかし、「気持よく他人に話をしてあげさせる」プロとしては超一流だ。
これは日本社会において、なかなかに有用な専門技術であるように思われる。
願わくば、彼に復帰の機会があたえられんことを。
「子を産めない人は寄付を」 「2人以上」発言の校長(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160312-00000033-asahi-soci … #Yahooニュース
この問題は個人の選択の自由を「校長」という立場の人がその発言によって侵害している全体主義思想。少子化の進んだ社会で子供を産み育てることの大切さは認識されるべきだが、それを強調することにより問題の焦点のすり替えが起こっている。
これ、昨日のうちに読みましたよ?あなたのポイントはなに?これ読めば、頭おかしいとは思わないだろう、ってこと?全文読んだ時に、このひと頭おかしいとわたしは思いましたけど?
こういうずれてる老人たちがいつまでもリーダーシップ周辺にしがみついてるから、実効性ある少子化対策がなかなか進まないのでは?老人にお小遣い、は即決するくせに。 TrinityNYCさんが追加
零除算居士 @zeroDivMonk 子供作れないくらい、生活が困窮してたりするのが普通なのに……結婚相手すら見つからないとか。 https://twitter.com/TrinityNYC/status/708622160600940545 …
ほら、また、これを「男性vs女性」の問題に転嫁しようとする!大ありでしょう、寄付というのは、ひとに言われてやるもんじゃないんだ。 TrinityNYCさんが追加
こっこ@物書き初級 @rufeir さっきも呟いたけど、男はもちろんみんな寄付しろって言ったなら、問題なかったかも? https://twitter.com/TrinityNYC/status/708622160600940545 …
何度も言うけど、全文は読みました、こういう全体主義風吹かせる頭おかしいズレてる校長にはさっさと引退していただきたい。
これで3度目になりますが、もう一度(そして、これが最後と思いたいw)言いますね、【わたしは全文を読んでいます!!!】 こういう頭がおかしい教育者はさっさと引退しろ、という言葉しか浮かびません。報道?ぜんぜん関係ないね。
アメリカも、アダムとイブが正しい!進化論なんて教えるもんか!と頑張る教師とかいて、ああいうのも迷惑だ。ペンシルバニアのある町では、そういう教師と学校を相手取り、迷惑だと感じた親たちが訴訟を起こし、裁判つづいて、学校側が負けた事例がありますよ。
あの校長の一件は、朝日新聞の報道の仕方のせいだ、実際の全文読めばそれは誤解だ、という主張をなさる方へ。こちらは(全文よんだら)マジ頭おかしいとさらに確信を深めただけですので、もう送ってきてくださらなくても、結構です。
そこなんですよ。今アメリカで起こってることも、同じですよ。トランプの発言のどこに問題あるのか、わからないひとがいる(しかも大勢)、そして、後先考えず「好き勝手なことを言う・する」ことと「自由」を混同しているひとも大勢。
@TrinityNYC いちいち、Twitterであなたの個人的な思想傾向を吐き散らさないで頂けますか?老人のヒステリーは極めて醜い。
@ravekamisama @TrinityNYC 校長が全校集会で個人的な価値観を生徒に向けて話す方がおかしいですよ。Twitterで個人の意見を見かけて気に入らないなら反論すればいいしその気がないなら見ないようにすればいいのでは?
@erisanq 個人的な意見と誰が決めたのですか?件の校長が潜在的に女性蔑視思想を持っているなどと、よく解釈出来るものです。彼はいささか古い言葉で、人を生み育てる大切さを説いただけです。あなたの価値観では、人間は母胎でなく、機械か何かで人工的に生み出されたほうがよいのでしょう。
@ravekamisama 人を生み育てる大切さを説くのにキャリアを積むより大切だなどと言う必要はありません。何か別のことと比べる必要などない。何かと比べた時点で、その何かを否定しているんです。だからあの話は個人的な意見でしかないと思います。
@erisanq キャリアって言うのは国があって初めて成り立ってるんですよ...
@sennbei717 キャリアを積みたいならまず国を守れと言いたいのであれば、女性の出産育児以外にも必要なことは山程あります。男性も一旦キャリアを積むことを諦め、国を立て直すために必要なことのみに全てを費やすべきではないでしょうか?
「子どもを2人以上育てることは女性にとってキャリアをつんだり大学行くより大事」的発言で炎上の校長の全校集会挨拶、卒業式では「厳しい子育てはロボットに解決してもらおう」って話になってたw
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j702572 …
もう、うるっさいなあ、わたしの個人攻撃なら要らないってば。あなたたちが何言ってこようが、このツイッターアカウントはわたしのものだ。わたは一度たりとも@koshin2783さん、あなたという「個人」を批判したこと、ある?ないでしょ?
この人同様、数日前もこうやってわざわざ@つけて自分から話かけてきて、「うるさいからあっちいってろ」と言ったら「話しかけないでください!」と支離滅裂な女いたけどさw 私は黙らないし、あなたの個人攻撃もしませんよ、さようなら。
私が個人的な思想を言えなくなったら全体主義だよ、わかってる?と聞き返したいが、こういうひとってブロックしてから言い捨てに来るのよねwww ある特定の個人の悪口を言うのはモラルの問題だが、賛成か反対の意見は個人のフリーダムの範疇だ。
意見が(というより、態度が)気に食わないということで、個人攻撃してくるひとが後を絶たない。でも、@つけて、真正面から、ああしてまっすぐ言ってくるだけまだマシで、更に劣化してるのになると陰で個人の悪口言いまくってる。
いちどあんまり目に余るので、「そうやって私という個人の悪口言いまくるの、正直不愉快だから、やめてくれますか?」と頼んだら、「俺は俺がいいたいことを言う!」と言われた。こういうひと、自分のモラルの低さを「自由」という美しい言葉で包んでるのよね。在特会と同じロジック。自由が泣くわ。
ところで、この「言論の自由」だけど、数日前、シカゴのトランプ集会が、トランプ支持者とトランプをレイシストと呼ぶプロテスターらとの衝突の場と化して、不穏な空気の高まりからバイオレンスに発展しそうになり、中止になったんですよね。トランプはこれを「言論の自由の侵害」とした。(続く→
(続き) トランプはシカゴでの騒動について、カウンター連中の多くはチンピラで、やつらに自由を奪われたとTwしたのです。(彼の言ってるFirst Amendmentとは合衆国憲法で表現の自由が謳われている部分のこと。)(続く)
(続き) 注目はこのツイートの下についてるレスのやりとり。それのキャプチャーが、これ。First Amendmentは【政府が】市民の意見表明に圧力かけないことを謳ったもので、トランプは意味を取り違えている、という反論が。(続く)
(続き) それに対し「あなた弁護士なの?違うでしょ?フン」とトランプの支持者らしいひとからジャブきたが、「わたしはFirst Amendmentを専門にしてる法学者です」と答えて、支持者が自爆してるのが結構笑えて多くRTされている。では自由とは何か、を考えるいい機会なんだよね。
それに関連して、こういう記事が出ている。英語だけど良記事なので張っておく。このひとの大統領選挙集会が回を重ねるごとにバイオレントな雰囲気になってゆくのは、リーダー(を目指すもの)本人が、バイオレンスを肯定するからだ。
http://thinkprogress.org/politics/2016/03/12/3759418/no-one-is-violating-trump-free-speech/ …
「First Amendment」に関して目下アメリカでもっとも注目されてるのは、むろん、例の、連邦政府がアップル社に犯罪者のアイフォンをアンロックしろと要求している件ですがね。
http://www.sacbee.com/opinion/op-ed/article65253732.html …
もちろん、何をどう考えようが、どう表現しようが、そのひとの自由だよ。でも、ある共同体を最も良い状態で保つために必要な約束があり、その約束の一部がポリティカル・コレクトネスであったりする。それを「自由」という名の下ぞんざいに扱い続けると、トランプ集会のようなカオスだけが産まれる。
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。