はてなキーワード: 認知とは
「人間はだれしも自分のおかれた状況に条件づけられ、拘束されているが、同時にあくまでも自由な存在である。
したがって、どんな局面においても人はその状況の限界内で自由に行動を選択しなければならないし、
自由に選択した以上は自分の行動に責任を負わねばならない。」とか、
実際問題、認知能力・学習障害の問題でどうあったって理解できない人は理解できないし、
認知能力に問題がある上に厳しい環境に身を置いている人に哲学を与えても救いにはならんでしょ
今、85歳の祖父と、たしか七年くらい前に死んだときの話をしたらクソほど揉めたね。
すげー怒るの。
それで案の定、それから認知が急速に進んで、まったくわからないことも出てきた。
頭がしっかりしているうちやで。
これから労働人口の減少で生活インフラはバキバキ崩壊して行くと思うので、そこで初めて自分が今まで存在を認知しようともしなかった「金無い孤独なオッサン」達がその現場で奴隷となって支えていた事に気が付くだろう..
もう手遅れだと思うけどな(本音)
ってツイから始まる棘がバズってて流れてきててさ。
でも思うんだよね、お前らが本来戦うべきだったのは
自分たちをそういう環境に追い込んだ、上の世代の人間達だったんじゃないか。
もしくは自分たちをそういう環境で搾取して私腹を肥やしてた同年代なんじゃないかって。
なんでこいつらはこの期に及んで
「俺たちが引退してインフラバキバキになってお前ら苦労すればいいよ」
とか言い出すんだろう。
そうして本当に苦労するのはお前らが戦うべきだった相手じゃなくて、
お前らが作ってきた社会のせいでより苦しんでるお前らの下の世代じゃんか。
いっぱしの人間として次の世代を育てて送り出してきた人間はそういう発想にはならねぇよ。
次の世代にこんな社会を遺してしまって申し訳ないって思うんだよ。
お前らは「俺らが奴隷のようにインフラを支えてきて~」とか言ってるけど
この社会を自分たちが作ってきた、そしてそれを次世代に引き継ぐっていう自覚すらないじゃんか。
こういうのがあるから、男はマジで長い付き合いでお互い自分を曝け出せてる信頼できる奴以外は犯罪者予備軍だと思っておかないといけないんだよな
家族からも友達からも、一見普通の無害ないい人に見えてるやつが女にだけ拗らせて加害してくるパターンってよくあるから
最終巻のかぐや様ではアシスタントのペンネームらしきものが載っている。
おそらくこれで調べればSnsのアカウントなりに辿り着いて彼らが描く絵に辿り着くことだろう。
あって邪魔な情報ではないし絵に飢えている人にとっては貴重な情報だし彼らにとっても認知度拡大からの仕事獲得の機会になるのでwin-winだろう。
そこで地縛少年に目を移すとスペシャルサンクスという名目でおまゆたんとかきよかわさんとか書いてある。
こんなありがちなあだ名じゃ一生かけても彼女らのSnsにはたどり着けんだろう。というかこれはおそらきペンネームではなく本当に仕事場でのあだ名に過ぎないと思われる。
どうにも女は自己顕示欲が少ないのかもしれないと思う例であった。
このあたりもかな
そもそも法律にのみ人は従うべき、それ以外のことは考慮しなくていい、という予定で法は作られていないからその時点で法と社会を誤解してるガキの現実と乖離した意見
性とは、例えば友達を作るとか友達と遊ぶとかいうように、Aさんが主体でありBさんが主体であり、二人の個人的な関係にすぎないのに、女性を「性的な魅力的なアイコン」として簡略化して描く客体化ブームが起こった
その結果、異常な価値観の歪みを持った男性が多数出現していて様々な形で女性に迷惑をかけているから
それまで少なかった女子高生に対する性犯罪率が急上昇したのも性的創作物のせい
それを見ないふりして「性表現は誰にも迷惑かけてない」などと嘘をついて不誠実な性の自由に表現の自由などという欺瞞を主張して日本男性がキチガイでキモすぎるからみんな怒っている
表現の自由を本当に守りたいわけではなくて、表現の自由をよく知らないやつが「女性を自由に性奴隷とみなす価値観をばらまいて集団的な認知の歪みに浸かる自由」は人聞きが悪いため名前パクってるだけなので、実際に重大な表現の自由が侵害されたニュースは政治系の人たちが騒いでても一般オスの間で殆ど話題にならない
なんで自国の性犯罪の多さの話題になるとこんなに信じたくない人間がいっぱい湧くんだ?
性犯罪を警察に相談する人間の割合、性犯罪の事実認定、法律体系、ぶっちぎりだぞ
警察に相談した割合5%だとすると日本の1年間の性犯罪の発生件数は推定年間25万件以上。窃盗を除く全刑法犯年21万件より多い
性犯罪について相談する意識の高さ、深刻に受け止める土壌、性的客体化や性差別や虐待に関する知識が大衆に広く普及していること、二次加害の少なさ、助けてくれる人の多さ、職場などでのセクハラや性加害に対しての周囲の反応、警察の対応、弁護士や警察を利用するハードルの低さ
日本男以外の人類からしたら日本が女性に対して性差別的で女性を性的オブジェクト化しがち、性犯罪に対する意識が非常に低く、性的な面について自己批判や自己分析が全くできないってほとんど常識に近いんだけどね。
男だと被害に遭うことも犯罪を目にする機会もそういうのを実感する機会もほぼないだろうからあまりピンとこないのかもしれないね。
>>『規制反対派の反フェミに理由を聞いたら、現実にフェミニストの異常な言動に晒される被害を受けていることや、実在の身近な女性の認知の歪みを挙げていた。
規制賛成派の無理解は、「現実のフェミニストの認知の歪みや無理解」という問題をさらに立証して強化することになって、火に油を注いでるのでは?』
って置き換えたら何言ってんだこのバカって思わない?
何も思わない
>>疑問について
そうは思わない。
・被害者は「エロやAVの真似をしたいと言われた」と明言している人が複数いる
・AV女優のリプ欄に、男性はテクニックだけの存在で一方的に女性を性的に楽しむファンタジーと現実の区別がついていないリプライが大量につく
・風俗嬢のリプ欄にエロ漫画やAV特有の、女性は男性に一方的に襲われて性感を得られる、女性は男性に性的に見られて感じる、などの現実離れしたファンタジーを信じ込んだリプライが大量につく
・女性にも性欲はあるのに女性→男性のレイプは全体の1%程度。男性→女性のレイプが99%
・ホモソーシャルやエロ漫画やAVによって偏った女性像を信じ込んでいたと告白する男性多数
・女性にも性欲はあるのに女性→男性の性犯罪は全体の1%程度。男性→女性の性犯罪は99%
・妻ではなく女体として女性を鑑賞するクセがついてしまったと告白する男性多数
これらの情報を目にしたり身近な女性から話を聞いたりしているし、気をつければ目に入ると思う。
男は見ないようにしてるだけ。
何が認知の歪みなのか分かるし、同じレイヤーだと思うし、ケアも何も、自分達男性の問題だと強く思う。
火のないところに煙は立たないし、反対派は話せば話すほど男性のホモソーシャルの歪みによって傷ついている人たちだし、
叩いてさらに傷つけたら更に状況が悪化して規制を強める理由が増える。自分達はこんなに女性に対して誤解していてファンタジーを強く信じたホモソーシャルを内面化した性犯罪を認識できない男性で、AVと現実の区別がつかず、こんなに女性の話を聞くことができない!とアピールしているんだから、規制の必要性を立証してるだけ。
真面目な話さ、増田やブクマカが大好きな恋愛関係〜子育て界隈の知識や認識はどれくらいなのかね?
正直ブクマカは全員漏れなく非モテの反出生主義者と思っているが、それでも保健体育は履修したよね?
例えば結婚なら「結婚は人生の墓場」っていう標語くらいしかしらなさそうだし、子育てなら「3時間毎にミルク上げる」くらいしか認知していなさそう
多分本当にその程度でなにもかも語っているんだろうな
まず新幹線
まず原作で違う車両から乗客が飛び出してくる描写は存在しない、駅で普通に新幹線の乗り換えを行ってる描写があるだけ、アニメでも原作でも銃撃戦があって同じ車両に座席で伏せてる描写がありもうすぐ駅につくと言ってるし、原作ではマキマと天童たちが話してる横で飛び出している乗客が描かれるので、普通に考えれば同じ車両から飛び出してきたと考えるのが自然だな。
次に沢渡の血。べつにここは特段言うことはないが、血がついてないついてるはストーリーに全く関係ない。ツッコミどころだらけと言うからにはもっと根幹に関わるような所かと思ったら死ぬほどどうでも箇所で草
次に銃
つまりアニメの沢渡は弾入りの銃を持ったコベニに背を向けてバンの扉を開け、サムライソードを乗せるのだ。その間、コベニは撃たずに大人しく待っている。沢渡が無事乗り込んだ瞬間に銃撃を再開してあげるコベニ。優しい。
アニメの描写みりゃわかるが、沢渡がサムライソードを載せてる前後でコベニはデンジを持つ体制を整えてる、銃撃を急いで避けたので、その後撃つ体制を整えたんだろう、沢渡は相手が体制を整えてる間にサムライソードを載せてコベニに銃撃して牽制しつつ車に乗ってる普通に見れば特段不自然ではない。
そして去るバンを見送る。
撃てるのになぜか見逃すアニメ
そしてこれは最大の認識ミスで、見送ってるコベニの銃を見ればはっきりとスライドストップがかかっておりもう弾丸をうちつくしてどうしようもなくて見送ってることがわかる。ちなみにスライドストップは自動拳銃が弾を撃ち尽くした際にスライドを後退した状態でロックする装置ことね。
銃に対する知識がないにも関わらず銃撃戦に対して知ったかぶりしてて草、ほんとコピペ信じて増田が適当なこと書いただけなんだなってことがわかる。
あー誤情報書いたのかと思って焦って損した。
誤情報書き直しただけだったね^_^
他の話でも同様の誤情報が多すぎたので、流石にげんなりして君みたいにアンチ活動にそこまでの熱量と暇はなかったので書かなかったがまあ酷い。
ここまで認知狂ってるとわしが書いた指摘は恐らく認めないと思うけど、ほんとアンチってピュアでバカばっかやね(笑)
あと増田に通報してくれた人いたみたいやけど普通に元気に増田かいてまーす。普通に考えて誹謗中傷でもないのに論評に対して規制されるわけがないがな草
なるほど、「AIで絵を描くとは具体的にどういうことか」の認知の違いだろうね
元増田はたぶん胸パラメータの無指定時にどうなるか(なにも指定しないときにフェチ方向に偏る可能性)の話をしていて、
檄
われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか。総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
残念ながら、キモくて金のないオッサンこと、弱者男性は弱者ではなくなってしまった。
真の弱者を救わなければならない。
この時点で、もう現代社会において弱者ではない。ここに我々が救うべき、真の弱者の姿を提言する。
『声無き弱者は声をあげられない。なぜならば声が無いからである』
つまるところ、現代における真の弱者とは表現力が無い人間であり、プレゼン力がない人間であり、ロビイング力がない人間である。
何故ならば、現代において表現力という力が圧倒的に重視されるようになってしまったからである。
日本銀行券はただの紙だし、通帳残高なんてものはただの数字の羅列に過ぎない。
何故貨幣や土地やらの資本に価値があるかというと、他人に影響を及ぼすことができるからだ。
そして、現代において表現力ないしプレゼン力ないし、ロビイング力は、その金と全く同じ力を持ってしまったのである。
理由は簡単、SNSが発達して、他人のプレゼンを聞く機会が増えてしまったからだ。当然ながら表現力の持つ力は圧倒的になったからだ。
情報技術の発達によって、「受信者」の数が圧倒的に増えた今、表現力の持つ力が純粋に増えるのは当たり前のことである。
もっとミクロな世界で言うと、要は表現力がある人間、自分をプレゼンできる人間は他人をイジメても許される。
表現力が無い人間は、他人にイジメられても仕方がない。こういう世界になってしまった。
教室でイジメられているイジメられっ子だろうと、自分の状況を大人に上手く伝えられる人間は自分の環境を変えられるだろう。
しかし、プレゼン下手にはそれができない。これは、能力による差別だ。
差別は断絶しなければならないのだから、つまりこの表現力差別やプレゼン力差別を無くさなければならない。
最初に戻る。
これは、認知されたからだ。改善しなければならないという風潮を作り上げたからだ。つまり弱者男性には声があったということである。
私からすると、フェミニスト、ヴィーガン、障害者、これらも全て「富める者」に含まれる。
世の中をよく見てみると、先導者がいるはずである。
弱者男性しかり、フェミ、ヴィーガン、障害者、……ありとあらゆる弱者には、その旗手となる人間がいたはずだ。
平等とは、つまり資本家が下々の者に分配をしてこそ生まれるものである。
我々が戦うべきは表現者だ。
まだ気づいていない人間達が、この「表現力差別」に気がつく時代が遠からず来るだろう。
我々は彼らを守らなけらばならないはずだ。だからこそ、「表現力差別」に今、向き合わなければいけない。
俺としては、それより事実婚や認知されないお子さん、戸籍をいれてもらえないお子さん、それに外国籍の伴侶の場合における個人差別のほうがどうどうとまかりとおってるのがおかしい。
結婚は子どもの養育にあたる女性とその子供を保護するばっかりで、父子家庭の保護もよく考えてない。
日本人女性と男性の婚姻の場合だけが得に便宜を図られてる状態(でも24条型の旧式婚姻って合意がなくなって離婚した後は得ではない)
そんでなぜかゲイもヘテロ婚の制度がうらやましいですといわざるをえないだけだとおもう。
ゲイも、事実婚や婚外子も、父子家庭も、国際結婚家庭も、まとまって
「個人の家庭種別による差別」をなくすための共闘をし実現すれば、
24条の旧式な結婚制度にこだわらなくてもよくなるんだろうとおもう。
自分としては、マイナンバーカードに事実家族を相互登録する制度(つまり今までの養子縁組が婚姻なみに便利になる)でもできれば、カギになるとおもうよ。
なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
人数で考えればベッドタウンにある小中学校の全校生徒数ぐらいなもんなのに。
ようは学校中で有名になった程度のことでなにか社会的にすごいことをしたような気分になってるんじゃん?
でもまあ本当に学校内で知られるよりは同じ人数でも地理的に散らばって知られてるようになる方がポテンシャルみたいなもんはあるのかね?
学校内は人間関係は被りまくりでそれ以上情報が拡散されることはあまり期待できないけど、知ってる人が散在してる場合はそれぞれ地縁からして異なるので、最終的にはブクマ登録者数の背後に指数関数的な数の人数の認知者がいるのかもしれないって考えるのは買い被りがすぎるか?