はてなキーワード: 晩年とは
まつほろひとゆきが作った日本産のコンピューター言語。パールというコンピューター言語を元に作られていてWebサービスを作るためのフレームワークを搭載している。代表的なWebフレームワークはtDiary
C
デニス立地さんがNTTで開発した言語。マルチクスというOSを作成するために作られた。わざと複雑な言語仕様にすることで自分の役職ポジションを守ろうとしていたが、思った以上に世の中の人間はこの言語を使いこなしてしまい、超有名な言語になってしまった。スーファミのゲーム制作にさえ使えなほどの超高級言語
おまじないと呼ばれるプリプロセッサでの書き換えが必要な謎の文字列を埋め込む必要があったり、言語仕様に曖昧な部分も多く、同じソースなのに実行環境によって動きが異なる、欠陥言語である。(32bit向けプログラムが64bit環境で動作しないなど)
オブジェクト指向言語。すべてのオブジェクト指向言語はこいつから始まった。
主にWindows上で動作するゲームを作るための言語。今ではUnityとか色々なゲーム開発の環境とかあるが、結局はパフォーマンスとか考えたらC++使うことになる。
代表作はOpenGL、DirectX、Window10、LibreOffice など
JavaScriptから派生した言語。読み方は(ジャワ。ジャワ島のジャワ。)。もともとはOracleの創始者の博士が趣味で作成して、現在のOracleデータベースの基礎となるテクノロジー。アプレットという実行するための専用プログラムをインストールしないと、Javaで作ったプログラム(.classファイル)は動作しない。マークはコーヒーだと思われがちだが、紅茶(ジャワティー)である。
アンドロイドOSを作成するためにも使われており、アンドロイドのOSカーネルはJavaで制御されている。そのため定期的にGCが走るので、アンドロイド端末は定期的に動作を停止することがある(いわゆるプチフリーズ)。
対策するためにはGC戦略を見直してヒープ領域のサイズやメモリに乗せるキャッシュのサイズなどの調整が必要であるが、げんざいのGoogleにはこれらを調整する人員はすでにいない。
このように業務用データベースから携帯電話まで幅広く使われているので、Javaの技術があっても市場価値は殆どないと言われている。(みんな使えて当たり前)
晩年政界への進出を目論んでいた松下幸之助が、未来社会を見据えて開発した言語。主にWebアプリケーションを作成するために使われている。PはパナソニックのP。を略してPHP
かんたんにシェルコマンドを実行できたり、クエリストリングに代入した値を直接グローバルで評価できたりするなど、洗練されていてとても便利な言語である。
HTMLやメール本文の中にもPHPの処理を書き込むことができる。
この世のすべてのサーバーに実行環境が存在するので、PHPのコードさえあれば、コンパイルも不要でどのような環境でも動作する。
C言語の100倍生産性が高く、Wikipedia、Facebook、Slackなどの超一流のサイトやサービスで大量のアクセスを捌いている。
WardPressと呼ばれるフレームワーク(全世界のWebサイトの3分の1以上はWardPressで作成されている)を作成している言語であり、この言語なくして今のWebは存在していない。
データベースとも親和性がある、などと言われることもあるが特に根拠はない。
韓国人棋士を倒したAIに特化したプログラム言語。Googleが開発しており、もともとはDartという名前だったが、汚いという理由でなまえがGoに変わった。そのため現在はDartという言語は存在していない。
AIに特化しているというだけあり、低レイヤむけの実行ファイルを作成する必要があるため、コンパイルが必要ではあるが、だいたいどの環境向けのバイナリも生成することができる。
デフォルトでディープラーニングを使うための機能を持っていたり、プログラムを並列実行するための機能が備わっているので、コア数の多い環境で高速に動くプログラムを作りやすい。
JavaScript
Javaの元になったプロトタイプベースのオブジェクト指向言語。読み方はジャワエスクリプト。W3Mというブラウザの上でインタラクティブにWebサイトを動かすために作成された言語。もともとブラウザの上で動くための言語だったが、後にSafariブラウザに搭載されていたV6エンジンというJavaScript言語の実行エンジンを分離してNPMというJavaScriptを直接実行できる環境となった。
それ以降JavaScriptはブラウザ以外にVRゴーグルの中などで動くようになった。
並列プログラミングが不可能な作りのため、コールバックを多用して、スパゲッティーコードを量産することができる。
NPMを使う奴らは、JSがブラウザ環境で使われる言語であることを全然考えてないため、WebpackとかBabelといった謎の開発環境をシコシコ積み上げている。いつかその塔は爆発し崩れ去ることになるであろう。
Javaと同じくJavaScriptから派生した言語。Javaとは互換性は無いが、JavaScriptの上位互換があるため、JavaScriptのコードをそのまま実行することができる。
$マークから始まる命令のみで構成されているとても縁起のいいプログラミング言語。おもにパララックスなどを実現するために利用されていて、WardPressなどのドライバとしても使われている。
JavaScriptの改良版であり、現在JavaScriptと言われているプログラム言語の99%はjQueryのことである。そのため現在慣習的にJavaScriptと呼ばれているもののほぼ全てはjQueryである。
jQueryを覚えればJavaScriptは覚えなくても良い。などと言われるが、正確にはjQueryを覚えた頃にはJavaScriptも覚えている。というのが正確である。
JavaやjQueryなどと同じくJavaScriptから派生した言語。Microsoftが開発した関数型言語。開発時はF#(エフシャープ)というコードネームだった。
型に特化した言語であり、Microsoft製のVSCodeというIDE環境でしか開発、実行が出来ない。(ただしMacやLinux上でも動作可能)
TypeScriptを動かすにはサーバーにVSCodeもインストールする必要があり、言語やIDEのバージョンアップも多いため、メンテナスンスが困難である。
前進となるObjectiv-Cという言語が、気持ち悪い構文であったため開発者が不足しており、このままではOSのメンテナンスもままならない、という理由で最初のバージョンがわずか14日間で作られた言語。
189年に董卓が呂布を他の勢力から引き抜くために与えるときに登場する。
呂布が旧主を殺して鞍替えするほどだからこのときすでに名馬として評価されている。
そして関羽の手に渡り、220年に関羽が死んでから呉の武将に与えられるが、餌を食わなくなって死ぬ。
初登場時点で名馬ならおそらく3歳以上だろう。
そうすると220年で34歳以上になる。
2014年までのサラブレッド最長寿記録はシンザンの35歳だった。
晩年に呉の武将・馬忠に与えられたときはもうすっかりヨボヨボになっていそうなものだが、孫権はこれを「名馬」として与えたのだろうか?
あるいは元名馬の功労馬扱い?
関羽の崇拝者でもないのにそんな馬をもらってもという感じだが。
名馬といっても戦争の道具なんだし衰えた馬をいつまでも置いておくものだろうか?
これで現役なら化け物だ。
三国志演義では呂布も関羽も超人的な化け物なので、馬の常識を超えた化け物として描かれているのかもしれない。
赤兎馬はあくまで品種であって固有名詞ではないともいえるが、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」という言葉もあるし、関羽の手から離れた直後に死んだので、関羽の愛馬であるあの1頭の赤兎馬であることが強調されている。
最初に登場した赤兎馬とは代替わりした可能性もあるが、2頭以上手に入るなら関羽だけが赤兎馬に乗る理由がない。関羽の息子達が乗っていてもいいはずだ。
が、猫と別れる選択肢は無い。すくなくとも個人的には絶対それはやめた方がいいと思う。
おれは一年と少し前、19年一緒にいた猫を亡くした。
自分の至らないところで、その猫にはつらい状況も一杯味わわせてしまった。いまでも悔やんでも悔やみきれない感情がある。
でもただひとつ。
飼う時に心に決めた
「ずっと一緒に居る」
それだけは貫き通せた。それが唯一救いになっている。
なぜそう心に決めたかというと、子供の頃、同居していた叔母が可愛がっていた猫がいたんだ。
叔母見つけて連れてきて、叔母が飼った。
その猫も叔母に一番懐いてて、他の家族とはさほどだったんだ。
その猫は寂しそうだったよ。いつも叔母の部屋にあったクローゼットのなかで寝てた。
叔母が家にくると嬉しそうにくっついてた。
動物の毛がよくないとかなんかで聞いたみたいで、高齢出産だった叔母は異常に過敏になった。
猫が近づくと、叫び声をあげて「来ないで!」って逃げてまわった。
おれはまだ子供で、友達と遊んだり、そんなことばっかりで頭がいっぱいだった。でもその猫が亡くなった時、大好きだった叔母に避けられ、看取ってももらえずで(急だったからだが)もし次に猫を飼うことがあれば、何があってもずっと一緒にいるんだと決めたんだ。
一年少し前に亡くなったその猫は、晩年は腎臓を患った。病気について、必死に色々調べた。そこら中におしっこを垂らして(腎機能が低下すると、水を飲む量が増えて、おしっこがぽたぽたと垂れたりする)毎日のように寝床の掃除をした。
一緒にいるのは綺麗で楽しいことだけじゃない。けれど、毎日していた、寝床に敷いたタオルの洗濯やトイレ掃除。これが出来なくなったときの喪失感はとてつもなかった。
19年の間には、何度か引っ越し等環境の変化で、猫と離れるかどうかの危機もあった。
けど、おれにはその選択肢はなかった。
そのお陰でおれはそういう大切な喪失感も噛み締めることができた。
もちろん、嫁と子供が絡む話だ。そう簡単な問題じゃないのもわかる。
けれど、ずっと一緒に居ると決めて飼ったのなら、その猫と別れる選択肢だけは選んで欲しくない。
絶対後悔する。
どちらを選んでも後悔はあるかもしれないが、その後悔だけはして欲しくないな。同じ猫好きとして。
それに旦那にとって大事なものを奪う選択肢を提示してくる嫁に一度折れたら、この先折れ続けることにもなると思う。
猫と別れた後悔が、後々いろいろな形で尾をひく可能性もあると思う。
最後に、10歳の猫にとって、1年は人間で言う4年なんだ。猫は1年で4歳分年をとるんだ。
例えば実家に預けるとかになったとして、月に一度会いに行っても、猫にとっては4ヶ月。
そんな速度でお前のその猫は時間を刻んでいくんだ。
その時間、出来ればずっと一緒にいてやってほしいなぁ……
そもそも、つい一ヶ月前まで、ゴーンは「あの人は今」状態だった。
逮捕後、子どもの学費まで日産の金を流用していた等の「つるセコ行動」が次々と明るみになったためにゴーンの発信力は地に落ち、弁護団を通じて何か言っても世間は相手にしなくなっていた。
このままでは誰にも相手にされない負け犬で晩年を暮らすことになりそうだったが、そこから大逆転するために編み出されたのがあの大脱走劇。
大脱走を批判する人は多く出たが、劇場効果でゴーンの過去のつるセコ行動を批判する人はごく少数派になり、ゴーンの発信力は逮捕前の状態まで回復している。たとえこの後身柄が日本に引き渡されて有罪実刑判決を受けたとしても、ゴーンの発信力は落ちないだろう。性的犯罪に走らない限り。
金持ちだとこういう一発逆転もあるのだなと感心する。
一時期インターネットミームにもなった
オスの晩年が悲惨なのは人間とライオンだ - PRESIDENT Online
https://www.google.co.jp/amp/s/president.jp/articles/amp/28108%3fpage=2
あとハイエナは普通にライオンの天敵だし他にも敵たる動物はいる
Indianapolis zoo lioness kills father of her three cubs
https://www.bbc.com/japanese/45937455
人の苦しみを分かることができて話も通じるし全体として好感の持てる人でも当たり前のように子供を作ってて、その子供に対して特に罪の意識なんて持ってないようにみえる
なんでこの人みたいに想像力ある人が子供なんて作るんだ、人生が苦しいことがわからないはずもなかろうに…と思ってたんだけど、もしかして人生が苦しい人ってかなり少なかったりする?
みんなやりたくもない仕事やったり貴重な休みを親の介護に潰されたり満員電車に毎朝乗ったりでかなり苦しんでる印象もってたんだけど、普通の人たち的にそんな苦しみは大したものじゃないんだろうか
楽しい学生時代を過ごしたら、ちょっと大変だけどやりがいのある社会人時代が来て、愛する人を見つけて家庭を築き上げたら次世代に思いを託してゆっくり晩年を過ごす…みたいなものとして人生を見てるのか?
すごい絶望感がある
「男爵芋の男爵って何なんだろうね...あ、待って!ググらないで!あなたの想像力を聞かせて。ありのままのイマジネーションを」そう言って顔を2倍の体積に膨らませながら右手で自分の左腕を殴り続ける彼女を僕は止めることはできなかった。外ではサイレンが鳴り響く。しかし雨音でかき消され、救急車なのか警察なのか区別がつかない。ロボット三原則に『人を操らない』を加えロボット四原則を提唱した彼女は、ねとらぼの読者層の中では比較的高い認知度だった。しかし晩年の吉田松陰がそうであったように、薬局はポイント還元より現金値引きに比重を置く傾向が強く、アフリカを将来の成長エンジンに据える中国政府の思惑とも概ね一致していた。「バンバンバンバン晩餐館、焼肉焼いても家焼くな」最後の半年間は壊れたレコードのようにこの言葉を繰り返していたという。ワンピースの読者層が20年で20歳そのままスライドしたと考えれば、何も不思議な事はない。
AIで美空ひばりを再現しますっての、個人的には気持ち悪いなぁ。マイケル・ジャクソンとかの時も思ったけど、自分の死後とはいえ、自分にそっくりの何者かが自分の顔形声で自分の知らない活動を始めるんでしょ。歴史上の人物とかと違ってこれからの死者はほぼ100%本人に見える再現が出回るようになる訳で、下手したら生前の行動や考え方も修正させられるかもしれないじゃない。今回の場合、息子さんがOK出してるんだからいいじゃないという方もいるかも知れないが、俺は自分が再現される立場になったら家族がなんといおうが嫌だね。これから晩年を迎える有名人なんかの中には「私は再現しないでね」て遺言を残す人も現れるんじゃないだろうか。
表現の不自由展騒動がきっかけなのか、最近「アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。
とりあえずポリティカルなことや特定の展覧会や人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違いを淡々と正してみる。
文章が読めない人向けに繰り返すが、別に「表現の不自由展」など特定の展覧会や作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート・芸術」に対する先入観について語っている。
前史時代から近現代に至るまで、金銭や作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれた芸術作品や芸術家はいない。
「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。
バッハ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族や王族の庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品がメディチ家の庇護のもと、もしくは依頼で作られている。
モーツァルトのようにフリーの音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。
現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。
こちらは王政・封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。
-
政治思想とは一定の距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位でアーティストを雇い、パブリックアートの制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である。
因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックやベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動がバンバン興った。
それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代の前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界のアート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本の美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。
-
一方、プロパガンダ芸術で有名なのは、ソ連やナチスなど。政府の意向や政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品は政府の思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。
上述した政治思想とは一定の距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。
ただ、これらの政府の体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。
あくまで個人的な見解だが、プロパガンダ芸術はその性質上大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。
なお、これらの国では、現代アート・前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧の対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストがアメリカに渡り、祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。
上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。
だが「20世紀を代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。
現代であれば例えばバンクシーは思いっきり政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。
文学・音楽・映画にだって、政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。
「政治色をもつ作品はアートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。
むしろ、現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。
バッハ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族や王族むけに作品を作っていた。そもそもが一般大衆向けの芸術ではない。
同時代の大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人が酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎やケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術のほとんどは淘汰されている。
-
今現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキーやジョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったことだってある。
これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆の感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展の花形だし、ストラヴィンスキーはバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさんは美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆の感覚はあてにならなくなる。自分の感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。
かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ。
この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドとキッチュ」っていう論文が分かりやすい。
この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆の感覚と芸術作品の価値の乖離について論じている。要するに、「大衆に迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。
80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。
作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話や聖書の出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。
実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実の女性の裸を描くなんて、淫猥である!不道徳極まりない!下品なメスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。
しかし、どちらの作品も今やマネの代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代の芸術家からはオマージュの対象とされるような絵画として扱われている。
一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象は枚挙に遑がない。
簡単にいえば、写真が実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真と絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。
で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌやピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法は写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画だからこそできる表現」というものが重視されていくようになった。
そして「じゃあ絵画の価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート。特に後者の現代美術への影響は色濃い。
もちろん、写真のようにリアルな作品に価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアル」であるかどうかとは別の土俵で表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。
分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。
文章中でも少し触れたが、アメリカや中国、欧州と比較すると日本の美術市場はかなりちっぽけだ。国内でアートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府が美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在のアメリカの立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。
アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。
以前、子供が風呂で溺死したというエピソードがTwitterでバズった。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1101455027544023040?s=21
この「きわきわこ」という主婦アカウントの、知人の子供の死をTwitterに書くサイコパスぶりが怖いと感じた。
でも、なぜかTwitterやはてぶではこれが美談というか、警鐘を与えるツイートみたいな扱いを受けていて、その状況も怖いと思った。
だって普通、知り合いの子供が死んだことを、「お風呂では目を離しちゃだめなのね」って、そんな軽くTwitterに投稿するか?100歩譲って、バズったら消さないか?
その後冷静に考えたら、こいつはバズらせたいから嘘を書いたのだと思って納得した。
さすがにこれが本当だったら、死んだ子供や家族が、Twitterで晒し者にされてかわいそうすぎるから、無理やり自分を納得させた部分も正直ある。
こないだ、その後こいつがどんなツイートしてるのかと思って見てみたら、やっぱり嘘松じゃんってツイートが延々出てきた。やっぱり溺死してTwitterで晒し者ににされた子供はいなかったんだと安心した。
こいつのツイアカは、自分が金持ちでいい母、いい女であることを自慢するツイートや、イケてる夫をもつ友人が不幸になる話のツイートで埋め尽くされ、現実離れした話がやたら多い。
それからは、今度はどんな嘘が飛び出るのかと面白くて監視してる。
直近1ヶ月程度の嘘松ツイを紹介する。この短期間でよくこれだけ嘘つけるな、と思うけど、承認欲求が止まらないのだろう。原文まま。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1175725279727063046?s=21
「よく夫との馴れ初めを聞かれるんだけど飲食店でたまたま隣に座ってて話してみたら家が隣の駅で弟と同じ業種で父が経営者で母がいまだに美しいっていう共通点があったうえにいい匂いがしたので半同棲の彼氏と別れ結婚相手として即決、出会ったその日に両親への挨拶の日取りも決定、そんなもんよ。」
→ねーわw漫画読みすぎだろ。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1169228973626146822?s=21
「祖母は若い燕と駆け落ちして刃傷沙汰になったりそれでも祖父に懇願されて家庭に戻ったり晩年は煙草を薫せながら1日中洋画観てたりイメージまんまの昭和の女優だったんだけど「人の陰口悪口言うやつに文化も教養もない」という言葉だけは共感できるしユニセフ募金箱に札束ポンと入れてる姿は尊かった」
→これもねーわw尊かった(キリ
じゃねーよ。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1171396212064342016?s=21
「娘を学童に迎えに行ったら、メガバンク勤務四年生ママが「SAPIX、講師陣の教え方がうますぎてその時わかった気になってるんだけど帰ってきたら全然なのよ。労働後に教える気力ないしカテキョ頼むしかないかな‥ってか小受正解よ!」と言っていてワーママこそお受験って思いがさらに深まったわ」
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1170651754209271808?s=21
「キャリア官僚友人、美人なうえに性格も良く東大首席卒業の夫との間に可愛い子供も生まれ順風満帆だったんだけど、育児ノイローゼとネグレクトで児相のお世話に。彼女は子供と隔離され一人暮らし、出世の道を断ち旦那様が子供の面倒みてる。隙のない化粧で淡々と語る彼女を前に虐待は身近にあると感じた」
“美人な上に性格もよく東大首席の夫との間に可愛い子も生まれ”と、バズ要素になりうる嫉妬され要素を並べて、最後は「虐待は身近にある(キリ」と、いい話風に終わらせる。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1167765468104388608?s=21
「W不倫真っ最中のワンオペ女医友人、彼に仕事しながら子育てや家事もやるオールマイティな君が好きだとか散々言われてきたのに専業主婦奥様が3人目を出産していたと判明。こっちは離婚調停中なのに時が止まったと泣く友人にかける言葉もない。」
→これも不倫を楽しむ金持ちという、ヘイトを集めやすい架空の人物を作って落とす、という現代版遠山の金さんのような話。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1164875994118799360?s=20
「仕事で昇進打診されたんだけど娘の宿題みないとだし来年から息子のお受験始まるしチーム纏めるのも好き勝手したいから今のままでいいって言ったら周りの希望なんだよ仕事今のままポストだけ上げさせてよ給料上げさせてよって言われて常に育児とキャリア天秤にかけてる身としては上出来だと思った、乾杯」
→正直何書いてるか読解できないけど、とにかく、子供がいるのに昇進を打診されるほど仕事ができると自慢したいようだ。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1170298020795056128?s=21
「グルメ知人がさ○とうより美味い!と息巻いてた西荻窪の熟成鮨に夫と。生魚は全て熟成されていて私はそんなに寝かせなくてもいい派だけど鮨の合間に挟んでくるつまみは美味しいし赤酢のシャリも珍しいし鮨11貫+つまみ10種類位のコースしかないんだけど15000円くらいだからコスパいい〜」
>実は川端康成を読んだのは、雪国が初めて。で、べらぼうに感激したので、他も読み始め。。。たものの、雪国を超える感動はなかったです。川端自身、雪国を超える作品は無理だと自分に絶望したのも自殺の原因だろうと、勝手に推測しています。
川端康成はめちゃくちゃ無口な人だったらしく、作品や対談は残しているものの、
本人が何を考えていたかって実はあまり赤裸々に書かないまま、人生を終えてしまったんですよね。。。
僕は「山の音」が好きですけど、晩年の作品読んでると、老いへの恐れが大きかったんじゃないかという気がしますね。
ずっと自分の中にある作品を、好き勝手書いていたら、いつか世間が評価してくれるという気持ちでいましたが、
いい年になってきて、そうではないなと思った次第です。
いやジャンルがもっとマス受けするような内容であれば、どこかでバズることもあると思うのですが、
純文学というのはそもそも間口が狭く、好きなものを好きなように書いているだけだと1次落ちのまま人生が終わるのに気づいたんですね。
そもそも読者がたくさん欲しいのであれば、ジャンルを変えた方がいいというのは、賢いアドバイスだと思います。
かつて幼い僕自身が感動したような、美しい文章を書きたいんですよね。
なんだか逆説的ですが、自分の好きなものを書くために、世の中で求められている小説を探っている気がします。
>あ、なんか偉そうなこと言ってますな。実績も無いくせに。
そんな印象はありませんでしたよ。
戦後に生まれた世代にも戦争責任はある。その責任とは、自国の誤った歴史に向き合い、それを記憶し、次の世代に伝え、繰り返さないことだ。ドイツはそれを実践している。それを投げ捨てているのが安倍政権だ。
「昭和天皇 自己弁護と『反省』……」極めて不十分ながら自ら「反省」をのべていたことが明らかになった以上、あの戦争とはどんな戦争だったのか、そして陸海軍の統帥者だった昭和天皇の戦争責任について、国民的な検討と議論が必要です。
「『戦争責任言われつらい』晩年の昭和天皇吐露」昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ。
戦争責任という言葉を、場合に応じて自在に使い分ける。天才的な言葉の魔術師。さすが、日本共産党のトップを20年近く担い続ける委員長です。
good2nd「その責任とは」以下を全然読んでない脊髄反射ばかりで草。反論するにしても読んでからにしろよ。同じパラグラフなのに一段落すら最後まで読めないのかよ
take-it 戦争責任を負ったら死ぬの?自国の誤った歴史に向き合わず、それを記憶せず、次の世代に伝えず、過ちを繰り返したいの?自然災害ではない戦争という政治の過ちを望んでるの?
kakaku01 "その責任とは、自国の誤った歴史に向き合い、それを記憶し、次の世代に伝え、繰り返さないことだ。"この責任を負いたくない人がいっぱいいるみたいだけど、また敗戦したいのか?
委員長の天才的な言葉遣いをわかっていないのはあなたたちぐらいです。限定していれば、昭和天皇の戦争責任をいまさら指摘する必要はありません。委員長の話をきちんと聞いてください。不敬ですよ。
十年以上、病に苦しんだ父が、半年前ついに死んだ。
働きながら介護をする母を労うでもなく我が儘放題な態度が腹に据えかねて、私の中の父はとうに死んでいた。喪失感はなかった。
晩年はずっと病院暮らしで、テレビにも音楽にも興味を失い、言うことを聞かない身体をたまにもぞもぞと動かしながら、四六時中白い天井を眺めているだけだった。
屍のようだ、と頭の片隅に思いながら、正月だけ義務的に見舞い続けた。
見栄っ張りな祖父が購入したお墓は車で行きづらいところにあったが、自家用車は父が寝たきりになった時点で手放した。最寄り駅で集合し、タクシーで向かうことになっていた。
父がまだ通院で済んでいた頃、しばしば付き添いで行った病院だった。ちょうど大学に通うのを辞め、働き始めた頃だった。
「大学は行かないのか」と聞く父に、大学に通えなくなった幼稚な言い訳と、仕事のやりがいを語って聞かせた。
「好きにしな」と父は短く返して、パスタを啜った。
私が志し、そして諦めた学科は父と同じだった。働く父は好きだった。
あの病院での会話が、「生きた父」との最後のやり取りだったなと回想して、少し涙ぐんだ。
清掃して、お供えをして、お線香を上げて、手を合わせても、「生きた父」には二度と届かない。病院で寝ていた屍と同じようなものだ。