ベイマックスの胸のカードスロットから「HAMADA」と書いたメモリーカードっぽいものが出てきたとき、増田を読んでいる人なら気付くと思う
気付くでは無いな、ほぼ条件反射で「バックアップを取らなきゃ」と、ど・ストレートに
他の人が書いているように、日本では「ベイマックス」、アメリカでは「BIG HERO 6」で、その違いに付いて
「BIG HERO 6」では女性に受けないから、というのは当たっていると思う
じゃあ、何が好きかと言うと「丸くて、柔らかいもの」 抱きしめると、ムギュっとするもの
そこらを日本の興行会社が考えて「ベイマックス」にしたのだろう
子供と女性層を取り込まないと、この冬休みは妖怪、アイカツ、仮面ライダーに勝てないもの、根こそぎ客を持って行かれる
大切な人が不可解な死に方をして、その謎を探るうちに、大きな陰謀を知り、それを止めるために立ち上がる、とはありきたりのストーリーだ
主人公とベイマックスが街中のテレポーテーション装置に突っ込んで、教授の娘を助けに行くのだけれど、これもお約束、ギリで全員助かるのだろうと思っていた
しかし、ベイマックスはケアロボット、自分を置いて主人公を助ける。なんかインターステラ―という映画で同じようなシーンがあったな
ケアロボットだけに、何が何でも主人公をケアする、つまり命(ロボットに命がどうのということはこの際、)に代えて守るわけ
自己犠牲というやつですね
お子様に自己犠牲を見せていいのだろうか? 「最後まであきらめずにがんばる」と教えるのが大人の良心、義務だと思う
自己犠牲は人として人らしい行為で美しいのだけれど、残される当事者としては一生背負わなければならない十字架だ
子供に自爆テロをさせるのと同じこと、とは考えが飛躍しすぎだろうか
映画では、残されたベイマックスの手のひらから、先のメモリーカードが出て来て、主人公は十字架を背負わなくて済んだのだけれど
アメリカの正義の味方の映画は「チーム」と「信じる」がベースとなっていると思う
チームとしなけばならないのは、マジョリティとマイノリティの混成チームにしないと、広く観てもらえないどころか、反発をくらう
だから、白人、黒人、東洋人、その他、といった編成になってしまう
そこで必要なのは信じること。友情とかでもいいと思う。人種混成チームは信頼がなければ成り立たない
薄っぺらい感想しか書かないくせに、ネタバレは警告なしできっちり書いていくのな。
叩けて嬉しいでしょ?