はてなキーワード: 良心とは
http://anond.hatelabo.jp/20150105213534
> ミスをして怒られそうなときは、何があっても相手より先に怒れ。
程度次第だと思う。
多分、自分はここで書かれている、優しい上司側。部下は、この主よりも下手で年収も半分ぐらいで、女性。
まぁ怒る。理不尽なほどに。
主ほど意識はしていないのだろうけど、無意識的にでも会社で感情的に怒ることによるメリットをわかっているからこそ怒るんだなと思った。
今までは短期で感情を制御できない残念な女性と思っていたが、怒ることによるメリットがあると本能的に察知していたのかも。
でも、もう終わり。
周囲への悪影響がすごく、有能で自分の後任と目をかけている部下が、その女性によってつぶされかかっており
会社として捨て置けない。
うちは、住民たちの会社とは違い、小さな会社だから有能な部下は大切な宝。
怒る部下は、残念だけど切ることにした。
たまにいいときもあるし、全部が全部だめじゃないのだけど、きっとDVを受けている女性が言う「あの人は本当は良い人なんです」
的な状態なんだと思う。
育休から復帰して半年、30歳、特筆すべき能力なし、保育園都合によるシフト勤務。
かわいそうに思うけど、なんで上司の自分が、評価面談のFBで、
「周囲がおびえているから、いらだったからといて自席で床を踏み鳴らすのは辞めて欲しい」と
注意したら、
2週間後に呼び出されて、朝から3時間も拘束されて、怒られないといけないんだ?
(いや、辞めてくれていいんだよ?自主的に退職してくれるなら良心痛まないから大歓迎だっての)
で、黙ってきいていたら(多少の相槌は打ったが)。最後はなんかすっきりしたのか、「じゃ、私がんばります」だ?
裁量労働で、残業代とか関係ない身分だから、まぁ良いけど、それ言い出すと集中する必要性が薄れるから、
って、つり。
こんな当たり前過ぎること、いちいち言うのも嫌になりますが今回のクソコラがなぜダメなのかって不謹慎だからとか不快だからとかそんなんじゃありません。
実際にISISの人間がツイッター上で間抜けなオタクどもが作ったコラ画像を見ている。
人質の生殺与奪を握られている状況で、です。彼らが逆上して人質に危害を加えたらどうするのか。その程度の現実感覚すら持ち合わせていないのか。あるいは分かった上でやっているのか(もしそうなら本当に人間をやめている)
まあ彼らオタクに何を説こうが諭そうが無駄です。全てがネタの破滅型思考なので。それに巻き込まれる人間はたまったもんじゃないのですがね。
自分もそのオタクの1人です。でも今回の件でさすがにもう無理になりました。
今まではこういうことがあっても、「作品とそのファンは別なんだから作品だけ楽しんでりゃいいや」とか「全てのオタクがこんなんじゃないよな」
と自分をごまかしごまかし楽しみを失わないようにしていましたが、さすがにもう無理です。
ISISのクソコラは今のオタク文化圏をこれ以上なく的確に象徴しています。
自分はツイッターで好きな漫画家さんを何十人もリストに入れていて、それをついさっき遡ってみましたが、オタクどものクソコラを諌める声なんてありゃしません。
当然です。クソコラを作ってるようなオタクが彼らにとっての商売相手ですから。
でも彼らはずっと気付かないのでしょうね。そういう態度がどれだけオタク界隈のパイを削っているか。どれだけの人が辟易して離れていっているのか。
今に始まったことじゃありません。
例えばニコニコ動画のある系統のボーカロイドの動画につけられる「仕事を選べない初音ミク」みたいなタグ。わかる人にはわかると思いますが。
こういうものを見て離れていっている人は相当数いるでしょうね。
「そんなもの気にせず楽しめばいいじゃん」と言う人もいるかもしれませんが、そこまでクズに成り果ててまでオタク趣味をしたくないですよ。今のオタク界隈はどこまでクズになれるか、タブーを破れるかを競うような風潮さえありますけど。
そういえばISISのクソコラの中にアニメ「ご注文はうさぎですか?」の画像を使っているものがありましたね。じゃあ例えばそれをアニメの公式アカウントに知らせたら彼らは毅然とした態度が取れるでしょうかね? 今のオタク界隈を見るにかなり怪しいと思いますが。それくらい腐ってますよホント。
もうどうでもいいです。好きなことがこんな風に成り果ててしまうのは本当に悲しいですけど、人間やめてまでオタクを続ける気もありません。
他人の人権を平気で踏みにじって、ネタとして喜ぶようなカルチャーは滅びなければいけない。それで儲かるような人がいてはいけないんです。勝手にやってろってことじゃないんですよ。
手始めに各週刊紙にアニメごちうさの画像を使ったISISのクソコラを送ります。複数枚です。
ごちうさは自分の大好きなアニメです。だからこそこんな風に使われるのは許せないし、それを咎める人間がいないのならもう滅びていくしかないでしょう。
人命がかかっている時にこんな風に持ち出されて、ネタにされて、心ぴょんぴょん? ふざけんなって話です。
オタクは白い目で見られ続ければいい。
偏見? 差別? 違いますよ。見抜いてる人は見抜いてる。オタク界隈の腐り切った精神性を。
でも最後に少しだけ謝ります。ツイッターにもほんの少しだけ、ほんの少しだけですが良心的なオタクがいます。他のゴミのようなオタクにどれだけネタにされ、マウントされ、お花畑扱いされても、今回のクソコラ祭りを諌め、なんとか抑え込もうとしていたオタクの方々が。
彼らは言っていました。「オタクがみんな同じだと思われたくない」と。
ごめんなさい。こうやって腐らずにやっている人に対しては本当に尊敬を感じるし、逆張りしている自分が恥ずかしくなる。でも自分はそこまで根気強くはいられませんでした。
悲しいですけど早々と抜けさせてもらいます。
低学歴は屑、ホームレスは殺処分しろ、障害者(知的障害)は人間じゃないから殺すべきetc…
こんな意見がめちゃめちゃあるんだけど、これ書き込んでるのはたぶん普通の人だよね…?
ちょっと正直怖いんだけど
いや別に綺麗ごとだけで世の中回ってないのはわかってるし、みんな言わないだけで~みたいな事もあるんだろうけど、そもそもそういうこと考えるの?路上ですれ違ったリーマンのおっさんとかがさ?
俺はネットで初めてこういう意見を見て衝撃うけたとかそういうわけじゃない、むしろ前々からしょっちゅう目にしてたけど、やっぱ改めて考えると恐ろしいなと思ったんだよね
日本人というか人類の大部分ってやっぱこういう考えしてるのが「当たり前」なの?
別に聖人気取りするわけじゃないけど俺はそういう考えってのはやっぱ良心というかそういうのが咎めるんだけど、こんな人間って少数派なのかなやっぱり
追記:どうせこういう意見には「さぞ恵まれた人生送られたんでしょうね」みたいな返しがつくんだろ?言っとくけどお世辞にも恵まれた人生は送ってないよ俺は
岡田斗司夫氏はかねてから自分の持っているメソッドで世界の数%を幸せにすると言っていたが、それは後づけ理論であり自分の膨大な欲求を満たすための副産物であるような気がした。
※その辺、行動経済学的にもご自身でわかっていらっしゃるのではないかと思う。
もちろん岡田斗司夫氏の現在の活動や言動を否定するものではなく、人生を豊かにするような有意義なメソッドもあると思うのでそれは各自ググってください。
普通に性的欲求のある一般的なおっさんである私が岡田斗司夫氏の発言を良心的に見てもやはり病的としかいえず、
これが通常の人に近い反応だと思うので、岡田斗司夫氏とつきあっている女性も心に病を持っている人が多そうだが(実際Aさんは拒食症らしい)岡田斗司夫氏自身もたまに鬱になるときがあると語っている以上、やはり類は友を呼ぶというでっかいくくりで()してもいいような気がする。※その他の8人の人に失礼だと思いますので先に謝罪しておきます。
頭のいい岡田斗司夫氏はそういった自分のあふれでる肯定的であり病的な欲求に対して意味を見出すために(意識的か無意識的かはわからない)
あのしゃべりくりや、博学さを身につけていった可能性が高い。「自分の彼女からしか学べない」ともいっています。学びはよりよく生きていくためのツールですからね。
※岡田斗司夫氏のあふれでる病的肯定的欲求をめんどくさいので以下トシオズムと明記。
・一人の人間を大事にすることができなかった。これは最初の奥様との結婚をして気づく。
・sexボランティア:なかなか普通のメンタルでできないことは想像に難くない。ボランティアに所属と言及しているが、本当のボランティアでそんな団体に所属する人はむにゃ※〒々。。。。相手がだれであろうと拒否権がないことを許諾できるのは、トシオズムがそういう団体に所属させたとしか思えない。
・自己嫌悪はない。
・性欲ではない。
あと動画全般にみる「モテ」という表現に過敏というか、俺はもててるとかそういうのではなくて的な言い回しは岡田斗司夫氏は自分のトシオズムをわかっていて俺はこのトシオズムを満たしているだけで、結果的には「モテ状態」なんだが、だからといってみんなにトシオズムを持て!とも言えない自縄自縛状態に見えるのは私だけでしょうか。
岡田斗司夫氏のあの天才的な話術やメソッドの裏にはトシオズムが根太く根付き、膨大なトシオズムパワーから生み出される岡田斗司夫コンテンツはその効果も大きく、その分自身に返ってくるマイナスパワーもあり鬱状態にもなりながらもがいている岡田斗司夫氏を感じる。
なので結論はトシオズム対談ということでぜひ、恐山院内の南直哉さんか、小池龍之介さんと対談して仏教的観点からそのトシオズムを理解・解体・再構築し、昔はトシオズムに揺れていた宮崎哲弥氏も含めた鼎談にすると2015年最強のコンテンツになり得る可能性もあり、世界の数%を確実に救うであろう新たなメソッドが生まれる瞬間を見たいと思うので、
感想を探したけど、ニュースになっている割に多くない。あったとしても、「良かった!」「感動しました!」的な、映画館から出てきた観客がインタビューされているCMみたいなのばかりが目立つ。
とにかく又吉直樹という人は、善良で優しい人間なのだと思う。小説の登場人物は皆、基本的にモラリストだ。好感が持てるし、きっと広く読者に受け入れられるだろう。
文章力もある。稀に装飾過多の悪文が挟み込まれるものの、全体的には読みやすく、表現も豊かだ。おそらく読書家で勉強家なのだろう。
多くのタレント本がそうであるように、本作も半自伝的物語が綴られている。個人的に、純文学は自分自身について書くべきだと思っているので、題材として正しいと思う。
全体のストーリーは、主人公徳永と才気走った先輩芸人神谷さんを中心に描かれる、芸人残酷物語だ。おもしろうてやがてかなしき何とやら、と言った感じの、切なく泣ける中編に仕上がっている。
神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。
(「その」の連続が多少気になるが、)グッと来た。
僕達は勘違いをするには、あまりにも歳を取り過ぎていた。勘違いしたふりをして顰蹙を買うことさえも仕事だと思える程に歳を取り過ぎていた。
このくだりも良い。近年よく見る、遅咲きのプチ一発屋芸人の悲哀が伝わってくる。
葛藤、焦燥、栄光、そして挫折を描く普遍的な青春物語として、出色の出来かもしれない。
著者の「笑い」に対する熱い思いも、信仰告白のように誠実に語られている。芸人の話だから、当然漫才のような掛け合いシーンが多い。本職だけあって、どの場面も面白く読め、さすがだと思った。
ただ、コンビを解散する主人公の最後の漫才が、感動を押したいあまり、ネタとしてはイマイチというか、そもそもアイデアとして凡庸で(おそらく「帰ってきたドラえもん」のラストが元ネタ)、ちょっと拍子抜けした。
最初に書いた通り、登場人物が皆善良なのが、読んでいて少し物足りない。もっとドロドロした内面や、反吐が出るような不快な気分にさせる場面も見たかった。例えば、破天荒系の芸人の神谷さんがラスト、逸脱した行為に及ぶ場面があるのだけど、すぐに主人公の圧倒的な正論によってたしなめられる。それは、ツッコミが正しいツッコミをしているだけとも言えるが、正論が免責事項のように細かく冷静にセリフで説明され、何となく冷めてしまう。「政治的正しさ」にそこまで配慮するのは、著者が(つまり主人公が)テレビで仕事をしているからで、キャラクターとしては正解なのだけど、やはり萎える。
お笑い芸人は常識人ゆえに、常識をズラしてネタが作れるわけで、だからこそ自分に正直な小説を書くと、良心的で分別のある物語になるのかもしれない。それは作風であって間違いではないし、太田光や劇団ひとりの小説も似た印象を感じた。
岡田斗司夫さんは自分は恋愛弱者の年寄りブサメンだから、恋愛強者の若くて綺麗な女に何してもいいと思ってるような気がする。
そして恋愛強者に無視され傷つけられた恋愛弱者達は、やり返す岡田さんを見てスッとして憧れて、支持している。
彼氏三人理論とかいうのもかわいい子と恋愛は無理でもせめて一発やりたい者共には心地よく聞こえる。
キモオタだって一人くらいは彼女ができるかもしれない、高スペックは三家庭をもてて、女も彼氏三人作れてラッキーってやつ。
これはとっかえひっかえしても他に男が何人いようとも都合よく扱われようとも、俺は許すからお前も許せよってことじゃないのかね。
Aさんはその理論に最初から賛同してなかったか、賛同できなくなったかで、彼女9人にも別れにも不満があってこうなったんだろう。
口八丁手八丁でその理論をごまかして、ついてきた女性に、俺はこういうことを公に言ってんだからついてきたお前が悪いと言わんばかりの態度。
岡田さんはその理論に心から賛同できる人だけをターゲットにしてほしいなあ。
かなり限定されるから難しくなるかもしれないけど、あえてつけこみやすく、傷つきやすいメンヘラを狙うなんてかわいそうだ。
何人も傷つけてよく平気な顔していられるよ。
そもそも新しい家族形態や恋愛観を体現して自分の行動を社会的に大正義にしたいんなら最初にコラだなんて嘘つくべきじゃなかった。
自分のやり方や考え方が批判されるものであり、それが正義になんてなり得るはずもないことはわかっていて、どうにかしてその場しのぎで正当化しようとしているだけ。
岡田さんを支持する者共は性欲の塊の金持ちのブサイクなおっさんを信奉することを自分の良心がとがめないか一度考えてみてほしい。
ブログの管理人がコメントを受け付けるのも受けつないのも自由だ。人の意見なんて求めていない。ただ言いたい事を言うだけのブログの何が悪いのか。はてなブックマークはそんな意見を無視する。一方的に。暴力的に。
だからこそコメント非表示機能があるのに、あろうことか増田にコメントを受け付けるだけの記事を書くとか。コメントを見ないと表明している人間にネットイナゴの意見を見せ付ける行為、集める行為を、はっきりといえば荒らし行為をする自由はない。
見知らぬ一人に罵られた所で大して痛くはないが100人に罵られれば罵る言葉が子供並でも罵る人間がゴミだとしてもいい気分はしない。
はてなブックマークは悪意を集める力がある。悪口を集約する力がある。ただ1本の矢を100も1000も集める力がある。数は力だ。見なきゃいいという問題じゃない。
反論を呟くのもブログに書くのも自由だ。馬鹿だと罵るのも自由だ。だがそこまでだ。集めるな。
はてなはとっととブックマークページを非表示にするなり削除するなりせーよ。
以下は晒し上げ。
卑怯だのチキンだのブコメで一方的に罵るほうがよっぽど卑怯者だろう。
id:gowithyou わざわざ炎上するようなネタを書いて、批判されるのが怖いからコメント書けないようにしている卑怯な奴としか思わなかった
id:anigoka あいかわらず生活保護なくせば低所得者がいなくなるみたいな書き振りに腹が立ったがブコメ閉じてる卑怯モンに寄与するのもアホらしいのでブクマせずスルーしてたわ ちきりんなぞ読まんほうが精神衛生上大正義
id:seiroten コメント書けない設定するとか、「ちきりん」じゃなくて「チキン」だよね。
id:garage-kid 通勤しなくてよくなるならいらないよな、とは思うが、そうでないなら払うべきだろ、と。ブコメを読めなくしてるちきりんの言うことなのであえてはてブはしなかった。こういう増田の使い方はいいな、と。
id:junnishikaw この方法は定期的にやりたいですね。増田に上げるかメタブにするかとかルール決めるといいと思う。
おもしろ。読んでないアピールとかいやーさすがっすね。俺なら恥ずかしくてできねーわ。
id:toru-nakata 毎回、ぼちぼちブクマ集めるな?。まぁ、読まんけど。
id:houyhnhm 読まなかったが、経費を経費として請求出来ないとか意味が分からないなあ。丼勘定で会計やれないですしね。
id:deneb-y この増田を読んで例の記事読みに行こうかと思ったけど、もはやめんどくて読まなかったのでそんじゃーね!
id:btoy 読んでない!読む気ない!!
id:YukeSkywalker ちきりんって時点で読む価値無いなーとしか
id:akihiko810 書いた。意見きかせて下さい(元記事まだちら見しかしてない)
数少ない良心
id:yukkie_strike 本質的に、はてなはこの記事もブックマーク非表示にするべきでは?(といいつつブクマ)/通勤手当を廃止するのではなく「鉄道は税金で維持し、無料にするべき」という論にならないのかな、とは思った。
ベイマックスの胸のカードスロットから「HAMADA」と書いたメモリーカードっぽいものが出てきたとき、増田を読んでいる人なら気付くと思う
気付くでは無いな、ほぼ条件反射で「バックアップを取らなきゃ」と、ど・ストレートに
他の人が書いているように、日本では「ベイマックス」、アメリカでは「BIG HERO 6」で、その違いに付いて
「BIG HERO 6」では女性に受けないから、というのは当たっていると思う
じゃあ、何が好きかと言うと「丸くて、柔らかいもの」 抱きしめると、ムギュっとするもの
そこらを日本の興行会社が考えて「ベイマックス」にしたのだろう
子供と女性層を取り込まないと、この冬休みは妖怪、アイカツ、仮面ライダーに勝てないもの、根こそぎ客を持って行かれる
大切な人が不可解な死に方をして、その謎を探るうちに、大きな陰謀を知り、それを止めるために立ち上がる、とはありきたりのストーリーだ
主人公とベイマックスが街中のテレポーテーション装置に突っ込んで、教授の娘を助けに行くのだけれど、これもお約束、ギリで全員助かるのだろうと思っていた
しかし、ベイマックスはケアロボット、自分を置いて主人公を助ける。なんかインターステラ―という映画で同じようなシーンがあったな
ケアロボットだけに、何が何でも主人公をケアする、つまり命(ロボットに命がどうのということはこの際、)に代えて守るわけ
自己犠牲というやつですね
お子様に自己犠牲を見せていいのだろうか? 「最後まであきらめずにがんばる」と教えるのが大人の良心、義務だと思う
自己犠牲は人として人らしい行為で美しいのだけれど、残される当事者としては一生背負わなければならない十字架だ
子供に自爆テロをさせるのと同じこと、とは考えが飛躍しすぎだろうか
映画では、残されたベイマックスの手のひらから、先のメモリーカードが出て来て、主人公は十字架を背負わなくて済んだのだけれど
アメリカの正義の味方の映画は「チーム」と「信じる」がベースとなっていると思う
チームとしなけばならないのは、マジョリティとマイノリティの混成チームにしないと、広く観てもらえないどころか、反発をくらう
だから、白人、黒人、東洋人、その他、といった編成になってしまう
そこで必要なのは信じること。友情とかでもいいと思う。人種混成チームは信頼がなければ成り立たない
なんか、別の並行世界の住民が、年末のかまぼこについて語っており、それがはてな村民に受けているそうなので、一応反論しておく。
ちなみに俺は、かまぼこ屋の三男で、年末忙しいのだけは合っており、親父をみて知っている(だからといって、プログラマーにはなるべきじゃなかった・・・笑)。
「なんでこの時期のかまぼこはこんなに高いの?便乗値上げなの?」
答. 便乗値上げだからです。正確に言うと、年末に向けてちょっと違うかまぼこを作っておいてそれを売るからです。
さすがに、同じ商品をある日から2倍、3倍にして売れないので。
詳しく解説すると、ちょっと何か変えます。例えば、魚の比率を上げます。これだけ。50%なら55%にした。それだけの世界。
ま、それでも変えている程度としては良心的で、パッケージだけ変えるところが多いのが実態な気がする
(ここら辺は業界の闇なので、帰省したらバイト代として手伝いがてら親父か後継者の兄に聞いてみようかと思う)。
製法の違いは、会社によります。少し読めば、あのエントリが適当なこと言っているのが、すぐわかると思うのだけど、
年末だからって言って、いつもと違う生産設備で、かまぼこを作るわけがない。2つの内1つの設備を遊ばせておくような、そんな金はない(断言)。
そもそも、蒸しかリテーナというのは、使う魚の違いも絡んできている話だし、生産方法はこの二つだけじゃない。
とにかく、いつもとちょっと違うだけ。そりゃ、全体からみれば、リテーナのほうが量産が効くわけだから、
むしろ、安いかまぼこが高く売られて、消費者の下に届くのが普通。そこそこの値段のかまぼこは、そこそこしか値上がりしない。
(ちなみに、うちは年末用に材料変えるなんかもせず、親父のポリシーで値段も内容も一緒だった。
つか、ブクマした方はお土産屋、百貨店とかにあるかまぼこ屋をみたことがないのだろうか?
その店がかまぼこを年末だけ高く売るなんて想像できるのだろうか?年末バージョンを売ることを薦めるにしても)
どういうのを買えばいいの?も全く何を説明しているかわからない。紅白、切り出しのかまぼこを買うことを薦めるかまぼこ通って、笑止千万だろう。
どの饅頭がいいの?と勧められたときに、紅白饅頭か動物の形をした饅頭がいいですねと答えているようなものだとなぜ気づかないのだろうか?
答えは、新潟に行ったら新潟で売られているかまぼこを食べること、好きな魚のすり身を覚えること、それしかない。
とりあえず、地元に海があるなら、地元の買え、都市圏なら、百貨店化地方のアンテナショップに行けってところだろう。
でも、結局、鮮度だ。出来るだけ出来立てがいい。かまぼこ屋の息子でよかったのはここだ。出来立てのかまぼこは、至高で究極といっていい。
だから、冷凍とかのたわごとについては、マジで意味が分からん。
実世界にも興味なく、ネットリテラシーもないというのはある意味すごいことだと思う。
百歩譲って、賞味期限とか知らないにしても、そんな冷凍設備よりも年末増産できる生産設備買う方が合理的と推測するだろ普通。
在庫リスクとか考えればすぐわかりそうなものだが。例えば、電気代上がった年に、かまぼこ代が急上昇したとかありましたか?そういうこと。
研究室で鬱病になった、とかってのも2、30人に1人ぐらいだったらまったく問題にならない。
さすがに10人いるとこで2、3人連続して鬱病出したら、指導が問題視されることはあると思う。
他の教員が、その教員の評判や噂などに敏感になることはあるだろう。
しかし公式に問題とされることは、なにか学生から訴えがないかぎりあんまりない。
教員から見ると、休学をくりかえすよりは、いったん退学して健康になって、生活や進路を考えなおしてくれた方がありがたい。
学生のことを心配する良心的な教員もいるけど、そういう人でも学生とずっとつきあえるわけではない。ほとんどの場合は単なる商売。
援交だめ絶対とは思ってないよ。隠し通せれば別にいいんじゃない?って下に書いたでしょ。
ただ、現実に生きてれば、社会的に「隠した方がいいよな」と思うようなことほど、ばれるよ。何でかは分からん。
昔の友人のタレコミとか、本人が良心の呵責に耐えかねてとか、今時だと買主から写真が流出して、とか、色々あるんじゃないか。
日テレのアナウンサーなんて職業なら、本名で全国ネットに顔出しする仕事なんだから、まず間違いなくすぐに何かが流出したろうな。
夏目ちゃんのケースもあるし。むしろ夏目ちゃんなんにもわるくないと思うし本当にひどいと思うけど、それでもあの子は実質クビになっちゃったわけで。
で、何でかって言えば「『そういう人』がTVでニュースを読むのが相応しくない」という考えが何故かあって、そういう無駄なクレームを排除したいからだよな。
『そういう人』ってどんな人なんだろう、そういうのをダメだと言う人なんて職業差別者だ!って思うでしょ。でもこれが多いのよ。
今日ホテントリ上がってる銀座でホステスうんぬんのブログのブコメ見てみたらわかる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/toki718/entry-11962862836.html
水商売の出身だけあって文章が下手だとかうんたらかんたら、みたいなブコメが上位に挙がってたりするだろう。
彼らが考えている『そういう人』の条件であり、水商売の女にならそういう言葉を投げつけてもオッケーだと思っている人が、結構たくさんいるってこと。
NPO法人の代表者が、小4年生になりすまし自民党に対して批判的なサイトを作った今回の事件。なぜ慶應生がこのような極めて幼稚な嘘をついたのか。誰もが首を傾げることだろう。
しかし、私はこのような事件が「慶應生」によって起こるのは自然だったと思っている。私は慶應義塾大学に数年前に一般入試で入学したものだが、私が在学中の頃から、一般入試入学の者はこのような事件が起こることを危惧していたように思う。
ご存じの方はあまり居ないかもしれないが、某小学4年生が在籍していた慶應法学部の入学者の、実に6~7割近くが推薦入試を経て入学しているのである。この比率は日本の大学でもトップクラスであったように記憶している。そして、特にAO(FIT)入試では、御存知の通り「面接」「論文」などで合否の大部分が決まる。海外の大学のようにSATなどの筆記試験は存在しない。すると、受験生はどれだけ面接で「取り繕うか」を覚える。取り繕うことが出来た人ほど、合格につながるからだ。
しかし、ただ取り繕うだけではダメである。ちょっとした「ばれないレベルの嘘」を織り交ぜることが大切なのだ。例えば、親戚の家の雪かきをしたことを「ボランティア活動で雪かきを行いました」などという、そのような「嘘」を織り交ぜることが合格の秘訣なのである。
活動の中身なんて殆ど無い、名ばかりのNPOに所属し、面接では大きな顔で「NPO法人で高校3年間、活動しました!」と主張すれば合格に一歩近づくということだ。
面接のみが重視されるということはすなわち、「いかにバレない嘘をついて自分を大きく見せるか」の試験になってしまっているのである。そして、その試験に晴れて合格した慶應生は「嘘をつく」ことの味をしめてしまう。努力もせず、適当に自分を「大きく盛る」だけで、人生がうまく行ってしまったのだ、そう思うのも当然だろう。
さて、三年になると、彼らは自分の経歴をどれだけ美しく見積もるかに、再び全力を尽くす。入試対策と、慶應での2年間で培ってきた能力はここでも遺憾なく発揮される。中にはTOEICなどのスコアを偽る人も出てくる始末だ。先輩達からの情報が豊富なので「○○という企業はTOEICのスコアシートを提出させないから嘘をついても大丈夫」などという具合に、情報が至る所でまわってくるので、嘘をついても「ばれない」自信があるのだ。
これが慶應の就職が東大より良いと言われる"からくり"である。
自己弁護をしておくと、私達一般入試組やセンター入試組はわりとこのような事を忌み嫌っていた人が多いように思う。実際に外部組はTOEICなども高得点を比較的楽に取ることができていた。なので偽る必要もなかったのだ。
しかし、残念なことに、「どこまで嘘をついても大丈夫か」をAO入試で入った慶應生は研究する。サークルの先輩などからの情報を集め、「ギリギリセーフ」のエントリーシートを作成することに躍起になる。彼らにとっては良い就職こそが正義であり、嘘をつく事に対しては何の良心の呵責も感じないのだ。
当然である、彼らは面接で慶應に入学してきたわけである。そこでは、自分を粉飾し、大きく騙ることこそがよしとされてきた。そのような入試形式を経て入学してきた生徒なのだ。どうして、自分を「大きく飾る」ことに疑問を持てようか。
海外の大学などでは確かに人物中心入試が行われては居るが、これらはSATやGREなどの学力試験と平行して行われている。面接と学力。総合選抜を行っているのである。これは慶應のAO入試とは全く違うものであると断言できる。今でこそ、多くの学校で導入されたAO入試だが、元々AO入試は慶應で生まれ、慶應で育ったものである。面接だけの学力無関係入試は、慶應が作り上げたものなのだ。つまり、嘘をついて自分を大きく見せる事は、あえて言うならば「慶應の文化であり、脈々と受け継がれてきた伝統」とも言えるだろう。
教授達は「面接で嘘は見抜ける」と考えてこのような制度を行ってきた。しかし、見抜けていないことは誰の目にも明らかだろう。とある塾などではNPOに入ることで自分の経歴「飾り」を行う事を推奨し、AO入試でラクラク慶應に合格させていくという。
出来上がるのは、実績もない、学力もない、有るのはただ「自分を大きく見せる」という嘘つきの能力だけを持つ学生である。悲しいかな、一般入試で入学した人は「自分を以下に偽るか選抜」で合格した人と机を並べて学び合うのである。
この事件をきっかけに、面接選抜のようなAO入試が廃止され、学力と人物どちらともを評価できるような入試を慶應義塾が導入することを、慶應出身者としては祈るばかりである。
アルバイトをはじめた
スカイダイビングをした
一人暮らしをはじめた
スキューバダイビングサークルに入った
サラリーマンになった
転勤した
トライアスロンに参加した
転職した
ニートになった
10年間男は自分を変えるためにさまざまな経験をしたり環境を変えたり
人と出会ったりしたがそこからは何も得るものがなく少しの成長もできなかった
自分は何をしても何も変わらない
何も自分に影響を与えることはできない
男は自分を変えることをあきらめた
何をしてもどこへ行っても誰と出会っても自分は何も変わらないのだから
何をやってもいいんだということに
女性が社会で働くっていうの、20年くらい前から子供ながらにすんげー懐疑的だったんだよなあ。
女は結婚すれば安泰だから、リスクとってガシガシ行けるけど、男は失敗して駄目でした寿しますっていかないから、そりゃ女が社会にでるほうがはるかにイージーだろって。ずるいなあって思ってた。
でも、女性は差別されて実際はつらいんだって主張するから、そんなもんかって思ってたけど。でもパートでいいやん、楽でいいやん専業主婦はって思ってた。
でも、今は状況変わっちゃったね。女性がそんなに就職するなら婚期遅らせて、男の収入も下げるぞってなって、結局女も不安ななかで働かなきゃだめになったね。
結婚っていう安全策があったから社会進出とか言ってたのに、安全弁がなくなっちゃて。今どうすんだって。
今、女を公的に叩くこと言うと速攻大臣でも叩かれるじゃん。女は産む機械とかさ。
もう歯止めがきかないっていうか。働く女性もキツイ、男もキツイ。
女のせいで中層以下みんな苦しんでる。
男にも責任があるっていう感じの論法ばっかじゃん、認められるの。「草食系男子」とか、「低収入は無理」とか、当たり前に言われてるじゃん。
男のほうも女を攻めすぎたのかな。「年齢考えろ」とか「コギャル最高」とか「女の婚期はクリスマスケーキと同じ」みたいな、女の中身には価値がないんだみたいな。
でも、やっぱり少子化は女のせい7割、社会の情勢2割、男のせいなんて1割も無いって感じするね。
いや正確にはあおったマスメディアとか、フェミニストの高学歴女が悪いと思うんだけど、あれだよ、女ってなんでドキュンと簡単にセックスしちゃうんだよバカヤロー!みたいな。
軽薄にのっちゃう女の頭の構造っていうか、軽さっていうか。論理的じゃないってのはそうなんだけど、なんでそういう風に頭ができちゃってんだよって思う。頭が悪いっていうだけの話じゃなくって、頭の構造が論理を成立させてないのがまあ性差なんだろうね。バカバカしいんだよ、ドキュンが恰好いいみたいな。それなのになぜ乗っちゃうし、損するのわかってて行くんだって不思議になっちゃう。
女って悲しい生き物だね。
まあこれを男性が読んで、それは男性の僕もそうさ、という人もいるんだろう
でも女には闇があると思う。
男の目がきになるんだ。
たぶん不細工であればあるほど
私も、中学始まるくらいまで、そうだった。
でもそれは、簡単に壊されてしまう
でもそれも小学六年生まで
それが普通なんだ
でも私は醜い容姿だったから恋愛なんて考えるだけで恥ずかしかった
不細工が人を好きになることに痛々しさを感じるんだ
男の子も、女の子に好かれてる噂をきいて悪い気がしなくなる年頃だったんだ
私は、成長できなかった
無情にも
一人でヒソヒソ描くようになった
女の子の好きなような絵ではなかったから女の子の友達はいなかったし
男の話ばかりする友達なんていらねーって思いながらつよがってた
中学になった。私は不細工に拍車をかけちょっとデブリ始めていた。
両親の離婚を理由に中途半端にぐれ母親も入学写真なんか撮る気なかったと思う。(最後の良心で撮った)
しかしグレるといっても、一人だ。
学校に行けばサボったり絵を描いたり
たまにみたとしても、コアなファンになったりすることがなかったので
オタク風味の輩と好きでもないのに絡んでいる上に、いじめっ子軍団にひとくくりに悪口を言われるのも癪だったから
まあそんなこんなで
高校にもいかず、今時珍しい中卒という肩書きだけをもち社会に出たクズ
本当にゲスくて意地汚くてそれでも生きることに執着する哀れな人間をたった一言で自虐し
だらだら転職して今に至る。今ニートだ。一人暮らしで両親に無心できないのにやばいな。
でも虚弱体質なのと朝に弱いのがあるけどな
メンタルが弱すぎる
あの空気が苦手なんだ
男女の空気が
くだらない話に笑って
他人に興味がある振りをして全部自分に目を向けてほしいという露骨な自己アピール
興味のない人間は徹底的に迫害する中学生のいじめのような習性を持ってること
それに耐えられない
その心理にはやっぱり
どうして私、新しく入ってきたのにだれも連絡先とか聞いてこないんだろう
っていう、自分の醜い部分がある
でもできないんだ、うわ、なんだこの不細工っていう表情が
相手から伝わって来るんだ
でもこの時点で矛盾が生じているんだ
不細工で愛想も良くないってわかってるのにまだ他人に期待をしているきもさが。
しかし、自分より下だ と見た目で認定した 同期には話しかけることができた
クズだ
ごみだ
しんだほうがよろしい。
今思うと心が痛い
自分が醜い
笑うことしかできない
慣れない化粧が崩れていく
やめて、やめてよ
どうして同じ若さをもっているのにわたしは口をきいてもらえないんだろう
話しかけられないんだろう
中学生の話に戻る
笑っても笑っても不細工は叩かれる
同族嫌悪かな?
わたしは男子の思う壺だった
罵られて、あってもしょうがない恥をかかされて
どんどん卑屈になった
いや、もとから卑屈だったね
私は未だに不細工な顔を鏡でじっとみつめて
一生懸命可愛く見える表情をして
いわば毒ガスみたいなもんなんだね。
脚本が駄目と散々言われてるが
キャラクターが事ある毎に態度をころころ替えて意味分からないのはあったな
それが人間らしいと言えばそうなのかもしれないが
特にガイは復活後~最終話の解説まで何故そうなったのかさっぱり
解説があっても即理解なんてできなかった
おまけにバトルし出したり…まずあの露出過多な衣装からして変態
最低キャラすぎる、茅野愛衣は本当にこんなキャラばっか担当だなあ
序盤はカスに思えた八尋が一番ブレがなくまともで好印象なキャラ
他はカスばっか
■葬儀社
アルゴは集を案じる場面が多かったけどモブキャラじゃ物語に入ってこれないわな
■GHQ
集と心の部分で絡まなかっただけキャラはクズ化しなかった(行いは人道的ではないが
顔ぶれは愉快なのが救い
正直緊張感がなさ過ぎ…集が吸収できる時点で全て背負い込んで終わりじゃん
作画とかバトルとかもろもろは凄い良かったと思う
音楽は良かったんでは、けど歌詞入りは結構鬱陶しかったなあゴリ押しぽくて
ロボが進化してったみたいだけどロボ好きにもどうでもいいよねあれ
ロボ名をキャラが口にしてもどうでもよすぎわろた
ギアスは学園パードが好きじゃなかったがこっちは無駄な回がなくてスマート
まあ単に急ぎ足の展開だったせいもあるのかな
ふつーに見れるアニメだと思うから75点くらいが妥当なんでは(適当
おわり
その時、俺は派遣社員で、契約社員であった女上司にうんざりしていた。
この上司の口癖は「意味わからん」で、例えば俺がクレームを起こしてしまった時に必ずそう言っていた。といっても、携帯ショップなんてのはクレームが毎日あるようなもので、それにどうのこうの言ってたら勤まらない。皆が思っている以上に、精神を病む仕事だ。
そんな中、俺がこの店舗をやめようと思ったのは、その女上司がお客さんに対して『あってはならないこと』をしたからだ。
当時、iPhone 5sが出たばかりで、品薄状態が続いていた。ただ、勢いも収まった頃には在庫がしっかりと数十個単位で残るぐらいにはなっていた。
在庫が残り始めたある日、「iPhone5sを購入したいんですが…」というお客さんが来店された。ちょうど、その女上司が接客したのだが、「すいません、iPhoneの在庫切らしちゃってるんですが、こちらのAndroidではどうですか?」と勧めていた。
先に書いたとおり、iPhoneの在庫はあるにも関わらずだ。そして、お客さんが欲しがっていたiPhoneではなくAndroidを買わせた。ノルマ達成のために、お客さんを騙して契約させたのだ。
そんな姿を見て、俺はこの店舗をやめようと思った。
辞めると告げて一ヶ月後に退職したのだが、その間もその女上司は「意味わからん」と俺に言い続けた。
でもさ、聞いてくれよ。
お客さん騙してまで、契約させるお前のほうが意味がわからないんだよ。
よくある話で、元彼が忘れられない。
初めて人をすきになって、付き合って、初めてセックスして、初めて浮気されて、別れた。
遠距離になって半年たってからのこと。半年間全く会えなかったけど気持ちは変わらなかった。
付き合ってる際中も、別れ際も最低だった。あんなふうに誠実さや良心を持たない人とは、人間としてもう付き合いたくないと思う。
それでも一緒にいる間は幸せすぎた。こんなことって人生にあるんだなと思えた。
元彼と別れて、彼を恨むことが辛い。あんな人と付き合わなければよかったと思うのが辛い。
本当によくある話で、友達にはもう言えない。
彼とよりを戻したいわけではない。お願いされてもごめんだ。
でも次に進めない。
そこに情はあっても、気持ちはなくてこれが性欲なのかなと思う。
彼らに気持ちがあるのかは分からないが、彼らにとっては関係ないんじゃないかと思う。
ある友達にはやめたほうがいいと言われて、肯定してくれる友達もいる。
倫理的にダメなんだろうか。もちろん自分がいいと思えばいいのはそうだけど。
男だけ遊んでよくて、女は貞淑でいなければいけないというのは間違ってる。
女にだって性欲はあるし、一回セックスだけしてさよならしたい相手もいる。
男と遊ぶことで、男の生態を知れる。
でもなんかいけない気がするのは、私が元彼を忘れられてないから。
元彼のおかげで、男を信用できなくなった。どんな人でも、男というだけで差別してしまう。
男だからと判断してはいけないのは分かるが、男の言葉を信用できない。
だから男遊びするっていう論理はおかしいけど、多分自分の中ではそうなんだろう。
性欲だけ満たす相手、寂しさを埋める相手。