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はてなキーワード: 認知とは

2023-02-07

anond:20230207150244

こっちの性別も、レイプ被害者の性別も何も言ってないんだが……認知歪んでない?

anond:20230207145142

いわゆるネットに張り付いてるオタクもの認知いかに歪んでいて論理的でなく、感情論しかないのがわかるな

anond:20230207145142

いわゆるネットに張り付いてるオタクもの認知いかに歪んでいて論理的でなく、感情論しかないのがわかるな

社会構造的なバグと言えば飲み屋街の託児所だよなぁと

飲み屋街に託児所存在することは付近を往来したことのある方々ならばその大半の方々は知っていると思うが、そこ付近へいわゆる「子供が居る場所での不適切市街地広告」という要素を加えると色々と何とも言えない、まぁハッキリと言ってしまえば正しいのか正しくないのかよくわからん状況に陥る。

例えば新宿池袋飲み屋エリアなんてのはその最たるもの代表例だと言っても過言ではなく、何でそんなところに託児所があるのか?と言えば、飲み屋性風俗に務める方々に自身の子供を預けたいという需要があるためであって、飲み屋エリア託児所は非常に存在意義が大きいものであるのは間違いない。

しかし、一部の言説に拠れば、子供が居る場所では市街地広告の内容に配慮がなされるべきという主張が存在するため、何とも言えないような状況が出来上がってしまっている。

親がそれを受け入れているならば仕方ないことなのではないかという考えも存在するだろうけれど、元の言説の子供に悪影響があるという主張は親が許容していれば解消するものなのか?と言えばそうではないと言えるだろう。親の認知許容の仕方で子供の影響度合いが変わるなんて全くもっておかしいのは明らかだ。

では逆に、あなたたちの子弟が通う施設の前や付近デカデカと一部で不適切とされる市街地広告が設置される予定があり、それが何ら法律条例違反しないことが明らかとなった場合あなたたちはそれを許容すべきなのか、それとも拒否すべきなのか。

これは飲み屋街の託児所付近広告という現実存在する事例を考慮すると、おそらくきっとたぶん、答えは出ない。自分を含めた多くの人々にこの問いへ"正しい答え"を示せる能力はない。

ある意味で、自分自身の無力さ、無能さと折り合いを付けながら生きていくしか無いという"答え"を見付けることのできる問いなのかも知れない。

いまバズりたい人は回転寿司テロをするのが一番手取り早いという話

スシローはま寿司での迷惑行為最近どんどん出てきてる。

そのたびに炎上して、正義感に溢れるネット民Twitterはてブ)はRTして拡散してる。

拡散してる人たちは自分たち被害拡大に加担してるって認識してないと思うのでこの増田注意喚起しようと思った。


「なんでもいいからバズりたい」という人の立場に立つと、今はめちゃくちゃ都合の良いタイミングなんだよ。

炎上商法でバズりたい輩はネットゴロゴロいて、無い頭を使ってみんないろんないたずら行為煽り発言をしながら釣り針を落としてる。

2019年時点で一定バズったレベルでもこれぐらいある。みんなも知らない案件も多いんじゃないだろうか: https://piyolog.hatenadiary.jp/entry/2019/02/14/061442

これはもうSNS流行り出した頃からずっと続いてる普遍的な状況。YouTubeTikTokちょっと調べればヤバいことをしてる輩はたくさん見つかる。大半が面白くないからバズらないだけで、SNS投稿を掘り下げればそんなもの大量にある。注目度が低いからみんな知らないだけ。


そんな彼ら彼女らにとって、「スシローやばいことをしたら速攻で拡散され大炎上する」という成功方程式が出来上がってしまった。

なぜその成功方程式が出来上がってしまたかというと、このトピックに関しては正義感義憤から拡散するネット民がいま大量にいるからだ。

クリエイティブないたずらや煽りを考えなくても、とりあえずスシローで何かいたずらすれば目標だった「炎上バズり」を最短距離で達成できる。こんなに都合の良い話なんてないぞ。


さらに、滝沢ガレソのように炎上案件拡散するハブとなるアカウントもある。これらのアカウントはただのメディアなので、建前では正義感を掲げてるかもしれないが結局はビューが増えたりフォロワーが増えれば良い。文春と同じ。

スシロー飲食店迷惑客はそういったアカウントにとっても今は拡散させやすい、すごく都合の良い案件だ。


まとめると、末端のネット民正義感義憤から迷惑客を拡散することでどうなるかというと:

1. 炎上案件拡散アカウントは閲覧やフォロワー増えて潤う

2. 本人は炎上バズして承認欲求知名度も上がる

3. 飲食店企業拡散されることでブランディング低下する


まり拡散することで加害者側は喜んで、被害者側はより被害を被る。拡散してる奴らは加害者に加担してるのだ。


ではどうするべきか

本当に正義感があるのなら拡散するな。ある哲学者言葉で「誰もいない森で木が倒れたら、音はするのか?」という言葉がある。

誰も認知しなければそれは存在しないのと同義なのだ迷惑客が迷惑行為をしても閲覧数も拡散数も0ならそいつは同じことをやることはないし、他の輩もマネすることはしない。「これと同じことをやってもバズらない」という事実が彼らにとって大事から

まじで頼むぞお前ら。


補足:

拡散報道されて逮捕賠償されれば抑止につながる」と思ってる人も多いが、残念ながら炎上バズりに命をかける奴らにとってそんなの全く意味がない。

顔を隠したり本人特定されない方法でやれば良いと思う奴、「逮捕賠償責任で自己破産したらそれも面白い」と思う奴、前科があってそもそも逮捕を痛手と思わない奴など頭の悪い奴らばかり。

「これをやったら人生がめちゃくちゃになるかも」なんてロジカルな頭を持ってるやつは最初から迷惑行為しようなんて発想に至らないよ。

2023-02-06

受験戦争貧乏人のためのもの

 700万ずつぐらい稼ぐ両親の元に生まれ、荒れた公立中を避けて中高一貫私立に進学。早めに予備校に通い始め、それなりの努力の末それなりの大学合格現在私立校で教諭を務め、年収700万ぐらい。

 ものすごく高学歴というわけではないし、胸を張れるほど稼いでいるわけでもないけれど、自分という枠組みの中ではよく頑張って生きているなぁと思っている。仕事楽しいし、勉強以外に得意なことがあるわけでもないから尚更。

 学歴なんてなくていい。それでも名のある大学卒ならカッコいいし、稼ぎも伴いやすい。だから勉強ができるなら勉強を、勉強が苦手ならそれ以外を伸ばして未来を切り拓くのがよい、そう信じてきた。

 けれど、最近この価値観が揺らぎ始めた。

 勤務先は金持ち地帯にある、偏差値60ちょっと私立高校。

 地頭がよく態度も真面目なのに、+αの努力を一切しない生徒。出席や点数が足りず留年が迫っているのに、まるで慌てない親子。実力より10以上偏差値の低い指定校を進学先に決めてしまう家庭。

 なぜ頑張らない? なぜ焦らない? なぜ上を目指さない? 心底疑問だったが、ようやく理解した。お金があるからだ。

 数億が飛び交う家の生まれなら、ニッコマでもMARCHでも関係ない。留年が決まったら別の学校、なんなら海外にでも転学させればいい。心身を削って受験勉強に励むより、今しかない学校生活を楽しませたい。自分を飾るには、学歴よりきらびやかものがたくさんある。

 ペンケースはエルメス、財布はブルガリ。毎年海外旅行に行くが、エコノミーには乗ったことがない。お手伝いさん庭師がいて当然、医者寿司屋は家に来るもの

 生徒の豊かさは理解していたが、この気づきは衝撃的だった。学歴はいらない。就職には困らないし、しなくたって構わない。受験戦争自分価値を売るしかない貧乏人のためのものなのだ

 この衝撃はマイナスものでなく、「お寿司やサトウのごはんをパックから食べることを屈辱に感じる人がいる」というのと同種のものだ。

 わざわざお皿に移すことで何が変わるの? 手間が増えるだけでは? というのが個人意見だが、けしてお皿に移したい派の人を否定したいわけではない。むしろ価値観の多様さに感動さえする。そもそもパックの寿司ご飯なんて食べたくないという人もいるだろうし、高くて買えないという人もいるだろう。

 世の中には進学はおろか生きるのが苦しい人も大勢いる。「受験戦争一般も推薦も金持ちに有利」「東大生の親は高年収」なんて言説もよく耳にする。

 だからこそ、「普通の高年収」のさらに上、「そこそこ恵まれている」自分や周りがしてきた努力が不必要な層の存在センセーショナルだった。今まで見えていなかっただけで、案外多くいるのだろうし。

 もちろんリッチ世界にはリッチ世界の苦労があるだろう。リッチからこそ学歴がいるんだが? という人もいるかもしれない。今回書いたのはあくま自分認知した範囲の話なので。

 

 己の視野の狭さを反省し、世界の広さに感服しつつ、学歴必要な層も不必要な層も充実した学校生活が送れるよう、日々励もうと思う。

anond:20230206131747

他はともかく、はてなで壺見たことねえよ

マジで言ってるなら認知が歪んでるからヤバいあん

2023-02-05

名古屋メシの最終兵器「妙香園」について(再追記)

名古屋メシ、という括り方が正しいかからないが、日本に打って出るポテンシャルがあるにも関わらずそれほど知名度がないという意味で妙香園について語りたいと思う。妙香園というのは名古屋本店を置くお茶屋さんで、売りは焙じ茶である

香園について語る前に、まず、読者諸兄は「焙じ茶」というものに対してどのようなイメージがあるだろうか。商店街お茶屋さんの店舗で茶葉を焙じる機械から香ばしい香りで客を引き寄せ、試飲に誘い、そして100グラムくらいのパックを購入してみるものの、自宅で抽出してみて首を傾げ、そのまま茶葉を使い切ることなく、年末大掃除賞味期限が切れた茶葉を引き出しの奥でみつけて処分する、というそんな印象ではないだろうか。

香園に関していえば、そのような存在とは真逆のものであると私は胸を張って言える。自宅で妙香園焙じ茶を淹れると、まさに店頭のあの香りが自宅のキッチンで立ち上るのである。残念ながら、名古屋人たち自身はこの妙香園の実力について認識していないように思う。筆者は東海地方出身東京での生活20年以上なのでそれが残念なのである

冒頭の記事タイトルに戻る。名古屋メシというものは、全般的に、味覚の総量が大きく、コスパがよく、それでいてカジュアルさがあるという共通点がなんとなくあるように思う。そういう意味において妙香園は(食い物ではなく茶だが)まさに名古屋メシカテゴリとして語られるべきものだと思う。名古屋に行った時には名駅地下街で妙香園焙じ茶を買おう。私自身はほかで茶葉を買うということ自体が少ないので分からないが、大した値段ではないと思うし店の敷居も低い。名古屋人のあなたは、いつも名古屋土産として買っている、坂角ゆかり赤福やらうなぎパイではなく、妙香園を買ってみよう。あなたにとっては只の妙香園に過ぎないが、彼らは妙香園焙じ茶を知らない可哀想な人々であるあなたが妙香園を与えることによって、彼らがもともと持っていた焙じ茶に対する限定的イメージ拡張し、つまりは彼らの人生を豊かにすることになるのだ。

追記

コメントトラバが付いているのが嬉しいので追記する。誤字を少し修正した。

私自身の妙香園エピソードを少し語ろう。引越しの時に、地元母親が持たせてくれた妙香園手土産として各部屋に持参して行った。マンションの上階に住んでいた大家が後日、「あのお茶すごいね、あの香り!」と褒めてくれた。いや、勿論社交辞令かもしれないが、「香りに対する驚き」というのは妙香園に関する特有の反応だと思う。

名古屋人だが妙香園については知らなかった

そういえば、積極的テレビCMとかを打ってるわけではないのでそんなものかもしれないな。売店自体はいろんなところにあるから試してほしい。

焙じ茶といえば〇〇だけど

あんまり、有名どころの焙じ茶とかと飲み比べてるわけじゃないから、リアクション鈍くてごめんな。

ステマだね。宣伝だね。

俺が妙香園関係者ではないと強弁したところでそれを客観的に示すものなどない。妙香園のことが好きだという意味では身内みたいなものかもしれない。妙香園認知が上がれば俺の幸福度があがるので、その意味では利害関係者とも言えるな。どう?この回答でいいかい、坊や。

赤福三重だよね。うなぎパイ静岡だよね。

これは全くそう。俺が思っていたのは名駅新幹線売店土産を買う時の選択肢が、坂角赤福うなぎパイ三本柱なんだが、名古屋人はそのローテーションで満足してないか、ということである。ここまで熱弁しておいてなんなのだが、俺自身新幹線売店で買えるのが楽で、名古屋土産のメインは坂角の徳用パック(箱に入ってないやつ)なんだよね。ちょっとこれから気合を入れ直して、土産で妙香園を配りまくるようにしてみようと思う。

追記

一点書き忘れたことがある。焙じ茶はいくつかのラインナップがあるが、私がいつも飲んでいるのは「強火」と書かれた、赤緑のおしゃれなパッケージである。同じおしゃれパッケージだと、水出しやテトラパックもいいと思う。「強火」以外の妙香園焙じ茶は飲んだことはないが、母親によると「強火」こそ妙香園らしい濃厚な香りと旨みが楽しめるらしい。

https://www.myokoen-shop.com/view/category/houji

https://alfs-inc.com/column/4785/

一応強制認知ってのもあるけど、調停を経たり訴訟を起こしたりとハードルが高いんだわ

紙切れ一枚の婚姻でこんな面倒を避けられるんなら

女性子供保護のためには婚姻制度は絶対に便利でしょ

anond:20230204192935

認知プロファイル的には母親責任があると感じる。

長女は、クラスメイトから嫌なことをされたと、そこの部分は不登校になったばかりの担任先生児童専任先生相手の親御さんとも話してその件はおしまいになりましたが、一度行けなくなると行きづらくなってしまってるかなというところです。

「かな」というところに母親が何をやったのかが隠れている。

私だけでは、自信なく確信へいたらなかったDVを受けていること

今回コメントを読んでて、確信しました。

母親プライドが高すぎて謝罪するのがいやで学校に行かせない。

今回も自分は悪くないというコメント欄を作りたかったと。

スクールカウンセラーとかの発言自分に都合がいい部分だけ切りとっているね。他にも言ったことがカットされてる。

全部子供学校に行かせない理由だけ認知しているのは母親が行かせたくないから。

そもそもDV不登校の原因は関係ない。

婚姻に伴って生じる効果

お互いに助け合いなさい

浮気しちゃ駄目です(したら損害賠償)

妻が妊娠したら夫は父親推定されます

どちらかが死んだら財産相続されます


婚姻の効力って基本はこれだよ

何処にも税制優遇しろだなんて効果は発生しない

そして中でも3番目が特に問題で、これがないと男は認知という手続を踏まなければ父親推定されないか

いくらでもやり逃げし放題になる

婚姻制度解体を叫ぶフェミニスト理由として上げる要素は何一つ婚姻制度とは関係ないし

もし婚姻制度を廃止した場合に確定的に生じるのは父親責任放棄という問題

​​ナニカ疑獄、あるいはポップな市民革命について。

​​​ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的まなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。

​​

​​日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。

​​

​​一見、素晴らしく見える言説。

​​貧困をなくそう、飢餓ゼロに、すべての人に健康福祉を。

​​SDGs17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから

​​これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。

​​しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ

​​

​​ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。

​​それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。

そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。

​​普段本音正論を隠して、

​​こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。

​​1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。

​​

​​そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。

​​

​​私はapos時代ブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。

​​すぐレス対象マウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。

​​

​​彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。

忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。

​​とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ

​​

​​そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。

​​彼は一切攻撃していないのだ。

​​ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去データ発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。

​​それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。

​​

​​正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。

​​結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。

​​むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。

​​

​​こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパ金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。

​​だからマイナー運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。

​​

​​私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間複数名いる。財団の犬も。

​​社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事言及なんてできないのは自明であろう。

​​関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなた見解は?なんて今のインターネット世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebook国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。

​​わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)

​​

​​しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。

​​お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。

​​そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。

​​

​​極めて個人的サンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。

​​普段積極的インターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。

​​

​​一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題認知すらしていないからここが課題だと思われた。

​​

​​左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。

​​そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。

​​

​​そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシー必要とされる。

​​かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会世間を取り戻す智慧革命と言っても過言ではない、かも。

​​

​​あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。

​​

​​本件はもはやcolabo問題ではない。

​​WBPC問題であり、疑獄である

​​ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。

anond:20230205074153

わいの認知プロファイリングによるとあの界隈は圧倒的にウヨ傾向が高いし、

ウヨってことにしたくないのは多分おまえくらいやで

2023-02-04

認知プロファイル

仁藤夢乃 Yumeno Nito

@colabo_yumeno

今日バスカフェでは今まで以上に残念な状況となりました。Colaboと関係のない男性たちが、Colaboの妨害をしようとやってきた男たちをバス付近で待ち構えて、妨害者を詰めてやったとSNSアピールしたり、暴言を吐いたりしているようです。来ないで、やめてと伝えていたのにどちらも来たようです。

午前3:24 · 2023年2月2日

来ないで、やめてと伝えていたのに「どちら」も来たようです

これってしばき隊反差別統一戦線に指示を出したのは神原ではなく仁藤夢乃本人です。

どちらとは煉獄コロアキは入らない。なぜなら、煉獄コロアキは近づいていないからです。

これはどっちもどっちではない。

したがって仁藤夢乃しばき隊反差別統一戦線に直接関係し、直接指示を出せる人物です。神原関係ない。

anond:20230204131509

それは「認知」という別の制度が既にあるだろう。

日本マスク着用系左翼世界中からキモがられる訳

2022年5月20日日本政府は、屋外では基本的にはマスク着用は必要ないと明示されており、屋内においても特定の条件下でマスク着用は必要ないとされた。

しかし、屋外でのマスク着用はすぐには無くならなかった。あまりにもマスクをしている人が多い。

世界的にコロナ禍が収まりつつあるのに、なぜマスクを着用し続けるのか?なぜ日本人マスクを外さないのか?

この現象には典型的日本左翼文化の影響がある。

日本集団主義文化であり、個人として何をしたいかという話の前に、集団として何をするべきか、ということを考える。暑い時期でどんなに不快でも、日本ではほとんどの人は外出時にマスクを着用し続けていた。これは集団主義文化でよく見られる状況であることがすでに証明されてしまった。一部の現実逃避馬鹿は、「日本個人主義だ!」と発狂しているが、現実を見たほうが良い。

しかし、今回は政府が国レベル集団としてメッセージを出したにも関わらず、多くの人はマスクを着用し続けている。

要するに、権力者よりも影響力を持つ「他人の目」というものがあるらしいのである

北米などで一般的に見られる自己観は、「個人他者とは独立した主体的存在である」と考えられる。

それに対し東アジアなどで一般的に見られる左翼的な自己観は「個人独立した存在というより、他者との境界線曖昧で、他者との接点が動機づけ認知トリガーになる」と考えられている。

日本では相互協調自己観、つまり左翼思想が主流であり、その為、「マスクをするのか、しないのか」という判断に関しても、他者存在が影響してくると考えられる。

マスクを外さな左翼日本人を見ると、「他人視線」という憶測自分で作り出していることに気づく。

マスクについて、「他人の目」で身動きが取れない状況は、社会的にはクソに決まっている。

とりあえず現状維持をするという判断が行われると、多数派マスクをし続けているという現実が続いてしまうのである。そのこと自体が「マスク着用は正しい」という間違ったシグナルを発生させてしまう。集団主義者は、そのシグナルを連鎖させるのである

現状維持」になってしま日本左翼集団主義文化のものであり、これはマスクにかぎらず、組織の中でも社会の中でも、日本の至るところで見ることが出来るものである

集団レベル文化を変革するにはどうすればよいのか。この文化メカニズム理解した上で、何をどうすれば人々は現状維持ではなく、変革に向けて動くのかということを考える必要がある。

人々が「他人の目」を意識すること自体をどうやって変えるのか。あるいは「他人の目」を人々が気にする前提で変革が進むような設計を考えなければならないのか。

マスクを外さない街中の人たちを見ると、社会設計の不全さを見ているような気持ち悪い感じがする。集団主義左翼連中は、「カレー味のカレー」を少数派が食べているところで、「ハハハカレー味のウンコを食うことこそが正義!みんなそうしてるから」などと言うのである

anond:20230202182800

全てが歪み、時空も認知事実文体も歪んでいく

ただ一つ明らかなのは

こんな文章を書いてる時点で結構来ちゃってるんだろなぁってところです

2023-02-03

三次元推し活したら自己肯定感が下がった

昔、私の推し2次元しかいなかった。その時はアニメ見て、ゲームして、twitter感想呟いたりTL見たりでほとんど外に出ず推し活できていた。

この頃は他人自分を見られる機会というか、〇〇のファンの一人として見られることが少なかった。だから別に自分の好きな濃さの化粧をし、動きやす機能面重視の服を着ていた。特段自分の顔は嫌いではなく(大好きでもないが)、BMIも適正体重だけどぶくぶく太ってる風には見えないから特段気にしていなかった。

たまーに行くリアイベやコラボカフェちょっと苦痛だった。周りはさして気にしてないかもしれないが、ファンの一人として行く以上、私がおかしな真似をするとそのイメージ作品に付きかねない。ヤベェヲタクがたくさんいるからってどんどんファンが離れていく作品も少ないが存在するから気をつけないといけない。だから私は普通の枠からはみ出ぬようなファッションメイクをなるべく心がけていた。でも大勢ファンもいるし、何より推しは生きていないので自分を視認することもない。小綺麗にして外出するプレッシャーは辛かったけど、特別重く精神にのしかかっている訳ではなかった。

ところが推し三次元になると話は変わってくる。

まず、同担を見る機会が多い。当然現場に行けば同担存在する。二次元現場でもいたが、買い物をしたりご飯を食べたあとは即解散するのでそんなに同担をまじまじ見る機会はなかった。三次元場合衣装替えのとき推しを見たときに端に映る同担がまぁよく目に入る。

そして色々考える。めっちゃ細いなあの人。良いな可愛い服似合って。うちわ気合入ってるな。そうかと思えばあの人、なんであんなに毛先ボッサボサなの。爪の甘皮そのまんまか?眉の処理も甘くない?だが、その自分の心の中に浮かんだ言葉自分ブーメランで刺さる。twitterで見るようなオタク嘲笑はそのまま自分にぶっ刺さるのだ。

更に、推しこちらを見る可能性がある。自意識過剰だとか認知がほしいとかそういうことではない。汚い自分を見られる可能性があるということだ。本当にやめてほしい。モブFくらいでいさせてくれ。こんな変なやつがファンにいると思われたくない。

そんなこんなで毎度毎度強迫観念のように化粧をし、普通の人から逸脱していないか心配になりながら現場へ向かっている。昔はどうとも思っていなかったが、今は自分の丸い肩も大根足も集合体恐怖症の人が倒れそうな鼻も大嫌いである。私より金を費やす偉い同担もいるし、私より可愛い同担もいる。自己満足推しを消費してる価値のない生き物がもさっと存在しているだけ。

化粧用の電気のつかねぇハリウッドミラーに映った大嫌いな自分と格闘し、また現場へ向かっていくのだろう。

近親婚や重婚に対する民法学説の立場

知っての通り、日本民法重婚一定限度の近親婚を禁止している。

通常は婚姻届が窓口でハネられるが、何らかの事情重婚や近親婚が生じることがある。戸籍担当公務員ミスの他、たとえば重婚であれば失踪宣告の後に再婚したが前配偶者生存が判明した場合や、近親婚であれば認知していない非嫡出子婚姻したが実の父娘であることが判明した場合などが考えられる。

この場合重婚や近親婚は、婚姻の取消事由となる。当然無効ではなく家庭裁判所で取消審判が下るまでは有効ではあるが(重婚について大判17.7.21新聞4787-15)、重婚犯罪であるし(刑法184条)、取消権者は当事者に限られず公益見地から親族検察官にも取消申立権を与えているので、有効とは言っても法が許容しているという意味では無いとみるべきだろう(その意味では、行訴法学にいう公定力の議論に似ている。)。

民法

重婚禁止

七百三十二条配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない。

(近親者間の婚姻禁止

七百十四条 ① 直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。

2 第八百十七条の九の規定により親族関係が終了した後も、前項と同様とする。

不適法婚姻の取消し)

七百十四条 ① 第七百三十一条から七百三十六条までの規定違反した婚姻は、各当事者、その親族又は検察官から、その取消しを家庭裁判所請求することができる。ただし、検察官は、当事者の一方が死亡した後は、これを請求することができない。

2 第七百三十二条又は第七百三十三条の規定違反した婚姻については、当事者配偶者又は前配偶者も、その取消しを請求することができる。

重婚禁止趣旨については、たとえば『新注釈民法(17)』(有斐閣,2017)で732条について解説する110頁はこのようにいう。

本条は,婚姻が一夫一婦の結合をその本質とすることを定めるものである

「定めるものである」という書き方は一夫一婦制憲法上の要請ではなく民法選択であることを示しているかもしれない。民法改正によって一夫一婦制を改めることができるかどうかは、憲法24条2項の解釈問題であろうか。

なお「重婚内縁」というトピックがあるが、法律上配偶者と別居して他の者と内縁関係を構築した事案の裁判例を中心に議論が発展したためか、一夫多妻または多夫一妻(さらには多夫多妻)的な重婚内縁関係議論はあまり活発ではなさそうだ。

 

近親婚の禁止については、同書で734条について解説する118頁はこのようにいう(太字引用者)。

民法は,近親者間(本条),直系姻族間(735条),養親子等の間(736条)の婚姻禁止を定めている。一定の近親者間の婚姻を禁じる規範は,古くから,多くの国に見られるものである。その範囲形態は各国の文化伝統により異なり,多様性に富んでいる。現代のわが国における近親婚禁止趣旨は,優生学的な配慮倫理観念に基づくものであると解されているが,家族形態の変化により,一方では禁止範囲が広すぎ,他方では狭すぎるといわれるようになってきている(新版注民(21)214頁)。

また、同書120頁ではヨーロッパでは,禁止兄弟姉妹間に留める国も見られる(ドイツスイスオーストリアオランダスウェーデン等)とも紹介している。

また、別冊法セno.261『新基本法コンメンタール親族】[第2版]』(日本評論社、2019)32頁は、近親婚禁止規定問題についてもう少し詳しい。

近親婚の禁止は、現代では、婚姻自由配偶者選択自由要請と相反する。それゆえ、近親婚に関する規定解釈する際には、近親婚禁止優生学配慮社会倫理的観点と、婚姻自由配偶者選択自由要請のいずれをより優先すべきかが問われる。近親婚禁止範囲自体を、社会の変遷に応じて見直すことも必要であろう。

なお、準婚理論との関係では、おじと姪の内縁関係について遺族厚生年金支給を受けうる配偶者に当たるとされた例がある(最判H19.3.8民集61-2-518)。おじ・姪婚を認める地域慣習等が考慮されている。

 

大まかにいうと、重婚についてはあまり議論は活発でなく、近親婚についてはなるべく認める方向で議論が進んでいる印象である

なお、民法では条文の立場が明確でありこれと異なる立場は条文の違憲無効を前提とするから民法学よりもむしろ憲法学の領域かもしれない。増田憲法学説の議論には疎いので(憲法論が関わる書面は数年に1度書くかどうかというレベル)、重婚禁止や近親婚禁止について憲法学説がどう言っているかは知らない。

anond:20230203074525

はてなにいると認知できないけど彼らは半径6.3センチくらいの身内に受けると思って半径6300キロくらいに動画流すからな(社会への反抗と読み解く人が稀にいるが間違いである)

彼らが受ける文化圏というのはあるのだ

昨晩見た夢に、同じ塾に通っていた他校の女子生徒が出てきた。私は彼女名前と顔くらいは認知しており、彼女も私のことを認知くらいはしていたようだが(彼女と同じ高校に通っていた知人から聞いた)、お互いに会話をしたことはなかった。それくらいの関係性だったし、彼女のことを思い浮かべることもなかったのだが、なぜ今になって夢に出てきたのか、、夢って不思議

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