はてなキーワード: 鬱屈とは
異世界転生ものってあるでしょ。あれは、現実世界ではうだつが上がらない平凡なあるいは平凡以下の人間が、異世界では圧倒的な能力を発揮して無双できるというのが基本構造。「いまの自分の能力で無双できる」パターンも「転生時に新たな能力を獲得して無双できる」パターンもあるけど、これって所詮は別世界の話なんだよね。日々の生活で、周囲の人達から自分が期待するような承認が得られないことに不満を感じたり鬱屈してる読者からすれば、無敵になった主人公の活躍を通して一定のカタルシスは得られるけど、どこかに虚しさも伴う。なんせ異世界に行っちゃった時点で最初から圧倒的にすごい人なので、『見返す』とか『ざまあ』みたいなスカッと感が演出できない。すごい人がすごいことをしてみせて、知らない人達に感心されたりビビられたりしたって、それは予定調和でしょ。
その点、パーティー解雇物っていうのはいいよ。なんせ、解雇される前もされた後も、主人公は同じ世界にいるでしょ。パーティーから「役立たず」「無能」と嘲笑され侮蔑されてた自分が、実際に放逐されてみると、そのパーティーではあらゆる物事がうまくいかなくなる。一方で、主人公は、同じ能力を持ったまま、それを認めてくれる新たな仲間たちと協力してどんどん成功する。この流れの中で、前のパーティーの仲間たちに「実はあいつは縁の下の力持ちだったんだ、今まで貢献を正当に評価しなくてすまんかった…」と悔やませるシークエンスが描写できる。追いすがってきて「もう一度パーティーに戻ってくれ」と懇願する彼らに、主人公は「もう遅い」と言い放つ。この流れには『いま自分が実際に担っている仕事の真価をわからずに自分を侮ったり虐げたり嗤ったりしてるやつらを、見返したり、痛い目に遭わせたり、反省させたりする』という、異世界転生物にはない強烈なスカッと感がある。侮蔑と屈服の落差がでかい。もうシャーデンフロイデが出まくりよ。
しかもこっちは、現実生活での憂さも多少なりとも晴らしてくれるじゃん。ただファンタジーの世界で無双するんじゃなくて、自分が日々やっている、他人にはなかなか顧みられない仕事や活動が、実はすごく価値があって、自分がその気になったらお前らは大変なことになるんだぞ、という密やかな夢想の快楽に浸らせてくれる。しかもパーティー解雇物だと、新たな仲間たちの方は主人公の真の能力に圧倒されて「主人公さんすごい…抱いて…」ってなっちゃうわけで、ここで異世界転生物のカタルシスもきっちり提供してくれる。だから異世界転生物よりもパーティー解雇物のほうが、読者をより深く承認し、より強い『スカッと感』を与えてくれる、上位互換版の物語類型なんだと思うよ。「読む麻薬」としての作用がさらに激烈になっただけだとも言えるけど、まあいいじゃないの、近代小説というのはもともとそういう性質があって、だから登場当時から保守派に批判されてきたんだもん。
ナレーションなしでうまく本人とかまわりの人間の言葉でつないでてよかった
ただ、やっぱり毎日完全密着というわけでもなかったのと、
特に後半コロナになってからはかなり時間が飛び飛びになったのが残念だった
前半の鬱屈とした行き詰まりをどこで打破して制作が動き出したのかが結局よくわからなかった
プロフェッショナルとの違いでとくによかったのは、故郷の山口の取材シーンが追加されてたこと
同級生と話したり、中学の美術の先生と話したVTRが追加されてた
宿題で絵をかけっていったらマンガでもいいですかってきいたうえでヤマトの絵をかいてきたってこと
もうおじいちゃん先生になってたけどいまだにおぼえてるほど印象深かったんだなって
でもうざかったのはBGM
エヴァへのオマージュでクラシックを冒頭に入れる程度ならいいけど本編でもちょいちょい入ってくるのがすごいうざかった
BGMのせいでインタビューのボソボソ声が聞き取りづらくなっててかなりイライラした
bgm自体もそこまで盛り上げたりとか効果とかあんまなかったし
終始BGMなしでよかったのに
あとはこれはプロフェッショナルのときからあったけど、エヴァ終わったら即次ってのがまじですごいと思った
「何の自慢にもならならないけど」って言ってるけどウソじゃん。
「長文で1000超えた」とか、具体的な数字出してる時点で自慢になってるじゃん。
こっちは生まれてこの方貧乏で家族に疎まれていて恋人もいなくて苦しんで鬱屈した人生を歩んできていたんだよ。その気持ちを文才の無い頭を振り絞って何日もかけてキーボードをたたいて文章にしてそれを消してと繰り返してお気持ち増田を書いて、文章の誤字に気を使ったりタイトル名とか投稿時間とか気にかけてそれでもブクマ0・記事への反応0なんだよ。
せめて増田の中くらいは自分の存在価値を認めてもらいたいと考えているのにそれが叶わない気持ちってわかる?わかんないよね。自分の書いた記事を元にビジネス系のブログなんて書かれたらそれはそれはうれしいでしょうね。こっちは底辺普通科高校中退でそんな教養なんてあるわけないのに。
それに有名ブクマカにブクマカしてもらった上に、そのコメントが大したことないなんてマウントとっちゃうなんて贅沢過ぎない?こっちは渾身の増田にブクマ0なんてしょっちゅうだし、たまにブクマついても無言ブクマだし、でも無言ブクマでもメチャクチャありがたいんだよ。ブクマにコメントがついていたら、うれしさのあまり何度も見返しちゃうね。それが批判だったりや本文を無視したただの罵詈雑言だとしてもね。
「鼻息荒い長文コメントを書く人もいるけど」って何?ネットの文章で鼻息なんてわかるわけないじゃん。有名ブクマカだけでなく熱意のこもった長文コメントにまでマウントしちゃうなんてそこまであなたは立派なの?昨日の飯について書いてもバズらないってのに。文章を読んでくれた上に間違いを指摘してくれた人にまで「野良校閲マン」なんて見下すなんてどういうつもり?
結局なんだかんだ書いてるけど、あなたはおもしろいから増田書いてるだけじゃん。でも「Twitterでバズるより100倍おもろい」とかいかにも「俺はTwitterでもバズったことあるぞ」みたいな自慢するくせに、「自分のチラ裏で己の呪いを撒き散らせ」なんて自分以外の増田を呪いと呼んで見下すなんてやっぱり性格悪くない?
増田の偉いとこ書くね。
① 成人式に出席したこと。出席して、コソコソ隠れたりせずにちゃんとコミュニケーションとったこと。偉い!
② いじめられても普通に学校を卒業したこと。物理攻撃がなくて良かった!精神攻撃はあったのなら、よく耐えた!偉い!
④ バイトの面接落ちても複数回受けに行ったこと。頑張った!準ガルバという、人と接する職種に就いたこと。定形文ではない、雑談的な会話は難しいのに、すごい!
⑤ 最低限人間らしい振る舞いを身に着けることができたなんて最高!偉い!
⑥ 友人のコミュニティに入れたのは本当に素晴らしい。入ってからも、覚えた振る舞いを駆使して気を使ったり、浮いてないかと不安になったりしたと思う。頑張り屋だ!
⑦ 自分から動かないで恋人ができたということは、受け入れる姿勢があったんだね!偉い!でも、何でもかんでも全てを受け入れなくていいんだよ?そこはおばちゃん少し心配だ。
⑧ 友達とは深い関係を築けなかったのに、恋人との色々を誰か…つまり友達に相談できるようになったんだね。すごい!成長!
⑨ 呼ばれたことに感謝してるの偉い。周りがいい人多かったのかな?呼ばれて嫌な経験はなかったから感謝できたのかも。
⑩ なんとなくコミュニティに拾ってもらえたり、仲間に誘ってもらえるの、増田の人徳だよ!すごいなあ。なかなかそうはいかないよね、存在感なくて誘われなくなったり、自分だけイベント知らなかったりって陰キャあるあるだけど、それがなかったなら増田は実はとても努力したんだと思う。マメにライン返したりとか。
(11)偉いおっさんの前でベラベラ喋れるのは偉い!全方位に萎縮する人も多いのに、得意分野があるの強い!偉い!おじさんは若い女に甘いって経験則を得られたのは良かった!逆の経験則を得ちゃった人もいるから。
これらの偉いポイントが、増田が女だから得られたものだとしても、増田の努力の結果や生来の美点であるのは確か。おばちゃんはあんまり偉くない若い女だったから、少し増田が眩しいよ。就活頑張ってね。
増田は匿名なので、書いた人が本当に就活中の女子かわからない。ので、色んな可能性があるわけで、もし、もしもだけど、増田が実は就活に苦しむ男子学生だったらごめん。辛いよね。フィクションに仮託した、せっかくの鬱屈した内心の吐露に水さして悪かった。こんなトラバ書いたクソババアを呪詛して少し元気出るならバンバン罵って元気出してくれ。そしてもうひと踏ん張り頑張ってくれ(就活男子以外の属性の人だったとしても概ねそんな感じ)。
こういうネットの過激思想が現実に浸透して得するのって、その層の中での勝ち組だけだよな
この辺、フェミ界隈に限った話じゃないんだけど、最近特に、いわゆる陰キャ負け組非モテこじらせの男や、負け組ワープア女や行き遅れババアや社会に生きづらさを感じてる系発達障害女を煽って、金や政治的利益に結びつけようって動きがすごく目立つ気がする。
特に、構造として「いわゆる社会的な勝ち組に属する人たちが、そういう“マジヨリティの中の負け組”に属する人たちの恨みつらみを巧妙に操って、女性やマイノリティに対してその怒りを向けさせることで自分たちの支持者に取り込もうとする」みたいなの。
日本もそうだけど、トランプ支持者やグレタさんの存在なんてまさにそれだし。
フェミニズムの旗頭なんてのも結局のところ、特に不況だとか学会や社会の本流ではないとなんだと言ったところで、彼らがターゲットにしてるネット民みたいなガチ精神病型底辺とかに比べたら間違いなく勝ち組なわけで、そういう意味ではやってること自体は「ヘイト煽って底辺層から金を搾り取る極右雑誌」とかと変わらないんだよな。
そういう輩って、いくら「これはネットでの表現の自由だから」 と言い訳してても、実際彼らの中にある男女蔑視や加虐欲や社会への憎悪それ自体は、明らかに現実の対象に向けてるからね。
単に事件化するレベルの犯罪行為は実行には移してないだけとか、実際に暴力を振るえる力がないから鬱屈してるだけでアイドルやイケメン芸能人へのネット経由の嫌がらせやヘイトぐらいなら余裕でやってるし。
公開されているランク上位のジャンル傾向や感想コメントの熱を見ていると、
自分の作りたいものは世間の需要に合っていないんだな、と感じて辛い。
さらに言えば、
たとえ求められていたものだとしても、「結局、承認欲求充足のほかにはほとんどなんにもならない」のが、辛い。
技術力も知名度もある、界隈で活躍していたフリーゲーム製作者たちが、軒並み全年齢向け有料ゲームで苦戦しているのを見ると(おおまかな売上は販売サイトのレビュー数、いいね数などから把握できる)。
結局、私たちが作るものは「商品」としては求められていないんだな、と理解できて、むなしくなる。
食費や家賃や税金といった「生存のための出費」をせざるをえない製作者たちに、面白いゲームをプレイした対価が払われないってことは、
極端かな。
いいものなのに。
とても面白いのに。
対価は、払われない。
いまはそれをすごく理不尽に感じるんですよね。私は。
なんらかの形で、この鬱屈を解消しなければならないと思う。
よし、じゃあ男の俺が忌憚ない意見を書くよ。
①女は男性よりも感情的だ。いつも自分の感情を処理できず、ぶつけることができる何かを探し回っている。
実際に会う女が感情的なのは、経験上確か。男友達と話すよりも変な気をつかわれる。そうじゃないとか言われても、経験に反するとしか言いようがない。女性一般が感情的でないとすれば、母や妻や妹や友人がみんな特別に感情的なことになるが、んなわけねー。
ただ、
>いつも自分の感情を処理できず、ぶつけることができる何かを探し回っている。
このようなことはない。どちらかというと、感情を碌に処理せず鬱屈する人のほうが多い印象だ。おしゃべりだって、男もする。行く場所がカフェじゃなくて居酒屋なだけ。議論の上手い下手も男女差関係ない。むしろネットで話していると男も下手くそが多い。
女集団ではバッシングが過熱化しやすい傾向にあるのかもしれん。学級会がどうとか聞くしそんなのは男にないのは確か。だが女集団に属したことはないので知らない。
総じて①の項目では、男女差と知能差の混同が見られる。ネットでフェミ発言している女は知能が低いとは思う。だが女一般にそれは広がらないと思う。ネットでアンチフェミ連中が相手にしている女たち自体は、アンチフェミ連中の言う通りの連中だというのが、君にとってはポイントではないかと思う。
間違いない。我々は皆、姉妹から、クラスメイトから、母から、エロ本を隠した経験を持っている。
また、明らかに外見上恵まれていない奴ほど(PTAおばさんなど)エロを強く排斥してくるという経験ももっている。
女性が思うより我々はエロが好きだし、それを過剰に排斥する者たちが嫌いだ。
経験から、彼女らに何を言っても無駄だと知っているし、何をいっても無駄な連中が公共の論理を言ってもまともには受け取らない。
媚びのことは知らない。興味もない。エロ発言する女のことは好きだが、抜いたらそんな女がいたことは忘れている。
③女は仲間を作るが、いじめも大好きだ。仲間ではないものについては常に話の外に追い出したがり、「キモい」と口にし続ける排他的で利己的な生き物である。
むしろ「男性性は暴力性」のような男だけがいじめをする、みたいなフェミ見解にこそ反論したいと思っている。
③のような見解は、そういう状況で出てくるものだろう。女だけが陰湿であるとか、そういうことを思ってる男は少ないはずだ。
女は、男がする直接暴力の代わりに、陰湿なことをする、程度の考えだ。女が劣っているとかいう話ではそもそもない。
①でもいったが、ツイフェミ連中がそうであることは疑いない。しかし女一般がそうであるとは思わない。
アンチフェミは女一般にそれを拡大して女一般が被害者ぶろうとする、と思っているかもしれない。
でもそれは男一般の見解ではなかろう。少なくとも俺は間違いだと思う。
アンチフェミくんが嫌いなフェミは確かにクズである、でもそうでない女がネット外にいる、友人?にはそのように対応すればいいと思う。
生活保護に関する訴訟がTwitterトレンド入りして気付いたことを共有する。
https://twitter.com/YOL_national/status/1376407559347789828
この読売のツイートへの生活保護バッシング(現金給付やめろ、強制労働させろ、収容所に隔離しろ、といったもの)をしているアカウントを見て、ざっと見た印象を記号化してみた。
ソシャゲオタ
さらに、とても鬱屈している、怒っている、攻撃的、といった傾向があるアカウントがほとんどだった。
「生活保護バッシングを行っている層」は確実にある。けれどもそこには大きな偏りがあるといえる。もちろん見ている場所にもよるけど。(Twitterは偏っている。)
日本人全体がこう思っているわけではないはず。もしそう見えたなら、声の大きいところに引っ張られて同調しているだけかもしれない。
障害があったり何らかの事情で働けないから生活保護を受けている人へ。
あなたたちに支給され使っているであろうお金は確実に政府のよくわからない政策よりは社会を回している。生きていていい。それが権利として保障されているのだ。可能なら社会復帰すればいい。できることからやっていけばいい。社会復帰は義務ではないと個人的に思う。とても生きづらい時代だから。
無趣味であること、自尊心の低さ、依存しやすさがあるのではないか。自分をあきらめないでほしい。人間は何歳になっても成長できるはずだ。
その恋愛感情は私が見たそれの中でも1、2を争うほど強いものであった。
彼女のことを漠然と良いなとは思っていたが、その業火のような恋愛感情に驚き引いてしまった。
初恋と呼べるものすらなかった私にそれはあまりにも激しいものであった。
「好きです」
振ったつもりはないが振ったような言葉を言ったそうだ。正直、覚えていない。
そしてやはりと言うべきだろう。結局付き合うことはなかった。
その後、業火の彼女が鬱屈した20代を送ったことは知っている。
そこに罪悪感は無論ある。償うことはできないけれど。
以降、となると生まれてからずっときちんとした恋人はいない。すでに 30 代である。
仄かな想いを寄せてくれる女性がいなかった訳ではないが、その誰ともどうにも上手くいかなかった。
単純に臆病だったからでもあるし、仄かな気持ちを生育する能力も私にはなかった。
初恋以前に業火のような恋愛感情にさらされた私は、恋愛感情というものがどうにも分からないできた。
業火のようなものでなくとも恋愛感情と呼んでいいことを理解できたのが本日の夕方である。
もちろんその勘違いは業火の彼女のせいではない。完全に私の責任だ。
そして今、創作作品を作っている。異性とパートナーを組んでいる。
あくまでも創作パートナーであって、それ以外では断じてないし、それ以外へと向かう気もない。
また、これまでずっと一人で作ってきた私はパートナーが出来たことにとても喜んだ。
ただ創作パートナーというものは生の感情のぶつけあいでそれこそ心の奥底まで覗き込む必要がある。
そして私の乏しい女性経験では、それが偶然なのかどうか全く分からないが創作パートナーも業火のような恋愛感情を抱く人だった。
現在も彼氏はいるそうだが、その大恋愛が今でも胸にあるということは明らかでむしろ彼女自身がそう認めている。
「今でも完全に好きだよ」
と真顔で言いきった。
私は単純に「キモチワルイ」と思った。その有名な台詞の背後の感情そのものを心に抱いた。
業火のようなその恋愛感情そのものがキモチワルイと思ったのだ。
かなり辛い、これは確かな感情だ。そして嘘偽りのない私の中の感情だ。
私は男女問わず恋愛感情を抱く人物そのものにトラウマがあると悟った。
考えてみると、親友が彼女と手を繋いでいるところを見かけることすらキツいと思うのはおかしい。
そして今は辛いけど思う。
今の創作パートナーは、業火の彼女の有り得た姿かも知れないとすら思うのだ。
そして勝手ながら願う。
そして私も幸せであろうと決心できることを。
いろいろな考察が出ていて、それぞれに説得力もあり、なるほどと得心したりしている。
私はエヴァをTVシリーズから全部見てすげーすげーと楽しんできたが、考察にはあまり興味はなく、いろんな謎にも詳しくないが、庵野さんの同窓生ということで、主に宇部高校とシン・エヴァンゲリオンとの関連を考察したいと思う。(かれこれ40年以上前のことなので、記憶違いや勘違いはご容赦を)
エンディングに出てきた宇部新川駅や宇部興産の工場群を見て、あ、庵野さん、宇部を許したんだな、と唐突に浮かんだ。なぜそう思ったかは分からない。そもそも「許す」って。
宇部は山口県の瀬戸内にある工業都市。美しくもなんともない味気ない街で、明治以降炭鉱で栄えるまでは寂しい漁村だったとか、歴史も文化も無縁のところだ。
宇部新川駅は宇部市の繁華街にある駅で、庵野さんの育った地区に近く、少し海側に行くと宇部興産の工場がある。
庵野さんは地元の進学校、宇部高校の出身だ。あれだけアニメの才能(空間認識力)がある人だから、頭が良くて、中学ではろくに勉強しなくても宇部高に入れたろうと思う。高校生活は1年生から受験中心。2年生までに3年生の教科書を消化して、3年生の1年間は受験勉強のみという方針だった。勉強に価値を見いだせないタイプは授業について行けない。当時の校長のキャッチフレーズは「国立300、野球は甲子園」。ちなみに、ノーベル賞の本庶佑さんは宇部高出身で、伝統的に京大を目指す生徒が多い。民主党の菅元総理やユニクロの柳井さんも宇部高。
そんな文化不毛、受験偏重の宇部高で庵野さんを魅了したのが、宇宙戦艦ヤマトやアルプスの少女ハイジなど、ポップカルチャーとしての黎明期にあったアニメではないか。一番好きなのは特撮かもしれないが、当時はウルトラマンもゴジラも低迷していた。
庵野さんは宇部高にあって勉学はともかく、生徒会長の中村さんを主人公にしたナカムライダーや、文化祭用に短編アニメなどを作って校内有名人だった。
短編アニメは、宇宙戦艦ヤマトが爆発しながら太陽に突っ込んでいく、というような内容で、セル画のために美術部の予算をひとりで全部使ってしまったといううわさだった。アニメの出来は素晴らしく、「高校生がこんなプロのようなアニメを作れるんだ!」と驚嘆したし、校内では数少ないアニメファンたちの間で天才として知れ渡った。
だが、庵野さんの才能がその活躍の場を見出すのは大学に入って以降で、たぶん、庵野さんにとって宇部での暮らしや高校生活は、灰色の鬱屈とした、愛せない時間と空間だったのではないか。
漠然とした印象だが、庵野さんは宇部がきらいなんだと思っていた。それが、シン・エヴァンゲリオンでは、聖地にしてもいいよ、的な振る舞い。なんか、ずっと嫌っていた宇部高時代の自分を、ほかのもろもろのトラウマとともに昇華、あれで良かったんだよと受け入れたように思う。
ちなみに、聖地巡礼なら観光起点として山口宇部空港から入り、レンタカーで宇部新川駅へGO、車で約10分。駅を見学したら190号線から宇部湾岸道路で山陽小野田方面に向かえば、車窓から宇部興産の工場群が見学できる。あとは秋吉台とか角島大橋、萩、山口など、観光地へ赴くのが吉です。
シンエヴァ、めちゃくちゃちゃんと終わるアニメだったのでTVシリーズと旧劇の救いの少ない終わり方が好きだった十代の自分だったらめちゃくちゃ怒ったのではないか、という気がする。
旧劇のコピーの「だから みんな、死んでしまえばいいのに」というのは映画の内容にすごく合っていたと思ってて、今回はそういう、やさぐれたり自分に酔ったりする感じが全体にすごく少なく感じた。
Q~シン序盤だって普通あんなん誰だってへこむだろ、という感じで、「あんた観てるとイライラすんのよ」成分が足りないと感じた。
テレビで24話丹念にちょっと上がっては落ちてを繰り返して溜まった鬱屈みたいなものが映画は全体にない感じで、だからドラマの構造としても旧劇でやったような補完計画、というふうにいくのは無理があったんだろうなと思った。
いま気になって時間を調べたら映画は4作トータルで462分でテレビでいうとだいたい20話分の時間があるということになり、別に描写する時間が足りないのではなくて、志向する物語の方向の問題なのだな、と思う。
で、それはどうしてこうなったんだろうな、と思うと、割とみんな書いてる安野モヨコの影響はめちゃくちゃあると思うし(ヴィレの皆さんの描写とか働きマンみたいでしたもの)、旧エヴァチーム以外の人が増えてて、描写や設定の作り込みをちゃんとチームでやってるんじゃないかなと思ったんだけど、そういうのも関係ある気がする(変な単語の並べ方や心理世界の描写、旧劇の引用がやや過剰で、なんとなく庵野がやりたくてやってるというよりは周りのひとたちが旧劇等の感じを継承して発展させようとしてるんじゃないかな、と思ったりした。根拠ないけど。
あと、受け手側も当時のファンの感じと全然違うというのは関係あると思う。
当時のファンは全体的に抑圧を受けている意識は強めだった気がしてて、そのへんがシンジの受けてる抑圧に共感をしてるみたいのがあったと思うんだけど、旧来のファンも年をとり、新規のファンは当時のオタクほどはつらい人生を送ってない(と思われる)、という中で
そういう自傷みたいなことを主人公にさせても共感されないだろ、という風にファン側としても思うし、作り手側にもそういう相手の変化みたいなことは意識されてたんじゃないかな、と思った。
(あと、震災以降の状況下で「だから、みんな死んじゃえ」という主人公普通に厳しいだろ、とかそういうのもあると思う)
自分はなんもわからん子供がひたすら理不尽を受けながら人類のために戦う異常事態で普通にしんどいしうまくいくわけない、と思ってしまうので鬱屈して破綻してしまうほうに気持ちは寄ってしまうのだけど現代の娯楽大作としては厳しいし、今回、いろいろ自己模倣みたいなとこもありつつきっちり振り返らせて本当にきれいに着地したのはめちゃくちゃに偉いと思った。
とはいえ、自分が旧劇の好きだったポイントとして、ぜんぜん大団円感のない終わり方がめちゃくちゃ好きで、「こういう終わり方ってしてもいいんだ!」ってすごい感動したので、今回、めちゃくちゃきれいな着地を見せられたとき「めちゃくちゃきれいな着地ですね」以上の感想があまり出てこない、という気持ちもある。
たぶん次に時間とれたら旧劇もっかい観るし、そしたらその後映画館いけるときにまたシン・エヴァンゲリオン観に行くので、あんまりさようならしないのだけど、観れてよかったです。サンキューエヴァンゲリオン
うっせぇわ、という歌を聴いて、思ったことを書く。
最初に、9000万回も再生されるような動画を作れてすごいなーという思いを、私が作者に持っているということを明記しておく。これから書くことは、「うっせぇわ」で描かれている内容についてであって、作者に対してではないことを明らかにしておきたい。
まずこの曲を聴いて感じたことは、反抗期の歌だなーということだ。
「うっせぇ」と思うような規範を内面化させられた不本意な気持ちを、規範を自分に強制していると思っている大人に対して、「一切合切凡庸」「くせぇ口」と、けっこう理不尽に罵倒することで発散しようとしているように、私は感じた。
なんと的外れな怒りだろう。
優等生であることや、模範人間であることなんて、今すぐやめてしまえ。
「うっせぇ」と思う規範なんか、一つも守らなければいい。
でもそれは、しない。あるいはできない。発想すら、していないように見える。
なぜなら、馬鹿にしている大人が作っている世界に、圧倒的に庇護され、利益を得ているから。養ってくれ、頼らせてくれる相手に一方的な怒りを抱いて反発すること、これぞ反抗期だ。
優等生であること、模範人間であることは、自ら選んだことだ。選ばされたと思っているなら、それは間違っている。そこから外れることを恐れ、適合することで安全を、利益を得ようとしている利己的な行為だ。別にそれ自体は、戦略であり、何ら批判されるようなことじゃない。
その世界が不満なら、変えるか、去ればいい。変えるというのは、不満のある大統領を暗殺するのではなく、自らが議員になって政治勢力を作ることだ。夫に不満なら妻は離婚すればいいし、会社に不満なら転職すればいい。それが出来ないとき、まともな大人は、自分の力不足を認識し、力を増やす努力をしたり、自分に出来る範囲のことがないかを考える。
あるいは、契約を取るためには、飲み会で「酒が空いたグラスにすぐに注」いだり、「串外」したりすることくらい、なんとも思わない大人もたくさんいる。そういう大人は、自分の会社なのか、養うべき家族なのか、人によって違うだろうが、守らなければならない具体的なものがあったりする。守るべきものが何にもない若者には、自分がそれを気に入らないという感性が一番大切になって、不満が出る。
不満を持つなとか、従順たれとは全く思わないし、不満を表明することで、物事が変わることもあるので、黙っているよりはマシだとは思うけど、この怒りは建設的ではない。自分の怒りの的外れさに気づけば、そこまで鬱屈させることもないし、むしろ自分の人生を動かす原動力たり得る。
あと自分にろくでもない規範を押し付けているのは、周囲にいる無理解な大人だと思っていそうだけど、それは違う。周囲の大人は、そういうろくでもなく見えている世界を拒否することのできない、ある意味、弱き民だ。そうやって適応することで、生き延びて来ているので、同じようにしないと生きていけないよ、と思っているだけだったりする。
「頭の出来が違う」のであれば、見下している相手に模範人間をやっているなんて、単なる時間の無駄なので、さっさと望ましいと思う世界を創りましょう。本当の敵に出会うのも、きっとそれからだ。
https://anond.hatelabo.jp/20210220173238
言われてみると、他の人が書いてる通りで優等生の人間の自尊心をくすぐられたから、なのかな?
関西トップクラスの進学校の中で中間くらいの順位というポジションでした。
私には有馬君やら雪乃のような青春は全くなくて灰色の学生生活を送ってました。
学校内ではパッとしないけれど、それでも進学校の生徒であるというプライドだけは中途半端に持っていて、
羽目を外して遊んだりみたいなことができなくて悶々としてたのね。
リアルは充実どころかプアだった。
色々と自分を押し殺しながら、未来の目標に対して頑張らないとって鬱屈した学生生活を送ってたの。
だから、雪乃が優等生であることのコンプレックスを他人と共有して、
そこからは自分を解放していく展開は、灰色の学生生活を送っていたものとしてはすごくキラキラしたものに見えたのよね。
ちなみに、たぶん作者さんは進学校に通った経験がないんだと思う。
本当に進学校の中でもトップの優等生だった人にとってはばかばかしいって思うような作品なんじゃないかな。
私みたいに進学校には通ってるけど中途半端なポジションにいたり、
自称進学校ではそこそこ頑張ってた優等生とかに刺さってたんじゃないかな。
うちの高校でトップの生徒はむしろ高校生活エンジョイしまくってたから。
自分を押し殺して高校生活勉強と文化部を行き来してただけの高校生活を完全に後悔してるわけじゃないのだけれど
あの時自分がその気になればこんな生活も送れたのかなって可能性を夢想するきっかけにはなったよね。
きっと私みたいな感覚の人多かったと思うよ。
もちろんだけれど、後半の方が好き。
まさか有馬君側が単なる雪乃にとって都合のいいだけの男じゃなくてむしろこっちがメインだなんて最初は想像してなかったなぁ。
ちなみに、エヴァみたいだって言ってる人が多いみたいだけれど、私はその意見は全くピンとこないです。