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はてなキーワード: ポリティカル・コレクトネスとは

2016-02-14

ポリティカル・コレクトネス大事だけどルパンOPみたいのも好き

「男には自分世界がある」ってやつね

PC的には「女にも自分世界がある!」とか「男にも自分世界がない者もいる!」と批判すべきなんだろうけど

やっぱりそれより以前に「かっっくい~~~~~~~~」と思っちゃう

他にも「女の子は誰でも一度は魔法が使える」とか「男は狼なのよ」とか

そういうのに「スキ」を感じる気持ちって結局他人を好きになるのと同じ感情だし、

PC配慮が~っていってその気持を否定するのは、それはそれでPC理念に反してるよねって思っちゃうんだ

2016-01-19

ジェンダーとかの差別は無くなっても

異性同性愛かかわらず

恋愛できない」人間の生きづらさに関しては結局放置され続けるってことなのかなあ

ラブマイノリティとかラブハラスメントとか言う言葉もっと必要になってくると思うんだが

結局ポリティカル・コレクトネスとか言っても、現実恋愛弱者は守られずに「成熟主義」の元に煽られ続けるからツライ…

2015-12-28

表現規制反対とか言うなら萌えおこしなんてやめちまえ】に思う事

http://unrealmusicstudies.blogspot.jp/2015/12/blog-post_26.html


こういうサブカル勢の、理解者の振りした規制意見って、反吐が出るよね。

んで、こんな事いっちゃうの。

ポリティカル・コレクトネスを問い直すってのも必要だし、それこそが本来サブカル仕事かと思ってます

それは「ぼくのかんがえたさぶかる」の仕事で、消費する側でも、主催する側でもねぇよ。

現在進行形大成功どころか、超成功してるガルパン批判しておきながら、「際どいところに踏み込むには思慮深さを持っておかないと成功しないんじゃないかなぁ」とか、アホか。


こういう言説に共通する心理は、「僕はお前たちとは違う」だよね。

僕は理解がある、僕は女性の味方、僕はキモオタじゃない、何でもいいけれどさ。

切断処理してる訳よ。

自身保全のために。

こういう輩の言葉は、全部ポジショントークから、まったく響かんよね。


この論の一番の破綻は、主催してる側は、まったく表現規制反対なんて叫んでない事。

批判されて引っ込めたところもあるが、そこは表現規制に逆らって、表現の自由を錦の御旗にしていたか

なのに、【「税金使ってちょっとケン表現をする」なんてムリがある】とか、ドヤ顔で書いちゃうわけよ。

多分、共産党の流れを汲んだ人だろうから行政批判せずにいられないんだろうけれど、本当に意味不明な主張になってる。

2015-12-27

[]ポリティカル・コレクトネス

直訳すれば「政治的正しさ」になるが、一般人には何のことだかさっぱりわからない。

言葉から民族人種性別といった差異を取り除き中立的表現を目指すこと、らしい。

具体的には"chairman"を"chairperson"という風に置き換えた言葉を使うことを指す。

ややもすれば、かえって言論統制もつながりかねない考えである

2015-12-07

のうりんポスター炎上事件って、本当にゾーニング問題だったのか?

「これは表現規制じゃない。ゾーニングしろと言っているだけだ」という意見の人は、何をもってゾーニングができていると見なすのだろう? 良識派のオタクサヨクに多いが、具体的にどこまでゾーニングすればいいか教えてほしい。


第一の前提として、このポスターちょっとエッチな感じがあるというだけで、直接に裸体やセックスを描いた18禁表現ではない。もし子供が目にするようなことがあっても法的・社会通念上はアウトにならない。そういうものなのに18禁表現なみに厳しいゾーニング実施しろという話になると、私は違和感がある。


「駅に貼ってあったことが問題だ」という意見には一理あると思うけど、それはつまりから撤去すればOKってことなのか?

逆に駅以外の道路沿いとか、観光スポットに貼ってあるのは許されるのか?それとも通行人が少しでも目につく場所はアウトかな?

ホテル飲食店の店内に貼るのはどうだ? そこにもアニメに興味ない一般人は来るだろうし、子供女性ポスターを見ちゃう可能性あるよね? しかし、だからといって私企業管轄している館内スペースにまでゾーニングやらせるつもり?



ゾーニング問題か。それともポリティカル・コレクトネス問題か。

ポスターが駅に貼ってあるのだとしても、しつこく目につくほど強烈に展示しているか、片隅にちょこっと展示してあるだけだったか、その違いを無視した批判が続出しているのにうんざりした。

駅の通行人がこのポスターをほぼ気にとめずに素通りできるレベルの貼り方だったなら、「見たくない人にむりやり見せつけて苦痛を与えている」という批判は当たらない。

もしこれが明確な18禁表現ならば一瞬でも通行人の目に触れてしまえばアウトだが、今回のポスターはそうじゃないのだし、徹底的に厳しいゾーニング必要ポスターと同等に扱うべきとは思わない。

「実際には通行人ほとんど気にとめずに済む」という貼り方がされていたという報告もある。以下、現地に行ってきた人のレポ。


まつうら @hallucine 2015-12-01 00:13:04

ポスターっていうより貼り紙っていうほうが適切なニュアンスかなぁ。あんまり大きくなくて印刷もそれほど鮮明でないので(失礼ながら)、嫌でも目に付くというほどではないです。スタンプラリー対象店舗ってことはちゃんと分かりますが、胡蝶さんの巨乳っぷりまでは。


まつうら氏、"のうりん"コラボポスターの「美濃加茂市、行ってきました」

http://togetter.com/li/907100

根性ロン @konjo_ron 2015-12-04 00:18:49

ストリートビュー 要はこういうことだったんですね。 pic.twitter.com/5ugmCvNjeW


美濃加茂市の隣の市の方から見たポスター騒動

http://togetter.com/li/907977?page=2


以上を踏まえると、今回の炎上が「見たくない人にむりやり見せつけて苦痛を与えているのは駄目」というゾーニング問題だったか、それとも「こんな破廉恥セクハラポスター公共施設に貼るなんておかしい!」というポリティカル・コレクトネス問題だったかからなくなる。


仮にポリティカルコレクトネス観点に立つとすれば、あのポスターはいくら完全にゾーニングをしても不許可ってことにならないだろうか。

例えば駅の一室にある観光案内所で、外側にいる通行人からは見えないように注意して貼っていたとする。あるいはもっと厳格な方法を取って、『のうりんスタンプラリーに興味ある人にだけあのポスターを配布したとする。そうすればゾーニング完璧に行われたものと言えるが、「観光協会がああいう絵をポスター公式採用するのは不適切」とか「駅という公共施設ポスター配布を認めるべきじゃない」という批判は出てくるだろう。

2015-09-05

アメリカコメディにおける政治的正しさ用法

 もう終わってしまったけれど、『ザ・オフィス』というテレビコメディがあった。主演は『リトル・ミス・サンシャイン』『四十歳の童貞男』のスティーブ・カレル。元はイギリスの同名コメディ日本語タイトルは『ジ・オフィス』)だけれど、結果的本国版より息の長い番組になった。ちなみにイギリス版もアメリカ版も hulu で観られる(はず)だ。


 『ザ・オフィス』でスティーブ・カレル演じる製紙会社課長日本で言えば昭和世代セクハラおやじであるゲイフォビアで男根主義的、アメリカンマッチョ価値観に染まっていて、ことあるごとに自分面白ジョーク(大半は性差別人種差別ネタ)で課内の雰囲気を和ませようとするが、逆にそのジョークのせいで場の空気をきまずくさせてしまう。なにせ、自分の部下がその当該マイノリティであることが多いのだ。

 しか自由の国アメリカといえど、上司に反駁するのは容易じゃない。カレルはアブナイおっさんなのでことあるごとに人事権給与査定をタテに(実際にその権限が彼にあるかは別にして)振る舞う。部下たちは自然事なかれ主義でだんまりを決め込んでしま

 しかも、カレルは場の空気を悪くしているのが自分であることに無自覚だ。勇気ある誰かから「それは差別じゃないか?」と指摘されると「これは差別じゃないよ。ただの冗談だろ?」とキレる。本当に差別ではないと信じこんでいるのだ。あげくのはてに破綻しそうになると、別の部下に責任押し付けようとしたりもする。

 まあ、要するに、最低のセクハラおやじ職場空気を最低にするドラマなのだ

 ドキュメンタリーという体裁だからシットコムみたいに「ここが笑いどころですよ」という観客の歓声も挿入されておらず、しかもカレルに対するツッコミはなされないか、なされたとしてもシリアス雰囲気にならざるをえない。

 こんな悲惨番組コメディになるのか、といえば、なってしまう。アメリカでは成立してしまう。

 『ザ・オフィス』で笑うためには、まず「無自覚差別ネタジョークのつもりで放言しまくって場の空気を凍らせてしまう困った人(しか自分では差別ではないと信じている)」というステロタイプを共有していなくてはならない。いわゆる、あるあるネタってやつなのだが、これが一筋縄はいかない。

 このステロタイプで笑うためには更に「こういう困ったおじさんは時代遅れダサい人間である」という認識も広まっていないといけない。現状ではこういうおっさん存在を許されないものという(現実はともかく)共通了解流通していなければならない。

 『ドラえもん』やちょっと前のドラマ日本でもあった、「江戸時代人間現代タイムスリップしてきてカルチャーギャップ体験し、その反応に視聴者が笑いをもたらす」タイプの話とキモは一緒なのかもしれない。

 仮想の原始人を笑いの的に立てるのだ。

 その「原始人」に「かつてどこにでもいて、今もおそらくは地域によっては跳梁しているであろう人間」をあて、都市部リベラル価値観、すなわち我々の言うところのポリティカル・コレクトネス観点からその野蛮さを笑う。言い方は悪いかもしれないが、そういう捻れた観方をできる人間がすくなくともこの番組を8年140エピソード続けさせられるぶんだけ存在する、ということだ。

 そうして恐ろしいことに、『ザ・オフィス』は例外中の例外ではない。『サタデー・ナイト・ライブ』といった老舗番組から、オトナ向けのカートゥーンアニメまで、そうした政治的正しさ視聴者の間で広く染み込んでいることを前提にギャグスケッチしている。

  

 アメリカンコメディにおける政治的正しさとはもはや「あるべき理念」でもなんでもない。常識であり、前提だ。

 アメリカは広いし、チャンネルは山ほど存在するので、コメディ番組がすべてそうだという確証はない。

 けれど、日本に紹介されてくるコメディ番組は肌感覚レベル政治的正しさを呑み込んでなければなかなか笑えない。

 むしろ政治的正しさに反発を抱く人より、「あるべき理念」としてフィクション政治的正しさを求めている人のほうが笑いにくいかもしれない。リベラル風刺とは身内にすら向けられる過激さを持つもので、笑いの矛先が政治的正しさのものに向けられることも珍しくないからだ。それを半可にしか理解できてなくて、そういうジョークを無理してわかったフリして喜ぶ人間は多いけれど(私もその一人だ)。

 シリアス映画とかはまだわかりやすく「女性が強い」とか「マイノリティが救われる」とかをストレートな形で描いてくれるから日本でも受け入れやすいんだろうけれどね。マッドマックスみたいに。

 海の向こうには、「政治的正しさを前提にしたホンづくりしてる」なんてわざわざ公言しなくても、そんなもん当然前提に据えてるだろって界隈が存在するのだ。おそろしい、おそろしい。


 余談だけど、「空気を読めない人の空気の読めなさ加減を笑う」という点ではアメリカ版よりイギリス版のほうが百倍ブラックだ。もはや、気まずい場の空気のものを笑いに換えているといってもいい。これもこれで、ウルトラハイコンテクスト文化だよなあ、と思います

 

2015-08-28

男女平等デメリットを教えてほしい

女性活躍推進法が可決されたらしい

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150828-00000015-mai-pol

男女平等メリットは語られるがデメリットがあまり語られてない気がする。特に新聞テレビでは

ポリティカル・コレクトネスがあってなかなか言えないのかもしれない。

詳しい人教えて!

2015-08-19

今期は日頃からポリティカル・コレクトネスに気を使い、ネトウヨ邪悪思想を忌み嫌い、粗雑なプロットに怒りを覚え、作中の細かな粗探しに目が行ってしまい冷めてしまうような心正しきはてなーが見たら意識低くなるようなアニメ多いな。そういったはてなーの中のはてなーとも呼ぶべき者達はいい加減深夜アニメの無邪気さ、無知さにも呆れ果ててることだろうし、ディズニーピクサーだけ見てるんだろうけどね。

2015-06-26

[]Social Justice Warrior

インターネット上でポリティカル・コレクトネスを振りかざして周囲を攻撃する人々に対する揶揄蔑称。SJWと略される。

2015-02-13

ネットからポリティカル・コレクトネス議論が消えた

一目見て爆釣り間違いないと思ったのに、全然伸びていない。

http://anond.hatelabo.jp/20150212135431

ネットから男女差別だとか、ポリティカル・コレクトネスだとかの議論が消えてしまった。

おそらく、ダサピンク系の議論を経て、「あ、やっぱ女ってバカだ」という認識が広まってしまたからではないか?

フェミニストと真面目に向き合ってもなんら生産的でないと、誰しもが分かってしまったのではないか?

臨界点を超えたのだろう。

私としては喜ばしい限りだ。

2015-02-08

ただの料理下手ではなく、夜戦時のみ下手になるほうがより良いのではないか?

なおポリティカル・コレクトネスについては受け付けません。

2015-01-05

な~~~~にがポリティカル・コレクトネスじゃい

お行儀良い作品is正義!そうでないのは邪悪!だとさ。

からすりゃだからなんやねんって話だわ

2015-01-03

日本ポリティカル・コレクトネスを浸透させるにはどうしたらいいんだろうな

PC適合レーティングを作って不適合コンテンツを選り分けて追放だろうか

追放はちょっと直接的過ぎてアレだからゾーニングかな

でも新たに仕組みを作るのはめんどいから利益誘導するなら

やっぱり不適合コンテンツの不買運動だろうか

それでも不適合コンテンツを購入するアホはいから

そういう奴を人非人として吊し上げる流れも必要かな

お題目を掲げるならやっぱり「青少年健全育成」だよな!

2014-12-27

やまだないと福田里香の「男には大島弓子は分からない」発言の悲しさ

私は男性大島弓子ファンです。最近福田里香藤本由香里やまだないと著の『大島弓子にあこがれて』(ブックマン社)という本を読んだのですが、収録されているやまだないと福田里香の対談にあった以下の内容を目にしてとても悲しい気持ちになりました:

やまだ「男の人は大島弓子をわかりたがる」よね(笑)

(略)

やまだ「まあ、その言葉のあとに、『少女にうまれなかったんだからあきらめな』ってのが続くんだけど(笑)。」

(略)

やまだ「私は、男の人が大島弓子をわかりたがるのはね、大島先生に対抗意識をもっているからだと常々思っているのです。」

福田「なんか、男の人の逆鱗じゃないけど、何かに触れちゃってるってこと?」

やまだ「あれだよ。「君が夢中な大島弓子より、僕は君のことをわかってる」みたいな、「ほら、君って、こういうことを考えているだろう?」「僕が本当のことを教えてあげよう」って。ああ、大きなお世話(笑)

なんというか・・・とても悲しい気持ちになります・・・ポリティカル・コレクトネス的にどうかという問題は措くとしても、そもそも「大島作品についての語り」としてこれはとても悲しい気持ちになるんですよね。。

まず思うのは、特にキャリア後半の大島作品(『綿の国星』後の『ロングロングケーキ』あたり以降)は、もう作品の内容自体として読者の性別がどうのという類の物語ではないように思うんですよね。これは真摯やまだないと福田里香に問いただしてみたいのですけど、例えば、『夏の夜の獏』『つるばらつるばら』『毎日が夏休み』『ロストハウス』『グーグーだって猫である』等々の素晴らしい作品に心を打たれることにおいて、読者の性別とかが何か関係あるんですかね?

また、もう少し以前の例えば『バナナブレッドのプディングだって自分セクシャリティをうまく受け入れることができていないような読者(私もそうでした)にとっては、性別関係なく、この物語にひどく心を打たれるところがあるでしょう。(まさかやまだないと福田里香は全ての男性自分セクシャリティを素直に受け入れることができているとおもってるんじゃなかろうな)

それにさ。

私が大島弓子作品を愛しているのはその世界に「自由」があるからなんですよね。本当は「年齢」なんて関係ない(『夏の夜の獏』)、本当は「性別」なんて関係ないし「時間」さえも関係ない(『つるばらつるばら』)、本当は「学校」なんて関係ない(『毎日が夏休み』)、本当は「家」なんて関係ない(『ロストハウス』)、本当は「人間」か「猫」かなんて関係ないし「飼う/飼われる」の非対称性関係ない(『グーグーだって猫である』)、といったように、この世界の通念を「本当は〇〇なんて関係ない」と突き崩した先の「自由の輝き」が大島作品にはあるんですよ。

そして、大島作品大島作品たらしめているのは、その「本当は〇〇なんて関係ない」という「自由」の輝きと、その「本当は〇〇なんて関係ない」と突き抜けた先で(のみ)生じる「ひとつの生きもの」対「ひとつの生きもの」の関係性におけるある種の「フェアネス」の美しさなんですよね。

で。その大島作品存在する「自由」の輝きと「フェアネス」の美しさに照らし合わせるとですね、やまだないと福田里香の「男の人は大島弓子をわかりたがる」という一連の揶揄に含まれる「自由」と「フェアネス」さの欠如には、本当に、とても、悲しい気持ちなってしまうのです。

なんか本当に悲しいんですよ私(ちな来月昇給

2014-08-04

上層部を説得するべきか会社をやめるべきか

絶対の自信を持って押した企画が潰れかけている。

その名も

上京倶楽部」

今までにない画期的婚活サイト

田舎に生まれてのんびり育ってのんびり生きている家庭的な女の子を、

東京エリートマッチングするためのサービス

エリートが妻に求めるのは知識や教養なんかではなく、癒やし。

自分の稼ぎに決してケチをつけない慎ましさ。

それらは東京の女には望めない特徴。

だけど田舎に行けば、そういう女の子女の子した女はいくらでも見つかる。

そういう、ダイヤの原石をリクルートして東京につれてきて、仲介料を取る企画。

同時に、純情な田舎娘に駆逐され、未婚のままあぶれた東京の女を、深刻な嫁不足に悩む農村に送り込む、

「都落倶楽部」

も同時展開する。

見栄と虚栄にまみれた彼女たちをアフターケアするために、

身内には外国人男性結婚して海外に行ったように見せかける情報工作サービスをつける。

年賀状SNSには幸せいっぱいで勝ち組になった自分、を演出する写真を合成して投稿する。

そんな細い友好関係など、10年もすればどうせ疎遠になるのだから、それで十分だろう。

数十億、場合によっては数百億の利益が見込めるこの企画が上層部無理解のために潰れかけている。

ポリティカル・コレクトネスがどうの、フェミニズムがどうの、話にならない。

人間には欲がある。

それを満たすために大金を払う。

そこにビジネスチャンスがある。

なにがおかしいんだ。

そんなに自信があるなら、自分起業しろと、小馬鹿にするような口調で言われて腹が煮えくり返っている。

あんな会社やめて、一人で大金を掴んでやろうか。

間違っているのは自分じゃない。

ここの反応を見て身の振り方を決める。

絶対当たるだろ?この企画!

追記2014/08/05 7:30

誤解があるようだが都落倶楽部のほうは上京倶楽部のおまけに過ぎない。

この企画がうまく動いて万人単位

田舎にいるだけの結婚に適した女」

が高い流動性を持って東京に流入した場合必然的価値暴落する

東京にいるだけの結婚に適さない女」

の廃棄場所を用意しようというだけだ。

もちろんそのまま東京で腐ってもらっても構わないが、

弱者切り捨てのようなことをやりたくないから、救済措置を用意しようというだけだ。

事前調査で分かっていたことだが、

「そもそも男側の需要がない」

という意見はほぼ無いようなので、

もう一度だけかけあってみることにするか。

2014-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20140803065741

責められるべきは、具合の悪い人が出た時に心の余裕がなくなるような人員配置をしている管理者から

そんな管理をしていて、ポリティカル・コレクトネスが通らないような文化職場から鬱になるんだよ。

散々これを持ちだしてドヤ顔してる人が多いんだけど、

今や、欝って、「どんな人でも、どんな職場でも、どんな環境でも成り得るもの」だから怖いし、だからこそ病気なんじゃないの?

もし、欝になるのが明らかな環境があればそれを労働基準法なりなんなりで規制していくしか無いだろう。

現実的にそのような線引が難しいこともあるけど、

でも、それまで誰一人そんな事にならなかった職場でもいきなり欝の人が出たりする。

そういうことについて、全ての場で原因があって職場が悪い、とするの?

そこに大きな疑問を感じる。

欝なんて、逆にほんの小さな些細なことからでもなるんじゃないの?だから怖いんじゃないの?

実際、欝で休んで、職場環境の方では何が悪いかもわからないから特に改善はしないままで、

でも、一旦休んで出てきたら今度はホントに何事も無く仕事してるってケースはたくさんある。

恐らく、仕事場だけではなくて、私生活もふくめて色々なタイミングが重なって悪くなってしまったケースだろう。

そういうケースはいくらでもある。

勿論、圧倒的に仕事だけのせいの場合もあるかもしれないけど、実際にはそんなケースは少ない。

なぜなら、もし原因が仕事が全てであれば、その職場で次々と欝でやめてく人が出てとっくに回らなくなってるだろう。

実際そういうところもあるのかもしれないけど、レアなケースでしょう。




から、今回只管職場が悪いんだーって言ってる人には非常に違和感を感じる。

その人達は、Twitterの主を直接攻撃するのは逆に自分攻撃性が強すぎる、と感じで、

一歩引いて正義論を出す調度良い相手として職場、と言う物を攻撃することを選んだに過ぎないのでは?

さらに一歩弾いて、そのような会社を作る日本社会はーとか言い出す輩もいる始末。






何がしたいのでしょう?

http://anond.hatelabo.jp/20140802203854

ヒント:ポリティカル・コレクトネス

そして何故それがポリティカルにコレクトなのかははてブ辺りで解説されているよ。

具合の悪い人の煽り仕事か忙しくて愚痴を言いたくなる気持ちはわからなくはないけど、

責められるべきは、具合の悪い人が出た時に心の余裕がなくなるような人員配置をしている管理者から

そんな管理をしていて、ポリティカル・コレクトネスが通らないような文化職場から鬱になるんだよ。

2014-07-23

相方」とか「同居人」とか、ポリティカル・コレクトネスを反映した呼び方って、何だかロマンチシズムを感じられなくて厭なんだよな。「そんなのって全然まるでロマンチックじゃないわ」

はいはい意識高いですねェー!とおちょくりたくもなる。

コロンボ的には「ウチのカミさん」かねぇ。

関白宣言」を額縁通り受け取る人が多くてゾッとする。

そういえば、父が普段は「母さん」と呼んでいたのに、他人に対して「家内」と呼んでいたのを見て、なんだか子供心に傷ついた覚えがある。やっぱり両親は結局のところ他人同士なんだ、という疎外感のようなものだろうか。

フェミニズム界隈では、「ホモ」がダメとか、言葉歴史重要視する傾向があるみたいだが、そんなのくだらないと思うと同時に、危険な傾向だと思うよそれは。

2014-04-02

何がどう間違っているのか

絵画でも演劇でも音楽でもダンスでも、人間表現の原点は、動物のメスに対するオスの求愛行動にあるという。

これ、一見非常に尤もな説だけど、かなり引っかかる。

なぜなら、これを全肯定するというのは結局のところ

  • 突き詰めれば、どのような表現活動においても男のほうが女より優れている
  • 女は何か表現せずとも、ただ存在するだけで美しい

という、凄まじく封建的というか、ポリティカル・コレクトネス的には間違いなくアウトな結論になってしまうからだ。

その時点で何かがおかしいし論理の飛躍だと思うのだが、確たる根拠が思いつかない。

一体何がおかしいんでしょ?教えて増田さん!

2014-03-19

女の落ち度が9割

http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/03/17/entry_004997.html

http://anond.hatelabo.jp/20140318174232


痴漢路上レイプはともかく、DVリベンジポルノは女の落ち度が9割。
発生原因において。
発生原因と「誰が悪いか」は別。
悪いのは男だという当たり前のことを強調してもDVリベンジポルノは減らない。
ネットでは男を責めるのがポリティカル・コレクトネスみたいな感じだが。
そりゃあそうでしょうよ。悪いのは女をゴミみたいに思ってる男の方。
男を叩き、女の落ち度は責めないのが正義の味方
正義の味方を増やせば被害は減るんですかね。
それは脳内お花畑だと思いますがね。


女の落ち度ばかり指摘すると被害者が「自分が悪かったのでないか」と辛くなってしまう、というのはわかる。
男の暴力性に対して社会が甘すぎるというのもわかる。
しかし「だから女の落ち度を指摘するな」というのは間違っているし、男に対する啓発を拡充したところで被害はなくなりはしない。


女の落ち度の指摘の仕方が「浅すぎる」のが問題なんだよ。
だいたいDVするような男を彼氏にする女は、そういう男を選択的に彼氏に選んでいる。
殴られても別れようとはしないし、別れても次の彼氏DV男だ。
DVしない男なんてその辺にいるのに、そういう男は絶対に彼氏に選ばない。


DVリベンジポルノの発生原因はこういう「自分を大切にしない女」だ。
「『自分を大切にする』ということがどういうことかわかっていない女」だ。
特に若い女は「自分を大切にする」ということの意味がわからない。いい年してわかってない女もたくさんいる。
こういう女の落ち度を指摘し、啓発しないことには被害は減らない。
だが誰もそれは言わない。
それを言ったら「正義の味方」じゃないからだ。

2014-02-08

より正しい物語を得たレトロゲームはより幸せである ~ゲームソムリ

独学でレトロゲームを学び処女アイドルと謳われたゲームソムリエール氏のほぼ全言動が、実際には所属事務所の元ゲーム業界人のオッサン氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。

メディアや芸能業界のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、ゲームソムリエールそのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人はゲームソムリエールに何を求め、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋ゲームを勧めるというのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋ゲームを選んでプレイすることなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。

私が初めてゲームソムリエール氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のロムカートリッジ破壊する動画がUPされた直後のことだ。人づてに話を聞いて興味を持ち、ネット検索してプロフィールやら言及する文章やらを読み、ゲームソムリエール氏のレトロゲームコレクションネット上で目撃したと記憶している。そのとき強烈に残ったのは、まず違和感であった。

違和感というのは、そのレトロゲームコレクションのたたずまいとプロフィールや売り出し方とのあまり乖離に対してである。端的に言ってそのコレクションは、80年代に幼少期を過ごした男性コレクションのように思われた。真っ当にビデオゲーム洗礼を受け、ゲームを中心にサブカルチャーの波を揉まれてきた知性に優れる人間が、都度つど何らかの金銭の制約を自らに課しながらコレクションされたものだと「わかった」。今このようなことを書いても後出しだと言われるのはわかりきっているが、そう思ったのは事実で、おそらく80年代よりゲームに親しんできた心ある人間の多くが直感できたはずだ(実際、私の知るゲームマニアの幾人かは今回の発覚に対して「やっぱり」といった感想を漏らしていた)。アイドルを目指し上京した後に真実ゲームに目覚め、それまでの経歴を全て破棄した元弱小グループアイドルの一員が、常に轟音の鳴り響く中で霊感降臨を待って収集した物とは、到底考えられない。プロフィールのそれらの言葉には薄ら寒さすら覚えた。オエッ。売り出すためのストーリーを誰かが描いている。事務所のオッサンははそれに乗じて悪びれずにいるらしい。そんな構図を漠然と思い描いた。

私はそのとき彼女コレクションを嫌った。いや、嫌おうとしたのだ。彼女が自らに課した書法の制約とは、売れるアイドルにするための――言い換えればマス・マーケットに届けるための――打算であったに違いないと想像した。売る気満々で集められた、嘘にまみれた、いやらしいパッチワークなのだろうと想像した。そうして想像してみて結局、最初の印象に戻るのだった。怖気の走るようなまがい物にしては「マニアごころをわかっている」コレクションに見える。真摯レトロゲーム収集に向かわずしてこれが生み出せるのなら、随分な才能の持ち主なのだろう。その点だけは悔しいが認めざるを得ず、周りに評価を聞かれても曖昧なことを言うほかなかった。著書なんてもちろん買う気もしなかった。胡散臭い人間胡散臭い売り出し方をしている、大量の嘘が混ぜ込まれた(はずの)コレクションが、見てみたら本当に見事な出来だった、なんてことになれば余計に悔しいし。そうそう、見なくたってわかる。きっと、見てて腹が立つようなコレクションに違いない。あーあ、ゲームソムリエールなんて、嫌いだ。

――見たまえ、ここに「物語」によってレトロゲームへの好悪を左右される情けない人間の姿がある。しか漠然と思い描いただけの、自分脳内で生み出した勝手物語によって認識を歪められているのだから世話がない。私だけがこんな情けないのか? ……いや、そうでもない……ですよね?


元ネタ】 これ読んでいたらふとゲームソムリエールさんのことが頭をよぎったんだ。

より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守新垣隆)騒動について~

http://www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/

2014-01-29

そもそも「発達障害」という呼称のものポリティカル・コレクトネスに反していると思う。

差別する気が無いならばまずその呼び方をやめろ。

肌の色が濃い人を指して「肌色障害」と呼ぶ一方で「肌色障害という呼称を嫌がる方が人種差別!」と言っているようなもの

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