はてなキーワード: ソロとは
思春期にナンバガやゴイステを聴く陰気な少年をマジでかっこいいと思ってるし、自分もそうありたかった。
実際の所は姉の影響やミーハー心で事変やサカナクションを聴いていた。最近はそれもまた等身大の高校生といった感じで良いような気もしてきた。逆張りの申し子だったからそもそもオーケストラやジャズばっかり聴いていてロックはあんまりだったが……
夜の踊り子の焦らしは今でも高ぶるし、群青日和のギターソロは本当にかっこよくてクネクネせずにはいられない。
借り物の青春像ではなく、最大音量で1812年を聴きながら高尾山に登ってみたり、閃光少女のアウトロを何百回も繰り返しながら多摩川を延々下ってみたりした逃避行の原体験に誠実でありたい。
https://twitter.com/kanose/status/126516042754301952
ハックルさんが日垣案件化していると@soylent_green さんがブクマでコメントしていて、最初それは言い過ぎではと思ったけど、最新記事見たら、言い過ぎじゃない気がしてきたよ…
https://twitter.com/raf00/status/126540252662870016
はあちゅうといいべにぢょといいハックルといい、今日は発狂した人たちが大量に湧いている一日だなぁ
ハックルさんの様子見てきた。あいかわらずのアノ押しの強さ、すさまじいなあ。冷静に操り糸引ける参謀なりソロバン弾ける番頭なりとタッグを組めば(組めれば)、広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれるだろうなあ。「もしドラ」もそうだし。すごいなあ。そのタッグ相手を、とある会社の経営者K氏へ一方的に因縁つけて白羽の矢刺しまくってる節操の無さも含めて、押しの強さハンパなくてすごい。「もしドラ」チームから放たれて野に返されたとか組む相手いなくなったとかなにかか。いやまあ、まじめに、ああいう、議論とか感性とか倫理とかぜんぶすっ飛ばして、コチラの主張をアチラへ丸飲みさせようとする力押しと心意気、人格としてじゃなくてヤクザな手法として学ぶところあると思いました。
広告代理業でも押売営業でも新興宗教開祖でもナンでもやれる、って書いたけど、そういう押しの強さで商売するのって手品のタネを明かさないことが大事で、インターネット普及しちゃってからは(書評が流布したりして)手品のタネすぐバラされるから、一発屋になりがちだしすぐ野に返されるなのでハックルさんもう文筆ではダマクラかせないんだから、文筆にこだわってるうちは組んでくれる相手あらわれないし、方針転換して筆は折って違う戦場でまた押しまくれば稼げるかもしれないな。あの押しの強さはひとつの才能だもの。ただ本人がベストセラー作家だけどとかやってるうちはアレだわ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%9E%A3%E9%9A%86
マーケティング手法には「電子書籍を日本一売った」「世界初&日本初の有料メルマガ」「5年で所得3倍」「数ヶ月でTOEIC900点超え」など煽るような広告宣伝が多かった。
2006年11月に刊行された「すぐに稼げる文章術」(幻冬舎新書)で盗作騒動が起きた。新潟大学教授(のちに慶応義塾大学教授)の山内志朗による「ぎりぎり合格への論文マニュアル」(平凡社新書、2001年刊)の一節と酷似した内容が掲載されていることが刊行の翌年にインターネット上で指摘され、平凡社が幻冬舎に抗議する事態に発展。問題とされた部分は増刷の際に書き改められた。
盗作騒動の影響か、2007年いっぱいで当時抱えていた連載[5](「新書一点賭け」(文藝春秋)、「MEDIA WATCH 売文生活日記 どっからでもかかって来い!」(WiLL)、「通といえば販!」(週刊現代)、「敢闘言」(エコノミスト)、「日垣隆のどこへ行くのかニッポン!」(日刊ゲンダイ))がすべて終了となった。以降、いわゆるマスメディアへはほとんど登場せず、ツイッターやフェイスブックなどのSNSによる情報発信、有料メルマガ、電子書籍による自費出版を盛んに行っている。
私はインストの部分が大好きだ
イントロだと
Lust for life、Purple Haze、Piano Man、Hotel California、あのトワイライト(アウトロも)、空洞です、リライト、空気力学少女と少年の詩
アウトロだと
ソロだと
Stairway to heaven、群青日和、センチメンタルピリオド、桜のあと、忘れられないの(アウトロも)、Pretender、Butter-fly、せーので跳べって言ってんの!、ギミー!レボリューション
辺りが最近聴いた曲の中ではとても好きだった
楽器出来る人は自分のやってる楽器のパートじゃなくても弾いてるとこ思い浮かべて気持ち良くなる、というのはままある気がする
1988年(昭和63年)4月29日、ファンクラブ結成記念コンサート『Single's』をよみうりランドEASTで行う。
●追記●
こんなに長い文章を読んでくれた人がたくさんいることにブコメをもらってびっくりしてます。
減量はアプリ登録1カ月前から婚約者と付き合ってもしばらくは続けていたため半年くらいで7kg落とした感じです。
参考になったとコメントいただいたので他に買ってよかったものを下記にまとめておきます。
•ラシャスリップ
塗るとピリピリして唇にハリが出る不思議なグロス。5000円くらいするけど1本買って良さにびっくりしてすぐ2本目を買いました。
パンツの上から履くスパッツみたいなもの。ウエストが強調される服をよく着ていたのですがこれを着るとかなり細く見えます。でも苦しいので本気度が高いお相手だけに使っていました。3000円くらい。
マスク剥がしたらもう顔が白くなっているくらいくすみ抜けに効果がありますが毎日使わないと持続しないので、残った液を翌朝コットンパックにして小鼻や目の下にパックしています。1枚を2日で使っています。近所の韓国ショップで1枚200円。
普通のビューラーと全く違う仕上がりでびっくりしました。マツエクは行けなかったので助かりました。3000円くらい。
出費も多かったし、高くても効果がわからないものもたくさんありましたが、その後も手放せないようなアイテムを知ることができたのはよかったなと思います。
●追記おわり●
30代半ばのある日、最後に本腰を入れてマッチングアプリをやってみよう、と思った。
初めてマッチングアプリをしたのは確か20代半ばの時だったと思う。最初にペアーズ、他にはwith、ゼクシィ縁結び、Omiai、クロスミーなどやってみた。
毎回登録のたびにほんのり期待するけど、やってるうちに虚しくなって辞めてを繰り返してた。
夜寝る前に結婚するまでのプロセス長すぎん?って考えだして寝れなくなったり、街行くカップルを見てなんで自分はああはなれないんだろうって思ったり。
子供の写真を見て素直に可愛いと思えなかったり、そんな気持ちでずっといることに心底嫌気がさして、一度本気でマッチングアプリをやって無理ならもう全部諦めて独身を貫こうかなと考えていた。
最後だからとりあえずできることは全部しようと思った。貧乏性だけどお金もこの時ばかりは全部使ってもいいやの気持ちだった。(のちにすごい額の明細がきてびびることになる。)以下やったこと。
登録する1ヶ月前くらいから写真撮影に向けてダイエットしはじめた。有名な相談所のYouTubeを見たらとにかく痩せろと言っていたので。
運動は25分越えないと痩せないって聞いたから、途中歩きながらでも30分は歩くようにした。
あとフィットボクシング。それからYouTubeの小顔マッサージ。めちゃくちゃ痛いけど、とにかくダイエットは間に合わなくても顔だけ痩せてるように見せたかったので必死で毎日やったらzoomで見る自分の表情が別人になってた。口角上がって目がでかくなった。小顔マッサージってデコルテとか首の横とかもするんだね。
もともと真面目にコツコツが苦手で、ダラダラ残業とかもしちゃってめんどくて風呂も入れない日すらあるタイプだったけど夜走る時間を確保するために定時退社をするようになった。サラダチキンの調理も1時間かかるしとにかく早く帰るようにしていた。プロテインやスムージー、肌の色がよくなるビタミンサプリ(リポスフェリック)など導入した。
近所で手頃な価格の店に行ってたけど、ホットペッパーで口コミが良いところに変えて、+1000円で良いカラー剤を使ってもらうことにした。(イルミナとかアディクシーとかスロウカラーってやつ。色々やって自分にはスロウカラーが合っていた)さらに+2000円でトリートメントもしてもらう、それを毎月必ずやることにした。以前3ヶ月ごとに5000円だった美容院の費用は毎月10000円に。高い!
あと恥ずかしくて前まで絶対やってなかったけど、いいなと思う髪型の写真を美容師に見せて再現してもらった。多分韓国のアイドルとか。(詳しくないのでわからん)あと髪のセットの仕方、今婚活中なんで教えてください!って打ち明けて聞いてた。これ言うとめちゃくちゃ真剣にみんな教えてくれる。
お金がかかるし恥ずかしいけど、もう最後だから思いつくことは全部やろ、の気持ちだった。
●服買った
どこで変えば良いかわからんくて、とりあえずマルイと百貨店に行ってマネキンが着てるイチオシであろう服試着しまくった。前なら20代前半までのブランドじゃんとか、半袖のトップスに15000円は高すぎて無理無理とか思ってた店もガンガン入って試着した。
めちゃくちゃ試着すると、質が良く見えて、自分の身体に合った楽だけど体型が良く見える服にたまーに出会えて、それを買うようにした。アポするとき初対面の人と2時間とか喋るのほんと疲れるので、楽ちんってのがかなり大事だった。楽だと良い姿勢もキープできるし、顔にも疲れがでないので楽なのしか勝たん(でもちゃんと見えるの大事)
●写真を撮った
20代の頃プロに頼んだこともあったけど(それはそれでよかった。タイムチケットというサイトで一万円くらいで撮ってくれる)
なんとなく本気度が伝わりすぎる気がして、自室でコンディションが良い時に撮ったソロのセルフィーを一枚だけ使った。肌の質感と唇の色とかはすこし補正した。(Camera360ってアプリで補正した)
顔の写真は一枚だけで、あとは趣味がよくわかる写真やお気に入りの猫の写真、手元の写真、服装の写真などをアップした。
もともと友達少ない&質素な暮らしなのでそれを理解してくれる人が良いと思ってそこはありのままで行くことにした。
登録して3日間はnewというアイコンがついて注目されやすいので、3連休直前に登録して最初に一気にプロフを仕上げてコミュニティに入りまくった。そして気になる人に足跡をつけまくる。いいねする。
とにかく3日間はペアーズばかり見ていた。1ヶ月たったくらいでいいねは500以上になっていた。ログインしているのにメッセージの返事をしていないと相手に悪い印象を与えると思ったので返事はすぐするようにしていた。
●運気をあげる行動をした
スピリチュアルとか勘弁してって思うタイプだけど思いつくことは全部やるべし状態だったので運気をあげるためのこともいくつかした。
占いで1番売れてる本がゲッターズが書いたものだと知ったので購入。365日の運勢が書いているので、運気が良い日にアポを集中して入れていた。
あと「人にしたことは全部自分に返ってくる」と昔よく母親に言われていたので、すべての人に真摯に向き合うようにした。具体的には返事は無視しない。相手を蔑ろにしない。メッセージのやりとりなどでもう無理と思ったときは、ごめんなさいとしっかり謝ってこれまでやりとりしてくれた感謝を伝えるようにした。アポしてくれた人には感謝を伝える。アポの際ちょっとしたお菓子を持っていったり、割り勘の申し出を断られたときは帰ってから半額分のスタバのオンラインギフトカードを送ったりしていた。
あと、アプリで返信率が高いといいねが増える気がする(注目度が上がっている?)気がしたのですがそういうアルゴリズムとかあるのかな。詳しい人がいたら教えてください。
部屋を綺麗にして暇さえあれば縁結びの神社にお参りしていた。
●フットワークを軽くした
もともと週末も1日は予定を入れずにダラダラしたいタイプだったけど、少しでも良いと思ったら即行動するようにした。Twitterで婚活垢作って何人かと会ったり、新幹線で2時間半かけて遠方の人ともアポして、その帰りにもう一件アポいれたり。ヘアサロンと脱毛とシミとりレーザーと歯のクリーニングに毎月行って、服も試着しなきゃだからとにかく時間がない。土日が一瞬で終わる。疲れた…!となったので初めてマッサージにも行ってみた。とにかくたくさん予定を入れて、今できることは全部やる!の気持ちだった。
これらのことをして、結果2ヶ月後に今の婚約者と出会うことになった。いい人がいて結婚できたらいいなって思ってたけど、結婚よりもなによりも、相手のことをめちゃくちゃ好きになってしまったことに驚いている。心の底から好きな人が自分のことを好きでいてくれる、という事実に毎日衝撃を受けている。好きな人が自分が作ったごはんとか食べてくれるのすごい。しかも美味しいって言ってくれる。自分がこんな気持ちになるなんて。そして毎日可愛い可愛いって言ってくれるので怠惰な生活に戻って婚活中に痩せた7kgはリバウンドした。
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
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5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
レベルアップおめでとう
討伐戦は参加人数多くて所要時間も短めで移動エリアも狭くてIDよりかは気楽(で、育成途中だとソロで突破は難しい)だと思うので、
そんなそこまで怖くなかったでしょ
の続き
曲名: Prelude to Madness(Savatage)
https://www.youtube.com/watch?v=DyBCSJQH2zE
曲名: In The Hall Of The Mountain King(Apocalyptica)
https://www.youtube.com/watch?v=VNE7Mt63t2E
Rainbowのことを考えたときにグリーグの 「山の魔王の宮殿にて」を思い出した。
せっかくなので別のバンドを記すことにした。他にもSavatageを中心にして生まれたTrans Siberian Orchestraなども演奏している。
https://www.youtube.com/watch?v=F-WazDQZu0I
Acceptのギタリストがヘヴィに仕上げており、聞いていて気持ちいい。彼はクラシックを取り上げたアルバムを2枚出している。
https://www.youtube.com/watch?v=W8bbodUFUUU
聞いたことがある人も多いだろう「怒りの日」を引用。長尺の曲だが、いかにもな展開でニヤニヤしてしまう。
私はこれ(https://www.nicovideo.jp/watch/so17472785)を思い出してしまう。
https://www.youtube.com/watch?v=rJeBuEjQeoI
聞けばわかるとあのフレーズ以外にもいいアレンジがされていて好き。Fabio Lioneの声も好きだ。
リンク先の楽曲は違うと思うが、Rhapsody of Fireの別の楽曲では、Christopher Leeがゲスト参加していて渋い声を聞かせてくれている。
Jason Beckerの1stソロアルバム「Perpetual Burn」に収録された「Air」がアレンジされ、オーケストラで演奏された動画を紹介したい。
原曲が本当に素晴らしいので聞いてほしいが公式動画はない模様。
曲名: Jason Becker's Air Covered By Konstantin Kokourov
引用: Air(Jason Beckerの1stアルバム「Perpetural Burn」収録)
https://www.youtube.com/watch?v=Vt4YHlSbuk0
さて、Jason Beckerをご存知だろうか。10代でCacophonyというバンドでデビューを果たしたギタリストだ。
ツインリードギターが売りのバンドで、もうひとりのギタリストは、先日Megadethの武道館公演にゲスト参加したMarty Friedmanだ。
JasonはソロアルバムとCacophonyの2ndアルバムを出したあと、Van Halenから抜けたDavid Lee Rothのバンドに参加。
しかし、スーパースターのバンドでこれからというときに、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症してしまう。
バンドのアルバムと2ndソロアルバムを完成させたものの、目を動かす以外の体の自由がなくなった。
それでも作曲活動を続け、2018年にはアルバム「Triumphant Hearts」をリリース。Martyをはじめ錚々たるプレイヤーが参加している。
記事の主旨からは外れるが番外編ということで、その2018年のアルバムから「Valley Of Fire」を。
https://www.youtube.com/watch?v=1gS5ibUPUvg
これでも削ったほうですが、語りたくなってしまった。
「クラシック音楽で最もメタルな瞬間 10選」という記事がかなりブックマークされていたので、
クラシック楽曲を引用したHR/HM関連楽曲で個人的に好きなものを少し書いてみようと思う。なお、リンク先は公式の動画に限定している。
曲名: No Mercy(よくネタにされる例のアルバムジャケットが見れます)
https://www.youtube.com/watch?v=Gdl8r2i5FwU
2:20付近から始まるパートが引用部分で、Yngwieはこのパートのみの動画も上げている。
https://www.youtube.com/watch?v=QyvRkBkm_3w
Yngwieは協奏組曲を作曲し新日本フィルとコンサートも行っている。
曲名: Difficult to Cure(武道館のライブバージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=jp48fMchnuc
なぜこのバージョンなのか。その答えは4:00あたりからの歓声と音を聞けばわかると思う。公式の映像動画はなかった。
なお、RainbowではCozy Powellがドラムソロでチャイコフスキーの「序曲1812」を使用していた。
DVDはあるが公式の動画は見つからず。シンバルの叩き方がとんでもなくカッコいい。
曲名: Haydn Symphony No. 88 Finale
https://www.youtube.com/watch?v=qyZACyXFIVI
引用というよりはカバーに近い。小気味好い演奏でニッコリしてしまう。
余談だが、同パートをLeonard Bernsteinが指揮している動画がある(公式は見つからず)。
Bernsteinは出だしだけ指揮棒を振るが、それ以降は顔や体の向き、表情や目線で指揮をする。とても幸せそうだ。
「Haydn Symphony No 88 Bernstein」などで検索するとすぐ見つかると思う。
引用: バッハ「無伴奏パルティータ BWV 1004: IV. Gigue」
https://www.youtube.com/watch?v=V6rF_c_UkoA
こちらも同様にカバーに近い。検索すると引用元をHilary Hahnが演奏しているのがでてくる(https://www.youtube.com/watch?v=YE5IkQP5xA4)。
2023年春アニメの「青のオーケストラ」では彼女の演奏を聞くことができる(https://aooke-anime.com/news/05.html)。
夏目漱石さんがアイラブユーを月が綺麗ですね!って和訳したのと同時に
私も「春ですね!」って言ったら「髪切ったんですね!」って訳になって広まったら素敵ね!
朝のさサンドイッチ屋さんの店員さんが髪をバッサリ切っていたので
とっさに「髪切った?」って
森田和義アワーのタモリさんがプロオーディオのあの有名なマイクのWRT-857を手に持って言うやつでお馴染みの、
私マイクはしっかり片手に持っていたんだけど、
その言葉が出てこなかったのよ。
なんかついつい「春ですねっ!」って言っちゃって。
「そうなんですよ!バッサリ切っちゃいました」って
サンドイッチ屋さんの店員さんの機転を利かせたナイスな回答に思わず赤いスーパーヒトシクンを賭けてヒトシ君を3つ差し上げたいところだったわ。
逆に笑っちゃったわ。
なので、
春ですね!って言ったら自動的に髪切ったんですね!って翻訳させるように
でも
案外あのマイクが「髪切った?」って無言で言ってる記号になっているのかも知れないわよね。
そう、
そんな春の陽気につられたのかどうか分からないけど
私昨日電車乗り過ごしちゃって
寝てもいないのにこれは寝過ごしたとは言わないかな?
普通に降りる駅で降り損なって、
あれこの景色なんか違くね?ってなったら案の定快速に乗ったもんだから凄い遠くまで通り過ごしちゃってたわ。
気付いたときは時すでにお鮨!
しかたないので
折返しの電車に乗って帰っていったのよ。
うーん
違う違う
そうじゃそうじゃないの。
寝てもないのにふと乗り過ごしたことを自己突っ込みつまりセルフ突っ込みしないと!って反省しないと。
なんかさー
ヘッドホン付けていて全然音が聞こえなくてしかも車窓を見ていたら
溝口肇さんの世界の車窓からのあのメインテーマばりに横スクロールで流れて行く風景で
今ここ!って音が聞こえなくとも分かるようなものだけど
その時は動画視聴に没入感の超夢中だったので車窓どころの騒ぎではなかったのよ!
そんでね、
世界の車窓からのあのメインテーマの人がゲストにも出演なさっていることを知らなくて、
世界の車窓からのメインテーマと溝口肇さんが結びついていなくて、
世界の車窓からのメインテーマのあの有名な曲を生で演奏して聞いたときには
もう電車乗り過ごすしかないっしょ!って思わずそんな思いをしたのよ!
知らない演奏家の人かと思ったら超有名な曲弾いてるチェリストかよ!って
勉強不足すぎてその時初めて知ったわよ。
そのぐらいの衝撃を得るぐらい
降りるはずの駅を通り越して快速だったもんだから遙か遠くの駅に降ろされつつ
それはすでに時すでにお鮨でお鮨をキメつつお鮨とルービーは合わないなーって思って
改めて家に帰ってイカの耳のおつまみを食べながら私が最近こよなく愛してやまない熟練度星4つは即もぎ取ったハイドラントでスプラトゥーンをご機嫌にプレイしつつ改めてルービーをキメ直したのよね。
夜よし!今夜はたくさん遊ぶぞ!ってなってもすぐに眠たくなっちゃうし
ゲームにも夢中になってしまうからぜんぜんルービーが減らなくて
それはそれで良い傾向かも知れないけど、
もしかして私がスプラトゥーン3負ける原因の敗因は飲んでるから?酔っ払っているから?って
ほどよく飲んで気が強くなって強気になってぐらいがちょうど強いラインがあるので、
それを越えたら一気に負けが続いているのかも?って思ったし、
まあ今回改めて反省の点を上げるとすれば
世界の車窓ばりに外が見えなくて動画に夢中になっていて降りる駅のはずで降りれなかった!ってわけなの。
以後気を付けるわね!
うふふ。
これは耐熱容器で淹れるやり方に変えたら案外上手く行きだしたので
味はともかくなんか先入観か急須で淹れた方が美味しいような気がするけど
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元アイドルの癖に「自分は陰キャで~~~」とか抜かしてるのが1ミリも信用できないから個人として好きじゃない。
でも一個人としては「テメーごときが陰キャとか舐めてんだよ!文化盗用だ!同僚と4人で旅行行っちゃいました~~~とか抜かしてるやつが陰キャだ????ふあぁぁsぁ=~====~==fd-0^そ09おf-0あfdさ¥さd????????????????こちとら修学旅行でも「友達グループからジャンケンでハブられた奴+ボッチ+撮り鉄」の組み合わせだったから最初の10分と最後の10分にアリバイ写真撮って全員分離してたわ。俺はボッチじゃから完全ソロやわ。同じようにボッチだった奴とも一緒に動いとらんわ。本物のボッチはこうするんじゃ!!!!!!!!」しかないんだよなぁ。
なまじっか才能あるやつの「優秀なワテクシに釣り合うような友達いなくて寂しいです><」みたいなのクソうぜえわ。
は?
こっちは無能ゆえのボッチだぞ?
舐めてんのか?
なんかお前いつもソロで詰まってるな
若い人はどうしても流行ってるからと対戦ゲームとくにシューター系をやりたがるけど、そのジャンルは殺伐としやすく競技性が高いほど確固たる差をつきつけられる仕組みなんで、心を豊かにしないし人間関係も豊かにしにくい
俺の時代だったらMMORPGなんかの協力メインのゆるいマルチプレイゲームが黄金期だったから良かったんだが、今の時代には勧められるMMOがない
今だとマルチプレイも可能だけどソロで物語や探索するのがメインのオープンワールド系のオンラインゲーム、まあぶっちゃけ原神あたりが交流ツールとしては丸い
テクニックや戦闘システムの理解度で差があっても結局はPvEにすぎんから力量差で置いていかれることはないし、むしろ戦闘だけのゲームじゃない分、得意分野に差がある方がマルチプレイのきっかけになるってのがいい